今日も正常営業。ただし“そういうとこ”を添えてー   作:火力万能主義

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お久しぶりです、火力万能主義です。
スランプ気味が絶えず、前回の更新予告よりが倍にも伸びてしまって申し訳ないっす。

中々7月からの日程の前にできるだけ更新を頑張ろうとしても、書こう書こうとしても椅子に座ってもすぐにほかのに目が行ってしまうから本当、スランプってきついっすね。
前回の投稿もスランプの中で無理やりテンションを上げて書いてたから、自分的にもちょっとつまずきかけたけども、こうして無事に復帰できました。

頭の中がぐちゃぐちゃのときにはやはり身体動かして酸素を脳に直接叩き込むに限る。
久しぶりのハイテンションで書き上げれたので、僕も書きながら楽しかったです。
みなさんにも、少しでもこの楽しさが伝われればと思います。

では、ついに待ち望んだ我らがかぐや姫のデビュー回です。
どうぞ!




第十五話 これも、悪くないかもしれない。

第十五話 これも、悪くないかもしれない。

 

 

 

 学校から帰ってきた彩葉が、部屋へ入るなり机に向かう。

 

 鞄を置く。

 制服の上着を脱ぐ。

 髪を軽く整える。

 

 そして、ノートパソコンを開く。

 

 疲れているはずだった。

 足も少し重い。

 

 まぶたの奥には、今日一日分の眠気が溜まっている。

 

 けれど、今夜の彩葉にはやるべきことがあった。

 

 夏休みの日程表である。

 

 ただの日程表ではない。

 酒寄彩葉が、今後の生活と学業と家計と、月から来た超特大不確定要素を同時に管理するため、気合と根性と睡眠時間を削って作り上げた、夏休み生存戦略表である。

 

 勉強は赤字。

 バイトは青字。

 買い出しや家事は緑字。

 ツクヨミ関連は紫字。

 

 そして、かぐや関連は黄色。

 

 黄色。

 

 黄色。

 

 黄色。

 

 画面の中のカレンダーは、まるで警戒色に侵食されるように、ところどころが蛍光ペンの黄色で染まっていた。

 

 彩葉はそれを見て、ふっと息を吐く。

 

 完璧だ。

 我ながら、かなり綿密に組めたと思う。

 

 パズルのようにマスを埋めた予定表を前に、彩葉は少しだけ得意げな顔をした。

 

 これならいける。

 

 少なくとも、今よりはましになる。

 

 たぶん。

 

 きっと。

 

 そうであってほしい。

 

「な、なにこれぇ~~」

 

 その背後から、へろへろにしわくちゃになった声が聞こえた。

 

 振り返ると、かぐやが布団の上で予定表を見つめていた。

 

 先ほどまで端末を抱えてご機嫌だった金髪の月姫が、今はハッピーどころかノロノロである。

 

 目から光が消えかけている。

 

 予定表ひとつでここまで露骨に弱るのも、ある意味才能だった。

 

「夏休みの日程表に決まってるでしょ」

 

 胸を張る彩葉。

 

「一日も、一時間も、無駄にはできないから。邪魔は禁止。勝手に橘君をうちに呼び込むのも禁止」

 

「え~~やだ!」

 

「もう彩葉条約忘れたの? 、守るって言ったのはかぐやじゃない」

 

「言ったけどぉ!」

 

「言ったなら守りなさい」

 

 夏休みまで、もうそう長くはない。

 

 夏休みといっても、彩葉に自由が降ってくるわけではない。

 

 登校日はある。

 課題もある。

 受験を見据えた勉強もある。

 

 バイトの時間も、今のうちにできるだけ増やしておきたい。

 

 三年に上がれば、今よりもっと時間は取れなくなる。

 その前に少しでも備えなければ、後に響く。

 

 しかも、十万以上もの大金を肩代わりしてくれた級友の少年にも、いつかきちんと返したい。

 

 気にしなくていい、と彼は言うかもしれない。

 

 必要経費だ、と言うかもしれない。

 

 けれど、それで彩葉が納得できるわけではなかった。

 

 借りたものは返す。

 助けられたことは忘れない。

 

 そのためにも、今は時間もお金も、何ひとつ無駄にできない。

 

 そんな彩葉の内側の焦りなど、かぐやが正確に理解できるはずもなく。

 

「しかも見てよコレぇ?!」

 

 かぐやは予定表を指差した。

 

 学校。

 

 バイト。

 

 課題。

 

 復習。

 

 予習。

 

 そして。

 

 かぐや監督。

 

 かぐや監督。

 

 かぐや監督。

 

「これ監督じゃなく監視じゃん!?」

 

「必要でしょうよ」

 

「かぐや、珍獣じゃないもん!」

 

「ここ数日の行いを思い出してから言いなさい」

 

「うぐぅ」

 

 痛いところを突かれた月姫、沈黙。

 

 勝手に人の物を使った。

 

 食材を無駄にした。

 

 電気も水も開けっぱなしにした。

 

 戸締まりもせずに走り出した。

 

 挙げ句の果てには、彩葉が久しぶりに楽しみにしていた甘味を横取りし、最後には死ぬ気で貯めた全財産を一撃で散財した。

 

 うん。

 

 自業自得である。

 

 しかも、そのどれもこれも、本人に悪意はない。

 

 全部、ハッピーにしたかっただけ。

 

 楽しいと思った。

 よかれと思った。

 面白そうだった。

 

 だから、やった。

 

 ただ、ちょっとだけ世界がかぐやの勢いについてこられなかった。

 うん、きっとそうであるに違いない。

 

 maybe。

 

「やだやだやだやだー! かぐやと遊んでよー!」

 

「今日は無理」

 

「かぐやも行く! 行きたぁい!」

 

「どこに」

 

「彩葉が行くところ全部!」

 

「学校もバイトも無理でしょ」

 

「なんで!」

 

「あんたが来るだけで何が起きるか分からないからでしょうよ」

 

「じゃ、買い出しは?」

 

「それはまあ、場合によるけど」

 

「ツクヨミは!」

 

「それは条件付き」

 

「じゃあ、かぐやは一日中ここでお留守番!?」

 

「自分で言ったんだから、自分でハッピーになればいいじゃない」

 

「そんなのハッピーじゃない!」

 

 かぐやは布団の上でさらに跳ねた。

 

 ぽふん。

 

 ぽふん。

 

 ぽふん。

 

 柔らかい布団が、月の重力みたいにかぐやの身体を跳ね返す。

 

 楽しい。

 

 いや、今は楽しい場合ではない。

 

 抗議中である。

 

「かぐやは彩葉と一緒がいいの! 彩葉が学校なら学校! バイトならバイト! 買い出しなら買い出し! ツクヨミならツクヨミ! ぜんぶ一緒!」

 

「気持ちは分かったけど、現実には現実のルールがあるの」

 

「彩葉条約?」

 

「それも含めてね」

 

「条約、多すぎるよぉ!」

 

「増やしたのは誰のせいだと思ってるの」

 

「……世界?」

 

「アンタでしょうが」

 

「かぐやだったぁ」

 

 彩葉の視線が痛い。

 

 けれど、かぐやはめげない。

 

 だって、世界は広いのだ。

 

 彩葉の部屋だけでも、まだ知らないものがいっぱいある。

 

 冷蔵庫。

 

 電子レンジ。

 

 洗濯機。

 

 参考書。

 

 ノートパソコン。

 

 スマコン。

 

 携帯端末。

 

 そして、犬DOGEが入っている小さな端末。

 

 犬DOGEは、現実には出てこない。

 

 ツクヨミでは、足元をちょこちょこ走り回るペットみたいに連れ歩けるけれど、現実では画面の中にいるだけだ。

 

 話すわけでもない。

 

 返事をするわけでもない。

 

 ただ、ぴこぴこと動いている。

 

 それだけ。

 

 それだけなのに、かぐやはその端末をいつも近くに置いていた。

 

 布団の上にも。

 

 机の横にも。

 

 ツクヨミへ行く時にも。

 

 彩葉に「落とさないでよ」と何度も言われながら、それでも肌身離さず持っていた。

 

 画面の中にしかいなくても。

 

 声を返してくれなくても。

 

 そこにいるだけで、なんだか少し楽しい。

 

 犬DOGEは、かぐやの最初の友達みたいなものだった。

 

 でも。

 

 それでも。

 

 やっぱり、彩葉と一緒がいい。

 

「やだー! かぐやも彩葉と行くぅ!」

 

「コラ、暴れないの」

 

「暴れるンジャー!」

 

「宣言しない」

 

「だってぇ!」

 

 かぐやは布団の端まで転がった。

 

 ごろん。

 

 ごろん。

 

 ごろん。

 

 世界が回る。

 

 天井が回る。

 

 彩葉が回る。

 

 そして、布団の端がなくなる。

 

「……あ」

 

 次の瞬間。

 

 ずるん。

 

 かぐやの身体は、布団から見事に落ちた。

 

「うわわわっ!」

 

 どすん。

 

 床へ落ちる。

 

 痛くはない。

 

 でも、ものすごくかっこ悪い。

 

「かぐや!」

 

 彩葉が慌てて振り向く。

 その声が心配している音だったので、かぐやはそれだけで嬉しくなる。

 

 だが、世界はそこで止まってくれはしない。

 

 布団から落ちた拍子に、かぐやの足が机の脚へ軽く当たる。

 

 机が揺れる。

 その上に積まれていた参考書が、ぐらりと傾く。

 

 彩葉の目が見開かれる。

 

「あっ」

 

「え?」

 

 かぐやが上を見る。

 

 そこには、空があった。

 

 いや、空ではない。

 

 参考書である。

 

 分厚い参考書。

 

 薄い問題集。

 

 ノート。

 

 プリントの束。

 

 彩葉が未来のために積み上げてきた努力の山が、今、月から来た姫の頭上へ向かって降り注ごうとしていた。

 

「待っ  

 

 ばさばさばさばさっ。

 

「ふぎゃあ!」

 

 降り注ぐは参考書の雨。

 

 頭に。

 

 肩に。

 

 顔に。

 

 最後に、ぺらり、と一枚のプリントが額に貼りつく。

 

 広がる白い世界。

 

 現実の紙の匂い。

 

 インクの匂い。

 

 彩葉の部屋の匂い。

 

 かぐやはその下で、しばらく動かなかった。

 

「……かぐや?」

 

 彩葉の声がする。

 

「生きてる?」

 

 生きているよ。

 

 ものすごく生きている。

 

 でも、今のかぐやは参考書の国に埋葬された月の姫である。

 

 少しだけ、威厳がない。

 

 いや、だいぶない。

 

 そもそもあったか?

 

 プリントが顔から剥がれる。

 

 かぐやは、ぷはっと息を吐いた。

 

「彩葉」

 

「なに」

 

「地球の勉強、攻撃力高いね」

 

「攻撃してない。あんたが落としたの」

 

「これでかぐやも単位とれるかな」

 

「詩的に言っても駄目」

 

「かぐや、また一つ賢くなった」

 

「それはよかったわね」

 

「布団の端は危ない!」

 

「そこ?」

 

 額に手を当てる彩葉。

 でも、怒るよりも先に、参考書をどかしてくれる。

 

 一冊ずつ。

 

 丁寧に。

 乱暴にしないように。

 

 かぐやの髪に引っかかったプリントも取っていく。

 

 その手つきが、少しだけ優しい。

 だから、かぐやはにこにこと笑っている。

 

「何笑ってるの」

 

「彩葉、やっぱり優しいね」

 

「今は怒ってるンですけど」

 

「怒ってても彩葉は優しいもん」

 

「そういうこと言っても外には連れて行かないからね」

 

「むぅ」

 

 残念。

 

 だめだったようだ。

 

「はぁ、もう……」

 

 彩葉は散らばった参考書を拾いながら、大きく息を吐いた。

 

 その瞬間、脳裏をよぎったのは、なぜか橘雅治の声だった。

 

『将来の切り札として確保しておくのは、戦術の掟にして定石だ』

 

『それは、将来の本人の交渉材料として  

 

 いや。

 だめだ。

 惑わされるな、酒寄彩葉。

 

 それは人として進んではならない、シらぬイ(ロクデナシ)の道だ。

 

 進んだ最後に、その先には地獄が待っている。

 かぐやに将来を質として取るような真似をしたら、たぶん何かが終わる。

 

 人として。

 保護者として。

 

 あと、たぶん彩葉()の胃が。

 

 彩葉は一瞬、心の悪魔に肩を叩かれかけた。

 けれど、どうにか踏みとどまる。

 

 私はまとも。

 

 まだまとも。

 

 たぶんまとも。

 

「いくら橘君が、時間がある時は見に来るって言ってくれたけどさ」

 

「え、それ本当? マジで!? やったー!」

 

「最後まで聞きなさい」

 

「はい」

 

 その一言で、かぐやは布団の上にきれいに正座した。

 こういう時だけ妙に聞き分けがいい。

 

 そして、そうさせている彩葉は何なのか。

 やはりオカンか。

 

「勝手しすぎると、橘君にもこれまで以上の迷惑になるから。これは真実や芦花たちも同じ。っていうか、普通は他の人に迷惑をかけないのが当たり前だからね?」

 

 宇宙生まれの実年齢ゼロ歳児(ベイベー・ベイビー)に、どこまで期待するべきなのか。

 

 それは、彩葉にもまだ分からない。

 

 でも、これから一つ一つ教えていくしかない。

 

 社会で生きること。

 人との付き合い方。

 お金の使い方。

 部屋の使い方。

 

 人の物を勝手に使わないこと。

 家を出る時は鍵を閉めること。

 

 配信は切ること。

 カメラは切ること。

 マイクも切ること。

 

 切ったあとで、本当に切れているか確認すること。

 

 気が遠くなる。

 

 けれど、雅治と一緒にあの三日間をどうにか乗り切ったおかげで、少しだけ分かってきたこともある。

 

 かぐやは、押さえつけるだけでは駄目だ。

 

 怒るだけでも駄目。

 全部を禁止すれば、抜け道を探す。

 

 だから、やっていいことと、いけないことを、ひとつずつ覚えさせるしかない。

 

 本人からすれば、楽しくないの一文字だろうけれど。

 

 それでも、やるしかない。

 

「またこの前みたいな大事をやらかすと、追い出すわよ……?」

 

 彩葉は、鬼のような眼差しで、布団の上の月姫を射抜いた。

 

 実際に追い出すつもりはない。

 

 少なくとも、いきなり外へ放り出す気はない。

 

 ただ、丸一日はさすがに酷だから、まだ涼しい夕方あたりにベランダで反省させるくらいはしてもいいかもしれない。

 いや、駄目か。

 たぶん駄目だわ。

 

 でも、言葉にして線を引くことは必ず必要だ。

 前までの彩葉なら、たぶん全部を自分の中に溜め込んでいた。

 

 怒っているのに怒れず。

 

 困っているのに困っていると言えず。

 

 大変なのに、大丈夫な顔をして。

 

 それでも限界ぎりぎりまで抱え込んで、最後には自分の方がすり減っていた。

 

 でも、今は少し違う。

 

 かぐやは一人で抱えるには大きすぎる。

 

 自分だけでどうにかできるほど、世界は簡単ではない。

 

 それを、彩葉はもう知っている。

 

 橘君がいた。

 真実がいた。

 芦花がいた。

 

 そして、かぐやは叱れば落ち込むし、褒めれば跳ねるだろうし、約束させればたぶん半分くらいは覚える    と信じたい。

 

 全部を背負わなくてもいい。

 

 でも、手を離していいわけでもない。

 

 だから、叱る。

 だから、線を引く。

 だから、約束を増やす。

 

 それは諦めではない。

 

 疲れ切った人間の最後通告でもない。

 

 この小さな部屋で、かぐやと一緒に暮らしていくための、彩葉なりの前進だった。

 

「え~やだやだ」

 

「元々は私の部屋だからね? ちゃんと片づけること。物を勝手に増やさないこと。いい?」

 

「え~また増えたぁ」

 

「当たり前でしょう。こんな狭い部屋なんだから。で、返事は?」

 

「はーい」

 

「伸ばさないの。本当に分かったんでしょうね?」

 

「分かった!」

 

「本当に?」

 

「分かった!」

 

 たぶん。

 たぶん、分かっていない。

 けれど、今日のところはこれでいいのかもしれない。

 

 このデコボコぎくしゃくしたコンビの第一歩は、きっとこんなものだ。

 

 怒って。

 

 転んで。

 

 笑って。

 

 約束を増やして。

 また少しだけ、同じ部屋で暮らすための形を作っていく。

 

 教えて、ヤチヨ先生。

 

 彩葉は心の中で、推しに助けを求めた。

 

 もちろん、返事はない。

 

 けれど。

 

 返事がなくても、日々は始まる。

 もちろん、返事はない。

 

 けれど。

 

 返事がなくても、日々は始まる。

 赤字の勉強も。

 青字のバイトも。

 黄色で埋め尽くされた、かぐや監督のマスも。

 

 彩葉がどれほど綿密に予定を組んだところで、世界は予定表どおりには進まない。

 

 まして、その中心にいるのが、月から来たハッピー全力疾走娘なら、なおさらだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、かぐやの快進撃が始まった。

 

 

 かぐやの物語は。

 

 かぐやいろPチャンネルは。

 

 最初は、ほんの小さな一歩だった。

 

 当たり前のように本物の宇宙人ではあるのだが、配信を見ただけで、いったい誰がそれに気づけるだろうか。

 

 月から来たかぐや姫。

 その名乗りは、誰もがライバー設定だと思った。

 

 RP(ロールプレイ)だと思った。

 キャラ付けだと思った。

 

 むしろ、そんな設定に全力で乗っかっている新人ライバーとして受け止められた。

 けれど、それは間違っているようで、決定的に間違っていなかった。

 

 なぜなら、かぐやは演じていないから。

 

 本当に知らない。

 

 本当に驚く。

 

 本当に笑う。

 

 本当に泣く。

 

 本当に怒る。

 

 世界のすべてを、初めて見つけたみたいに全身で楽しんでいる。

 

 だから、強い。

 

 思いついたことは、片っ端から試す。

 

 後追い?

 

 二番煎じ?

 

 流行りもの?

 

 そんなもの、かぐやには関係ない。

 

『楽しい』

 

『何それ』

 

『かわいい』

 

『ハッピーになれそう』

 

 そう思った瞬間には、もう目が輝いている。

 

 もう手が伸びている。

 

 もう企画が立っている。

 

 もう配信が始まっている。

 

 宇宙人の思考は、至ってシンプルだった。

 

 気負い?

 

 照れ?

 

 見え方?

 

 何それ、美味しいの?

 

 そう言わんばかりの快進撃。

 

 我武者羅で、猪突猛進で、きらきらした目のまま世界へ突っ込んでいく、ギャルい月のイノシシ娘。

 けれど、その笑顔と声には、他の誰とも違うものがあった。

 

 その瞬間を、最高に楽しんでいる。

 生きることが楽しくて。

 世界が面白くて。

 

 出会うもの全部に胸を躍らせている。

 

 その気持ちが、画面越しにもまっすぐ届く。

 だから、一人、また一人と惹かれていく。

 

 楽しいものを見つけると、目が本当に光る。

 

 知らないものに出会うと、全身で前へ跳ぶ。

 

 失敗すると、悔しがる。

 

 怒られると、しょんぼりする。

 

 でも、次の瞬間にはもう笑っている。

 

 毎日。

 

 毎朝。

 

 毎晩。

 

 かぐやは挑戦し続ける。

 

 そして、その無茶苦茶な走り方に、月兎たち  かぐやに惹かれ始めた視聴者たちもまた、笑いながらついていくようになった。

 

 次は何をするのか。

  何をしでかすのか分からない。

 

 今度は何に驚くのか。

  いつ事故るのか分からない

 

 どこでいろP(オカン)の胃が死ぬのか。

 

 どこでかぐやが泣き、どこで笑い、どこで「ハッピー!」と叫ぶのか。

 分からないことだらけなのに、なぜか次も見たくなる。

 

 そういう、不思議な引力があった。

 

 それが、また新しい楽しみへとつながっていく。

 

 

     *

 

 

「みんなー! 彩葉がね!」

 

「だから名前を出さない!」

 

 画面外から、鋭い声が飛ぶ。

 

「あっ、いろP!」

 

「遅いわよ!」

 

 コメント欄が一気に流れた。

 

『開始三分で本名バレRTA』

『いろP=いろはさん把握』

『保護者の声』

『画面外の胃痛枠』

『これは苦労するで~』

『いろP生きて』

 

「だから、反応しないでよ...」

 

 画面外の声は、低く、短く、そして疲れていた。

 

 それでも、かぐやは笑う。

 

「いろPはね、すごいんだよ! 配信のこといっぱい教えてくれるし、怒ってくれるし、カメラ切ってくれるし、かぐやの音楽も作ってくれる!」

 

「余計な説明を増やさない」

 

「でも本当じゃん!」

 

「本当だからこそ言わなくていいの!」

 

 その日から、視聴者たちは理解した。

 

 このチャンネルには、かぐやを止める人がいる。

 

 止めきれてはいない。

 けれど、止めようとしている人がいる。

 

 その名は、いろP。

 

 画面には映らない。

 声もほとんど出さない。

 けれど、かぐやの背後でチャットを管理し、危ないコメントを弾き、配信設定を確認し、かぐやのテンションが明後日の方向へ走った時だけ、短い言葉で引き戻す。

 

 主な被害者。

 

 主な保護者。

 

 主な胃痛担当。

 

 そして、かぐやが一番最初に見つけた、大好きな人。

 

 その存在は、姿を見せないまま、チャンネルの名物になっていった。

 

 

 

 

 

 

 

「これ、なに!?」

 

「駄菓子」

 

「駄菓子!」

 

 コンビニの棚の前で、かぐやは目を輝かせた。

 

 小さな袋。

 

 小さな箱。

 

 よく分からない動物の絵。

 

 十円、二十円、三十円。

 

 地球の子どもたちが小銭を握りしめて選ぶ、小さくて安くて、妙に心をくすぐる宝物たち。

 

「地球、宝物庫多くない!?」

 

「店内で叫ばない」

 

「いろP、これ全部買っていい!?」

 

「駄目」

 

「じゃあ半分!」

 

「駄目」

 

「じゃあ、ハッピーそうなやつ!」

 

「全部ハッピーそうな顔で見るのやめなさい」

 

 かぐやは小さなラムネ菓子を一つ手に取って、きらきらと笑う。

 

「これ、ちっちゃいのに楽しいが入ってる!」

 

「まだ食べてないでしょ」

 

「見たら分かるよ!」

 

「分からないのよ、普通は」

 

     

 

 

 

 

 ツクヨミの、水没した街に作られた映画館。

 海の底みたいな青い光の中で、スクリーンだけが白く浮かんでいる。

 

 座席の間を、魚のホログラムがゆっくり泳ぐ。

 

 かぐやの足元では、犬DOGEがちょこちょこと歩いていた。

 

 現実では端末の中にしかいない。

 けれど、ツクヨミでは一緒に歩ける。

 

 それだけで、かぐやは嬉しかった。

 

「犬DOGE、映画館だよ!」

 

「ワン!」

 

 犬DOGEは返事をしない。

 

 ただ、尻尾をぴこぴこ振る。

 

 それだけで十分だった。

 

「今日はね、みんなで映画を見るよ! これ絶対ハッピーなやつ!」

 

『あっ』

『ジャンル見た?』

『姫、それは』

『いろP止めて』

 

 画面外から、いろPが静かに言った。

 

「最後まで見てから判断しなさい」

 

「え、なにその言い方。怖い!」

 

     *

 

「こんなんバッドエンドじゃん!」

 

 数十分後。

 

 かぐやは、涙目でスクリーンを指差していた。

 

「誰だよこんなの思いついたやつはッ!」

 

「言葉」

 

「許せねえ、クソ、クソー!」

 

「配信中」

 

「だってクソじゃん! なんであそこで手を離すの!? なんで追いかけないの!? なんで最後に笑うの!? 笑うなら一緒に笑ってよぉ!」

 

 涙目。

 

 頬はぷくり。

 

 鼻は少し赤い。

 

 本人は本気で怒っている。

 

 本気で悲しんでいる。

 

 本気で、物語の中の誰かを救えなかったことに腹を立てている。

 

 なのに絵面は、完全に終わっていた。

 

『バッドエンド絶許姫』

『これは姫が正しい』

『脚本出てこい』

『涙目でキレるのかわいすぎる』

『クソー!からしか得られない栄養がある』

『月兎、総決起』

 

「...フッ」

 

「いろP、笑った!?」

 

「...笑ってないよ?」

 

「声が震えてるじゃんか!」

 

「笑ってないから、まず鼻を拭きなさい」

 

「うぅぅぅ!」

 

 その切り抜きは伸びた。

 

 かなり伸びた。

 

 タイトルは、視聴者が勝手につけた。

 

【悲報】月から来た姫、バッドエンドに敗北。

 

【名言】「許せねえ、クソー!」

 

【バッドエンド絶許姫】かぐや、涙目で脚本に抗議。

 

 かぐやは、あとでその切り抜きを見せられて、また頬を膨らませた。

 

「かぐや、そんな変な顔してないもん!」

 

 

 

     *

 

「今日は、太巻き一気食い。ただし笑ったら即終了!」

 

 かぐやは至って真剣。

 

 特製太巻きを両手で持ち、画面の前に座っている。

 

 なぜそこまで凛々しい顔をしているのか、誰にも分からない。

 

「かぐや、絶対に笑わないからね!」

 

『開始前から笑いそう』

『無理だろ』

『はいフラグ乙』

『姫、もう目が楽しそう』

『いろPどこ?』

 

 いろPは映らない。

 

 声も出さない。

 

 ただ、画面外にいる。

 

 手には、吹き戻し。

 

 ぴゅるるる、と伸びる、あの玩具である。

 

「じゃあ、いきます!」

 

 かぐやが太巻きを口へ運ぶ。

 

 ひと口。

 ふた口。

 

 頬がふくらむ。

 

 笑ってはいけない。

 

 笑ったら配信終了。

 

 かぐやは耐えた。

 

 その時。

 

 画面外から、すっと吹き戻しが伸びた。

 

 ぴゅるるるるるるっ。

 

 かぐやの頬に、直撃。

 

「……っ」

 

 耐える。

 

 耐える。

 

 耐える。

 

 やっぱ無理だった。

 

「ぶふっ」

 

 画面が、即座に暗転した。

 

『配信は終了しました』

 

 開始から、十七秒。

 

 コメント欄は、終了後のアーカイブと切り抜きで暴れた。

 

『いろP、初手殺しとか殺意高すぎでワロタ』

『開始17秒www』

『保護者の反撃』

『日頃の仕返しで草』

『太巻き姫、敗北』

『かぐいろてぇてぇ』

『配信時間より切り抜きの方が長い』

 

 あとで、かぐやは彩葉に抗議した。

 

「いろは、ずるい!」

 

「だから名前。でも笑ったら終了ってルールだったでしょ」

 

「彩葉が笑わせたじゃん!」

 

「ルール上は禁止されていなかったしぃ」

 

 彩葉は基本、画面に出ない。

 

 名前も出さない。

 

 声も最小限。

 

 それでも視聴者は、いろPという存在をどんどん好きになっていった。

 

 姿は見えない。

 

 けれど、そこにいる。

 

 かぐやを止める。

 

 かぐやを守る。

 

 そして時々、日頃の仕返しをする。

 

 それが、いろPだから。

 

     

 

 

「これ、かわいい!」

 

「買わないから」

 

「なんでぇ!?」

 

「同じようなのこの前にも買ったばかりじゃん」

 

「昨日のかわいいと今日のかわいいは違うよ!」

 

「財布は同じなの」

 

 かぐやは渋々それを棚へ戻し、ふと頬を膨らませた。

 

「最近、彩葉ばっかり配信にいるよね」

 

「私はほとんど画面外だけど」

 

「でも一緒じゃん。真実も芦花も出たのに、雅治だけ全然いないじゃん」

 

「橘君は配信者(ライバー)でもない、普通の高校生なだけでしょ」

 

「雅治も一緒にハッピーになりたい。みんなでハッピーエンド目指したい!彩葉も雅治が一緒だともっといいに決まってるじゃん」

 

 彩葉は少しだけ困った顔をした。

 

「本人がいないところで勝手に決めるのは駄目。出てほしいなら、自分で聞きなさい」

 

「うん、わかった!」

 

「嫌だって言われたら、しつこくしない」

 

「……分かった」

 

 返事のわりに、かぐやの目は完全に何かを企んでいた。

 

 橘雅治が、かぐやいろPチャンネルに映るようになるまでには、もう少しだけ時間があった。

 

 最初から、画面に出るつもりなどなかった。

 

 

 

 

 

 橘雅治が、かぐやいろPチャンネルに映るようになるまでには、少しだけ時間があった。

 

 最初から、画面に出るつもりなどなかった。

 

 むしろ、出ないつもりだった。

 

 配信というものは、常に見られている。

 

 声も。

 顔も。

 仕草も。

 言葉の癖も。

 

 そこにいるだけで、誰かの目に触れる。

 

 誰かが勝手に意味をつける。

 

 誰かが勝手に名前をつける。

 

 誰かが勝手に期待する。

 

 そして、一度つけられた偶像(アイドル)は、なかなか剥がれない。

 

 雅治は、それを知っている。

 

 だから、いつものように距離を取った。

 

 学校では「僕」でいる。

 穏やかで、整っていて、必要以上には踏み込まない橘雅治。

 

 彩葉に頼られれば、少しだけ「俺」が出る。

 危ない時には前に立つ。

 判断が必要なら手を伸ばす。

 

 そして、ツクヨミでは「シらぬイ」になる。

 余計なものを全部外して、好きなように作り、好きなように壊し、好きなように笑わせる。

 

 どれも嘘ではない。

 けれど、どれも全部ではない。

 

 相手が見たい形を見せる。

 

 その場で必要とされる顔を選ぶ。

 

 本当の自分を晒さない。

 

 そうすれば、大きく間違えずに済む。

 

 そうすれば、誰かに踏み込まれずに済む。

 

 そうすれば、自分も、相手も、必要以上に傷つかずに済む。

 

 少なくとも、雅治はそう思っていた。

 だから、かぐやがカメラを持ったまま雅治の方へ向かえば、黙って向きを変えさせる。

 

 映らない。

 

 声も出さない。

 

 名前も出さない。

 

 それで十分だった。

 

 そのはずだった。

 

 

 

 

 それは、彩葉が部屋を空けている時のこと。

 

 買い出し。

 近所のスーパーまで。

 

 時間にして、せいぜい二十分か三十分。

 

 本来なら、かぐや一人を部屋に残すには少し不安がある。

 不安しかない。

 

 だが、今日は雅治がいた。

 

 彩葉に頼まれたわけではない。

 

 いや、正確には、頼まれていないようで頼まれていた。

 

『少しだけ見ててもらえる? いや、ほんと少しだけでいいから。あの子、目を離すと本当に何するか分からないのよ』

 

 その言葉に、雅治は「分かった」と答えた。

 

 必要な確認。

 

 必要な協力。

 

 それだけのはずだった。

 部屋の中では、かぐやが床に座り込み、端末を両手で持っていた。

 

 画面の中では、犬DOGEがぴこぴこと動いている。

 

 現実では出てこない。

 喋らない。

 返事もしない。

 

 それでも、かぐやはそれを見て楽しそうに笑っていた。

 

 雅治は、机の側に座っていた。

 

 彩葉が崩したくないと言っていた参考書の山から少し離れた位置で、自分のノートを開いている。

 

 勉強をしているわけではない。

 

 かぐやが急に何かを始めた時、すぐ止められる位置。

 

 窓からも、台所からも、配信機材からも、ほどよく近い場所。

 

 我ながら、見張りの配置としては悪くない。

 

 そんなことを考えている時点で、すでにだいぶ染まっている気もしたが、雅治は深く考えないことにした。

 

「ねぇねぇ、雅治~」

 

 猫のような甘え声がした。

 

 雅治は、顔を上げた。

 

 かぐやが、いつの間にかすぐ近くまで来ていた。

 

 両手を後ろに回し、少しだけ上目遣い。

 

 首を傾げる角度。

 目の潤ませ方。

 声の伸ばし方。

 

 完全に、何かを狙っている。

 

 月兎を名乗る姫のくせに、やっていることはあざとい猫ちゃんである。

 

「……今度はまた、何が狙いなんだ、かぐや」

 

「狙いなんてないよぉ」

 

「あのかぐやが?」

 

「雅治、ひどい!」

 

「事実だろう」

 

 かぐやは、むぅ、と頬を膨らませた。

 

 しかし、すぐに笑顔へ戻る。

 

 切り替えが早い。

 

 というより、押す気しかない顔だった。

 

「実はさ、かぐや、ライバーしてるでしょう?」

 

「そうだな」

 

「動画撮ってるでしょう?」

 

「ふむ」

 

「配信してるよねぇ~?」

 

「まだ素人の範囲だが」

 

「チャンネル、もっともっとハッピーにしたいんだよねぇ~?」

 

「...」

 

「だからね」

 

 かぐやは、そこで一歩近づいた。

 

 雅治の真正面。

 

 逃げ道を塞ぐように、ではない。

 

 ただ、本人が距離感を分かっていないだけだ。

 

 けれど、結果として逃げ道はかなり狭まっていた。

 

「雅治も出ない?」

 

 雅治は、瞬きをした。

 

「……何に」

 

「配信!」

 

「本気か?」

 

 反射的に聞き返す。

 

 当然である。

 そもそも雅治が出る理由がない。

 

 雅治は、かぐやいろPチャンネルの出演者ではない。

 

 彩葉の負担を少し軽くするために手伝っているだけだ。

 

 かぐやが部屋を破壊しないよう見張る。

 またしても外に出てやらかさないように見張る。

 

 その程度でいい。

 むしろ、その程度でなければならない。

 

 配信は見られる。

 常にすべてを見られるのだ。

 

 声が残る。

 

 顔が残る。

 

 名前が残る。

 

 誰かが勝手に意味をつける。

 

 誰かが勝手に期待する。

 

 誰かが勝手に像を作る。

 

 そして、一度作られた偶像(アイドル)は、簡単には剥がれない。

 

 雅治(シらぬイ)はそれを知っている。

 

 だから、普段から自分を隠している。

 

 学校では「僕」

 落ち着いた、優等生の橘雅治。

 求められるなら、頼れる人間の顔をする。

 

 彩葉やかぐやたちが危ない時には「俺」が出る。

 けれど、それも必要だから出しているだけだ。

 

 ツクヨミでは「シらぬイ」。

 余計な名前を捨てて、余計な期待から離れて、好きなものを作るための姿。

 

 どれも嘘ではない。

 

 だが、どれも全部ではない。

 

 本当の俺を晒すつもりはない。

 

 晒せば、面倒になる。

 

 晒せば、誰かが踏み込んでくる。

 

 晒せば、期待される。

 

 だから、出ない。

 

 出るはずがない。

 

「えー」

 

 かぐやは、不満げに声を伸ばした。

 

「まさか雅治出てくれないの?」

 

「むしろ必要か?」

 

「出て!」

 

「出ない」

 

「おねがぁい~」

 

 両手を合わせる。

 

 上目遣い。

 

 少し潤んだ目。

 

 全力のお願い顔。

 

 真実あたりに教わったのだろう。

 

 彩葉が見ていたら、間違いなく「また余計なことばっか覚えて……!」と頭を抱えるやつだった。

 

「雅治が出たら、絶対楽しいよ?」

 

「楽しいかどうかの問題ではない」

 

「かぐやは楽しい!」

 

「かぐやも大事だが、こればかりはそうもいかない」

 

「みんなも楽しいよ!」

 

「はて、本当にそうだろうか」

 

「いろはも絶対助かるし!」

 

 そこで、雅治の返答が一瞬だけ遅れた。

 

 かぐやは、その隙を見逃さなかった。

 

「ほら!」

 

「今のは、ほら、ではないと思うが」

 

「彩葉ね、いつも大変そうなんだよ。配信のことも、コメントのことも、カメラのことも、かぐやが変なことしないかも、全部見てるの」

 

「そうだろうな」

 

「雅治がいたら、彩葉、ちょっと楽になるよね?」

 

「……できるだけ協力はするつもりだ」

 

「絶っ対彩葉も喜ぶし助かるよ!」

 

 かぐやは断言した。

 

 根拠はない。

 

 けれど、かぐやの声には迷いもない。

 

「それにね、かぐや、雅治のこともみんなに見てほしいの」

 

「その必要はない」

 

「あるよ」

 

「ない」

 

「あるの!」

 

「なぜ?」

 

「だって、雅治もかぐやのハッピーの中にいるから」

 

 あまりにも当然のように、かぐやは言った。

 

 雅治は答えなかった。

 

 配信に顔を出す。

 

 声が残る。

 

 名前を知られる。

 

 男の自分が加われば、かぐやの視聴者がどう反応するかも分からない。

 

 学校へ届くかもしれない。

 

 本家へ届くかもしれない。

 

 シらぬイへつながる可能性だって、ないとは言えない。

 

 考えれば考えるほど、断るべき理由ばかりが増えていく。

 

 いつもの雅治なら、それらをきれいに並べていた。

 

 かぐやを傷つけない言葉を選びながら、それでも確実に線の外へ戻っていた。

 

 そのはずだった。

 

「……フーゥ」

 

 短く、息を吐く。

 

 その時、頭をよぎったのは危険の続きではなかった。

 

 教室で真実が騒いでいる声。

 

 それを芦花が笑って受け流し、酒寄が呆れた顔で止める姿。

 

 あの狭い部屋で、三人そろってかぐやに振り回された時間。

 

 家族の義務でも、居候への気遣いでもなく、ただ食べてほしいと差し出された食事。

 

 大変だった。

 

 騒がしかった。

 

 それでも、終わってほしくないと思った。

 

 酒寄も。

 

 かぐやも。

 

 諌山も、綾紬も。

 

 誰かと言葉を交わすこと。

 

 同じ場所で笑うこと。

 

 明日もまた会えると思えること。

 

 それを、楽しいと思っている。

 

 巻き込まれただけだと、ずっとそう片づけてきた。

 

 同じ舟に乗ってしまっただけ。

 

 かぐやという秘密を共有しただけ。

 

 けれど本当は、もう降りたいとは思っていなかった。

 

 かぐやと酒寄のためなら。

 

 このくらいは、いいか。

 

「……いいぞ」

 

 理性より先に、言葉が出た。

 

「よっしゃーッ! 言質取ったからね、二言はないぞぉ!」

 

 かぐやが跳ねた。

 

 その瞬間、雅治はようやく自分の発した言葉に追いついた。

 

 待て。

 

 今、なんと言った。

 

 いいぞ。

 

 誰が。

 

 俺が。

 

 なぜ。

 

 

 まずい。

 

 間違いなく、リスクしかない。

 

 それでも、撤回する言葉は出てこなかった。

 

「雅治、今いいって言った! かぐや聞いたからね!」

 

「……言ったな」

 

「二言は?」

 

「ない」

 

「やったー!」

 

 かぐやは両手を上げて喜んだ。

 

 跳ねる。

 

 笑う。

 

 全身で嬉しいを表す。

 

 まぶしいくらいの笑顔だった。

 

 その顔を見て、雅治はほんの少しだけ表情を緩めていた。

 

 しまった、と思うより先に。

 

 悪くないかもしれない、と思ってしまった。

 

「雅治も一緒! 彩葉も一緒! みんなでハッピーエンドだよ!」

 

 満面の笑み。

 

 その姿を見て、雅治の表情がほんの少しだけ緩む。

 

 配信へ一度映る。

 

 ただそれだけの返事だった。

 

 けれど同時にそれは、外から見守るだけだった雅治が、かぐやの目指すハッピーエンドへ、自分から一歩加わる返事でもあった。

 

 これも、悪くないかもしれない。

 

 そう思った直後。

 

 がちゃり、と玄関の鍵が開いた。

 

「ただいま。ちゃんと大人しくしてた?」

 

 スーパーの袋を提げた彩葉が、部屋へ戻ってきた。

 

「聞いて聞いて、彩葉! 雅治、かぐやの配信に出てくれるって!」

 

 彩葉の足が止まる。

 

 目だけが、ゆっくりと雅治へ向いた。

 

「……橘君?」

 

「ああ」

 

「私、少しの間だけ見ててって言ったよね?」

 

「ああ」

 

「私が帰ってくるまでって言ったよね?」

 

「確かにそう言われた」

 

「出演者を増やしていいとは、一言も言ってないよね?」

 

「言われていないな」

 

「だったら、どうしてただの見張りから配信参加につながるのよ~~!!」

 

 オカン、激おこである。

 

 子どもの見守りを任せたはずが、帰宅した時には見張り役まで一緒に悪だくみへ加わっていた母親の心境。

 

 それに近い。

 

 いや、彩葉は母ではない。

 

 雅治も父ではない。

 

 断じて違う。

 

 違うはずなのに、状況だけが完全にそれだった。

 

 感動的で、少しだけエモい場面だったはずなのに。

 

 どうしてこうなった。

 

 ちなみに、かぐやは彩葉がO☆HA☆NA☆Siを始めようとした瞬間、一歩先に逃亡を図った。

 

 だが、無駄だった。

 

 彩葉の視線が、ぎろりと動く。

 

「かぐや」

 

「はい」

 

 月姫、即制圧。

 

 両手を上げ、すとんと正座。

 

 判断が早い。

 

 そして次は、見張り役から共犯者へ転落した大型問題児の番である。

 

「スーゥ……ハァ……橘君」

 

「ああ。すでに座っている」

 

 見れば、雅治も正座していた。

 

 背筋はまっすぐ。

 

 姿勢にぶれはない。

 

 膝の上には、きちんと両手。

 

 完璧な三位一体。

 

 あまりにも見事な説教待機姿勢である。

 

 彩葉は一瞬だけ言葉を失った。

 

「……なんでそんなに正座がきれいなの?」

 

「叱られる側にも、最低限の礼儀は必要だろう」

 

「反省の姿勢だけ模範的なの、余計に腹立つんだけど」

 

「内容まで模範的だとは言っていない」

 

「自覚があるなら、なおさら悪い!」

 

 彩葉は大きく息を吸った。

 

 そして、にこりと笑う。

 

 笑っている。

 

 目は、まったく笑っていない。

 

 その表情は、もはや閻魔。

 

「少し、お話ししようね。二人とも」

 

「「はい」」

 

 かぐやが隣にいる。

 

 酒寄が目の前にいる。

 

 この後、諌山や綾紬にも散々笑われるのだろう。

 

 胸の奥が、騒がしい。

 

 なのに、それを不快だとは思わなかった。

 

 むしろ、心地よかった。

 

  これも、悪くないかもしれない。

 

 月から来た姫と、自ら共犯者へ転落した少年は、その日も仲良く酒寄彩葉先生のお説教を受けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、かぐやの快進撃は今も続く。

 かぐやいろPチャンネルの中で、橘雅治という名前が広がるまでに、そう時間はかからなかった。

 

 最初は、ただの現実友人枠だった。

 

 かぐやが勢いのまま名前を呼んだ。

 

「雅治ー!」

 

 彩葉が画面外から即座に怒った。

 

「だから、リアルの名前を出さない!」

 

「でも雅治は雅治だよ?」

 

「そういう問題じゃないの!」

 

「僕は構わない」

 

「そうやって甘やかすから変わらないのよ!」

 

 画面の端に映った雅治は、いつもの学校の顔をしていた。

 

 穏やかで、整っていて、余計な感情を削った顔。

 

 高身長。

 

 姿勢が良い。

 

 落ち着いている。

 

 そして、何より男子である。

 

 コメント欄は、当然ざわついた。

 

『雅治?』

『友人枠?』

『高身長すぎない?』

『いろPの知り合い?』

『かぐやの保護者増えた?』

『男?』

『え、かぐいろは?』

『これはどういう立ち位置?』

 

 一瞬だけ、空気が怪しくなりかけた。

 

 かぐやはアイドル系の明るさを持っている。

 

 月から来たかぐや姫という設定も、本人の天真爛漫さも、視聴者を惹きつける力がある。

 

 当然、ガチ恋に近い熱を持つ者も少しずつ生まれ始めていた。

 

 そこに、現実の男子高校生が映る。

 

 しかも、名前で呼ばれる。

 

 距離も近い。

 

 ざわつかない方がおかしい。

 

 だが、雅治はそれを見ても、表情を変えなかった。

 

 ただ、必要なことだけを言う。

 

「かぐや。いくら親しい関係だとしても、無闇に個人情報は出さない方がいい。それは常識でもあるが、人と人との間で守るべきマナーでもあるんだ。かぐやも、マナーのない人や無礼にされるのは好きじゃないだろう?」

 

「だからそれを今言ってるの!」

 

「そっか!」

 

「そうよ!」

 

 画面外のいろPが叫ぶ。

 

 コメント欄が、少しだけ揺れ方を変えた。

 

『説教が正論』

『いろPと同じこと言ってる』

『なんだただのお兄ちゃん枠かよ』

『距離感が恋愛じゃなくて大人の保護者なんよ』

『これは……セコム?』

『まさはる...パパ?』

 

 その時点では、まだ半信半疑だった。

 

 かぐやいろPチャンネルに現れた、初めての男子。

 

 それがどういう意味を持つのか、月兎共にもまだ測りかねていた。

 

 けれど、決定的な事件はすぐに起きた。

 

 

 

 

 

 

 

「雅治ー! かぐやが来たぞい!」

 

 ジムの扉を開けた瞬間、かぐやは元気よく叫んだ。

 

 突撃ドッキリ配信。

 

 企画内容は極めて単純である。

 

 雅治が手伝いの名目で半バイトのように通っているジムへ、かぐやが単独で突撃。

 

 驚かせる。

 

 そして、満面の笑みで言ってやる。

 

 ドッキリ大成功!

 

 完璧な作戦だった。

 

 たぶん。

 

 かぐやの中では。

 

 しかし、ジムの奥でトレーニング用の器具を片づけていた雅治は、まったく驚かなかった。

 

 振り向く前から、淡々と答える。

 

「いらっしゃい、かぐや」

 

「びっくりした!?」

 

「かぐやの足音は特徴的なうえに大きいから、すぐに気づいたとも」

 

「なんでぇ!?」

 

 かぐやはカメラを持ったまま、がびん、という顔をした。

 

 コメント欄が一斉に流れる。

 

『足音で特定!?』

『怖』

『逸般人きた』

『ドッキリする前からバレてるの草』

『この男、ただ者ではない』

『ROKAさんにマミマミに、今度はリアルチート人間かよ』

『うほ、いい筋肉』

 

 雲行きは、そこで完全に変わった。

 

 恋愛枠か。

 

 友人枠か。

 

 保護者枠か。

 

 そんな分類より先に、月兎共は理解した。

 

 こいつ、強者だ。

 

 しかも、かぐやを止められる側の強者だ。

 

 雅治はカメラに向かって軽く会釈した。

 

「配信中か」

 

「そう! ドッキリ大成功する予定だったの!」

 

「自分でバラしているのにか?」

 

「まだ言ってないから失敗じゃないもん!」

 

「なら、言うといい」

 

「ドッキリ大成功!」

 

「そうか」

 

「リアクション薄い!」

 

 かぐやが抗議する。

 

 雅治は、少しだけ目を細めた。

 

 普段の学校で見せる「僕」の顔。

 

 穏やかで、整っていて、誰にも踏み込ませない距離のある顔。

 

 それに近い。

 

 けれど、かぐやを前にすると、その輪郭が少しずれる。

 

「さて」

 

 雅治は、片づけていたマットを床に敷いた。

 

「せっかく来たのだから、始めようか、かぐや」

 

「へ?」

 

 かぐやが首を傾げる。

 

「始めるって、何を?」

 

「決まっている」

 

 雅治は、淡々と言った。

 

「筋トレだ」

 

「ヱ?」

 

 そこから先は、完全に雅治の領域であった。

 完全なる返り討ちという形での。

 

     *

 

「まずは腹筋」

 

「なんで!?」

 

「体幹を鍛えるのは基礎の基礎だからな」

 

「ドッキリしに来たのに!」

 

「腹筋は誰もが、どこへでもできる」

 

「会話がつながってない!」

 

「さ、このマットの上でやろう」

 

 かぐやはジムマットの上に寝かされる。

 

 両足は雅治にしっかり押さえられている。

 

 逃げ場はない。

 

 イッツナッシング。

 

「十回だ」

 

「なーんだ、十回なら簡単にできるよ!」

 

「そうか。では、始め」

 

「いーち!」

 かぐやは元気よく身体を起こした。

 

「にー!」

 

 まだ笑顔。

 

「さーん!」

 

 まだいける。

 

「しー!」

 

 少し怪しい。

 

「ごぉ……!」

 

 声が揺れる。

 

「ろ、ろく……!」

 

 だいぶ怪しい。

 

「ななぁ……!」

 

 コメント欄が見守る。

 

『頑張れ姫』

『腹筋姫』

『推しの腹筋配信助かる』

『雅治先生、容赦ない』

 

「はちぃ……!きゅう……!」

 

 かぐやの顔がぷるぷるしてきた。

 

「ッじゅう……!」

 

「九」

 

「え?」

 

「九」

 

「今、かぐや十って言ったよ!?」

 

「フォームが崩れた。九」

 

「えぇぇぇぇ!」

 

 再び。

 

「じゅう……!」

 

「九」

 

「なんでぇ!?」

 

「最後まで上がっていない」

 

「十は!?」

 

「九」

 

「ねぇー十回はどこー!?」

 

 訪れない十。

 

 終わらない九。

 

 無限に続く九の悪夢。

 

 これぞ無限月読(ツクヨミ)

 

 コメント欄は爆発した。

 

『九www』

『十が来ない』

『無限月読やめろ』

『初めて推しが天敵に手玉に取られてる』

『雅治先生こわい』

『地球で唯一かぐやを止められる男』

『これは恋愛枠じゃない、鬼教官枠』

『ガチ恋勢、無事鎮火』

『筋肉に不正解などない』

 

 かぐやは涙目になりながら、なおも腹筋を続ける。

 

「もう無理!」

 

「あと一回」

 

「先もあと一回って言ってなかったぁ!?」

 

「もう一回だ」

 

「雅治のあと一回、信用できないよ...」

 

「僕への信用ではなく筋肉への信用だ」

 

「筋肉ってなに!?」

 

「裏切らないイイものだ」

 

「かぐやは雅治に裏切られてるンですけどぉ!?」

 

 雅治は淡々としていた。

 

 だが、雑ではない。

 

 かぐやの首に余計な力が入れば、すぐに止める。

 

「顎を引きすぎるな」

 

 腰が浮けば、膝の角度を変える。

 

「反動を使わない」

 

 息が止まれば、声をかける。

 

「吐きながら起きろ」

 

 泣き言が出れば。

 

「あと一回だ」

 

「またそれ!」

 

 容赦はない。

 

 けれど、ちゃんと見ている。

 

 厳しい。

 

 でも、危なくはない。

 

 そこがまた、逃げ場を失わせていた。

 

 

 筋肉痛が抜けるより先に、次の企画が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は、ROKAにかぐやをもっとかわいくしてもらいまーす!」

 

 机の上には、色とりどりの化粧品。

 

 丸いケース。

 

 細長いペン。

 

 小さな刷毛。

 

 きらきらと光る粉。

 

 見たことのない道具に囲まれて、かぐやの瞳も負けないくらい輝いている。

 

「これ全部、顔に使うの!?」

 

「全部は使わないよ」

 

 綾紬芦花  美容系インフルエンサー《ROKA》は、いつもの柔らかな笑顔で答えた。

 

「かぐやちゃんは元々華やかだから、今日は少し引き算しながら整えようかな」

 

「引き算でかわいくなるの!?」

 

「なるよ」

 

「算数ってハッピーだったんだ!」

 

 画面の外で、彩葉が小さく呟いた。

 

「その発想はなかった」

 

『ROKA先生きた』

『素材が強い』

『いろPの小声助かる』

『月姫改造計画』

『引き算のハッピー、語感がいい』

 

 かぐやは、机の上に並ぶ色を一つずつ指差した。

 

「これは?」

 

「アイシャドウ」

 

「こっちは?」

 

「チーク」

 

「これは?」

 

「リップ」

 

「全部使おう!」

 

「全部を主役にすると、誰も主役じゃなくなっちゃうからね」

 

「深い!」

 

 深いのかどうかは分からない。

 

 だが、かぐやは感銘を受けていた。

 

 芦花が指先と刷毛を動かしていく。

 

 派手に塗り重ねるのではない。

 

 かぐやの目の形を活かす。

 

 頬へ薄く温度を足す。

 

 長い金髪と金色の瞳を邪魔しないよう、色を置いていく。

 

 触れ方は柔らかい。

 

「目、閉じられる?」

 

「うん!」

 

「よし、そのまま動かないでね?」

 

「できる!」

 

「本当に?」

 

「でき――くすぐったい!」

 

 かぐやが顔を背けた。

 

「あら」

 

「もう一回!」

 

「今度は動かないでね」

 

「うん!」

 

 三秒後。

 

「くすぐったい!」

 

「かぐや」

 

 画面外から、短い声。

 

「動かない」

 

「はーい」

 

 いろPの一言で、月姫は静止した。

 

『制御装置作動』

『いろPの声、効果抜群』

『ROKA先生が優しくて助かる』

『かぐやちゃん、本当ぶれなくてむしろいい』

 

 しばらくして、芦花が鏡をかぐやの前へ置いた。

 

「できたよ」

 

「わぁ……!」

 

 鏡の中には、いつもの自分がいた。

 

 けれど、少し違う。

 

 瞳の金色が、いつもより明るく見える。

 

 頬は柔らかく色づき、唇には淡い光が乗っている。

 

 別人になったわけではない。

 

 ちゃんと、かぐやのままだ。

 

 それなのに、知らなかった自分がそこにいる。

 

「これ、かぐや!?」

 

「かぐやちゃんだよ」

 

「ロカ、魔法使いだったの!?」

 

「メイクは女の子の魔法だから」

 

「メイクの魔法!」

 

 かぐやはスマホを持ち上げた。

 

「アップしよう!」

 

 顔へ近づける。

 

 近い。

 

 あまりにも近い。

 

 画面いっぱいに、目と鼻だけが映った。

 

「どう!?」

 

「いったん、スマホを離そうか」

 

「こう?」

 

「もう少し」

 

「こう!」

 

「顎を少し引いて、顔を光の方へ向けてみて」

 

 芦花が隣に並び、角度を整える。

 

「はい、笑って」

 

「ハッピー!」

 

 ぱしゃり。

 

 金髪の月姫と、柔らかく微笑むROKA。

 

 二人の顔が、夏の光の中にきれいに収まった。

 

『強い』

『顔面が強い』

『ふ つ く し い』

『ROKA先生ありがとう』

『保存した』

『いろPも入って』

 

「彩葉も撮ろう!」

 

「配信中」

 

「あっ。いろPも!」

 

「私は撮る側」

 

『逃げた』

『いろP逃げるな』

『かぐいろ自撮り待ってます』

 

「待たなくていい」

 

 画面外から飛んだ短い拒絶まで含めて、その動画はよく伸びた。

 

     *

 

「本日の目標は、三軒!」

 

 真実が指を三本立てた。

 

「一軒目で揚げ物。二軒目で甘いもの。三軒目で締め。食べ歩きに必要なのは、胃袋と計画性だからね」

 

「マミ、かっこいい!」

 

 グルメ系インフルエンサー《マミマミ》。

 

 諌山真実の案内による、新しい店を巡る食べ歩き企画である。

 

「全部食べる!」

 

「三軒って言ったでしょ」

 

 画面の外から彩葉の声が飛ぶ。

 

「全店制覇!」

 

「予算」

 

「マミがいる!」

 

「真実を財布として数えない」

 

「今日は撮影費あるから大丈夫だよ」

 

「甘やかさないで」

 

 そう言いながらも、彩葉はすでに会計用の金額を確認している。

 

 止めても行くなら、せめて予算内で。

 

 最近のいろPは、諦めではなく現実的な折り合いを覚えつつあった。

 

 一軒目。

 

 揚げたてのコロッケ。

 

 かぐやは紙袋ごと両手で持ち、慎重にひと口かじった。

 

「熱っ!」

 

「急いで食べるから」

 

「でも、うまい!」

 

 さくさくとした衣。

 

 ほくほくのじゃがいも。

 

 肉の旨味と、少し甘いソース。

 

 かぐやは目を丸くした。

 

「外がカリカリで、中に夕方が入ってる!」

 

「夕方?」

 

 彩葉の声が困惑する。

 

 だが、真実は一度頷いた。

 

「分かる。お祭りの帰りとか、商店街で食べる感じね。懐かしくて温かい味ってことでしょ」

 

「そう! マミ、分かるぅ!」

 

「食べ物の言葉なら、だいたい分かるよ」

 

『通訳が優秀』

『夕方の味、ちょっと分かる』

『マミマミ、かぐや語検定一級』

『いろPはまだ困惑している』

 

 二軒目。

 

 季節の果物を挟んだ、白いクリームのサンドイッチ。

 

「雲の中に果物が!」

 

「クリームが軽くて、果物の酸味が立ってるってことね」

 

「それ!」

 

 三軒目。

 

 魚介の出汁が香る、小さな椀。

 

「海が、ぎゅってなってる!」

 

「旨味が凝縮されてる」

 

「それ!」

 

「本当に分かるのね……」

 

 画面外で、彩葉が感心していた。

 

 真実は胸を張る。

 

「食べ物に関しては任せて」

 

「じゃあ四軒目!」

 

「駄目」

 

 今度は彩葉と真実の声が重なった。

 

「なんで!?」

 

「計画性」

 

「予算」

 

 二方向から封鎖された。

 

 かぐやは頬を膨らませたものの、両手にはしっかり三軒分の持ち帰り袋を抱えている。

 

「でも、ハッピーだった!」

 

「まだまだ美味しいお店はたくさんあるからね」

 

 真実が笑う。

 

 その隣で、かぐやも笑う。

 

 食べることが好きな人と、初めての味に全力で驚く人。

 

 二人が並べば、見慣れた町の食べ物まで、新しい宝物のように映った。

 

     *

 

「今日は料理配信!」

 

 かぐやはエプロン姿で、両腕を高く掲げた。

 

「冷蔵庫にあるもので、ハッピーごはんを作ります!」

 

「まず、包丁を置いて」

 

 画面外から、彩葉の声。

 

「まだ持ってないよ?」

 

「持とうとしてたでしょ」

 

「なんで分かったの!?」

 

「顔」

 

 調理台には、玉ねぎ。

 

 人参。

 

 鶏肉。

 

 卵。

 

 使いかけの野菜。

 

 目標は、残り物を使ったオムライスだった。

 

 かぐやが包丁へ手を伸ばす。

 

 その手より先に、横から大きな手が柄を取った。

 

「切るのは僕がやろう」

 

「雅治、料理できるの?」

 

「人並みには」

 

 雅治はシャツの袖を肘まで折り、まな板の前へ立った。

 

 玉ねぎを半分に割る。

 

 皮を外す。

 

 包丁の腹を指へ沿わせるようにして、一定の幅で刃を落としていく。

 

 とん。

 

 とん。

 

 とん。

 

 音の間隔が、ほとんど変わらない。

 

 速い。

 

 けれど、雑ではない。

 

 刃先から根元までを無駄なく使い、切られた玉ねぎはほぼ同じ大きさで並んでいく。

 

 人参も。

 

 鶏肉も。

 

 迷いなく、必要な形へ変わっていく。

 

 かぐやは真横から覗き込み、目を見開いた。

 

「すっご! 雅治、包丁と友達なの!?」

 

「友達ではない」

 

『速くない?』

『人並みとは』

『手元きれい』

『料理人枠まで持ってるのか』

『高身長ムキムキDK、包丁も使える』

『属性を盛るな』

 

 画面外でチャットを見ていた彩葉も、思わず顔を上げた。

 

「橘君、料理できたの?」

 

「一人で暮らすなら必要だろう」

 

「それ、最低限の手つきじゃないでしょ」

 

「怪我をしない切り方を覚えただけだ」

 

「覚えただけでその速度になる?」

 

「慣れだと思うがな」

 

 雅治は不思議そうに言いながら、切った具材をボウルへ移す。

 

 その所作まで無駄がない。

 

 かぐやは感心しきりで、何度も手元と雅治の顔を見比べていた。

 

「雅治の料理、絶対においしい!」

 

「もう食べたことあるの?」

 

 彩葉が聞く。

 

「あるよ! 赤ちゃんだった時に作ってくれた!」

 

「離乳食に近いものだ。料理と呼べるほどではない。まだ小学校の時のお粥のことだろう」

 

「よくも覚えているのね」

 

「彩葉のパンケーキも食べたしね!」

 

 雅治の手が止まった。

 

 彩葉の声も止まった。

 

 一秒。

 

 二秒。

 

 配信上に、不自然な沈黙が落ちた。

 

「かぐや」

 

 画面外から、低い声がする。

 

「それは今、関係ないから」

 

「あるよ! 料理の話だもん!」

 

「関係ないの」

 

『どんなパンケーキ?』

 

 コメントが流れた。

 

『いろPの手料理!?』

『聞きたい』

『かぐいろパンケーキ』

『絶対かわいいやつ』

 

「白くてね」

 

「かぐや、やめなさい」

 

「平たくてね」

 

「やめなさい」

 

「水の味がした!」

 

 コメント欄が止まった。

 

 そして、一気に流れた。

 

『水の味』

『パンケーキで?』

『どういうこと』

『いろP?』

『小麦粉はどこへ』

『かぐいろてぇてぇから急に不穏』

 

「違うの! あれは材料がなかったし、緊急事態だったから!」

 

 珍しく彩葉の声量が上がる。

 

 かぐやは悪びれることなく続けた。

 

「水で小麦粉を溶いて、焼いたんだよ!」

 

「説明しなくていい!」

 

 視聴者の関心が、横で黙っている雅治へ集まる。

 

『雅治ニキ、判定を』

『実食者二号』

『証人がいる』

『真相をお願いします』

 

 雅治はしばらく玉ねぎを見つめていた。

 

 どう答えても、酒寄に怒られる。

 

 それは分かる。

 

 だが、事実を曲げるのも違う。

 

 雅治は包丁を置き、淡々と答えた。

 

「食事というより、完成したという事実を鑑賞するための一皿だったな」

 

「橘君!?」

 

『信じた背中からの追い打ち』

『斜め上から刺した』

『つまり不味い』

『視覚専用パンケーキ』

『いろPの料理、観賞用』

 

「いや、待って。焼き色と加減はきれいだった」

 

「フォローになってない!」

 

「事実だろう」

 

「そういう事実はいらないのよ!」

 

 かぐやは腹を抱えて笑っている。

 

 雅治も、ほんの少しだけ口元を緩めていた。

 

 以前なら。

 

 こうして人前で余計なことを口にする前に、きっと言葉を飲み込んでいた。

 

 無難な答えを選んでいた。

 

 酒寄が望みそうな返事を考えていた。

 

 けれど今は、このくらいならいいかと思える。

 

 怒られる。

 

 呆れられる。

 

 それでも、関係が終わるわけではない。

 

 その程度のことを、少しずつ信じられるようになっていた。

 

「もう橘君には料理させない」

 

「それは困る!」

 

 かぐやが即座に反対した。

 

「雅治のオムライス食べたい!」

 

「作るのは私たちの企画でしょ!」

 

「彩葉も一緒に作ろ!」

 

「いろP」

 

「あっ、いろPも!」

 

「僕は材料を切るだけでいい」

 

「あーッ逃げないで!」

 

 炒める音。

 

 かぐやの笑い声。

 

 彩葉の抗議。

 

 コメント欄を流れる《観賞用パンケーキ》の文字。

 

 その日のオムライスは、少し形が崩れた。

 

 けれど、味はきちんと料理だった。

 

 少なくとも、水で溶いた小麦粉よりは。

 

「最後の一文いらない!」

 

     *

 

 配信の片づけ中。

 

 空になったペットボトルを手に取ったかぐやが、ふと動きを止めた。

 

 透明な容器を光へ透かす。

 

 振る。

 

 覗き込む。

 

 それから、コメント欄に流れた一つの言葉を見つけた。

 

『次は水ロケットやって』

 

「水……ロケット?」

 

 かぐやの目が、きらりと光った。

 

 その光り方を見た瞬間、彩葉は嫌な予感を覚えた。

 

「やらないからね」

 

「まだ何も言ってないよ!」

 

「顔に書いてあるし」

 

「水を入れたら、これ飛ぶの!?」

 

「聞きなさい」

 

「空まで!?」

 

「聞きなさい」

 

「月まで!?」

 

「行かない!」

 

 かぐやは空のペットボトルを両手で掲げた。

 

「やる!」

 

「やらない!」

 

「やる!」

 

「まず安全性を  

 

 彩葉が止めるより先に、かぐやは雅治へ振り向いた。

 

「雅治!」

 

「何だ」

 

「ロケット作れる!?」

 

 雅治は、かぐやの手にあるペットボトルを見る。

 

 形。

 

 容量。

 

 厚み。

 

 口径。

 

 ほんの数秒、静かに観察した。

 

「簡単なものなら」

 

「やったー!」

 

「橘君まで乗らないで!」

 

 彩葉の悲鳴をよそに。

 

 かぐやはもう、空へ飛んでいく透明なロケットを想像していた。

 

 そして雅治もまた、机の端にあったメモ用紙へ、無意識に一本目の線を引いていた。

 

     *

 

「しゅっぱーつ!」

 

 数日後。

 

 青空の下、かぐやの元気な声が響いた。

 

 広い空き地。

 

 周囲に人はいない。

 

 落下地点も確認済み。

 

 画面の隅には、いろPによる注意書きが表示されている。

 

 ※安全を確保した場所で、周囲を十分に確認して撮影しています。

 

 ※危険ですので、発射装置の前には絶対に立たないでください。

 

 ※よい子も悪い子も、大人の人と一緒に遊びましょう。

 

 安全管理は完璧だった。

 

 少なくとも、彩葉はそのつもりだった。

 

 かぐやが自分で作った水ロケットが、勢いよく発射台を飛び出す。

 

 ぽんっ。

 

 空へ。

 

 月へ。

 

 ハッピーエンドへ。

 

 その第一歩が  

 

 くるん。

 

 と、頼りなく半回転し。

 

 ことん。

 

 かぐやの足元から二メートルほど離れた地面へ落ちた。

 

「…………」

 

 風が吹いた。

 

 透明なペットボトルが、草の上で静かに横たわっている。

 

 月どころか、上空にも届いていない。

 

 かぐやはしばらくロケットを見つめた。

 

 それから、ゆっくりと後ろのカメラを振り返る。

 

 目が、点になっていた。

 

「……月、遠いね」

 

 コメント欄が爆発した。

 

『近い近い』

『月以前に空へ行ってない』

『発射とは』

『ことん』

『その顔やめろwww』

『後ろ振り返るの反則』

『水ロケット君、地球への愛が強すぎる』

 

 画面外では、彩葉が必死に笑いを堪えている。

 

「彩葉、笑った?」

 

「配信中は、いろP」

 

「あっ。いろP、笑った?」

 

「笑ってない」

 

「声、震えてるよ!」

 

「笑ってないから、ロケットを回収しなさい」

 

「絶対笑ってる!」

 

 初号機。

 

 失敗。

 

 かぐや、地面へ膝をつく。

 

「月まで行くはずだったのに……」

 

「最初から行かないって言ったでしょ」

 

「でも、もうちょっと空とは仲良くしてほしかった!」

 

 かぐやは、草の上に転がった水ロケットを抱え上げる。

 

 少しへこんでいた。

 

 かぐやの心も、少しへこんだ。

 

 だが、月姫はこの程度ではめげない。

 

「雅治!」

 

「何だ」

 

 カメラの外で発射状況を見ていた雅治へ、勢いよく振り返る。

 

「直して!」

 

「それは、かぐやが作ったものだろう」

 

「じゃあ、雅治も一緒に作って!」

 

「……」

 

「おねがぁい!」

 

 両手を合わせる。

 

 上目遣い。

 

 先ほどと同じ、あざとい猫ちゃん攻撃。

 

 雅治は落ちたロケットを受け取り、表面を確認した。

 

 機体の形。

 

 翼の位置。

 

 水の量。

 

 重心。

 

 ノズル。

 

 発射台との接続。

 

 ほんの数秒、無言で眺める。

 

「……分かった」

 

「やったー!」

 

「ただし、一から作り直す」

 

「つよつよになる!?」

 

「少なくとも、発射直後に地面へ落ちない程度には」

 

「月まで!」

 

「行かない」

 

「でも近づく!」

 

「物理的には誤差だ」

 

「ハッピー的には大前進!」

 

 雅治は何も答えなかった。

 

 ただ、ペットボトルを片手に、もう片方の手でメモを取り始めた。

 

 その時点で、彩葉は止めるべきだったのかもしれない。

 

 だが。

 

 まさか、水ロケットを一つ直すだけの話が、あそこまで大きくなるとは思わなかったのである。

 

     *

 

 線を一本。

 

 円を一つ。

 

 角度。

 

 長さ。

 

 接続位置。

 

 雅治の手が、紙の上を止まることなく動いていく。

 

「橘君」

 

「何だ」

 

「水ロケットだよね?」

 

「そうだな」

 

「設計図、細かすぎない?」

 

「作るなら、構造を整理した方が早い」

 

 簡単な外形図だったはずの紙へ、次々と情報が増えていく。

 

 発射筒。

 

 固定具。

 

 安全装置。

 

 角度調整機構。

 

 連続発射用の切り替え部分。

 

「連続?」

 

 彩葉が聞き返した。

 

「今、連続って言った?」

 

「言ったな」

 

「一発飛ばす企画だったよね?」

 

「予備はあった方がいいだろう」

 

「予備が発射筒ごと増えてない?」

 

「一本ずつ交換するより効率的だ」

 

「効率を求めていない!」

 

 勿論、雅治は聞いていない。

 

 いや、聞いてはいる。

 

 聞いているうえで、作業を止めない。

 

 必要な部品を確認する。

 

 使わなくなった器具を分解する。

 

 寸法を測る。

 

 素材を切る。

 

 削る。

 

 組み合わせる。

 

 試す。

 

 外す。

 

 直す。

 

 また組み立てる。

 

 かぐやが横から覗き込む。

 

「雅治、何してるの?」

 

「固定具の調整だ」

 

「なんで四つあるの?」

 

「四本飛ばすからだ」

 

「すごーい!」

 

「なんでこんなにも簡単に出来上がるのよ」

 

 彩葉の声だけが、虚しく響く。

 

 雅治は、明らかに楽しんでいた。

 

 表情はほとんど変わらない。

 

 口数も少ない。

 

 けれど、次の工程へ移る速さが普段とは違う。

 

 目の前の構造を、どうすればより安定させられるか。

 

 どうすれば安全に、より高く、より美しく飛ばせるか。

 

 思いついた瞬間には、もう手が動いている。

 

 数時間後。

 

 なぜか完成していた。

 

 早い。

 

 おかしい。

 

 だが、完成している。

 

 彩葉は目の前に置かれた物体を見て、しばらく言葉を失った。

 

「……これ、水ロケット?」

 

「そうだ」

 

「どこが?」

 

「推進力をもって発射するものはロケットだと定義されている」

 

「発射する側が完全に兵器なのよ!」

 

 四本の発射筒。

 

 肩へ担げる本体。

 

 角度調整機構。

 

 圧力計。

 

 安全ロック。

 

 発射順を切り替えるレバー。

 

 無駄に格好いい外装。

 

 どう見ても、四連装ミサイルランチャーだった。

 

 ただし発射されるのは、ペットボトルで作られた水ロケット(ミサイル)である。

 

 環境への配慮も忘れていない。

 

 ※外装の一部には、再生プラスチック由来の環境負荷が少ない素材を使用しています。

 

 ※ロケット本体には、自然環境への影響を考慮した素材を使用しています。

 

 ※水が飛びます。周囲に濡れて困る物を置かないでください。

 

「環境に優しければ何を作ってもいいわけじゃないからね?」

 

「危険性は抑えてあるとも」

 

「そういう話をしてない!」

 

 雅治は、完成したランチャーを肩へ担いだ。

 

 スッ。

 

 高い身長。

 

 広い肩。

 

 落ち着いた表情。

 

 無駄に完成度の高い四連装水ロケットランチャー。

 

 あまりにも様になっていた。

 

 コメント欄が、一瞬だけ止まる。

 

 そして。

 

『待って』

『水ロケット?』

『ランチャーでは?』

『雅治ニキ、何を作った』

『四連装wwwww』

『急に画面のジャンル変わった』

『高身長ムキムキDKに兵器を持たせるなよ』

『環境に優しい素材です、じゃないんよ』

『絶対シらぬイ見て育っただろ』

『工作思想が同じ界隈』

『シらぬイの同類が増えた』

 

 彩葉の気配が、一瞬だけ鋭くなる。

 

「コメント欄、変な詮索は禁止」

 

『はい』

『いろP先生こわーい』

『詮索はしません』

『でも似てるとは思います』

 

 雅治はコメントを見ても、何も言わなかった。

 

 ただ、発射台の方向を確認する。

 

「雅治、かっこいい!」

 

「そうだろう?」

 

「名前つけよう!」

 

「必要か?」

 

「必要!」

 

 かぐやは腕を組み、真剣に考える。

 

「ハイパー月までいけいけ水ロケットランチャー!」

 

「長い」

 

「じゃあ、スーパー月までびゅーん四連号!」

 

「まだ長い」

 

「月光四連!」

 

「急にまともになったな」

 

「これ!」

 

 採用された。

 

 四連装水ロケットランチャー。

 

 名称。

 

『 月光四連 』

 

『商品名みたい』

『DX月光四連』

『光る! 鳴る! 水が飛ぶ!』

『いろPの胃も飛ぶ』

『予約開始まだ?』

 

「商品化しないからね」

 

「今の所、予定はない」

 

 雅治が答える。

 

「予定“()”?」

 

「言葉どおりの意味だが」

 

「含みを持たせないで!」

 

     *

 

 

 

 

 発射位置    確認(クリア)

 

 

 

 落下地点    確認(クリア)

 

 

 

  周囲     確認(クリア)

 

 

 

 

 安全ロック(セーフティー)  解除(オフ)

 

 彩葉がカメラの外から念を押す。

 

「絶対に人へ向けない。無理な圧力をかけない。落ちた場所を確認してから回収する」

 

「はーい!」

 

「返事を伸ばさない」

 

「はい!」

 

 かぐやは雅治の横へ立った。

 

 目の前には、広い空。

 

 初号機が届かなかった青い世界。

 

「いくよ!」

 

「カウントは任せる」

 

「さん!」

 

 かぐやの声が響く。

 

「に!」

 

 コメント欄にも数字が並ぶ。

 

『2』

『2』

『2』

 

「いち!」

 

 雅治の指が、トリガーへかかる。

 

「しゅっぱーつ!」

 

 一発目。

 

 乾いた発射音と共に、水ロケットが射出筒から飛び出す。

 

 白い水煙を引きながら、ほとんど揺れることなく一直線に空へ昇っていく。

 

「わぁぁぁぁぁ!」

 

 かぐやが歓声を上げる。

 

 最初の失敗作とは違う。

 

 地面へ落ちない。

 

 十メートル。

 

 二十メートル。

 

 近くに立つ木々の梢を、瞬く間に追い越した。

 

『飛んだ!』

『ちゃんと飛んだ!』

『初号機との差が極端すぎる』

『もう木より高いぞ』

『待って、まだ上がる』

『まだ上がってるんだけど!?』

 

 カメラが慌てて上を向く。

 

 水ロケットは、撮影用に置かれたカメラの画角を縦に切り裂き、そのまま上端から姿を消した。

 

『画角外いった』

『カメラ追いついてない!』

『どこ!?』

『点になった!』

『画面の右上! 白い点!』

『あれロケットか!? ゴミじゃなくて!?』

『ゴミ言うな、雅治製だぞ!』

 

 彩葉がカメラを動かし、どうにかその姿を捉え直す。

 

 青空の中。

 

 さっきまでペットボトルだった物体が、今は爪の先よりも小さな透明の点になっていた。

 

『いや高っ』

『比較できる物がない』

『近くの建物、十階くらいあるよな?』

『とっくに屋上越えてる』

『これ水ロケットの高度じゃないだろ』

『仰角と見え方から雑に見積もって七、八十メートルはある』

『概算班きた』

『まだ惰性で上がってない?』

『百メートル届いてそう』

 

「月に近づいた!」

 

「まだ成層圏にも至っていないがな」

 

「でも昨日より近い!」

 

「昨日は二メートルも飛ばなかったよね」

 

『比較対象が低すぎる』

『二メートルから推定百メートル』

『五十倍アップグレード』

『成長率がバグってる』

 

 やがて一発目が頂点へ達する。

 

 一瞬だけ、空中で止まったように見えた。

 

 それから、緩やかな弧を描いて落下へ転じる。

 

『頂点いった』

『今、何秒飛んでる?』

『発射から十一秒』

『まだ着地してない』

『普通に滞空時間長くない?』

『水ロケットで空を支配するな』

 

 二発目。

 

 雅治が発射切替レバーを動かす。

 

 今度は角度を少しだけ浅くした。

 

 発射。

 

 ロケットは高く昇るのではなく、地面と斜めに距離を切り裂いていく。

 

 安全確認のため、草地には五十メートルごとに目印が置かれていた。

 

 五十。

 

 百。

 

 百五十。

 

 透明な機体が、そのすべてを越えていく。

 

『五十通過』

『百いった!』

『待って百五十も越えたぞ』

『まだ飛んでる!』

『落下地点どこだよ!?』

『カメラ振って! もっと右!』

『遠すぎて見えねえ!』

『二百メートル近く行ってないか!?』

 

 彩葉がカメラを横へ振る。

 

 遅れて、遥か遠くの草むらで小さな水しぶきが上がった。

 

『今の着地点?』

『遠っっっ』

『音が遅れて聞こえたぞ』

『視聴者に着弾観測させる水ロケット配信』

『企画の規模がおかしい』

『水ロケットで弾道計算するな』

 

「雅治、すごい! あんな遠くまで飛んだ!」

 

「ああ。想定より少し伸びたな」

 

「少し?」

 

 画面外から、彩葉の低い声。

 

「安全用の百五十メートル目印、普通に越えてたけど?」

 

「着地点は、およそ百八十から二百メートルの間だろう」

 

「およそで済ませる距離じゃないのよ!」

 

『本人、今二百メートルって言った?』

『公式発表きた』

『水ロケット飛距離二百メートル』

『もう学校のグラウンド二個分くらいない?』

『水とペットボトルで出していい数字じゃない』

『環境に優しい弾道兵器』

 

 三発目。

 

 さらに高角度。

 

 四発目。

 

 三発目を追いかけるように連続発射。

 

 二本のロケットが、水しぶきの尾を交差させながら空へ昇る。

 

『二発同時に飛んだ!』

『片方高くて片方遠い!』

『カメラ一台じゃ追えない』

『右のやつ、また建物サイズ越えた』

 

『左は百メートル地点通過』

『情報量が多い!』

『水ロケット配信で弾幕を見るとは思わなかった』

 

 四本の透明な機体が、青空へそれぞれ違う軌跡を描く。

 

 高く。

 

 遠く。

 

 最初の一機が、発射直後にことんと落ちたことなど、嘘だったように。

 

「飛んだ! 全部飛んだよ、雅治!」

 

「ああ」

 

「ハッピー的には大前進!」

 

 雅治は空を見上げるかぐやを見た。

 

 満面の笑み。

 

 全身で喜んでいる。

 

 その姿を見て、ほんの少しだけ口元を緩める。

 

「……なら、そういうことにしておこう」

 

 

『本日の結果:飛びすぎ』

『月には届かなかった』

『でも企画の想定は完全に飛び越えた』

『雅治ニキ、次は何を作る気だ』

『聞くな。作るぞ』

『かぐやちゃんめっちゃ嬉しそう』

『いろP、今ちょっと笑った?』

『保護者会、今日も平和です』

 

 水ロケットは、草地へ次々と着地した。

 

 かぐやは飛び跳ねた。

 

「次は、かぐやも乗れるやつ作ろう!」

 

「作らない!」

 

 彩葉が即答した。

 

 雅治は、落下地点を確認しながら少し考える。

 

「現状では、出力も安定性も足りないな」

 

「橘君?」

 

「人を乗せるなら、機体構造から  

 

「検討しないで!」

 

「可能性の話だ」

 

「可能性から潰すの!」

 

「雅治、できる!?」

 

「だから煽らない!」

 

 かぐやの目が輝く。

 

 雅治の頭の中では、すでに何かの構造計算が始まりかけている。

 

 彩葉は、その二人を見比べた。

 

 そして、その日の夜。

 

 彩葉条約に、新たな一文が加えられた。

 

  橘雅治へ、工具と自由時間とかぐやを同時に与えてはならない。

 

 違反者。

 

 二名。

 

 反省の色。

 

 今のところ、なし。

 

 

 





 ここまでお読みいただきありがとうございました。
 いつも皆さんの感想を読み直しながら気合入れなおしているおかげで立ち直るのもできました。
 もう今年の半分が過ぎるけども、6月もよろしくお願いします (o_ _)o


 仕事先に建物が古すぎて内壁が腐った。
 そのおかげで黒い軍勢が出るわ出るわ。
 おかげで夏のセミ空襲の時期も来てないのに、もう夏休みネタ一個書きあがりそうです(笑)

 
 およびじゃねーんだよ、無名王見たいなノリで出てくんな中指サイズの隠れボスさん。
 天井から飛んでくるの迎撃するため、久しぶりに箒と塵取りで無双してたら、私的には実兄で仕事の上司が女の子みたいに叫ぶのを見てめっちゃ笑いマスタ 草。


 夏休みシーズンがどうなるのか、ドキドキするぜい。


 感想、お気に入り、評価いっつもありがとうございます!

番外編を時間列に合わせて本篇の合間に入れてみる?

  • 話の展開やネタの繋がりがあってよさそう。
  • 「番外」やから別途でいいんじゃね?
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