デスノート・オブ・カーストルーム   作:戦竜

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第5話 裏切りの終点

坂柳有栖の死亡通知が学年全体に流れたその日から、

空気はまた一段、別の方向へ鋭く変質した。

それまでの恐怖が「管理名を知られれば死ぬ」という

抽象的な怯えだったとするなら、坂柳の死によって学年が初めて理解したのは、

「あの坂柳ですら、管理名へ辿り着かれて消される」という具体的な現実だった。

 

龍園のように暴力を振るう人間が危険なのは、誰の目にも分かる。

一之瀬のように守ろうとする人間が狙われやすいのも、まだ想像の範囲に収まる。

しかし坂柳有栖は違った。

頭が切れ、自分自身が管理名へ至る複数の導線を見抜き、

他者を一方的に盤面から削る側にいた女だ。

その坂柳が死んだ。

しかも、おそらく坂柳自身が得意としていた

学校の記録を読むというルートの延長線上で。

この事実は、残された者たちに二つのメッセージを突きつけた。

ひとつは、もはや誰も安全圏にはいないということ。

もうひとつは、学園の記録そのものを辿れる人間が、

今この学年のどこかで本格的に動き始めたということだった。

 

そのどこかが綾小路清隆であると、龍園翔はほとんど直感だけで見抜いていた。

直感と言っても、当てずっぽうの勘ではない。

龍園は、人の表面に出る揺れ方を読むことに関しては、

坂柳とは別の意味で異常に鋭い。

誰がどの出来事に過剰に反応し、誰が逆に不自然なほど反応を消し、

誰が必要以上に静かで、誰が状況を眺めているようで

実はもう次の盤面に足をかけているか。

そういう匂いを嗅ぎ分ける能力だけなら、綾小路も決して軽視していなかった。

坂柳の死が学年へ与えた衝撃が冷めるより早く、

龍園は「これをやったのは綾小路だ」とほぼ確信していた。

証拠があるわけではない。

だが証拠など、あの男には最初から大した意味を持たない。

匂う。

盤面がそう語っている。

それで十分だ。

そして龍園にとって十分である以上、

それは綾小路にとって既に厄介な現実だった。

 

「よお」

 

その声が廊下の奥から飛んできたとき、

綾小路は振り返る前から相手が誰か分かっていた。

昼休みの終わり、人気が疎らな特別棟へ続く連絡通路。

壁に寄りかかるようにして立っていた龍園は、

いつものように口元だけで笑っていたが、そ

の目の奥にはあからさまな挑発より、もっと質の悪い執着が見えた。

 

「あんまり一人でうろつくなよ、綾小路」

「用か」

「つれねえな」

 

龍園はゆっくり近づいてくる。

取り巻きはいない。

それが逆に面倒だった。

誰かを連れている時の龍園は、ある程度見せるための行動をする。

だが単独の時は違う。

もっと直接的で、もっと本音に近い。

 

「坂柳が死んだな」

 

あえてそこを口にする時点で、もう探り合いというより確認に近い。

 

「そうだな」

「お前、驚いてねえよな」

「今さら誰が死んでもおかしくない状況だ」

「そういう意味じゃねえ」

 

龍園は一歩近づき、綾小路の目を覗き込むようにした。

 

「ああ、やっぱり死んだかって顔してるって言ってんだよ」

返答はしない。

こういうときに言葉を重ねても、龍園には餌を増やすだけだ。

 

「へえ」

 

龍園は薄く笑う。

 

「黙るってことは、図星か」

「好きに解釈しろ」

「するさ」

 

その声音には妙に愉快そうな熱があった。

 

「お前、やっとこっち側に来たな、綾小路」

 

その言い方は、単なる煽りではなかった。

龍園は今、坂柳有栖を殺せるような人間が学年内にいることを面白がっている。

そしてその人間が、自分が長く見続けてきた

綾小路清隆であってほしいと、半ば願っている。

厄介なのは、龍園にとって敵として認めることと

興味を持つことがほとんど同義な点だった。

一度この男の関心を強く引けば、以後は執拗だ。

そして今、龍園の視線は、明らかに以前より綾小路へ深く刺さっている。

 

「お前がやったかどうかは、別に今はいい」

 

龍園はそう言いながらも、まるで全く別に思っていない口調だった。

 

「けど、坂柳を消せる奴がいるなら、

そいつは俺にとっても一番面白い相手だ」

「告白か」

「違えよ」

 

龍園は笑う。

 

「宣戦布告だ」

 

それだけ言って、肩をすくめるようにして去っていく。

だがその背中からさえ、ひどく濃い執着が滲んでいた。

この日を境に、龍園は露骨に綾小路へ絡むようになる。

廊下ですれ違えば止める。

食堂で見かければわざわざ席の近くまで来る。

授業の移動中にも、用もないのに声をかけ、

特に意味のない話を混ぜながら、その実ずっと反応を見ている。

坂柳の死をどう受け止めているか。

龍園自身の名を出したとき、綾小路がどう揺れるか。

誰の話題なら目線が止まり、誰の話題なら逆に消えすぎるか。

龍園もまた、龍園なりのやり方で綾小路の急所を探り始めていた。

 

だが、綾小路にとって本当に優先すべき問題は、龍園ではなかった。

少なくとも、この時点では。

龍園の執着は面倒だが、まだ露骨で読みやすい。

問題は、もっと近くにいた。

綾小路のすぐ隣で、協力者の顔をしながら、

同時に別の問いを向けてくる人間。

 

櫛田桔梗。

 

坂柳の管理名へ辿り着くまでの数日間で、

その違和感は決定的な輪郭を帯びていた。

櫛田は情報収集が上手い。

それ自体は今さらだ。

だが、上手すぎた。

綾小路が坂柳の話をどう受けるか。

龍園の名前が出たとき、どこで無反応を装うか。

一之瀬の話題を混ぜた際、どんな種類の沈黙が入るか。

学校の管理制度の話に触れたとき、どこまで知っていて、どこから曖昧に濁すか。

そして――ホワイトルームや、特別な教育に繋がりそうな話題へ、

どの瞬間だけ反応の温度が変わるか。

今思えば、櫛田は最初から、調査のパートナーとしてだけではなく、

ずっと綾小路への尋問を雑談に偽装して続けていた。

しかもそれは、あまりに自然で、あまりに丁寧だった。

自分でも気づかないほど小さな視線の止まり方。

問いを返すまでの間の長さ。

明らかに無関心を装いすぎた候補への沈黙。

綾小路が消しすぎる反応だけを拾い集めれば、そこから逆算できることは多い。

櫛田は言葉を取るより、反応差を取るタイプだ。

だからこそ、綾小路にとって一番危険だった。

 

決定打になったのは、ある放課後の短い会話だった。

教室に残る生徒がほとんどいなくなった頃、

櫛田はいつもの調子で綾小路の席の横に腰を下ろし、

何気ない雑談の延長のように口を開いた。

 

「ねえ、綾小路くん」

「何だ」

「もしさ」

 

櫛田は机の上で指を組みながら、何でもない話のように続けた。

 

「今まで集めた情報、全部ひっくり返して見たら、

誰の管理名が一番守られてると思う?」

「どういう意味だ」

「ほら、坂柳さんみたいに優秀すぎて学校に記録されすぎてる人もいるし、

龍園くんみたいに周りの人間の方に痕跡が残るタイプもいるでしょ」

 

そこまでは、確かにこれまでの調査の延長に聞こえる。

だが次の一言が、明らかに違っていた。

 

「でも綾小路くんって、逆なんだよね」

 

綾小路はそこで初めて、櫛田の顔をまともに見た。

櫛田は笑っていた。

いつも通りの、柔らかくて人当たりの良い笑顔。

なのに、その目だけは笑っていない。

 

「何が逆なんだ」

「守られてるっていうより、隠されてる」

 

声は優しい。

しかしその内容は、刃に近かった。

 

「提出物の癖も、教師との距離も、過去の記録の残り方も、不自然なんだよ」

 

綾小路は無言のまま聞く。

 

「特定の話題にだけ、無反応を装いすぎるしね」

 

櫛田はそこで、少しだけ首を傾げた。

 

「もう、ほとんどあなたの管理名に届いてるよ」

 

その一言は、何よりも静かで、何よりも恐ろしかった。

「調べてたのか」ではない。

「もう届きかけている」

その位置から告げられることで、言葉は一気に現実になる。

綾小路は表情を変えなかった。

だが、内側では即座に状況を再計算していた。

櫛田はただ探っていたわけではない。

既に候補をかなり絞っている。

しかも、その絞り方はおそらく一つの経路ではない。

綾小路の過去の提出物のクセ。

学園システムで不自然に保護されている記録。

茶柱との距離感。

坂柳が綾小路へ向ける関心の質。

そして何より、会話の中で綾小路自身が無意識に与えた反応差。

その全部を束ねている。

あと一つ、最後の確認が入れば、櫛田は本当に届く。

それは綾小路にとって、龍園より優先される脅威だった。

 

「言わないの?」

 

櫛田が微笑んだまま問う。

 

「何を」

「違うって」

「言う必要があるか」

「ない、かもね」

 

櫛田は小さく笑った。

 

「でも、こういうのって面白いよね。

ずっと一緒に調べてきた相手が、実は一番気になる名前だったなんて」

 

そこまで言ってから、櫛田はふっと視線を落とした。

 

「私、最初から少し気になってたんだ」

「何を」

「綾小路くんって、何を隠してるんだろうって」

 

軽い告白のような口調だった。

しかしその中身は、あまりにも冷たかった。

 

「坂柳さんの話をしたときより、龍園くんの名前を出したときより、

別の教育とか、管理されすぎた人間とか、

そういう話題の時だけ、ほんの少しだけ反応が変わるんだよ」

 

櫛田は指先で机を軽く叩く。

 

「すごく上手に消してるのに、消しすぎるから逆に分かる」

 

綾小路はその分析が、ほとんど正しいことを理解していた。

だからこそ、ここで誤魔化しても無意味だ。

櫛田はもう、推測で喋っていない。

手応えを得た上で、最後の確認を取りにきている。

 

「それで」

 

綾小路は静かに言った。

 

「あと何が必要だ」

 

櫛田の目がわずかに細くなる。

この問い返し自体が、かなり踏み込んだ反応だった。

しかし綾小路は、それも承知で口にした。

中途半端な否定は、逆に候補を狭めるだけだ。

ならむしろ、今ここでどこまで到達しているかを測る方が優先される。

 

「あと一つ」

 

櫛田はあっさりと答えた。

 

「過去の特別試験記録のうち、

一か所だけ不自然に閲覧権限が守られてる場所があるの」

 

やはりそこまで行っているか。

 

「その中にある保護名義の揺れが、あなたに繋がるかどうか」

 

櫛田は笑う。

 

「それさえ見えたら、たぶん終わり」

 

終わり。

その表現に、綾小路は心の中でだけ納得する。

櫛田にとってもこれは遊びではない。

管理名へ届けば、綾小路清隆という存在は、文字通り盤面の急所になる。

そして櫛田がそれを手にしたとき、どう使うかはまだ分からない。

だが、分からないままにしておける段階ではなかった。

 

その日の夜、綾小路は一人で結論を出した。

櫛田はここで処理する。

感情的な怒りではない。

信頼を裏切られたという類の話でもない。

もっと単純だ。

櫛田桔梗という人間は、ここから先、

綾小路の管理名へ到達しうる最短距離に立っている。

しかもその武器は、ハッキングでもシステム侵入でもない。

人間観察、会話、無意識の反応差。

つまり、この先どれだけ警戒しても、完全には封じきれない。

だから残しておけない。

龍園が綾小路へ執着を強めている今、その二つが結びつけばさらに危険だ。

龍園の圧力と櫛田の観察力が噛み合えば、

今度こそ管理名が届くかもしれない。

そうなる前に切る。

それが最も合理的だった。

 

実行にあたって、綾小路はあえて櫛田へ

最後の機会を与えるような形を取った。

翌日の放課後、人気の少ない特別教室棟の一室へ、

資料の続きを見つけたとだけ伝えて呼び出す。

櫛田は警戒しているはずだった。

それでも来たのは、自信があったからだろう。

綾小路の管理名候補をかなり絞っている今、

自分はまだ優位に立てると思っていた可能性が高い。

部屋に入ってきた櫛田は、いつも通りの笑顔で扉を閉めた。

 

「で、見つかったの?」

「見つかった」

 

綾小路は机の上に置いた黒いノートではなく、

別の紙束を見せるふりをしながら答えた。

櫛田の視線が自然にそちらへ寄る。

そのわずかな隙間に、綾小路は確信した。

この女はまだ、自分が相手に見抜かれていることを完全には理解していない。

 

「何が?」

「お前の立ち位置だ」

 

その瞬間、櫛田の笑顔が初めて止まった。

ほんの一拍。

だが十分だった。

 

「……何のこと?」

「ずっと調べていただろう」

「誰を?」

「オレを」

 

櫛田は数秒黙ったあと、むしろ少しだけ楽しそうに笑った。

 

「やっと気づいたんだ」

 

その返しで、全てが確定する。

隠す気はもうない。

あるいは、隠しても無駄だと判断したのだろう。

 

「ねえ、綾小路くん」

 

櫛田は一歩だけ近づいた。

 

「気づいてたなら、どうしてもっと早く切らなかったの?」

「今切る方が確実だからだ」

「ひどい」

 

そう言いながらも、その声に傷ついた色はない。

むしろ試すような響きだった。

 

「でも遅いよ」

 

櫛田は囁くように続ける。

 

「もう、かなり届いてる」

「だからここで終わりだ」

 

綾小路は静かに言い、黒いノートを開いた。

その動きで、櫛田の表情が初めて本当に変わった。

 

「……本気?」

「今さらだろ」

「私を?」

「お前はもう、残せない」

 

そこに必要以上の説明はなかった。

櫛田は一瞬だけ後ずさりしかけたが、逃げるには距離が足りない。

そもそも、逃げても意味がないことを理解している顔だった。

 

「最低」

 

小さく吐き捨てるように言う。

 

「そうかもな」

 

綾小路はそれに付き合わず、必要な名を淡々と書いた。

櫛田桔梗の管理名。

既に坂柳の調査の過程で、櫛田自身が何度か無意識に残した断片や、

学園内の別経路から拾える揺れは押さえていた。

綾小路はそれを使う機会を、ただ温存していただけだ。

 

「久保ユカリ」。

 

名前を書き終えた瞬間、部屋の空気はひどく静かだった。

櫛田は数秒、何も言わずに綾小路を見ていた。

驚きでも恐怖でもなく、もっと複雑な感情がその目には混ざっていた。

悔しさか。

あるいは、自分が最後まで一枚上を取れなかったことへの苛立ちか。

 

「……ほんと、最後まで分かんない人だね」

 

やがてそう言って、櫛田は薄く笑った。

その笑いも長くは続かない。

綾小路はそれ以上何も言わなかった。

感傷を挟めば鈍る。

今必要なのは、完全に切ることだけだ。

やがて櫛田は力を失い、静かに崩れるようにその場へ沈んだ。

部屋の中には、妙なほど平穏な沈黙だけが残った。

 

処理は終わった。

少なくとも、綾小路の管理名へ至る最短の刃の一本は、ここで折れた。

だが、そこでようやく綾小路は、本当の意味で次の相手へ集中できるようになる。

龍園翔。

坂柳の死をきっかけに、綾小路が動き始めたことをほぼ確信し、

露骨に絡み、執拗に反応を見ようとし続ける男。

しかも龍園は、櫛田のように繊細ではない分、

正面から人を追い詰めることに躊躇がない。

その圧力は荒いが、だからこそ破壊力がある。

今後、龍園はさらに綾小路へ近づいてくるだろう。

挑発、接触、監視、圧迫。

おそらく龍園の中では、もう遊びでは済んでいない。

坂柳を失った今、学年の中心で自分と真正面からぶつかりうる存在を、

あいつは無意識ではなく、はっきりと綾小路だと認識し始めている。

そして綾小路もまた、櫛田を切ったことで、

ようやく余計な揺れを捨てて龍園へ視線を向けられるようになった。

 

夜、寮へ戻る廊下の窓ガラスに、自分の姿がぼんやりと映る。

その輪郭を眺めながら、綾小路は思う。

坂柳有栖を消し、櫛田桔梗を切った。

これで盤面は少しだけ静かになるかと思えば、実際には逆だ。

削った分だけ、残った強者の輪郭が濃くなる。

そしてその中心にいるのは、もう間違いなく龍園翔だった。

次に来るのは、龍園との決着だ。

そこではもう、坂柳の時のような制度の読み合いでも、

櫛田の時のような静かな観察戦でも済まないだろう。

もっと荒く、もっと直接的で、もっと互いの本性が剥き出しになる。

綾小路はそのことを理解しながら、窓の外の夜を見た。

 

学園は静かだった。

しかしその静けさは、嵐が遠ざかったからではない。

本当に大きな衝突の直前にだけ訪れる、妙に張り詰めた静寂に近かった。

櫛田を処理し終えた今、綾小路清隆はようやく、

余計な脅威を背後から切り離した状態で、正面の敵へ目を向けることができる。

龍園翔。

次に盤面を大きく動かすのは、あいつとの衝突になる。

そして、その決着はもう、遠くないところまで来ていた。




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