今日も正常営業。ただし“そういうとこ”を添えてー   作:火力万能主義

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お久しぶりです。作者です。
ついに、予言のその日が来たでございます。
今日からさっそく2か月にわたる大仕事で週一連載がとうてい出来なくなるでございやんす。

なんとか帝戦の直前まではこれたもので、9月が始まるまでには子休憩や隙間時間、寝る時間で少しずつ書きだめて集めて生存報告兼ねて分けて上げるか、短めのネタ集や番外編が先にお上がると思います。
もう少し本篇進めるか完結した後に出したかったけど、ここは仕方ない。出した分さらに頭ひねり絞ってまた書かんと。
ってなわけで、みなさんお待ちかねの23話です。今回も3万字超えちゃいました。
思った以上の出来上がりです、どうぞ!



第二十三話 届かない声、動き出す黒鬼。そして、言い忘れていたこと

第二十三話 届かない声、動き出す黒鬼。そして、言い忘れていたこと

 

 

 

 

 

 かぐやには、かぐやの悩みがあった。

 

 ヤチヨカップ。

 

 ツクヨミ全体を巻き込む大型イベント。

 

 歌と踊り。

 配信に企画。

 話題性とファンの熱量。

 そして、どれだけ多くの神々(ユーザー)に見つけてもらえるか。

 

 その全てが積み重なって、順位(ランキング)という形になる。

 

 かぐやいろPチャンネルは、伸びていた。

 

 初配信の頃とは比べものにならない。

 

 フォロワーは増えた。

 コメントも増えた。

 切り抜きも回るようになった。

 配信を始めれば、初見の神々(ユーザー)がちらほらと顔を出してくれるようにもなった。

 

 かぐやの名前を、ツクヨミの中で見かけることも増えた。

 

 期待の新人(スーパールーキー)

 月から来た謎の歌姫。

 かわいい。

 でも、危なっかしい。

 されども目が離せない。

 

 そういう言葉が、少しずつ増えている。

 

 けれど。

 

 足りない。

 

 全然、足りない。

 

「むむむむむ……」

 

 かぐやはクッションを抱えたまま、スマコンの画面を睨んでいた。

 

 画面に映っているのは、ヤチヨカップの暫定ランキング。

 

 一位(トップ)ではない。

 

 それどころか、上位十位にも入れていない。

 

 

 注目度は上がっている。

 成長速度も速い。

 最近の伸び率だけなら、かなり目立つ。

 

 けれど、上には上がいる。

 

 ずっと前から走り続けてきたライバーたちがいる。

 

 何年も配信を続けてきた人。

 固定ファンを持っている人。

 歌で勝負してきた人。

 ゲームで勝ち続けてきた人。

 企画力で場を作ってきた人。

 

 その積み重ねは、一度や二度のバズで届けるほどに薄くはない。

 

 新人(ルーキー)という現実の壁は、思っていたよりも硬く、高いままであった。

 

「優勝...したいなぁ」

 

 小さく呟く。

 

「ヤチヨと、彩葉と、かぐやでコラボライブしたい」

 

 ただの順位ではない。

 ただ一番になりたいだけでもない。

 

 ヤチヨに届きたい。

 ヤチヨと同じ場所に立ちたい。

 彩葉をそこへ連れていきたい。

 

 そして、三人で歌いたい。

 

 その願いだけは、かぐやの中では妙にはっきりしていた。

 

 どうしてそこまで強く思うのか。

 なぜ、今でなければいけない気がするのか。

 その理由を、かぐや自身はまだうまく言葉にできない。

 

 ただ、胸の奥がぎゅっとなる。

 

 ヤチヨの歌を聞いた時。

 彩葉の声を聞いた時。

 

 楽しいのに、嬉しいのに、少しだけ泣きそうになる。

 

 だから。

 そこに、自分の声も重ねたい。

 

 どうしても。

 

 今、重ねたい。

 

 

 

 その夜。

 

 四人はツクヨミで集まっていた。

 場所は、真実が所有しているマイホーム。

 

 マイホーム、という言葉だけを聞けば、落ち着いた室内を想像するかもしれない。

 

 だが、そこは真実の家である。

 

 リビングには大きめのソファー。

 床にはクッション。

 テーブルの上には、山盛りのお菓子。

 冷えた飲み物。

 なぜか中央に置かれたたこ焼き器。

 そして壁一面には、ツクヨミの公式ニュースを映すための巨大モニター。

 しまいには大きなプールで釣りもできる仕様である。

 

 

 

 女子会。

 作戦会議。

 情報共有。

 名目だけなら、どれもそれらしい。

 

 実態は、ほぼだらけるための空間だった。

 

「いやー、やっぱ自分の家が一番落ち着くねぇ」

 

 真実がソファーの上でだらりと伸びながら言った。

 

「ここ、現実の家じゃないけどね」

 

 彩葉が冷静に突っ込む。

 

「気持ちの問題だよ、彩葉。ツクヨミでも我が家は我が家。お菓子があれば、そこはもう実家なのだよ」

 

「実家の定義が軽すぎる」

 

 芦花は床のクッションに腰を下ろし、ストロー付きのドリンクを片手にゆるく笑っていた。

 

「でも、こういうの久しぶりじゃない? 四人で集まるの」

 

「そうね」

 

 彩葉は頷く。

 

 最近は、色々ありすぎた。

 

 ヤチヨカップの開催と共に唐突に始まったかぐやとのライバー生活。

 雅治との共同戦線、からの無理無茶をしすぎてお互いに心身共々ヘロヘロ。

 そしたら雅治が知らないうちに抱えていたもので壊れかけていたのをかぐやと共に助けることができた。

 一難去ったと思いきや今度はコメント欄が暴走した結果、起きたのが昨日のかぐや争奪戦。

 そして、明日には雅治の京都行き。

 

 まぁ毎日何かしらかぐやか雅治がトラブルを引き寄せてくるのが日常だったのだ。

 

 日常が戻ってきた、とは言える。

 けれど、その日常は以前と同じではなかった。

 

 少しずつ形を変えている。

 

 だからこそ、こうして四人で集まる時間が、妙に懐かしく感じられた。

 

 その中で、かぐやだけが不満そうにクッションを抱えていたけども。

 

「まさはるも来ればいいのにー」

 

 かぐやは、足をばたばたさせる。

 

「今日は無理だって言ってたでしょ」

 

 彩葉が答える。

 

「むー」

 

「明日には京都へ行くんだから、準備もあるの」

 

「準備なら、かぐやも手伝えるのに」

 

「絶対に荷物増えるから駄目」

 

「なんで!?」

 

「かぐやなら『これも必要!』って変な小物とか大量に入れそうだから」

 

「えー受け皿グラサンとか旅行に必要じゃねーの?」

 

「必要じゃない」

 

「旅先で寿司食べたくなったらどうするの?」

 

「店で食べなさい」

 

 納得いかない顔のかぐや。

 そのまま、クッションに顔を埋める。

 

「さっさとやることやって、また一緒に遊べばいいのにぃ」

 

「かぐや」

 

「なーに?」

 

「それ、本人の前で言わないでね」

 

「言っちゃだめ?」

 

「言わないで」

 

 彩葉は即座に止めた。

 

 今度は頬を膨らませるかぐや。

 けれど、本気で駄々をこねているわけではない。

 

 雅治にも、雅治の理由がある。

 

 母の墓参り。

 父に会うこと。

 怖いけれど、それでも行くと決めたこと。

 

 そこまでは、かぐやにも分かっている。

 

 だからこそ、引き止めない。

 

 ただ、寂しいものは寂しい。

 忙しくてなかなか構ってもらえない娘が、父親の帰りを待っているような顔をしている。

 

 彩葉はそれを見て、少しだけ困ったように眉を下げた。

 

「帰ってきたら、ちゃんと遊んでくれるって言ってたでしょ」

 

「うん」

 

「ツクヨミでも遊ぶって」

 

「うん」

 

「なら、それまで待つ。分かった?」

 

「……わかった」

 

 かぐやは小さく頷いた。

 

 その返事が少しだけ健気で、真実が口元を押さえる。

 

「かぐやちゃん、かわい……」

 

「言うと調子に乗るからやめて」

 

「もう乗ってるよ?」

 

 芦花が笑う。

 

 かぐやはクッションを抱えたまま、ふんすと胸を張った。

 

「かぐや、待つこともできるイイ女!」

 

「その言い方はどこで覚えたの」

 

「コメント!」

 

「忘れなさい」

 

 彩葉は即答した。

 

 そんなやり取りをしている間にも、壁の巨大モニターではツクヨミの公式ニュースが流れていた。

 

 最初は誰も真面目に見ていなかった。

 

 真実は釣り餌の袋を開けている。

 芦花はネイルの色を確認している。

 彩葉はソファーで寝相を整えている。

 かぐやはクッションに顔を押し付けて、まだ少し拗ねている。

 

 だが、次の瞬間。

 

『みんなのために、わんわんお!』

 

 やけに元気な声が、リビングいっぱいに響いた。

 

 かぐやがびくっと顔を上げる。

 

 彩葉が眉間を押さえる。

 

 真実が「あ、始まった」と言う。

 

『ヤチヨカップ公式実況担当、忠犬オタ公です! 今日も元気に、職務果たしちゃいまーす!』

 

 テンションが高い。

 

 夜に聞くには、少しだけ高すぎる。

 

 しかし、ツクヨミ公式ニュースではおなじみの声だった。

 

『今週もヤチヨカップ特集! 暫定四位までは公式を要チェック! 君の推しはいるか? いないなら推せ! 推せばいる!』

 

「相変わらず勢いだけで押し切るなぁ」

 

 真実が笑う。

 

「推せばいる、って何」

 

 彩葉が呆れる。

 

 けれど、かぐやはもうモニターを見ていた。

 

 ヤチヨカップ。

 

 その単語が出た瞬間、拗ねていた顔が真剣なものへ変わる。

 

『ではでは、トップスリーの発表だ! 三位、癒し系アイドル、湯雲ぬくみ!』

 

 画面に、柔らかな湯気をまとったアイドルアバターが映る。

 

『二位、ハイスペエルフ、照れリリ・ティートテート!』

 

 続いて、着物姿のエルフアバターが、快活な笑顔と共に片手を振る映像。

 

『そして、下馬評通り独走状態だ! 堂々第一位は   ブラックオニキス!

 

 画面が切り替わる。

 

 黒を基調にした鋭いデザインのアバター姿が三人。

 

 無駄のない立ち姿。

 圧のある目線。

 ゲーム画面の切り抜き。

 ライブ映像。

 コメント欄を一瞬で沸かせる勝利演出。

 

『もはや、この三人で決定か!? いやいや、まだまだ分からないのがヤチヨカップ! ちな圏外だけどランキング爆上げ中のチームがいるんだよね。みんな知って  

 

 そこまで言ったところで、彩葉がリモコンを操作した。

 

 音が消える。

 忠犬オタ公の口だけが、画面の中で元気に動いている。

 

「消した」

 

 真実が言った。

 

「音だけね」

 

 彩葉はリモコンをテーブルへ放った。

 

「これ以上は聞いても大した内容はないから」

 

「そうだねぇ」

 

 芦花がゆるく笑う。

 

 かぐやは、画面を見たまま眉を寄せていた。

 

「黒鬼、また一位……」

 

「いやー、黒鬼圧倒的だねぇ」

 

 真実が釣り竿をプールに垂らしながら言った。

 

「やっぱ終盤でこの差は、駆け出しのかぐやちゃんたちには厳しいのかもね」

 

 芦花もソファーの背にもたれながら、天井を仰ぐ。

 

「成長速度はすごいんだけど、上位勢は積み上げが違うからねぇ」

 

「ムムーッ!」

 

 かぐやがクッションを抱えたまま唸る。

 

「一体どうしたらいいのだー!」

 

 声が大きい。

 

「優勝したいー! ゆ”う”し”ょ”う”ー! ヤチヨとごらぼじだいー!」

 

「あまり大声出さないでようちのマンション部屋薄いんだから」

 

 彩葉が突っ込む。

 

「しょうがないなーだって黒鬼は強いんだもん~。帝様だしね」

 

 真実が悪びれずに言った。

 

 その瞬間、かぐやが真実を見る。

 

「むぅ、真実ちゃんの裏切りものー」

 

「いやいや、私は昔から帝様のファンだからね。そこは揺らがないよ」

 

「かぐやは?」

 

「もちろん二推しで推してマース」

 

「やだー! かぐやだけにして!」

 

「それは無茶だよ、かぐやちゃん。推しは増えるものだから」

 

「増やさないで~!」

 

 じたばたジタバタ。

 

 真実は笑いながら、リールを軽く巻いた。

 

「だって帝様は本命推しだもん。かぐやちゃんは今いちばん熱い二推し」

 

「二推しやだー! 一推しがいいー!」

 

「推しには歴史があるんだよ、かぐやちゃん」

 

「かぐやにも歴史あるよ!」

 

「生後からの?」

 

「ある!」

 

「かわいい歴史だねぇ」

 

「真実ちゃんのばかー!」

 

 かぐやがクッションを抱えたまま、床の上をばたばた転がる。

 

 彩葉はそれを横目で見ながら、音の消えた公式ニュースへ視線を戻した。

 

 画面にはまだ、ブラックオニキスの紹介映像が流れている。

 

 帝アキラ。

 ツクヨミでは知らない者の方が少ない、プロゲーマーにしてトップライバー。

 

 ブラックオニキス。通称、黒鬼。

 個人としての実力も、配信者としての知名度も、企画を成立させる力も、すべてが高い。

 

 かぐやいろPチャンネルから見れば、あまりにも遠い存在だった。

 

 その時だった。

 

 消音にしたはずの公式ニュースの画面が、ぱっと切り替わったのは。

 

 自動で音量が戻る。

 

『そして今日は、月見(ルナミ)ヤチヨさんから、ヤチヨカップ参加者と、ツクヨミを楽しむ神々のみんなへメッセージが届いています!』

 

 空気が変わった。

 

 最初に反応したのは、かぐや。

 

 クッションを抱えたまま、勢いよく体を起こす。

 

 真実も釣り竿を持つ手を止めた。

 芦花がストローから口を離す。

 彩葉は、反射的に起き上がっては背筋を伸ばしていた。

 

 暗転する画面。

 

 次に映るは、月明かりのような淡い光。

 

 夜の水面。

 白く揺れる花。

 開かれた和傘。

 ゆっくりと動く扇子。

 

 そして、その中央に。

 

 月見(ルナミ)ヤチヨがいた。

 

 ツクヨミの管理人。

 

 最強無敵のAIライバー。

 

 ヤチヨカップの名を冠する、その本人。

 

 画面越しだというのに、そこに現れた瞬間、リビング  、いや全ツクヨミの空気が静かになった。

 

『ヤオヨロー! 神々のみんな、頑張ってるね~』

 

 たった一言。

 

 それだけで、かぐやの目が大きく開いた。

 

 ヤチヨは、いつものように微笑んでいた。

 

 明るい。

 優しい。

 けれど、どこか手の届かない月のような笑み。

 

『順位だけがすべてじゃないよ』

 

 その声は穏やかだった。

 

『たくさん見てもらうことも、応援してもらうことも、もちろん大事。だけど、それだけで終わらないものが、きっとある』

 

 かぐやは黙って聞いている。

 

 彩葉も何も言わない。

 

『本気で届きたいと思っている人の声は、ちゃんと遠くまで響くの』

 

 ヤチヨは、扇子を少しだけ下ろした。

 

『だから最後まで、私にも聞かせてね』

 

 優しい言葉だった。

 

 励ますための言葉だった。

 

 きっと、参加者全員へ向けたものだ。

 

 そして同時に、ツクヨミを楽しむ全ての神々(ユーザー)へ向けたものでもあるのだろう。

 

 それなのに。

 

 かぐやには、その言葉が少しだけ苦しくもどかしくも感じる。

 

 まだ届いていない。

 

 そう言われた気がしたから。

 

『ヤチヨカップ、最後まで楽しみにしていまーす』

 

 ヤチヨが小さく手を振る。

 

 画面がゆっくりと切り替わり、再び忠犬オタ公の元気すぎる顔が映る。

 

『というわけで! ヤチヨさんからのありがたいお言葉でした! うおおお、燃えてきたぁ! 今からでも推しを推せ! 推しは推せる時に推せ!』

 

 真実が無言でリモコンを取った。

 

 音量を下げた。

 

「余韻を返してほしいね」

 

「ほんとにね」

 

 芦花が苦笑する。

 

 だが、かぐやは笑わなかった。

 

 じっと画面を見ていた。

 

 もうヤチヨは映っていない。

 

 それでも、そこにまだヤチヨがいるみたいに。

 

「……ヤチヨ」

 

 小さな声だった。

 

 彩葉は、その声を聞き逃さなかった。

 

 真実も、釣り竿とリールへ運ぶ手を止める。

 芦花も、コンソルを開きかけたまま、少しだけ視線を上げた。

 

「かぐや?」

 

 彩葉が声をかける。

 

 かぐやは、すぐには返事をしなかった。

 

 画面を見つめたまま、胸の前でクッションをぎゅっと抱きしめる。

 

「ヤチヨ、見てるかな」

 

「え?」

 

「かぐやのこと」

 

 その問いに、彩葉は言葉を詰まらせた。

 

 見ている。

 

 そう簡単に言ってあげたい。

 

 大丈夫だよ、と。

 

 きっと届いているよ、と。

 

 でも、今のかぐやが欲しいのは、ただの慰めではない気がした。

 

 ヤチヨは言った。

 

 本気で届きたいと思っている人の声は、ちゃんと遠くまで響く。

 

 優しい言葉だった。

 

 順位だけではない。

 数字だけではない。

 最後まで、自分の声を聞かせてほしい。

 

 そう言ってくれた。

 

 けれど、かぐやには違う意味で届いていた。

 

 まだ遠い。

 まだ届いていない。

 だから、もっと聞かせてほしい。

 

 そう言われたように感じてしまったのだろう。

 

 彩葉は、かぐやの横顔を見た。

 

 いつものかぐやなら、分からないことがあればすぐに聞く。

 

 やりたいことがあれば、真っ直ぐ手を伸ばす。

 欲しいものがあれば、欲しいと言う。

 楽しいものを見つければ、全身で笑う。

 その無邪気さに、彩葉は何度も救われてきた。

 

 かぐやと出会わなければ、自分はまだ母の言葉の中で、母に認められるための正しさに縛られていたかもしれない。

 

 雅治だって、そうだ。

 

 正しさ(ぼく)と、自由(おれ)

 

 そのどちらにも縛られて、縛られていることにすら気づかないまま、一人で壊れそうになっていた。

 

 それを見てきた。

 かぐやも、見てきた。

 雅治()の悩みを聞いた。

 彩葉(彼女)の悩みも聞いた。

 

 分からないなりに、隣にいてくれた。

 

 なのに今度は、かぐやの番だった。

 

 未来が怖い。

 夢が叶わないかもしれない。

 ハッピーエンドにたどり着けないまま、どこかで終わってしまうかもしれない。

 

 かぐやが嫌いな、バッドエンドみたいに。

 

 まだ知らないもの。

 まだ届かない場所。

 

 そこへ手を伸ばすことの怖さが、初めてかぐやの中に生まれている。

 

 それは、きっと悪いことではない。

 

 怖いと思うほど、本気なのだ。

 届かないかもしれないと思うほど、届きたいのだ。

 

 それでも彩葉は、軽々しく大丈夫だとは言いたくなかった。

 

 なんとかなるよ、なんて言いたくなかった。

 

 かぐやに救われた自分が。

 かぐやに背中を押された自分が。

 かぐやに何もかも変えられた自分が。

 

 ここで、気休めだけを渡すのは違うと思った。

 

 それは、たぶん。

 今ここにいない雅治も、同じことを考える。

 

 火力だの検証だの、変な言葉を混ぜながら。

 

 それでもきっと、最後には同じ場所へ立つ。

 

 届かないなら、届く方法を考える。

 

 届くまで、諦めない。

 

 無茶をするのではなく。

 

 一人で抱えるのでもなく。

 

 ()()()()()()()

 

「かぐやちゃんは、頑張ってるよ」

 

 真実が、いつもより少し柔らかい声で言った。

 

「すごい勢いで伸びてるし、最近なんてうちのコメント欄でもかぐやちゃんの名前いっぱい見るし」

 

「うん」

 

「新人でここまで来てるの、普通にすごいよ!」

 

「うん」

 

 かぐやは頷く。

 

 けれど、顔は晴れない。

 

「でも、まだまだ一番になれていない」

 

 静かな一言、ただしそれに込められた想いは決して軽くはない。

 

 真実が口を閉じる。

 

 芦花が、少しだけ眉を下げた。

 

 かぐやは、膝の上で指を握る。

 

 かぐやいろPチャンネルのファン数は、すでに百万を超えている。

 

 現実に考えれば、それは途方もない数字だ。

 

 百万人。

 その一人ひとりが、かぐやを見つけてくれたのだ。

 

 歌を聞いてくれた。

 笑ってくれた。

 コメントを残してくれた。

 また見に来てくれた。

 

 その事実は、決して小さくない。

 

 小さいはずがない。

 

 けれど。

 

 ツクヨミには、世界中から一億を超える神々(ユーザー)が集まっている。

 

 その中での百万は、あまりにも広い海に浮かぶ、小さな光のようにも見えてしまう。

 

 走れば走るほど、分かってしまったのだ。

 

 夢に近づいているはずなのに。

 目標へ向かって手を伸ばしているはずなのに。

 その輪郭がはっきり見えるようになればなるほど、そこがどれほど遠い場所なのかも、同じだけ分かってしまうことをも。

 

 ヤチヨは、遠い。

 ヤチヨカップの頂点は、高い。

 

 ハッピーエンドへ続くと思っていた道は、思っていたよりもずっと長くて、ずっと険しい。

 

「かぐや、ヤチヨと歌いたい」

 

「うん」

 

 彩葉は頷いた。

 

「彩葉とも歌いたい」

 

「うん」

 

「三人で歌いたい」

 

「……うん」

 

「でも、今のままだと、できないの?」

 

 それは、子どもの確認のようでもあった。

 けれど、そこにある不安は本物。

 

 ヤチヨカップで優勝する。

 

 その先にあるコラボライブ。

 

 かぐやはそれを、ただのご褒美だとは思っていない。

 

 ヤチヨと同じ場所に立つこと。

 彩葉をその場所へ連れていくこと。

 自分の歌を、そこへ届かせること。

 

 その全部が、かぐやの中ではひとつに繋がっている。

 

 だから、届かないことが怖い。

 伸びているのに足りないことが、苦しい。

 頑張っているのに届かない現実が、悔しい。

 

 彩葉は、ゆっくりと息を吐いた。

 

「今のままだと、難しいかもしれない」

 

 誤魔化さなかった。

 

 かぐやの肩が、ほんの少しだけ揺れる。

 

 それでも彩葉は続けた。

 

「でも、できないって決まったわけでもない」

 

「ほんと?」

 

「うん。ほんとほんと」

 

 彩葉は、かぐやの隣へ座った。

 

 クッションの横に手を置く。

 

「かぐやはよくやっているよ。ちゃんと見てもらえてる。けど、上にいる人たちは、それ以上に長く積み上げてきた人たちなの」

 

「長く」

 

「うん。歌も、企画も、ファンとの関係も、全部。急に追いつけるほど簡単じゃない」

 

「……むぅ」

 

「でも、まったく追いつけないって意味じゃない」

 

 かぐやが顔を上げる。

 

 現実的に見れば、壁は高い。

 

 新人が簡単に越えられる高さではない。

 

 それでも。

 

 諦めろとは言いたくなかった。

 諦めなければ大丈夫だ、なんて言うつもりもない。

 頑張れば必ず叶う、なんて無責任なことも言いたくない。

 

 夢は叶わないことがある。

 届かない声もある。

 どれだけ本気で手を伸ばしても、間に合わないことだってある。

 

 彩葉は、それを少しだけ知っている。

 

 母に認めてほしかったこと。

 父にもっと聞いてほしかったこと。

 兄に置いていかないでと言えなかったこと。

 

 そして、雅治が壊れかけるまで、自分たちがその痛みに気づけなかったこと。

 

 全部、後からどうにかなるものばかりではなかった。

 

 だからこそ。

 

 今、届かせたいと思っているかぐやに、簡単な慰めだけは渡したくなかった。

 

 彩葉は、かぐやの目を見た。

 

「届かせる方法を考えよう」

 

「方法?」

 

「うん」

 

 彩葉は頷く。

 

「もっと遠くまで届く方法。今のかぐやを、今まで見てなかった人にも見てもらう方法を」

 

「そんなのある?」

 

「分からない」

 

「分からないの!?」

 

「まだね」

 

 彩葉は苦笑した。

 

「だから、考えるの」

 

 かぐやが、クッションを抱えたまま瞬きをする。

 

「彩葉が?」

 

「私だけじゃない」

 

 彩葉は、真実を見る。

 

 真実は釣り竿を持ったまま、にっと笑った。

 

 芦花を見る。

 

 芦花はコンソルを開き直しながら、静かに頷いた。

 

 そして、今ここにはいない誰かのことを、ほんの少しだけ思い浮かべる。

 

 きっと、帰ってきたら。

 

 あの真面目な顔で、妙な結論でも出すのだろう。

 

「一緒に、みんなで考える」

 

「みんなで」

 

「うん」

 

「雅治も?」

 

「帰ってきたらね。たぶん、奇抜で破天荒な何かを言う」

 

「火力?」

 

「たぶん火力。さらなる火力で視聴者でもくべよう、とでも言うかな。「火力でどうにかできないんなら火力が足りないだけだ」とか言ってさ」

 

「やっぱり!」

 

 かぐやが少し笑った。

 

 それだけで、部屋の空気が少しだけ緩む。

 

 真実がほっとしたように息を吐いた。

 芦花も、コンソルのチャットを開き直す。

 

 怖さは消えない。

 届かないかもしれないという不安も、なくならない。

 

 けれど。

 

 一人で怖がる必要はない。

 

 それだけは、今のかぐやにも伝わった気がした。

 

「じゃあ、まずは現状分析かな」

 

「現状分析?」

 

 かぐやが首を傾げる。

 

「今どこで伸びてて、どこで止まってるのか。どんな動画が見られてるのか。誰が見に来てくれて、どこで離れてるのか」

 

「えーめんどいしややこくむずかしいぃ」

 

「むずかしいねぇ。でも、そういうの見ないと作戦立てられないから」

 

 芦花はさらっと言った。

 

 真実がポテトチップスを一枚掲げる。

 

「あと、強い人と絡む」

 

「絡む?」

 

「コラボだよ、コラボ。知名度ある人と組めたら、一気に見つかる可能性あるし」

 

 その言葉に、かぐやの表情がぱっと変わった。

 

「ごらぼ!」

 

「発音かわいいねぇ」

 

「誰と!?」

 

「だから、そこを考えるんだけど」

 

 真実はモニターを指差す。

 

 ちょうどそこには、ブラックオニキスの切り抜き映像が流れていた。

 

 黒をまとったトップライバー。

 

 圧倒的な実力。

 ヤチヨカップ暫定一位。

 

 (みかど)アキラ

 

「例えば、帝とか」

 

 一瞬、部屋の空気が止まった。

 

 かぐやだけが、目を輝かせる。

 

「帝かぁ!」

 

「いや、待って」

 

 彩葉が即座に止めた。

 

 けれど、その声は驚きではなく、ほとんど条件反射に近いものだった。

 

 企画者として。

 

 現実を見ている側として。

 

 あまりにも遠い名前が出たから、反射的にブレーキを踏んだ。

 

「待つ! じゃあさ、じゃあさいつするぅ?! かぐや今すぐでもいいよ!」

 

「だから待ててない。お座り」

 

「帝とごらぼしたら、きっとヤチヨにも届くよね?」

 

「可能性の話としては、そりゃ届きやすくはなるけど」

 

「じゃあ帝出てこい! 勝負しろ!」

 

「勝負じゃなくてコラボ!」

 

 芦花が訂正する。

 

 真実は楽しそうに笑っていた。

 

「でも、真面目にアリじゃない? 帝様って新人拾う企画もたまにやるし。かぐやちゃん、話題性だけなら普通に引っかかりそう」

 

「相手はトップライバーだよ」

 

 彩葉は冷静に言う。

 

「しかもプロゲーマーとしても有名。こっちはまだ新人。向こうから見たら、コラボする理由がない」

 

「でも、かぐやはかぐやだよ?」

 

「その理屈で通るなら苦労しないの」

 

 彩葉は額に手を当てた。

 

 けれど。

 

 否定もしきれなかった。

 

 ヤチヨの言葉が、まだ耳に残っている。

 

 本気で届きたいと思っている人の声は、ちゃんと遠くまで響く。

 

 響かせるためには、ただ大声を出すだけでは駄目だ。

 

 どこへ向けるのか。

 どう届かせるのか。

 誰に橋をかけてもらうのか。

 

 それを考える必要がある。

 

 帝アキラ。

 ブラックオニキス。

 

 遠すぎる相手。

 

 けれど、遠いからこそ、繋がれば一気に景色が変わる。

 

「……まぁ考えるだけなら」

 

 彩葉が小さく言った。

 

 かぐやが飛び上がる。

 

「やったー!」

 

「まだ決定じゃないし」

 

「まだ、でしょ~」

 

「考えるだけ!」

 

「でももしかしたらOKもらえるかも知れないじゃん!」

 

 かぐやはそれだけで嬉しそうだった。

 

 彩葉はため息をつく。

 

 真実はポテトチップスの袋を掲げる。

 

「じゃ、ヤチヨカップ逆転作戦会議、開幕ってことで」

 

「女子会じゃなくて?」

 

 芦花が笑う。

 

「お菓子を食べながら会議するから、実質会議」

 

「都合いいねぇ」

 

 しばらくして、作戦会議は少しだけ真面目な方向へ傾き始めた。

 

「で、帝様とコラボって言ってもさ」

 

 真実はポテトチップスの袋を抱えたまま、妙に真面目な顔をした。

 

「ただお願いすれば通るって話じゃないんだよね」

 

「たしかにねぇ」

 

 芦花がスマホのメモ画面を開きながら頷く。

 

「向こうが乗る理由が必要。帝側の視聴者が見たいと思う理由もいるし、こっちの魅力が一発で伝わる企画じゃないと弱い」

 

「むずかしい」

 

 かぐやが眉を寄せる。

 

「難しいよ。だから作戦会議」

 

 彩葉は、テーブルの上に置かれたお菓子を一つ横へ避け、空いたスペースにメモ画面を表示した。

 

「じゃあ、一度整理するよ」

 

 声が、少しだけいろPのものになる。

 

 かぐやがぱっと表情を明るくした。

 

 真実が「お」と言う。

 

 芦花も姿勢を正す。

 

「まず、帝アキラとコラボするには、向こうが乗る理由が必要」

 

 彩葉は指を一本立てた。

 

「次に、こっちの魅力が一発で伝わる企画であること」

 

 二本目。

 

「そして、ヤチヨカップの流れに乗っていて、視聴者が見たいと思うこと」

 

 三本目。

 

「最後に、かぐやが暴走しないこと」

 

「最後かぐやだけ!?」

 

「一番大事」

 

「かぐや、暴走しないよ?」

 

 彩葉、真実、芦花の三人が同時に黙った。

 

 かぐやが目を泳がせる。

 

「……たぶん」

 

「ほら」

 

「たぶんしない!」

 

「そこは断言して」

 

 彩葉は頭を抱えた。

 

 けれど、その表情はさっきより少しだけ柔らかい。

 

 無理だと切り捨てるのは簡単だった。

 

 でも、かぐやの目はまだ諦めていない。

 

 ヤチヨに届きたい。

 

 その願いは、今も変わらずそこにある。

 

 ならば、彩葉がするべきことは一つだ。

 

 無謀を、企画に変える。

 

 勢いを、届く形へ整える。

 

 それが、いろPの仕事だった。

 

「帝とコラボする方法を、考えるだけ考える」

 

 彩葉はそう言った。

 

「本当に?」

 

 かぐやが身を乗り出す。

 

「本当に。ただし、今すぐ突撃はしない。コメント欄で叫ばない。公式タグで暴れない。帝本人に勝負を申し込まない」

 

「ぜんぶ駄目?」

 

「全部駄目」

 

「むぅ」

 

「その代わり、ちゃんと届くやり方を考える」

 

 かぐやは、しばらく彩葉を見ていた。

 

 それから、ぱっと笑った。

 

「彩葉、かっこいい!」

 

「はいはい」

 

「いろP最高!」

 

「ほら、そういう時だけ持ち上げても何も出ないよ」

 

「かぐや、信じてるから!」

 

 その言葉に、彩葉は少しだけ喉を詰まらせた。

 

 信じてる。

 

 軽く言われたはずなのに、胸の奥に残る。

 

「……分かったよ」

 

 彩葉は小さく頷いた。

 

「やるだけやってみるから」

 

「やったー!」

 

 かぐやが両手を上げる。

 

 真実はにやにやしていた。

 

「いやー、面白くなってきたねぇ」

 

「真実」

 

「なに?」

 

「帝ファンとして、情報出して。できるでしょ?一番の推しなんだから」

 

「任せて。布教なら得意」

 

「布教じゃなくて分析」

 

「だいたい同じ~」

 

「違う」

 

 芦花が笑いながら、メモに項目を書き足していく。

 

 帝アキラ。

 ブラックオニキス。

 トップライバー。

 プロゲーマー。

 ヤチヨカップ暫定一位。

 

 その名前だけで、ツクヨミをある程度知っている者ならすぐに分かる。

 

 強い。

 とにかく強い。

 

 今の自分たちからすれば、無理と言っていい相手だ。

 

 そして、彩葉にとっては。

 

 知らない相手ではなかった。

 

 帝アキラ。

 

 黒鬼。

 

 ブラックオニキス。

 

 そう呼ばれているその人が、誰なのか。

 

 彩葉は知っている。

 

 酒寄朝日。

 

 自分の兄。

 

 父がいなくなった後、同じ家にいて、同じ空気を吸って、同じ言葉を聞いていた人。

 

 そして、ある日、自分よりも先に東京へ行った人。

 

 その名前を聞いた時。

 

 彩葉の胸の奥で、黒いアバターではない、別の背中がよぎった。

 

 ツクヨミのトップライバーでもない。

 

 プロゲーマーでもない。

 

 もっと昔の。

 

 もっと近くにいたはずの。

 

 けれど、ある日、彩葉よりも先に遠くへ行ってしまった背中。

 

 兄の背中だった。

 

 父がいなくなった後。

 母は厳しくなった。

 

 彩葉は、強くならなければいけなかった。

 

 失敗しないように。

 迷惑をかけないように。

 一人でも生きていけるように。

 

 母はきっと、彩葉を弱くしたくなかったのだと思う。

 

 でも、子どもの彩葉には、それがただ怖かった。

 

 息の仕方を忘れるくらいに。

 

 その中で、兄の背中だけは少しだけ頼れた。

 

 母と同じ家にいて。

 同じ空気を吸って。

 同じ言葉を聞いて。

 

 それでも、兄はいつも少しだけ先に立っていた。

 

 すべて何もかもを庇ってくれたわけではない。

 母に反抗して、彩葉の味方をしてくれた時はあった。

 

 ただ、守ってくれるだけの兄ではなかった。

 

 彩葉より先に母の言葉を受け止めていた。

 彩葉より先に、家の中で起きることの意味を理解しているように見えた。

 

 だから彩葉は、勝手に思っていた。

 

 兄がいる。

 少なくとも、自分だけではない。

 

 そう思っていた。

 

 けれど、その兄もある日、東京へ行った。

 

 進学だったのか。

 仕事だったのか。

 夢だったのか。

 今思えば、理由はいくつもあったのだろう。

 

 兄には兄の事情があったはずだ。

 

 母と兄の間にも、彩葉の知らない話があったのかもしれない。

 

 けれど、その時の彩葉には分からなかった。

 

 ただ、突然だった。

 何も言わずに、というわけではなかったのだと思う。

 

 たぶん、何かは言われた。

 母も、兄も、必要なことは説明したのだろう。

 

 それでも彩葉には、肝心な部分だけが何も届かなかった。

 

 どうして行くのか。

 どうして自分を置いていくのか。

 どうして、あの家に一人で残されなければならないのか。

 

 その答えだけが、どこにもなかった。

 

 玄関。

 

 荷物。

 

 少し大きな鞄。

 

 兄の背中。

 

 母の固い顔。

 

 そして、自分の喉の奥で潰れた言葉。

 

   これじゃ、私一人やん。

 

 声には出さなかった。

 出せなかった。

 言ったところで、何になるのか分からなかった。

 

 兄は振り返った。

 

 たぶん、何か言いたかったのかも。

 

 覚えていない。

 いや、覚えているのかもしれない。

 

 でも、その時の彩葉が聞きたかった言葉ではなかった。

 

 大丈夫。

 頑張れ。

 すぐ慣れる。

 母さんを頼む。

 

 もしかしたら、そんな言葉だったのかもしれない。

 

 どれも正しかった。

 きっと、間違ってはいなかった。

 

 でも、彩葉が欲しかったのは、正しい言葉ではなかった。

 

 置いていかないで。

 

 そう言えたらよかったのに。

 

 でも言えなかった。

 

 兄に行くなと言えるほど、彩葉は強くなかった。

 兄の事情を無視して縋れるほど、子どもにもなりきれなかった。

 

 だから笑った。

 

 大丈夫な顔をした。

 

 分かったふりをした。

 

 そうやって、自分で自分を置き去りにした。

 

「彩葉?」

 

 かぐやの声で、彩葉は我に返った。

 

 いつの間にか、モニターを見たまま黙り込んでいたらしい。

 

 かぐやが不思議そうに首を傾げている。

 

「考えごと?」

 

「……ちょっとね」

 

「帝のこと?」

 

 その名前に、彩葉は少しだけ息を止めた。

 

 けれど、すぐに首を横に振る。

 

「ううん」

 

 嘘ではなかった。

 

 今、考えていたのは帝アキラというライバーのことではない。

 

「別のこと」

 

「別?」

 

「うん。昔のことを少しね」

 

 かぐやは、よく分からないという顔をした。

 

 けれど、それ以上は聞かなかった。

 

 彩葉はもう一度、目前のデータへ視線を戻す。

 

 黒いアバター。

 遠すぎる相手。

 けれど、知らない相手ではない。

 

 知っている。

 知っているからこそ、胸の奥がざわついた。

 

 兄が今、どんな顔でこの場所に立っているのか。

 

 何を考えて、何を見て、何を選ぼうとしているのか。

 

 彩葉は知らない。

 

 自分たちが今、その兄の視界の中にいることも。

 

 そして、画面の向こう側から、すでに手を伸ばされようとしていることも。

 

 その頃。

 

 ツクヨミの別の場所で、一人の男がモニターを見ていた。

 

 部屋は暗い。

 

 壁一面に浮かぶ複数のウィンドウ。

 

 配信管理画面。

 次回企画の構成案。

 ヤチヨカップの順位推移。

 コメント分析。

 切り抜き動画の再生数。

 

 そして、その中心に大きく表示されているのは、かぐやいろPチャンネルのアーカイブだった。

 

 その中でも、中央の大きな画面にはこう表示されている。

 

 かぐや争奪戦。

 

 狐の着ぐるみが、竹林フィールドで挑戦者たちを次々に沈めていく映像だった。

 

 コメント欄は大騒ぎだった。

 

『いろP強すぎ』

『キツネ着ぐるみの悪魔』

『かぐやは賞品じゃない』

『求婚勢全滅』

『PerfectKO』

 

 その中で、いろPは言った。

 

『かぐやは、賞品じゃない』

 

 帝アキラは、その場面で動画を止める。

 

 画面の中の狐は、立っている。

 

 丸っこい着ぐるみ。

 冗談みたいな見た目。

 けれど、そこにいるのは間違いなく、誰かを守るために前へ出た人間だった。

 

 前の配信で起きた結婚騒ぎは、そこで一度鎮まった。

 

 

 いろPが線を引いた。

 

 現実側にいる友人兼保護者のような青年も、無言の圧でかすかに残った火種ごと消し去った。

 

 神々(しちょうしゃ)は笑い、怯え、反省し、次の話題へ流れていった。

 

 火は、消えた。

 少なくとも、表向きには。

 

 帝アキラは、停止した画面を見つめる。

 

 その火を。

 もう一度、くべる。

 

 馬鹿げている。

 危険すぎる。

 

 帝アキラという名前が。

 

 ブラックオニキスというブランドが。

 

 ここまで積み上げてきたものすべてが、揺れるかもしれない。

 

 みんなの夢を背負い、絶えず夢を魅せ続けること。

 

 それが黒鬼(ブラック・オニキス)

 

 勝ち続けること。

 面白いものを拾い続けること。

 ファン(子うさぎ)が期待する以上の盤面を用意し続けること。

 

 それが、帝アキラという名前に許されている役割であり、背負っていく(アイドル)

 

 その自分が。

 

 よりによって、鎮まったばかりの結婚騒ぎを、もう一度火種にする。

 

 あえて、かぐやへ言う。

 

 帝が勝ったら、結婚してくれ、と。

 

 ただのコラボでは足りない。

 ただの新人発掘では届かない。

 ただの対戦企画では、かぐやいろPチャンネルの奥にあるものまで引き出せない。

 

 かぐやの危なげすらある純粋さ。

 いろPが隠している才能の奥。

 全ツクヨミを熱狂させる火種(ひだね)

 ブラックオニキスという名前の重さ。

 

 その全部を一つの盤面に乗せるには、ただ強い人と絡むだけでは弱い。

 

 世紀の竹取合戦。

 

 そう言われるだけの火力がなければ、あの二人をツクヨミの(いただき)へ押し上げる盤面など組み上がらない。

 

 帝アキラは、企画メモを開く。

 

 画面には、いくつもの候補が並んでいた。

 

『ヤチヨカップ終盤特別企画』

『上位勢耐久対戦』

『新人発掘コラボ』

『歌勢・ゲーム勢交流戦』

『ブラックオニキスの推し探し』

 

 その中で、彼は新しい項目を作る。

 

『ブラックオニキス×かぐやいろP 竹取合戦』

 

 少しだけ、指が止まる。

 

 それから、続けて打つ。

 

『条件』

『帝が勝てば、かぐやへ求婚する』

『かぐやいろP側が勝てば、願いを一つ聞く』

 

 願いの内容は、まだ決めない。

 

 いや、あえてこちらが決めない。

 

 それは彼が用意するものではない。

 

 かぐやが。

 いろPが。

 彼女たちが、自分の言葉で言うべきものだ。

 

 勝負の当日。

 

 初めて向き合った時に。

 

 その場で。

 

 帝アキラは、さらにメモを足す。

 

『注意点』

『かぐやちゃんを賞品として扱わない』

『選ぶ権利はかぐや側に残す』

『炎上の火力を制御する』

『いろPが怒れる、素直に自分を出し切れる場所を作る』

『最後は黒鬼らしく全力で勝つ。夢を魅せながら』

 

 自分で書いていて、少しだけ笑いそうになった。

 

 無茶苦茶だ。

 それでも、筋は通っている。

 

 かぐやちゃんを物扱いするつもりはない。

 

 結婚という言葉を、すべての注目を集める餌にする。

 

 ツクヨミ全土の神々(しちょうしゃ)の視線を、否応なくかぐやいろPへ向けさせる。

 視線は熱になる。

 熱は噂になる。

 噂は切り抜きとなって拡散され、やがて本人たちの知らない場所で、いくつもの変数を生み始める。

 

 その変数こそが、後の盤面を動かす火種になる。

 

 そして、その視線の前で、かぐやが何を選ぶのか。

 

 いろPが何を願うのか。

 

 それを、世界に見せるために。

 

 帝アキラは、モニターの中の狐を見た。

 

 昔の彩葉なら、どうしただろう。

 

 きっと、前へ出たがるけども、結局遠慮しがちになって奥に引っ込んでしまう。

 

 今よりもっと自分を削って。

 誰にも頼らず。

 大丈夫だと言い張って。

 平気な顔をして。

 限界が来るまで、ずっと一人で立っていただろう。

 

 でも、今の彩葉はたぶん違う。

 

 かぐやがいる。

 あの青年がいる。

 新たにできた友人(真実と芦花)たちもいる。

 

 自分の声で怒ることを覚えている。

 自分の判断で線を引くことを覚えている。

 誰かに任せることも、少しずつ覚えはじめている。

 

 それが嬉しかった。

 

 同時に、痛かった。

 

 あの日。

 自分は先に東京へ出た。

 

 理由はあった。

 

 あの家から離れなければならなかった。

 自分の道を作らなければならなかった。

 あのままでは、母とも、妹とも、自分自身とも、何もかも潰れてしまう気がした。

 

 だから出た。

 

 正しい判断だったと、今でも思っている部分はある。

 

 けれど。

 

 たったひとりの(いろは)を残した。

 

 その事実だけは、どんな理由を並べても消えない。

 

 帝アキラは、画面の奥で狐に化けた妹を見つめた。

 

「……お前、そこまで走ってたのか」

 

 届くはずのない声が、暗い部屋に落ちる。

 

 推しは推しだ。

 

 かぐやは間違いなく面白い。

 

 このまま伸びれば、ツクヨミの空気を変えるかもしれない。

 

 あの明るさは強い。

 あの無邪気さは危うい。

 だからこそ、見ている側が手を伸ばしたくなる。

 

 ライバーとしての華がある。

 

 それは本物だ。

 

 けれど。

 

 その隣にいる妹の努力を、見なかったことにはできなかった。

 

 彩葉は昔からそうだった。

 

 一度抱えたものを、なかなか手放さない。

 

 苦しいなら苦しいと言えばいい。

 助けてほしいなら助けてほしいと言えばいい。

 

 そう言ってやるのは簡単だ。

 

 けれど、彼女はそれが下手だった。

 

 下手にさせたのは、きっと家族(うち)にもある。

 

 母さんもある。

 そして、(おれ)にもある。

 

 ならば、今さら兄として手を差し出す資格などない。

 

 酒寄朝日として連絡するなど論外だ。

 

 見ていた。

 知っていた。

 助けてやる。

 

 そんなことを言えば、彩葉はきっと拒む。

 

 いや。

 

 拒むだけならまだいい。

 たぶん、傷つけてしまうこともあり得る。

 あの子は、助けられたことよりも、黙って見られていたことの方を重く受け取るかもしれない。

 

 だから、酒寄朝日としては動かない。

 

 帝アキラとして動く。

 ブラックオニキスとして動く。

 トップライバーが、噂のスーパールーキーに火をつける。

 

 ヤチヨカップ終盤、順位(ランキング)爆上げ中の新人(ルーキー)を拾う。

 

 他所(しちょうしゃ)から見れば自然だ。

 企画としても成立する。

 

 ただし、今回はそこに私情が混ざる。

 

 かなり、大きく。

 

「……私情だな」

 

 帝アキラは呟いた。

 

 否定しようがない。

 

 かぐやを推している。

 配信者として面白いものを拾いたい。

 そして、妹の努力を報わせたい。

 

 その三つが、どうしようもなく重なってしまった。

 

 だから、これはきれいな企画ではない。

 

 リーダーの無茶で。

 

 単なる我がままで。

 

 ブラックオニキス全体を巻き込む私情だ。

 

 帝アキラは、通話ウィンドウを開いた。

 

 メンバーを呼び出す。

 

 画面が二つ、立ち上がった。

 

 一人は、無言で現れた。

 

 (らい)

 黒鬼のチームメンバーの中でも、最も言葉が少なく、最も判断が速い男。

 その無口さは、神秘性のための演出であり、本人の性格も少しは出てある。

 

 ただし、無口だからといってノリが悪いわけではない。

 

 むしろ逆だ。

 

 (らい)は、悪ノリが好きだった。

 仲間が何かを始めるなら、黙って横に立つ。

 場が盛り上がるなら、無表情のまま火薬(しゅらば)を追加投入する。

 

 そして発言が必要になれば、弟の乃衣(のい)が書いた《雷用台詞集》から、もっともそれらしい一文を選んで口にする。

 

 もう一人は、数秒遅れて入ってきた。

 

 乃衣(のい)

 入室した瞬間から、すでに面倒くさそうな顔をしている。

 

 気分屋で、面倒くさがり。

 帝アキラ(おれ)のことは普段からよくおちょくるし、冗談込みで雑魚扱いもする。

 けれど、アイドル活動とファンサービスだけにはいつでも本気だ。

 そして一度気分が乗れば、誰よりも徹底的に仕上げてくる。

 

『こんな時間に呼び出しとか、嫌な予感しかしないんですけど』

 

「悪いな」

 

『悪いと思ってる顔じゃないよね、それ。やっぱ雑魚ぉ?』

 

「少しはリーダーとして敬えや」

 

『じゃあ雑魚リーダー』

 

「悪化してんだよ」

 

 乃衣が、わざとらしく肩をすくめる。

 

 軽口。

 

 いつものやり取り。

 

 帝が無茶を言い出す前には、大抵こうなる。

 

 乃衣は先に文句を言う。

 雷は黙って見る。

 帝はその二人を前にして、それでも言う。

 

 何度も繰り返してきた形だった。

 

 雷は何も言わない。

 

 ただ、こちらを見ている。

 

 その沈黙は拒絶ではない。

 

 聞く、という合図だった。

 

 帝アキラは、二人へ企画メモを共有した。

 

 数秒。

 

 沈黙。

 

 乃衣の眉間に、はっきりと皺が寄った。

 

 雷は無言のまま、視線だけをわずかに動かす。

 

 おそらく、語録を選んでいる。

 

『……帝ちゃん』

 

「なんだ」

 

『正気?』

 

「正気さ」

 

『帝が勝ったら、かぐやへ求婚する。かぐやいろP側が勝ったら願いを一つ聞く。これ、字面だけなら完全に火薬庫に花火大会ぶち込んでるんですけど』

 

「そうだな」

 

『そうだな、じゃないんだよ。雑魚ですかバカですか?』

 

「もしかしたら、そうかもな」

 

『……やば。明日世界終わるかも』

 

 乃衣は額を押さえた。

 

 けれど、通話を切らない。

 メモから目も逸らさない。

 

 本当に駄目だと思った時の乃衣は、もっと早い。

 

 面倒くさい、嫌だ、ありえない。

 

 そう言いながらも、まだこの場にいる。

 

 それが、乃衣なりの返事だった。

 

『この間の結婚騒ぎ、やっと鎮火したばっかよね。いろPって子がかなり強めに線引いて、例の現実側の保護者みたいな男の人も出て、ようやく落ち着いたんだよね』

 

「ああ」

 

『それを、帝アキラ本人がもう一回燃やす? しかも正面から?』

 

「ああ」

 

『マジ最悪』

 

 乃衣は即答した。

 

 言葉は最悪。

 顔も最悪。

 けれど、その声には怒りだけではない。

 

 呆れと、心配と。

 

 それから、どうせ止まらないと知っている相手への諦めが混じっていた。

 

 雷が、ようやく口を開いた。

 

『火は、風を呼ぶ』

 

 乃衣が雷を見る。

 

『今それ、語録の何番?』

 

『二十七番』

 

『こういう時だけ台本選びうまいの何?』

 

 雷は答えない。

 

 ただ、わずかに顎を引いた。

 

 肯定。

 

 了承。

 

 そして、参戦。

 

 短い言葉だった。

 

 けれど帝には、それで十分だった。

 

 雷はいつもそうだ。

 

 余計なことは言わない。

 

 けれど、必要な時には必ずそこにいる。

 

 ステージでも。

 試合でも。

 炎上寸前の企画でも。

 

 帝が前へ出る時、雷は黙って隣に立つ。

 

 それが、彼の信じ方だった。

 

『いや、火は風を呼ぶ、じゃないんだよ。呼んだ風で全員まとめて吹っ飛ぶ可能性あるんだけど』

 

「その時は俺が前に出る」

 

『出るのは当たり前。リーダーなんだから』

 

「厳しいな」

 

『当然でしょ。うちの看板背負って雑に燃えようとしてるんだから』

 

 乃衣はじろりと帝を見る。

 

『でもさ』

 

「なんだ」

 

『その顔してる時のリーダー、止めても無駄なんだよね』

 

 帝アキラは、少しだけ笑った。

 

「よく分かってるな」

 

『何年一緒にやってると思ってんの、バカ』

 

 雑魚ではなく、バカ。

 

 その言い方だけが、ほんの少しだけ柔らかかった。

 

『で? これはただの話題作りじゃないんでしょ』

 

「ああ」

 

『推しを勝たせたいだけでもない』

 

「ああ」

 

『例の妹絡み?』

 

 帝は答えなかった。

 

 乃衣も、それ以上は踏み込まなかった。

 

 雷も黙っている。

 

 ブラックオニキスは、色々なものを背負っている。

 

 アイドルとしての夢。

 ライバーとしての数字。

 プロゲーマーとしての勝利。

 ファン(子うさぎ)たちの期待。

 

 けれど、その奥にある一番大事なものを、三人は間違えたことがない。

 

 仲間だ。

 

 友人であり。

 悪友であり。

 親友であり。

 戦友でもある。

 

 だから、帝が私情を持ち込んだと分かっても、二人は離れない。

 

 むしろ、その私情を口にしたことの方を重く受け止める。

 

 普段なら何でも一人で盤面に変える男が、今だけは我がままだと分かる形で頼っている。

 

 なら。

 

 付き合わない理由など、最初からなかった。

 

『……ほんと、柄じゃないんですけど』

 

「分かっている」

 

『分かってるなら、もっとマシな燃やし方考えてよ。新人発掘とか、普通に対戦コラボとか、いくらでもあるでしょ』

 

「それだけじゃ届かないのさ」

 

『誰に?』

 

 帝アキラは、少しだけ目を伏せた。

 

「かぐや姫に。いろPに。神々(しちょうしゃ)に。ヤチヨカップに」

 

『多いじゃん』

 

「多いな」

 

『ちょっと他人事みたいに言わないで』

 

「やっと戻ったな」

 

『戻すよ。調子に乗るから』

 

 乃衣は不満そうに言った。

 

 けれど、指はすでに動いていた。

 

 共有された企画メモの端に、リスク項目を追加していく。

 

 タグ。

 初動。

 切り抜き。

 コメント誘導。

 炎上ライン。

 かぐやいろP側が怒れる余白。

 ブラックオニキス側が背負う責任。

 

 文句を言いながら、もう仕事を始めている。

 

 気分屋で、面倒くさがりで、普段は (リーダー)を雑魚呼ばわりするくせに。

 

 一度やると決めた乃衣は、誰よりも本気だった。

 

『……やるなら、徹底的にやるよ』

 

「助かる」

 

『助かる、じゃない。リスク管理。炎上導線。タグ制御。告知文。切り抜き対策。ファンの初動誘導。全部必要』

 

「うし、じゃ任せるわ」

 

『丸投げすんな雑魚』

 

「信頼してるんだよ」

 

『はいはい。信頼してるよ、雑魚リーダー』

 

 

 

 

 雷は黙った。

 

 だが、ほんのわずかに満足そうだった。

 

 雑な言い方だった。

 

 けれど、そこに嘘はなかった。

 

 雷が静かに言った。

 

『祭りには、旗がいる』

 

 乃衣がすぐに反応する。

 

『雷語録五十一番。いや、そこ使うんだ』

 

「意味は?」

 

『告知を派手にしろって意味じゃないですかねー。知らんけど』

 

 雷は頷いた。

 

 どうやら、その解釈でいいらしい。

 

『あと、逃げ道もいる』

 

 乃衣が目を細める。

 

『それ語録?』

 

『今のは俺』

 

 短い言葉。

 

 だが、はっきりした意思。

 

 帝アキラは雷を見た。

 

 雷もまた、帝を見ていた。

 

『燃やすなら、守る場所を決めろ』

 

 乃衣が一瞬だけ黙る。

 

 それから、小さく息を吐いた。

 

『……たまに台本なしで喋ると重いんだよね、雷兄』

 

 雷はまた黙った。

 

 もう言うべきことは言った、という顔だった。

 

 帝アキラは、ゆっくり頷く。

 

「ああ。そこは間違えない」

 

 火をつける。

 

 けれど、焼き尽くすためではない。

 

 かぐやを見せるために。

 

 いろPを立たせるために。

 

 神々(しちょうしゃ)の視線を集め、その熱を勝負へ、応援へ、次の盤面へ繋ぐために。

 

 そして、燃えすぎた時には。

 

 ブラックオニキスが前に立つ。

 

 帝アキラが、責任を取る。

 

『戦闘形式は』

 

 雷が短く問う。

 

「KASSEN。形式(シナリオ)はこちらで調整するよ。ただ、かぐやいろP側が勝つか負けるかだけで終わる内容にはしない」

 

『勝敗だけでは、足りないと』

 

 雷が言った。

 

 乃衣がちらりと雷を見る。

 

『それ語録?』

 

『三十九番』

 

『便利だな雷語録』

 

 乃衣はそう言いながらも、すでにコンソルを開いていた。

 

「単純に勝った、負けたで終わったら、それはただの対戦だ」

 

 帝アキラは言う。

 

「それじゃあ弱い。今回必要なのは、勝負そのものを最後まで見守らせる熱だ。勝ってほしい。負けてほしくない。次に何をするのか気になる。そういう感情を、かぐやちゃんといろPに集める」

 

『つまり、勝負じゃなくてショーにする、と』

 

 乃衣が言った。

 

『最初に求婚で燃やす。次にKASSENで緊張させる。途中で何度も揺らす。どっちが勝つかだけじゃなくて、どっちを応援したいかまで神々(しちょうしゃ)に選ばせる』

 

「そうだ」

 

『で、勝負が終わっても熱が残るようにする。勝った方だけじゃなく、負けた方にも物語が残るようにする』

 

「いけるか」

 

『やるんでしょ』

 

「ああ」

 

『なら、いける形にする。そういう仕事でしょ、うちら』

 

 乃衣の目が、少しだけ変わっていた。

 

 面倒くさそうな顔の奥に、ファンサービスへ本気で向かう時の熱が灯っている。

 

 人々(ファン)が何を見たいのか。

 どこで息を呑み、どこで叫び、どこで笑い、どこで本気で祈るのか。

 その流れを考え始めた時の乃衣は、誰よりも真剣だった。

 

『ただ燃やすだけなら雑魚でもできる』

 

「また雑魚か」

 

『でも、燃えた後に何が残るかまで作るのがプロでしょ』

 

 乃衣はメモへ項目を追加していく。

 

 導入。

 挑発。

 対戦条件。

 視聴者参加要素。

 中間演出。

 勝敗後の余韻。

 かぐやいろP側が次に動きたくなる余白。

 

『派手にする。緊張させる。見守らせる。応援させる。最後まで目を離せなくする』

 

 雷が静かに頷いた。

 

『夢は、魅せ続けるもの』

 

 乃衣が少しだけ笑う。

 

『それ、語録?』

 

『八番』

 

『いいじゃん』

 

 帝アキラは、二人を見た。

 

 黒鬼。

 

 ブラックオニキス。

 

 アイドルとして。

 ライバーとして。

 プロゲーマーとして。

 

 勝つだけでは足りない。

 

 強いだけでは足りない。

 

 ファン(子うさぎ)たちに夢を見せ続けること。

 

 それが、自分たちの背負ってきたものだ。

 

 ならば今回も同じだ。

 

 ただ勝負をするのではない。

 

 ただ火をつけるのでもない。

 

 全ツクヨミの視線を集め、熱を育て、かぐやといろPという二人を、もっと遠くへ届く場所まで押し上げる。

 

 そのための最高の 盤面(ショー)を組み上げる。

 

 それが、プロとしての仕事だった。

 

『ただし、帝ちゃん。いや、リーダー?』

 

「なんだ」

 

『変に格好つけすぎないでよ?』

 

「んだよ。一体俺のことをどう見てんだ、お前たち」

 

『顔と声と実績で黙らせてきた男』

 

「褒めてる?」

 

『褒めてない。求婚文面でそれやったら、普通に気持ち悪いって話』

 

「辛辣だな」

 

『だって事実だし』

 

 雷が、無言で頷いた。

 

「お前まで頷くなよ」

 

『刃は、短く鋭く』

 

『雷語録十二番。つまり、短文で行けってことね』

 

「……分かったよ」

 

 帝アキラは、改めて告知文を打ち始める。

 

 乃衣は横から文面を睨み、雷は黙って見守る。

 

 いつもの形だった。

 

 帝が無茶を言う。

 

 乃衣が文句を言う。

 

 雷が短く背中を押す。

 

 そして最後には、三人で盤面を作る。

 

 悪友であり、親友でもあり、戦友として支えてきた。

 

 それが黒鬼、『Black onyX』だった。

 

ブラックオニキスより、かぐやいろPチャンネルへ。

 

 指が止まる。

 

 もう戻れない。

 

 ここから先は、帝アキラとしての言葉だ。

 

 酒寄朝日ではない。

 

 兄ではない。

 

 黒鬼として。

 

 ブラックオニキスとして。

 

 舞台の上に立つ者として。

 

 彼は、続きを打った。

 

ヤチヨカップ終盤特別企画。

世紀の竹取合戦、開催を申し込む。

帝が勝てば、かぐや。俺と結婚してくれ。

かぐやいろPが勝てば、そちらの願いを一つ聞く。

 

 乃衣が頭を抱えた。

 

『字面が最悪』

 

「こんぐらいありゃ、火力もそれなりに出るだろ?」

 

『火力でどうにかできないなら火力が足りない、みたいなこと言わないでよ。知らない人ですけど』

 

 帝アキラは少しだけ笑った。

 

 雷は無言で頷いた。

 

『爆ぜろ』

 

『雷語録一番雑なやつ出た』

 

 火力はある。

 

 危険もある。

 

 リスクもある。

 

 だが、届く。

 

 少なくとも、神々(しちょうしゃ)は見る。

 

 見るなら、そこから先へ繋げられる。

 

 かぐやの存在へ。

 

 いろPの声へ。

 

 妹が、自分で見つけたかもしれない何かへ。

 

 帝アキラは、告知文の公開時刻を設定する。

 

 すぐには出さない。

 

 今夜ではない。

 

 今この瞬間に火をつければ、かぐやたちの作戦会議そのものを潰してしまう。

 

 それでは駄目だ。

 

 これは、彼女たちが自分たちで手を伸ばした後に置くべき火種だ。

 

 公開時刻は、翌日。

 

 雅治が東京を離れた、その少し後。

 

 かぐやいろPチャンネルの周囲に、新しい風穴が開くタイミング。

 

「これでいく」

 

 帝アキラは言った。

 

 乃衣はしばらく画面を睨んでいた。

 

 やがて、諦めたように肩を落とす。

 

『……はいはい。最後まで付き合うよ』

 

 雷は短く頷く。

 

『リーダーは絶対』

 

『はいはい、黒鬼名物リーダー絶対主義ね』

 

 乃衣は雑に流しながらも、すでにタグ案を並べ始めていた。

 

 帝アキラは、二人を見た。

 

「悪いな。私情に付き合わせる」

 

 乃衣は、わざとらしくため息をついた。

 

『ほんとですよ。あとでちゃんと借りにするから』

 

「覚えておくさ」

 

『絶対だからね。雑魚はすぐ忘れるでしょ?』

 

「また雑魚呼びかよ」

 

『戻しておかないと、帝ちゃんはすぐ格好つけるから』

 

 雷が無言で、画面の向こうから親指を立てた。

 

 口数は少ない。

 

 だが、その仕草だけで十分だった。

 

 乗っている。

 

 完全に乗っている。

 

 乃衣も文句を言いながら、もう止まる気はない。

 

 帝アキラは、もう一度だけアーカイブを再生した。

 

 画面の中で、かぐやが笑う。

 

 その隣で、狐の着ぐるみが慌てて止めに入る。

 

『かぐや、それは駄目』

 

『なんで!?』

 

『説明すると長い』

 

『じゃあ短く!』

 

『社会が壊れる』

 

『かぐや、社会壊すの!?』

 

『だから止めてるの!』

 

 帝アキラは、思わず小さく笑った。

 

 彩葉の声だ。

 

 間違いない。

 

 変わっている。

 

 けれど、変わっていない。

 

 妹は、自分の知らない場所で、自分の知らない顔をしていた。

 

 それを寂しいと思う資格は、たぶん自分にはない。

 

 でも。

 

 面白いと思うことくらいは、許されるだろう。

 

 そして、応援したいと思うことくらいは。

 

「推しは推し」

 

 帝アキラは呟く。

 

仕事(プロ)仕事(プロ)

 

 画面の中の狐を見る。

 

「…… (いろは)は、 (いろは)だ」

 

 その三つを、彼は切り分ける。

 

 切り分けたうえで、同じ企画書の中へ並べていく。

 

 公開予約の表示が、静かに確定する。

 

 帝アキラは、画面の端に映り込んでいる長身の青年へ目を向けた。

 

「ってか、いつも一緒にいるあの男子とは、どんな関係かねぇ」

 

 口元に、兄らしい悪戯っぽい笑みが浮かぶ。

 

「お兄ちゃん、気になるなー」

 

 さて。

 

 久しぶりに顔を合わせた時、どこから突けば彩葉が一番いい顔で慌てるだろうか。

 

 妹をからかって怒られることは、この世で先に生まれてしまった生き物(おにいちゃん)にのみ許された、尊くも面倒くさい特権である。

 

 妹をからかう新しい種まで見つけて、朝日(あさひ)は一人、楽しそうに笑った。

 

 

 物語の歯車は、誰にも知られない場所で静かに回り始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、帰省当日。

 

 駅前の時計は、昼を少し過ぎた時刻を示していた。

 

 夏休みの駅前は、妙に人が多い。

 

 キャリーバッグを引く家族連れ。

 部活帰りらしい学生。

 手土産の紙袋を下げた会社員。

 改札前で誰かを待つ人たち。

 

 その流れの端に、雅治は黒い鞄を肩にかけて立っていた。

 

 白いシャツに黒いパンツ。

 

 いつも通りの格好。

 

 ただ、普段より荷物が一つ多いだけで、どこか遠くへ行く人間の顔になるのだから不思議だった。

 

「まさはるー!」

 

 真っ先に声が飛んできた。

 

 振り向くと、かぐやが手を振りながら走ってくる。

 

 その後ろから、彩葉が少し早足で追っていた。

 

「走らない! ここ駅前!」

 

「でも雅治いたじゃん!」

 

「見れば分かるわよ!」

 

 ギャーギャー騒ぎながら現れたのは、我らが月の姫?かぐやと、超人彩葉さんなりけり。。

 

 かぐやは雅治の前でぴたりと止まり、鞄を見上げた。

 

「ほんとに京都行くのぉ?」

 

「ああ」

 

「一週間も?」

 

「その予定だ」

 

「ちゃんと帰ってくるよね?」

 

「帰ってくるとも」

 

「ツクヨミでも遊んでくれる?」

 

「帰ってきたら、な。約束しただろう」

 

 かぐやは、じっと雅治を見た。

 

 その目は、昨日より少しだけ真剣だった。

 

 ヤチヨカップ。

 ヤチヨ。

 届かないかもしれない夢。

 

 その全部をまだうまく飲み込めていないまま、それでも今日は雅治を見送らなければならない。

 

 だからこそ、何度も確認しているのだろう。

 

 帰ってくるか。

 

 待っていていいのか。

 

 約束は、ちゃんと残っているのか。

 

 雅治は、その問いを一つずつ受け止めた。

 

「帰ってくるよ。ツクヨミにも入る。できる限り連絡もする」

 

「できる限りじゃなくて、ちゃんと!」

 

「ちゃんと連絡する」

 

「よろしい!」

 

 かぐやが、ふんすと胸を張る。

 

 その横で、彩葉が小さく息を吐いた。

 

「何回聞くのよ」

 

「大事なことは何回も確認するって、雅治が言ってた!」

 

「それはたぶん、こういう使い方じゃないと思うけど」

 

「いや、間違いではない」

 

「そこで味方しないでよ」

 

 彩葉が即座に雅治を睨む。

 

 その反応がいつも通りで、雅治は少しだけ口元を緩めた。

 

 そこへ、さらに二人の影が近づいてくる。

 

「おー、いたいた」

 

「間に合ったねぇ」

 

 真実と芦花だった。

 

 真実は片手に飲み物を持ち、もう片方の手を軽く振っている。

 

 芦花は日傘を畳みながら、どこか楽しそうに目を細めていた。

 

「いやー、まさか橘君を見送りに来る日が来るとはねぇ」

 

 真実が笑う。

 

「しかも京都帰省。なんか急に青春イベントっぽい」

 

「そんなイベントではないが」

 

「本人が真顔だと余計それっぽいんだよね」

 

 芦花が言う。

 

「駅。夏。しばしの別れ。見送りに来るうら若き女子四人」

 

「字面だけなら凄いな」

 

「字面だけじゃなくて絵面もなかなかだよ」

 

 真実が、ちらりと彩葉を見る。

 

「ねぇ、彩葉?」

 

「そこで私を見るな」

 

「いやー、だってさ」

 

 真実の口元が、にやりと歪む。

 

「いつの間に、雅治(まさはる)呼びになったのかなーって」

 

 彩葉の肩が跳ねた。

 

 かぐやが「あっ」と声を上げる。

 

 芦花も、待ってましたと言わんばかりに目を細めた。

 

「そうそう。そこ、私も気になってた」

 

「気にしなくていい」

 

「いやいや、前は同じく(たちばな)君だったよねぇ」

 

「呼び方くらい変わるでしょ」

 

「普通は変わる時に何かあるんだよ」

 

「何もない!」

 

 彩葉は即答した。

 

 少し早かった。

 

 早すぎた。

 

 だから真実と芦花の笑みが深くなる。

 

「何もないんだー」

 

「へぇー」

 

「……その顔やめて」

 

 彩葉が低い声を出す。

 

 しかし真実は止まらない。

 

「雅治くんはどう思います?」

 

「俺か」

 

「彩葉に名前で呼ばれるようになって」

 

 雅治は少しだけ考えた。

 

 そして、真面目に答える。

 

「信頼されているようで、ありがたい」

 

「っ」

 

 彩葉が固まる。

 

 真実が口元を押さえた。

 

 芦花が肩を震わせる。

 

 かぐやは目を輝かせた。

 

「彩葉、顔赤い!」

 

「赤くない!」

 

「赤いよ!」

 

「かぐやは黙って!」

 

 いつもの騒がしさが戻る。

 

 駅前の人混みの中でも、その一角だけ空気が少し明るかった。

 

 雅治はそれを見て、胸の奥が少しだけ温かくなる。

 

 今日から一週間、ここにはいない。

 

 それでも、この騒がしさは続くのだろう。

 

 彩葉がいて。

 かぐやがいて。

 諌山と綾紬もいて。

 

 自分がいなくても、彼女たちはきっと笑う。

 

 それは少し寂しくて。

 

 同時に、とても安心できることだった。

 

「で、時間までどうする?」

 

 真実が時計を見る。

 

「まだ少しあるでしょ?」

 

「改札に入るには早いな」

 

「じゃ、軽く何か食べよ。駅ビルのマックでいい?」

 

「かぐや、ポテト!」

 

「即決ね」

 

「ソフトアイスも!」

 

「昼ごはんというより、おやつだねぇ」

 

 芦花が笑う。

 

「雅治も食べる?」

 

「俺はゼロコーラでいい」

 

「出た、自己管理」

 

 真実が感心したように言った。

 

「旅立ちの日くらいポテト食べてもいいんじゃない?」

 

「移動中に胃が重くなる」

 

「理由が実用的」

 

「あと、脂質が」

 

「出た、管理する男」

 

 彩葉が呆れたように言う。

 

 雅治は当然のように頷いた。

 

「体は資本だ」

 

「旅行前に言う台詞じゃないのよ」

 

 そうして五人は、駅ビルの中へ移動した。

 

 昼の店内は混んでいたが、運良く端の席を確保できた。

 

 かぐやと真実は、ポテトとソフトアイスを前に並べている。

 

 真実はソフトアイスにポテトをつけようとして、彩葉に止められていた。

 

「やめなさい。かぐやが真似するわよ」

 

「おいしいよ?」

 

「おいしさの問題じゃない」

 

「かぐやもやる!」

 

「ほら!」

 

 彩葉が即座に真実を睨む。

 

 真実は笑いながらポテトを口に入れた。

 

 芦花はフラッペを片手に、優雅にストローを回している。

 

 彩葉はソフトドリンク。

 

 雅治はゼロコーラ。

 

 妙にそれぞれらしい組み合わせだった。

 

「そういえばさ」

 

 芦花が雅治を見る。

 

「学校での橘君と、今の雅治君って、けっこう違うよね」

 

「そうか?」

 

「うん。学校だともっと静かで、距離取ってた感じ」

 

「あー、分かる」

 

 真実が頷く。

 

「猫かぶってたっていうか、演じてた?」

 

 彩葉がちらりと雅治を見る。

 

 雅治はゼロコーラのカップを置いた。

 

「演じていた、というほど大したものではない。ただ、学校では目立たない方がいいと思っていた」

 

「その体格で?」

 

 真実が即座に言う。

 

「そこは仕方ない」

 

「仕方なくないくらい目立つけどねぇ」

 

 芦花が笑う。

 

 雅治は少しだけ視線を落とした。

 

「俺は、昔から少し浮きやすかった。体も大きいし、言い方も硬い。普通にしているつもりでも、相手が構えることがある」

 

 彩葉は、黙って聞いていた。

 

「だから、学校では余計なことをしないようにしていた。無難に。静かに。必要以上に近づかず、必要以上に離れず」

 

「それであの感じだったんだ」

 

「そうだな」

 

 真実がふむふむと頷く。

 

「でも、今は?」

 

「今は……」

 

 雅治は少しだけ考えた。

 

 かぐやがソフトアイスを舐めながら、じっと見ている。

 

 彩葉も見ている。

 

 真実と芦花も、茶化す気配を少しだけ引っ込めていた。

 

「今は、多少ずれていても受け入れてくれる人がいると分かった」

 

 雅治は言った。

 

「だから、前よりは楽だな」

 

 その言葉に、彩葉の表情がほんの少しだけ柔らかくなった。

 

 かぐやは胸を張る。

 

「かぐや、受け入れる!」

 

「ありがとう」

 

「でも変なことしたら彩葉が怒る!」

 

「それもありがたい」

 

「なんでぇ?」

 

「止めてくれる人間がいるってことは思ったよりも貴重なことさ」

 

 彩葉がストローを噛みそうになった。

 

「……そういうの、さらっと言うなっての」

 

「事実だが」

 

「事実でも!」

 

 真実と芦花が、またにやにやし始める。

 

「いやー」

 

「これはこれは」

 

「何よ」

 

「「別にぃ?」」

 

 彩葉は二人を睨んだ。

 

 しかし、いつものように強く否定しきれない。

 

 その隙を、かぐやが見逃さない。

 

「彩葉、嬉しい?」

 

「かぐや」

 

「なーに?」

 

「そのポテト没収するよ」

 

「やだ!」

 

 かぐやは慌ててポテトを抱え込んだ。

 

 その姿に、四人が笑う。

 

 笑い声は、駅ビルのざわめきに混ざって消えていった。

 

 時間は、思ったより早く過ぎた。

 

 改札を通り、ホームへ上がる。

 

 京都行きの電車が到着するまで、あと少し。

 

 ホームには、人がまばらに並んでいた。

 

 冷房の効いた駅ビルから出たせいか、空気が少しだけ重い。

 

 遠くでアナウンスが流れる。

 

 電光掲示板の文字が切り替わる。

 

 雅治は、鞄の肩紐を握り直した。

 

「じゃあ」

 

 彩葉が口を開く。

 

「向こう着いたら連絡してよね」

 

「ああ」

 

「ちゃんとご飯も食べて」

 

「ああ」

 

「無理に全部一日で片付けようとしないこと」

 

「分かっている」

 

「ほんとに?」

 

「努力するとも」

 

「そこは断言して」

 

 彩葉が眉を寄せる。

 

 雅治は少しだけ笑った。

 

「分かった。無理はしない」

 

「よろしい」

 

 かぐやが、雅治のシャツの裾を軽く掴んだ。

 

「まさはる」

 

「なんだ」

 

「ちゃんと帰ってきてね」

 

「ああ」

 

「絶対?」

 

「絶対だ」

 

 かぐやは、その言葉を聞いてから手を離した。

 

 真実が明るく手を振る。

 

「お土産よろしくー」

 

「八つ橋?」

 

 芦花が言う。

 

「生八つ橋でもいいよ」

 

「検討しておこう」

 

「真面目に検討された」

 

 真実が笑う。

 

 ホームの向こうから、電車が滑り込んできた。

 

 風が起きる。

 

 かぐやの髪が揺れ、彩葉がそれを片手で押さえた。

 

 車両が止まる。

 

 扉が開く。

 

 別れの言葉は、もう交わした。

 

 あとは乗るだけだった。

 

 その時。

 

 雅治が、ふと思い出したように言った。

 

「そういえば、一つみんなに伝えなければいけないことがある」

 

 彩葉が瞬きをする。

 

「え、なに? 今ここで? なになに」

 

 真実が身を乗り出した。

 

「へー、なんだろ。気になるなー。はよはよ」

 

 かぐやが首を傾げる。

 

「まさはるぅ?」

 

 芦花だけが、なぜか少しだけ期待した顔をしていた。

 

「……もしかして、ここでいきなり告白とか?」

 

「何を想像してるの」

 

 彩葉が即座に突っ込む。

 

 雅治は、そのやり取りを特に気にした様子もなく、いつもの真面目な顔で言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺が、シらぬイだ。言い忘れていた、すまん」

 

 

 

 

 

 

 

 沈黙。

 

 ホームの雑踏だけが聞こえた。

 

 電車の扉の開閉音。

 

 アナウンス。

 

 誰かの足音。

 

 その全部が、妙に遠く感じられる。

 

「「「は?」」」

 

 三つの声が重なった。

 

 少し遅れて、かぐやが目を丸くする。

 

「ヱ?」

 

 彩葉の口が開いたまま止まっている。

 

 真実も、芦花も、完全に固まっていた。

 

 雅治は小さく頷いた。

 

「では、行ってくる」

 

「ちょ、ちょちょちょちょちょい待って!」

 

 彩葉がようやく動き出す。

 

「雅治、どういうことよソレぇえええ!?」

 

「まさはるが? シらぬイ? ヱゑ?!」

 

 かぐやの声も裏返る。

 

 真実と芦花は、ほぼ同時に呟いた。

 

「まじかー」

 

「まじかぁ」

 

 雅治は電車に乗った。

 

 無慈悲にも、発車を知らせる音が鳴る。

 

「待って! 説明! 説明してから行きなさいよ!」

 

 彩葉が扉の前まで来る。

 

 しかし、スクリーンドアが閉まり始めた。

 

 シューン。

 

 続いて、車両の扉も閉まる。

 

 ガラス越しに、彩葉とかぐやの顔が見えた。

 

 驚きを通り越して、ほとんど放心している。

 

 彩葉は片手を上げたまま固まり、かぐやは口を半開きにしている。

 

 真実と芦花も、その横で同じように固まっていた。

 

 あまりにも見事な反応だった。

 

 雅治は、思わず笑ってしまった。

 

 声はガラスに遮られて、向こうには届かない。

 

 けれど彩葉は、笑ったことだけは見えたらしい。

 

 目を見開き、さらに何か叫んでいる。

 

 聞こえない。

 聞こえないが、だいたい分かる。

 

 ふざけるな。

 戻ってこい。

 説明しろ。

 なんで今言った。

 

 おそらく、その辺りだろう。

 

 電車がゆっくりと動き出す。

 

 ホームが流れていく。

 

 彩葉の姿が少しずつ遠ざかる。

 

 雅治は、扉のガラス越しにその姿を目で追っていた。

 

 いつの間にか。

 

 気付いたら、目で追っていた。

 

 彼女が何をしているのか。

 

 何を見ているのか。

 

 どう怒るのか。

 どう笑うのか。

 どう困るのか。

 

 そして。

 

 自分の言葉に、どんな顔をするのか。

 

 気になる。

 非常に気になる。

 だから、あえて言ったのかもしれない。

 

 京都へ行く直前に。

 

 逃げるようにではなく、置き土産のように。

 

 彼女がどんな反応をするのか、見てみたかったのかもしれない。

 

 シらぬイ。

 

 今まで隠していた仮面。

 

 けれど、彩葉の前ではその仮面がずれやすかった。

 

 かぐやの前でもそうだ。

 

 取り繕うより先に、素が出る。

 

 守りたいと思う。

 笑わせたいと思う。

 驚かせたいと思う。

 

 そして今。

 

 ガラスの向こうで、驚きを超えて驚愕を浮かべている彩葉の顔を見て、雅治は思ってしまった。

 

 面白い。

 実に、面白い。

 

 あの日。

 

 自分の弱さも、過去も、どうしようもなさも、全部聞いたうえで。

 

 それでも受け止めてくれた時の顔とは、まるで違う。

 

 けれど、同じだった。

 

 真正面からこちらを見ている。

 

 逃げずに。

 

 怒って。

 呆れて。

 それでも、ちゃんとこちらを見ている。

 

 そのことが、どうしようもなく嬉しかった。

 

「……可愛いな」

 

 小さな声だった。

 

 自分でも、少し驚くくらい自然に出た。

 

 電車は速度を上げていく。

 

 ホームの姿は、もう見えない。

 

 彩葉の叫びも、かぐやの混乱も、真実と芦花の「まじかー」も、遠ざかっていく。

 

 雅治は座席へ向かいながら、鞄を持ち直した。

 

 京都へ行く。

 

 逃げるためではない。

 

 終わらせるためでもない。

 

 置き去りにしてきたものと、もう一度向き合うために。

 

 そして今度は。

 

 ちゃんと、戻ってくるために。

 

 その時、どんな顔で迎えられるのか。

 

 彩葉は、どれだけ怒っているのか。

 

 かぐやは、どれだけ問い詰めてくるのか。

 

 真実と芦花は、どれだけ面白がるのか。

 

 想像すると、少しだけ笑えた。

 

 不思議だった。

 

 京都へ向かう足取りは、まだ怖い。

 

 父に会うことも。

 母の墓前に立つことも。

 何を話せるのかも、何を言われるのかも分からない。

 

 それでも。

 

 戻る場所がある。

 怒ってくれる人がいる。

 待っていると言ってくれた少女がいる。

 

 それだけで、胸の奥の重さは少しだけ形を変えた。

 

 雅治は窓の外を見た。

 

 流れていく景色の向こうに、京都がある。

 

 そして背中の向こうに、帰る場所がある。

 

 雅治の帰省は、そうして始まった。

 

 そして彼のいない場所で。

 

 かぐやいろPの物語もまた、静かに次の段階へ進み始めていた。

 




ジャンジャジャーン♪
今明かされる衝撃の真実ゥ☆

俺、シらぬイ

今回も最後までお読みいただきありがとうございます!
これで作者は本業にして実家の夏の大仕事のために大分の北西東を2か月も走ります。一日30キロは優に走るんでマジで運転の経験値がたまるたまる。
子供施設や養護施設、老人ホームなどを巡りながらボランティア活動を支援する働きなんでマジで寝る時間以外は常に運転と次のスケジュールと行路計算しかないんで、食事中に片手スマホでひたすらメモるしかないっ!
作者も頑張りますんで、どうか皆さんも今年の夏を頑張って乗り越えて、ハッピーな想い出をたくさん見つけてはつくってください!
いつか完結したらこの時の思い出とかもみなさんと語り合えたらなとも思います。



 そしてそしてぇ


、読者の皆様におかれましては、どうか彩葉さんの代わりに心の中で叫んでください。

 説明してから行け。
 戻ってこい。
 電車に乗るな。
 扉閉めるな。
 そのまま京都へ逃げるな。

 なお、本人はガラス越しに彩葉の反応を見て「可愛いな」とか言っております。
 重罪です。
 今日のMVPは鬼いちゃんでも八千歳でもなく、まさかのまさかの一石四撃の雅治でしたぁ!


  
          次回、超かぐや姫!
 

 雅治は父と向き合えるのか。
   母の墓前で何を語るのか。

 そして東京では、黒鬼がとんでもない火種が広がる。

 みんな大好き世紀の竹取合戦。

 かぐや、逃げて。
 彩葉、キレて。
 雅治、帰ってきたら正座な。
 
    それではまた次回をお楽しみに!

 ジャンジャジャーン♪

 衝撃の真実、もう一個。

 この話、雅治が京都へ行く話なのに、最後の最後で一番置き土産がデカい。




あ、今日タイトル忘れてないや

番外編を時間列に合わせて本篇の合間に入れてみる?

  • 話の展開やネタの繋がりがあってよさそう。
  • 「番外」やから別途でいいんじゃね?
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 月見ヤチヨ、八千歳。得意な事はかくれんぼ。今日も彼女はかくれんぼをしている。大切な友達と。▼ 


総合評価:701/評価:7.94/連載:8話/更新日時:2026年06月22日(月) 21:00 小説情報

八千と百六八年(作者:節足甲殻)(原作:超かぐや姫!)

なんて綺麗で美しくて残酷なのだろう。▼それでもやっぱり、笑顔が見たい。▼ノリと勢いで書いちゃいました。映画と小説の情報をもとに書いていきます。▼小説初挑戦の筆者ですが、長い目で見ていただけると嬉しいです。▼(2026/4/25)日間ランキング五位、誠にありがとうございます。


総合評価:697/評価:7.39/連載:6話/更新日時:2026年07月12日(日) 12:00 小説情報

超お世話係!(作者:チクワ)(原作:超かぐや姫!)

▼ 「──じゃあ、俺にお世話させてください」▼  1人で生きて欲しくない、1人で綺麗に生きたかった男の話。


総合評価:1796/評価:8.55/完結:32話/更新日時:2026年07月02日(木) 22:12 小説情報

今は昔、竹取の翁といふもの有りける(作者:何もかんもダルい)(原作:超かぐや姫!)

ネトフリで脳を焼かれ書籍に脳を焼かれ映画館の大音響で脳を灰にされCV前田さんみたいな男子が居るかぐや姫が浮かんでしまったなどと供述しており


総合評価:1547/評価:8.28/短編:9話/更新日時:2026年07月12日(日) 23:41 小説情報


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