今日も正常営業。ただし“そういうとこ”を添えてー 作:火力万能主義
いつも聞いていたアーティストバンドの曲が映画に使われたことを機にネットフリックスで見たら脳を焼かれた民1です。
勢いのまま、しかし今度こそは完走を目指して今日もカフェインとプロテインをまぜまぜ~
一話 仮面のままで、火を熾す
一話 仮面のままで、火を熾す
人に見られる、というのは、それだけでひどく疲れるものだ。
べつに、誰もが敵だと思っているわけではない。
廊下ですれ違う同級生も、提出物の不備を穏やかに指摘する教師も、昼休みにたわいない話を振ってくる級友も、大抵は善意の顔をしている。むしろ、それが普通なのだろう。
だからこそ厄介だった。
悪意なら線が引ける。
嫌えばいい。避ければいい。必要なら拒めばいい。
だが、心配という名の干渉も、期待という名の重石も、正しさを纏って差し出される言葉も、最初から「拒んではならないもの」の顔をしている。
そういうものに囲まれて育った人間は、きっと最初に感情よりも型を覚える。
どう返せば角が立たないか。
どこまで笑えば、それ以上踏み込まれないか。
どの距離に立てば誠実に見えて、なおかつ安全か。
橘雅治は、それをほとんど呼吸みたいにできる人間だった。
「橘、この書類を職員室まで頼めるか」
昼休みの終わり際、教壇の前で書類を揃えていた教師がそう言った。
教室のあちこちでは弁当箱の蓋が閉じられ、購買のパンの袋が丸められ、午後の授業へ向けてざわめきが少しずつ薄まっていく。
「ええ。今、持っていきます」
椅子を引く音まで小さくして立ち上がる。
わざとらしく見えない程度に、きちんとする。そういう塩梅も、もう身についていた。
「助かる。相変わらず気が利くな」
「そう見えるなら何よりです」
教師は軽く笑って、書類を渡した。
その“何の疑いもない顔”に、雅治はいつも少しだけ目を細めたくなる。
廊下へ出ると、教室の熱が一枚剥がれ落ちたように遠ざかった。
白い壁、磨かれた床、空調の風にわずかに揺れる掲示物。
校舎というのは妙なもので、人間が詰め込まれている場所のくせに、ふとした瞬間だけ静かな箱へ戻る。
「橘ー」
背中に軽い声が飛んできて、雅治は足を止めた。
振り返れば、教室の後ろ扉から男子のクラスメイトが二人、ついでのような顔で出てきた。片方は片手にシャーペンを持ったまま、もう片方はまだパンの袋を丸めている。
「今、職員室?」
「そうだが」
「ついでにさ、提出箱の横に置いてる数学の小テスト、戻りに持ってきてくれない? 先生が後で配れって」
「構わない」
「助かるわー。やっぱ橘ってそういうの頼みやすいよな」
「断らなさそうだしな」
「便利ってことか」
そう返すと、二人は一瞬だけ面食らったあと、すぐに笑った。
「いや、まあ、そうとも言う」
「ひでぇな」
「でも実際、橘って怒んないじゃん」
「表に出していないだけだろう」
「うわ、それ地味に怖いこと言うな」
パンの袋を丸めていた方が肩をすくめる。
大した意味のない軽口。
こういう会話は楽だった。誰も本気でこちらを覗こうとしていないし、こちらも深いものを渡さなくて済む。
「次の英語の単語テスト、橘また余裕なんだろ」
「余裕というほどでもない」
「それ毎回言うよな。で、結局高い」
「そういう印象が残っているなら、たぶんそうなんだろう」
「ほらそうやって、絶対ちゃんとした答えくれない」
「ちゃんとした答えはしたつもりだが」
「そういう意味じゃねぇんだよなぁ」
もう片方が笑いながら首を振る。
「なんか橘って、普通に喋ってんのに、全然ボロ出さないよな」
「ボロを出す前提で話しているわけでもないからな」
「またそういうさぁ」
「お前、たまには『いやー全然勉強してないわ』みたいな高校生っぽいこと言えないの?」
「言ってほしいのか」
「一回くらいは」
「では言っておこう。全然勉強していない」
「絶対嘘だろ!」
「だろうな」
今度は二人とも声を上げて笑った。
笑わせるつもりがあったわけではない。けれど、こうやって少しだけ拍子を外しておけば、相手は“話しやすい奴”だと錯覚する。
その錯覚の中にいる限り、こちらの奥までは入ってこない。
「戻ったらテスト持ってきてくれよ」
「ああ」
「あと次の体育、バスケだってさ。橘、背ぇあるし普通に強そう」
「背があるだけで上手く見られるのは便利だな」
「またそんなこと言う」
「事実じゃないか」
「いやでも橘、球技もそこそこできるだろ」
「そこそこ、だな」
「そこそこって言うやつに限って信用できねぇんだよ」
そう言いながら二人は教室へ戻っていく。
扉の向こうへ消える直前、片方が思い出したように振り向いた。
「そういや橘って放課後なにしてんの? 部活も入ってないし」
雅治は一拍だけ間を置いた。
「叔父の手伝いと、あとは勉強だ」
「うわ、ちゃんとしてる」
「えら」
「感心した顔をされるほどのことでもない」
「いや、十分えらいって」
「そうかい」
穏やかにそう返す。
それで会話は終わった。
終わってしまえば、驚くほど何も残らない。
名前も残らないような、どこにでもあるやり取り。
たぶんあの二人は、明日も明後日も同じように話しかけてくるだろう。こちらも同じように返すだろう。
それで関係は成立する。
成立してしまう。
けれど、その積み重ねの先に、雅治の好きなものや、嫌いなものや、胸の奥で燻っているものが知られる日はたぶん来ない。
窓に映る自分は、いつも通りだった。
度の入っていない細いメタルフレームの眼鏡。整えた制服。高すぎる身長が威圧にならないよう、肩と視線の力を少し抜いた立ち姿。
見て問題のない橘雅治。
表面だけなら、十分に穏やかで誠実な「僕」。
それでいい。
それで、いいはずだった。
なのに、胸の底にはいつも別のものが沈んでいる。
誰にも渡したくないくせに、誰にも見つけられないまま終わるのは耐え難いと、子どもみたいに喚いているものが。
努力しても当たり前。
結果を出しても想定の範囲内。
何かを創っても、誰かの予想した枠に収められる。
だったら、最初から誰にも予測できないものを作ればいい。
そう思ってしまう時点で、たぶん、もう碌でもない。
☆
夜。
叔父の家で夕食を済ませ、脚のトレーニングと半ば強制のスパーリングまで終え、風呂を浴び、自室へ戻る。
元は物置だった広い部屋は、今では机と端末、部品箱と資料、最低限の生活用品が整然と並ぶ、どこか工房めいた空間へ変わっていた。
扉を閉める。
息を吐く。
ここから先は、誰にも見せない時間だ。
端末を起動し、視覚同期を接続し、ログインする。
意識が沈む。
世界が切り替わる。
和風の街並みを模したツクヨミの夜。
狐耳、狼尾、鴉羽根。主流のアバターたちは動物の意匠を纏い、華やかに、分かりやすく“何者か”を名乗っている。
その中に、一人だけ異物が立っていた。
現実の高身長をそのまま反映した、190センチ台の細長い人型。
白いシャツに黒ズボン、革靴。その上に掛けられた作業用前掛け。
顔の下半分を覆うのは、口元を完全に隠すガスマスク型のマスク。露出している目元だけでは表情を読み切れず、かえって視線を引き寄せる。
そして左腕には、金属塊をそのまま括り付けたような重い籠手。作業用にも武装にも見える、分類のつかない異形。
戦士でもない。妖でもない。獣でもない。
工房からそのまま仮想戦場へ歩いてきたような、奇妙に静かな異物。
ライバー名義――シらぬイ。
いつものように左腕でコンソルをいじり、いつもの工房へと足を運ぶ、
画面に映るのは、余計な装飾のない工房だった。
和風の街並みや紙灯籠めいた明かりが主流のツクヨミにおいて、その空間だけは妙に実務的で、温度と重量がある。
壁際には各種の治具、大小さまざまな金床、砥石、万力、火床。整然と並んでいるのに、使い込まれた痕跡だけは消しようもなく残っていて、棚の端、作業台の角、床の擦れた色の違いが、この場所が飾りではなく“本当に何かを作るための場所”であることを示していた。
予約していた配信枠を開く。
無声。
彼は無言だ。
始まりの合図も、挨拶の声もない。
代わりに右手が静かに上がり、二本の指で短いサインを作る。
直後、視界の左上に漫画的な小型プラカードが浮かび上がった。
『本日の試作品』
一拍置いて、もう一枚。
『焼き加減重視』
コメント欄が一瞬でざわつく。
『待って、鍛造枠だよな?』
『焼き加減って何?』
『嫌な予感しかしない』
『でもシらぬイだからな……』
『出たよ、そういうとこ』
シらぬイはコメントに反応するでもなく、火床の前へ立つ。
長方形の鋼材を一本、火箸で掴み、赤々と口を開けた炉の中へ差し込む。火床がぐっと空気を吸い込み、内部の炎が一段、深い燈色に脈打った。
――ゴウッ。
火が鋼を舐める。
色が変わっていく。
鈍い灰色だった金属の肌が、熱を食って赤に染まり、赤を越えて燈色へ寄り、中心部から白に近い輝きを帯び始める。
その光景だけなら、まっとうな鍛造配信だった。
コメント欄も、その間だけは少し静かになる。
『いや、ここまではガチなんだよなこいつ』
『手つきがちゃんと本職寄りで怖い』
『無駄に工程が本物』
鋼が十分に色づいたところで、シらぬイは火箸を引く。
金床の上へ置かれた瞬間、赤熱した金属が工房の薄暗さを押し返して、作業台の輪郭を鮮明に照らし出した。
右手が槌を取る。
そして。
――カッツン。
――カッツン。
――カッツン。
最初の数打ちは、拍子を確かめるように静かだった。
軽く置いて、芯を探る。鋼のどこに力を逃がし、どこを伸ばし、どこを潰すか。まるで音で会話でもしているみたいに、槌と金属のあいだに一定の間が刻まれていく。
――カッツン、カッツン、カッツン。
やがて速度が上がる。
火花が散る。
鋼の角が潰れ、面が広がり、厚みが分配され、見る間に輪郭が変わっていく。熱で柔らかくなった金属が、ただ叩かれているのではなく、意図に従って押し広げられ、曲げられ、伸ばされているのが分かる。
シらぬイの動きには無駄がない。
右腕で槌を振り下ろし、左の籠手で微妙に素材を押さえ、角度を変え、火箸で位置を直し、また打つ。
その一連が流れるように繋がっていて、無言であることが逆に異様な説得力を持っていた。
鍛造音だけが響く。
――カッツン。
――カッツン。
――カン。
――キィン。
単調ではない。
平面を出す時の低い音。
縁を立てる時の硬い音。
芯へ当てた時に返る、短く澄んだ反響。
視聴者のほとんどは理屈で理解できていないだろうに、それでも“今、何かがちゃんと作られている”ことだけは分かる。そういう音だ。
コメントがぽつぽつと流れる。
『ちょっと待って、見入る』
『無言なのに配信として成立してるのなんなんだ』
『この時点でまだまともに見えるのが怖い』
『毎回そう言ってる』
鋼は一度、再び火床へ戻される。
十分に赤を取り戻したところで引き出され、また金床へ。
今度は、形がはっきり見え始めた。
長く引き延ばされた部分。
厚みを残した中心。
左右へ張り出していく幅。
そして片側にだけ妙に丸みを帯びた膨らみ。
ここで、初見らしき視聴者が食いつく。
『刀?』
『いや、包丁?』
『肉切り包丁っぽくない?』
『なんか……でかい骨つき肉みたいな輪郭じゃない?』
『おいまさか』
シらぬイの肩が、ごくわずかに揺れた。
笑ったのかどうかは分からない。マスクのせいで、表情の確証は一切取れない。
ただ、ここで彼が一枚のプラカードを出した。
『気のせいです』
コメント欄が即座に沸く。
『嘘つけ』
『出た』
『もうダメだ』
『その“気のせい”で済んだ試しがない』
『そういうとこ!!!!』
無言のまま、シらぬイは鋼を横倒しにし、面を広く打ち出していく。
赤熱した表面が槌のたびに薄く波打ち、肉の繊維めいた起伏が刻まれていく。
片側の大きな塊は、明らかに“骨”の付け根めいた丸みを帯び始めていた。
もう誤魔化しようがない。
それでも工程は本格的だ。
ふざけて形だけ似せているのではない。重心を調整し、柄との接続部分を残し、叩いた面には後から研磨で立てることを前提にした微細な余白まで取っている。
視聴者はもう、笑いながら困惑していた。
『なんで本気なんだよ』
『ネタにするならもっと雑でいいだろ』
『いや完成度だけ高いのが一番困る』
『どこへ向かってるんだこれ』
やがて鍛造の最終段階へ入る。
シらぬイは鋼を持ち上げ、今度はゆっくりと水槽へ沈めた。
じゅわあああ、と熱が弾ける。
白い湯気が一気に立ちのぼり、画面の半分を曇らせる。
水面が沸騰したみたいに泡を立て、火床の赤と蒸気の白が工房の空気を二色に分けた。
普通の演出なら、ここで勢いよく放り込んで派手さを出すのだろう。
だがシらぬイは違う。
深く、静かに、均等に。熱が急に逃げすぎないよう、金属全体が同じ速度で落ち着くよう、極端な温度差による歪みを嫌う職人みたいな慎重さで沈めていく。
それがまた、腹立たしいほど真面目だった。
『無駄に丁寧で草』
『そこは職人なんだよなこいつ』
『いやでもこの真面目さの先に待ってるの絶対ロクでもないぞ』
十分に冷えたところで、シらぬイは火箸を持ち替える。
水槽の中に沈んでいた赤が、もう完全に失われている。
あの炎色に燃えていた鋼材は、暗く重く冷えた輪郭だけを残して、静かに底に横たわっていた。
火箸が沈む。
掴む。
持ち上げる。
水面を割って現れたそれを見て、コメント欄が一瞬だけ停止した。
刀の姿はどこにもない。
水槽の中から現れたのは――
巨大なTボーンステーキの形をした大槌だった。
骨を思わせる中央の白銀の芯。
その左右へ広がる赤身めいた鈍い鉄色。
縁にはこんがり焼き目のような焦げた褐色が残り、厚みのある部分には肉汁を思わせる艶まである。
どう見ても、丁寧な火加減で上手に焼き上がった巨大肉塊だ。
ただし材質は、どうしようもなく鋼である。
コメント欄が爆発した。
『??????????』
『なぁにこれぇ』
『いや何をどうしたらそうなるんだよ』
『待ってくれ情報量が多い』
『鉄粉ミネラルたっぷりの霜降り牛(笑)』
『じょうずにやけましたー』
『これぞ錬金術よ』
『鉄+石炭=タンパク質が成立する謎の公式www』
『お前ほんとそういうとこだぞ!!!!』
シらぬイは何も言わない。
ただ、完成した一振りを目の高さまで持ち上げ、左右へわずかに傾けて見せる。表面の焼け色、縁の焦げ、骨部分の白銀、重心の位置。視聴者へ見せる順序すら、妙に丁寧だ。
それから彼は小さく頷いた。
よし、上出来だ。
そう言ったようにしか見えなかった。
次に彼が向かったのは、独りで回り続ける砥石の前だった。
腰を下ろす。
大槌の“肉”の部分を、そっと砥石へ当てる。
――ギャリッ。
瞬間、火花が散る。
高速回転する砥石が表面を削っていくにつれ、赤身めいた鉄色はより滑らかに、より濃く、より“美味しそう”に深まっていく。
縁には焼き目が立ち、中央の“骨”部分との色の差が際立ち、もはや鉄塊であることより先に「腹が減る」という感想が出そうな見た目になっていた。
『なんで仕上げで焼き色が増すんだよ』
『見るほど腹立つ』
『いや完成度は高いんだよな……』
『武器なのに飯テロするな』
シらぬイはそこで、右手を離し、指で短いサインを切る。
直後、空中に新しいプラカードが浮かんだ。
『本日の結論』
一拍置いて、もう一枚。
『見た目で判断するのは危険だ』
コメントがまた流れた。
『お前が言うな』
『元凶が何言ってんだ』
『でも真理ではある』
『そういうとこなんだよなぁ』
シらぬイはまだ終わらない。
巨大ステーキ大槌を肩へ担ぐと、もう一枚、今度は少し小さなプラカードを出す。
『なお、食用ではない』
コメント欄が完全に崩壊した。
『今さら遅い』
『当たり前だろ!!』
『その注意書きが必要な見た目にしたのお前だろ』
『責任持って焼肉代払え』
『だから好きなんだよそういうとこが』
画面の向こうで、現実の橘雅治は声もなく目を細める。
昼間の「僕」なら、こんなものは絶対に出さない。
くだらない。幼い。品がない。そうやって削って、整えて、見せても安全な形だけを残すだろう。
けれど、視聴者たちが困惑し、呆れ、笑いながら、それでも目を離せずにいるこの瞬間だけは、少しだけ呼吸が楽になる。
褒め言葉なんて別に要らない。
理解されなくても構わない。
ただ、自分が置いた“予測不可”が、ちゃんと誰かの視界に引っかかったことだけが分かれば、それでいい。
いや。
それでいい、なんて、たぶん嘘だ。
それが欲しかった。
誰にも渡したくないくせに。
でも、見落とされるのは耐えられない。
シらぬイは、完成した一振りをもう一度だけ軽く掲げた。
無言。
けれど、コメント欄も視聴者も、そこに言葉がいらないことをもう知っている。
またやった。
また裏切られた。
また笑わされた。
そして結局、また見てしまった。
――そういうとこ。
その一言が、今日も画面の向こうで静かに積み上がっていく。
さて、次はなにを創ってみようか。
よろしくお願いします!
昼パートと夜パートの前後分けにしてほしい?
-
雰囲気の違いがあれだ。一度分けるべし。
-
シリアスとギャグの部分だけ分けてほしい。
-
文字数が多すぎるから何回か分けるべし。
-
このまま作者の好きにしてもかまわない