デスノート・オブ・カーストルーム   作:戦竜

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第3話 加速する死者

池寛治の死から数日が経ったというのに、

その出来事は時間とともに風化するどころか、

むしろ学年全体の内側へゆっくりと染み込みながら、

別の形をとって膨張し続けていた。

 

最初の頃は、誰もがただ「ノートに名前を書かれれば死ぬ」という

露骨な異常そのものに怯えていたはずだった。

だが、人間の恐怖というものは、同じ場所に留まり続けるわけではない。

一度事実として受け入れてしまえば、

次に恐れる対象は、その現象の仕組みへと移っていく。

つまり、今、二年生の教室という教室を支配しているのは、

デスノートという道具への単純な恐れではなく、

「管理名はどうすれば暴かれるのか」という、

より具体的で、より現実的で、そしてより厄介な問いだった。

 

茶柱が最初に忠告した通り、危険なのは黒いノートそのものではなかった。

危険なのは、そのノートを使うために

必要な名前へ辿り着く行為そのものだったのだと、

池の死を境に、誰もが薄々理解し始めていた。

 

そして最悪なことに、人は恐怖を覚えれば覚えるほど、

その核心を自分の目で確かめたくなる。

誰かが死んだなら、自分は大丈夫なのかを確認したくなる。

名前が鍵だと言われれば、自分の名前はどう扱われているのかを知りたくなる。

秘匿されていると言われれば、そこに何が隠れているのか覗きたくなる。

それは理性の欠如ではなく、むしろ理性が

不安に敗北した結果として起こる、ごく自然な反応だった。

 

だが、この試験においては、その自然な反応こそが命取りになる。

そしてオレがそれを確信したのは、昼休み前、

櫛田に呼び出されて向かった情報端末室で、

ひどく見覚えの悪い種類のログを目にした瞬間だった。

 

「ねえ、綾小路くん、これ……見た方がいいと思う」

 

櫛田の声は低く、普段の明るさを保とうとしているにもかかわらず、

その底の部分が明らかに張り詰めていた。

端末室には誰もいなかった。

昼休みのわずかな隙間時間、

本来なら軽い検索や調べ物に使われるこの場所も、

ここ数日は逆に人が避ける空間になっている。

誰もが、自分の画面を誰かに覗かれることを恐れているからだ。

 

櫛田は周囲を一度だけ見回し、それから端末の画面をこちらへ向けた。

そこに並んでいたのは、ぱっと見には何でもないアクセス履歴の一覧だった。

だが、項目名を追った瞬間、違和感が一つの輪郭を持つ。

 

学籍データ照合キャッシュ。

旧登録情報リンク。

個人記録アーカイブ参照。

通常の生徒がわざわざ触れる必要のない、

いや、そもそも存在を意識することすらないはずの

領域へのアクセス痕が、あまりにも多かった。

 

「……これは、いつの分だ」

「池くんが死んだ日から今日まで」

「全部か」

「うん」

 

櫛田は小さく頷いた。

 

「最初は偶然かと思ったんだけど、違った。増え方が変なの。

日に日にじゃなくて、あるタイミングから一気に跳ねてる」

「池の死が共有されて以降か」

「そう」

 

そこまで聞けば十分だった。

人はひとつの成功例を見ると、同じ方法に手を伸ばし始める。

池の死は、管理名が本当に殺しの条件になることを証明しただけではない。

管理名へ辿り着ける可能性が現実に存在することまで証明してしまった。

だからこそ、学年全体が同じ方向を向き始めたのだ。

自分の過去データを確かめる者。

旧い保存情報を見返す者。

学園システムの継ぎ目を探ろうとする者。

恐怖が、全員の行動を似通わせている。

 

「人数は」

 

オレが訊くと、櫛田は一度だけ唇を引き結び、それから答えた。

 

「正確な数字じゃないけど……たぶん、学年全体の半分近い」

 

その瞬間、頭の中で盤面が大きく組み替わるのを感じた。

池のケースを、ひとつの特殊な事件として捉えている限り、

この試験の本質は見誤る。

池は単に最初だっただけだ。

たまたま先にやってしまっただけにすぎない。

そして今、学年の半数が池と同じ場所まで自分から足を踏み入れている。

 

「……なるほどな」

「分かった?」

「分かりたくなかったが、分かった」

 

オレは画面から視線を外さずに言った。

 

「死者は増える」

 

櫛田は何も言わなかった。

だが、それは同意だった。

 

「しかも、加速する」

「やっぱり……そう思う?」

「池のときは、断片を拾える人間が少なかった。

拾ったとしても、それを管理名へ繋げる発想と手段を持つ者はもっと少なかった」

「……うん」

「だが今は違う。方法が存在することは証明された。

しかも同じような断片が、もうあちこちに散っている」

「つまり」

「拾う側が少し有能なら、それだけで候補は一気に増える」

 

櫛田が息を呑む。

それは、ようやくここまでの線が一本に繋がったからだろう。

池の死は、一人分の命が失われた事件ではなく、

学年全体へ「こうすれば名前に近づける」という

方向性を提示してしまった最初の爆発だったのだ。

 

「ねえ、綾小路くん」

 

櫛田の声が少しかすれる。

 

「これって、もう、かなりの人が自分で自分の首を締めてるってことだよね」

「そうなるな」

「怖くて確認して、それが逆に危ないって……最悪だね」

「だからこそ、この試験は成立している」

人の恐怖を利用して、人に自分から秘密へ近づかせる。

そして、その過程で生じた断片を、他の誰かが回収して武器に変える。

デスノートが殺すのではない。

その前にある無数の行動と会話と確認作業が、人を死へ近づけている。

 

そのとき、端末が短い通知音を鳴らした。

それはあまりに軽い音で、普段なら誰も意識しないようなものだった。

だが、この場所で、そのタイミングで鳴ったそれは、嫌な予感しか呼ばなかった。

櫛田が反射的に画面の端を見る。

 

そして、表情が変わった。

 

「……綾小路くん」

「何だ」

「来た」

 

画面に表示されていたのは、学園からの一斉通知だった。

文面は簡潔だった。

簡潔すぎて、かえって悪質だった。

 

【本日、複数の生徒の死亡が確認されました。詳細は後ほど通知します】

 

その一文だけで、十分だった。

櫛田が画面を見たまま動かない。

オレもまた、すぐには言葉を選ばなかった。

予感ではなくなった。

仮説でもなくなった。

加速は、もう始まっている。

 

 

教室へ戻る途中の廊下には、すでにざわめきが広がり始めていた。

通知を見た生徒たちが、小さな声で何かを言い合い、

それを聞いた別の誰かがさらに不安そうな顔で端末を確認する。

その連鎖そのものが、すでに一種の感染だった。

死亡者が出たという事実よりも先に、

「誰が」「どこまで」「どうやって」という想像が走り出している。

そしてその想像は、すぐに自分の身へ引き寄せられる。

もし自分の断片も誰かに見られていたら。

もし既に候補として絞られていたら。

もし次が自分だったら。

廊下を行き交う生徒たちの顔に浮かんでいたのは、

悲しみよりも先に、その種類の焦燥だった。

 

午後のホームルームで、通知の詳細が正式に伝えられた。

教室の空気は、重いというよりむしろ張りすぎていて、

少し触れれば破裂しそうなほどだった。

茶柱が教壇に立ち、感情を交えない声で人数を読み上げる。

 

一之瀬クラス、5名。

堀北クラス、2名。

坂柳クラス、6名。

龍園クラス、7名。

 

龍園クラスは最初の時点では4名の死亡が確認されたと一旦通達され、

その後さらに別経路で追加の3名の死者が発生したらしい、

という曖昧さを含んだ説明が挟まれた。

 

坂柳クラス側と龍園クラス側で、

ほぼ同時刻に別系統の殺しが進行していたため、

学校側の把握すら一瞬遅れたのだろう。

その事実そのものが、既に状況の異常さを示していた。

死者数は、もはや一人や二人という単位ではなくなっている。

学年全体の盤面が、一気に削られ始めていた。

 

「……嘘だろ」

 

須藤の低い声が、静まり返った教室にやけに大きく響いた。

誰もそれを咎めなかった。

 

「こんな短時間で、そんなに……」

 

軽井沢が顔を伏せる。

佐藤は端末を握ったまま固まっていた。

平田でさえ、すぐには言葉が出てこない。

池の死の時点では、まだどこかで「特別な例外」で

あってほしいと願う余地があった。

だが、ここまで一気に人数が増えると、もう誰もそんな希望を抱けない。

これは再現可能な手口だ。

しかも複数のクラスが、それぞれ独自に

管理名への到達経路を見つけ始めている。

 

茶柱が告げた補足情報は、さらに空気を冷やした。

 

「一部の死亡については、暴力的威圧による情報取得が行われた可能性が高い」

 

龍園だな、とオレはすぐに判断する。

あいつなら躊躇わない。

管理名という情報が殺しの条件なら、

名前を知っている可能性のある人間を物理的に追い詰めて吐かせる。

構造としては最も野蛮で、同時に最も単純で、

状況が極端に悪化したときには非常に効率がいい。

だがそれだけでは、他クラスへまで一気に死者が広がる説明として足りない。

別のルートが並行して走っている。

そしてそれは、おそらく龍園だけのものではない。

 

ホームルーム後、堀北がオレを呼び止めた。

その表情は表向きの冷静さを保っていたが、瞳の奥の温度がかなり低くなっている。

感情に呑まれているわけではない。

むしろ逆に、状況の悪化を処理するため、意識的に感情を切り離している顔だった。

 

「今の説明、どう見る?」

「想定より早かった」

「やはりそうなのね」

 

堀北は短く息をつく。

 

「一人の方法が広まったのではなく、複数の方法が同時に見つかり始めている」

「そう考えるのが自然だ」

「池くんの件が例外ではなかった、ということね」

「ああ」

「最悪だわ」

 

その一言に、珍しく感情が滲んでいた。

堀北は状況が悪いときほど、普段以上に整然と振る舞う。

だからこそ、こういう短い言葉の重さが分かる。

 

櫛田はその日の放課後、オレと合流すると、

昼までに集めた断片情報を一気に整理し始めた。

人の話を聞き出すことにかけてはやはり抜群で、

教室や廊下や食堂で自然に拾ってきた小さな違和感を、

かなりの精度で分類している。

 

「龍園くんのクラスの方は、たぶん本当に聞き出したんだと思う」

「暴力か」

「うん。坂柳クラスの4人が、死ぬ前に呼び出されてたって話がある」

「誰から」

「直接見た人は少ないけど、龍園くんの取り巻きが動いてたのは間違いないみたい」

 

石崎、アルベルト、伊吹あたりが使われた可能性が高い。

 

「吐かせたのが管理名そのものか、

それとも管理名に繋がる断片かは分からないけど、

少なくとも4人分の情報がまとまって落ちた感じはある」

「それでまず坂柳クラスの四人が消えた」

「うん」

 

櫛田はそこで一度言葉を切り、少しだけ眉を寄せた。

 

「でも、それだけじゃ終わってない」

「図書室だな」

 

オレが言うと、櫛田は驚いたように目を見開いた。

 

「……そこまで読んでたの?」

「読んでいたわけじゃない。貸出データベースは盲点になりやすい」

 

学園のあらゆる記録は、通称ベースで整理されているとは限らない。

むしろ旧いシステムや周辺機能ほど、管理名や別コードが混在しやすい。

そこに本好きの椎名ひよりが日常的に触れていたなら、

異常値に気づく可能性は高い。

 

「そう。椎名さんがよく使う図書室の貸出しデータベースに、

学年とクラスと名前が噛み合わない記録が混ざってたみたい」

「管理名との重複登録か」

「たぶんね。普通なら見落とすと思う。でも、今はみんな名前に敏感だから」

「拾ってしまった」

「うん……」

 

櫛田の表情は暗かった。

椎名ひより自身が積極的に殺しへ加担したいタイプではないことくらい、

櫛田も分かっているだろう。

だが、見つけてしまった情報は、もう情報としての価値を持ってしまう。

そして龍園クラスにとっては、それが誰の手で見つかったかなど関係ない。

利用できるなら利用する。

そういうクラスだ。

 

「それで一之瀬クラスから5人、うちのクラスから2人、坂柳クラスから6人」

 

櫛田が静かに数を口にする。

 

「図書室のルートだけでそこまで広がったと見るべきか」

「少なくとも一部はそうだと思う」

 

龍園は、暴力で4人分の情報を引き出し、

それを実際に書いて殺すことで手口の即効性を確認した。

同時に、別ルートで得られた貸出しデータベース上の不一致をもとに、

より広い範囲の管理名候補へ手を伸ばした。

暴力とシステムの継ぎ目。

野蛮さと合理性。

龍園翔という人間の嫌な強さが、かなり分かりやすく表れている。

 

だが、問題はそこだけではなかった。

 

「坂柳の方は?」

 

オレが訊くと、櫛田は少しだけ顔を曇らせた。

 

「そっちも、かなりひどい」

「話せ」

「過去の美術の授業」

 

それだけで、おおよその方向は読めた。

 

「作品のサインか」

「うん。普段の提出物は学園名義で整理されるけど、

創作系の課題って、たまに変な癖が出るでしょ」

「無意識の署名、筆跡、名前の崩し方」

「そういうの」

 

絵画のサインは、本人が自分の名前を書く行為に最も近い。

たとえ通称を使っていても、無意識の筆運びや、

旧い習慣、文字の形のクセが出ることがある。

坂柳はそこに気づいたのだろう。

しかも坂柳有栖という女は、そういう断片を芸術的な癖として眺めるのではなく、

人を殺すための手掛かりとして扱うことに、まるで躊躇いがない。

 

「それで龍園クラスから7人」

 

櫛田の口調がさらに重くなる。

 

「ほぼ同時に、そっちでも書かれたみたい」

 

7人。

数字だけで見れば、もはや報復というより戦争だ。

しかも龍園と坂柳は、互いに相手のやり方を理解しながら、

そのうえでどちらが先に多くの急所へ届くかを競い始めている。

他クラスを巻き込んでいる分、なおさら厄介だった。

 

オレはその瞬間、これまで以上に明確な形で、この試験の次の局面を理解した。

池の死が第一段階。

管理名への到達経路が存在することの証明。

第二段階が、今だ。

複数のルートが同時発見され、各クラスが独自に名前を掘り始める。

ここまではまだ情報戦の拡大で済む。

 

だが、この先は違う。

第三段階では、管理名を知っているかどうかではなく、

管理名を知っていると誰に思われているかまでが標的になる。

 

断片を持っていそうな人間。

データベースに近い人間。

過去ログを見たことがバレた人間。

 

そういう者たちが、実際に名前を知らなくても、危険視されるだけで消される。

つまり死者は、今後さらに、加速度的に増える。

それは予感というより、構造上の必然だった。

 

「綾小路くん」

 

櫛田がオレの顔を覗き込むように見る。

 

「今、すごく嫌なこと考えてるでしょ」

「否定はしない」

「何」

 

「今後は、管理名を知っている可能性がある人間も狙われる」

 

櫛田の表情が固まる。

 

「……あ」

 

気づいたらしい。

 

「たとえば、古いデータを閲覧した生徒」

「うん」

「図書室の貸出しデータを触れる生徒」

「椎名さん……」

「美術の作品に頻繁に関わる生徒、あるいは保管場所を知っている生徒」

 

櫛田の顔から血の気が引いていくのが分かった。

 

「そういう人って、名前を知ってるかもしれないってだけで危ない」

「そうなる」

「じゃあ、もう……」

「加速する」

 

オレは、同じ結論をもう一度口にした。

今度はより重く、より確定的な意味で。

 

 

その頃、龍園クラスでは、別種の熱が渦巻いていた。

後から断片的に集まった情報をつなぎ合わせれば、

その場の光景はおおよそ想像できる。

龍園翔は、恐怖に震える必要がない。

少なくとも、あいつはそう振る舞う。

他人の恐怖を観察し、利用し、増幅させることにかけては天才的だ。

管理名という見えない鍵を手にするため、

坂柳クラスの4人を物理的に追い詰め、断片的にでも情報を吐かせる。

 

たとえば本来の保護者登録情報の一部。

旧いファイル上に残っていた文字列。

あるいは自分でも意味を理解していなかった別名義の断片。

 

そうしたものを雑にでも吐かせてしまえば、あとは龍園の側が繋げる。

それで更に坂柳クラスから3人を消す。

しかもそれで終わらない。

椎名ひよりが見つけた図書室のデータベース上の異常を回収し、

学年・クラス・通称と一致しない名前を管理名候補として洗い出す。

その作業を龍園自身がどこまでやったかは分からないが、

少なくとも「あいつなら使える」と判断した情報源は徹底的に利用したはずだ。

 

坂柳クラスから更に4人が消え、計7人。

その結果だけ見れば、龍園は暴力だけの男ではない。

暴力を突破口にしながら、情報の扱い方そのものはむしろ冷徹に合理的だ。

だから厄介なのだ。

 

一方の坂柳クラスも、ただやられていたわけではない。

むしろ坂柳有栖は、龍園が暴力を起点に情報を奪うことを

見越していたからこそ、別のルートで一気に先へ進んだ可能性がある。

 

過去の美術授業。

保管されていた作品。

そこに残されたサイン。

 

普段の通称とは微妙に異なる文字の運び。

本人が意識せず滲ませた、より古い名前の癖。

それらを、坂柳は作品の個性ではなく、正解へ近づくための誤差として読む。

 

龍園クラスから更に3人が消える。

この数字は、単に坂柳が優秀だったというだけではない。

相手が龍園クラスである以上、坂柳は報復のために撃ったのではなく、

「先に深く刺しておけば、相手の行動原理を乱せる」と判断していたはずだ。

龍園は多人数を率いることで強いが、その分、人数が減るほど支配の質が変わる。

そこを狙ったのかもしれない。

いや、狙わないはずがない。

 

夕方、寮へ戻る途中、廊下でも食堂でも、話題は同じだった。

誰が死んだ。

どのクラスが何人減った。

どうやって名前がバレた。

誰が情報を持っていた。

その一つ一つが噂という形で流れていく。

だが噂は、真実より危険だ。

真偽が曖昧なまま拡散し、誰かを名前を知っている側に見せてしまうからだ。

 

「あの人、図書室よく使ってるらしいよ」

「前に古いデータ見てるの見た」

「美術室の保管庫に入ってたって」

 

それだけで十分、疑いの種になる。

これから先は、正しい管理名を知っているかどうか以上に、

知っていそうに見えることが危険になる。

それが、オレの見ているもっと先の悪化だった。

 

「ねえ、綾小路くん」

 

寮の前で櫛田が立ち止まった。

周囲に人がいないことを確認してから、声を落とす。

 

「これ、ほんとに……もう普通じゃいられないね」

「そうだな」

「守るだけじゃ無理だよね」

 

オレは少しだけ考えてから答えた。

 

「守るだけでは足りない」

「やっぱり」

 

櫛田は苦く笑った。

 

「でも攻めたら、今度は自分がそっち側に行っちゃう」

「既にみんな片足は入れてる」

 

古いデータを確認した時点で。

他人の管理名のヒントを想像した時点で。

池の死を見て、自分の安全を確かめたいと思った時点で。

この試験は、参加するかしないかを選ばせてくれない。

気づいたときには、全員がもう盤の上にいる。

 

その夜、オレは部屋で今日一日の情報を整理しながら、今後の推移を考えた。

死者数の増加。

管理名到達ルートの複線化。

断片情報を持つ可能性のある生徒の危険化。

龍園と坂柳の本格衝突。

 

そのどれもが、単独で見ても厄介だ。

だが本当にまずいのは、それらが互いに影響し合いながら増幅していることだった。

龍園と坂柳が多人数を消し合えば、その情報は他クラスへ衝撃として伝わる。

衝撃はさらなる確認行動を生み、確認行動は新たな断片を外へ漏らす。

 

断片が増えれば、また別の誰かが管理名へ近づく。

その連鎖に、一之瀬クラスのような本来は

攻撃に慎重なクラスまで巻き込まれていけば、盤面は急速に荒れる。

一之瀬が守ろうとするほど、クラス内の恐怖と不信は濃くなるだろう。

 

堀北クラスも、既に他人事では済まない。

二人の死は少なく見えるかもしれないが、

それはまだ大規模な経路に本格的に狙われていないだけにすぎない。

そして何より、この学年には坂柳有栖と龍園翔という、

管理名という概念を道具として扱うのに向きすぎた人間が二人もいる。

それだけで十分、地獄になる。

 

オレは窓の外を見た。

寮の向こう、夜の校舎は静かで、

昼間あれほど多くの死があったとは思えないほど無機質に整っている。

だが、その静けさは平穏ではない。

むしろ嵐の目に近かった。

 

今日の大量死は、異常な出来事であると同時に、今後の基準を引き上げてしまった。

龍園クラスと坂柳クラスの相互報復まで含めれば、更に増加する。

その規模の死が一度でも起これば、人の感覚は麻痺し始める。

明日さらに2人死んでも、昨日ほどの衝撃はない。

その麻痺が始まったとき、本当に危険になる。

 

だからオレは確信していた。

今後死者は加速する。

しかもその理由は、誰か一人の狂気ではなく、

学年全体がもう管理名へ向かう思考を共有し始めているからだ。

この試験は、ノートに書いた者だけが悪なのではない。

誰もが少しずつ、その悪の構造を内面化していくことによって完成する。

 

 

翌朝、教室へ向かう足取りは、昨日まで以上に重かった。

だが重いのはオレの気分ではなく、学年全体の空気そのものだ。

廊下ですれ違う生徒たちは、明らかに互いの顔を見る回数が増えている。

表情を読むためではない。

顔を知っている必要がある、というデスノートの条件が、

誰の頭からも離れていないからだ。

 

それがどれだけ不快なことか、今さら説明するまでもない。

顔見知りであることが、かつては日常の前提にすぎなかったのに、

今ではそれ自体が殺しの条件の半分が既に満たされていることを意味してしまう。

名前さえ届けば、終わる。

その現実が、人間関係の感触を根本から変えていた。

 

席に着くと、櫛田が静かに近づいてきた。

いつもの笑顔はある。

だが、それは周囲へ向けた仮面に近く、

オレへだけ見せる一瞬の目つきは、かなり鋭くなっていた。

 

「昨日の夜、全然眠れなかった」

「そうか」

「でも、考えたの」

「何を」

「このままだと、龍園くんと坂柳さんだけじゃなくて、もっといろんな人が動き始める」

「当然だ」

「じゃあ、私たちも……」

 

そこで櫛田は一度、周囲を見た。

誰もこちらを聞いていないことを確認してから、さらに声を落とす。

 

「次のルート、先に潰さないと」

 

その発想自体が、もう以前の櫛田とは少し違っていた。

人当たりの良さで情報を集めるだけではない。

どこが次の侵入口になりうるかを考え始めている。

つまり、この短期間で、櫛田もまた名前へ近づく思考を身につけ始めているということだ。

それを危険だと思いながら、同時に必要でもあると理解している。

この試験はそういうふうに人を変える。

 

「綾小路くん」

「何だ」

「これ、勝てると思う?」

 

その問いに、オレはすぐには答えなかった。

勝つとは何か。

生き残ることか。

クラスを守ることか。

他クラスより多く残ることか。

それとも、名前を巡るこの構造そのものを見切ることか。

どれにせよ、楽観できる要素はひとつもない。

 

「分からない」

 

結局、そう答えるしかなかった。

「ただ、一つだけ確かなのは」

「うん」

「もう普通のやり方では生き残れない」

 

櫛田は小さく笑った。

乾いた笑いだった。

 

「だよね」

「名前を守るだけじゃ足りない」

「相手がどうやって名前に辿り着くのか、その道まで読まなきゃいけない」

「そうなる」

「ほんと、最悪」

「そうだな」

 

だが、その最悪は、まだ始まったばかりだった。

池寛治の死が開いた穴は、もう塞がらない。

その穴から、学年全体の恐怖と好奇心と猜疑心が流れ込み、

管理名という見えない急所を巡る戦争を押し広げている。

 

龍園クラスと坂柳クラスは、

既にその戦争を試験ではなく闘争として扱い始めていた。

一之瀬クラスは守りきれるかどうかの瀬戸際に立ち、

堀北クラスもまた、いつ次のルートに

引っかかってもおかしくない場所まで来ている。

 

そしてオレは、その全体を見ながら思う。

今日の大量死は終わりではない。

基準の書き換えだ。

ここから先、死者はさらに加速する。

そう予感するのではない。

そうなると、もう知ってしまったのだ。




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