今日も正常営業。ただし“そういうとこ”を添えてー 作:火力万能主義
思いついたらすぐメモして、後で見比べる。
他の作品の文体やこれまでいろんなサイト、本から集めたサンプルを読み上げながらギアを上げる。
それで出来上がった2万字。
だいぶ長めかもしれませんが、どうぞ!
主人公の名前の呼び方がわかりやすいよう冒頭を修正・加筆しました。 (11:09)
第二話 ちゃんと答えているさ。ただ、何も渡していないだけ。
真面目。
誠実。
優しい。
頼りやすい。
成績が良い。
しかも、それをまるで鼻にかけない。
そこへさらに、背が高い、姿勢がいい、顔立ちも整っている、という視覚的な情報が乗る。
最初に見た時だけ、少し身構える者もいる。
百九十センチ台の身長というのは、それだけでひとつの圧だ。
しかも細いだけではなく、肩や腕の線には鍛えられた密度があり、近くで見ると「思ったより大きい」と感じる類いの体格をしている。
けれど、その印象はたいてい話した瞬間に和らぐ。
口調は柔らかい。
声量は必要以上に大きくない。
返答は丁寧で、雑な響きがない。
そして何より、その“丁寧さ”が、かしこまりすぎるぎりぎり手前で止まっている。
だから、聞いている側も変に構えなくて済む。
「橘、このプリント後ろから回してくれないか」
「構わない」
「悪い、ここの式だけ分からなくてさ」
「そこは一つ前の条件を落としてる。ほら、ここ」
「橘、次の体育って何だっけ」
「今日はサッカーとバレーだな」
こういうやり取りの積み重ねで、橘雅治は“感じのいい優等生”として、クラスの中に自然に定着していた。
頼みごとを断らない。
聞かれれば教える。
相談も愚痴も、適当に流さず、一応最後まで聞く。
かといって、やたらと出しゃばるわけでもない。
その塩梅が上手い。
たとえば、誰かが勉強のことを聞いてきた時。
全部を一からやり直させるのではなく、「どこで止まったのか」だけを見抜いて、そこへだけ言葉を差し込む。
「なるほど……あ、そこか」
「そう。次に同じ形が出たら、そう簡単に間違えることはないだろう」
その説明の仕方に嫌味がない。
“教えてやっている”ではなく、“そこならこう見た方が早い”という感じで差し出してくる。だから聞く側も、変に惨めにならない。
相談を受ける時も同じだった。
ただ吐き出したいだけの相手には、余計な正論を挟まない。
本気で答えを探している相手には、問題を整理して返す。
そして、どちらの場合も、あまり自分の話はしない。
そこが橘雅治の奇妙なところだった。
誰とでも感じよく話す。
頼りやすい。
教師受けもいい。
体育でも、勉強でも、目立とうと思えば目立てる。
けれど、誰一人として、彼が何を好きで、何をしている時が一番楽しそうなのかをよく知らない。
教師から見ても、橘雅治は扱いやすい生徒だった。
授業態度は良好。
提出物は遅れない。
居眠りもしない。
一年の時には委員長を務めていたこともあり、「何かあれば任せて大丈夫」と思われる側の人間だった。
もっとも、そういう生徒はえてして“いい子すぎる”か“面白みがない”かのどちらかへ寄りがちだが、橘は少し違う。
ちゃんとしているのに、息苦しさが薄い。
礼儀正しいのに、媚びている感じがない。
だから教師の側も、安心して物事を頼める。
その代わり――いや、そのせいでというべきか。
誰も彼を深く掘り下げようとはしなかった。
大丈夫そうに見える。
困ってなさそうに見える。
だから、人はそこで止まる。
その完成度が高すぎるせいで、二年A組の生徒たちはある時ふと気づくことになる。
――そういえば、自分たちは橘雅治という人間のことを、ほとんど何も知らないのではないか、と。
*
昼休み。
弁当箱の蓋が閉じる音、購買のパンの袋を丸める音、誰かが机を寄せる音。教室の中は、昼らしいゆるい騒がしさに満ちていた。窓際の一角では、酒寄彩葉、綾紬芦花、諌山真実がいつものように机を寄せている。
「彩葉」
芦花が頬杖をついたまま、じっと正面を見た。
「何?」
「今日の二限目、またやってたでしょ」
「何を」
「目を開けたまま気絶」
真実が即座に言う。
彩葉は箸を持つ手を止め、呆れたように二人を見た。
「言い方が最悪なのよ」
「でもしてたよねぇ」
「してたねー」
二限目は古典だった。
酒寄彩葉はいつものように背筋を伸ばし、前を向き、ノートを開いていた。
よこから見ればそうだ。
だが芦花と真実は知っている。
あれは起きている人間の目ではなかった。
焦点が微妙に合っておらず、瞬きが遅く、ペン先だけが不自然に止まっていた。
要するに、寝ていた。しかも目を開けたまま。
「ちゃんと寝てる?」
芦花が少しだけ真面目な声音で訊く。
彩葉は一拍おいて答えた。
「寝てはいるわよ。一応」
「一応って何」
「長くはないだけ」
「それを一般には寝不足って言うんだよぉ」
真実が身を乗り出す。
彩葉は小さく息を吐いた。
今日の彩葉は、やはり少し無理をしているように見えた。
薄いメイクできちんと整えられてはいる。だが、コンシーラーの下に隠しきれない目の下の影が、近くで見れば分かる。
「でも彩葉ってほんとすごいよね」
真実が感心したように言う。
「学校、バイト、勉強、その上で推し活もしてるんでしょ?」
「二足どころか三足四足だねぇ」
芦花が面白がるように言うと、彩葉は乾いた声で返した。
「方向性の違う草鞋が混ざってるだけなのよ」
「でも、すごいことには変わりないよ」
真実が言い切る。
芦花も、今度はふざけずにうんうんと頷いた。
「はい、彩葉に花丸」
そう言って、ペンのキャップで彩葉の頬をちょんと指す真似をする。
「やめて」
「頑張っててえらい、の花丸」
「子ども扱いしないで」
「してないよ。してないけど、彩葉って全然自分を褒めないじゃん」
図星だった。
彩葉は少しだけ目を逸らした。
そんな穏やかなやり取りの中で、真実がふと「あ」と声を上げる。
「でもさ」
「何」
「そう考えると、橘ってなんなんだろうね」
話題の飛び方が唐突で、芦花が目を瞬かせた。
彩葉も同じだったが、内心では少しだけ、その方向へ転がることを予感していた気もする。
「なんなんだろうって、何が?」
芦花が聞き返すと、真実は弁当箱の隅の卵焼きを箸で指しながら言った。
「だってさ、成績もずっと上位じゃん。体育でも普通に強いし、背ぇ高いし、走るのも速いし、先生にもよく頼られてるし」
「ああ、それは分かるかも」
「でもさ、全部“普通ですけど”みたいな顔でやるじゃん」
「してるかな」
彩葉が小さく言う。
真実は頷く。
「してるよぉ。あれだけできるのに、本人だけ何でもないみたいな」
「見せびらかさないだけじゃない?」
芦花の言葉に、彩葉は少し考える。
「そういうのとも、少し違う気がする」
「違う?」
「隠してる、というより……最初からそこへ触らせないようにしてる感じ」
芦花が「あー」と小さく声を漏らした。
真実はまだぴんと来ていない顔だ。
「なんか彩葉、急に難しいこと言い出したぁ……」
「でも分かるかも」
芦花は頷く。
「優しいし、感じもいいし、話しやすいんだけど、こっちが一歩踏み込む前に、はいここまで、って線だけはちゃんと引いてる気がする」
「へぇ……」
真実は感心したように言ったあと、すぐに明るく付け足した。
「でも、全校で見ても彩葉と勉強も運動も張り合える男子って、ほんと橘くらいじゃない?」
その言葉に、彩葉は箸を置いた。
「張り合ってるつもりは、あっちはないんじゃない」
「でも周りは勝手にそう見てるよね」
「まあ、それは……そうかも」
そう言いながら、三人の視線は自然と教室の別の場所へ向いた。
窓際から二列目。
橘雅治は、前の席の男子が差し出したノートを見ながら何かを説明していた。
相手が分かった顔になると、それ以上は続けず、ノートを返す。
無駄がない。
優しい。
でも、やっぱり何も見えない。
「ほんと、感じいいんだよねぇ」
真実が言う。
「嫌な顔しないし」
「頼りやすいしね」
芦花も続く。
彩葉は、その姿を見ながら小さく息を吐いた。
「だから余計に、よく分からないのよ」
その時だった。
「酒寄」
横から声が落ちた。
三人が揃って顔を上げると、そこにはいつの間にか橘が立っていた。手には次の授業で使うらしいプリントが数枚。
「先生が、これを前から回してくれと言っていた」
「あ、ありがとう、橘君」
彩葉が受け取る。
橘はそれで役目を終えたように離れかけたが、真実がすかさず声をかけた。
「橘君、こういうの見る?」
突如向けられるスマホの画面。
そこに映っているのは、巨大トウモロコシを抱えた無声ライバー《シらぬイ》の切り抜きサムネイル。
橘の視線が、一瞬だけそこへ止まる。
ほんのわずかに間が空いて、それからいつもの穏やかさへ戻った。
「ゲーム配信か」
「そうそう。意味わかんないんだけど面白くてさ」
「見ることはある」
「橘君ってこういうのも見るんだ」
芦花が少し驚いたように言う。
ほかの二人も同じ気持ちである。
橘は画面を見たまま答えた。
「嫌いではない。それに、手を動かして作ったものには、見ていて分かる癖が出るからな」
彩葉がそこで、ほんの少しだけ目を細めた。
「そこまで分かるもの?」
「分かる類いの人間には分かる、という程度だろう」
やっぱり、答えているようで核心は渡さない。
真実が首を傾げる。
「じゃあ橘君って、こういうの作る側にも興味あるの?」
「興味がないとは言わない」
「それ、あるって言ってるのと同じじゃない?」
「そう聞こえるなら、たぶんそうなんだろう」
「またそれ!」
芦花が笑う。
彩葉は静かに問いを重ねた。
「橘君って、ゲームはするの?」
「触ることはある」
「何が好きなの?」
一拍。
橘は少しだけ考えるように視線を落としてから答えた。
「手を動かしている時間は、嫌いじゃない」
「手を動かす?」
「作業でも、整理でも、分解でも、組み立てでも。黙って何かを進めている時間は性に合う」
それは確かに答えだ。
だが、好きなものの名前でも、趣味の固有名詞でもない。
ちゃんと話しているのに、何も掴ませてくれない。
「橘君って、ちゃんと答えてるのに何も渡してない感じするよね」
芦花がぽつりと言う。
真実が「それ!」とすぐに笑った。
橘は否定せず、ただ少しだけ口元を緩めた。
「そうかい」
それだけだった。
*
その日の三、四限目は体育だった。
初夏に差しかかった空は高く、雲は薄い。グラウンドへ出るには少し日差しが強いが、吹く風はまだ重くない。
男女合同での導入と点呼を終えたあと、男子はグラウンドでサッカー、女子は体育館でバレーボール、あるいはどちらかの見学と簡単な補助に分かれる流れになった。
当然のように、橘は男子の列へ入っていく。
何も気負う様子はない。
いつも通りの、少しだけ力の抜けた姿勢のまま、他の男子たちと一緒にグラウンドの方へ歩いていく。
その背中だけ見れば、別に運動が得意そうとか、そういう空気を殊更に出しているわけではない。
むしろ静かだ。
静かすぎて、気をつけて見ていないと目立たない。
「ほんと、こういう時までいつも通りなんだよね」
芦花がぼそりと漏らした。
彩葉は体操服の袖を軽く整えながら、短く頷く。
「そうね」
「でも、たぶん普通じゃないかもー」
真実が言う。
それが何を指しているのか、二人とも説明を求めなかった。
今さら言葉にしなくても分かる。
勉強もできて、体育でもだいたい強くて、教師受けも良くて、でも妙に目立ちすぎない。
そういう「全部をそれなり以上にできるのに、自分から前へ出ない感じ」が、橘雅治という男子にはある。
「さ、行こう。今日はレシーブ地獄だったら嫌だなぁ」
「真実、さっきから嫌だ嫌だって言ってるけど、どうせ始まったら一番声出すでしょ」
「それはそう」
芦花に言われて、真実はまるで開き直るように胸を張った。
三人はそのまま体育館へ向かった。
体育館の中は、外の光を吸って白く明るかった。
木の床は乾いていて、シューズの裏がきゅっと鳴る。
ネットが張られ、クラスごとに軽く組を分けたあと、準備運動から始まり、アンダー、オーバー、軽いラリーへと進んでいく。
酒寄彩葉は、こういう時の動きに無駄がない。
飛び抜けて華やかなプレーをするわけではないが、位置取りも体の向きも安定していて、ボールが来る前から次の動きを考えているのが分かる。
芦花は最初こそ「うわっ」とか「待って待って」とか騒ぎながらも、慣れてくると意外と器用に繋ぐ。
身体能力そのものは悪くないのだ。
真実は言うまでもなく声が大きい。
届くか届かないか際どいボールに対しても、とりあえず飛び込む勢いだけはある。
成功率はともかく、空気を明るくする意味では非常に役立っていた。
「真実、今のは声だけだったわね」
「えっ、でも“任せて!”って気持ちは一番入ってたよ!?」
「気持ちだけ先に飛んでったねぇ」
「ひどいよ芦花!」
そんなやり取りを挟みつつ、しばらくすると額にじわりと汗がにじむ。
窓の上の方から入る風はあるにはあるが、動いている間はやはり暑い。
同じクラスの別グループがコート脇で待ち始めた頃、彩葉はちらりとそちらを見て、ネット際から一歩引いた。
「じゃ、交代しようか」
「さんせーい」
「私も外の空気吸いたい」
三人は次の組へコートを譲り、体育館の壁際を通って出入口の方へ向かった。
扉を開けると、内側へこもっていた熱が一気に逃げ、外の風が頬に当たる。思ったより気持ちいい。
「うわぁ、生き返る」
彩葉が素直にそう言って、腕を軽く伸ばした。
真実も「分かるぅ」と頷きながら、扉の横へ寄って日陰を探す。
そしてグラウンドでは、まだ男子のゲームが進んでいた。
白いラインで大まかに区切られたスペースの中を、体操服姿の男子たちが走り回っている。
ボールを追う声、笛の音、土を蹴る音。サッカーの試合はどうしても人が一箇所へ集まりやすいが、その中にあっても、橘雅治の姿は見つけやすかった。
背が高いから、というのもある。
だがそれだけではない。動きが、遠目にも無駄なく見えるのだ。
「あ、いた」
真実が言う。
彩葉も芦花も自然と視線を向けた。
橘はグラウンドにて中盤寄りの位置にいた。
最前線で派手に点を取りにいくというより、全体の流れが止まらないように空白を埋める側。
けれど、ただ無難に動いているわけではない。
足を止める時間がほとんどなく、ボールがない場面でも次の場所へ自然に移っている。
前へ。
横へ。
後ろへ。
縦横無尽、という言葉がそのまま当てはまりそうなくらい、広く、しかし散らばらずに走っている。
しかも、まだ息切れひとつしていない。
「……すご」
「……まだ全然息切れしてなさそう」
芦花が感心したように呟く。
確かにそうだった。
他の男子の中には、もう肩で息をしている者もいる。
走って、止まって、方向を変えて、また加速する。
そういう動きを繰り返しているのに、動作の端がまるで雑にならない。
乱れていいところで乱れない。
そういう整い方が、彩葉には妙に引っかかった。
「体力お化け……?」
真実が半ば引き気味に言う。
彩葉は黙ったままグラウンドを見ていた。
ボールが橘の方へ来る。
受ける。
そこで彼は、少しだけ足元へ引きつけるようにして相手の寄りを見た。
無理に一人で抜こうとはしない。
だが消極的でもない。
寄せてきた相手の重心が一瞬片側へ寄ったのを見て、逆へ軽く流し、そのまま空いたところへいた味方へパスを出す。
「うま」
芦花が言う。
「でも、めっちゃ自分で持ちすぎたりはしないんだね」
「そういうところ、橘らしいわね」
彩葉が言うと、真実がすぐ頷いた。
「分かる! 絶対“自分だけで全部やる”みたいな動きしないよね」
その通りだった。
目立つことはできるはずだ。
体格も、脚も、体力もある。
やろうと思えばもっと前へ出られる。
けれど橘はそうしない。
ボールを抱え込まず、味方が動きやすいところへ回す。
それでいて、自分のところで流れを止めもしない。
いわば、全体をよく見ているプレーだ。
そのくせ、必要な時だけは急に出る。
相手のパスが少し短くなった瞬間、橘が一気に詰めた。
長い脚が地面を掴む。
半歩で届くはずのない距離を、体ごと滑り込むように奪い、そのまま足先でボールを掠め取る。
奪ったあとも止まらない。
ひとつ前へ運び、寄ってきた相手を無理に抜こうとせず、横へ流れた味方へ預ける。
「うわ、今の速っ」
真実が声を上げる。
芦花も「ね」と目を丸くする。
彩葉はその場面を見ながら、昨夜のことを少し思い出していた。
「何でもできるのに、絶対に全部は見せない感じ」
彩葉がぽつりと言うと、芦花が「分かる」と頷いた。
真実も目を丸くする。
「彩葉?」
芦花が不思議そうに顔を覗き込む。
彩葉は小さく瞬きをした。
「何」
「いや、なんか今すごい真剣な顔してたから」
「そう?」
「してた。たぶん今、橘君のことちょっと分析してたでしょ」
「……してない、とは言わない」
正直に言うと、芦花が笑う。
真美も「やっぱりー」と楽しそうだ。
「でも分かるよ。あれだけ走って、しかもちゃんと周り見てるの、ちょっとすごいもん」
「というか、さっきから一回も呼吸崩れてなくない?」
「そこが一番怖い」
真実が言ったその時、グラウンドの端で教師が笛を吹いた。
どうやら一度小休止らしい。
男子たちがばらけて、水道の方へ向かったり、その場で屈み込んだりし始める。
その中で橘は、ようやく少しだけ立ち止まった。
けれどやはり、息は乱れていないように見える。
額の汗を手の甲で拭い、軽く首を傾けて呼吸を整えているだけだ。
「すご……」
芦花が、今度は感心を隠さずに言った。
「ほんとに、何でもそこそこ以上にできるんだね」
「そこそこ、って言うにはちょっと高すぎる気がするけど」
真実が返す。
彩葉は二人の言葉を聞きながら、視線だけは橘から離さなかった。
その時だった。
男子の一人が、橘へ何かを言いながら笑いかける。
たぶん、今のプレーのことだろう。褒めているようにも見える。
すると橘は、少しだけ困ったように目を細めて、首を振った。
口の動きまでは遠くて読めない。
だが、たぶん彼はまた「そう見えるだけだ」とか「大したことではない」とか、そんなふうに返しているのだろう。
できても当たり前みたいな顔で。
褒められても、そこへ留まらないように。
「……ねえ」
彩葉がぽつりと言うと、芦花と真実がそろって顔を向けた。
「もし橘が本気で何かひとつに絞ってたら、結構すごいところまで行くんじゃないかしら」
「それ、今でも十分すごいって話じゃない?」
「そうなんだけど」
彩葉はそこで言葉を切る。
問題は、そこではない。
たぶん橘雅治は、できることを前へ出したい人間ではない。
見せたいものを選んでいる。見せても問題のない範囲だけを、静かに渡している。
だからこそ、ああいうふうに“ちゃんとできる”のに、どこか不思議な空白が残るのだ。
風が吹いた。
グラウンドの熱を少しだけ撫でていくような、乾いた風だった。
その向こうで、橘がふとこちらを見た。
偶然だろう。
彩葉たち三人が体育館の外で涼んでいる姿が視界に入っただけ。
なのに彩葉は、一瞬だけ息を呑んだ。
視線が合う。
ほんの数秒。
橘はいつも通り、少しだけ目元を和らげた。挨拶するほどでもない、けれど認識はしている、と伝えるための小さな表情。
それだけで、何もおかしくない。
何も。
でもやっぱり、その何でもなさが、どこか引っかかる。
「彩葉?」
真実がもう一度呼ぶ。
彩葉はようやく視線を切った。
「大丈夫?」
「……ええ」
「やっぱりちょっと気にしてる?」
芦花の問いに、彩葉は少し考えてから答えた。
「気にしてる、というより」
「うん」
「見れば見るほど、よく分からないのよね。橘って」
真実が「それ!」と笑う。
芦花も「分かる」と頷いた。
けれど彩葉だけは、その“よく分からない”の質が、二人とは少し違う場所にあることを、自分でもうっすら感じ始めていた。
授業中の態度。
話し方。
手元の整い方。
無駄のない身体の使い方。
必要以上に前へ出ないのに、必要な時だけ出てくる感じ。
全部ばらばらなら、ただの気のせいで済んだかもしれない。
けれど断片がいくつか重なるたび、昨夜見た無言の配信者の姿が、頭のどこかでちらつく。
もちろん、まだそこへ結びつけるには早すぎる。
そんなのは飛躍だ。自分でもそう思う。
それでも、心のどこかで小さく鳴る声があった。
――もし、違ったら?
授業再開の笛が鳴る。
三人は体育館へ戻るために踵を返した。
その背中側で、グラウンドの男子たちもまた、試合へ戻るために散っていく。
橘雅治はその中へ、いつも通り何でもない顔で紛れた。
何でもない。
少なくとも、学校の中では。
けれど、その夜。
真実が再び送ってきたURLの先で、三人はまた一つ、「何でもないはずのものが何でもなく終わらない」瞬間を見ることになる。
*
放課後。
最後の授業が終わると、教室の空気は一気にほどけた。
椅子を引く音、机を鳴らす音、部活へ向かう者たちの声、帰る支度を急ぐ者たちの足音。
日中ずっと同じ場所へ押し込められていた人間たちが、ようやく外へ流れ出していく。
彩葉は、机の中から教科書とノートを手際よく鞄へ収めながら、ほんの少しだけ肩を回した。
体育の疲れが残っている。
バレーそのものより、そのあと外へ出て風に当たりながら、グラウンドの方を妙に長く見ていたせいかもしれない。
「彩葉、今日このあとバイトだっけ」
芦花が自分の鞄を抱えたまま訊く。
彩葉は頷いた。
「うん、だから先に出るね」
「そっか。頑張ってねぇ」
「真実みたいに軽く言うの、なんか腹立つのよね」
「えぇっ、応援してるのに!?」
真実が大げさに目を丸くする。
その如何にもな反応が彼女らしい。
芦花は半ば呆れ、半ば面白がるように息を吐いた。
「それ毎回言ってるじゃない」
「ち、違うもん。今日はちゃんと早く寝るかも」
「“かも”がもう信用ならないのよ」
彩葉が言うと、真実は「ひどい!」と頬を膨らませた。
その膨れ方すら、どこか芝居がかっていて笑える。
「まあ、でも気をつけてね。今日も あんまり寝てない顔してるし」
芦花が今度は少し真面目な口調で 言う。
彩葉は「善処する」とだけ返し た。
こういう時、本当に善処しかしないのが自分でも良くないとは分かっている。
分かっていても、生活というのは そんなに締麗に配分できない。
「そうだ、真実」
「ん?」
「今夜また何か見つけたら、変な時間じゃなければ送って」
「変な時間でも送るよ!」
「そういうとこよ」
彩葉が言うと、真実は悪びれもせずに笑った。
そしてその笑顔のまま、ふと教室の前の方へ視線をやった。
「橘君、今日もそのまま帰るのかな」
彩葉と芦花もつられるように見る。
橘は、窓際寄りの席で静かに荷物をまとめていた。
派手に急ぐこともなければ、だらだらと残ることもない。
必要なものだけを整然と鞄へ入れ、机の上もさっと整えて立ち上がる。
そういう小さな所作まで、いつも崩れない。
「たぶん叔父さんのところでしょ」
芦花が言う。
「たしかそうだったよね。ジムのお手伝い」
「そう聞いてるわね」
彩葉は短く答えた。
橘はその時、たまたまこちらの方へ目を上げた。
視線が合う。ほんの一瞬。
彼は小さく目元を和らげた。
挨拶というほど大げさではない、けれど「気づいている」ことだけは伝わる程度の、静かな表情。
「酒寄、綾紬、諌山」
近くまで来て、橘はそれぞれの名をきちんと呼んだ。
三人の呼び方を分けているわけでもなく、馴れ馴れしすぎもしない。やはりちょうどいい。
「先に失礼するよ。三人共帰り道は気をつけて」
「ええ、また明日」
彩葉が答える。
真実も「また明日、橘君!」と元気に手を振り、芦花は「おつかれー」と少し気の抜けた調子で返した。
橘はほんの少しだけ頷いて、教室を出ていく。
背の高い体が扉の向こうへ消えても、なぜかその場だけ空気が整えられたみたいに静かだった。
「やっぱり、ちゃんとしてるよねぇ」
真実がぽつりと言う。
「それは今さらじゃない?」
「いや、でも改めて思うのよ。橘って、どこまで行っても“ちゃんとしてる人”なんだなって」
芦花が「うん」と同意する。
彩葉は鞄の口を閉じながら、その言葉を胸の内で反芻した。
ちゃんとしている。
たしかにその通りだ。
それ以上でも、それ以下でもなく、周囲の人間が口を揃えて言う通りの印象。
そして、それが一番厄介だとも思う。
ちゃんとしている人間は、だいたい見落とされる。
問題を起こさない。
線を越えない。
頼れば返してくれる。
そういう人間には、人はわざわざ深く訊かない。
だから――
「彩葉?」
芦花に呼ばれて、彩葉ははっと顔を上げた。
「何、ぼーっとして」
「してないわよ」
「してたよ」
「してたなぁ」
真実まで乗ってくる。
彩葉は小さく眉を寄せてから、諦めたように肩を竦めた。
「……少し考えごと」
「橘のこと?」
芦花の勘の良さに、彩葉は即答しなかった。
その間が、答えみたいなものだったらしい。真実がすぐに笑う。
「やっぱりー」
「違う、とも言い切れないけど」
「えっ、なになに、気になってるの?」
「そういう言い方をすると違うわね」
「でも気にはなってるんだ」
芦花が言う。
彩葉は一瞬だけ視線を窓の外へやった。
さっきまで体育をしていたグラウンドは、もう部活の準備で少しずつ色を変え始めている。
「……見れば見るほど、分からないだけよ」
「分からない?」
「何が好きで、何が嫌いで、何をしてる時が一番楽しいのか。そういう“その人自身”みたいなものが、ずっと見えないの」
芦花は少しだけ真顔になった。
「それは、ちょっと分かるかも」
「真実は?」
「私はまだ普通に“いい人だなぁ”が先かなぁ。でも、言われてみるとたしかに、橘君のこと全然知らないかも」
「でしょ」
彩葉がそう返したところで、チャイムの名残みたいな校内放送が流れた。
もう本当に出ないと、バイトに遅れる。
「じゃ、先に行くわね」
「いってらっしゃい」
「気をつけてねぇ」
「真実は今夜うるさくしすぎないこと」
「善処しまーす」
まるでどこかで聞いたような返答に、彩葉は小さく笑った。
そのまま三人は昇降口で別れ、それぞれの夕方へ散っていく。
*
夕方から夜へ変わる頃、彩葉はバイト先で皿を下げ、注文を通し、レジ対応をこなし、短い休憩時間に糖分を流し込んで、また動いた。
忙しい時間帯を抜けたあと、ようやく最後の片付けまで終わらせて店を出る頃には、空はもう完全に夜だった。
帰り道、スマホの画面を一度だけ確認する。
真実からの通知は、まだ来ていない。
「珍しい……」
あの真実が、推しだの切り抜きだの、面白い配信だのを見つけて何も送ってこない夜は、むしろ少ない。
今日は昼間に騒いでいたぶん、逆に大人しいのだろうか。
そんなことを考えながら部屋へ戻り、鞄を置き、メイクを落とし、最低限だけ片付けて布団の縁へ腰を下ろす。
そこで、ようやくスマホが震えた。
真実からだ。
真実:きた
真実:今夜のシらぬイやばい
真実:サムネの時点で面白おかしいのは確定!!!!
真実:見て
真実:お願いだから帝さまが来るまで一緒に見て
芦花からもすぐに届く。
芦花:今見た
芦花:意味わかんない
芦花:でもたぶん見る
彩葉は半ば呆れながら、送られてきたURLを開いた。
画面が暗転し、すぐに見慣れつつあるツクヨミの配信画面へ切り替わった。
本日の配信タイトルは、妙に静かだった。
【KASSEN / カスタム対戦】季節ものです
それだけ。
開いた視聴者たちは、まずそこで少しだけざわつき、次に画面中央へ映し出された得物を見て完全に足を止めた。
画面の中央。
白シャツ。
黒ズボン。
革靴。
作業用前掛け。
左腕だけ重い籠手。
そして、顔の下半分を隠すガスマスク型のマスク。
ライバー《シらぬイ》。
ここまではいい。まだいい。どうせいつもの風景だから。
ただ問題なのはその服装でなくその手にある。
いつものシらぬイ、その手に握られていたものを見た瞬間、彩葉は目を細めた。
「……本当にスイカバーじゃない」
それはどう見ても、スイカバーの形をした槍だった。
美しい黄金比で切り分けられた赤い果肉。
緑の皮。
木製アイス棒。
見た目だけなら、夏の記憶そのものだ。
そのくせに、なぜか得物として成立している。
しかも、その仕上がりがやけに真面目だ。
表面の繊維質、糖分のきらめき、水分量の表現、どれも無駄に上手い。
なのに、構えた瞬間に得物として成立してしまっているのが腹立たしい。
「……本当にスイカバーじゃない」
彩葉の口から落ちた感想は、ひどく真っ当だった。
コメント欄はすでにざわついていた。
『季節ものってそういうことかよ』
『待って、美味そう』
『いや食うな』
『また“そういうとこ”してる』
『見た目だけで腹立つ』
彩葉は布団へ座り込み、スマホを持ち直す。
部屋の明かりは少し暗い。窓の外の夜景が、薄くガラスへ映り込んでいる。
その映り込みの中で、画面のシらぬイが静かに槍を構えた。
――そしてこのあと、三人を含めた視聴者全員は“見た目だけのネタ武器”では済まない一戦を目にすることになる。
夜のツクヨミ。
配信枠が開いた瞬間、コメント欄はいつものように軽口で埋まった。
だが、今日ばかりは、その軽口に最初から別種の色が混じっていた。
視界の中央、対戦フィールドへ映し出される相手アバターは、派手さを抑えた実戦寄りの装備だった。
長物ではない。
弓系をベースにしながら、近距離対応の射出ユニットを腰と前腕へ分散搭載した軽装。
余計な飾りが少なく、機能だけで組んだような構成だ。
今日の相手は、配信初期から付き合いのある古参の一人。
視聴者からは「サンドバッグ」「モルモット枠」「チュートリアルニキ」と好き放題に呼ばれながらも、本人もすでに半分受け入れている節がある。
長距離狙撃の精度は高い。
距離が空けば、射線を引くのが異様に速い。
近距離武器相手にも、ただ慌てて引き撃ちするのではなく、どこで一歩下がり、どこで半歩詰め返し、どこで撃つかという“レーンの取り合い”が上手い。
つまり、間合いを渡さない。
近づかれても、簡単には死なない。
そういう類の相手だった。
コメント欄も、そのことを知っていた。
『うわ、今日の相手あいつか』
『サンドバッグニキ逃げて』
『逃げるな、君はもうこっち側だ』
『でもあの人普通に強いんだよな』
『近距離の引き撃ちうまいぞ』
そして、そんな相手へ向かってシらぬイが持ち込んだ得物は――
至極単純な一本の槍。
ただし、頭がスイカバー
視聴者の第一声は、だいたい予想通りだった。
『なんでだよ』
『また意味わからんもの持ってきた』
『今日の教材はスイカバーです』
『古参ニキかわいそ』
『そういうとこだぞ』
だが、その古参本人は最初から油断していなかった。
距離を取る。
視線を切らない。
射線を引きすぎず、かといって近づかれすぎないよう、足場の中央よりやや外寄りを選ぶ。
フィールドは浮島型。
何もない空の上に浮かぶ足場は一つのみ。
高低差こそ大きくないが、縁から外はすぐ落下死区域へ繋がっている。
逃げ場はある。だが、詰められ方を間違えれば一気に終わる。
その手のマップだ。
シらぬイは無言。
いつも通り、一切肉声を出さない。
白シャツ、黒ズボン、前掛け、左腕だけ重い籠手、顔の下半分を隠すガスマスク。
その異物じみた姿のまま、静かにスイカバーを構える。
そして
最初の一歩だけは、本当に、ただの槍使いみたいに自然だった。
前へ出る。
速すぎない。
けれど遅くもない。
相手へ「まだ引ける」と思わせる程度の速度で、じり、と圧をかける。
そして、相手もまた同じく身を引く。
引きすぎない。
すぐには撃たない。
ここで早撃ちしても、槍の間合いへ入る前に避けられるか払われるだけだと分かっているからだ。
代わりに横へ流れる。
レーンをずらす。
真正面からではなく、槍の軸を少しだけ外した位置で、槍の先端が届くか届かないかの線を保ちながら、射線を作る位置を探して横へ流れる。
「……うまい」
彩葉の口から、思わずそんな声が漏れた。
対峙している相手のことだ。
ネタ武器相手だからといって、最初から呑まれていない。むしろ“だからこそ”慎重に見ている。
だがシらぬイは、その慎重さごと圧していった。
始まりの合図が鳴ってから少しの静粛。
先に仕掛けるのは、シらぬイ。
シューッ
最初の突きは速すぎない。
けれど、甘くもない。
赤い果肉の先端が、冗談みたいな見た目のまま、冗談みたいに真っ直ぐ走る。
古参はそれを読んでいた。
半歩引き、半歩流して躱す。
そして躱しながら、すでに腰の補助ユニットへ指をかけている。
ここで一発、牽制の早撃ちを差し込む――そのつもりだったのだろう。
だが、シらぬイは穂先を戻さない。
柄を滑らせ、そのまま横薙ぎへ移る。
『うわ、上手い』
『いや槍術ガチかよ』
『最初から普通に槍術してる』
『見た目が邪魔すぎて逆に腹立つ』
『また無駄に洗練されてる』
弓使いは射撃姿勢をいったん捨て、武器を受けへ回す。
――ガィンッ。
見た目に似合わない、重い金属音。
薙ぎを受けた瞬間、体勢がわずかに流れる。
そこへシらぬイは、さらに前へ。
槍というのは、本来、遠い武器だ。
だが本当に怖い槍は、遠いだけではない。
「遠いまま近い」。
近づいたら弱くなるのではなく、近づいたあとで矛先と石突を使い分けて、逃げ場を潰してくる。
シらぬイはそれをきっちりやった
喉元へ穂先。
下がれば石突。
横へ流れれば柄の中程で押し込み、再び真正面へ返す。
引いて撃つための半歩を、ことごとく許さない。
「……うわ」
彩葉の口から、画面越しに小さく声が漏れる。
これはただのネタ武器ではない。
見た目だけの悪ふざけではない。
シらぬイはちゃんと、これを槍として作り、槍として扱っている。
距離をくれない。
弓使い相手に、近接だけを強いる。
それも無茶なラッシュではなく、槍の間合いを一歩ずつ正しく押しつけて、相手に「引き撃ちのための半歩」を作らせない。
『距離くれねぇ』
『弓相手に近接しかやらせないのエグい』
『チュートリアルニキ頑張れ』
『いやでも流石に上手いな古参も』
「ちょっと待って、普通にひどい」
彩葉が呟く。
それはもちろん、褒め言葉ではない。
だが否定でもなかった。
だが実際、相手もただ押されるだけではなかった。
一度下がる。
二度目の薙ぎは受けずに沈むように潜り、最短の軌道で横へ抜ける。
そのまま一瞬だけ射線が通る位置へ出ると、腰の補助ユニットから近距離用の短射を放った。
――パスッ、パスッ。
音の軽い二連射。
槍使いなら、普通はここで止まる。
だがシらぬイは止まらない。
一本目を柄で払い、二本目は前掛けの端を掠めさせるだけで流した。
そしてそのまま、速度を一段上げる。
『うっわ』
『今の流すのかよ』
『避け方がいちいち静かなんだよな』
『サンドバッグニキ、これ普通にしんどいぞ』
古参はここでようやく、完全に“対ネタ武器”の構えを捨てた。
そして、シらぬイの動きに釣られ、さらにギアを上げていく。
古参としての意地を見せるため。
本気でレーンを取りに行く。
半歩下がる。
シらぬイが詰める。
そこで急に前へ返す。
槍のリズムを崩し、早撃ちの距離へ持ち込むための押し引き。
一度間合いをずらし、半歩だけ前へ返して、至近距離での早撃ちを差し込もうとする。
狙いは悪くない。
むしろ、こういう駆け引きのためにこの男は強い。
その押し引きが、確かに上手い。
また武装もそうだ。
牽制用の補助装備を抜きにすれば、弓と矢しかもっていない状態でありながらも槍の間合いでこんなに立ちまわれるのはそうそういない。
上手い。確かに上手いハズのに、シらぬイはその押し引きごと呑み込むように前へ出る。
『どういう気持ちで見ればいいんだこれ』
『スイカバーなのに強いの腹立つ』
『いやもうスイカバーじゃなくて槍だろこれ』
『でもどう見てもスイカバーなんだよな……』
突き。
受けさせる。
石突。
捌かせる。
もう一歩。
また穂先。
早い。
けれど速さで押しているわけではない。
相手が嫌がる順番で正しい圧を重ねている。
だから詰められる側は、ただの一発一発以上に息苦しい。
コメント欄が、笑いから感嘆へ少しずつ色を変えていく。
『距離くれねぇ』
『サンドバッグニキ頑張れ』
『これ地味に名勝負では?』
『いや、地味じゃないな。見た目は派手におかしいし』
『でも間合い戦がガチすぎる』
『シらぬイってこういう時ほんと……そういうとこだよな』
やがて、少しずつ、少しずつ、相手の立ち位置が削れていく。
右へ逃げる。
左へと逃げる。
撃てる角度を探す。
だがそのたびにスイカバーの矛先が、あるいは石突が、あるいは長柄そのものが、逃げた先へ“もう置いてある”。
詰められている。
それも、派手なコンボや強引なラッシュではなく、ひどく静かに。
背後にはもう、壁になりうる障害物はない。
浮島の縁。
その先は落下死区域。
逃げ場はない。
『あ、これ端まで行く』
『詰め方がいやらしすぎる』
『チュートリアルニキ、最後の見せ場だぞ!』
視聴者の期待通り、古参の弓使いも、ここでただ終わるつもりはなかった。
最後に一矢報いようと、古参の弓使いが射線を作る。
追い詰められた位置だからこそ、逆に読める。
次の突きに合わせて一歩沈む。
そこから繋ぐは至近距離の早撃ち。
槍の軸が通る前に、自分の射線を差し込む。
間合いの取り合いに長けたこの男の、得意中の得意だ。
ここで一発通せば、流れが変わる。
なるほど、その読みも、確かに悪くはない。
ゴクッ。
誰もがつばを飲み込むほどのギリギリのチャンバラ。
そんな中で先に仕掛けてくる相手。
そしてシらぬイもまた当然、それを知っている。
知っていて、その場面まで運んできたのだから。
次の瞬間。
スイカバーの、正確には緑の皮に当たる縁側が、ぱかりと割れた。
中から露出したのは、どう考えても果物には不要な金属ノズル。
左右には小型ブースターが展開する。
「は?」
彩葉の口から、素の一音が漏れる。
コメント欄も一気に荒れた。
『え?』
『は?』
『ちょっと待って』
『出たよ』
『そういうとこだぞ!!!!』
古参の弓使いでさえ、一拍だけ完全に固まった。
ここまでずっと、見た目はバカでも中身は真面目な槍戦だったのだ。
そこへいきなり、スイカバーの皮からブースターが生えてくる。
意味が分からない。
意味が分からないが、シらぬイ相手なら“ありうる”のが最悪だった。
しかもシらぬイは、ここで律儀だった。
右手を上げる。
空中へ、マンガのセリフ風船めいた数字が浮かぶ。
『3』
『やめろ』
『やめろって』
『嫌な予感しかしない』
『空に飛ぶんだろ!?なあ!?』
『2』
古参がようやく引き金へ指をかけ直す。
だがもう遅い。
遅いのに、それでも撃とうとするあたりが、さすがに古参だった。
『1』
そして。
次の瞬間、シらぬイは律儀に、前方の視聴者……ではなく、前方の対戦相手へ向けて、スイカバーを打ち上げた。
――ゴォッ!!
推進音。
噴煙。
圧倒的な直進力。
空ではなく、真正面。
空へ飛ぶのではない。
真っ直ぐ、目の前の相手へ向けて、ロケットスイカバーが発射される。
古参の弓使いは、最後の最後で半歩だけ身体を捻った。
避け切れはしない。
ただ致命角だけでも外そうとした。
その判断は間違っていない。
むしろ上手い。
だが、その半歩の先まで、シらぬイの狙いは届いていた。
スイカバーの先端が、綺麗すぎる軌道でみぞおちへ突き刺さる。
――ずぶり。
嫌な手応えのあと、そのまま推進力で相手ごとフィールドの外へ押し出す。
『うわあああああああ』
『刺さった!!』
『いやだああああああ』
『スイカバーで人を刺すな』
『夏の風物詩をなんだと思ってる』
古参はまだ終わらない。
最後の最後に、と。
執念の一射を返したが、シらぬイの肩を掠めるだけで終わった。
スイカバーの推進が止まらない。
そのまま相手ごとフィールドの外へ飛び出す。
最後に見えたのは、夜空を横切る赤と緑の軌跡と、少し遅れて散った白い噴煙だった。
次の瞬間。
《場外判定》
《最終残機消失》
《対戦終了》
《引き分け》
コメント欄が完全に崩壊する。
『最低だろ!!!!』
『モルモット枠おつかれさまでした』
『チュートリアルニキ、今日も立派な教材だった』
『いやでも最後まで抵抗してたの流石だわ』
『だから古参なんだよな……』
『で、シらぬイはなんて言うんですかねぇ』
『何でだよ!!!!』
『そういうとこだぞ!!!!』
『ロケットスイカバーって何!?!?』
『見た目が爽やかなだけに最悪』
『サンドバッグニキおつかれさまです』
『最後の一文待機』
リスポーン後。
シらぬイはしばらく無言で立っていた。
マスクの下の口元は当然見えない。
だが、目元だけが少しだけ細くなった気がする。
そして右手が静かに上がる。
いつもの、たった一枚だけのプラカード。
最後にシらぬイは、一枚のプラカードを掲げた。
『当たりが出ました』
彩葉も、芦花も、真実も、それぞれ別の場所で同時に吹き出した。
コメント欄はさらに荒れる。
『出てねぇよ!!!!』
『誰がうまいこと言えと』
『最後の一文のために全部やっただろ』
『サンドバッグニキも笑ってるだろこれ』
『だから好きなんだよそういうとこが』
『今日も正常営業。ただし“そういうとこ”を添えて』
彩葉は、配信画面の向こうのシらぬイを見つめたまま、小さく息を吐いた。
見た目は馬鹿みたいだった。
やっていることも、最終的にはやっぱり馬鹿みたいだった。
なのにそこへ至るまでの距離の削り方も、槍の扱いも、相手の得意を知った上で崩していく感じも、どこを切っても真面目すぎる。
そして、最後にだけ全部をひっくり返す。
その在り方が、昼間に見た誰かと、ひどく似ている気がしてしまった。
その在り方が、昼間に見た誰かと、ひどく似ている気がしてしまった。
ちゃんとしている。
でも、最後の一歩だけ誰の予想にも収まらない。
見せるものを整えて、肝心なものは渡さない。
そのくせ、記憶には深く残る。
「……本当に、そういうとこよね」
それは呆れだった。
困惑でもあった。
でも、それだけでは終わらない。
昼の橘君。
夜のシらぬイ。
もちろん、まだ同じ線では結ばれない。
けれど違和感だけは、もう誤魔化せないくらいには育ち始めていた。
何も分からない。
でも、何かがある。
その感覚だけを胸に残したまま、酒寄彩葉は静かな部屋でスマホの画面を見つめ続けた。
さすがに長すぎて読みづらかったかなー
久しぶりに書く投稿系小説文だから下弦がいまいち...
投稿して一日しかたっていないのに多くの方々に見て頂いて感謝です。
仕事やバイトのあいまにある休み時間中にメモしたネタや描写を家でまとめて2,3個ぐらい原稿を書いてからいろいろ見比べて編集してからアップしてるんで誤字や脱字が多いかも知れません。
見つけたら誤字報告や感想で教えてくださればありがたいです。
これからもよろしくオナシャス!
昼パートと夜パートの前後分けにしてほしい?
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雰囲気の違いがあれだ。一度分けるべし。
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シリアスとギャグの部分だけ分けてほしい。
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文字数が多すぎるから何回か分けるべし。
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このまま作者の好きにしてもかまわない