今日も正常営業。ただし“そういうとこ”を添えてー 作:火力万能主義
更新はないと言ったな?
漢には、自分の言葉を曲げてでも報わねばならない時がある。
それが今だった。それだけである。
いろんな方からありがたき感想を頂きすぎて、カフェインパゥワーでハッスルしますた。
番外編らしく時間列はガバガバ。
まだ投稿してない本編時空での、かぐやがライバーを始めてまだ間もない頃、ということで。
母国で食べるキムチやっぱうめぇ。
『頭の上のリンゴをバズーカで撃ち抜いてみよう! シらぬイも一緒だよ☆』
ツクヨミにおける配信企画というものは、基本的に自由である。
歌う者がいる。
踊る者がいる。
ゲーム実況をする者がいる。
料理をする者もいれば、鍛造をする者もいるし、意味の分からない物体を真顔で作り上げて視聴者の情緒を破壊していく者もいる。
自由とは、創造性の母である。
しかし、自由とは時として、常識という名の薄い障子を勢いよく突き破り、その向こう側から満面の笑顔で手を振ってくる怪物でもある。
そして今。
その怪物は、月明かりの下でバズーカを構えていた。
『本日の企画!』
『頭の上のリンゴをバズーカで撃ち抜いてみよう!』
『シらぬイも一緒だよ☆』
配信画面の中央に、可愛らしい丸文字のテロップが踊る。
背景はツクヨミ内に作られた簡易訓練場。
観客席代わりに、視聴者アバターたちがわらわらと集まっている。中にはすでに団扇を振っている者もいるし、なぜか「処刑台」と書かれたプラカードを掲げている者もいた。
そして訓練場の中央。
一本の太い柱に、ロープで
白いシャツ。黒いズボン。作業用前掛け。
口元を覆うガスマスク型のマスク。
左腕には、いかにも何かやらかしそうな重い籠手。
ライバー名義、シらぬイ。
本人の意思とは関係なく、本日の主役である。
なお、彼はこの企画に参加する予定など一切なかった。
配信前、ただ通りすがっただけである。
素材屋へ寄って、謎の鉱石と竹串と干し柿を買い足し、今日の試作品の構想を練りながら歩いていたところ、物陰から飛び出してきたかぐやに見つかった。
「あっ、シらぬイだ!」
その一言が、すべての始まりだった。
シらぬイは反射的に逃げようとした。
だが、遅かった。
なお、ここで一つ説明しておくべきことがある。
かぐやの背後から飛び出してきた月兎スタッフたち。
彼らは、別にツクヨミ公式のスタッフではない。
白い全身タイツ。
腰のあたりに申し訳程度の丸い尻尾。
頭にはウサ耳カチューシャ。
顔面には、無駄に感情の読めない丸い目のマスク。
どう見ても怪しい。
かなり怪しい。
街中で見かけたら、子どもが泣くかもしれない。
だが、本人たちは大真面目だった。
彼らは月兎スタッフ。
もとい。
シらぬイの視聴者たちである。
事の始まりは、ほんの数十分前。
かぐやがツクヨミの街中を歩きながら、いつものように配信で雑談をしていた時のことだった。
「シらぬイにも、ドッキリできたら面白そう!」
言った。
言ってしまった。
その瞬間、コメント欄の空気が変わった。
『今なんて?』
『シらぬイに?』
『ドッキリ?』
『やるの?』
『やれるの?』
『いや、やるなら今しかないのでは?』
『待ってました』
『ついにこの時が来たか』
かぐや本人は、もちろん深く考えていなかった。
シらぬイがいつも変な物を作っている。
よく分からないけどすごい。
ならば、今度はこちらから驚かせたら楽しいかもしれない。
それくらいの、本当に軽い思いつきだった。
だが、その言葉を聞いていた者たちの中には、ただのかぐやファンではない者がいた。
例の百珍夜行。
あの奇怪にして混沌とした、理解不能の大騒動の中で、かぐやは一時、シらぬイ応援団長じみた立場になっていたことがある。
その縁もあり、かぐやがライバー活動を始めた時、シらぬイチャンネルから流れてきた視聴者たちが一定数存在していた。
彼らは知っている。
シらぬイという男が、どれほど意味不明な発想で人を巻き込むのか。
彼らは体験している。
新作武器の試し切り台にされ、
謎ギミックの安全確認役にされ、
たまに「協力感謝」とだけ書かれたプラカード一枚で済まされる理不尽を。
そして彼らは、心の奥底で思っていた。
いつか。
いつか、あの男をこちら側に引きずり込んでやりたい、と。
その日が来た。
かぐやが、言ってしまったのだ。
シらぬイにもドッキリができたら面白そう、と。
その一言を聞いた瞬間、シらぬイ視聴者たちの一部が立ち上がった。
誰に命じられたわけでもない。
公式スタッフでもない。
報酬が出るわけでもない。
ただ、胸の奥に溜まりに溜まった鬱憤と、長年シらぬイに鍛えられてきた妙な実行力と、後先を考えない勇気だけで、有志が集まった。
『対シらぬイ捕縛班、今なら結成できるのでは?』
『白タイツある』
『ウサ耳もある』
『ロープワークなら覚えてる』
『例の巨大食材捕獲講座な』
『あれ役に立つ日が来るとは』
『来ていい日じゃないだろ』
『でもやる』
『やるのか』
『やる』
かくして、月兎スタッフは誕生した。
白い全身タイツとウサ耳カチューシャに身を包んだ、あまりにも即席で、あまりにも覚悟の決まった、あまりにも後先を考えていない集団である。
勇者と呼ぶべきか。
愚者と呼ぶべきか。
少なくとも、火に飛び込む羽虫であることは間違いなかった。
何しろ相手はシらぬイだ。
捕縛に成功したとして、その後どんな仕返しが来るのか分かったものではない。
次回の配信で、巨大ウサギ捕獲機を作られるかもしれない。
月兎スタッフ専用の反省装置を開発されるかもしれない。
白タイツの伸縮性を利用した新型投石機の実験台にされるかもしれない。
それでも彼らは立ち上がった。
なぜなら。
今こそ、千載一遇の機会だったからである。
シらぬイがかぐやに気を取られる。
その一瞬。
そこにしか勝機はない。
彼らは分かっていた。
正面から挑めば勝てない。
準備を察知されれば逃げられる。
事前に情報が漏れれば、逆にこちらが謎の実験設備に放り込まれる。
だからこそ、即断即決。
かぐやの無邪気な一言を合図に、彼らは裏で動いた。
そして、その技術の元になったものもまた、皮肉なことにシらぬイ本人だった。
以前、シらぬイはKASSEN内のエネミーモンスターである牛鬼を見て、こう書いた。
『デカいザリガニ』
『いい出汁が採れそう』
牛鬼である。
牛と鬼の名を冠する、恐ろしい大型エネミーである。
それを出汁扱いした時点でまずおかしいのだが、問題はその後だった。
シらぬイはワイヤーと縄アイテムだけを使い、牛鬼を生け捕りにしてみせた。
逃げ道を読み、足を封じ、関節の向きを見切り、重心が崩れた瞬間に縄を噛ませる。
力で押さえつけるのではなく、動けなくなる形へ誘導する。
その手際は、無言配信であるにもかかわらず視聴者を見入らせるほど異様だった。
そして最後に出されたプラカード。
『巨大食材を逃がさず固定するための捕獲用ロープワーク講座』
当然、コメント欄は荒れた。
『食材じゃねぇ』
『牛鬼を料理前提で見るな』
『講座名が終わってる』
『でも普通に勉強になるの腹立つ』
『何を学ばされてるんだ俺たちは』
その時は、誰も思わなかった。
まさかその技術が、後にシらぬイ本人を捕まえるために使われるなどと。
だが、視聴者たちは覚えていた。
見様見真似だった。
完全な再現ではない。
本職のような精度もない。
それでも、彼らは伊達にシらぬイの玩具にされ続けてきたわけではなかった。
試され、転がされ、吹き飛ばされ、縛られ、吊るされ、謎の装置に入れられ続けた者たちには、妙な実戦経験が積み重なっている。
ロープの投げ方。
足元の絡め方。
体勢を崩した相手の引き方。
捕縛対象が反射的に逃げようとした時、どこを押さえれば動きが止まるのか。
全部、シらぬイにやられながら学んだ。
そして今。
その学習成果が、本人に返ってきた。
かぐやがシらぬイの名を呼ぶ。
シらぬイが、ほんの一瞬だけ足を止める。
その刹那。
白い影が、背後から跳んだ。
月兎スタッフたちである。
一本目のロープが、足首へ絡む。
シらぬイの視線が下がる。
遅い。
いや、普通の相手なら遅くない。
だが、月兎スタッフたちは相手がシらぬイであることを前提にしていた。
二本目が、膝裏を取る。
三本目が、腰を回る。
四本目が、胴を締める。
さらに背後から、別の白タイツが柱側へ走る。
連携は、異様に取れていた。
白い全身タイツのくせに。
ウサ耳カチューシャのくせに。
やっていることは妙に本格的だった。
シらぬイは、かぐやに気を取られすぎた。
いや、かぐやを警戒しなかったわけではない。
むしろ、かぐやが何をするか分からないからこそ意識を向けた。
その判断自体は間違っていない。
ただ、背後の視聴者たちまで同時に蜂起するとは思わなかった。
そこが不覚だった。
そして、その不覚は致命的だった。
ぐい、とロープが引かれる。
シらぬイの重心がわずかに崩れる。
普通なら、そこで体勢を立て直す。
彼のアバター筋力なら、白タイツ数人くらい簡単に引きずれる。
だが、月兎スタッフたちは人数で押した。
十人。
二十人。
三十人。
どこから湧いた。
いや、配信中の街中で有志を募った結果である。
熱量だけはあった。
シらぬイは抵抗しかけた。
足を絡め取られた程度なら、まだどうとでもなる。
胴にロープが回ったとしても、力任せに引き剥がすことは可能だった。
白タイツたちの人数がいくら多くとも、まだ致命的ではない。
だが、その瞬間。
目の前で、かぐやが両手を胸の前で合わせた。
「シらぬイ」
少しだけ首を傾げる。
「おねがぁい!」
上目遣い。
さらに、目うるうる。
二段コンボだった。
シらぬイの動きが、ぴたりと止まる。
ほんの一拍。
本当に、ただの一拍。
だが、その一拍が致命的だった。
(……やっぱうちのこ可愛い)
思ってしまった。
思ってしまったのである。
その瞬間、シらぬイの中で逃走判断と抵抗判断と状況分析のすべてが、かぐや可愛いという一点に上書きされたのだ。
終わりだった。
足を絡め取られ、胴を締められ、柱の方へずるずると引きずられる。
白タイツたちは、その一瞬を逃さなかった。
その目が、妙に輝いている。
日頃の鬱憤。
被験体にされた恨み。
謎実験に巻き込まれた悲しみ。
それでも結局、次の配信も見てしまう敗北感。
そういうものが、今、一つになっていた。
「今だ!」
「引け!」
「腰を浮かせるな!」
「足元もう一本!」
「柱固定!」
「ロープ締めろ!」
誰かが叫ぶ。
別の誰かが答える。
統率がある。
異様にある。
そして、その統率の源流を辿ると、全部シらぬイの配信に行き着く。
完全な自業自得だった。
やがて、シらぬイは柱に固定された。
手足。
胴。
腰。
肩。
逃げる隙間をできるだけ潰すように、ぐるぐる巻きにされている。
頭の上には、かぐやが丁寧にリンゴを乗せた。
現場は完成した。
白い全身タイツの月兎スタッフたちは、やり遂げた顔をしていた。
いや、まだ何も終わっていない。
むしろ最悪の始まりである。
だが、彼らに後悔はなかった。
今この瞬間だけは、胸を張って言える。
ざまぁ見ろ、と。
さんざん我々を試し切りにしてきた男よ。
さんざん我々をモルモットにしてきた男よ。
さんざん「協力感謝」の一言で済ませてきた男よ。
今度はお前の番だ。
うん。
いい気味だ。
ざまぁ見ろ。
そう言いたかった。
言いたかったが、口には出さない。
なぜなら、後が怖いからである。
だから彼らは黙っていた。
白タイツの丸い目で、じっとシらぬイを見ていた。
シらぬイもまた、無言で彼らを見返していた。
そして、ゆっくりとプラカードの吹き出しが浮かぶ。
『なるほど』
月兎スタッフたちの背筋に、冷たいものが走った。
だが、もう遅い。
かぐやはバズーカを構えている。
リンゴは頭上にある。
配信は回っている。
コメント欄は期待している。
そしてシらぬイは、柱に縛られている。
完全に、舞台は整ってしまった。
かぐやは知らなかった。
自分たちが心の底からこう思うことになる未来を。
やっぱり、あの男を縛るべきではなかったのではないか、と
そして、ここでようやく冒頭に戻るのである。
「え、どういう状況……?」
少し遅れてやって来た彩葉は、訓練場の中央に広がる光景を見て、立ち止まった。
視線の先には、柱に縛られたシらぬイ。
その頭の上には、ちょこんと赤いリンゴ。
そして数十メートル先には、にこにことバズーカを構えるかぐや。
彩葉の表情から、血の気が引いていく。
「……え? 本当にどういう状況?」
誰も答えなかった。
答えられる者はいた。
だが、縛られていた。
シらぬイの目元だけが、わずかに細くなる。
空中に、彼専用の小型プラカードが浮かんだ。
『通りすがりです』
彩葉は頭を抱えた。
「通りすがりの人を柱に縛る企画って、どういうジャンルなの……?」
「だいじょうぶだよ、いろは!」
かぐやは自信満々だった。
「ちゃんとリンゴを狙うから!」
「そこじゃないんだよ、かぐや。そこじゃないんだよ……!」
彩葉の声が震える。
しかし、かぐやは聞いていない。
というより、聞いてはいるのだが、恐怖よりも企画へのわくわくが勝っている顔をしている。
その目はきらきらしていた。
無邪気で、明るくて、まぶしくて。
その手に構えられているのがバズーカでさえなければ、微笑ましい光景だった。
シらぬイは柱に縛られたまま、無言でかぐやを見る。
その目が、ほんの少しだけ遠くなった。
(この巻き込み具合……さすが俺の娘)
懲りずにバカなことしか考えていないアホが一人。
いや、アホは一人ではない。
この場にいる視聴者たちの八割は、もうすでに正気を手放していた。
『始まったwwwww』
『野生のシらぬイ、捕獲成功』
『逃げ足速いのによく捕まったな』
『捕獲ロープ講座の成果出てて草』
『先生、自分の技術で縛られる気分はどうですか?』
『因果応報ってこういうことなんだな』
『頭のリンゴちょっと右じゃね?』
『いや左だろ』
『シらぬイ本体を狙うなら右三ミリ』
『おい目的変わってるぞ』
コメント欄はすでに荒れていた。
だが、荒れている方向が完全におかしかった。
誰一人として、「それは危ない」と言わない。
誰一人として、「やめた方がいい」と言わない。
むしろ、全員が企画の成功率を真剣に議論していた。
彩葉はコメント欄を見て、さらに頭を抱える。
「なんで誰も止めないの……?」
シらぬイのプラカードが浮かぶ。
『日頃の行い』
「それを本人が言うのもどうかと思うけどね!?」
彩葉が思わずツッコむ。
その瞬間、かぐやがバズーカを肩に担ぎ直した。
かぐやの武器は、見た目こそバズーカだが、構造としてはやや特殊である。
内部に装填されるのは、火薬でもエネルギー弾でもない。
硬質化した
かぐやは、謎のテクノロジーによって硬質化させたウナギを弾丸として撃ち放つ。
ウナギ弾丸に込められた純粋な物理力で対象を殴り飛ばすという、原始的かつ理不尽な兵装。
遠距離では砲撃。
近距離ではハンマー。
小回りは利かないが、一撃の突破力は高い。
そのはずだった。
そのはずなのに、なぜ今、リンゴを狙っているのか。
もう一度言う。
どうしてこうなった。
「いっくよ〜」
かぐやは明るく言った。
彩葉が叫ぶ。
「待って待って待って! せめて安全確認を 」
ちゅどーん。
音は爆発ではなかった。
爆炎も上がらなかった。
ただ、空気が裂けた。
発射された硬質ウナギ弾丸が、目にも止まらぬ速度で一直線に飛ぶ。
狙いは、少しだけズレた。
リンゴではなく、シらぬイのアバターの耳元を掠める。
次の瞬間。
後方の地面に着弾したウナギ弾丸が、土砂を巨大な波のように巻き上げた。
派手な爆発はない。
火も出ない。
煙も少ない。
なのに、地面が抉れた。
純粋な物理力だけで、訓練場の一角が耕された。
「ヒェッ」
彩葉の喉から、細い悲鳴が漏れた。
無言だったが、目が言っていた。
(マジか……)
リンゴは、まだ頭の上にあった。
奇跡的に無傷である。
シらぬイの耳も、アバターなので再生判定が入っているが、かなり際どかった。
コメント欄が、爆発した。
『惜しいいいいいいいいい!!!!!』
『あと右に三ミリだったのに!!!』
『リンゴじゃなくて耳狙った?』
『実質当たりでは?』
『シらぬイざまぁwwwww』
『普段モルモットにされた視聴者たちの怨念が今ここに』
『試し切りされた者たちよ、立ち上がれ』
『これが革命か』
『我々は八千年待ったのだ』
『シらぬイ、今どんな気持ち?』
『ねえ今どんな気持ち?』
シらぬイのプラカードが、ゆっくり浮かんだ。
『今のでリンゴが落ちないのはなぜ』
リンゴは、シらぬイの頭の上でぴたりと固定されていた。
「……かぐや。それ、何かした?」
「ちょっとだけくっつけた!」
シらぬイの目元が、すっと細くなる。
『仕込み』
「ちがうよ!」
『無告知』
「うっ」
『検証不正』
「うぅ……」
『ライバーとして?』
「字で圧かけないでぇ!」
彩葉は頭を抱えた。
「正論なのが一番困る……」
どうすればいいのか分からない。
かぐやは悪気なく仕込みをしている。
シらぬイは柱に縛られたまま、無言で配信倫理を突いてくる。
コメント欄は面白がっている。
頭の中が忙しい。
非常に忙しい。
誰か助けてほしい。
だが、この場をどうにか制御できそうな男は、今まさに柱に縛られていた。
そして、それに関してだけは少しも同情できない。
日頃の行いである。
これまで視聴者たちを試し切り、実験台、捕獲対象として扱ってきた男に、ついに順番が回ってきただけだった。
自業自得。
天誅と呼ぶには少し私怨が濃すぎるが、あまりにも綺麗な自業自得だった。
『祝・被験体デビュー』
『ようこそこちら側へ』
『新人モルモットさん、緊張してる?』
『まずは深呼吸しようね』
『息できる? ロープきつくない?』
『優しいコメントに見せかけて煽るな』
『いやでも感慨深いな』
『俺たちが撃たれたウナギの痛みを知れ』
シらぬイは無言でコメント欄を見ていた。
そして、ゆっくりとプラカードを出す。
『なるほど。撃たれる覚悟あり、と』
コメント欄が一瞬だけ静かになった。
次の瞬間、恐怖が走る。
『あっ』
『やばい』
『これ後日やり返されるやつだ』
『全員逃げろ』
『ログ残ってるぞ』
『コメントした奴ら全員ブラックリスト入りでは?』
『いやシらぬイならブラックリストを素材にして武器作る』
『怖すぎるだろ』
彩葉は小さく息を吐いた。
「もうコメント欄まで含めて治安が終わってる……」
「いろは! もう一回やっていい?」
「本当はダメって言いたい。ものすごく言いたい」
彩葉はシらぬイを見る。
縛られたままのシらぬイは、無言でこちらを見返してきた。
助けてくれ。
そう言っているようにも見える。
だが、同時に。
面白いからもう少し見たい。
そう思っているようにも見えた。
彩葉は顔をしかめる。
「……シらぬイ、もしかしてちょっと楽しんでない?」
プラカードが浮かぶ。
『検証としては』
一拍。
『興味深い』
「ほらぁ!」
彩葉は叫んだ。
「そういうところだよ! そういうところがあるから、かぐやが止まらないんだよ!」
かぐやはきょとんとした顔で首を傾げる。
「シらぬイ、楽しい?」
シらぬイは少しだけ沈黙した。
そして、プラカードを出す。
『怖い』
彩葉が頷く。
「だよね」
もう一枚。
『でも』
嫌な予感がした。
『データは欲しい』
「そういうとこ!!」
コメント欄が歓喜した。
『出たwwwww』
『本人が一番ダメだった』
『怖いけどデータは欲しい、これぞシらぬイ』
『命より検証』
『いやアバターだけど』
『そういうとこ!!!!』
『本日の結論:止める人がいない』
かぐやは満面の笑みで、再びバズーカを構えた。
「じゃあ、二回目いくよ〜!」
「待って、せめて狙いを補正して! さっき右にズレてたから、少し左上に 」
「コメントさんが右に三ミリって言ってた!」
「それはシらぬイを撃つ方向の三ミリだよ!」
彩葉の叫びも虚しく、かぐやは照準を合わせる。
シらぬイの頭上で、リンゴが夕日のように赤く光っていた。
本人は縛られたまま、静かに目を閉じる。
何を思っているのか。
悔いか。
覚悟か。
それとも次回配信の報復案か。
たぶん三つ目である。
「いっくよ〜!」
ちゅどーん。
二発目のウナギ弾丸が放たれる。
今度の軌道は、先ほどよりも正確だった。
硬質化したウナギが空気を裂き、一直線にリンゴへ迫る。
彩葉が息を呑む。
コメント欄も一瞬だけ止まる。
シらぬイの目が、細く開かれる。
そして。
ぱぁんっ。
リンゴが弾けた。
硬質化したウナギ弾丸は、今度こそ赤い果実のど真ん中を貫いた。
果肉が花火のように散り、甘い果汁の粒が月光を受けてきらきらと輝く。
成功である。
少なくとも、リンゴだけを見れば。
「やったー! 当たったー!」
かぐやが両手を上げて飛び跳ねる。
彩葉も一瞬だけ、ほっと胸を撫で下ろしかけた。
けれど、その安堵は半秒も保たなかった。
めきっ。
柱が鳴った。
地面に深々と刺さっていたはずの柱が、根元から嫌な音を立てて浮き上がる。
いや、浮き上がるというより、ウナギ弾丸の余波を真正面から受けて、地面ごと抉られていた。
「……え?」
彩葉の声が、乾いた。
次の瞬間。
ずぼっ。
地面から柱が抜けた。
それはもう、収穫時期を迎えた大根のように見事な抜け方だった。
そして柱にロープでぐるぐる巻きにされたままのシらぬイは、柱ごと空へ飛んだ。
ぐおんっ、と空気を巻き込みながら、明後日の方向へ一直線。
あまりにも綺麗な放物線だった。
訓練場にいた全員が、ぽかんと口を開けて見送る。
かぐやも。
彩葉も。
コメント欄も。
月兎スタッフたちも。
誰も、すぐには反応できなかった。
ただ、空へ飛んでいくシらぬイだけが、真顔のままプラカードを出した。
しかも、そのプラカードは一拍遅れて本人を追いかけていった。
白い板が、ひゅるるるる、と飛行機雲のよ
やがて、空の彼方でシらぬイの姿が小さくなっていく。
柱。
ロープ。
シらぬイ。
プラカード。
全部まとめて、点になった。
そして。
キラッ
星になった。
「…………」
「…………」
「…………」
しばらく、誰も喋らなかった。
最初に復帰したのは、やはりコメント欄だった。
『ロケット団かよwwwww』
『綺麗に飛んだなぁ』
『今の飛距離、何メートル?』
『リンゴ命中、柱抜去、シらぬイ射出、全部成功』
『なんで成功判定なんだよ』
『本日の企画:頭のリンゴを撃つ』
『結果:シらぬイが星になる』
『情報量が多すぎる』
『嫌な感じーーーーーーで腹筋死んだ』
『プラカード追尾するのズルいだろwww』
『あの状況でコメント出せるの強すぎる』
『いや本人は真顔なんだよな』
『真顔で星になる男』
『これが無声配信者の末路』
彩葉は、ゆっくりと両手で顔を覆った。
「……もうやだ、この配信」
かぐやは空を見上げたまま、目をきらきらさせていた。
「シらぬイ、すごーい! 飛んだ!」
「褒めるところじゃないよ、かぐや」
「でも、すごく綺麗に飛んだよ?」
「綺麗に飛んだら大丈夫ってわけじゃないんだよ……!」
彩葉は胃のあたりを押さえた。
ツクヨミ内だから現実の怪我はない。
ないはずだ。
たぶんない。
おそらくない。
でも、精神的な何かは確実に削れている。
主に自分の。
◇ 星になった男、その名はシらぬイ ◇
シらぬイは、飛んでいた。
正確には、飛ばされていた。
自分の意思ではない。
推進装置もない。
羽もない。
飛行スキルも使っていない。
ただ、通りすがりに捕まり、柱に縛られ、頭上のリンゴをバズーカで撃ち抜かれた結果、衝撃で柱ごと打ち出されただけである。
だが、飛行姿勢は綺麗だった。
柱に固定されているため、姿勢がぶれない。
ロープが余計な手足の動きを封じているため、空中で無駄に暴れない。
飛ばされた直後の衝撃方向も、妙に安定していた。
もしもこれが競技であったなら、芸術点だけは高かったかもしれない。
競技であってたまるか。
(ふむ)
夜空の中、シらぬイは静かに思考する。
焦りはなかった。
悲鳴もない。
怒号もない。
抵抗もない。
ただ、状況を分析していた。
地面から柱が抜けた瞬間の角度。
弾丸の余波。
自分のアバター重量。
柱の質量。
ロープの締め付け。
空中での回転量。
現在速度。
想定着地点。
おかしい。
明らかにおかしい。
通りすがりにバズーカを撃たれて星にされた男が、ここまで冷静に自分の飛行軌道を解析している。
こいつ、こんな状況でも冷静に分析とかしでかすのは、やっぱり頭シらぬイなのだろうか。
いや、頭シらぬイである。
疑問の余地はない。
やがて、シらぬイの視界が切り替わった。
訓練場じみたグラウンドマップが遠ざかる。
地平の向こう側へすっ飛ばされたことで、マップの許容範囲を超えたらしい。
ツクヨミのシステムが、自動的に別の地形マップへ移行する。
画面の端に、一瞬だけ通知が流れた。
『エリア境界を超過しました』
『森湖畔マップへ移動します』
次の瞬間。
景色が変わった。
月明かりに照らされた森。
深い緑の木々。
風に揺れる枝葉。
その中央に、静かな湖。
そして、シらぬイは。
その湖の中央へ、柱ごと落ちた。
ばっしゃああああああんっ。
水柱が上がる。
湖面が割れる。
飛び込んだというより、落下物が突っ込んだに近い音だった。
シらぬイと柱は、水中へ沈んでいく。
光が揺れる。
泡が上がる。
水の抵抗によって速度が落ち、やがて湖の中ほどで沈降は緩やかになった。
普通なら、ここで慌てる。
縛られている。
手足が動かない。
柱ごと沈んでいる。
湖の中央。
水中。
誰もいない。
焦って当然の状況である。
だが。
(ふむ)
シらぬイは、なんの焦りもなく沈んでいた。
ただ、冷静に分析する。
(呼吸判定は発生しているが、ツクヨミ内の水中ペナルティは現実の窒息と直結しない。一定時間ごとにアバター行動制限が入る程度。拘束状態による脱出難度は高い。だが、ロープの締め方は俺の講座を参考にしている。ならば構造は読める)
自分で教えたロープワークで縛られているから、構造は読める。
最悪である。
(ただし、手足の自由はない。左腕の籠手も拘束されている。力任せに破ることは可能だが、せっかくなので状態を確認する)
せっかくなので。
この男、湖に沈められてなお「せっかくなので」と考えている。
だめだ。
やはり頭シらぬイである。
水中で、シらぬイはわずかに身体を動かした。
そこで気づく。
柱が、
ちょうど背中の中央あたり。
腰の位置に近い部分で、柱が二つに割れていた。
飛行中の衝撃か。
着水の衝撃か。
あるいは、リンゴを撃ち抜いた時点ですでに内部に亀裂が入っていたのか。
理由はどうでもいい。
重要なのは、結果である。
柱が折れた。
つまり。
腰が動く。
そう。
腰を
曲げる
ことが
できる。
(……動ける)
シらぬイは、まず淡々と腰を曲げてみた。
ぎしり、とロープが鳴る。
柱の折れた部分が、関節のように動く。
次に、少し捻ってみる。
手足は縛られたまま。
だが、胴体は動く。
コア筋肉を中心とした体幹は、いつものように使える。
アバターの筋力パラメータからしても、柱一本や二本程度、重荷にもならない。
身体は動く。
暇がある。
ならば。
筋トレをする。
なぜ筋トレ?
しかし、筋トレである。
暇がある。
身体が動く。
なら、するだろう?
いや、しねぇーよ馬鹿。
だがシらぬイは、する。
湖の中で。
柱に縛られたまま。
通りすがりにバズーカを撃たれて吹き飛ばされた直後に。
腹筋を始める。
最初は、いつものように。
身体を起こす。
戻す。
起こす。
戻す。
水中抵抗があるため、動作は少し重い。
しかし、それが逆に負荷となる。
体幹へかかる圧が、普段とは違う。
そこで、シらぬイは気づいた。
(……甘い)
自分のフォームが、甘い。
普段通りに腹筋をしようとすると、少しバランスが悪い。
連続で行うと、どうしても反動に任せ気味になる瞬間がある。
これまで見逃していた。
いや、見逃していたのではない。
気づく機会がなかったのだ。
手足が縛られ。
背に柱を負い。
水中で。
腰だけが動く。
そんな極限条件になって初めて、体幹のズレが露わになった。
(未熟)
シらぬイは、自分の未熟さに気づいた。
普通なら、この状況で未熟さを感じる部分はそこではない。
もっと他にある。
たとえば、通りすがりに捕まったこと。
柱に縛られたこと。
リンゴを乗せられたこと。
バズーカを撃たれたこと。
星になったこと。
湖に落ちたこと。
反省点はいくらでもある。
だが、シらぬイが見つめているのは腹筋のフォームだった。
(感謝)
シらぬイは、静かに思った。
(今日の巻き込みに感謝。これで俺はまた一つ理想に近づける)
だからどこへ?
誰もいない湖の底で、答えなきツッコミだけが泡となって浮かんでいく。
そこから、シらぬイの動きが変わった。
ただの腹筋ではない。
下半身をまっすぐに伸ばす。
上半身を一直線に浮かせる。
体幹の奥へ力を溜める。
腰を支点に、両端を同時に引き上げる。
腹直筋だけではない。
腸腰筋。
腹斜筋。
背筋群。
股関節周辺の制御。
呼吸。
反動の殺し方。
重心の置き方。
すべてを整える。
あまりにも真面目だった。
真面目すぎて、馬鹿みたいだった。
湖の中央に沈んだまま、柱に縛られた男が、完璧なV字起こしを追い求めている。
その姿勢は、綺麗だった。
無駄がない。
ぶれがない。
力みすぎない。
それでいて、芯がある。
まっすぐだった。
恐ろしいほど、まっすぐだった。
(そうか)
シらぬイは、閃いた。
水中での抵抗。
柱の質量。
ロープによる四肢固定。
腰だけが可動する状態。
そしてV字起こしによって生じる反動。
これを、移動に転用できる。
普通はしない。
だが、できる。
できると分かったなら、やる。
それがシらぬイである。
水底で、プラカードが浮かんだ。
『漢とは』
一拍。
『常に』
一拍。
『夢を追い求めて』
一拍。
『走っていくもの』
湖の中なので、プラカードの周囲から小さな泡がぷくぷくと上がる。
さらに、次の文字が出る。
ごく厚く。
太く。
無駄に圧のあるフォントで。
水中でやるな。
しかし、やった。
シらぬイは、腰を折る。
身体をV字にする。
反動を溜める。
湖底を蹴るように、いや、蹴る手足は使えないので、全身の反動だけで水を押し出す。
ばごんっ。
湖底の泥が舞った。
一回。
ばごんっ。
二回。
ばごんっ。
三回。
ばごんっ。
柱に縛られたまま、シらぬイはV字起こしの反動だけで湖底を進み始めた。
水中で、巨大な二枚貝が羽ばたくように。
いや、もはや貝ではない。
腹筋である。
腹筋という概念が、柱を背負って湖底を這っている。
そして、湖岸へたどり着いた瞬間。
どぉんっ
シらぬイは水面を割って飛び出した。
月光を背負い、湖水を滴らせながら。
柱に縛られたまま。
真顔で。
V字起こしを続けながら。
森を抜ける。
地面を跳ねる。
砂煙を上げる。
訓練場へ向かって。
戻る。
なぜなら、まだ配信中だからである。
場面は、かぐやたちのいる訓練場へ戻る。
空には月。
地面には抉れた跡。
中央には、シらぬイを飛ばした元凶のかぐや。
その隣には、すでに精神的疲労で顔色を失いつつある彩葉。
周囲には、まだ状況を飲み込めていない視聴者アバターと月兎スタッフたち。
誰もが、シらぬイが飛んでいった方角を見ていた。
「……探しに行った方がいいよね?」
彩葉が言った。
その声には、常識人としての責任感と、行きたくないという本音が半分ずつ混じっていた。
かぐやは、少し涙目になっている。
「シらぬイ、怒ってるかな……?」
「怒ってるかどうかは分からないけど、普通は怒られても仕方ないと思う」
「うぅ……」
かぐやがしゅんとする。
その姿を見ると、彩葉も強く言い切れない。
確かに、やったことは大事故だ。
通りすがりを巻き込んだ時点でアウト。
バズーカを撃った時点でさらにアウト。
柱ごと吹き飛ばした時点で、もう何かしらの委員会が開かれるべき案件である。
しかし、かぐやに悪意はない。
ないからこそ、余計に厄介なのだが。
コメント欄では、まだ混乱が続いていた。
『シらぬイ捜索隊いる?』
『いや戻ってくるだろ』
『どうやって戻るんだよ』
『徒歩?』
『柱ごと?』
『まずロープ解けるのか?』
『シらぬイならなんかする』
『なんかする、の信頼感が嫌すぎる』
その時。
訓練場の上空に、ぽん、と何かが出現した。
全員が見上げる。
それは、巨大なパネルだった。
シらぬイが配信中に使う、あのプラカードと同じ形式。
ただし、いつもより大きい。
まるでクイズ番組の出題ボードのようだった。
『問題』
訓練場がざわつく。
『シらぬイに』
一拍。
『腰を曲げることを』
一拍。
『許すと』
一拍。
『何が起きるか』
続いて、選択肢が表示された。
『①横向きに高速スピン』
『②立ち幅跳び』
『③イモムシストレッチ』
『④腹筋』
沈黙。
長い沈黙。
誰も、すぐには反応できなかった。
「……なに、これ」
彩葉が呟く。
コメント欄が動き出す。
『急にクイズ始まったんだけど』
『出題者どこだよ』
『シらぬイ、生きてるなこれ』
『いや生きてるのは分かるけど何してんの?』
『①だろ。柱ごと回転しそう』
『②もあり得る。地面を蹴って跳びそう』
『③は絵面が嫌すぎる』
『④だけ普通に見える』
『シらぬイにおいて普通に見える選択肢ほど罠』
『全部正解では?』
月兎スタッフたちもざわめき始める。
「①じゃないか? あの人なら回るだろ」
「でも、あの拘束状態なら跳ねる方が自然では?」
「イモムシストレッチは、実際できそうで怖い」
「④はただの筋トレですよね?」
「ただの筋トレで済む相手か?」
「いや、済まない」
誰もが答えに迷っていた。
何が起こるのか分からない。
だが、何かが起こることだけは分かる。
シらぬイが、ただ吹き飛ばされて終わるはずがない。
その中で。
彩葉だけが、じっと遠くを見つめていた。
彼女は知っている。
あの男は、これで終わるはずがない。
通りすがりに捕まった。
柱に縛られた。
リンゴを乗せられた。
バズーカで撃たれた。
星になった。
普通なら、そこで被害者で終わる。
だが、シらぬイは違う。
あの男は、被害を受けた状況すら素材にする。
不便を検証に変える。
事故を発想に変える。
拘束を新しい動作実験に変える。
つまり。
戻ってくる。
必ず。
何かしらの意味不明な形で。
「……来る」
彩葉が小さく言った。
かぐやが振り向く。
「え?」
「戻ってくる。たぶん、ものすごく嫌な形で」
「嫌な形……?」
その瞬間。
遠くから、音がした。
どぉん
低い轟音。
地面がかすかに揺れる。
全員が、音のした方角を見る。
もう一度。
どぉん
砂煙が上がる。
地平線の向こう。
月明かりに照らされた遠い森の方角から、何かがこちらへ近づいてきている。
どぉん。
どぉん。
どぉん。
一定の間隔で、地面を叩くような音。
近づくにつれて、影が見えてくる。
柱。
折れた柱。
それに縛りつけられた長身の男。
シらぬイ。
しかし、歩いてはいない。
走ってもいない。
横向きに高速スピンもしていない。
立ち幅跳びでもない。
イモムシストレッチでもない。
腰を折り、上半身と下半身を同時に持ち上げ、V字を作り、その反動で地面を跳ねている。
反復V字起こし。
腹筋である。
腹筋で、戻ってきている。
真顔で。
柱に縛られたまま。
砂煙を上げながら。
あまりにも綺麗なフォームで。
その場にいた全員の思考が、一つになった。
かぐやも。
彩葉も。
月兎スタッフたちも。
視聴者アバターたちも。
コメント欄も。
同じ気持ちを込めて、叫んだ。
コメント欄にも同時に流れる。
『ハァ?』
『ハァ?』
『ハァ?』
『ハァ?』
『ハァ?』
『ハァ?』
『ハァ?』
シらぬイは、止まらない。
どぉん。
V字。
どぉん。
V字。
どぉん。
V字。
上空の巨大パネルに、答えが表示された。
『正解』
一拍。
『④腹筋』
その瞬間、訓練場は完全に終わった。
『腹筋で戻ってくるなwwwww』
『なんでだよ』
『なんでそうなるんだよ』
『正解したくなかった』
『フォーム綺麗なのが余計に腹立つ』
『真面目にやるな』
『これがPlus Ultraか』
『違うだろ』
『いやシらぬイ的には合ってるのかもしれない』
『合ってたまるか』
かぐやは、理解不能の何かを見てしまった。
先ほどまでの不安や罪悪感が、別種の恐怖に塗り替えられる。
泣きそうな顔で後ずさる。
「ひっ……」
シらぬイが、V字起こしで近づいてくる。
どぉん。
「ひゃっ……」
さらに近づく。
どぉん。
かぐやの中で、SAN値チェックが走った。
そして、見事に
「いやああああああああああああ!?」
悲鳴を上げて、かぐやは逃げ出した。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい〜!!!!」
その後ろを、V字起こしをし続ける真顔のシらぬイが追ってくる。
追いかけているのか。
ただ戻ってきているだけなのか。
誰にも分からない。
だが、絵面としては完全に追跡だった。
どぉん。
どぉん。
どぉん。
「来ないでぇぇぇぇぇ!」
どぉん。
「もう通りすがりにバズーカ撃たないからぁ!」
どぉん。
「ほんとにごめんなさいぃぃぃ!」
どぉん。
彩葉は、立ち尽くした。
目が点になっている。
頭が理解を拒んでいる。
何を見せられているのか分からない。
ただ一つ、分かることがある。
今日も。
シらぬイは。
シらぬイである。
上空のパネルに、最後の一文が表示された。
『本日の結論』
『通りすがりに』
『バズーカを撃つ者には』
『V字起こし』
コメント欄が、終わった。
『教訓が嫌すぎる』
『ことわざみたいに言うな』
『通りすがりにバズーカを撃つ者にはV字起こし』
『何世代にも語り継ぐな』
『令和の怪異』
『V字起こしに追われる姫』
『腹筋の妖怪』
『シらぬイ、怒ってる?』
『いやたぶん真面目に帰ってきてるだけ』
『それが一番怖い』
やがて、逃げるかぐやの足がもつれた。
「ひゃうっ!」
ぺたん、と座り込む。
その目の前で、シらぬイが最後のV字起こしを決めた。
どぉん。
砂煙が舞う。
静寂。
シらぬイは、柱に縛られたまま、身体をV字にした姿勢のままかぐやの前でぴたりと止まった。
真顔。
水に濡れている。
背中には折れた柱。
全身はロープで拘束。
だが、フォームは完璧。
かぐやは涙目で見上げる。
「ご、ごめんなさい……」
シらぬイは無言だった。
そして、ゆっくりとプラカードを出した。
『次から』
一拍。
『撃つ前に』
一拍。
『許可を取る』
かぐやは、こくこくこくこくと何度も頷いた。
「取る! 絶対取る! もう勝手に撃たない!」
もう一枚。
『あと』
『水中負荷』
『有効』
「そこじゃない!」
彩葉のツッコミが、訓練場に響き渡った。
今日の結論。
通りすがりに向かってバズーカを撃つものには、V字起こし。
今日もシらぬイは、シらぬイである。
かぐやVSシらぬイVSダークライ
かぐやの先制攻撃からの返り討ちでシらぬイが一本リード。
彩葉ママはいつ吹っ切れるか分かんない模様。
ツクヨミなのに、なぜ腹筋が効くのかって?
片目を開けて、リアルでも同時に腹筋していたからです。
筋肉バカは、筋トレ描写のエアプを許さない。
たとえ仮想空間でも、腹筋は裏切らない。
裏切るのはだいたい常識の方である。
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