青き炎のBEACON《道標》   作:リクライ

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第七話 『初めて一緒に』

 

 

 

 ──むせかえるような紫煙が立ち込めていた。

 

 試験が始まって、三分。いや、すでに五分は経っているかもしれない。閑静な市街地の一角は、もう見る影もないくらいにボロボロに崩れ、離れでは怒号と狼煙が上がっている。

 

 漂う空気には、硝煙とわずかに香る鉄臭い赤の匂い──臭いが、平和に身を浸していた自分を嘲笑ってくる。

 こんなもので、お前は折れるのかと。

 

「う、つぅ……っ」

 

 そんなわけがない。

 

 ガラガラと車輪に喝を入れ、受験生という身分の自分たちをのそうと躍起になる仮想敵。そして、震える足は倒してきた鉄屑の真ん中でついに膝を突く。コンクリートに染みついた埃が膝に染みつくが、今更何を。

 

 少女の身は、すでに煤で汚れ切っているというのに。

 

 ──調子に、乗りすぎたわ……。

 

 簡単なものだと思っていた。だが蓋を開けてみれば、順調に狩っていたと思っていた自分が、実は狩られる立場に入れ替わって、今は残骸の元に膝を折る始末。

 

 口の中の水分は解けて砂状の大地だ。吸って、喉に熱く管を辿り、吐けば鉄の匂いが鼻腔にこびりついては離れない。一つの呼吸で、自分が今追い詰められていること嫌でも実感させられて、無力さが背筋を伝っては首筋を撫でる。

 

「……っ」

 

 自分は持っていない。みんなにあって、自分にはないもの──“個性”を持っていないのだ。

 己の武器は、震える手に鞭を打って決して離さない、幾つもの仮想敵を屠ってきた無骨な大太刀。そして、それを存分に振るうことのできる体力。

 

 それしか持ち合わせていない、少女──“灰原ナナ”は小さな戦場で一人きりになって吐息する。

 

「────」

 

 考えれば考えるほど、少しとしか思っていなかった疲労が足首に絡み付いては離れなくなり、いずれ体を蝕む毒になる。

 

 ──だからなんだ……。

 

 くすみに塗れた肌の下で神経を突く擦過傷が、熱にでも当てられたのかと思うほどに熱い。動かして仕舞えば、ジャリジャリとめり込んだ砂がまた傷を傷つけて、動く気を削がれる。

 

 ──だからなに……。

 

 だからなんなんだ。そんなものが、ここで止まっていい理由にはならない。

 

「ちぃっ」

 

 舌打ちを道端に吐き捨て、苛立ちで痛みを塗り替えようとする。幾分かはマシになった痛みをそのままに、ナナは大太刀を地面に突き立て、支えにし、そして立ち上がった。

 

「──来る」

 

 音が来た。

 轟音をあげて、同胞を討たれたことを聞きつけた鉄屑が、ネギを背負ってきて向かってくる。そのカモは、ミサイルを放ってくるカモだが。

 

「…………」

 

 確信は、音よりも振動がまず内臓を揺るがし、張り詰めた心の糸を引っ張る。

 

 軋む駆動音が。

 地面を踏み鳴らす重量が。

 空気を切り裂き、外壁をも切り裂いて出現する予兆。勘とも呼べるものが、ナナの脳に甲高く鳴り響いては爪を立てて、こめかみを疼かせる。

 

 大太刀を後ろ手に構え、迎え撃つために崩れていた己の心に区切りをつけるように柄を握りしめる。

 

「来なさい」

 

 顔を上げた、瞬間──。

 

「ホソク、ホソク……」

 

 視界の先、瓦礫を押し除けて姿を現したのは、二機の発射ポッドを肩に据えた仮想敵C(3P)だった。

 三すくみの紅光。標的を定めるための無機質な目が、ナナの胸元に当てられた。

 

「……っ最悪」

 

 あれだ。あのヴィランに、自分はここまで追い込まれた。一度ならず二度も、それ以上倒しても、徘徊する仇敵が行き着く間も無くミサイルの乱れ打ち。

 この煤汚れて、擦り傷まみれの姿が何よりの翻弄された証だった。

 

「ケシズミダアア!!」

 

 ──……っ

 

 判断が、遅れた。

 

 ロボットのくせに口の悪い。唾を吐き飛ばすのを幻視する叫びと共に、仮想敵の肩部が展開、発射口が露わとなる。

 

「──ッ」

 

 歯を食いしばり、後ろ手に構えた大太刀に力を込めた。

 

 

 そのときだった──、

 

 

 

「────」

 

 ──コツ。一つ、喧騒な空気を風靡するほどに異様な足音がした。決して大きい音でもないにも関わらず、背後から響いた足音は、ナナの鼓膜をやけに刺激して、灰色がかった若葉瞳が引っ張られる。

 

 ただの、人が歩く音に。

 

「……ぇ」

 

 ナナの視界の、さらに奥。崩れた建物の影から、一人の──少女が現れた。

 

 長い黒髪は、硝煙の曇天下でも異質な黒。左右で長さの異なるツインテール。異常なまでに色の抜け落ちた肌は雪を彷彿とさせ、そこに煤の一つもついていない。

 そんな少女が、歩いていた。

 

「…………」

 

 戦場のど真ん中。道の真ん中を、悠々としていて、そこに付け入る隙など感じさせない足運び。

 受験生と仮想敵の争い。爆音も掛け声も、背景にしてしまう領域が、歩いていた。

 

 少女の青い瞳が、ナナを通り過ぎ、ヴィランへと差し迫る──。

 

「ヒョ、ヒョウテキヘンコウッ。ソノヨユウヅラ、ヒキハガシテヤル!!」

 

 千切れかけていた緊迫の糸が一瞬結ばれた。かと思えば、再び開口の一手が切り落とす寸前に逆戻り。

 それでも、自分の庭を歩いているとさえ思わせる態度を、ジャージの少女は崩さない。

 

 一つ。

 

「……」

 

 一つ前へ、

 

「……」

 

 進む──。

 

 そして刹那、

 

「────」

 

 ナナの髪が、舞う。(とお)の誘導弾が、固まった空気感を押し除けて前に突き進んだからだ。

 

 灰色の髪のカーテンを靡かせ、袖を通すようにミサイルが差し向かう。瞬き一つもせず、ただ流れに身を任せるように歩を続ける少女へと。

 一人に対し、殺到。余裕をかましていたところで、時速百は優に超える爆弾の堤箱からは逃げられない。

 ほら、もうすぐ目の前で、少女がボロ切れになる──。

 

 

 

 

 

 

 

 そう思えた。

 

 

 

 

 

「ぇ」

 

 

  ──消えた。

 

 一瞬。

 本当の一瞬だ。

 歩いていた少女の姿が、視界から消えたのだ。そして、爆弾の錠剤よりも前に──少女は歩いていた。

 

 

「…………」

 

 

 次いで、不釣り合いなまでの静けさが、冷ややかな踏みを刻む少女の背後で文字通りに吹き飛んだ。標的はなく、迷えるだけとなった破壊の宅配便が互いを貪り、破裂。

 

「──ひゅ」

 

 喧騒が戻った。夜の湖の静けさが、再び戦場へと逆行。煙たさが辺りに立ち込め、ここが現実であると、肺を満たしてきた。

 

 何か。何かやらねば。

 そう、剣を。剣を握って、後ろにいる敵を──ゴミを片付けてあげないと。

 

 立ち上がって、振り向いて、そこには変わらないはずの、

 

「…………」

 

 ──緩慢だったからだろうか。

 調子に乗り、継戦を考えず体力を使い潰した挙句削られたナナ。振り向くナナの動きは確かに鈍くあれど、立ち上がって、振り向くのに、三、四秒はかからないはずだった。

 

 けど、

 

「は」

 

 少女の黒い髪が、視界の端を横切る。

 

 少女の足が地面を捉えて、細い拳を固めて、振りかぶって、

 

「ぁ」

 

 ガシャン。それが一つの、か弱く見えただけ少女が振り抜いた拳によって、奏でられた。楽器は敵で、もう間も無く、いや今から鉄屑になったもの。

 

 その、物言わぬ鉄屑(仮想敵C)の前で、利き手の掌を少女は見つめている。

 

 なにが起こったのか。いや、圧倒的な力を持ってして、敵がただ無惨にスクラップになった。それはわかる。けど、ナナの胸の奥で煮え切らない澱が喉を苦くした。この苦味は、実際は白煙の口当たりによるものだろうが。

 

「……なんで」

 

「……。……?」

 

 短く、苦味を除こうと反射でナナの口が震える。その音は、振り向き、なに考えているか見当もつかない無表情を讃える少女に届いた。

 次の言葉。幸いにも、ナナの拭えない疑念は不思議そうに首を可愛げに斜めにする黒髪の少女へ抜けた。

 

「──なんで、助けたの」

 

 ナナの口から、淀むことなく突き抜けたものは、疑問による疑問だった。

 だが目の前の名の知れぬ少女は目線と同じ高さに目線を置く。

 

「あのロボットに、何かされた?」

 

 ナナの問いかけは、なんの気無しな空気感を瞳に立ち込めさせる少女の問いによって被った。

 

「は……? されたもなにも、あんたがぶっ潰してくれたんだから──なにもないわよ。ポイントもね」

 

「あ……」

 

 煙たげに呟いたナナの送る視線の先、物言わぬガラクタになったソレ。

 ナナと同じくらいの背丈をした少女は呆けて瞳を瞬き、それから後ろを見やる。

 

「えーと……ごめんなさい?」

 

「別に謝らなくてもいいっ。やられそうになったのは……事実だし」

 

「そう。……じゃあ、どういたしまして?」

 

「違うっ!」

 

 語尾を上がるのと一緒になって首を傾ける少女に、突然ナナは声を張る。

 

「そうじゃない、そうじゃないの…………あなたに言って欲しかったのは、そんなのじゃないっ。…………、──なんで助けたの、私を」

 

「……。……?」

 

 眉を険しさで曲げるナナに対し、少女は、本気で意味がわからない、と言う顔だった。

 青い瞳が、ナナを映す。

 ただ、正面にあるものをそのまま伝え返してくれる、水面のような瞳。そこに、なにをむしゃくしゃしているのかわからないナナが相貌に映り込んでいた。

 

「敵が、あなたを襲おうとしていた。だから倒した」

 

 違う。違うそうじゃない。

 釈然としないのに、湧き出てくる煮湯が胃の中で沸々と昂る。気付かぬうちに、いつしかプルプルと、ナナは白くなるほど拳を握りしていた。

 

 ──違う、違うっそうじゃない……っ。

 

「怒ってる?」

 

「──っ!」

 

 鼓膜を透き通るような声に、ナナは落ち気味だった瞳をもたげる。

 目の前にあるのは、やっぱり変わらない少女の面持ち。声音にも瞳にも乗った色は、気遣いとは別の色彩。何かを観察するような、ジトついた目だった。

 

 ナナはその瞳から払いのけるようにそらして、拳を背中に回して隠す。

 

「行って」

 

「…………」

 

「行って…………聞こえなかった? 行けって言ってるの!」

 

 なにをそんなにムキになっているのか。

 なぜか視界が滲む。

 

 助けられたことが悔しいのか。

 守られたのが腹立たしいのか。

 それとも──自分が弱かったことが許せなかったのか。

 

「あなたなんかに助けられるほど、私は……私は弱くない。…………まだ戦えるの」

 

 そう言ったナナの声は、少しだけ震えた。

 

 瞳を上げたとき、彼女はもう目の前にいなかった。

 

「……ぁ」

 

 右を向く。あの子がいた。

 “初めて”会ったときみたいに、歩いている。

 けど、少女のどこかに去り行く背中は、ナナの瞳にはどこか重く見えた気がして、

 

 ──……名前、聞けばよかった。

 

 呼気で口に飛び込んだそのときの味は、ナナにとってひどく苦く、後を引いた──。

 

 

 

 

* * *

 

 

 モニターに映し出され、一人一人が見事な勝利を収めるたびに、場は驚嘆の声に包まれる。

 ここは、

 

   ── モニター室 ──

 

 室内は暗く、ただ数々のモニターの放つ淡い光だけが、そこに座するプロヒーローたちの顔を照らしている。

 

 ここ、雄英の受験とは、ただ敵を倒せばいいというものではない。一挙手一投足に選択を強いられるこの長く短い十分間には、

 

「この入試は、敵の総数も配置も伝えていない」

 

 事前情報なし。あるのは、各々の持つ個性と、持ち込み自由。

 そして、この二つを扱うのはモニターの中の、獅子奮迅でポイントを稼ぐ受験生たちだ。

 

「限られた時間と広大な敷地。そこから炙り出されるのさ」

 

 状況をいち早く把握するための“情報力”が──。

 

 遅れて登場では話にならない“機動力”が──。

 

 どんな状況でも冷静でいられる“判断力”が──。

 

 純然たる、“戦闘力”が──。

 

 それだけではない。

 挙げられる数々が、“個性”に満ち溢れた市井の平和を守るための基礎能力なのだ。

 

「そして、その基礎を測るのが、(ポイント)数なんだ」

 

 そんなとき、また一つ、一つとポイントが加算されていく。淡々と倒して、高台に登る一人の少女だ。

 

「うん…………あの子も頑張ってるようだね」

 

 円な黒の瞳。その中に四角く発光するモニターの情景に、根津校長は湯気立った紅茶を傾ける。

 

 一条が、生徒ではなく保護という名目で引き取って、すでに十ヶ月という月日が流れた。

 行方不明届もなし。探している家族もいなく、真に帰るべき家もない。本人に至っては記憶はなく、その出自も不明。

 そんな、境遇にいながら、一条は今日に至るまでの間これといった障壁もなく、のびのびといているではないか。これを僥倖と言わずして何という。

 

「今年もなかなかの豊作じゃない?」

 

「いいやーまだわからんよ」

 

 ポイントも着々と稼いでる。だが、これで終わりかと言われれば、そうではないのがこの試験。

 

 

 

「真価が問われるのは──ここからさ」

 

 

 

 篩がかけられる、火蓋の切られるボタンの音が鳴り響いた──。

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 ──最初に感じたのは、違和感だ。

 

「────。なに」

 

 動きの鈍くなってきた足の調子を確かめる一条の瞳が見開いて、横に向いていた首をくるりと逆の方へ。

 熱が宿る息を深く吐きながら、一条は目を細める。向いた先から異様にでかい存在感が大気を伝って鼻先にチリチリとした感触が頭の中に入り込んできた。

 

 圧迫感とも言えるもの。すると、ビルの屋上にいた一条の足元が、脳内感覚の正答誤答の答案を送りつけてくるかのように──

 

 次の瞬間大きく波打った。

 

「────」

 

 市街地の最奥、偽物の()を突き破るようにして、それ(予感)は現れた。

 

 見上げるほどに巨大な、深緑の鋼鉄の塊。

 キャタピラがアスファルトを踏み締めて粉砕。巨大な腕は、ビルを撫でるだけで飴細工のように崩れ去る。

 この、閉鎖された試験場()で、『破壊』そのものが、受験生たちの頭上に影を落とし、礫を落とした。

 

「逃げろオ──ッ!」

「ア、アレが0(ポイント)かよ!?」

「ムリムリまじムリ! デカすぎるだろ!?」

 

 驚嘆は恐れに。恐れは苗から飛び級で木となって伝播し、波紋に弾かれるように絶叫が響き渡る。

 絶叫が街を包み込んでは動転の足音が埋め尽くして、我先に離れようと走り出す。

 

 

  ──圧倒的脅威──

 

 

 そう呼ばざるを得ない存在から。

 

「…………」

 

 ──……大きい。

 

 一条は、屋上の縁に立ち、巨大な影を見つめていた。

 その青空を写したような深みになにが映っているのか。ただただ“現実”が瞳に写し込まれている。

 

 逃げ惑う群衆と、その中で足を取られる受験生の面々が。

 それを背景に、手当たり次第に破壊し尽くさんと腕を振るうヴィランが。

 

 皆、この敵を前にして、後ろ向きに足を動かす。どうして、皆はあのヴィランから逃げゆくのか。逃げた先には、ポイントはあるだろう。けど、脅威を野放ししているという事実は変わりはない。

 だから一条は──『ヴィランを──』足を前に出した。

 

「────」

 

 考えるよりも先に、足が出た。

 

 一歩前進した足が空を切り、一条の体が空中に放り投げられる。

 落ちゆく一条の全肢に、空気は今かと言わんばかりに押し寄せてきた。ジャージは忙しなく騒ぎ立てくる。

 なぜそんなバカなことをしたと。

 なぜ人流に紛れ込んで、一緒に逃げてポイントを稼がないのかと。

 

 そんなの『人々から……』──

 

「──っ」

 

 頭に、なぜか警笛めいた雑音と共に爪を立て、一条は為すがままにしたからだ。

 

 高さにして佳境。差し掛かった一条は体を丸め、壁が足に触れかかった刹那、

 

「──し」

 

 壁が放射状にひび割れる。その中央、壁を蹴り飛ばした一条が砲弾の如く、下向きだった勢いを横に捻じ曲げ──飛んだ。

 

 しかし落下が落下であることは変わらない。

 斜線の影を引く長い黒髪が、斜め下へ落ちる一条の軌跡に伸びる。自分で決めた道筋は後戻りしないように。

 

「────」

 

 受験生たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく、その最中だ。

 

 ──っ!

 

 地面に激突し、衝撃が足から背中、脳天まで駆け抜け、前方へと体が抜けた。道を覆う塵は、着地する一条によって舞い上がって吹き飛ぶ。

 

 そのまま一条は駆ける。疾走する。風となる。

 

 瓦礫が落ちる。外壁は剥がれ重力に惹かれる。逃げ遅れた誰かの影が、崩壊の影に消えかけ──、

 

「うわあああああ!!」

 

 ──危ない。

 

 瓦礫が悲鳴を上げる受験生に飛び込みシミにする。

 その間に入るように、すでに踏み込んだ足が大気を振り切り、

 

「しぃッ!」

 

 長くしなやかな足。それが弧を描き、黒の閃光が落ちゆく影の中で強く瞬く。

 鋭い呼気と共にひた走る襲撃。それは混乱が渦巻く場において場違いなほど一直線で、

 

「──」

 

 鮮やかな黒閃が外壁を爆ぜるように粉砕、破片が散ってあたりに降り注ぐ。

 

 ──つぎ!

 

「あ、ありがとう──!」

 

「…………」

 

 背中に当てられた、感謝の声。一条は気に留めず、賞賛を置き去りにして地面を蹴り、駆け抜ける。

 

 爆心地からそう遠くはない。一条からすればものの数秒で辿り着けるほどだ。

 まだ逃げ遅れた人は多い。

 

 すると不意に、袋のねずみになる自分と同じ受験生へ、ヴィランは脅かすよう腕を振り翳し、建物を砕いて瓦礫を飛散させた。

 

「はっ、せぃッはっ、とッ」

 

 跳び、蹴り、弾く。

 

 降りかかる災いを全て除去せんと、一条は広い道を奔走する。

 

 蹴り、外壁は瞬く間に塵へとランクダウン。宙へと舞わせ、道の埃と化す。

 時には拳を振り切り、傷害を跳ね除け、後方への副次的弊害を文字通り叩いて砕いた。

 

 これは、攻撃ではない。

 防戦だ。

 

「──ッ」

 

 目の前にいる巨大な鉄塊を前にして、一条は隙あらば撃破を虎視眈々とした目つきで睨む。

 講堂で聴いたからだ。マイク先生はあの場で『ギミック』ではあるが『倒せない』とは一言も言ってはいない。倒せるはずだが──、

 

 ──大きい……っ。

 

 逃げる人間の頭上から落ちる瓦礫をできるだけ消していく最中、一条は眉をわずかに力ませた。

 でかい、デカすぎる。駆け上ったとして、飛び移る時は隙が生まれる。空中で、加えて無手の自分に抵抗ができない唯一の隙だ。

 だったら──、

 

 ──まず足……!

 

 思考回路が全身を迸り、一条は全身のバネを構えさせた。

 視界を遮る砂塵を、一条は揃えた指先で振り払う。風圧が砂埃を割かせ、生まれた道に一条が体を前に滑り込ませては地を這うように邁進。

 

 見上げ、ヴィランがこちらに赤の複眼を向けていないのを確かめ、視線を落とす。

 目指すはキャタピラ。だだっ広い街路を無理やり入り込んで、窮屈そうにする鉄の顎(キャタピラ)

 少なくとも、アレを止めれば“進軍”は鈍るはずだ。

 

「────」

 

 思考回路が運動野を迸り、一条の体が突貫。轟々と地面を押し潰して道路を平らにするキャタピラへと滑り込む。

 

 手荷物はロボが飴細工のように振り払った外壁の残骸。

 それをキャタピラと車輪の間に放り込むと、一条は蛇腹の振り目に鋭い拳撃を打ち込んだ。

 

「────ッ」

 

 打ち込んで、打ち込んで。確かにベルトはもげた。だが、車輪が剥き出しになっただけで、推し進む巨体は健在。

 

 ついで、一条がとる行動。

 未だ駆動し続ける車輪へと目掛け、ロボットの稼働部、いわば致命の一打を叩き込んだ。

 だが、いくら一条といえど体の軽さと、身から放たれる力は釣り合わない。

 故に、

 

 ──乗らない……っ!

 

「っ」

 

 舌打ちにも似た息を噛み締める一条が、拳を装甲に突き放った反動で後ろへと吹っ飛ぶ。

 人は殴り飛ばせても、巨体を殴り飛ばせるわけがなかったのだ。

 繰り返して突き放つ数々の拳打の応酬は、緑の装甲の歪みと、釣り合いのない体が反発して無情にも吹き飛ぶだけ。

 

 ──軽い……っ。やっぱり、あの武器じゃないと。

 

 見知らぬ研究所。ミッドナイトに眠らされる寸前までに持っていた、あの黒い大砲が、一条の頭に明確な形となってよぎる。

 だが、所詮は過ぎるにすぎず、その手は未だ無手であった。

 

 何もないような所から有を生み出すことなど、それこそ個性がないと到底不可能。なら、

 

 ──一度離れて、速度を……っ

 

 そう思っていた、瞬間──

 

 視界が一層暗く、気だるげに帳を下ろした。

 

「────」

 

 ただ単に暗くなったわけではないことを、一条はすでに理解していた。背筋を冷や水に当てられたかと感じるほどに、心当たりがある。

 その正体は、背後で機械仕掛けの赤目を煌々と輝かせル存在。0P(ゼロポイント)の振りかぶる巨大な拳に陽光が落とした──“影”だ。

 そして影は、これから次に移そうと奔走する一条を捉え、落とす。

 

 なら、取るべき選択は単純。すなわち避け──

 

「ひいっ──!?」

 

 取るべき選択は一つ。いや、回避の方法にはさまざまな通りがあったに違いない。

 が、一条の青い瞳に、剣呑めいた冷たさと新たな選択肢が──避難者という形となって現れた。

 

 ──どうする……っ。いや──止める。

 

 考えるまでもなかった。

 多少なりとも痛いだろう。あのロボットが殺すほどの出力なら、ここに二つの潰れたトマトが生まれるか。それとも一条が地面に杭を打たれ、瓦礫の影で隠れる人だけが地面と一つになるか。

 

 はたまた、

 

 ──もういい……ここで止めるっ。

 

 須臾に等しい、一足が地面につく短い時間。湧いてくる思考を後ろに投げ捨て置いていく一条はそう結論づける。

 その次の瞬間、一条の体がヴィランへと反転。長い黒髪が影の中で泳ぐのをよそに、構えた。

 

 目一杯の鋼鉄。手の形をした質量が、振り落とされ──

 

 

 

 刹那、重力がのしかかった重い一撃は、音速の喉元にまで手を伸ばす物体によって──阻まれた。

 

 

「──見てらんない!!」

 

 

 煩わしさを吐き捨てたいがために大気に言い放つ、凛と透き通った声。それが一条の背中に体当たりして、突き抜けた。

 

 だれ、と一条が胸の内に問いかける。その前に、言葉の主は颯爽と目の前に飛来して、着地。その素顔を晒した。

 

「無鉄砲に突っ込んで、挙句足手纏いのために構えるとか、あんた死に急ぎたいの? あんなの相手に素手で相手取ろうとか、単細胞の鉄人系ねっ!」

 

「…………。私は鉄じゃない」

 

「ものの例えよ、悪い意味で!!」

 

 先ほど危機が迫っていて、あまつさえ緊張感のかけらもない一条の物言いに、赤いグラスの奥に座す灰緑色の瞳を少女は釣り上げる。

 ギャイギャイという暇は惜しいか、態度を軽い吐息で一新する少女。灰色の髪を手でよけ、空から落下する大剣を心地よく受け取る。

 

 その大剣は、仮想敵の振り下ろす手を逸らす要因となったものに違いない。彼女の手に収まるまでくるくると回転していたのが、その余韻だ。

 

「……次からは、守るって決めたなら守りきりなさい。中途半端にそういうのを見せられると、こっちがムカつく」

 

 いつまでも不機嫌を隠さない少女は、二分か三分くらい前に襲われかけていたのを一条がポイントを横取る形で救った少女だ。

 思わぬ再会、思い当たらない言葉の数々に、少女へ静かな青い瞳を合わせながら、一条は紡ぐ。

 

「……よくわかんない。けど、ありがとう……?」

 

「そういうの言い切ってくれない!? 鳥肌が立つわ……」

 

 ブルリと寒げに素肌の曝けた二の腕を開いた手でさするグレーガール。視線だけでも鬱陶しさを曝け出し、前へ向き直る。

 

 灰少女と一条の、冷水と温水を両方浴びてチグハグな温度とは裏腹に、巨体は待ってはくれない。

 0P(ゼロポイント)の腕が、今度は横なぎに街を刈り取ろうとして、今、刈り取った。

 

 瓦礫が舞う。外壁が剥がれ、聳え立っていた背の低いビルが、巨腕によって剪定をもたらされた。

 

「──っ!」「──ッ!」

 

 一条は跳ぶ。

 灰少女は走る。

 

 後ろで怯えたまま固まる同じ受験生。それを守るように、破片の群れを一条が蹴り、塵に帰す。

 その隙間、灰少女の大太刀がすり抜けるように鮮やかに一太刀垣間入れる。

 

 “斬る”というよりは、“押し流す”だ。

 

 鉄の塊に刃は通らず、帰ってくるのはあまりに重い質量と、顔の横で熱烈な鉄火を咲かせる熱量だ。

 

「……っ、重!! ぐ、ぬんぬぅぅう……アぁッ!!」

 

 それを寸前、逸らしのけるグレイスケイルガールもまた規格外か。

 巨体から繰り出された横薙ぎの一波をなんとか凌ぐのを瞳に収めた一条。胸中に湧き出たそれとない感嘆を、惚けた吐息にした。

 

 超パワー、という個性を、この少女は持っているのだろうか。側から見たらこう見えるのかと顧みる一条は、さっさっ、と逃げ遅れた最後の一人を逃す。

 

「しんど! よくこんなのと相手にしようって思ったわね」

 

 一撃の余韻で痺れる右腕を揺らす少女が呆れの一言をこぼす。

 

「……人がいたから」

 

「じゃあもういいわね……」

 

「ううん──やる」

 

「」

 

 刃を地面に向け、お役御免も大概な仕草をする灰少女に、一条は前に歩みを進んだ。

 命を捨てるにも一緒な一条の態度。

 赤フレームの眼鏡。レンズ越しの灰少女の目が、まじか、とでも言いたげに見開くのもすぐだった。

 

「正気!?」

「うん」

 

 即答だった。

 それと次に、振り返らない一条が声を発する。

 

 

「だって……ヒーローが逃げたら、誰があれを倒すの?」

 

 

「『残りあと一分五秒!!』」

 

 静けさに強かな文言のすぐ後に、タイムリミットは最後通牒を言い示す。

 

 蛮勇か、慢心か、それとも自信家か。なんだっていいと言いたそうに、灰少女は一条に大きなため息をついた。

 

「ほんっとバカね。けど、もう時間ないわよ」

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 ──胸の奥が、ずっとザラついてた。

 

 演習開始直後の出遅れ。そっから、追いかけるみたいに走って走って、ポイント拾って、壊して、勝って、守って──それでも、この胸の中にある蟠りは平たく晴れない。

 

 ──理由なんて、そんなもん決まってる。

 

 逃げる受験生の波があった。

 崩れていく建物があった。

 それらの原因は、視界の端を横切る、あの“でかい”影。

 0P(ゼロポイント)──“ギミック”だ。倒しても意味はなく、あまつさえ逃げることを推奨するほどの無駄骨まがいな仮想敵。そういう説明があった。

 

 だから避けて、他の場所にいる仮想敵を倒す。それで良かった──はずなのに、胸の奥にいる自分が言う。

 

 ──いけよ……ッ。

 

 って。

 

「──っ」

 

 一歩目。たったの一歩が踏み出せない足に、外に出てこないつまづいた舌打ちが喉奥で飲む。

 

 足だけが勝手に、前どころか蛇に睨まれたみたいに悴んで、地面に張り付く。

 

 ──本当にそれでいいのかよッ。

 ──おいッ。

 

 自分の中から聞こえる声は、やけにうるさかった。『結局お前はそんなもんなのか』って、張っていた胸がどんどん萎んでいく。

 自分が冷えていった。

 

 硬派。

 漢気。

 

 言った口で、やらなきゃそれが手前の本性。そして今、逃げる理由を探してる。

 

 ──情けねぇ。結局俺は、変わってないのか……?

 

 爆音の中なのに、周りの音がやけに聞こえなくなって、どんどん黒くなってくる。

 変わろうとしてきた今までの自分を嘲笑う後ろ向きな自分の声ばかりが、大きく聞こえる、暗い場所。

 

 なのに、

 

「だって……」

 

 そのとき──遠くで声がしたような気がした。

 いや、声がした。

 怒鳴りでも、号令でも、叫びでもない。ただの──ハテナ。

 

「ヒーローが逃げたら、誰があれを倒すの?」

 

 そのたった一言が、胸を、ぐらりと揺すった。

 

 ジャージの子だ。星野一条だ。

 最初に会ったとき、変わったやつだと思った。淡々としているように見えて、妙に真っ直ぐで。

 なのに今の言葉は、淡々としていたからこそ、逃げ道を全部塞いでいる。いや、

 

 ──あいつの、星野のは逃げ道じゃねぇ。全部前に進んでんだ……!

 

 なら、どうする。誰が行く。

 

 ──俺だろッ!

 

 答えは出た。

 

 体が勝手に前に出ていた。

 これは口からじゃなく、体が出した答えだった。

 

 あのとき、今の自分になる以前のとき。まだ“硬く”なれてなかった頃。二人の女の子が、でかい影を前にしていた。

 けど違う。今、あの時とは違う目の前の別人二人は──立ち向かっている。

 

 素手の細い一条の背中が、コンクリ踏み締めて見据える。

 でかい剣を振り回す灰色の女の子が、歯を食いしばって踏ん張ってる。

 

 それを見て、胸の奥の蟠りが解ける。

 解けて溶けて。溶ける温度は熱へと変わった。

 

 ──もう後悔したくねェッ!

 

「今、やるんだよ……!」

 

 笑ってしまいそうなくらい、遅い。

 遅いが、ようやく、やっと。

 

 影の中で一際黒く、それでいて輝く二つの背中に、“切島鋭児郎”は拳を握ることができた。

 

 皮膚の下から、熱が上がる。

 心臓が打って、全身の血が燃えるみたいに気で盛って、巡っていく。

 

   ──硬化──

 

 ゴツ。いや、バキンッと音がなるくらい、腕が“岩”になっていく。

 

 過去を顧みて、それでも切島は前へ進んだ。

 遅すぎた一歩かもしれない。だが、看板に書いていた絵空事めいた言葉は、体が為したのだ。

 歩くよりも、ときには走る。それが、今切島にできる──前への進み方だった。

 

 ──俺は男じゃねェ……。漢に──

 

「なるんだァ──ッ!!」

 

 

* * *

 

 

 瓦礫の雨は止むことを知らない。

 

 0P(ゼロポイント)の巨腕が街区を薙ぐ。その一振りから繰り出される薙ぎは、ビルの外壁をジオラマのように避け、崩れたコンクリートが下へ下へと降ってくる。 

 

 ベルトを片方失った足。そこから生み出される行進の速度は低下しているが、それだけ。巨大な仮想敵はいまだに確かな一歩を、街路に痛々しく刻みながら押し進んでいた。

 

「くッ……あァ!」

 

「はっ……せぃっ」

 

 歯を食いしばる灰少女が、大太刀で逸らす──逸らしきれない。痺れた右腕を庇う肢体、度重なる疲労が灰少女の体を縛った。

 一条が、殴り、蹴り、砕く。──それでも釣り合わない重さと力では凹みを作るだけ。

 

 巨体はでかく、この体は小さい。

 故に、目の前の質量は、生半な言動と行動を踏み潰すのには十分だった。

 

「……っ」

 

 息を落として頬を固める一条は視線を持ち上げて、持ち上げられる巨腕の影を見た。

 首が辛くなるほど、あの仮想敵の瞳を見た。

 殴っても蹴っても効果は薄く、近づこうとすれば暇になった片方の巨腕が邪魔立てする。

 

 それでも、

 

「がんばるしか……」

 

 しかない。小さい口元からこぼしかけた、そのとき──、

 

「──遅ェけど! 混ぜろッ!!」

 

 すべもなく下がるしかなかった背後から音がした。それは単なる足音などではなく、近づく者。

 

 その音は、一条が振り返ろうとするより早く、すっぽりと街路に落とす影の中に飛び込んだ。

 

 黒髪。紅瞳。そして岩みたいにゴツゴツと腕を変質させる少年。

 試験開始で別れて以来の、切島鋭児郎が、拳を握って並び立った。

 

「……切島」

 

「っしゃア揃った、やろうぜッ!!」

 

「はあ!? 誰よコイツ!」

 

 今しがた大太刀を握り直したナナが、反射で叫ぶ。赤縁メガネの奥の、瞠目した灰緑色の瞳がまるで怒鳴りつけるみたいに切島を突き刺した。

 

 時間、残りわずか。切島はそれでも、口角を不敵な笑みに刻んだ。ジクジクと硬化が広がりつつある顔をパキリと音を立てながら。

 

 笑っていられる、そんな状況ではないのに。

 

「んなこたァ後だ! 今は──」

 

 切島の言葉が、途中で途切れる。頭上から一際大きな風が、灰少女に向けた切島の言葉をかき消したのだ。

 

 その音はつまり。

 

「きた」

 

 泰然自若と見上げる一条が、告げた。

 巨腕が今、落ちることを。

 

 このまま振り落とせば、余波は街の一角を覆い尽くすしてしまうだろう。

 事実、風圧が路面を削り、砂と粉塵が一条たちを起点に周囲に舞った。張り巡らされた通路という通路を毛細管現象のように、満遍なく。

 

 耳がキーンと、警笛を吹き鳴らして一条の意識を研ぎ澄まされる。

 

「…………」「……──」「────」

 

 遠く。逃げおおせ、離れて他の仮想敵を相手取る受験生らのどよめきが、風圧の底から押し上がる。

 背後の道は、ない。

 

 後戻りはできない。

 

 だから──三人は行く。

 

「切島!」

 

「任せろォ──ッ!!」

 

 一条の名指しに、切島に喝が宿る。

 

「──にィッ」

 

 切島が前に出る。地面を蹴り行って、誰よりも影の中心地へと飛び込んだ。

 天へと伸ばした切島の変化未踏の腕が空を振りぬく。途上の大気を弾き殺すそれは、もはや岩、大地と差し支えのないほどに背中まで硬質。

 影に潜められる面構えは、歪な笑みが歯をむいて現れ、地へと堕ちる鋼鉄()を真正面から──

 

「──守れェェえッッ!!」

 

 次の瞬間──巨腕が落ちて、

 

「おおぉオォォオオおおおァ──!!」

 

 ドォン、と世界が沈む。

 足元が砕け、アスファルトに蜘蛛の巣のような亀裂を迸った。

 その爆心で、切島は──受け止めてみせたのだ。

 

 押し潰され、皮膚にのみならず骨が歪にゴキバキと鳴り響く。

 だがしかし、切島は割れない。

 折れない。

 砕けない。

 砕けさせない。

 

 割れる側から骨は骨としてではなく、堅牢無比の岩石に変貌。切島にあるヴィジョンは最大限に引き出せてはいないが、気概は堅牢に手を伸ばす。

 

「星野! 灰色の! 今ァ!」

 

 隙。

 それをこじ開けた進路を、切島は叫んだ。行くべき道をさし示した。

 

「言われなくともッ!」「……っ!」

 

 合図に弾かれたように、灰少女(灰原ナナ)と一条が首肯。

 大太刀を逆手に引くナナが、拳を固める一条が一斉に飛び上がった。

 進路を遮るヴィランの手指の合間を縫い通って、影を通り抜ける。

 

 急激な暗明の移動で視界が白くなる。その微かな視点の間すら、今は惜しい。

 影の幕から飛び出た灰少女。空いた手を仮想敵の指関節に食い込ませ、勢いづく体を引き寄せる。

 その刹那、大太刀が陽光を一際反射を強めるのと同時に、灰緑眼が射抜くように瞬き──

 

「──ッ!」

 

 灰少女が機構の指から横へ跳躍。大太刀が、巨腕の手首を──その継ぎ目へ突き立てた。

 火花が散り、手首が分たれた巨体がわずかに傾く。

 ついで、甲高い金属音が悲鳴のように響いた。

 

「入った……!」

 

 確かな手応えに、高揚で喉を鳴らす灰少女。その背後──、

 

「しぃ」

 

 一条が飛び出し、仮想敵の手首。そこからさらに腕、二の腕、肩。進路を青い眼で描く。

 

 “重さ”が足りない。

 でも今は、

 

「これを使って──ッ!」

 

 一緒に戦ってくれる人がいる。

 

 灰少女(灰原ナナ)から勢いよく投げ渡された棒状のもの──彼女が使っていた大太刀を、一条は迷わずキャッチする。

 見れば、武器を託した灰少女が、両手を合わせてレシーブのように腰を低くし、一条の前方で待ち構えた。

 

 

「こいッ!」「ぶちかませェ!!」

 

 

 灰少女の招きと、切島の後押しに、一条の足が躍動する。

 疾走し、靴底が白く溶けて最後の役割を果たし尽くす、よりも前に一条の体が驀進。

 

 そして次の瞬間、

 

 一条の足が、灰少女の両掌に乗り込み──

 

 

「──やってきなさい」

 

 

 跳躍に次ぐリフトアップが、一条の体を上へ発射した。

 一つの人間砲弾のように天へと上昇する一条の五体。そして身にまとうジャージは壁のように厚い大気に当たり散らされバタバタと慌てふためく。

 

 その中、

 

「ふぅ……」

 

 一条の吐息が白く伸び、青い瞳が仮想敵の顔面を捕捉。した。

 その刹那、ミシリと大太刀の柄が鳴り、

 

「やああぁあ──っ!!」

 

 後ろ手から前へ刈り上げる一条の鈍色の閃きが──0Pの顔面を縦一直線に、斬り抉った。

 

 下から上へ。大太刀の刃が走り抜けた軌道に、遅れて爆炎が咲き乱れた。

 仮想敵(ゼロポイント)の顔面が縦に裂け、新緑の装甲がうめくように歪む。

 

 が、

 

「──っ」

 

 止まらない。そこで一条は止まらせない。

 上昇の勢いが死ぬよりも早く、裂いた顎へと飛び移る。砕けた装甲の縁に、靴底が添えられ、

 

「いくよ」

 

 軋む金属。震えながらもかろうじて大地に立つ巨体。

 一条は小さくつぶやいて、蹴って、飛んだ。上ではない────今度は、下へ。

 

「…………」

 

 

 堕ちる、落ちる。

 

 

 落下の重さが、上昇していた当時とは比類なき加速を相乗的に上乗せして、軽さを賄ってくれる。

 軽さゆえに有効打になり損なうのなら、落下そのものを重さへ変えるだけだ。

 目は逸らさない。

 

 直後、鋭い鈍色の切先は正面から迎えてくる風を狂い裂き、

 

 胴へ──。

 

「──ッッ!!」

 

 鉄が鉄であることを放棄したかのように、縦一直線に装甲は刃を容易く受け入れ、割れた。

 

 装甲が裂け、火花が噴き荒れては晴れの空にスターマインを巻き散らす。

 内部の黒い影が外に晒され、遅れて最後の、最期の断末魔のような悲鳴が吐き出された。

 

 

「────。……ふぅ」

 

 突貫によって生み出された速度は通り過ぎざまの下方への一太刀で減速。程なくして、一条が降り立った。

 限界を超え、刃としての役目を終えた大太刀を。柄だけとなったモノを握りしめて。

 

「止まった……?」

 

「やりやがったぜェ……」

 

 沈黙を保つ巨体を前に、見上げる灰少女と、機械仕掛けの巨手の横で大の字になる切島。両者、疲労を滲ませた嘆息と共に吐き出した。

 

 力のない言葉の穂先を向けられる巨大仮想敵。大通りを横柄に闊歩していたキャタピラは鳴りを潜め、二度と動くことはない。

 

 

「『終了──ッッ!!!!』」

 

 

 それは0Pが、三人の手によって完全に沈黙した。という知らせでもあった──。

 

 

 

* * *

 

 

 実技試験が終了。

 程なくして、演習会場Dが驚嘆と称賛の嵐で包まれた。

 

 そして、歓声の渦中にいる一条と灰少女と切島が、ほっと終了を噛み締めるように息づく。

 

「あ」

 

 手に残る、大元を失って軽くなってしまった大太刀に気づいた一条。小さく声音をこぼすと、ギギギ……、とブリキの玩具(おもちゃ)のように首を回す。

 その先には、こちらに気づいたように小さく手を振る灰少女。

 

「かなり、鉄人系だった」

「鉄じゃない」

 

「…………。比・喩。こっちのは褒めてるのよ」

 

「……そうなの? じゃあ、ありがとう」

 

 右手に握った柄だけのものを背後に隠し、忙しなく灰少女の身辺で一条の瞳が彷徨う。叱られる予感が、背中に張り付いた気がしてならないから。

 側から見れば一条のそれは怪しさ満点であり、事実灰少女の瞳に怪訝さが宿りつつあった。

 

「さっきからなんなの。落ち着かないわね、あんた」

 

「それは……。…………」

 

 これ以上はごまかしが効かないと、一条は瞳をとじて区切りをつける。

 そして恐る恐る、変わり果ててしまった大太刀を、持ち主の前に一条は差し出した。

 

「……壊れちゃった」

 

「────」

 

「えっと…………。………………ごめんなさ──」

 

「……はぁ。いいわ」

 

「え」

 

 てっきり怒られるかと思っていた一条は、予想の斜め上をいく答えに瞠目した。とはいえ、瞠目したとわかるくらい瞼はぴくりも動いていないのだが。

 

「でも、あなたの剣」

 

「だからいいって、何回言えばいいのよ。あのデカブツをぶっ壊すんだから、壊れるのなんて当然だし、それにあの手首を叩っ切ったときはだいぶイカれてた」

 

 颯爽とした物言いに固まる間に、一条からひったくるように愛刀のなれ果てを手に取る灰少女。おかしそうに鼻で笑うと、なんの未練もなく柄をポイっと投げ捨てた。

 

 足元に放ったそれを呆けて目で追う一条。

 未練がましい一条の態度。

 それに片眉を上げる灰少女に、一条は道に落ちた小石を見るような目で柄を見て紡いだ。

 

「……捨てるんだ。……いいの? それもったいない」

 

「ええ。そろそろ新しいのが欲しいって思ってたし、いい機会だった! ……これでいいでしょ?」

 

「ん……? ……うん」

 

 よくはわからないが、これが彼女なりの物に対する別れ、という物なのだろう。

 どこかズレた解釈を胸の戸棚に収め、一条はコクリと頷いた。

 

 

「ぉお、俺を忘れるなア……」

 

「いたわねそういえば」「あ」

 

「オイオイ……その言い草はねェだろ!?」

 

 眼中にない。

 立ち話をしているうちに、両手両足を地面に放る切島の存在を忘れかけた二人。そのうちの一条はそそくさと駆け寄った。

 

「……大丈夫?」

 

「あァ……力入んねェけど、おかげさまでな」

 

 答える切島は肩の力を抜けた笑みを浮かべて、腕のみを動かす。

 彼の個性である硬化は、もうとっくのとうに溶けていて、負った傷が割れたように生々しい。今は無理をしないほうがいい。

 なのに、徐に片腕を差し向ける切島は、

 

「へッ……やったな、星野!」

 

 

 親指を立てた。

 

 

「────。ん」

 

 頷いた一条も、切島に倣って右手を突き出し、景気のよく親指を立ててみせた。膝を折って覗き込む一条の表情は、相変わらずの無表情だが。

 ハンドサインの応酬に、切島は片目だけ開けたまま笑みを深める。

 

「ほら、灰色のあんたも……やったんだぜ俺ら」

 

「…………。はぁ……」

 

 腕を横に倒して切島が笑みを刻んだまま親指を煽るのを、灰少女は忌々しげに吐息。

 隠しもしない正直な態度。少女は灰色の髪をさらりと払い、歩み寄った。

 

「……灰色じゃない──ナナよ。私には『灰原ナナ』って名前がある。今度から、灰色なんて変な風に呼ばないでちょうだい」

 

「ワリィ……今覚えた。灰原ナナ……灰原だな!」

 

「…………ふんっ」

 

 名前を呼ばれ気恥ずかしさを覚えたのか、灰少女──灰原ナナが腕を組んでそっぽを向いた。

 そっけない仕草に、一条は切島へ目を向けるも、彼は肩をすくめるだけ。一体ナナが何をしたいのか一条にはわからないことが多くて、小首を傾けるくらいしかできない。

 すると、ナナの背中が揺れた。

 

「で、あんたは?」

 

「……?」

 

 不思議そうな顔をする一条に呆れを通り越して、やや穏やかな声色となるナナが、人差し指を突きつけて横目で問いをかけた。

 

「あんたよ! 私は名前を言った。だから……名前を教えなさいよ」

 

「……私は、ブ──じゃない。私は、星野一条」

 

 スラスラと滑るはずの舌を澱ませる一条だったが、今一度名を名乗り、青い瞳を合わせる。

 満足したようで、突きつけた指をゆるりと下ろすナナが、体を一条に向けて「そう……」と頷く。

 

「『一条』、ね──覚えといてあげる」

 

「私も覚えた……あなたの名前。『ナナ』……灰原、ナナ」

 

 胸に刻み込むように、口に出すだけにとどまらず、一条は胸に手を置いて唱える。ナナもまた、ミッドナイト、吉田、相澤、飯田、切島。いや、それだけではない、今まで出会ってきた枠組みに組み込まれる。それは、一条にとってのつながりでもあった。

 

 確かな一条からの名指しに歯応えを覚えるナナは、いつまでも寝そべる切島を見下ろす。

 

「あんたは?」

 

「んァ? あー聞いただけだったの忘れてたな。俺ぁ切島鋭児郎」

 

「『鋭児郎』……切島。うん、覚えといてあげる。お互い合格できたら、また会いましょ」

 

 互いに名前を交わし終えてかすかに口角をあげるナナ。ショートな灰色の髪を風に靡かせると、背後に翻り、どよめく人混みの中に臆することなく紛れていった。

 

 ナナの背中が見えなくなるのもすぐで、切島の横で体育座りする一条は青い瞳を0Pヴィランへと向けた。

 

 ──これで終わり。合格できたかな……?

 

 脅威の塊相手に、自分一人では対抗できなかったことは間違いない。あのまま戦えば、倒されはしないだろうが、逆を言えば相手を倒すこともできない八方塞がりのまま、試験は終了していた。

 

 結果的にナナと切島の二人が来てくれたおかげで討伐はできたものの、それとは別に一条が気にかけていることがある。

 それは、あれを倒して良かったのか、それとも放置して、ポイントとなる仮想敵を倒して続々とポイントを貯めていけば良かったのか。

 

 しかしながら、過ぎたことを考えると、考えた分だけIFが湯水のように湧き出てくる。だからゆりかごのように体育座りして、丸めた体をゆすっていた一条は、パタリと寝そべる。

 

「…………青い」

 

 破壊され、背が低いビルだらけで開放的になった蒼穹を、青い瞳に入れ込む。

 どれだけ考えて、それでもわからないことがあっても、空は青い。それだけで、胸の奥が空くという感覚をわかったような気がした──。

 

 

 

 

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