今日も正常営業。ただし“そういうとこ”を添えてー   作:火力万能主義

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 明日のフライトまでになんとか間に合ったぁぁぁぁああああ!!!!
 そして総UAが2万6千突破ァ!連載開始からまだ一月も断ってないのに、しかも赤ゲージがほぼ満タンやと?!お気に入りが640ゥゥゥ!!!
 
 超エキサイティング!ハイパー無敵やでででででで!!!!

 書けば書くほど、己の中に封じ込められた狂気と向き合っている作者です。
 本当にありがとうございます。OTZ
 
 おかげで、原作の中部に当たるところまで止まらずに走って来れました。
 ほかの方々の作品を参考したり、ネット上での考察などを見比べて、公式のガイドブックと小説版とにらめっこしながら書いてきましたが、その甲斐があったんだとぜひ感じさせてくださいました。
 時にはこれパックリにならないのか、どこまでがオマージュになるのか、ハーメルンの原作描写の三割だったかをそのままコピペしらたアカンというのも、どこまでを含めばいいのか迷いながら書きました。
 原作とはだいぶ所作や言動、台詞が違うのはそのためですね。

 でも、それでもいいと、読んでくださって、評価してくださったおかげで、今の僕がいます。
 なので、お返しに、これからも僕の狂気とお笑いと感動の物語へ誘っちゃいまーす( ´∀` ) お断りはお断りしますのでどうか最後までご一緒ください!


 では第十三話ですどうぞ!!!!



 ヾ(°∀°)ゝヒャッハー!!


第十三話 ツクヨミの夜は騒がしい

第十三話 ツクヨミの夜は騒がしい

 

 

 

 月明かりの下、きつね耳の私と、金髪ギャルうさ耳かぐや姫と、機械犬DOGEが走り出す。

 

 仮想空間ツクヨミの夜は、こうしてまたひとつ、騒がしく幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

「見て見て、彩葉! あれなに!? 魚? 船? 魚っぽい船? いや船っぽい魚!?」

 

「ここでは、いろ」

 

「あ、そうだった。見て見て、いろ! あれなに!?」

 

「空中遊覧用の船。たぶんね」

 

「たぶん! じゃあ乗れる?」

 

「今は乗らない」

 

「なんで!?」

 

「ミニライブが先だから」

 

「じゃあライブ終わったら乗ろ!」

 

「予定を勝手に増やさないの」

 

 かぐやは、もう完全にツクヨミの町に夢中だった。

 

 右を見ては目を輝かせ、左を見ては犬DOGEを抱え直し、足元の石畳に映る灯りにまで「映えてる!」と声を上げる。

 

 いや、分からなくはない。

 

 ツクヨミは、初めて来た人間の心を掴むのが本当にうまい。

 

 月明かりに照らされた和風の街並み。

 瓦屋根の上をゆっくり泳ぐ金魚みたいな光。

 川沿いに並ぶ屋台。

 朱い橋の下を滑っていく小舟。

 夜なのに暗くなくて、むしろ夜だからこそすべての灯りが主役になれる世界。

 

 歩いているだけで、どこかへ連れていかれる気がする。

 

 現実では、お金や時間や体力がなければできないことも、ここでは少しだけ近くなる。

 

 見るだけなら、いくらでも見られる。

 歩くだけなら、どこまででも行ける。

 現実の私は財布の残高に震えながら生きているけれど、ここでは、ほんの少しだけそういう重さを忘れられる。

 

 だから私は、ここが好きだ。

 

「彩葉! あれ、足湯じゃない!?」

 

「ここでは、いろ」

 

「足湯じゃない!?」

 

「聞き流したわね」

 

「だって足湯だよ!? 行こ! ちょっとだけ! ミニライブまで時間ある?」

 

「……少しなら」

 

「やった!」

 

「ただし、走らない」

 

「早歩き!」

 

「それも危ないって」

 

 かぐやは口では返事をしながら、ほぼ小走りで足湯の方へ向かっていく。

 

 私は慌ててその後を追った。

 

 犬DOGEも、ぴこぴこと電子音みたいな鳴き声を出しながら、足元を走っている。

 

 足湯は、川沿いの少し開けた場所にあった。

 

 木造りの縁台。

 水面に浮かぶ小さな灯籠。

 足元だけを温める、淡い光を帯びた湯。

 目の前には、夜の川と、そこを渡る朱い橋。

 

 いかにもツクヨミらしい、現実と夢のあいだみたいな休憩場所だった。

 

「わ、あったかそう!」

 

 かぐやはさっそく足を浸し、目を丸くした。

 

 正確には、足を浸したように見える、というべきか。

 

 ツクヨミは現実の身体を丸ごと仮想空間へ持ってくる場所ではない。

 スマコンを通して視覚と聴覚を中心に情報を重ね、そこに簡易的な姿勢補正や空間認識を加えることで、まるで自分がその場にいるように感じさせる仮想空間だ。

 

 だから、足湯に足を入れたからといって、現実の足が本当に温まるわけではない。

 

 湯気のように立ちのぼる淡い光。

 水面に浮かぶ灯籠の反射。

 足先を包むように揺れるオレンジ色のエフェクト。

 ちゃぷ、と鳴る水音。

 

 そういうものが合わさって、脳が勝手に「これは温かいものだ」と思い込む。

 

 温度の錯覚。

 

 雰囲気の暴力。

 

 つまり、ツクヨミの演出勝ちである。

 

「え、これ、あったかい気がする! ほんとはあったかくないのに、あったかい気がする! なにこれ、すごっ!」

 

「感覚としては分かるけど、本当に温度があるわけじゃないからね。触覚はまだ未実装だし、痛覚もない」

 

「痛くないの?」

 

「基本的にはね。転んでも、ぶつかっても、痛みとしては返ってこない。危ないし」

 

「あっ、だからさっき顔面からいっても痛くなかったんだ!」

 

「そういうこと」

 

「じゃあ、かぐやさっき実質ノーダメじゃん」

 

「見た目のダメージはあったけどね」

 

「そこはあるんだ……」

 

 かぐやは少しだけ口を尖らせた。

 

 けれど、すぐに足湯の水面へ視線を戻す。

 

 感覚器官としての触覚がないと言われても、目の前にはきらきらした足湯がある。

 水面には星と灯籠の光が浮かび、足を入れるたびに波紋が広がり、湯気のような淡い光がふわりと立ち上がる。

 

 現実ではない。

 

 でも、嘘とも言い切れない。

 

 誰かが「足湯ってこういうものだよね」と思って作った景色。

 誰かが「ここで休んでほしい」と願って置いた場所。

 そういう気持ちが、形になっている。

 

 それがツクヨミだった。

 

「へぇー。すご。ツクヨミ、気が利く!」

 

「そこはヤチヨを褒めなさい」

 

「ヤチヨ、気が利く!」

 

「よし」

 

 私は隣に腰を下ろし、足湯へ足を入れる。

 

 足の裏に温度はない。

 

 でも、足元に広がる光の揺れと、水音と、湯気みたいなエフェクトを見ていると、身体のどこかが勝手にゆるむ。

 

 温まっているわけではない。

 

 それなのに、少しだけ休めた気がする。

 

 そういう、現実と仮想の隙間にある気持ちよさが、私は嫌いではなかった。

 

 かぐやは目の前に表示されたメニューを見て、すぐに指を伸ばした。

 

「これ! このパフェ、めっちゃかわいい!」

 

「食事は  

 

「定額制! 分かってる! でもこれ、初ログインボーナスのふじゅ~でいけるって出てる!」

 

「……あ、それって」

 

 その瞬間、空から白いモフモフが降ってきた。

 

「初ログインおめでとう!」

 

「うわっ、FUSHI!」

 

 かぐやが声を上げる。

 

 FUSHIはふわふわと浮きながら、どこか自慢げに胸を張った。

 

「ツクヨミでは、みんなが表現者。歌っても、踊っても、作っても、戦っても、遊んでも、誰かの心を動かしたら運営から『ふじゅ~』がもらえるんだ」

 

「ふじゅ~?」

 

「ツクヨミ内で使える仮想通貨だね。ライバーを応援する投げ銭にも使えるし、クリエイターが作った服やアクセサリーを買うこともできる。現実のふじゅ~ペイと連携して使える場面もあるよ」

 

「便利!」

 

「まずは初ログインボーナスをプレゼント!」

 

 ぽん、と音が鳴る。

 

 かぐやの目の前に、古銭みたいなアイコンがくるくる回る獲得表示が出た。

 

「やった! かぐや、初給料!」

 

「給料じゃないでしょ」

 

「でも増えた!」

 

「すぐ使い切らない」

 

「パフェは?」

 

「……初ログイン記念なら、一個だけ」

 

「やったぁ!」

 

 この甘さがよくない。

 

 分かっている。

 

 分かっているけれど、かぐやが嬉しそうに笑うと、つい許してしまう。

 

 私は本当にこの子に甘い。

 

 そして数分後。

 

 私たちは足湯につかりながら、見た目だけは完璧においしそうなパフェを手にしていた。

 

 私の左手には、フルーツとクリームがきらきら盛られたパフェ。

 かぐやの手にも、同じようにツクヨミ映え抜群のパフェ。

 犬DOGEは足元で、湯につからないギリギリのところをぴょこぴょこ走り回っている。

 

 かぐやはスプーンでパフェをすくい、期待に満ちた顔で口へ運んだ。

 

 そして。

 

「んっ……」

 

 数秒。

 

「味しな~い」

 

「まぁ、だよね~」

 

 私は自分のパフェを見ながら言った。

 

「味とか匂いは、まだ再現されてないからね。見た目と音とかくらいでしか」

 

「えぇー! こんなにかわいいのに! 絶対おいしい顔してるのに!」

 

「顔って」

 

「このパフェ、見た目は完全に優勝してるのに、中身が空っぽなんだけど!」

 

「ほんと言い方ぁ」

 

 とはいえ、分からなくもない。

 

 見た目は完璧だ。

 フルーツは宝石みたいに光っているし、クリームは雪みたいに白いし、ソースは夕焼けみたいに艶めいている。

 

 でも、味はない。

 

 それでも私は、このパフェを眺めながら足湯につかる時間が嫌いではなかった。

 

「私みたいな貧乏人でも、ここでならいくらでも遊べるんだよね」

 

 ぽつりと、言葉がこぼれた。

 

 ツクヨミなら、足湯もパフェも、灯籠の夜景も、現実よりずっと近い。

 現実では我慢するものを、ここでは少しだけ気軽に眺められる。

 

 もちろん、全部が本物ではない。

 

 味はしない。

 匂いもしない。

 現実の財布事情が消えるわけでもない。

 

 それでも、ここでだけは、少しだけ息ができる。

 

「……彩葉」

 

「だから、ここではいろって」

 

「彩葉って、ここに来るとちょっと顔やわらかいね」

 

「もう訂正する気ないでしょ」

 

「だって、彩葉は彩葉じゃん」

 

「……はいはい」

 

 私は諦めた。

 

 完全に諦めたわけではない。

 一応、言葉では注意する。

 

 でも、かぐやの中では、現実でもツクヨミでも私は彩葉らしい。

 

 それを毎回直すのも、正直しんどい。

 

「で? 顔がやわらかいって?」

 

「うん。現実の部屋にいる時より、ちょっとハッピーそう」

 

「……そうかもね」

 

 私は少しだけ笑った。

 

 かぐやは、ふむふむと大げさに頷く。

 

「いいね、ツクヨミ。ここ、ハッピーが落ちてる」

 

「落ちてるっていうか、みんなが置いていってるんじゃない?」

 

「お、そっちの方がいいね。誰かのハッピーがいっぱいある場所、かぁ~」

 

 かぐやはパフェを見つめる。

 

 味はしないのに、まだ楽しそうにスプーンを動かしていた。

 

「ねぇ、彩葉」

 

「今度はなに?」

 

「ここに、雅治もいたらよかったのにね」

 

「……」

 

 私は一瞬、スプーンを止めた。

 

「あと、マミとロカも。みんなで足湯して、みんなで味しないパフェ食べて、ヤチヨ見て、犬DOGEも走らせてさ。絶対楽しいじゃん」

 

「……真実は、味しないパフェに文句言いそうだけど」

 

「でも見た目でめっちゃ盛り上がると思う!」

 

「ふふっ確かに」

 

「ロカは、たぶんにこにこしてくれる」

 

「うん。すると思う」

 

「雅治は?」

 

「……橘君は」

 

 想像する。

 

 ツクヨミの足湯に、橘君。

 

 現実のあの長い足で、普通に座ったらたぶん場所を取る。

 ツクヨミでも妙に姿勢よく座って、味のしないパフェを見て、きっと真顔で、

 

『味じゃなくて、見た目と体験を売ってるんだろ。……食うというより、休憩の演出だな』

 

 とか言う。

 

 いや、言いそう。

 

 すごく言いそう。

 

「たぶん、変な分析する」

 

「雅治っぽい!」

 

「あなたの中の橘君像、ちょっと育ってきてない?」

 

「育ってるよ!だって雅治、なんか無口っぽいけど、ちゃんと見てるし、ちょっと変だよね!」

 

「それ、本人に言わないであげて」

 

「でも好きだよ?」

 

「……そういうのも今、さらっと言うんだ」

 

「うん。だって好きだもん。彩葉も、雅治も、マミもロカも、ヤチヨも、犬DOGEも。かぐや、好きが増えてる。めっちゃいい感じ」

 

 かぐやは、当然みたいにそう言った。

 

 まっすぐに。

 

 照れも、誤魔化しもなく。

 

 私は、少しだけ返事に困った。

 

 好きが増えてる。

 

 そんなふうに言えるのが、かぐやらしかった。

 

 簡単で、軽くて、でもたぶん本気だ。

 

 この子は、昨日まで知らなかったものを、今日にはもう好きになれる。

 

 怖いくらい前向きで、危ないくらい素直で、だから目を離せない。

 

「……まあ、いつかね」

 

「いつか?」

 

「真実と芦花も、ちゃんと説明できるようになったら。橘君は……まあ、来ようと思えば来るんじゃない」

 

「じゃあ今度誘おう!」

 

「だから勝手に誘わない」

 

「彩葉が誘えばいいじゃん」

 

「私が?」

 

「うん。彩葉が言えばいいじゃん。ツクヨミで足湯しよって」

 

「……」

 

 それは、なんだか妙に難しい言葉に聞こえた。

 

 足湯しよう。

 

 ただそれだけ。

 

 なのに、橘君にそれを言う自分を想像すると、少しだけ落ち着かない。

 

 学校でなら、たぶん言えない。

 でもこの数日の橘君になら、言える気もする。

 

 あのぶっきらぼうな「俺」の橘君なら、たぶん「暇ならな」とか言って、結局来るかもしれない。

 

 そう思った瞬間、私は自分の考えに少しだけ驚いた。

 

 来るかもしれない、と思った。

 

 それが当たり前みたいに。

 

「……考えとく」

 

「やった。じゃあハッピー予定ひとつ追加!」

 

「勝手に決定事項にしない」

 

「えー。でも楽しい予定は多い方がいいじゃん」

 

「それは、まあ」

 

「でしょ!」

 

 かぐやは得意げに笑った。

 

 まったく。

 

 こういうところだけは、本当に強い。

 

 私はパフェのスプーンを置いて、時間を確認した。

 

 そろそろ会場へ向かわないといけない。

 

「休憩終わり。そろそろ行くよ」

 

「あ、ミニライブ?」

 

「そう。ヤチヨのミニライブ」

 

 その言葉を口にした瞬間、私の中でスイッチが入った。

 

「今日のミニライブはね、ただのミニライブじゃないの。いや、ヤチヨのライブに“ただの”なんてものは存在しないんだけど、それでも今日は握手券付きなの。握手券。分かる? ライブ後にヤチヨと握手できるの。もちろんツクヨミだから物理的な接触とは厳密には違うし、再現される触覚も限定的ではあるんだけど、そんなことはどうでもいいの。ヤチヨが私のために時間を割いて、目の前で、手を取ってくれるという事実が重要なの。しかも今回のミニライブは沿岸部ステージ。水面反射の演出が一番綺麗に出る場所で、過去の配信でも星降る海系のセットと相性が良すぎるって何度も言われてて、もし今日の曲がそっち系だったら本当にやばい。いや、何が来てもやばいんだけど、でも最近のヤチヨは夜空モチーフの演出に少し寄ってるし、前回の歌枠の選曲から考えると    

 

「待って待って待って」

 

 かぐやが両手を上げた。

 

「彩葉、急に早い! めっちゃ早い!」

 

「え?」

 

「今、かぐや、途中から日本語なのに分かんなかった!」

 

「失礼ね」

 

「いや、すごい。すごいけど、ちょっとこわい!」

 

「...べつに、こわくないし」

 

「こわいよ! 彩葉、ヤチヨの話すると目がガチになってるもん!」

 

「当たり前でしょ」

 

「当たり前なんだ……」

 

 かぐやが少し引いている。

 

 はっきり引いている。

 

 さっきまで何を見ても前のめりだった月姫が、私のヤチヨ語りに対してだけ半歩引いた。

 

 解せぬ。

 

「ヤチヨはね、ただかわいいだけじゃないの」

 

「うん」

 

「歌がいい。声がいい。表情がいい。あと、見る人を置いていかないのに、ちゃんと遠くへ連れていってくれるの。ライブの時のヤチヨは、画面の向こうにいるのに、こっちの手を取ってくれてる感じがする。大丈夫、行こうって。夜でも怖くないよって。そう言ってくれてるみたいで  

 

「彩葉」

 

「何」

 

「それ、かぐやでも分かるように一言で言うと?」

 

 私は少しだけ考えた。

 

「神」

 

「一言が重いよぉ」

 

「正確には神の神」

 

「重いし増えた!」

 

「ヤチヨは管理人であり、トップライバーであり、夜を始める存在であり、つまり実質  

 

「また始まった! 彩葉、ストップ! ストップしよ!」

 

 かぐやが本気で止めに入ってきた。

 

 犬DOGEまで、私の足元でぴこぴこと鳴いている。

 

 まるで警告音だ。

 

 失礼な犬である。

 

「……そんなに?」

 

「うん。彩葉、ヤチヨのことになると、めっちゃすごい。好きがすごい。言葉がジェットコースター」

 

「褒めてる?」

 

「半分!」

 

「残り半分は?」

 

「ちょっと引いた!」

 

「正直すぎるでしょ」

 

 私は咳払いをした。

 

 少しだけ熱くなりすぎたかもしれない。

 

 いや、仕方ない。

 

 ヤチヨなのだから。

 

 それでも、かぐやがぽかんとしながら私を見ているのに気づいて、少しだけ肩の力が抜けた。

 

「まあ、見れば分かるよ」

 

「ヤチヨが?」

 

「うん。私がこんなふうになる理由」

 

 そう言うと、かぐやはぱっと笑った。

 

「じゃあ見る! かぐやも見て分かる! そんで、ヤチヨのこと好きになる!」

 

「もうなりかけてるでしょ」

 

「うん! でももっと好きになるかも!」

 

「……そう」

 

 それは、少し嬉しかった。

 

 自分の好きなものを、誰かが一緒に好きになってくれるかもしれない。

 

 その予感は、やっぱり嬉しい。

 

「じゃあ、行くよ」

 

「うん!」

 

「今度こそ、はぐれないでね」

 

「うん、はぐれない!」

 

「あと目立たない」

 

「目立たないように、かわいく行く!」

 

「...ふっ。かわいさは制限してないから」

 

「やった!」

 

「でも騒がない」

 

「むずっ」

 

「そこは頑張って」

 

 かぐやは犬DOGEを抱え直し、にっと笑った。

 

 その笑顔は、ツクヨミの灯りに負けないくらい明るかった。

 

 私たちは足湯を後にして、ヤチヨのミニライブ会場へ向かう。

 

 月明かりの町を抜けて。

 

 灯籠の道をたどって。

 

 私が好きな世界の、いちばん好きな場所へ。

 

 

   ▲

 

 

 足湯を離れると、町の空気が少し変わっていた。

 

 さっきまでのツクヨミは、ただ夜の街だった。

 

 灯籠が揺れて。

 屋台が並んで。

 水路に光が流れて。

 通りを行くアバターたちが、それぞれ自分の好きな姿で、自分の好きな場所へ歩いていく。

 

 それだけでも十分にきらきらしていた。

 

 けれど、いま私たちが向かっている方向には、そのきらきらが集まっている。

 

 人の流れが、ひとつの方向へまとまり始めていた。

 

 狐耳、鬼の角、猫のしっぽ、鴉の羽、和服、制服、ドレス、甲冑、スーツ、楽器、武器、ぬいぐるみ、よく分からない発光体。

 

 ばらばらの姿をしたアバターたちが、同じ方角へ向かって歩いている。

 

 その先にあるものを、みんな知っているからだ。

 

「彩葉、みんな同じとこ行ってる!」

 

「そうね」

 

「ヤチヨ?」

 

「そう」

 

「ヤチヨ、すごいね。町の人、みんな呼んでるみたい」

 

「実際、そういうものだから」

 

 私は少しだけ歩く速度を落とした。

 

 かぐやが横に並びやすいように。

 

 けれど、かぐやはすぐ横にいるというのに、全身で前へ前へと傾いている。

 放っておけば、この人波に混ざって一瞬で消えそうだ。

 

 危ない。

 

 本当に危ない。

 

「かぐや」

 

「なに?」

 

「手」

 

「手?」

 

「はぐれそうだから」

 

 そう言って手を出すと、かぐやは一瞬きょとんとして、それからぱっと笑った。

 

「いいの?」

 

「はぐれるよりはね」

 

「じゃあつなぐ!」

 

 かぐやが遠慮なく手を握ってくる。

 

 あたたかい。

 

 ツクヨミの中なのに。

 現実の手ではないはずなのに。

 

 でも、ちゃんとそこにある感覚だった。

 

 犬DOGEは私たちの足元をぴこぴこ走り、時々人の足にぶつかりそうになっては、かぐやが「こっちこっち」と呼び戻している。

 

 少しは学んでいるらしい。

 

 たぶん。

 

「あっ、あれ見て! ヤチヨのポスター!」

 

 かぐやが指さす先には、通りに浮かぶ半透明の大きな告知板があった。

 

 月見ヤチヨのミニライブ。

 

 今夜限定。

 沿岸部特設ステージ。

 開演まで残り十数分。

 

 その下には、ヤチヨの笑顔が大きく映し出されている。

 

 白い髪。

 弾けるような笑顔。

 手をこちらへ差し出すポーズ。

 

 何度も見た画像だ。

 何度も保存した。

 何度も拡大した。

 何度も拝んだ。

 

 なのに、見るたびに胸がぎゅっとなる。

 

「……尊い」

 

「彩葉?」

 

「尊い」

 

「え、また始まるの?」

 

「まだ始まってない」

 

「まだなんだ……」

 

 かぐやが少し身構えた。

 

 失礼な。

 

 これでもだいぶ抑えている。

 

 まだ開演前なのだ。

 本番が始まっていない今から限界を迎えるわけにはいかない。

 

 今日は握手券もある。

 

 そう。

 

 握手券。

 

 握手券である。

 

 私は念のため、視界の端にチケット情報を表示させる。

 

 そこに輝く文字。

 

『月見ヤチヨ ミニライブ 入場権』

『握手券付き』

 

 あった。

 

 ある。

 

 あるのだ。

 

 何度確認しても、心臓が跳ねる。

 

 これが夢じゃないことを確かめるために、私はたぶん今日だけで二十回くらいチケット画面を見ている。

 

「彩葉、顔がやばい」

 

「いやいや、そんなことは」

 

「にやけてる」

 

「にやけてないし」

 

「耳もぴこぴこしてる」

 

「これは、アバターの仕様」

 

「しっぽも」

 

「仕様」

 

「便利な仕様だね~」

 

「黙りなさい」

 

 かぐやはけらけら笑った。

 

 こっちは真剣なのに。

 

 でも、完全に否定できない。

 

 視界の端で自分の狐耳が小さく揺れているのが分かる。

 しっぽもたぶん動いている。

 

 ツクヨミのアバターは、現実より少しだけ感情が表に出やすい。

 

 だから嫌なのだ。

 

 だから好きなのだけれど。

 

 大通りを抜けると、潮の匂いがするような演出が入った。

 

 実際には匂いはまだ再現されていない。

 

 けれど、青白く揺れる水面。

 遠くで砕ける光の波。

 灯籠の並ぶ桟橋。

 その景色だけで、脳が勝手に海を感じてしまう。

 

 沿岸部特設ステージ。

 

 ツクヨミの中でも、ヤチヨのライブ演出が特に映える場所のひとつだ。

 

 水面を使った反射。

 空中投影。

 星空。

 鳥居。

 クラゲ型ライト。

 海の上を歩くようなステージルート。

 

 ヤチヨの楽曲の中でも、夜や海や星をモチーフにしたものと相性がいい。

 

 もし今日のセットリストがその系統だったら、私はたぶん泣く。

 

 いや、何でも泣く。

 

 私はヤチヨなので泣く。

 

「彩葉、また目がガチになってる」

 

「今は仕方ないでしょ」

 

「ヤチヨが近いから?」

 

「そう」

 

「じゃあ、かぐやもガチになる!」

 

「あなたはまず落ち着いて」

 

「落ち着いてガチになる!」

 

「それはもう落ち着いてない」

 

 会場が見えてきた。

 

 水面に浮かぶように作られた巨大なステージ。

 

 中央には朱い鳥居。

 その背後には、夜空いっぱいに広がる月と星のホログラム。

 周囲には、丸い灯籠がいくつも浮かび、観客席の周囲をゆっくりと流れている。

 

 観客席といっても、現実のように固定席があるわけではない。

 

 水面上に広がる足場。

 半透明の浮島。

 橋のように伸びた通路。

 それらが観客の数に合わせて少しずつ形を変え、無数のアバターたちを受け入れている。

 

 すでに人は多い。

 

 いや、多すぎる。

 

「うわ、人やばっ!」

 

 かぐやが目を輝かせる。

 

「みんなヤチヨ見に来たの!?」

 

「そう」

 

「ヤチヨ、町まるごと動かしてるじゃん!」

 

「そう」

 

「彩葉、ちょっと誇らしそう」

 

「そりゃそうでしょ」

 

 私は人混みの中、予約していた観覧エリアへ向かう。

 

 握手券付きのチケットには、優先入場エリアがついている。

 決して最前列ではない。

 最前列など、私程度の財力と運ではそう簡単には取れない。

 

 けれど、十分だ。

 

 十分すぎる。

 

 ここからなら、ステージの中央がよく見える。

 

 ヤチヨが鳥居の上に立てば、真正面に近い角度で見えるはずだ。

 水面反射もきれいに入る。

 空中演出も視界に収まる。

 左右の灯籠の流れも見える。

 

 つまり、神席である。

 

 いや、神席と呼ぶには恐れ多い。

 

 でも神。

 

 全部神。

 

「彩葉、口動いてるけど声出てないよ」

 

「祈ってる」

 

「ライブ前に?」

 

「ライブ前だから」

 

「ヤチヨって宗教?」

 

「違う」

 

「でも彩葉、信徒っぽい」

 

「違う」

 

「ほんと?」

 

「……推し活よ」

 

「それ、宗教とどこが違うの?」

 

「深い質問を今しないで」

 

 私はかぐやを自分の隣に立たせる。

 

「いい? ここからは本当に大事。まず、急に飛び出さない」

 

「うん」

 

「大声で変なことを言わない」

 

「うん」

 

「ヤチヨに向かって突撃しない」

 

「それもだめ?」

 

「当たり前でしょ」

 

「でも好きって言いたくなったら?」

 

「心の中で叫んで」

 

「彩葉は?」

 

「私は節度を持って応援する」

 

「さっきから節度なさそうだけど」

 

「うるさい」

 

「あと、ふじゅ~は?」

 

「勝手に投げない」

 

「彩葉が投げる時は?」

 

「私は計画的に投げる」

 

「計画的な投げ」

 

「そう」

 

「かっこいい」

 

「かっこよくはない」

 

 かぐやはふふっと笑う。

 

 その顔には、今日一日で何度も見た、前のめりな好奇心が浮かんでいる。

 

 危ない。

 

 でも、悪くない。

 

 この子がヤチヨを見る。

 

 私が好きなものを見る。

 

 その時、何を思うのか。

 

 それは少しだけ楽しみだった。

 

 会場の照明が、ゆっくりと落ち始める。

 

 ざわめきが一段階深くなる。

 

 観客たちのアバターが、一斉にステージへ意識を向ける。

 

 空に浮かぶ星が、ひとつ、またひとつと強く光り出す。

 

 水面の灯籠が、ゆっくり円を描くように動き始めた。

 

「あ、始まる?」

 

 かぐやが小声で聞いてくる。

 

 ちゃんと小声だった。

 

 えらい。

 

「始まる」

 

 私も小声で返した。

 

 心臓がうるさい。

 

 アバターに心臓があるわけではない。

 でも、うるさい。

 

 視界の端に、ライブ開始カウントダウンが表示される。

 

 十。

 

 九。

 

 八。

 

 会場の声が、その数字に合わせてひとつになっていく。

 

 七。

 

 六。

 

 五。

 

 かぐやが私の袖をそっと掴んだ。

 

 またか、と思った。

 

 けれど今度は、注意しなかった。

 

 かぐやの視線はステージに釘付けで、指先だけが少し緊張している。

 

 初めてのライブ。

 

 初めてのヤチヨ。

 

 初めての、この熱。

 

 無理もない。

 

 四。

 

 三。

 

 二。

 

 一。

 

 零。

 

 水面が、光を弾いた。

 

 巨大な鳥居の上に、月光が落ちる。

 

 夜が、開く。

 

 そして。

 

「おまたせ~!」

 

 白い歌姫が降りてきた。

 

「やおヨロー! 神々のみんな~。今日も最高だったー?」

 

 ついに現れたヤチヨが、たった一言で会場を熱狂させる。

 

 歓声が爆発した。

 

 水面が揺れる。

 灯籠の光が跳ねる。

 空に浮かんでいた魚群のホログラムが、歌姫の声に合わせるように一斉に向きを変えた。

 

 ヤチヨは鳥居の上でくるりと回り、肩のFUSHIも一緒になってふわふわと跳ねる。

 

「よーし、今宵もみんなを誘っちゃうよ☆ Let’s go on a trip~!」

 

 その声が合図になった。

 

 静かだった海が、星を孕む。

 

 足元の水面から淡い光が走り、青白い波紋が幾重にも広がっていく。

 遠くの夜空から、細い星の光が雨のように降り注ぎ、それが水面に触れるたびに、小さな灯りへと変わっていった。

 

 歌が始まる。

 

 ヤチヨの声は、最初、とても静かだった。

 

 深い海の底から、遠い星を見上げるような声。

 長い時間を越えて、ようやく誰かのもとへ届いたと確かめるような声。

 

 その歌声を響かせながら、ヤチヨは観客席を見た。

 

 無数のアバター。

 無数の光。

 無数の視線。

 

 その中に、彼女はいた。

 

 彩葉。

 

 狐耳のアバター。

 胸の前で両手を握りしめて、もう泣きそうな顔をしている。

 隣には、金色の髪を揺らすかぐやがいる。

 

 ちゃんと来てくれた。

 

 ちゃんと出会えた。

 

 その事実が、歌い出しの一瞬だけ、ヤチヨの胸を強く揺らした。

 

 けれど、それ以上は顔に出さない。

 

 今のヤチヨは、月見ヤチヨだ。

 

 ツクヨミの管理人。

 一億の神々へ夜を届ける超AIライバー。

 ステージの中心で笑い、歌い、みんなを旅へ連れていく存在。

 

 だから、彩葉の名前を呼びたくなる気持ちは、歌の中へ隠した。

 

 会えて嬉しい。

 来てくれてありがとう。

 また同じ夜に立てたね。

 これから始まる未来を、どうか怖がらないで。

 

 言葉にできないものは、音にする。

 

 あの時、彩葉が私のために歌ってくれたから。

 

 今度は、私が歌う。

 

 彩葉へ。

 かぐやへ。

 そして、まだ形も見えない未来へ。

 

     *

 

 彩葉は、完全に限界だった。

 

「……っ、う、うぅ……」

 

「彩葉、もう泣いてる」

 

「泣いてない」

 

「泣いてるよ。めっちゃ泣いてるよ」

 

「これは……感情が液体化してるだけ……」

 

「それを泣いてるって言うんじゃない?」

 

「今は黙って……お願いだから、今は見て……」

 

 かぐやは、少しだけ口を閉じた。

 

 さっきまで何を見ても騒いでいた彼女が、今はちゃんとステージを見ている。

 

 ヤチヨの歌声が、水面を渡ってくる。

 

 味もしない。

 匂いもしない。

 触れられもしない。

 

 それなのに、胸の中に何かが届く。

 

 かぐやは、初めて知った。

 

 歌というものは、ただ音が鳴っているだけではないのだ。

 

 誰かに向かって伸ばした手みたいに。

 遠くにいる人を呼ぶ光みたいに。

 暗い場所で、こっちだよ、と灯される灯籠みたいに。

 

 歌は、人を連れていく。

 

 彩葉がこんなふうになる理由が、少しだけ分かった気がした。

 

「……ヤチヨ、すごいね」

 

 かぐやは小さく言った。

 

 彩葉は返事をしなかった。

 

 ただ、こくこくと頷いた。

 

 狐耳が震えている。

 しっぽも、感情に合わせてふわふわと揺れている。

 

 本人はたぶん気づいていない。

 

「彩葉、耳」

 

「今それどころじゃない……」

 

「しっぽ」

 

「今それどころじゃない……!」

 

 犬DOGEまで、彩葉の足元で静かに座っていた。

 

 さっきまでぴこぴこ走り回っていたのに、まるで空気を読んだみたいに大人しくしている。

 

 偉い。

 

 いや、犬DOGEまでヤチヨに聴き入っているのかもしれない。

 

     *

 

 曲が進むにつれ、ステージの景色が変わっていった。

 

 上空に広がる星空が、水面へ落ちてくる。

 

 小さな星の粒が、雨のように降り注ぐ。

 それは水に触れると波紋になり、波紋は光の輪となって観客席まで広がっていった。

 

 ヤチヨはその中を歩く。

 

 海の上を歩いているのか。

 夜空を歩いているのか。

 それとも、誰かの記憶の中を進んでいるのか。

 

 分からない。

 

 けれど、そのすべてが正しいように見えた。

 

 歌声は、だんだん強くなる。

 

 静かな祈りが、未来への期待に変わっていく。

 

 一人にしない。

 どんな夢が途切れかけても、また引き寄せ合える。

 くしゃくしゃになって笑う日を集めて、先へ進める。

 

 そういう感情が、音の中にある。

 

 ヤチヨは、最後のフレーズへ向かって手を伸ばした。

 

 客席へ。

 

 彩葉へ。

 

 かぐやへ。

 

 そして、まだ見ぬ未来へ。

 

 歌声が、夜空へ昇る。

 

 水面が、満天の星を映す。

 

 最後の音が、ゆっくりと消えた。

 

 一瞬。

 

 会場は、静まり返った。

 

 その静けさは、誰も冷めていたからではない。

 

 ただ、戻ってこられなかったのだ。

 

 星降る海の向こうから。

 ヤチヨの歌が連れていった場所から。

 

 現実のツクヨミへ。

 

 ほんの一呼吸だけ、戻ってこられなかった。

 

 次の瞬間。

 

 歓声が、夜を割った。

 

     *

 

「イェーイ、感謝感激雨アラモード! ヤチヨは果報者なのです!」

 

 ヤチヨは鳥居の上でぴょんと跳ね、満面の笑みで手を振った。

 

 歓声が返ってくる。

 

 星のように。

 波のように。

 夜そのものが明るく震えるみたいに。

 

 その声を浴びながら、ヤチヨは笑う。

 

 いつものように。

 

 あの歌に込めたものを、誰にも悟らせないように。

 

「あ、ここでお知らせ! ヤチヨカップっていうイベントを開催しま~す☆ FUSHI、詳細よろしくぅ」

 

「はーい!」

 

 肩の上でFUSHIがふわりと跳ねた。

 

 空中に大きなディスプレイが開く。

 

『ヤチヨカップ開催決定』

 

 その文字が夜空に浮かんだ瞬間、会場全体がざわめいた。

 

「参加資格があるのは、ツクヨミの全ライバー!」

 

 FUSHIの説明が始まる。

 

 ヤチヨはその間、観客たちの反応を見る。

 

「うっそ?! コラボライブゥ、ヤバッッ!」

 

「まじかー、絶対優勝狙ったろ!」

 

「帝さまも出るのかなー」

 

「推しが参加するなら全力でふじゅ~投げる」

 

「え、これ新規ファン数勝負? やば、企画力勝負じゃん」

 

「ヤチヨと並ぶってことでしょ? そんなの歴史じゃん!」

 驚いている。

 

 戸惑っている。

 

 喜んでいる。

 

 すでに勝算を立て始めている者もいる。

 自分の推しが出るのか気にしている者もいる。

 ただただ「ヤチヨとコラボ」という言葉だけで限界化している者もいる。

 

 反応はばらばらだった。

 

 でも、だからこそいい。

 

 誰かが歌って。

 誰かが踊って。

 誰かが作って。

 誰かが戦って。

 誰かが見つけて。

 誰かが好きになる。

 

 ツクヨミは、そういう場所だから。

 

 みんなが、それぞれ違う受け取り方をしている。

 

 同じ告知を見ても、目の輝き方が違う。

 驚き方も、笑い方も、次に走り出す方向も違う。

 

 それが嬉しい。

 

 ヤチヨなら、こうじゃなくちゃ。

 

 ねぇ、彩葉。

 

 あなたが教えてくれたんだよ。

 

 好きって、ひとつじゃないんだって。

 楽しいって、誰かに決めてもらうものじゃないんだって。

 自分が見つけて、自分で手を伸ばして、時には転んで、それでも笑って進んでいくものなんだって。

 

 八千年の時を経て、かぐやからヤチヨになった月の少女は、今もその言葉を胸の奥に抱えている。

 

 けれど、それを彩葉へ言うことはできない。

 

 だから、ヤチヨは管理者の顔で笑う。

 

 一億のユーザーを抱える仮想空間の管理人として。

 ツクヨミの夜を照らす超AIライバーとして。

 そして、これから始まる二人の物語を、舞台の外から応援する側として。

 

 かつての自分がそうだったように。

 あの子たちも、きっと進んでいく。

 

 彩葉と、かぐやなら。

 

 どこへだって行ける。

 

 そんな贔屓みたいな願いを胸の奥に隠しながら、ヤチヨは笑った。

 

     *

 

 彩葉は、固まっていた。

 

「……コラボ」

 

「彩葉?」

 

「ヤチヨと、コラボライブ」

 

「うん」

 

「ライブ」

 

「うん」

 

「コラボ」

 

「うん」

 

 彩葉の目から、また涙が溢れた。

 

 今度は感動というより、情報量の暴力による脳の処理落ちだった。

 

「無理無理無理無理無理無理、え、待って、ヤチヨと? ライブ? 同じステージ? 同じ光? 同じ曲? 同じ空間? いや、今までヤチヨは動画や配信のコラボはあったけどライブは基本ソロで、つまりこれは史上初の可能性があって、え、そんな歴史の第一頁に誰かが立つってこと? ヤチヨと並んで? ヤチヨの隣で? ヤチヨの歌声と重なる? 待って、尊すぎて無理。いや無理じゃない。見たい。でも無理。好き。ありがとう。世界ありがとう」

 

「彩葉、また早い!」

 

「今は仕方ない!」

 

「仕方ないんだ……」

 

 彩葉は完全にご乱心だった。

 

 狐耳は限界まで立ち、しっぽは感情のままに揺れ、目も口もたぶんハートになっている。

 

 かぐやは、その様子を見て、少しだけ面白くなかった。

 

 ライブが始まってから、彩葉はずっとヤチヨだけを見ていた。

 

 かぐやのことなんて、ほとんど眼中になかった。

 

 いや、ヤチヨはすごかった。

 すごかったけれど。

 

 それでも。

 

 彩葉があそこまで夢中になるなら。

 

 かぐやも、そこへ行きたい。

 

 その隣に立ちたい。

 

 そう思った時だった。

 

 遠くから、重い車輪の音が響いた。

 

 地面が揺れる。

 

 いや、ツクヨミに本当の地面の揺れなどないはずなのに、そう感じるほどの演出だった。

 

 観客の視線が一斉にそちらへ向く。

 

 現れたのは、巨大な馬車だった。

 

 いや、馬車というには少し違う。

 

 前方では、黒い虎を模したホログラム獣が車両を引いている。

 

 牛車ならぬ、虎車。

 

 黒と金を基調にした、やたらと派手な車両。

 車輪からは黒い火花のような光が散り、通るだけで空気が変わる。

 

 会場に、歓声とは別のざわめきが広がった。

 

 その瞬間、彩葉の顔色が変わる。

 

「……げ」

 

「彩葉?」

 

 かぐやが振り返ると、彩葉は反射的にかぐやの後ろへ半歩隠れようとしていた。

 

「え、なに? 急に隠れるじゃん。かわいい」

 

「かわいくない。ちょっと前に立って」

 

「なんで?」

 

「顔を見られたくない」

 

「誰に?」

 

「いいから」

 

 彩葉は本気だった。

 

 正確には、誰かに顔を見られないようにしている。

 

 かぐやは首を傾げる。

 

 その間にも、虎車がステージ横へ到着した。

 

 次の瞬間。

 

 車両の内側から、黒い斬撃のような光が走った。

 

 虎車が、演出として切り刻まれる。

 

 黒い破片が空へ舞い、そこから三つの影が姿を現した。

 

 赤い鬼のような華やかなアバター。

 静かで鋭い気配をまとった青年。

 そして、愛らしさと毒気を同時に振りまく、少年のような少女のような存在。

 

 帝アキラ。

 

 雷。

 

 乃依。

 

 ブラック・オニキス。

 

 通称、黒鬼。

 

 空中に、彼らの紹介PVが展開される。

 

 大会優勝歴。

 配信実績。

 ライブ映像。

 スポンサー名。

 KASSENでの名場面。

 ファン数。

 ステージでのパフォーマンス。

 

 映像が切り替わるたびに、会場から黄色い歓声が飛ぶ。

「また祭りが始まるな」

 

 寡黙そうな青年、雷が、フードの下から静かに口を開く。

 

 低く、落ち着いた声だった。

 

 それだけで、妙な説得力がある。

 騒がしい登場演出の中にあって、ひとりだけ温度が違う。

 けれど、その静けさがかえって黒鬼というグループの厚みを見せていた。

 

「俺って今日も作画良すぎ♡ でしょ♡」

 

 地雷系モチーフの少年、乃依が、くるりと身体をひねりながらウィンクする。

 可愛らしい。

 腹立たしいくらい可愛らしい。

 

 会場のあちこちから、悲鳴に近い歓声が跳ねた。

 

 そして最後に、帝アキラが一歩前へ出る。

 

 圧がある。

 

 顔がいい。

 声もいい。

 立ち姿もいい。

 

 何より、自分が注目されることに慣れている。

 

 その自信が、画面越しでも、ステージ越しでもなく、同じ空間にいる全員へまっすぐ届く。

 

「よう、子ウサギども! お前らの帝様が来たぜ!」

 

 会場が沸く。

 

 帝は笑った。

 

 自分に向けられる歓声を当然のように受け止めて、なおかつそれをもっと大きく煽ってみせる。

 

 見せ方を知っている。

 

 自分がどの角度で立てば映えるのか。

 どの間で喋れば観客が息を呑むのか。

 どの言葉を投げれば、場の熱が一段上がるのか。

 

 帝アキラは、それを身体で知っている人間だった。

 

「ヤチヨカップ、面白そうじゃねぇか。だったら俺たち黒鬼が、最初から最後まで祭りにしてやるよ」

 

 魅せつけるかのように。

 

 押しつけるかのように。

 

 すでに手に入れたものを、改めて掲げるかのように。

 

 帝は、会場全体へ声を放った。

 

「ヤチヨカップ、優勝してやるよ。そして、底なしの夢を見せてやるぜ!」

 

 歓声が、さらに膨れ上がる。

 

 その宣言は、大口ではなかった。

 

 実績がある。

 人気がある。

 実力がある。

 ファンを熱狂させるだけの華がある。

 

 だからこそ、会場の誰もが思ってしまう。

 

 黒鬼なら、本当にやるかもしれない、と。

 

 帝はその熱を背負ったまま、鳥居の上のヤチヨへ向き直った。

 

「優勝するのは俺たちだ。ヤチヨちゃん、コラボライブ、よろしくな」

 

 堂々と。

 

 あまりにも堂々とした優勝宣言だった。

 

 ヤチヨは、鳥居の上でぱちぱちと目を瞬かせた。

 

 そして、すぐに笑う。

 

 月見ヤチヨとして。

 

 ツクヨミの管理人として。

 

 今この場を、もっと熱く、もっと楽しく、もっと遠くまで連れていくために。

 

「そういう運命なら、もちろんヤチヨは従うよ〜」

 

 軽やかに。

 

 けれど、誰もが聞き逃さない声で。

 

 ヤチヨは、にこりと笑った。

 

「でもでも、運命っていうのは、最後まで分からないから面白いのです。黒鬼のみんなも、これから出てくるライバーのみんなも、遠慮なく本気でぶつかってきてね」

 

 FUSHIが肩の上で小さく跳ねる。

 

「優勝者には、ヤチヨが最高のステージを約束するよ!」

 

 会場が再び沸いた。

 

「一緒に歌って、一緒に踊って、一緒にツクヨミの夜をめでたしめでたしにしちゃお〜!」

 

「「「しちゃお〜!」」」

 

 観客たちがそれに応える。

 

 熱が上がる。

 

 ヤチヨカップという言葉が、ただの告知ではなく、今この瞬間から始まる祭りの名前へ変わっていく。

 

 その熱狂の中で、ヤチヨはほんの一瞬だけ、彩葉とかぐやのいる場所を見た。

 

 彩葉は、なぜかかぐやの後ろに隠れようとしている。

 かぐやは、黒鬼を見て目を輝かせている。

 

 帝の宣言。

 会場の熱狂。

 ヤチヨとのコラボライブ。

 

 それら全部を浴びて、金色の月姫の瞳が、また危ないくらいに前を向き始めている。

 

 あ。

 

 ヤチヨは、すぐに分かった。

 

 あれは言う。

 

 止められないやつだ。

 

 そして案の定、かぐやは一歩前へ出た。

 

「かぐや?」

 

 彩葉が気づいた時には、もう遅い。

 

 かぐやは胸いっぱいに息を吸い込んだ。

 

「ヤァァァ  チィィィ  ヨォォォ!!」

 

 会場の一部が、こちらを振り向く。

 

 彩葉の顔から血の気が引いた。

 

「ちょ、かぐや、待っ  

 

「かぐやがヤチヨカップ優勝する!」

 

 金髪のウサ耳が揺れる。

 

 犬DOGEが足元でぴこぴこ跳ねる。

 

 かぐやは、堂々とステージへ向かって叫んだ。

 

「そんで、ヤチヨとコラボライブする! それでそれでぇ彩葉も一緒に! かぐやとヤチヨと彩葉で、最高にハッピーな「待って待って待って待って!」ンぐっ」

 

 私はほとんど反射で、背後からかぐやの口を両手で塞いだ。

 

「もういい! もう十分! 今ので十分すぎるくらい聞こえたから! お願いだからそれ以上、会場全体に向かって人生の方針発表しないで!」

 

「んー! んんーっ!」

 

「暴れない! ウサ耳ぴょこぴょこさせない! 犬DOGEもそこで跳ねない! 目立つ要素を一個ずつ追加していくんじゃないわよ!」

 

 周囲がざわつく。

 

 笑う者。

 驚く者。

 面白がる者。

 誰だあの金髪うさぎ姫、という視線。

 

 帝アキラもこちらを見る。

 

 ヤチヨも、鳥居の上からかぐやを見た。

 

「……終わった」

 

 私はかぐやの口を塞いだまま、魂の抜けた声で呟いた。

 

「今のは完全に終わった。もう築地では誤魔化せないやつだった」

 

「んむー!」

 

「言い訳の余地を探してる私の身にもなって! 頼むから、せめて宣言する前に一回こっち見て!」

 

 

  ▲

 

 

 周囲がざわつく。

 

 笑う者。

 驚く者。

 面白がる者。

 誰だあの金髪うさぎ姫、と目を向ける者。

 

 帝アキラも、楽しそうにそちらを見る。

 

 彩葉はかぐやの口を塞いだまま、今にも魂が抜けそうな顔をしていた。

 

 そして。

 

 ヤチヨも、鳥居の上からその光景を見ていた。

 

 金色の髪を揺らし、ウサギの耳を立てて、何の迷いもなく「優勝する」と叫んだ少女。

 

 その背後で、全力で止めようとしている狐耳の少女。

 

 ああ。

 

 そうだった。

 

 胸の奥で、懐かしさが小さく弾けた。

 

 八千年前の私も、きっとこうだった。

 

 思いついたら走る。

 好きだと思ったら言う。

 やりたいと思ったら、もう動いている。

 誰かに止められても、止まれない。

 

 怖いくらい前向きで。

 眩しいくらいまっすぐで。

 時々、周りが見えなくなる。

 

 あの子は、私だ。

 

 私だったものだ。

 

 そして今、その子を彩葉が必死に抱え込んでいる。

 

 大変そう。

 

 ものすごく大変そう。

 

 でも。

 

 彩葉がそこにいる。

 

 彩葉が、あの子を止めようとしている。

 

 彩葉が、また私のそばにいる。

 

 それだけで、ヤチヨは喉の奥が震えそうになった。

 

 泣くな。

 

 今は泣くな。

 

 彩葉の前だ。

 

 ちゃんと、ヤチヨでいなければ。

 

「落ち着いて、ヤチヨ」

 

 肩の上で、FUSHIが小さく囁く。

 

「落ち着いてるよ」

 

「声、ちょっと震えてる」

 

「震えてないもん」

 

「泣きそう?」

 

「泣かないもん」

 

「僕もちょっと泣きそうだけど」

 

「FUSHIまで?」

 

「だって、やっと会えたんだよ」

 

 その一言で、ヤチヨは危うく崩れそうになった。

 

 でも、踏みとどまる。

 

 ここはステージだ。

 

 ツクヨミの夜だ。

 

 みんなの前だ。

 

 だからヤチヨは、笑う。

 

 明るく。

 楽しく。

 いつものように。

 

「ふふっ、元気な挑戦者さんがいるねぇ」

 

 ヤチヨは声を弾ませた。

 

 FUSHIが少しだけ前に出る。

 

「ただし、お忘れなく。ヤチヨカップに参加できるのは登録ライバーだけなのです」

 

 かぐやが、彩葉の手の隙間から目を輝かせた。

 

 彩葉の顔色がさらに悪くなる。

 

「じゃあ、かぐや、ライバーになる!」

 

「待ちなさい!」

 

「準備してくる!」

 

「今じゃない!」

 

「今から!」

 

「話を聞きなさい!」

 

 かぐやは彩葉の手からするりと抜けた。

 

 そして、ヤチヨへ向かって満面の笑みを向ける。

 

「ヤチヨ、待ってて! かぐや、すぐハッピーエンドにしてくる!」

 

 そのまま、彼女の身体がログアウトの光に包まれかけた。

 

「かぐや!」

 

 彩葉が手を伸ばす。

 

 けれど、金色の月姫は犬DOGEを抱えたまま、きらきら笑って手を振った。

 

「彩葉、あとでね!」

 

 そして、今まさにログアウトの光に包まれようとしていた。

 

 彩葉は、伸ばした手を空中で止めたまま固まっている。

 

 完全に、処理が追いついていない顔だった。

 

 ヤチヨは、その表情を見て、胸の中で小さく悶えた。

 

 かわいい。

 

 だめだ。

 

 今の彩葉、めちゃくちゃかわいい。

 

 でも、ここで顔に出してはいけない。

 

 ヤチヨは深呼吸した。

 

 大丈夫。

 

 かぐやがログアウトする。

 

 そうすれば、彩葉は一人になる。

 

 いや、周囲には観客もいるし、黒鬼もいるし、まだ騒がしいけれど、それでも少なくとも、あの子  八千年前の私の視線はなくなる。

 

 そうなれば近づける。

 

 話せる。

 

 顔を合わせられる。

 

 今日のために、どれだけ準備したと思っているのか。

 

 彩葉のSNSの投稿時間。

 普段の接続傾向。

 ヤチヨ関連イベントへの応募タイミング。

 当選後にログインしてくる時間。

 握手券付きミニライブのチケットを見た時の、たぶん彩葉ならこう動くだろうという予測。

 

 全部、見ていた。

 

 全部、計算していた。

 

 ストーカーではない。

 

 管理者権限の正当利用でもない。

 

 いや、正当かと言われると少し怪しいけれど、少なくとも悪用ではない。

 

 会いたかったのだ。

 

 ただ、それだけなのだ。

 

 おかげで、無事に握手券は渡せた。

 

 彩葉がここに来る理由はできた。

 

 ヤチヨが彩葉へ近づいても、不自然ではない。

 

 ライブ後の握手対応。

 

 抽選当選者への個別対応。

 

 そのうちの一人として、彩葉に会う。

 

 完璧だ。

 

 完璧な導線である。

 

 よっっっし。

 

 計画通り。

 

 じゃ、ヤチヨ、行きまーす。

 

 そうして、ヤチヨが笑顔を整え、握手用の分身の一つを彩葉のもとへ向かわせようとした、その瞬間だった。

 

「……え?」

 

 かぐやの身体を包みかけていたログアウトの光が、途中で止まった。

 

 ふわりとほどけるはずだった金色の輪郭が、その場に留まる。

 

 ログアウト操作が中断された。

 

 かぐや本人が、何かに気を取られたらしい。

 

 彩葉も、同じように固まっている。

 

 いや、彩葉だけではない。

 

 会場の空気が、変わった。

 

 ざわめきが、ひとつ、ふたつ、途切れていく。

 

 さっきまでヤチヨカップの話題で熱を帯びていた神々の声が、まるで誰かに音量を下げられたみたいに、すうっと静まっていく。

 

 ヤチヨの分身たちの会話ログにも、一瞬、奇妙な空白が生まれた。

 

 握手対応中だった分身たちが、言葉の途中で止まる。

 

 向かおうとしていた分身すらも、足を止める。

 

 観客の視線が、同じ方向へ流れていく。

 

 黒鬼も、こちらではなく別の方を見ている。

 

 彩葉も。

 

 かぐやも。

 

 みんな、同じ場所を見ている。

 

 ヤチヨは、笑顔を保ったまま、内側だけが冷えていくのを感じた。

 

 どういうこと?

 

 どうしてログアウトしないの?

 

 このままでは、かぐやが見ている前で彩葉へ近づくことになる。

 

 それはまずい。

 

 いや、絶対にまずいとは言い切れない。

 

 同じだ。

 

 かぐやはまだ何も知らない。

 

 けれど、同じ魂の形を持つ存在である以上、何かの拍子に気づかれる可能性はゼロではない。

 

 今のヤチヨは、冷静ではない。

 

 歌った。

 

 彩葉を見た。

 

 かぐやを見た。

 

 八千年ぶりの再会を、やっと目の前にした。

 

 気持ちが高ぶっている。

 

 この状態で、かぐやの視界の中で彩葉に近づいて、完璧に“ただの月見ヤチヨ”を演じきれる保証はない。

 

 ほんの少しの声の震え。

 

 ほんの少しの視線。

 

 ほんの少し、彩葉へ向ける感情の濃さ。

 

 それだけで、何かがズレるかもしれない。

 

 輪廻が崩れるかもしれない。

 

 過去と未来の同一人物が、同じ場で互いを認識してしまった時、何が起きるのか。

 

 そんなもの、ヤチヨにも分からない。

 

 月人の技術力でも。

 

 八千年を生きてきた記憶でも。

 

 輪廻の中で積み上げられた幾千の記録でも。

 

 それは、未知の領域だ。

 

 必ず良い方向へ転ぶ保証なんてない。

 

 なぜ。

 

 どうして。

 

 八千年前の記憶。

 

 同じ場面。

 

 同じライブ。

 

 同じヤチヨカップ宣言。

 

 同じ黒鬼の登場。

 

 同じかぐやの宣言。

 

 その後。

 

 その後に、こんな停止はあった?

 

 ない。

 

 記憶を漁る。

 

 ログを探す。

 

 該当なし。

 

 該当なし。

 

 該当なし。

 

 八千年前には、こんなことはなかった。

 

 なら、何が起きている?

 

 待って。

 

 何。

 

 何が起きているの。

 

 もしかして。

 

 今の私の代で、輪廻が崩れる?

 

 胸の奥に、冷たいものが落ちる。

 

 ヤチヨはようやく気づいた。

 

 かぐやも。

 

 彩葉も。

 

 黒鬼も。

 

 周囲の観客も。

 

 全員が、ある方向を見ている。

 

 ヤチヨも、その視線の先を追った。

 

 そして。

 

 見た。

 

「…………」

 

 提灯。

 

 団扇。

 

 謎の掛け声。

 

 妙にそろっているようで、まったくそろっていない足並み。

 

 顔の半分を隠したマスクの群れ。

 

 そして、灯籠の光を受けて揺れる、やたらと力強い四文字。

 

『シらぬイ』

 

 ヤチヨは、数秒かけてその現実を受け入れた。

 

 受け入れようとした。

 

 無理だった。

 

「……ゑ?」

 

 月見ヤチヨは、鳥居の上で宇宙を見た。

 

 

 

  ここから先は

 

 

魑魅魍魎の百鬼夜行ならぬ、狂信乱舞の百()夜行である

 

 


 

 それは、遠目に見れば祭りだった。

 

 提灯が揺れている。

 

 団扇が振られている。

 

 掛け声が響いている。

 

 人の波が、ツクヨミのメインストリートをゆっくりと横断している。

 

 ミニライブ終わりの熱気に包まれた夜の街。

 ヤチヨカップの開催宣言によって、誰も彼もが少し浮き足立っている時間帯。

 

 そこに、行列が生まれていた。

 

 顔の半分を隠すガスマスク型の仮面。

 

 黒や藍の羽織。

 

 妙に気合の入った袴。

 

 背中や袖、手にした団扇や提灯には、やたらと力強い四文字が刻まれている。

 

シらぬイ

 

 シらぬイ。

 

 シらぬイ。

 

 シらぬイ。

 

 その文字は、もはや名前というより、祈祷札に近かった。

 

 いや、祈祷札にしてはだいぶ物騒だし、信仰対象にしては本人があまりにも困っている。

 

 しかし、彼らは本気だった。

 

「わーっしょい!」

 

「わっしょい!!」

 

「わーっしょい!」

 

「わっしょい!!」

 

「シらぬイ様をヤチヨカップへ!」

 

「歌わせろォ!」

 

「喋らせろォ!」

 

「踊らせろォ!」

 

「無言でも愛してるぞォ!」

 

「でも歌えェ!」

 

 言っていることが矛盾している。

 

 だが、勢いだけは本物だった。

 

 その光景は、魑魅魍魎の百鬼夜行ならぬ、狂信乱舞の百珍夜行だった。

 

     *

 

 事の始まりは、少し前まで遡る。

 

 シらぬイの辻焼き事件。

 

 肉声解放に見せかけたブラフによって、解釈違いと脳破壊を同時に叩き込まれた修整者軍団。

 

 彼らはあの晩、シらぬイによってしこたま揉みくちゃにされた。

 

 焼かれた。

 

 転がされた。

 

 切られた。

 

 そして最後には、ステーキの旨味みたいな何かにされた。

 

 普通なら、そこで終わる。

 

 怖かった。

 

 ひどい目に遭った。

 

 もう関わらないでおこう。

 

 そうなる。

 

 なるはずだった。

 

 けれど、彼らはそうならなかった。

 

 無声ライバーとしてのシらぬイに固執することをやめたのだ。

 

 ただし、それは正気に戻ったという意味ではない。

 

 むしろ逆。

 

 さらに深いところへ行ってしまった。

 

 声があろうがなかろうが。

 

 喋ろうが喋るまいが。

 

 無言だろうが、プラカード芸だろうが、肉声ブラフだろうが。

 

 関係ない。

 

 我々が愛し、推している存在が、シらぬイであることには変わりない。

 

 そういう、ある意味での悟りの境地へ至ってしまったのである。

 

 主に、シらぬイに叩きのめされた壱号から漆号までが中心だった。

 

 傷が深い者ほど、信仰も深くなる。

 

 ツクヨミの夜は、時々、人間の心を変な方向へ開花させる。

 

 よくない。

 

 とてもよくない。

 

 そして彼らは考えた。

 

 シらぬイの声が聞きたい。

 

 もっと聞きたい。

 

 確定で聞きたい。

 

 そのためには、どうするべきか。

 

 配信で待つ?

 

 コメントで頼む?

 

 応援を送る?

 

 違う。

 

 そんな生ぬるいことでは駄目だ。

 

 方法と手段がどうであれ、結果さえ良ければいいのだ。

 

 そう身をもって教え導いてくださったのは、他でもないシらぬイ本人なのだから。

 

 もちろん違う。

 

 シらぬイはそんなことを教えていない。

 

 ただ、彼らはそう解釈した。

 

 解釈の自由。

 

 とても怖い。

 

 そこで彼らは、ツクヨミ内でもっとも人が集まるタイミングを狙った。

 

 ヤチヨのミニライブ終了直後。

 

 観客が一斉にメインストリートへ流れる、最も同時接続密度が高い時間帯。

 

 そこで騒ぎを起こし、注目を集め、シらぬイをおびき寄せる。

 

 当初の計画は、ただそれだけだった。

 

 だが、ここで嬉しい誤算が起きる。

 

 ヤチヨカップ。

 

 そして、その優勝者には月見ヤチヨとのコラボライブ権。

 

 コラボライブ。

 

 コラボ。

 

 ライブ。

 

 つまり、歌う。

 

 ここまで来れば、もうお分かりいただけるだろう。

 

 彼らは計画の方針を変えた。

 

 シらぬイを優勝させる。

 

 何が何でも優勝させる。

 

 そして、ヤチヨとのコラボライブで、シらぬイを歌わせる。

 

 なお、本人は未認知。

 

 むしろ、全力でありがた迷惑である。

 

 しかし、彼らに迷いはなかった。

 

 ここで注目を浴びれば、シらぬイの検索数が増える。

 

 一度でも動画を見れば終わり。

 

 最初は「なんだこの無言の変人」と思うだろう。

 

 だが、気づけば見ている。

 

 次の動画へ行く。

 

 切り抜きを漁る。

 

 元配信を確認する。

 

 過去作を追う。

 

 あの異常な完成度と、意味不明な発想と、職人めいた手つきと、最後に必ず残る「そういうとこ」に脳を焼かれる。

 

 シらぬイという概念に触れた瞬間、その者もまた沼へ落ちる。

 

 最悪の道連れである。

 

 だが、そんなことは知ったことではない。

 

 むしろ被害者が増えれば増えるほど、こちらの野望は叶いやすくなる。

 

 疲れていた。

 

 仕事帰りの者もいた。

 

 ミニライブ後の熱気で理性が飛んでいた者もいた。

 

 ヤチヨカップ告知でテンションがバグった者もいた。

 

 深夜ではない。

 

 だが、集団心理と推し活の熱と、シらぬイに焼かれた脳が合わされば、時間帯など些細な問題である。

 

 だから、彼らは動いた。

 

 メインストリートで。

 

 人波の中で。

 

 祭りを始めた。

 

 急な計画変更だったため、最初はその場にいた有志だけで始まった。

 

 十人程度。

 

 顔の半分を隠すマスク。

 

 謎の札。

 

 シらぬイ様と書かれた手旗。

 

 太鼓代わりの鍋。

 

 それだけなら、ただの珍獣で終わったかもしれない。

 

 だが、ツクヨミの民は祭りに弱い。

 

 見知らぬ珍獣が騒いでいる。

 

 何か面白そう。

 

 とりあえず後ろについてみよう。

 

 そういう者が一人、また一人と増えていく。

 

 さらに、直前のヤチヨカップ宣言。

 

 史上初のヤチヨコラボライブ。

 

 ツクヨミ中が過去最大級の熱に飲まれていた。

 

 謎のハイテンション。

 

 集団行動心理。

 

 推し活の爆発。

 

 それらが合わさった結果、行列は爆発的に増殖した。

 

 どこかの狸市で発生した生物犯罪に匹敵する勢いで。

 

 ツクヨミのメインストリートは、完全に祭りになった。

 

     *

 

「シらぬイ様ァァァァァァ!」

 

「あの晩、シらぬイ様より賜った洗礼により、登録者が跳ねましたァァァァァ!」

 

「中堅止まりだった我がチャンネルが、一気に大手と呼ばれるところまで成長しましたァァァァ!」

 

「御利益感謝しまぁぁぁす!」

 

 先頭で踊っていたバカが一人。

 

 馬の被り物とふんどし一丁で踊る変態の相棒、河童仮面が叫ぶ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 叫んでいるのは、一人のライバーだった。 

 

 元・被害者。

 

 前回、シらぬイの辻焼きにおいて、記念すべき初被害者にして実験台となった男である。

 

 その日の夜、彼は即座に自分が被害に遭った切り抜きを編集し、投稿した。

 

 結果、伸びた。

 

 伸びてしまった。

 

 もともと彼は、中堅ライバーと呼べるかどうかの位置にいた。

 

 それなりに知っている者はいる。

 固定ファンもいる。

 けれど、ツクヨミ全体で見れば、まだまだ埋もれがちな存在。

 

 そんな彼のチャンネルが、あの一件を境に爆発的に伸びた。

 

 数万。

 十万。

 十五万。

 

 関連切り抜きが増え、考察が増え、反応集が増え、なぜか「()()()()()()()()()()」として一つのブランドにすらなった。

 

 気づけば、大手ライバーと呼ばれてもおかしくないところまで一気に膨れ上がっていたのである。

 

 ここで普通の人間なら思うだろう。

 

 よかった。

 

 運が良かった。

 

 自分のリアクションも面白かったのかもしれない。

 

 動画編集を頑張った甲斐があった。

 

 しかし、彼の脳はそう処理しなかった。

 

 シらぬイ様に焼かれたから伸びた。

 

 そう理解してしまった。

 

 あまりにも衝撃が大きすぎたのだ。

 

 あまりにも御利益が目に見えすぎたのだ。

 

 脳がバグるのも、致し方なかったのかもしれない。

 

 哀れなシらぬイの被害者は、狂信徒となった。

 

 これもシらぬイが蒔いた種である。

 

 いや、正確には、本人は種を蒔いたつもりなどない。

 

 通りすがりに火炎放射器で畑を焼き払ったら、なぜか翌朝そこに宗教施設が建っていたようなものである。

 

 本人に責任があるのかないのかで言えば、たぶんある。

 

 たぶん。

 

「シらぬイ様をステージへ!」

 

「歌わせろォ!」

 

「喋らせろォ!」

 

「踊らせろォ!」

 

「プラカードでもいいぞォ!」

 

「コラボライブで喉を開けェ!」

 

「無言でもいい! 吐息でもいい! でも歌ってくれたら成仏できる!」

 

「成仏するな! 推せ!」

 

「「「わっしょいー!!!!」」」

 

 矛盾している。

 

 だが、彼らの中では一切矛盾していない。

 

 声があろうがなかろうが、シらぬイはシらぬイ。

 

 それはそれとして、声を聴きたい。

 

 愛しているからこそ、もっと見たい。

 

 もっと知りたい。

 

 もっと焼かれたい。

 

 もうだめだった。

 

 完全にだめだった。

 

     *

 

 その百珍夜行(アホども)の熱は、普通の祭りとは違っていた。

 

 そこには、陽気さがある。

 

 悪ノリもある。

 

 推し活の祝祭感もある。

 

 しかし、同時に何か、認知の外から来たものに触れてしまった者たち特有の、妙な目の据わり方があった。

 

 彼らはシらぬイを理解したわけではない。

 

 理解などできるはずがない。

 

 巨大トウモロコシ砲。

 

 ステーキ型大槌。

 

 食用ではない鉄の肉。

 

 真面目な工程から生まれる、何一つ真面目ではない結論。

 

 そんなものを理屈で受け止めたら、人間の脳は壊れる。

 

 だから、彼らは考えるのをやめた。

 

 これはシらぬイ様である。

 

 ならばよし。

 

 そういう、極めて雑で、極めて強固な信仰体系を構築してしまった。

 

 コズミックホラーに出てくる狂信者たちも、きっとこういう目をしていたに違いない。

 

 ただし、彼らの半数以上はスーツの上から羽織を着ている。

 

 現実では定時を過ぎても帰れなかった社会人である。

 

 残業明け。

 

 退勤後。

 

 晩飯前。

 

 ある者は明日の会議資料から逃げるように。

 

 ある者は納期という名の怪物から目を逸らすように。

 

 ある者は推しイベで得た熱量をどこへぶつければいいか分からず。

 

 そしてある者は、ただ単に「周りが楽しそうだったから」という最も危険な理由で。

 

 祭列へ合流した。

 

「明日も仕事だァ!」

 

「だから今やるんだァ!」

 

「有休はない!」

 

「でも推し活はある!」

 

「終電? 知らん!」

 

「明日の自分? 知らん!」

 

「シらぬイ様の御声を聞くまでは帰れねぇ!」

 

「いや帰れ! でも押せ!」

 

「「「わっしょい! わっしょい!」」」

 

 社会人の疲労と、オタクの熱狂と、祭りの集団心理が合わさると、人はここまで来る。

 

 ツクヨミは自由な場所だ。

 

 みんなが表現者。

 

 誰もが何かを作り、何かを見せ、誰かの心を動かすことができる場所。

 

 その理念は美しい。

 

 とても美しい。

 

 だが、自由には時々、こういう事故がついてくる。

 

 表現の自由の行き着く先が、ガスマスク羽織軍団によるシらぬイ神輿とは、月見ヤチヨも想定していなかったに違いない。

 

     *

 

 ヤチヨは、鳥居の上からその光景を見ていた。

 

 笑顔は固まっている。

 

 FUSHIも固まっている。

 

 八千年分の記憶をさらっても、こんなものはなかった。

 

 少なくとも、ヤチヨの記憶にあるツクヨミの夜には、シらぬイと書かれた羽織を着たガスマスク集団が、ヤチヨカップ開催直後にメインストリートを横断する未来など存在しなかった。

 

 輪廻の崩壊か。

 

 システム異常か。

 

 外部干渉か。

 

 いいや。

 

 違う。

 

 これはたぶん、もっとひどい。

 

 自然発生である。

 

 人間の悪ノリと、推し活と、仕事疲れと、祭りの熱気が合体事故を起こした、ただの自然災害である。

 

「……楽しそうではあるんだよね」

 

「ヤチヨ、そういうとこ」

 

「だって楽しそうなんだもん」

 

 ヤチヨは頬を膨らませた。

 

 FUSHIは小さくため息をつく。

 

「類は友を呼ぶってやつだね」

 

 もう一度言おう。

 

 類は友を呼ぶ。

 

 無言で世界の前提を壊す異端のモノ創りライバー。

 

 その被害に遭った結果、信仰へ至った修整者軍団。

 

 

 月から来た、ハッピーエンドへ全力疾走する金髪ギャルうさ姫。

 

 その横で死んだ魚の目をする狐耳の限界オタク。

 

 そして、全部を見ながら「まあ楽しそうだし」と思ってしまう管理人。

 

 ツクヨミの夜は広い。

 

 表現の自由は尊い。

 

 だが、自由には時々、祭りという名の事故がついてくる。

 

     *

 

 そして、列の少し後ろ。

 

「…………」

 

 一人の男が、完全に他人のふりをしていた。

 

 灰色に変えた髪。

 普段の白シャツと作業用前掛けではなく、あえて着込んだ和装。

 口元を覆うのも、いつものガスマスクではない。黒い布のマスク。

 目立ちすぎる左腕の籠手も、今日は外している。

 

 どう見ても、普段の《シらぬイ》ではない。

 

 少なくとも、本人はそのつもりだった。

 

 今夜の雅治は、シらぬイとして配信するつもりなどなかった。

 

 そもそも、ツクヨミに来る予定すらなかった。

 

 ヤチヨのライブは嫌いではない。

 実力があるのは知っている。

 ツクヨミを代表する存在として、あの熱量と人気を維持し続けていることも、同じライバーの端くれとして素直にすごいと思う。

 

 けれど、ライブや歌に対して、そこまで熱心に追う方ではなかった。

 

 それでも、来た。

 

 理由は、分かっている。

 

 酒寄と、かぐやだ。

 

 あの二人がどうしているのか。

 

 かぐやが初めてのツクヨミで無事に歩けているのか。

 

 酒寄がまた無理をしていないのか。

 

 気になった。

 

 ただ、それだけだ。

 

 だから、顔を隠した。

 

 アバター名もぼかした。

 

 ツクヨミでは、相手に視線を合わせれば、基本的なユーザー名やライバー名義がうっすら表示される。

 普段のシらぬイなら、その時点で《シらぬイ》という名と、チャンネルへの導線がついて回る。

 

 それではまずい。

 

 だから今日は、ライバー名義を一時的に隠し、一般ユーザー用の匿名表示へ切り替えていた。

 チャンネル連携も切り、検索から飛べる導線も閉じてある。

 

 ぱっと見ただけでは、シらぬイだとは分からない。

 

 そのうえで、普段のシらぬイらしい要素は、できる限り外した。

 

 いつものガスマスクはない。

 

 左腕の籠手もない。

 

 白シャツと作業用前掛けでもない。

 

 髪色も変えた。

 

 口元を覆うのは、黒い布のマスクだけ。

 

 和装は、わざと選んだ。

 

 普段なら避ける。

 古典と同じで、どこか息苦しいものを思い出すからだ。

 

 けれど今日は、その避けていたものの方が都合がよかった。

 

 シらぬイではなく、誰か分からない通行人として。

 ライブ会場の外から、少しだけ様子を見る。

 

 酒寄が無事ならそれでいい。

 かぐやが楽しそうなら、それでいい。

 用が済んだらさっさとログアウトする。

 

 そのつもりだった。

 

 実際、ライブが始まった時には、会場の外れにいた。

 

 ヤチヨの歌声は、そこまでちゃんと届いていた。

 

 透明で。

 遠くて。

 けれど、妙に近い。

 

 あの酒寄が夢中になるのも分かる。

 

 そんなことを、らしくもなく思った。

 

 ツクヨミを始めてから三年。

 シらぬイとしてチャンネルを運営してから二年と半。

 

 月見ヤチヨの歌を聞く機会など、いくらでもあった。

 

 だが、こうして足を止めて、まともに耳を傾けたのは、もしかすると初めてだったかもしれない。

 

 ライブは一曲で終わった。

 

 毎日欠かさずこれを続けているというのだから、やはり月見ヤチヨは化け物じみている。

 

 褒め言葉として。

 

 その後に告知されたヤチヨカップにも、少しだけ興味は湧いた。

 

 ヤチヨとのコラボライブ。

 

 それがどれほど大きなものなのかは、観客の反応を見れば分かる。

 

 けれど、自分が出る気はなかった。

 

 トップ争い。

 新規ファン数。

 話題性。

 見つけられて、持ち上げられて、引きずり下ろされる流れ。

 

 そういうものは、もう十分だ。

 

 自分は好きなものを作れればいい。

 見たい人間だけ見ていればいい。

 あの工房の中で、誰にも予想できないものを作って、それを見た誰かが少し笑う。

 

 それでいい。

 

 それでいいはずだった。

 

 そう思いながら視線を流した先に、酒寄がいた。

 

 狐耳のアバター。

 ヤチヨの告知に完全に処理落ちしている顔。

 後ろに隠れようとするほど、黒鬼の登場に弱っている姿。

 

 そして隣には、金髪のウサ耳。

 

 かぐや。

 

 楽しそうだった。

 

 眩しいくらいに。

 

 ヤチヨへ向かって、何のためらいもなく叫んでいた。

 

 かぐやがヤチヨカップで優勝する。

 ヤチヨとコラボライブする。

 彩葉と共に。

 最高にハッピーなものをやる。

 

 なんだそれは。

 

 無茶苦茶だ。

 

 けれど、少しだけ笑いそうになった。

 

 楽しく過ごせたのなら、まあいい。

 

 見るものは見た。

 

 そろそろログアウトしよう。

 

 そう思って、視線を外しかけた矢先だった。

 

 見たのである。

 

 俺の知らないシらぬイを

 

「シらぬイ様ァァァァァァ!」

 

「あの晩、シらぬイ様より賜った洗礼により、登録者が跳ねましたァァァァァ!」

 

「中堅止まりだった我がチャンネルが、一気に大手と呼ばれるところまで成長しましたァァァァ!」

 

「御利益感謝しまぁぁぁす!」

 

「…………」

 

 雅治は、立ち尽くした。

 

 何だ。

 

 何を言っている。

 

 誰の話だ。

 

 いや、名前は聞き覚えがある。

 

 ありすぎる。

 

 自分だ。

 

 自分のライバー名だ。

 

 しかし、目の前で神輿に担がれかけているそれは、雅治の知っているシらぬイではなかった。

 

 いや、正確には、知っているのは自分だけのはずだった。

 

 無言で配信する。

 変なものを作る。

 視聴者が勝手に困惑し、笑い、「そういうとこ」と言って去っていく。

 

 その程度のはずだった。

 

 断じて、ガスマスクを模した仮面集団に羽織と団扇で祀り上げられ、御利益感謝の対象になるような存在ではなかった。

 

 なかったはずだ。

 

「シらぬイ様をステージへ!」

 

「歌わせろォ!」

 

「喋らせろォ!」

 

「踊らせろォ!」

 

「プラカードでもいいぞォ!」

 

「でも歌えェ!」

 

「無言も愛してるぞォ!」

 

「でも声を聴かせろォ!」

 

 矛盾している。

 

 だが、熱量だけは本物だった。

 

 気持ち悪いほど本物だった。

 

 顔の半分を隠したマスク。

 背に『シらぬイ』の文字を背負った羽織。

 太鼓代わりに打ち鳴らされる鍋。

 どこから持ってきたのか分からない提灯。

 まるで神社の祭礼みたいに掲げられた団扇。

 

 そこに書かれているのは、やはり四文字。

 

『シらぬイ』

 

 やめろ。

 

 その字をそんな荘厳そうに掲げるな。

 

 雅治は、反射的にフードをさらに深く被った。

 

 黒い布マスクの上から、手で口元を押さえる。

 

 今日は籠手もない。

 いつものガスマスクもない。

 髪色も違う。

 服も違う。

 

 だから大丈夫。

 

 バレない。

 

 バレるはずがない。

 

 そのはずだった。

 

「シらぬイ様ァァァ! そこにいらっしゃるのでしょう!」

 

「いらっしゃる! 絶対にいらっしゃる!」

 

「この祭りを見逃すシらぬイ様ではない!」

 

「むしろ、見ている! きっと見ている!」

 

「見つけろ! 我らが御本尊を!」

 

 まずい。

 

 雅治は、静かに半歩下がった。

 

 そのまま人波の端へ移動する。

 

 逃げるのではない。

 

 戦略的撤退だ。

 

 関わらない方がいい。

 

 これは関わってはいけない類の祭りだ。

 

 そう判断した瞬間、前方で金色が跳ねた。

 

「わっしょーい!シらぬイってすごいんだね! なんかめっちゃ祭りになってるじゃん!」

 

「かぐや、戻ってきなさい! それは祭りじゃなくて、たぶん事故!」

 

「新入りの姫君だ!」

 

「シらぬイ様の御子か!?」

 

「違う! 全っ然違う!」

 

「でもみんな楽しそうだよ? ハッピーならよくない!?」

 

「よくない時もあるのよ! ハッピーの顔をした厄災って、この世で一番たちが悪いんだから!」

 

 酒寄の声だった。

 

 雅治は、思わずそちらを見る。

 

 かぐやがいた。

 

 一番先頭で、謎の音頭に合わせて踊っていた。

 

 犬DOGEを抱え、ウサ耳を揺らし、金髪をきらきらさせながら、祭列のテンションに完全に同調している。

 

 なぜ。

 

 どうして。

 

 今さっきまでヤチヨカップに出ると宣言してログアウトしかけていなかったか。

 

 そもそも、どうしてそこで混ざる。

 

 雅治の思考が一瞬止まった。

 

 そして、その横で酒寄が死んだ魚のような目をしていた。

 

 いや、死んだ魚というより、完全に目が点だった。

 

 脳の処理が追いついていない。

 

 理解を拒否している。

 

 握手券の存在も、かぐやのログアウト未遂も、ヤチヨカップの熱狂も、今この瞬間だけは全部どこかへ吹き飛んでいた。

 

「……ゑ?」

 

 細く、ポツリと漏れた声が、雅治の耳に届いた。

 

 届いてしまった。

 

 その声を聞いた瞬間、雅治はなぜか少しだけ申し訳ない気持ちになった。

 

 いや、なぜかではない。

 

 確実に、自分が原因の一端である。

 

 シらぬイという名義でやってきたことの結果が、今、酒寄の目の前で百珍夜行になっている。

 

 逃げたい。

 

 非常に逃げたい。

 

 だが、酒寄がゆっくりとこちらを見た。

 

 虚無の目。

 

 まるで、世界の終わりを見た人間の目。

 

 その視線が、雅治の変装を一瞬で貫いた  ように思えた。

 

 灰色に変えた髪。

 

 普段とは違う和装。

 

 口元を覆う黒い布のマスク。

 

 今日は目立つ籠手も外している。

 

 少なくとも、シらぬイとしての要素はかなり削ったつもりだった。

 

 けれど、酒寄はじっとこちらを見ていた。

 

 数秒。

 

 その立ち方。

 

 肩の力の抜き方。

 

 人混みの端に立ちながら、明らかに巻き込まれたくなさそうにしているくせに、結局ぜんぶ見ている目。

 

 そこまで見られれば、誤魔化しようがない。

 

 酒寄は、分かってしまったらしい。

 

 これは、橘君だ、と。

 

 もちろん、まだ彼女は知らない。

 

 目の前で神輿みたいに担がれかけているシらぬイと、隣で知らんぷりをしている橘雅治が同一人物だということまでは、まだ知らない。

 

 ただ、こうは思っただろう。

 

 なぜ橘君が、こんなシらぬイ狂信者みたいな行列のすぐ近くにいるのか。

 

 もしかして、橘君もシらぬイの視聴者なのか。

 

 いや、今はそれ以上考えたくない。

 

 考えたら何かが終わる気がする。

 

 酒寄は、虚無の目で百珍夜行を見た。

 

 かぐやを見た。

 

 団扇や提灯に躍る『シらぬイ』の四文字を見た。

 

 そして、もう一度、雅治を見た。

 

 沈黙。

 

 それから、ぽつり。

 

「橘君」

 

「……」

 

「明日、お説教」

 

「……」

 

 雅治は、何も返せなかった。

 

 プラカードも出さなかった。

 

 いや、出せなかった。

 

 今ここで何かを出したら、目の前の百珍夜行へ油を注ぐどころか、灯油タンクを投げ込むことになる。

 

 その判断だけは、まだできた。

 

 ガスマスク集団がシらぬイの名を叫び、元被害者ライバーが御利益に感謝し、社会人たちが仕事の疲れを祭りに変え、かぐやがいつの間にか先頭で音頭を取っている。

 

「わーっしょい!」

 

「わっしょい!!」

 

「シらぬイ様をヤチヨカップへ!」

 

「歌って踊って喋らせろォ!」

 

「かぐやもやるー!」

 

「あなたはそっちに乗らないで!」

 

 酒寄はもう一度、消え入りそうな声で呟いた。

 

「やはり、シらぬイは害悪でしかなかった……」

 

 シらぬイは、沈黙した。

 

 沈黙しかできなかった。

 

 そしてその数秒後。

 

 行列の最前列で、金髪の月姫が満面の笑みで叫んだ。

 

「彩葉ー! かぐや、シらぬイの応援団長になったー!」

 

「今すぐ辞任しなさい!!」

 

 シらぬイになれば自由になれると思っていた。

 

 誰にも縛られず、誰にも期待されず、好き勝手に作れると思っていた。

 

 けれど今、自由の結果が羽織を着て鍋を叩きながら練り歩いている。

 

 しかも自分の名前を掲げて。

 

 しかもかぐやを巻き込んで。

 

 しかも酒寄に見られている。

 

 もう一度言う。

 

 類は友を呼ぶ。




GPTに作ってもらった挿絵。中央の二人を見たときにこれぞ天啓と思い即採用。
これぞ僕が追い求め覗シらぬイ。雅治にさせるにはちょっと酷だろうと思ったけど、身代わりが出たから一安心。よかったね雅治君!お友達が増えたよ~


いっつもご感想と評価、お気に入りありがとうございます!
今週から韓国に行ってまいりますのでほぼ2週間は定期更新はできません。時間を見つけてはメモってれば番外編一個なら投稿できるかも知れんのでお待ちを。

では行ってきまーす!

番外編を時間列に合わせて本篇の合間に入れてみる?

  • 話の展開やネタの繋がりがあってよさそう。
  • 「番外」やから別途でいいんじゃね?
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