今日も正常営業。ただし“そういうとこ”を添えてー   作:火力万能主義

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お久しぶりです、寝る前にスマホで月変わり目に投稿!しようとしてたらそのまま寝落ちして出勤した作者です(;'∀')

いやー前回の本篇第二十六話が初めての多数の視点を切り替えながら書くものだからもっといろいろとやってみたいと欲をかいたら、可読性がだいぶ落ちてしまったのが僕としては残念でした。
でも、みなさんの感想でも話の内容はよかったけど、新たな編集のやり方と改行の多さが可読性を落としているという指摘をいただいたので今度は以前のスタイルに戻ってみました。
少し前に番外編三話を投稿しましたけども、おそらく埋もれていた方もいらっしゃると思いますので、一度目次に戻って本篇の前にまとめた番外編の所もどうかお読みくださればうれしいです。

さて、久しぶりに日常に戻ってきたけども、やっぱ本業よりも副業のバイトをしながらちょくちょく空く隙間の余裕にひらめくのがもっとネタが採れやすいのを昨日知りました。
やっぱ人間って授業中に違うことをしている時が一番集中力が上がるという言葉は間違いじゃなかったんや。
いや、だからといって仕事中までにシらぬイは出しませんから(笑)
あくまで執筆、物語上のみですから(笑)


最後にアンケートをまた開きます、どうか皆さんのご意見お待ちしております。
ではでは、戻って来た本篇の第二十七話ですどうぞ!


第二十七話 今日も三人、通常運転

第二十七話 今日も三人、通常運転

 

 

 

 

 

 赤いペン先が、古典のプリントに残された空欄を、とん、と叩いた。

 

「で。これは?」

 

「助動詞の識別」

 

「問題を聞いてるんじゃないの」

 

 もう一度。

 

 とん。

 

「なんで、ここだけ何も書いてないの?」

 

「最後にまとめてやろうと思っていた」

 

「最後って、いつ?」

 

「今からでも」

 

「私に言われたからでしょ」

 

「今やろうとしていることに変わりはない」

 

「そういう話もしてない」

 

 ことん、と湯呑みが置かれた。

 

 東京へ戻ってきた翌日の午後。

 

 場所は東京都立川市内、とある月三万円の狭い一室。正確には、彩葉の部屋である。

 

 開けた窓からは生ぬるい風が入り、レースのカーテンを申し訳程度に揺らしている。扇風機は首を振るたびに、畳んだ洗濯物と、開いた参考書と、三人分の麦茶へ順番に風を送っていた。

 

 座布団へ腰を下ろした彩葉の正面には、雅治。ただし、普通に座っているわけではない。薄いラグの上できっちり正座し、その太腿には小さなちゃぶ台が載せられていた。

 

 古典から逃げようとした者へ、かぐやが用意した移動式の勉強机兼反省台である。上には古典のプリントと筆記用具。端には「国語だから」という理由だけで追加された国語辞典まで鎮座していた。彩葉は命じていない。だが、止めてもいない。

 

 その横、敷きっぱなしの布団の上には、かぐや。

 

 かぐやは枕へ顎を載せ、右へごろり、左へごろりと転がりながら、二人の勉強会を眺めている。手にはスマホ。画面を触っているわけでもないのに、なぜか握りしめたまま離そうとしない。

 

 怪しい。

 とても怪しい。

 

 けれど今は、目の前の男の方が先だった。

 

 彩葉の英語の課題は、つい先ほど終わった。

 

 会話文の下には雅治が引いた線と、短い書き込みがいくつも残っている。直訳よりも相手との距離を見ること。返事の意味だけではなく、どんな温度で言っているかを拾うこと。

 

 前にも似たようなことを教わった。

 

 あの頃より説明は少し短くなり、彩葉が聞き返す回数も減った。互いに、相手がどこで引っかかるかを覚えてきたからだろう。

 

 そして今度は交代して、雅治の古典。

 

   のはずだった。

 

「古典は最後でいい」

 

「今が最後でしょ」

 

「まだ昼過ぎなんだが」

 

「時間帯の話でもありません」

 

 赤いペンで教科書を押しやると、雅治は露骨に嫌そうな顔をした。

 

 露骨、といっても眉間へわずかに皺が寄っただけだ。

 

 けれど、この二ヶ月の間、表情の変化が小さい雅治を見慣れてきた彩葉には、それで十分だった。

 

「そんな顔しない」

 

「していない」

 

「してるでしょ」

 

「いつもの顔だ」

 

「古典を開いた時だけ、アンタの顔が一段険しくなるのよ」

 

 雅治は反論の代わりに麦茶を飲んだ。

 

 逃げたな。

 

 この男、会話の途中で堂々と逃げた。

 

「雅治、古典に負けたの?」

 

 布団の上から、かぐやが尋ねる。

 

「負けてはいない。戦略的に距離を取っているだけだ」

 

「それ、前にも聞いたけど」

 

「同じ状況なら、同じ判断になることもある」

 

「同じ言い訳になることもある、でしょ」

 

 彩葉が言うと、雅治はまた麦茶へ手を伸ばしかけた  のだが

 

 その前に、湯呑みを取り上げられた。

 

 空を掴んだ大きな手が、行き場を失って止まった。

 

「飲み物を取り上げるのは横暴では?」

 

「話が終わったら返します」

 

「話し合いをするにも喉が渇いては会話もできない。水分は必要だ」

 

「都合が悪くなるたびに飲んでるだけでしょ」

 

「水分補給のタイミングまで把握されるとは……」

 

「昨日今日の付き合いじゃないんだから分かるの」

 

 言ってから、彩葉は一瞬だけ止まった。

 

 昨日今日の付き合いではない。

 

 その通りだ。

 

 あの日、月から落ちてきた赤ん坊を挟み、二人で寝不足のまま向かい合った頃から、もう随分と時間が経っている。

 

 互いに一番得意の科目である英語と古典を教え合ったことも。

 かぐやの成長に二人して頭を抱えたことも。

 配信を始め、正体を隠し、隠せなくなり、京都まで行って竹取合戦などという大騒ぎをしたことも。

 

 全部、昨日今日ではない。

 

 そう思うと不思議だった。

 

 一週間前まで、雅治がこの部屋にいないことばかりが気にかかっていた。何をしていても、畳の上に空いた場所が視界の端へ入った。

 

 今は、その場所に本人が座っている。

 

 少し近すぎるくらいに。

 

「……何だ」

 

「別に」

 

「人の顔を見ていたのは彩葉だろ」

 

「ちゃんと帰ってきたなって思っただけ」

 

 雅治が黙った。

 

 今度は、いつものように即座に理屈を返してこない。

 

 目が合ったまま、ほんの少しだけ間が空いた。

 

 それだけで、なぜか彩葉の方が落ち着かなくなる。

 

「……なによ」

 

「いや」

 

「言いたいことがあるなら言いなさいよ」

 

「帰ってきたな、と」

 

「それ、今私が言ったばかりじゃん」

 

「そうだな」

 

 雅治の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。

 

 本当に、ほんの少し。

  けれど彩葉には見えた。

 

 見えてしまった。

 

 まるで、この部屋へ帰ってきたと言われたことが嬉しいみたいな顔だった。

 

 それを見て、彩葉の顔も少しだけやわらいだ。

 

 どうしてそこで、そんな顔をするのか。

 どうして自分も、少し嬉しくなってしまうのか。

 

 よく分からない。

 

 分からないので、彩葉は取り上げた湯呑みを雅治の前へ戻した。

 

「おかえり」

 

 視線は、合わせなかった。

 

「ただいま」

 

 返事はすぐに返ってきた。

 

 その二言だけで、部屋の中に残っていた一週間分の空白が、少しだけ小さくなった気がした。

 

 扇風機が、ぶうん、と首を振る。

 

 氷が、からんと鳴る。

 

 布団の上では、かぐやが枕へ顔を半分埋めたまま、にへらと笑っていた。

 

 彩葉が見る。

 

 かぐやは反対側へ転がった。

 

「それで」

 

 彩葉は赤いペンを持ち直した。

 

 まだ終わっていない。

 

「京都にいらっしゃるお父さんは?」

 

「検査と治療へ入るための手配は進んでいる。叔父さんにも確認した」

 

「本人とも、ちゃんと話した?」

 

「必要なことは」

 

「必要なこと以外は?」

 

「天気と、今年の暑さについて」

 

「……それだけ?」

 

「茶も飲んださ」

 

「会話の内容を聞いてるの」

 

「父の淹れた茶が以前より薄くなっていた」

 

「感想を聞いてるんでもない」

 

「では、何を聞いているんだ」

 

「ちゃんと話せたのかって聞いてるの」

 

 雅治は少し考えた。

 

「毎日、同じ急須から茶を飲める程度には」

 

 それは、長い説明ではなかった。

 

 けれど彩葉には、それで十分だった。

 

 何を話したのか、すべてを聞くつもりはない。話したくないことまで引きずり出すつもりもなかった。

 

 昔の雅治なら、同じ部屋へ入ることすら拒んだのだろう。

 

 同じ急須から注いだ茶を、向かい合って飲めた。

 

 それだけで、何かが少しずつ変わっている。

 

「そっか」

 

「ああ」

 

「ホテルにはちゃんと戻ってた?」

 

「戻っていたさ」

 

「ご飯は?」

 

「食べたとも」

 

「睡眠」

 

「疲れない程度には」

 

「一日何時間」

 

「日による」

 

「平均」

 

「五時間弱」

 

「平均よりも取ってないじゃない」

 

「君よりは多いかな」

 

「ア"ァ"?」

 

 しゃあっ

 

 しゃあっ

 

 しゃあっ

 

 どこからともなく、刃物を研ぐような音が流れ始めた。

 

 彩葉が横を見る。

 

 布団の上で、かぐやがスマホの音量を最小にし、枕の陰へ隠していた。

 

「かぐや」

 

「はい」

 

「何を流してるの」

 

「包丁を研ぐ音ー」

 

「なんで?」

 

「雰囲気に合うかなって」

 

「止めなさい」

 

「はい」

 

 音が止まった。

 

 かぐやはスマホを胸へ抱え、何事もなかったように、また右へごろり。左へごろり。

 

「なぜ俺まで睨まれる」

 

「元はといえば雅治のせいでしょ」

 

「俺は音響に関与していない」

 

「五時間しか寝てないことの話」

 

「五時間弱だ」

 

「口答えしない」

 

「正確性は大事だろ」

 

「今度から五時間以下なら叔父さんに連絡するから」

 

「なぜそこで叔父さんが出てくる」

 

「私の言うことを聞かないからだけど?」

 

「叔父さんなら聞くとでも?」

 

「聞くでしょ」

 

「……否定できない」

 

「でしょ」

 

 雅治がわずかに肩を落とした。

 

 ようやく一本取れた気がして、彩葉は少しだけ胸を張る。

 

 すると、布団の上から、かぐやがにこにことこちらを見ていた。

 

「何よ」

 

「彩葉、雅治のこといっぱい知ってるね」

 

「そりゃあ、これだけ一緒にいたら分かるでしょ」

 

「ふーん」

 

「その顔やめて」

 

「なんにも言ってないよ?」

 

「言ってなくても分かるの」

 

「彩葉、かぐやのこともいっぱい分かるねぇ」

 

「それは当然」

 

「じゃあ雅治のも当然?」

 

「当然……」

 

 当然。

 

 たぶん。

 

 そういうことにしておく。

 

「ほら、勉強に戻るよ」

 

 彩葉は話を打ち切り、ちゃぶ台の上へ散らばった課題を科目ごとに分け始めた。

 

 数学。

 物理。

 化学。

 生物。

 歴史。

 英語。

 現代文。

 

 最後に、古典。

 

 並べてみると、おかしさは一目で分かった。

 

 古典以外のプリントには、隙間なく答えが埋まっている。計算の途中式も、記述問題も、提出日の欄まできっちり書かれていた。

 

 一方、古典だけは綺麗なものだった。

 

 白い。

 雪原のような真っ白。

 人類がまだ一歩も踏み入れていない未開の地である。

 

 いや。

 

 ただ放置されているだけだ。

 

「数学は?」

 

「貰ってすぐ」

 

「物理」

 

「同じく」

 

「化学」

 

「これも二日目には」

 

「生物」

 

「四日目には終わったな」

 

「歴史」

 

「今すぐ発表も提出もできる」

 

「英語」

 

「言うまでもないな」

 

「現代文」

 

「見れば分かるだろ」

 

「古典」

 

「最後でいい」

 

「最初に戻ったじゃない」

 

 彩葉は額へ手を当てた。

 

 宿題を忘れたわけではない。

 

 京都で忙しくて手を付けられなかったわけでもない。

 

 雅治は、ほとんど全部を終わらせている。

 

 そのうえで、古典だけを綺麗に残していた。

 

「一応、確認するけど」

 

「何だ」

 

「古典が分からないわけじゃないよね?」

 

「理解はできる」

 

「授業にもついてきてる?」

 

「当然だ」

 

「じゃあ、これ」

 

 彩葉はプリントの一文を指した。

 

「ここの『けり』は?」

 

「詠嘆。直前まで認識していなかった事実へ気づいた文脈だから、単純な過去では取らない」

 

 答えは即座に返ってきた。

 

 しかも、正しい。

 

「できるじゃない」

 

「理解はできると言った筈」

 

「なら、なんで書いてないのよ」

 

「古典だからだ」

 

「説明になってない」

 

「俺の中では十分な理由になる」

 

 雅治は教科書へ視線を落とした。

 

 ページを開く指が、一瞬だけ止まる。

 

 その止まり方を、彩葉は見覚えがあった。

 

 書道。

 百人一首。

 古武術に、合気道。そのほか、橘家の子どもとして身につけるよう強いられた、たくさんのもの。

 

 以前、この部屋で今と同じように向かい合い、それらについて語った時もそうだった。

 

 口調は軽い。

 けれど、それらを口にした時だけ、雅治の表情と指先は少し険しくなっていた。

 

 古典の内容が理解できないわけではない。

 

 ただ、そこから引っ張り出される記憶まで含めて、雅治の頭は関連項目としてまとめて拒否する。

 

 だから彩葉も、そこへ無理には踏み込まない。

 

「嫌なのは分かるよ」

 

「なら」

 

「でも、やらなくていい理由にはならない」

 

「厳しいな」

 

「嫌なこと全部から逃げろとは言わない。逃げた方がいいものもあるし、逃げてもいい時もある。でも、これは夏休みのプリントでしょ」

 

「プリント一枚に、橘家千年の怨念が染みついている可能性は?」

 

「ない」

 

「調査はしたのか」

 

「いま私がしたと言ったら?」

 

「早いな」

 

「見たら分かるもの」

 

 また、雅治の口元が少しだけ緩んだ。

 

「何笑ってるの」

 

「いや」

 

「今日それ何回目?」

 

「ここへ戻ってから、よく分からないが気が緩んでいるらしい」

 

「……疲れてる?」

 

「そういう意味じゃない」

 

 雅治は、ちゃぶ台の上へ目を落とした。

 

 彩葉の英語と、雅治の古典。

 

 二人分のノート。

 

 かぐやが途中まで食べて放置した菓子の袋。

 

 それぞれの手元に置かれた、三人分の麦茶。

 

「この三人でいるのが、思っていた以上に心地よかったらしい」

 

 あまりにも真っ直ぐに言うものだから、彩葉は返事を忘れた。

 

 雅治はそういう時がある。

 

 普段は言葉を選び、理屈を並べ、どこまで見せるかをきっちり分けるくせに、ときどき何の前触れもなく、本心だけを置いてくる。

 

 受け取る方の準備など、まるで考えずに。

 

「……そう」

 

 ようやく、それだけ返した。

 

 胸の奥が、少しだけむず痒い。

 

 嬉しい、のだと思う。

 

 かぐやがいる。

 雅治がいる。

 私がいる。

 

 ただそれだけのことを、この男も心地いいと思っていた。

 

 それが、嬉しい。

 それ以上の意味は、きっとない。

 

 たぶん。

 

「でも」

 

 彩葉は、もう一度古典のプリントを叩いた。

 

「心地いいのと、古典だけ白紙なのは別問題」

 

「そこへ戻るのか」

 

「戻ります」

 

「せっかく綺麗にまとまったのに」

 

「勝手に終わらせないで」

 

 布団の上から、ぷふ、と息の漏れる音がした。

 

 かぐやが笑いを堪えている。

 

 彩葉が睨むと、枕へ顔を埋めた。

 

「それに、心地よくて気が緩んだっていうのもおかしいのよ」

 

「なぜ」

 

「ほかの課題は全部終わってるから」

 

「……」

 

「京都にいく前に、古典以外は全部やったんでしょ」

 

「時間は有効に使うべきだからな」

 

「古典に使う時間だけは?」

 

「戦略的保留ということで」

 

「誰かさんに教えてもらえると思って?」

 

「得意な人間の知識を借りるのは合理的な判断だ」

 

「その誰かさんの英語を教える準備までして?」

 

 雅治が黙った。

 

 彩葉は、先ほどまで使っていた英語のノートを持ち上げる。

 

 雅治が用意してきた付箋。

 彩葉が間違えやすい言い回しだけを抜き出した例文。

 

 海外の動画で実際に使われていた言葉と、教科書の表現との差まで、簡単にまとめられている。

 

 昨日今日で作れる量ではなかった。

 

「ずいぶん準備がいいよね」

 

「教える以上、中途半端にはできない」

 

「古典を教えてもらう予定は、いつ決まったの?」

 

「……」

 

「私、雅治が帰ってくるまで、今日勉強会をするなんて一言も言ってないけど」

 

「帰京後の予定を聞かれた時、課題もせねばと思っただけだ」

 

「いつ、どこで、何も決まらなかったのに?」

 

「彩葉の部屋が最も適していると判断した」

 

「誰が?」

 

「俺が」

 

「私の許可は?」

 

「事後ならば」

 

「来てからね」

 

「結果としては成立している」

 

「それで、古典だけ残してきたの?」

 

「……」

 

「私に教えてもらうために?」

 

 雅治は答えなかった。

 

 普段なら、どれほど苦しくても何かしらの理屈を返してくる。

 

 けれど今は黙っている。

 

 耳の先だけが、ほんの少し赤かった。

 

 それを見つけた瞬間、彩葉の胸が妙に跳ねた。

 

 なぜ赤くなるのか。

 ただ勉強を教えてもらいたかっただけではないのか。

 

 この部屋で。

 

 二人で   いや、かぐやもいるから三人で。

 

 英語と古典を教え合いたかった。

 

 それだけの話だ。

 それだけの、はずなのに。

 

 どくん。

 

 もう一度、胸の奥で音がする。

 

 彩葉は誤魔化すように赤いペンを握り直した。

 

「雅治」

 

「何だ」

 

「こっち見て」

 

「今、古典と向き合っている」

 

「さっきまで逃げてたくせに」

 

 雅治は動かない。

 

 不自然なほど真剣な顔で、古典の教科書を見つめている。

 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴ……

 

 どこかで聞いたことのある、劇画じみた不穏な音が流れ始めた。

 

 彩葉が横を見る。

 

 かぐやは布団の上で仰向けになり、スマホを腹の上へ置いていた。視線だけは天井へ向け、何もしていない顔を装っている。

 

「かぐや」

 

「かぐやじゃないよ」

 

「じゃあ、そのお腹の上で光ってるスマホは何?」

 

「知らないスマホです」

 

「音、止めて」

 

「はい」

 

 かぐやが音量を一つ下げた。

 

 ゴゴゴゴゴゴ……

 

「止まってない」

 

「静かにはなったよ?」

 

「止めなさい」

 

「はぁい」

 

 今度こそ音が止まる。

 

 部屋に、扇風機の回る音だけが残った。

 

 雅治はまだ教科書を見ている。

 

 彩葉は息を吸った。

 

 なぜ自分まで緊張しているのか、分からない。

 

 ただ、ここで曖昧にしたまま終わらせるのは、もっと嫌だった。

 

「もう一回だけ聞くね」

 

「……ああ」

 

「古典だけを残して、英語を教える準備をして、帰ってきた次の日に私の部屋へ来たのは」

 

 一つずつ。

 

 逃げ道を塞ぐように並べていく。

 

「私と勉強会をするため?」

 

 雅治が、ゆっくりと顔を上げた。

 

 目が合う。

 

 今度は、どちらも逸らさなかった。

 

 ほんの数秒。

 けれど、やけに長い。

 

 雅治の口が、わずかに開く。

 

「それは  

 

 言葉が出る、その一歩手前。

 

「で、質問を変えるけど」

 

「……」

 

 答えを待たず、彩葉は赤いペンを持ち直した。

 

 聞いたのは自分なのに、続きを聞くのが急に怖くなったわけではない。

 

 ただ、心の準備が少しばかり足りなかっただけだ。

 

 だから、これは逃げではない。

 戦略的保留である。

 

 雅治は何かを言いかけて、やめた。

 

 その代わりに、ほんの少しだけ残念そうな顔をした。

 

 たぶん。

 

 この二ヶ月で雅治の表情を読むことには慣れたつもりだけれど、今のは自信がない。

 

 というより、当たっていても困る。

 

 彩葉は一度だけ咳払いをした。

 

 そこから始まるは、答えを知ったうえでの誘導尋問。

 

 アメもなければニンジンもない。

 

 ただの取り調べ(ムチ)でしかあらず。

 

「アレ、何だったの?」

 

「アレとは?」

 

「惚けても無駄だから。あの時、私のお兄ちゃんの、その……お、お尻の下  じゃなくて、足元から急に現れて、そのままドリルを突き上げようとしたことよ」

 

 言い切った。

 言わされた。

 

 自分の兄とお尻とドリルを、同じ文章の中へ入れたくなかった。

 

「彩葉がやっとの思いで消した火種へ、もう一度火をつけた輩に対する正当な処置だったと思うが」

 

「だからって普通、人の足元に潜んで暗殺を仕掛けたりしないでしょうがぁ!?」

 

「殺してはいない」

 

「未遂ならいいって話でもないのよ!」

 

 雅治は黙った。

 

 正論に屈した顔ではない。

 

 これ以上の反論は得策ではない、と判断した顔だった。

 

 そういうところだけは本当に賢い。

 

 彩葉は、その隣へ顔を向けた。

 

 布団の上では、かぐやが枕を抱えて丸くなっている。

 

 先ほどまでスマホで不穏な効果音を流していたくせに、今はすっかり無関係を装っていた。

 

「……かぐやも、何か知ってるよね?」

 

 ぴくり。

 

 枕から、黄色の頭が半分だけ上がった。

 

「提案は雅治だよ!」

 

 いともたやすく行われる裏切り行為。

 

 雅治が珍しく目を半分ほど見開き、かぐやへ顔を向けた。

 

「合図したのは、かぐやだろう」

 

「かぐやは助っ人を呼んだだけだよ! 帝のお尻の下から出てくるドリル兵器を呼んだ覚えはないよ!」

 

「呼び出し文句は『来い、ガンダァァァァァム!』と決めたのもかぐやだったな」

 

「あれはただののりだったから! ってかモノマネ上手っ」

 

「指まで鳴らしたのにか?」

 

「カッコつけただけ!」

 

「てっきり排除(デリート)であるかと」

 

「勝手に察して人のお尻へドリルする普通!?」

 

「俺は要請に従って投入された戦力だ。責任を問うなら指揮官へ問うべきだろう」

 

「勝手にドリル生やしてる兵器が一番怖いんだよ!」

 

追加(DLC)装備だが?」

 

「追加すんな!」

 

 とん

 

 彩葉の赤いペンが、ちゃぶ台を叩いた。

 

 かぐやの肩が跳ねる。

 

「で、でも、かぐやはまだ赤ちゃんだよ? 生まれて二ヶ月だよ? 責任能力とかないよ??」

 

「急に乳児へ戻るな」

 

「ばぶー。かぐや、むずかしいこと何にも分かんなーい」

 

 かぐやは布団の上で手足を縮め、無垢な赤子の顔を作った。

 

「プログラムを操作してツクヨミのカスタムルームへ侵入するルートを作る乳児がいるか」

 

「最近の赤ちゃんはスマホくらい使えるもん!」

 

「他人の配信へ不正侵入はしない」

 

「成長が早い赤ちゃんなの!」

 

「ならば責任能力も育てたらどうだ?」

 

「そこだけ都合よく成長を求めないで!?」

 

「では、保護者の同意を得たのか」

 

「……」

 

 かぐやが、そっと彩葉を見る。

 

「そうなると、監督責任は  

 

 雅治が彩葉を見る。

 

 かぐやも見る。

 

 彩葉も二人を見ていた。

 

「……」

 

「……」

 

「今のなーし」

 

「賢明だ」

 

「雅治が言い出したんでしょ!」

 

「もう二人とも喋らないで」

 

 二人は黙った。

 

 そして、目が合う。

 

 瞬きの長短。

 瞳の動く向き。

 

 ついでに瞳孔の開き方。

 

 それだけでモールス信号をやり取りする馬鹿が二人。

 

   やっべー(パチ)マジで、どうしよう(パチパチ、パチー)

 

   召喚者は君だ(パチー)このまま一人で罪を被ってくれ(パチ、パチパチ、パチー)

 

 雅治の瞬きが、そこで一度止まる。

 

   そのあと俺は、彩葉と二人きりのデート(パチパチ、パチー)――もとい、勉強会を続ける(パチ、パチパチ)

 

   雅治だけお家デート続ける気でしょ!?(パチパチパチパチパチパチ)

 

 ここだけ、明らかに瞬きが速かった。

 

   侵入するためのツールを送ってきたの(パチー、パチパチ、パチー)雅治じゃん!(パチ)

 

   それを使った時点で、君も後戻りはできまい(パチ、パチー、パチ、パチーパチ)

 

   このままお迎えが来てもいいの!?(パチパチパチパチ) 月へ行く前に天国へ行っちゃうよ!?(パチー、パチパチパチ)

 

「……おしゃべりは終わり?」

 

 音を出した覚えはないのに、二人の視線がぴたりと止まった

 

 彩葉は笑っていた。

 口元だけは。

 

「じゃー、そろそろ懺悔の用意は出来たかなぁ?」

 

「「(やっべぇ。マジで怒ってらっしゃる)」」

 

 これは、雅治とかぐやの名前の前に、新たな称号《R.I.P.》が付与されそうな雰囲気。

 

 しかしその瞬間、雅治の右手が、そっとちゃぶ台の縁へ添えられる。

 

 彩葉は嫌な予感がした。

 

「ちょっと待って」

 

 雅治とかぐやの目が合う。

 

 今度は、信号すら要らなかった。

 

「かぐや!」

 

「ほいさー!」

 

 合図と同時に、かぐやが布団から跳ね起きた。

 

 国語辞典とプリントをまとめて抱え、ちゃぶ台の上を空にする。雅治は空いたちゃぶ台を床へ戻し、正座から一息に立ち上がった。

 

 そこへ、かぐやが飛びつく。

 

 背中へドッキング。

 

 両腕を雅治の肩へ回し、両脚を腰へ絡めて固定する。

 

 愛と勇気と絆の合体、シらぬイ・ムーンサルト

 

 あまりにも迷いのない、しかし下らなさの極致のような連携だった。

 

 ズタタタッ スターッ!

 

「え、いや、は  はァ!?」

 

 彩葉が立ち上がった時には、もう遅い。

 

 雅治はかぐやを背負ったまま部屋を横切り、窓際へいつの間にか揃えてあったサンダルへ、片足ずつ滑り込ませた。

 

 戦隊ロボにはお決まりの下駄履きと背中合体。

 

 そのまま窓を開け、外へ身を躍らせる。

 

「いや、ここ二階……」

 

 窓際には、あらかじめ用意された緊急脱出用のサンダル to かぐや。

 

 外壁のガス管には、見覚えのないネジとボルト、それを支える補強金具。

 

 家主への申請、認可済み。

 部屋主への相談、あると思いで?

 

 雅治はガス管を滑り棒代わりにして一階まで降りると、着地の勢いを殺さないまま走り出した。

 

 背中には、かぐや。されどもまるで重さを感じない。

 その身のこなしは、某映画のヒーローみたいにしなやかで、妙に速い。

 

 彩葉が窓から身を乗り出した頃には、二人はもう通りの向こう側にいた。そのまま次の角へ差しかかり、もう少しで背中まで見えなくなる。

 

 かぐやだけが、雅治の肩越しにこちらを向いて、大きく手を振っていた。

 

 さすがはシらぬイってか。

 

「かぐやー!」

 

 振っていた手が止まる。

 

「今日の夕方から荷造り始めるんだから、夕ご飯の前には帰ってきなさいよー!」

 

「はーい!」

 

 逃げている最中とは思えない、素直な返事だけが返ってきた。

 

「いや、ここ私の部屋なんだけど」

 

 女子高生の部屋の壁を、勝手に改造するな。

 

 しかも、本人より先に家主へ話を通すな。

 

 本当にもう。

 

「そういうとこ」

 

 呆れる。

 怒るべきだとも思う。

 次に帰ってきたら、今度こそ逃がさないとも思う。

 

 なのに、説教より先に帰る時間を言い渡してしまったのは何故かどうしてか。

 

 窓枠へ手をかけたまま、彩葉は少しだけ笑っていた。

 

 満更でもないのかもしれない。

 

 いや。

 

 いよいよ染まったんだな、私。




今日もお読みくださりありがとうございます!
さて、久しぶりの三人での日常回ということで書いてる僕もニッコリ ((´∀`))

最後にアンケートを開くと言いましたけども、前回の二十六話は戦闘よりも「ヤチヨから見た彩葉とかぐや」「ヤチヨの知る原作(輪廻の前)と本篇(輪廻の後)の違い」に焦点(スクープ)を当てた故にアクションや派手さなどが欠けていたのが気になったからです。
本篇の初期プロットではもっと派手で原作のようなスピーディーなゲームバトルって感じで書くつもりでしたけども、書いてる途中にヤチヨの視点にも力を入れたいなと思って急遽プロットの修正からの路線変更が前回となります。
一応、ボツになったり完成して投稿する原稿とは違う初案のものも全部保存してきたため、元の構成していたバトル増し益しの「竹取合戦」も当然残っております。
本篇の正史には含まれないとしても、それでも「番外」として読みたい!って方がいらっしゃれば元の位置となる前回第二十六話と今読まれた第二十七話の間に「26.5話」として挟むつもりです。

原作の設定資料集にあった設定を活かしたバトルがしたい!っていうノリと勢いで書いたものでもよろしければ。
僕はこれも書きたい!という意見ですけども、読まれる読者様方には本篇の雰囲気をぶち壊すかも知れないので。

何卒みなさんのご意見をお待ちしております。

ではまたの次回をお楽しみに!

本篇の第二十六話の初期原稿、幻の竹取合戦が見たい?    26.5話扱い

  • 見たい!今すぐに見たい!
  • まだいいかな?本篇完結してからは?
  • まだ大丈夫。それよりも次の話はよ。
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