説明する。
何か一人で休める場所で広々としたところがないかと探していたら、私は海浜公園に歩いていた。そこには緑のもじゃもじゃ頭の人──“緑谷出久”という男の子がいて、楽しく(?)話していたら、
「OH MY ………… GOODNESS……」
後ろにガリガリの骸骨みたいな人がいた。
「だれ?」
するりと、背後にいた皮膚の上からでも垣間見える骨の浮いた男に、一条はいつもと変わらない様相で小さく首を傾げた。
そのとき、後ろでワタワタと砂が蠢き、飛び出す影。
「あ、星野さん、この人はっ──!」
「WAAAAIT!! 待つんだ緑谷少年!」
「え? あっ……!?」
いきなり飛び出したかと思えば、またいきなり血反吐を本当に吐きながら男が叫び、出久も思い出したかのように肩を跳ねさせてピシャリと口を覆う。
なにがなにやら、さっきまでまったりとくつろいで観てみたというのに。
しかし、出久と、出久のことを“緑谷少年”と呼ぶ男は互いに顔見知りなようだ。いや、顔見知りというには長い付き合いのように見える。確証はないにしろ、自分の中にある直感がそう告げているのだ。
「すまない、いきなり叫んでしまって。驚かせてしまったかな?」
声をかけられ、思考に耽っていた一条の意識が釣り上げられる。
目の前には、さっきまで血を吐いていた男。だが、手を気さくに振って、顔に落ちた影から見える青い瞳を朗らかに細めてきた。
依然として、口端には血痕がついているが。
「別に」
特にこれといったこともないため、一条の返事はそれとない。まさしく簡素だ。
一条の反応を気にするよりも、まず目の前の男が自身の現状について鑑みた方がいいのではないか。
無頓着な男を前に、一条は特になんの要素もない吐息。ゴミ山から引っ張り出した寄せ集めのゴミビーチセットへ歩き出す。
「──ところで、緑谷少年──」
「──……いや、ただ──」
「しかし──」
なにやら、後ろでこそこそと話しているようではあるが、別に気にしてはいない。
──…………。
椅子の横に置いていたショルダーバッグを拾い上げ、別に気にしてなんかいない一条は二人の下へ戻る。
こちらの様子を横目で見る出久が身をすくめるのは、なんというか何か言ってやりたい──が、やめた。
「……口。汚いから、拭いた方がいい」
一条はショルダーバッグを肩にかけ、飲みかけのペットボトルをしまうと入れ替わりでハンディペーパーを差し出す。
一瞬困ったように目をぱちぱちと瞬く目の前の男だが、笑みを浮かべると病的なまでに細い手を伸ばして、確かに受け取った。
「ああ、かたじけない」
「…………」
一条はなにも言わず、ただ待つ。口を一直線に結んで、待つ。
程なくして男が口を拭い終えても、一条の瞳は依然として見つめたままだった。
「いやぁ本当にすまない、お嬢さん」
「いい。それより、あなた…………だれ?」
「あわわわ、星野さん!」
目の前の男に聞いたのに、なぜか出久が横入りしてくる。別に焦らなくても、慌てなくてもこの人は逃げたりしないのに、なにをそんなにあたふたしているのだろうか。
怪訝に目を細めてみせる一条。その目つきは変わらない全くの無表情ではあるものの、視線に当てられた出久はさらに泡を食う。
「こ、ここっ、こ、この人はえーと、僕の知り合いの! …………っとぉ」
「八木だ……」
「そうっ! こ、この人はコーチの八木さん! とっても……ゆ有名な人でっ僕のトレーニングを見てもらってるんだ!!」
出久の語りを聞き、再び男を──八木と名乗る人物を一条は眺めた。
頬はこけ、体は風が吹けば折れそうなほどに細く、眼窩は窪んで影が落ちる。控えめに言っても骸骨男という表現が似合う印象だ。
着ている白い半袖と草色のズボンもサイズがチグハグ。襟元に関しては萎れた花のようにくたびれていた。
ただ、
──目が。
自分の青い目と、ミッドナイトの青い目とは違う、紺碧の目。八木の目が、出久の深緑の目に似ている気がする。
出久の瞳の中の“炎”はまだ小さい。けど、八木の“炎”は煌々と輝いていた。
「そう……。私は…………星野一条」
「星野一条……星野少女。うん、いい名前……」
「ねえ」
一条は聞いてみることにした。
「あなたの目つき……出久のより強い炎が宿っているように凛々しくて、透き通っている………………一体、なにを経験して、そこまで強い炎を持つようになったの?」
一条の言葉に「それは……」と言い淀む八木。
視線を上げたとき一瞬視線が交わると、戸惑いの滲んだ口元に笑みが浮かび上がる。
「経験、か。そうだね、星野少女。私はただ、多くのものを背負い、守りたいと願ってきただけさ。その道筋で、何度も躓き、痛みを覚えた。……けれど、その痛みが今の私を作っているんだと思うよ」
「痛み……」
一条は、その言葉を反芻するように呟いた。耳から、鼓膜で咀嚼し、神経という名の食道を通って脳へと沈み込む。
痛みは、自分がヴィランにやったように殴ったり、ぶつけたりと、肉体を現実で叩きのめす衝撃だった。けれど──八木の言う痛みは違う。
もっと重く、それでいて暖かい響きがあったようだった。
「……よくわからない。少なくとも、ただのコーチから出る言葉ではない」
一条の言葉は、疑いの含んだそれではない。純粋な『事実の指摘』として放ったのだ。
そのあまりにもまっすぐな青い瞳に、八木が思い出したかのように息を溢す。
「はは……それもそうだ。君は、物事の本質を『視る』ことに長けているようだね」
「…………」
苦笑しながら、口元を脱ぎとって血のしみたティッシュをポケットにしまい、八木が真っ向から見据えてくる。
彼の眼窩の奥にある『炎』、一条の網膜に焼き付く。
「ただ痛みを知ることは、強くなるための代償なんじゃない。その痛みの中にある『意味』に気づいたとき、君は本当の意味で誰かを守れる人間になれる。そう、『ヒーロー』のようにね」
「…………」
──ヒーロー?
その言葉、ミッドナイトにも言われた言葉が、また出てきた。けど、似ている。誰かの痛みの上に立ち、どう振る舞うのか。
一条が八木の瞳から目を離し、自分の掌を見た。ヴィランをたたき伏せるための拳。軽トラを軽々と持ち上げた、腕。
それが、誰かを守るための手になる日など来るのか。今の自分にはまだ、暗記した単語の意味を覚えるくらい実感のない話──
『ああんもう! この子ったら可愛くていい子!!』
『──ありがとう』
「────」
いや、あった。ミッドナイトと医者の吉田の声が頭の中に響き渡って、一条は開いた手を柔らかく握りしめた。
あの時は、確かに必要だからそうしただけだと、ただそう言った。
けど、自分の言葉を顧みて、あのとき『変』と感じたから、この手でミッドナイトの手を握った。謝られるのは『変』と感じたから、吉田に言った。
これが、八木の言う、痛みの『意味』なのだろうか。
──……わからない。けど……。
こうして、人と話していく中で、着実に近づいているような気がする。それがなんなのかまだわからないが、少なくとも悪い“気”はしない。
──…………。
──この“気”も、そういうこと?
また、消化しきれないものが胃の中に入り込んできた。それは気づかなかっただけで、元から入っていたものなのかもしれないが、
今はここではないどこかで──休みたい。
「緑谷少年も、その心を決して忘れないようにね!」
「〜〜っ! はいっ!」
「うむ。星野少女もきっと、さっき見せた力を誰かのために振るう日が来れば……この言葉の意味がわかるときがくるはず……」
「──もういい」
出久から再び顔を向き直す八木であったが、一条の突然の拒絶で絶たれてしまった。
「じゃましたし、話すのも……疲れた。それに帰らないと、ミッドナイトがうるさいし」
「あ、ああそういうことかい。てっきり君の気にどこか触ってしまったのかと思ったが、杞憂でよかったよ。気をつけて帰りなさい」
もうここに用はない。だから一条は踵を返し、揺れる髪を無造作に放って堤防の方へと歩き出した。
次なる目的地は、雄英高校の隣にある教師寮。住んでいる場所へ──
「──星野さん!」
不意に、背後で呼び止められ、一条はゆっくりと後ろを垣間見る。流し目だった瞳は、やがて背後が正面へと変わる視界に止まる。そのさきにいる、出久に。
「…………」
「あの……また、ここに来る?」
出久のその言葉に、一条は胸の中につっかえるものを覚えたがために、開けようとした口が止まる。
来ないとは、また違う。けど、来たいかと言われれば、それも違う。
「……わからない」
「ぁ……そっか」
「終わり? じゃあ──」
「──なら!」
出久が、溢れ出しそうな言葉を必死に形にするように拳を握りしめて、一歩前に、踏み出した。
「僕が……僕がここを綺麗にするまで、そのときまで、僕は毎日ここにいるから! もし星野さんが、また“休みたくなった”ら……いつでも来てよ!」
「…………」
一条は、なにも返さなかった。
けど、出久は反対の足を前に出して、また一歩歩く。
「待ってるから。君に“手伝う”なんて言わせなくいらい、もっともっと強くなって……このゴミ全部なくして、最高の水平線! 見れるように頑張るから!」
潮風が、出久の叫びを後押しするかのように後追って、当たってくる。これが、青臭く、相澤の言うような非合理なことなのだろう。
けれど、先の八木が言った“痛み”の意味を、出久もまた探す、純粋な宣戦布告のようでもあった。
「…………」
一条は、無言で出久をじっと見つめた。
太陽の下で泥に塗れながら、それでも己の火を絶やさない緑の瞳を、太陽の気配だけを残した静かな青い瞳で。
「……へんなの」
ボソリと、自分にしか聞こえないような声で、一条が呟く。
その唇の端が、ほんの数ミリだけ、上を向いたことに彼女自身も、そして出久も気づいていない。
「……わかった。気が向いたら、……見にくる。あの空の向こう、見てみたいから」
それだけを言い残して、一条は今度こそ背を向け、階段を上がる。
左右で長さが違えたツインテールが、風に揺れる。
「うん! またいつか! 星野さん!」
「…………」
どこまでもまっすぐな声が追いかけてくるが、一条は一度も振り返らなかった──。
* * *
「──緑谷少年」
「は、はいっ! オール……じゃなくて八木さん!」
一条の背中が堤防の向こうに消え、再び潮騒だけが響く砂浜にて、その会話は交わされている。
階段から少し離れた場所に立ちつくす出久。その二歩背後、ふっと息を落とす八木が腰に手を当てて言をかける形で。
ある意味で、密談と呼ぶには十分な静けさだった。
「……星野さん、凄かった。僕が今押そうとしても動かないものを、あんな……まるで段ボールを持ち上げるみたいに」
「ああ。……正直に言うと、私もあんな『力の出し方』をする人は、初めて見たよ……」
どこか警戒があるような色味に、八木はそれ以上の言葉をかけはしない。用心とも取れる発言に、出久は不思議そうに首を傾け、それから歩み寄る。
「何かあったんですか? いや……そりゃ、色々ありましたけど……」
「うむ。彼女からは、まるで個性の発動を感じさせはしなかった。一片たりとも、だ。…………緑谷少年……ひょっとすると今度の雄英受験、一筋縄どころか二筋縄いかないかもしれない」
「……それは」
「うん。もしかしたら、彼女もまた君と同じ──雄英を受験するかもしれないからね」
「ええ!?」
悲鳴が、あたりにこだました。けれど、驚愕の顔はすぐに消え、ある意味で納得といった表情を浮かべる。
これで恐れ慄いたりしないというのが、出久の向上意識といったところである。八木は低く続けた。
「ミッドナイトという名も出ていた。おそらく、彼女の親戚か何かで、雄英受験のためにはるばるここに来たのだろう。ほら、黒髪とか青い瞳とか、ヒーロー好きの君なら似てると思わないかい?」
「……言われてみれば」
出久は、一条が去っていった防波堤の先をもう一度見上げる。
「黒い髪、少し刺すような青い瞳……それに存在感。僕は実際に、この目でミッドナイトを見たことないけど、確かに似てる気がします。親戚かぁ……だとしたらすごい……!」
「ああ、もし彼女が本当に雄英受験生なら、間違いなく“個性的”な強敵になるだろう。ライバルと書いてね」
八木は自分の痩せ細った腕を見つめ、考え深く拳を握りしめてみせる。
違和感はある。確かに、一条の垣間見せた力には、いわゆる“個性”に伴うエネルギーの昂りがなかった。発動とは違う、呼吸するのと同じく、当たり前のように振るった力。ある意味で完成されているといえよう。
「だからこそ、緑谷少年」
「はいっ! 尚更頑張らないと、です!」
八木の待っていた言葉として、出久の放ったものはまさしく花丸百点だった。
八木は、まっすぐと先を見据える出久の言葉に笑みを深め、体から蒸気が溢れ出た。
立ちこめた白煙の中、現れたのは──
「おっと、少年を焚き付けてしまったかな? しかし! その意気やよしッ!! この調子で、トレーニング突っ走っていこう!」
「はい! ──オールマイト!!」
画風を風靡する、笑顔を絶やさない姿はまさに平和の象徴。
そのオールマイトを横切り、再びトレーニングに心血を注ぐのに取り掛かる出久は、まだ高いゴミの山の向こうを見た。いつか拓けて、見れるだろう水平線。
そのいつかを今に引き寄せるために、やる。それが、出久にとって新しく加わった道標だった。
「そうさ。前を向いて、走っていくんだ。緑谷少年」
八木──オールマイトは笑みを深めるのと同時に、防波堤、階段を登った先の上を顧みた。
「星野少女……どこかで会ったような気がしたが……思い過ごしだったか」
脳裏によぎる、白い影は、背を向けて消えていった。
* * *
季節は巡り────
多古場海浜公園。あそこでの、出久と、彼のコーチである八木との出会いから、季節は暴力的な夏を通り過ぎ、高く澄んだ秋の空、そして刺すような冬の寒さへと移り変わっていった。
その間、一条の生活は、それこそ同年代の勉学の佳境に入り込んだ。
雄英合格のためのトレーニング、ミッドナイトとの猛勉強。たまにやってくる相澤による抜き打ちテスト。
「……ミッドナイト。この『空を見上げると、一点の曇りもない青空が広がっていた』っていうところ。これ、どういうこと……?」
「いっちゃん、あなたは青空をみていて、雲がかかってなかったら何て思うかしら?」
「……? 青いなー……」
「情・緒!」
そんなことを言われても、空が青かったら青いくらいしかない考えの一条にとってはこれ以上にどう発展すればいいかわからない。
しかしだ。
「あなた、“中卒認定試験合格”して、晴れて雄英高校に一歩近づいたんだから頑張りなさいよ? 五科目のラインは超えてるのに、どうもその中の『国語』と『英語』の文章題で遅れてるし」
今や“中卒認定試験合格”という免状を手にし、見据えるべきは“雄英合格”という一つに絞られていた。
それは、一条にとってさらなる困難への挑戦ともいえよう。
そういえば、
「…………」
海浜公園の出久という少年。
『待ってる』と言った出久の言葉は、こうして勉強で行き詰まるたびに、ふと脳裏をよぎる。
行こうと思えば、行けた。
けれど、一条は行くことはなかったのだ。
──……中途半端に、見たくないし。
* * *
そしてさらに時が歩き、
── 二月二十六日 ──
一条の瞳は、──一世を風靡する、騒然と鎮座する『H』の形をしたガラス張りの巨大な建造物を、日の上がりかけた黎明の青の瞳に写し込める。
ぽっかりと、道ゆく人々を飲み込んでいくのはこの校舎の門であり、その手前には看板がある。
『雄英高等学校 ──入学試験会場──』
達筆な字で書かれた立てかけ看板だ。
「……きた」
この日が来たのだ。雄英高校の試験、その当日が。
一条の姿は夏場のときとは違う、ややゆとりのあるジャージ姿だ。黒を基調とした服には瞳と同じ青のラインが走っていて、輪郭を引き締める。黒のショートパンツで、レギンスも黒。黒黒黒で黒ずくしの一条である。
緊張はなく、心臓は依然としてトクトクと一定の音を湛えている。そこに駆け足めいたものは何もなく、自身の左胸に手を置いた一条は平然を自覚した。心音は、これから起こりうる受難に胸を鳴らせる人々の雑踏に掻き消える。
ここまで、一条は入ったことがない。故に間近でこの校舎に対面すること自体これが初めて。だけれど、人流とともに流れていく空気感が違う盛況ぶりを見せつけてくる。
日常の中で見る人とはまるで違う、同年代の人たち。人種とはまた違った、多種多様な個性を持つ者で入り乱れ、それにちなんだ髪の色もまた奇抜だ。
それは、この頭髪、長い黒髪も埋没しかねないほど、この場は赤や黄色や緑といった、繰り返すように言う奇抜さそのもの。
「…………」
──もう入ろう。
左右違えた長さの黒のツインテを、まだ寒々しい風に踊らせて、一歩踏み出した。
「ほ、星野さん!?」
踏み出そうとした──。
「────」
聞き覚えのある声に、校門より内に入りかけた足が止まり、一条の耳がぴくりと動いた。それは、七ヶ月前に出会って、それっきりとなった声。
「出久?」
「やっぱり星野さん! 君もここに受験するんだね!」
語尾をあげ、後ろを顧みた先にはやはり、出久がいた。海浜公園とは違う、フォーマルな制服を着用しているのが少しの違いか。──いや、少し体格が良くなった気がする。
腕を上げ、ここに来たということなのだろう。
「海浜公園のときから全然会えなかったから、何かあったってヤキモキしてたけど……元気そうでよかったよ!」
「出久も。…………」
「……星野、さん?」
元気そうな出久とは反対に、一条は瞬きの少ない二つ眼を細めて、じっと見つめる。今度は上から下に眺めるのではなく、全体を捉えるようにして。
彼、緑谷出久。──瞳に宿る炎が増したような気がする。
感じ取ったものとしてはそれ。体格云々ではなく、決定的に体の中に宿るものが変わったようだと、一条には感じたのだ。
──……なんか、八木って人に……似てるのかな。
両肩にかかったリュックの紐を両手で握る出久の印象に、一条は息を落としながらそう結論づけた。
コーチがコーチだ。彼の“ヒーロー道”というものを、出久が受け取ったのなら、そうも言えるだろう。俗にいう“師弟不二”ということか。
「ううん、なんでも──」
「──どけデク!!」
「ひゃひ!?」
続けようとして割り込まれ、一条は話すタイミングを見失う。見失いながらに、出久が冷や汗をかいて横に退くのを怪訝そうに眺め──既視感が襲った。
あれは、確か前見たはず。けれど頭の中の戸棚は建て付けが悪そうに居心地の悪い音を奏でてヘソを曲げてくる。名前は喉元から出そうで、一条はもどかしさを覚えた。
けれど、名前は知らずともあれがなんであるかは知っている。
「──あなたは」
「おい、そこどけやモブ──」
「ヘドロの人。オールマイトに助けてもらってた人、でしょ?」
「……あァ!?」
ピキリ、と冷えついた空気がさらに凍りついた。
爆発ヘアーをより爆発させる勢い。背中から立ち上る、闘気とは違う黒いものは、凍りついた空気とは裏腹に熱く焼き焦がさんばかりだ。
「ほ、星野さん!? 今のはははっ! かっちゃん落ち着いて!? この子は悪気があって言ったんじゃ……!」
「……。別に出久が焦る必要、ないでしょ。それに道を通りたいんだったら、叫ばなくても横を通ればいい」
出久と一条の立ち位置としてまず初めに言わなければならないのが、二人は道の端で会合に花を咲かせていたのだ。それを、ただ目に映っていたからという理由で怒鳴り、初対面で蔑称を口にする彼は、余計な体力を使っている。
相澤の言葉を借りるなら“非合理的”だ。
スッ、と一条は爆発ヘアー──出久の言うかっちゃんという男の子の前を、力の入れていない手で仰ぐ。
「それと、あなたは……どんな名前?」
「……。テメェみたいなモブに、俺がわざわざ言うか!」
「…………」(スーン)
「チィっ」
「か、かかかかっちゃん! がんばバろうね、おた、お互い……!」
「俺の前に立つんじゃねェ殺すぞ」
何か声をかけようと口をフル回転させる出久だが、空回りがちに苛立ったためか、舌打ちを地面に吐き捨てる仮称かっちゃんが悪態をつく。
そして、目も合わせない仮称かっちゃんが不機嫌面のままあたりに振りまいて、ズカズカと道の中央を歩く。
ズカズカ、ズカズカと。
「なあアレ……バクゴーじゃね? 『ヘドロ』ん時の……」
「おお本物……」
──思い出した……。
かっちゃんが『爆豪』という名前だったのを一条は思い出しながら、離れていく不満げな背中を見送った。
何を不機嫌になっているかは知らない。
けれど、出久の名前を知っている様子だったから爆豪とはおそらく知り合いだろうと、一条は青い瞳を背後に流し目で仰ぎ、それから出久に戻した。
「急いだほうがいい」
「ぁ、そっそうだね!」
そそくさと踵を返して悠々と歩く一条の横に、出久が伸び切らない膝で歩く。
隣で歩く出久は平身低頭で、横でカクカクされるのはどうにも落ち着かない。
気が散漫になっているのか、一条は辿々しい出久の歩きがどんどん拙さを帯び始めたのを横目で眺め──、
「────」
出久がこけた──。
瞬間、一条の手が出久の首根っこに伸び──重ねて誰かの手が出久に触れた。
「……。…………え?」
「大丈夫? って」
出久は宙に浮いていた──一条の真上を。
一条は腕にかかる遠心力に負けかけるも、足を地面に縫い付けて涼しげに耐えた。だが、腕にかかる重さは引っ張り上げた勢いだけで、出久本人の体重はほとんど感じない。いや、存在しなかった。
出久を気に掛けたのであろう、一条の目の前にいる少女。彼女は、宙に旅立ちかける出久の様子を見て、目が点だ。
「わっえ!? なんで僕! と飛んでるぅ!?」
「私の個性なのっ!! ごめんね勝手に!」
開幕早々空中遊泳しかけ、パニックになりかける出久に、茶髪の少女が血相を変えて両掌を合わせた。
すると、腕にかかる重さが戻って──
「うぉ──!? と、と……」
重力がカムバックして、激突しかける出久をしっかりと地に二足つけさせる。
危ないところ。無重力のまま一条の手が離れていれば、出久はそのまま空へ惹かれるところだった。
「おぉ……ありがとう星野さん」
「別に──」
「二人とも、本当にごめんなさい!!」
と、生還に安堵の息を浮かべる出久と、平静な一条の間に、甲高くあれど金切り一歩手前の謝罪が割り込む。
二人して深謝に釣られるように横を見ると、茶髪の脳天があった。
「転んじゃったら縁起悪いって思っちゃって!!」
「いいいやああ、そんなに謝らなくても!! あなただって助けたいから個性を使っただけであって! つつまりありがとうございますう!!??」
「別にいい。……顔あげて」
出久と一条。両者言い分は異なれど責め立てることはなく、茶髪の少女はパッと顔を上げる。そこには三者三様の表情が、三角形を作るように並んだ。
真っ赤な顔をして硬直する出久。謝罪を淡々と受け止める一条。恐る恐ると二人の顔を眺める茶髪少女。
とりあえず──
「あなたは……だれ? すごい力だった」
「……あ、私、麗日お茶子! 力っていうのは……私の個性って、触れた相手を浮かせることができて……」
「そう。……私は、星野一条」
言って、一条は次の番だと言いたげに横にいる出久を見やる。顔は真っ赤なのに柔らかくなるどころかカチカチになっている出久は、なんだか見ていて飽きない。
二人の視線という針でほぐれる出久が、辿々しくもバトンタッチする。
「あっ! ぼ僕、緑谷出久です!! こっこの度は! 転びそうなとこを助けていただきっ、まことにっまことにいィ……!!」
「……。出久、それさっき言ってた」
「ひゃいっ!? ご、ごめん!」
先の言葉のリピートに危ぶみ、一条は出久に言葉のボールを押し付けて止めさせる。
そんな様子の二人に麗日は弛緩したようで、落ち着きを取り戻していた。
「────。面白いね二人とも!! 緊張するけど、お互い頑張ろう!」
「じゃあねー!」と元気よく手を振って、寒空に溶け込む白い息を吐く麗日が人混みに消えていく。
明るいその背中を見送りながら、一条は再び、巨大な校舎を見上げた。
ここにいる全員が、同じ場所を目指している。全員が全員、なんのためにあろうとしているのか、細かい理由は一条は知り得ることはできない。けれど、一つの、“ヒーロー”になる必要がある、というのが事実だった。
だから同じ門をくぐり、同じ問を受ける。
──けど……。
言っただろう。なんのためにあろうとしてるのかは、各々の中にあると。
ここを越えて、はたまた越えれなくても、見える景色は違える。
それでも、
「──行こう」
一条は校舎へと足を踏み出した。
この胸に立ち上る、自分でさえ知り得ない『ナニカ』を──知るために──。