今日も正常営業。ただし“そういうとこ”を添えてー   作:火力万能主義

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気付けば前回の投稿より二週間も経っていた件について。

みなさん、大変お待たせ致しました。
最近いろいろと現実のことも重なってスランプが強めに来ていましたのを、なんとか無事に乗り越えることができました。
構想自体は先週の月曜当たりに終わっていたけども、新たに発表されたGPT6のためしや挿絵の自己生産に目を取られてあまりしばらく筆を休んでいました。
タイトルに◇があるものには挿絵があるという意味です。
これから随時、過去に投稿した本篇らにも挿絵を足していくつもりです。

その代わりとはなんですが、できるだけボリューミでかつ美味しく書き上げられたと思います。
まだまだ及んでくださっている方々のおかげでまた書く力をいただきました、ありがとう!

ではさっそく本篇第二十八話です、どうぞ!





第二十八話◇ 引っ越しとご馳走と馬鹿二人

第二十八話 引っ越しとご馳走と馬鹿二人

 

 

 

 

「……こんなに広かったっけ」

 

 自分の声が、いつもより少し響いた。

 

 机がない。

 棚もない。

 さっきまで家具と段ボールで埋まっていた場所まで、今は床が見えている。

 

 いつものように、部屋の真ん中に立ってみる。

 

 いつもなら、かぐやの私物が何かしら足に当たるどころか、足を置く場所すらなかったのに。

 今は、靴下越しにフローリングの冷たさが届いた。

 

 初めての一人暮らしのために上京して、最初に入った部屋。

 

 初めての、私だけの空間。

 私だけに許された、母のいない場所。

 

 それが今は、何と呼べばいいのか分からない。

 

 すっきりしたような。

 少し、寂しいような。

 

 ただ、肩から荷物が下りたみたいに、胸の奥が少しだけ軽かった。

 

「彩葉ー!」

 

 かぐやが駆けてきた。

 腰の辺りへ抱きつかれ、彩葉は半歩よろける。

 

「ちょ、何」

 

「広ーい!」

 

「あなたが来たら狭くなったんだけど」

 

 見上げてくる顔は、にこにこしている。

 彩葉はその額を指先で軽く押し返した。 トン、と。

 

「ほら、まだ片づけるものあるでしょ」

 

「彩葉、そこの扉を押さえてくれ」

 

「はいはい  っ?」

 

 振り向いて、口を閉じた。

 

 冷蔵庫。 Refrigerator(れいぞうこ)

 私より少し背の低いそれが、雅治の腕の中で、今は私を見下ろしていた。

 

 その横から、雅治の顔が覗いている。

 

「……何してるの」

 

「見ての通りに運んでるが?」

 

「見れば分かるけどさ...」

 

 分かる。

 分かるのだが。

 

 昨夜、自分が両手で押してもろくに動かなかったものが、今は床から浮いていた。

 しかも雅治に、いとも簡単に、平然と持ち上げられたまま。

 

 これが筋肉の可能性?

 

「かぐや、離れて」

 

「おおお……!」

 

「感心してないで、はよこっち」

 

 腰に回っていた腕をほどき、かぐやを自分の後ろへ寄せる。

 扉を押さえると、雅治が少し身体を斜めにした。

 

 冷蔵庫の角が、目の前をゆっくり通り過ぎる。

 

「そこ、足とかぶつけないでよね」

 

「勿論」

 

「指も」

 

「見えてるさ」

 

 声だけは、いつも通り。

 

 彩葉の肩越しに、かぐやが顔を出す。

 

「すっごーい。ほんとに一人で持てるんだ」

 

 横へ回り込もうとしたところを、彩葉の手が捕まえた。

 

「だから前に出ないの」

 

「はーい」

 

 かぐやは素直に下がった。

 下がったところから、雅治の腕と脚を交互に眺める。

 

「ねえねぇ、雅治」

 

「何だ」

 

「そのままスクワットとかできる?」

 

「危険だから駄目だ」

「危ないから絶っ対にしないでよ?」

 

 二つの声が重なった。

 

 かぐやが瞬きをする。

 雅治と彩葉を、順番に見た。

 

「……まだお願いしてないよ?」

 

「聞いた時点で止めてるの」

 

「そっかぁ」

 

 納得した顔で頷く。

 その目が、まだ雅治の膝を見ていた。

 

「かぐや」

「まだ何も言ってないじゃん!」

 

 雅治の口元が少し緩んだ。

 

「笑ってないで、ちゃんと前見てよ」

 

「ああ」

 

 玄関を抜けた先で、業者の男性が声をかける。

 雅治はそちらへ頷き、冷蔵庫ごと階段の向こうへ消えていった。

 

 彩葉は扉から手を離す。

 振り返ると、かぐやがもう床へしゃがみ込んでいた。

 

「あっ!」

 

「今度は何?」

 

 小さな髪留めが、指先につままれている。

 

「いたー!」

 

「あ、それ。ずっと探してたやつ?」

 

「うん。こんなところにいたんだねえ」

 

 さっきまで棚のあった場所だった。

 かぐやは両手で包み、ほっとしたように笑う。

 

 彩葉も、少しだけ口元を緩めた。

 

「よかったじゃない。今度はなくさないでよ」

 

「大丈夫。一緒にお引っ越しするから!」

 

 髪留めがポケットへ入る。

 両手でぽんぽんと押さえてから、かぐやは隣へ膝をずらした。

 

「ほかにも誰かいないかなー」

 

「いたら全部拾って。あとで取りに来るとかできないからね」

 

「はーい」

 

 彩葉もしゃがみ、棚のあった場所を覗く。

 壁際に、ペンが一本転がっていた。

 

 これは、自分のだ。

 

 黙って拾ったところで、かぐやと目が合った。

 

「……何よ」

 

「今度はなくさないでね、彩葉」

 

 さっきのお返し。

 

 玄関から戻ってきた雅治が、二人の前で足を止める。

 

「何か見つかったか?」

 

「髪留め!」

 

「……ペン」

 

「そうか。こっちには靴下が片方あったぞ」

 

「あ、それもかぐやの!」

 

 雅治の指先で、小さな靴下が揺れていた。

 かぐやが両手を伸ばす。

 

「...なぜ玄関の上に?」

 

「あいきゃんふらい?」

 

 かぐやが、ちょっとだけ両腕を広げた。

 

「聞いてるのはこっちなんだが」

 

 雅治が入ってくると、彩葉は反射的に半歩よけた。

 

 広くなったはずの部屋なのに。

 三人でいると、結局いつものように、そこだけ狭い。

 

「……ほら、最後にもう一回。忘れ物がないか、ちゃんと見なさいよ」

 

 かぐやが押し入れを覗いて、 雅治が高いところを確かめる。

 私は窓の鍵を閉め、 いつも参考書を広げていた辺りへ目を落とした。

 

 何もない床を、かぐやの足音が横切った。

 

「彩葉、終わったー!」

 

「こっちも大丈夫だ」

 

 振り向く。

 玄関に、二人がいる。

 

「……うん。じゃあ、行こっか」

 

 靴を履く間にも、かぐやはもう新しい家の話を始めていた。

 上の部屋は自分で、下は彩葉で。台所はもっと広くて。友達も呼べて。

 

 もう何度も聞いた話。

 昨日から、たぶん十回くらい。

 

「分かったから、階段は前見て降りなさい」

 

 十一回目のそれを聞きながら、私は扉を閉めた。

 

 これまで、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ねえ」

 

「うん?」

 

「冷蔵庫って、ああやって運ぶものだったっけ」

 

 新居の玄関で、彩葉はかぐやに聞いた。

 答えを求める相手としては明らかに間違っていた。分かっていたが、隣にはこの子しかいなかったので仕方がない。

 

 養生された廊下を、冷蔵庫が進んでくる。

 白い、大きな冷蔵庫である。

 その下から雅治の脚が生えていた。

 

「……すみません、そこの角、こちらへ少しだけ」

 

「はい」

 

 業者の指示に合わせて、冷蔵庫が滑らかに向きを変えた。

 雅治の顔は見えない。けれど返事はいつもの声だった。重そうでも、苦しそうでもない。

 ただ両腕がふさがっている、という程度の声。

 

 運んでいるのは、冷蔵庫である。

 買い物袋ではない。

 

「お兄さん、こっち持ちますよ」

 

「大丈夫です。足元のシートだけ見ていただけますか」

 

「あ、はい……」

 

 頼まれた業者が、めくれかけた養生を直した。

 冷蔵庫は止まらない。

 

「すっごーい」

 

 かぐやが、純粋な感嘆の声を上げた。

 瞳がきらきらしている。

 

 彩葉はその横顔を見た瞬間、嫌な予感がした。

 

「ねえ雅治! それ持ったままスクワットとかできる?」

 

「危険だから駄目だ」

「危ないから絶っ対にしないでよ?」

 

 声が重なった。

 

 冷蔵庫の向こうと、玄関のこちら側で。

 見事なくらい、同じタイミングだった。

 

「できるか聞いただけじゃーん」

 

「聞いたあとに頼むだろう」

 

「だって、できるなら見たいし」

 

「ほら」

 

「ほら、じゃない。雅治もこっち見なくていいから、ちゃんと前見て運んでよね。怪我しちゃうし」

 

「了解した」

 

 まず間違いなく、この男ならやろうと思えばできるのだろう。だから困る。

 

 できない人に聞けば、できないで終わるのに。

 この男ならやりかねない。いや、絶対やらかす側。

 

「かぐや。廊下、空けて」

 

「はーい」

 

 かぐやは彩葉の隣へ戻り、冷蔵庫の通過を見守った。

 ものすごく残念そうだった。

 感動するところはそこまでにしてほしい。

 

 やがて所定の場所へ冷蔵庫が収まり、雅治が両手を離した。

 

 業者と短く確認を交わしてから、袖口を直す。

 

「次は何だ」

 

「ううん。さすがに何もかもを任せきりなのは私も悪いから。少し休みましょ」

 

「まだ運べるが」

 

「知ってる。知ってるから一回お茶飲んで休む。いい?雅治一人だけでやる必要はないんだからね」

 

 彩葉が差し出したペットボトルを、雅治は素直に受け取った。

 

 その背後で、かぐやが空になった廊下へ両腕を広げる。

 

「冷蔵庫が通っても、まだかぐやが通れる!」

 

「え?なんて?意味わかんないけど」

 

 あの日、不動産屋の前でかぐやが指差した物件は、実際に中へ入っても広かった。

 

 部屋の中に階段がある。

 前のアパートから持ってきたローテーブルや新しい家具らを置いても、台所の横を人が十分に通れるぐらいには。

 洗濯をしても、畳んだ選択物の置き場にも困らない。

 

 今さらそんなことに感動する自分もどうかと思うが、ありがたいものはありがたい。

 兄が保証人を引き受けてくれたおかげで、書類の上にしかなかった部屋へ、本当に自分たちの荷物が入っている。

 

 その書類の家賃欄は、できるだけ思い出さないことにした。

 今日はもう、見るべき数字が多い。

 段ボールの数とか。

 かぐやが階段を往復する回数とか。

 

「彩葉ー! やっぱり上、かぐやの部屋!」

 

「さっきから何回決めてるのよ」

 

「何回決めても嬉しいのは嬉しいんだから!」

 

 階段の上から金色の頭がのぞく。

 

 すぐに引っ込み、足音が遠ざかる。

 今度は、別の扉が開いた。

 

「ここ、雅治の部屋にしよう!」

 

 お茶を飲んでいた雅治の手が止まった。

 彩葉は伝票から目を上げる。

 

「しません」

 

「えー! まだ何も置いてないじゃん!」

 

「これから置くの。機材とか」

 

「雅治も置けるよ?」

 

「人を家具みたいに言うな」

 

 雅治が口を挟むと、かぐやはぱたぱたと階段を下りてきた。

 今度はこちらを説得するつもりらしい。

 

「だってさぁ、部屋あるし。雅治もいつも来るし。帰って、また来るの、二度手間じゃない?」

 

「通うこと自体は手間ではないな。むしろ丁度いいぐらいのランニングにはなる」

 

「ご飯もここで食べるじゃん」

 

「毎食というわけではないがね」

 

「じゃあ毎食ここで食べよう!」

 

「解決方法が全部同じなのよ」

 

 彩葉はため息をついて、手に持っていた紙を机へ置いた。

 

「あのね。保護者にもちゃんと話をしてないのに、未成年の男女がいきなり一緒に住み始めるのは、さすがにまずいでしょ」

 

「三人だよ?」

 

「人数の問題じゃない」

 

「かぐやもいるのに?」

 

「いるから全部大丈夫になるわけじゃないの」

 

 かぐやは納得できない顔で雅治を見た。

 助けを求めている。

 先ほどまで彩葉と一緒に自分の無茶を止めていた相手だということは、もう忘れたらしい。

 

「雅治ぅ」

 

「俺も彩葉と同意見だ」

 

「ぶー」

 

 頬がふくらんだ。

 左右、均等に。    かわいい

 

 正しい判断だ。

 少なくとも、今この場で決めることではない。

 雅治もそう思っている。

 

 思っているのだが。

 

(……段階を飛ばすどころか、結果だけ先に経験して、今さら順序を遡っている気もするが)

 

 かぐやを拾った夜から、三日。

 

 同じ部屋で夜を越し、赤ん坊を抱き、食事を用意し、夜泣きに起こされ、互いに寝るよう言い合った。

 

 共同育児である。

 その後も買い出し、留守番、看病ときて、最近では勉強会。

 

 少なくとも自分の中では、半分ほどお家デートのつもりで参加していた勉強会。

 

 それから、思い返すたびに少々居心地が悪くなる、自分の発言の数々。

 

 順番。

 順番とは。

 

 交際もしていない相手と、育児の役割分担だけ先に済ませた高校生が、今さらどの段階を守っているのだろう。

 いや、守るべきものは守る。

 そこを雑にしていい理由にはならない。

 

 ならないのだが、彩葉と同じ家で朝を迎え、かぐやを起こし、三人でご飯を食べる生活を想像してみると。

 

(……普通に、ご褒美だな)

 

 損がない。

 感情面に限れば、断る理由がどこにもない。

 

 まずいのはたぶん、そういうところである。

 

「雅治」

 

「ああ」

 

「何その顔」

 

「どんな顔だ」

 

「何か良からぬことを考えてる顔」

 

 彩葉が、じーっとこちらを見ていた。

 

 随分と広い疑い方。

 しかも当たっている。

 

「次に運ぶ箱を考えていただけだ」

 

「今全部運び終わったでしょ」

 

「……開ける方だ」

 

「言い直したわね、今」

 

 かぐやがにやりと笑う。

 

 雅治は視線でそれを制した。

 

 ちょっと待て。

 その顔は何だ。

 

「じゃあ、かぐやの箱開けて!」

 

 かぐやは何事もなかったように言い、段ボールを一つ引っ張ってきた。

 妙に素直だった。

 今思えば、その時点で警戒するべきだったのかもしれない。

 

 もっとも、箱を開ける前に、その中身を置く場所が必要だった。

 

 最初に場所を決めたのは、買い足したものではなく、前のアパートから持ってきたものだった。

 

 角の塗装が少し剥げたローテーブル。

 引き出しの取っ手を何度か締め直した、小さなチェスト。

 前の部屋で、夜には壁際へ寄せ、朝にはまた戻してきた机。

 丸められた布団。

 

「これも新しいのにしないの?」

 

 かぐやが、棚の取っ手をそっと撫でた。

 

「まだ使えるでしょ。取っ手も直したばっかりだし」

 

「でも、おうち、ぴかぴかだよ?」

 

「新しい家に来たからって、使えるものを捨てる理由にはならないわよ」

 

 彩葉は、テーブルの天板に残った細い傷を指でなぞった。

 時には食卓。時にはかぐやのPCを置くために使っていたもの。

 

 何度も持ち上げ、何度も戻したもののだ。

 

「一緒にお引っ越ししてきたんだし」

 

「うん!」

 

 かぐやは嬉しそうに頷き、ローテーブルへ両手を置いた。

 

「じゃあ、この子は窓のそば!」

 

「窓は開くようにしておけよ」

 

「じゃあ、ちょっとだけ横!」

 

「ちょっとで済んだらいいわね」

 

 かぐやが場所を決め、雅治が家具を動かし、彩葉が生活できるかを確認する。

 ときどき順番が前後して、動かした家具を戻す。

 

 小さな棚は壁際へ。布団は二階へ。

 そのあとでようやく、配信用の机が壁際へ収まった。

 

 雅治はそのまま背面へ回り、配信用の機材をつないでいく。

 床へ垂れていたケーブルがまとめられ、足元から消えた。

 

「おおー。すっきり!」

 

「ここは踏まない方がいい。あと、こっちを抜くと配信が止まるからな」

 

「つまり命綱!」

 

「まあ、おおむねそうだな」

 

「かぐや、守る!」

 

「まずその手を離して」

 

 彩葉の指摘で、かぐやは握っていたケーブルをそっと置いた。

 

 守る側から、最初の脅威が出る。

 よくあることである。

 

「これで一通りつながった。あとは箱から必要なものを出してくれ」

 

「じゃーん!」

 

 かぐやが、先ほどの段ボールを押し出した。

 箱の側面には、太いペンで『かぐや』と書いてある。

 その下に、小さく()()()()()

 

 先手を打たれていた。

 

「……まず中を見るぞ」

 

 雅治が封を開くと、いちばん上に丸められた袋が入っていた。

 袋の中には、別の袋。

 その奥から、片耳の取れた飾りと、空の菓子箱と、手のひらほどの石像が現れた。

 

「かぐや」

 

「なぁに?」

 

「これは」

 

「トルハルバン!」

 

「名前ではなく、なぜここにあるのか聞いているんだ」

 

「前からいたよ?」

 

 いた。

 確かにいた。

 いたのだが、新居へ移ってくることまで決定していたとは聞いていない。

 

 雅治は次の物を取り出した。

 空き箱だった。

 

「これに何を入れる」

 

「大事なもの!」

 

「今は?」

 

「これから入れる!」

 

 その次。

 短いリボン。

 

「これは何に使う」

 

「かわいい!」

 

「用途を聞いているんだが」

 

「かわいい時に使う!」

 

 雅治は黙った。

 

 なるほど。

 捨てる、という選択肢だけが巧妙に排除されている。

 

「昨日、持っていく物は選びなさいって言ったでしょ」

 

 別の箱から食器を出していた彩葉が、こちらへ顔を向けた。

 かぐやはすぐに胸を張る。

 

「選んだよ!」

 

「それで全部なの?」

 

「全部選んだ!」

 

「そういう意味じゃないのよ」

 

 雅治は一度箱の中を見て、それからかぐやを見た。

 

「さては、かぐや。俺が運ぶから、別に重くてもいいと思ったな」

 

「……雅治、力持ちだし」

 

「肯定か」

 

「すごく頼りにしてる!」

 

「褒めれば済む話ではない」

 

 そう言いながら、雅治は箱の底へ手を伸ばした。

 

 指が、硬いグリップに触れる。

 引き上げると、長い銃身とポンプが出てきた。

 見覚えのある、少々主張の強い水鉄砲。

 その下には、もっと見覚えのある四連装の発射装置が収まっていた。

 

「あ」

 

 かぐやが、小さく声を上げた。

 

「それ、気をつけてね」

 

 さっきまでとは違う声だった。

 ねだるでも、ごまかすでもない。ただ、両手を少し差し出して、取り出される物を見ている。

 

 『月光四連』

 

 かつて雅治が作り、かぐやが名前をつけた四連装水ロケットランチャー。

 肩へ当たるところには、使った時についた擦れがある。ほかの物とぶつからないよう、そこだけ古いタオルが挟まれていた。

 

「……まだ取っていたのか」

 

「そりゃー勿論取っとくよ?」

 

 かぐやは不思議そうに答えた。

 

だって、雅治が作ってくれたやつだもん!

 

 雅治の手が止まる。

 

「水鉄砲もね、ちゃんと使ってからはすぐに水抜いたし! 前に言ってたでしょ? しまう時はそのままにしないって」

 

「……ああ」

 

「見て。ここもちゃんとやったよ」

 

 かぐやが指差したところへ、雅治も目を落とす。

 それから、手に持った水鉄砲を少しだけ傾けた。

 汚れを確かめるように、掌で外側をなぞる。

 

「これなら、まだ使えるな」

 

「でしょ!」

 

「こいつは、立てかけると重心で倒れる。置くなら下の段にしておけ」

 

「じゃあ、ここ!」

 

「ああ。その方がいい」

 

 保存決定。

 ついでに置き場所まで決まった。

 処分担当(パパ)、陥落である。

 

「……でしょうね」

 

 彩葉は食器を棚へ収めながら呟いた。

 

 信じていた斧に足をやられた気分  には、別にならない。

 

 最初から、そんなに信用していなかったのだ。

 こういう時の雅治だけは。

 

 筋トレはさぼらせない。

 危ないことも止める。

 それなのに、こういうところは自分(わたし)よりも甘い。

 

 かぐやが大事にしていると分かった途端、捨てろと言えなくなる。

 

 パパはいつだって娘に弱いものなのだ。

 まだ十代の筈だが、そこはどうにもならないらしい。

 

「じゃあ、この箱も!」

 

「空き箱は畳め」

 

「こっちは?」

 

「袋も畳め」

 

「トルハルバンは?」

 

 雅治は石像を見た。

 石像も、雅治を見ていた。

 

「……邪魔にならないところへ」

 

「やったぁ!」

 

「今ので押せると思ったわね、アンタ」

 

 かぐやは聞こえないふりをして、石像を抱えていった。

 彩葉はもう一度ため息をつく。

 その横で、雅治は水鉄砲を丁寧に棚へ置いていた。

 

 やっぱり、甘い。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ってか、何よこれ」

 

 箱の底から最後に出てきたものを、彩葉は片手で持ち上げた。

 

 平たい。

 持ち手がある。

 先へ向かって広がっている。

 

 うちわ。

 いや、折り目があるから扇子だろうか。

 

 少し手首を返して、横から見てみる。

 

   違う。これ、ハリセンだわ

 

「あ、それも雅治がくれたやつ!」

 

 かぐやが、実に余計なことを教えてくれた。

 

 彩葉は目の前の物をもう一度見る。

 紙ではない。薄い金属が幾重にも折り重なり、縁は滑らかに整えられている。持ち手まで無駄にしっかりしていた。

 

 何に対して、そこまでしっかりさせる必要があったのか。

 聞きたくない。

 けれど、もっと聞かなければならないことがあった。

 

 黒。

 緑。

 折り目の合間に残った、()()()()()()()()

 

「……モン〇ター?」

 

「ああ」

 

 雅治が頷いた。

 普通に。

 何の問題もないみたいに。

 

「アルミ缶だ」

 

「見れば分かるけどさ。……これ、どこの?」

 

 聞いた瞬間、かぐやがにこにこしながら答えた。

 

彩葉の!

 

 沈黙。

 

 彩葉はハリセンを見た。

 

 雅治を見た。

 

 もう一度、ハリセンを見た。

 

 夜中。

 参考書。

 模試の過去問。

 

 あと少し、もう一問と自分へ言い聞かせながら、机の周りへ生やしていったモンスターエナジーの森。

 

 あれが。

 

「……捨てたんじゃ、なかったの」

 

「使えそうだったからな」

 

 回収。

 洗浄。

 切って、伸ばして、貼り合わせて。

 磨いて、重ねて、何層にも折りたたんで。

 

 資源ごみ、再武装。

 

 誰がそこまでやれと言った。

 

「心配するな。ちゃんと洗ってある。匂いも対策済みさ」

 

「そこじゃない」

 

「指が切れぬようにも磨いておいた」

 

「そこでもないの」

 

「かぐや、まだ使ってないよ! 大事に取ってたからね!」

 

「かぐやは今ちょっと黙ってて」

 

 顔が熱い。

 腹が立つのか、恥ずかしいのか、たぶん両方である。

 自分が飲み干した缶だ。

 勉強机の周りへ溜め込み、見られたくなかった暮らしの一部だ。

 

 それを同級生の男子が回収し、一つずつ洗って、手間をかけて。

 

 よりにもよって、その男子が。

 

 ……いや、そこは今考えなくていい。

 今は、目の前に証拠品がある。

 

 立派な。

 無駄に出来のいい。

 バトルハリセン(鉄扇)が。

 

「…………おいコラァまさはるぁ!!!!

 

 雅治が、わずかに肩を引いた。

 かぐやは石像を抱えたまま、そっと横へ逃げた。

 

 この件に関しては、言い訳のしようもない。

 

 雅治が全面的に悪いな、うん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 引っ越しの翌日、廊下の段ボールが半分になった。

 その翌日には、壁際へまとめられるくらいまで減った。

 そして、三日目。

 

「……また箱が来たんだけど」

 

 彩葉は玄関で、新しく届いた荷物を見下ろしていた。

 

 片づけた。

 片づけたはずだった。

 部屋を出ていった段ボールが、違う模様になって戻ってきている。

 

「それ、かぐやの!」

 

「でしょうね」

 

 もはや所有者の確認は必要なかった。

 

 新居に移ってからも、雅治はほとんど毎日顔を出していた。

 本人の住む部屋から、そう遠くないらしい。掃除を手伝い、料理を手伝い、配信用の機材に何かあれば呼ばれる。

 かぐやの配信にそのまま巻き込まれることもあった。

 

「ちょうどいいところに!」

 

「それを言われて、ちょうどよかった試しがないんだが」

 

 そう言いながら、結局は付き合う。

 いつものことである。

 

 ただし、夜になれば自分の部屋へ帰っていく。

 かぐやは不服そうにするものの、そこは変わらなかった。

 

 離れて作業のできる部屋は増えた。

 それでも、誰かがお茶を淹れると、いつの間にかリビングの椅子が三つ埋まる。

 かぐやの声につられて彩葉が顔を出し、そのまま座る。雅治は自分の分を持ってくるついでに、空いたコップを流しへ運ぶ。

 置き場所が変わった物と違って、こちらの収まりどころは大して変わらないらしかった。

 

 変わったのは、集まれる場所が増えたこと。

 そして、前よりもみんなで集まりやすくなったこと。

 

「はい、そこ。スマホを伏せる」

 

「うへーまだ何もしてないよ?」

 

「答えを調べようとしたでしょ」

 

「調べるのも勉強のうちだと思うんだけどなぁ」

 

 真実が往生際悪く言うと、向かいに座っていた彩葉が、にこりと笑った。

 

「模試の時も同じこと言う?」

 

「言わないです」

 

 伏せられるスマホ。

 代わりに渡されるシャープペンシル。

 

 広くなった部屋では、雅治、彩葉、真実、芦花の四人が教材を広げても、誰かの鞄を踏まずに済む。

 真実はそれを心から喜んだあと、広くなった分だけ教材まで増えたことへ抗議した。

 もちろん、受理はされなかったが。

 

「ここ、さっきと同じ式?」

 

 芦花がノートを雅治の方へ向ける。

 

「途中までは。ここの条件が一つ違うな」

 

「あ、そっか」

 

「そこを先に書いておけば、取り違えにくい」

 

 雅治が問題文の端を指で示す。

 隣では、彩葉が真実の計算を見ていた。

 

「ここのマイナス、どこ行ったの」

 

「夏のバカンスかな」

 

「今すぐ呼び戻して」

 

 紙をめくる音と、消しゴムを使う音。

 その合間に、上の部屋からかぐやの足音が聞こえてくる。

 

 かぐやはかぐやで、コラボライブに向けた準備に忙しかった。

 曲を確かめ、振り付けを繰り返し、分からないところでは彩葉を呼ぶ。ふらりと階下へ降りてきて全員のノートをのぞいたかと思えば、また何か思い出したように戻っていく。

 

「彩葉、あとでここのとこ見て!」

 

「分かった。真実のマイナスが帰ってきたらね」

 

「マミ、何なくしたの?」

 

「希望かな」

 

「符号でしょ」

 

 新しい家でも、会話の中身は大して変わらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「製麺機?」

 

「そう!」

 

 玄関に届いた箱の正体は、それだった。

 台所の作業台に置かれた銀色の道具を前に、かぐやが得意げに頷く。

 

「これでパスタ作れるんだよ!」

 

「買ってきたの茹でればよくない?」

 

「作りたいの!」

 

 迷いのない返事だった。

 

 横には小麦粉。

 卵。

 すでにエプロンを着たかぐや。

 

 購入の相談をする段階は、とっくに通り過ぎているらしい。

 

「……いくらしたの」

 

「えっとね」

 

 スマホに表示された金額を見て、彩葉は一度目を閉じた。 スーッ

 買えない額ではない。

 けれど自分なら、比較して、悩んで、何日か置いて、その間に買わない理由を二つか三つ思いつく。

 

「こういうのは、先に相談を  

 

「彩葉、こっち持って!」

 

「聞いてる?」

 

「生地、落ちちゃう!」

 

「まだ生地もできてないでしょ!」

 

 かぐやの両手には、粉の袋があった。

 袋の口が、少し危うい角度を向いている。

 彩葉は反射的にボウルを差し出した。

 

 さらさらと、小麦粉が落ちてくる。

 

「ありがと!」

 

 手伝ってしまった。

 開始三分で、こちら側にエプロンまで用意された。

 

「……いつ出したの、これ」

 

「二人で作った方が楽しいじゃん」

 

 かぐやはそう言って、空いた場所を軽く叩いた。

 隣へ来い、ということらしい。

 

 前の台所なら、一人立ったところへもう一人が近づくと、どちらかが身を引かなければならなかった。

 今は違う。

 かぐやが生地をまとめる横で、彩葉も手を動かせる。鍋とボウルを同時に置いても、まな板の場所が残る。

 

 ……便利。

 悔しいが、かなり便利だった。

 

「彩葉、ここ押してみて」

 

「こう?」

 

「そうそう。もっと、ぐーって」

 

 掌の下で、生地がゆっくりと形を変えた。

 粉っぽかったものがまとまり、指につく感触も変わっていく。

 横からかぐやの手が伸び、端を折り返す。

 

「上手ー!」

 

「これくらいできるって」

 

「じゃあ、もう一回!」

 

 褒められて、働かされる。

 引っ越しの日に雅治へ向けていた手口を、今度は自分が食らっていた。

 

 生地を休ませている間に台を片づけ、ソースの準備をする。

 それから、いよいよ製麺機の出番だった。

 

「彩葉、ハンドルお願い!」

 

「入れる方、ちゃんと見ててね」

 

 ハンドルを回すと、ローラーの向こうへ生地が吸い込まれた。

 少し薄くなって出てくる。

 かぐやが両手で受け止めた。

 

「おおお……!」

 

「そんなにびっくりする?」

 

「伸びたぁ!」

 

 もう一度通す。

 さらに長くなる。

 

「さらに伸びたぁ!」

 

「分かったから、台につけて。あと、持ち上げない」

 

「見て、彩葉より長くなりそう!」

 

「私と競わせないでよ、もう」

 

 隣に置いたスマホは、その一部始終を撮っていた。

 

 かぐやの手。

 彩葉の手。

 長くなりすぎた生地を前に、二人揃って少しだけ慌てるところまで。

 

 切りそろえた麺が湯の中へ入ると、かぐやはもう別の鍋へ向かっていた。

 

 トマトの赤に、炒めたにんにくの香りが重なる。

 

 台所が、ただ広いだけの場所ではなくなった。

 

「できたー!」

 

 皿へ盛られたパスタに、彩葉はフォークを差し入れた。

 いつもの乾麺より少し幅がある。くるりと巻くと、ソースがつやつやと表面を覆った。

 

 ひと口。

 

「……あ」

 

 噛んだところで、目が少し開いた。

 柔らかいのに、ちゃんとしたコシがある。そんでもってもちっとした麺がほどけて、卵と小麦の香りが鼻へ抜ける。

 トマトの酸味まで、ちょうどよかった。

 

「どう?」

 

 かぐやが、身を乗り出している。

 

「……これ、もうちょっと巻いても切れない?」

 

「切れないよ!」

 

 彩葉は、もう一度フォークを回した。

 さっきより少し多めに。

 

 製麺機の相談は、食後へ延期されたのである。

 ごっつあんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 またある日は、小麦粉がもう一袋増えていた。

 

「今日はピザーを焼くよぉぉぉおおおお ~ !! 」

 

 かぐやが掲げたボウルを、雅治が受け取る。

 

「で、俺がこねるのか」

 

「うん!」

 

「いい返事だな」

 

 袖を捲る。

 その横へ、彩葉がそっとエプロンを差し出した。

 

「……用意がいいわね」

 

「いつかやると思ったからな」

 

 雅治は小さく笑い、首を通した。

 

 水へ沈めた指が、粉を少しずつ拾っていく。

 ボウルを回す左手と、生地を返す右手。ばらばらだった白い塊がまとまる頃には、器の縁についていた粉までなくなっていた。

 

 台へ移す。

 掌の付け根で押し、折り返し、向きを変える。

 

 とん。

 とん。

 

 押す時だけ、肩がわずかに前へ出た。

 指先が戻る頃には力が抜け、折り重ねた生地を潰しすぎずに受け止める。

 荒れていた表面が、少しずつ滑らかになっていった。

 

 かぐやが横から覗き込む。

 もう半歩、寄る。

 

「触っていい?」

 

「手は洗ったか」

 

「準備ばっちりです!」

 

 差し出された生地を、指先でつつく。

 へこんだところが、ゆっくり戻った。

 

「おお……」

 

 もう一度。

 

「かぐや。穴だらけピザになるぞ?」

 

「気持ちいいんだもん」

 

 雅治は笑いながら生地を引き取り、丸め直す。

 並べた三つへ布をかけると、かぐやの手がその端をつまんだ。

 

「もう焼ける?」

 

「休ませてからだ」

 

「かぐやより寝るじゃん」

 

「お前も休む時は休め」

 

 布を戻され、かぐやが頬を膨らませる。

 彩葉はその背中を軽く押した。

 

「ほら。こっちは曲の確認」

 

「ピザが起きたら呼んでね!」

 

「ああ」

 

 階段を上る足音を聞きながら、雅治は台に残った粉を拭き取った。

 

 

 で、夕方。

 

 白い円が、宙を舞った。

 

「お」

 

 かぐやの顎が上がる。

 

 生地が落ちてくる。

 雅治は両手の甲で受け、厚みの残ったところへ指を添えた。

 手首を短く返す。

 

 くるり。

 

「おおおおっ!」

 

 もう一度。

 さっきより、少し速く。

 

 低く浮かせた生地が、回りながら広がった。

 

 受け止める手は、ほとんど同じ場所にある。

 

 雅治が半歩下がると、かぐやも半歩ついていった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「回ってる! 彩葉、ピザ回ってる!」

 

「うん、見えてる。すごいよね」

 

「お店のやつだ! 雅治、それ前にもやったことあるの!?」

 

「回すのは初めてだな」

 

 皿を出していた彩葉まで振り向いた。

 

「……初めて?」

 

「手順は見たことがある」

 

「見たことがある、で済む動きじゃないのよ」

 

 また出たよ、器用マン。

 

 呆れて息を吐いたつもりが、少し笑ってしまった。

 

 生地を追いかけるかぐやの首が、さっきから忙しい。

 雅治も、口元だけをそっと緩めている。

 

「かぐやも回したい!」

 

「それならば、まず台の上でゆっくりと伸ばしてみよう」

 

「できたら回していい?」

 

「できたらな」

 

 かぐやが次の生地へ飛びつく間に、雅治の一枚目が台へ戻った。

 

 丸い。

 腹が立つくらい、きれいに丸い。

 

 トマトソースを薄く広げ、モッツァレラをちぎって散らす。

 彩葉の指が、バジルを一枚置いた。

 

「ここでいい?」

 

「ああ。もう一枚、その辺にも」

 

 緑を足す。

 雅治がオリーブ油をひと回しすると、マルゲリータは予熱の済んだオーブンへ滑り込んだ。

 

 途端に、かぐやが扉の前へしゃがむ。

 

「まだぁ?」

 

「今、入れたばっかでしょ」

 

「もういい匂いするよ?」

 

「匂いだけで取り出すのはな」

 

 隣で彩葉も、少しだけ膝を曲げた。

 雅治は二人を見下ろし、何も言わずに次の生地を取った。

 

 やがて、ふっくら膨らんだ縁に焼き色がついた。

 切り分けた一切れを持ち上げると、ずっしりしたチーズが長く糸を引く。

 

「あ、待って。待って、切れない」

 

「彩葉、もっと上!」

 

「上げたら余計に伸びるでしょ!」

 

 笑っているかぐやの皿へも、一切れ。

 彩葉はようやく離れた先端を折り、口へ運んだ。

 

「……ん」

 

 噛むたび、頬が緩んでいく。

 もうひと口、と持ち直したところで、かぐやに覗き込まれた。

 

「おいしい?」

 

 口に入れたまま頷く。

 かぐやは満足そうに、自分の分へかぶりついた。

 

 二枚目は、ビスマルク。

 ハムとチーズの間で、卵の黄身が丸く光っていた。

 

 刃が入る。

 黄色が、とろりと流れる。

 

「あーっ! そこ! そこがいい!」

 

「皿」

 

 かぐやが両手で差し出す。

 雅治は黄身のたっぷり絡んだ一切れを乗せ、はみ出しかけたところをへらで戻した。

 

「落とすなよ」

 

「落とさないよぉ」

 

 大事そうに持っていった先で、かぐやの足先がぱたぱた揺れる。

 彩葉も自分の皿へ落ちた黄身を、生地の端でそっと拭った。

 

 最後は、フンギ。

 

 オーブンが開いた途端、彩葉が顔を上げた。

 先に炒めておいたマッシュルームに、しめじ、エリンギ。焼けたチーズの上へ、きのこが隙間なく重なっている。

 

「……これ、一番いい匂いする」

 

 雅治が一切れを寄せてくれた。

 受け取り、少し冷ましてから噛む。

 

 香ばしい。

 端のこんがりしたところも、厚く切ったところも。

 もうひと口食べてから、彩葉はようやく皿を置いた。

 

「これ、また食べたい」

 

「じゃあ、次もこれにしよ!」

 

 かぐやが早速決める。

 彩葉は小さく頷き、それから雅治を見た。

 

「……生地、またお願いしていい?」

 

「もちろん」

 

 返事は、こね始める時より早かった。

 

 

 

 

 かと思えば、今度はたこ焼きである。

 

「タコ!」

 

「天かすに」

 

「紅生姜!」

 

「チーズも」

 

「明太子にキムチとウインナーまでー!」

 

 かぐやが並べ、真実が足す。

 小皿が増えるたび、二人の肩が近づいていった。

 

「混ぜちゃう?」

 

「明太チーズ、いいと思う」

 

「だよね!」

 

「……どこに何を入れたか、覚えておいてよ?」

 

 彩葉が言うと、二人は揃って親指を立てた。

 

 信用していいものか。

 

 向かいでは、雅治がキャベツを刻んでいる。

 真実がその手元を覗いた。

 

「そっちはキャベツ?」

 

「ああ。俺の母さんはいつも入れていたからな」

 

「へえ。じゃあ、食べ比べしよーよ」

 

 皿を置く場所を空けてやると、雅治が短く礼を言った。

 

 真実は頷き、今度はタコの皿を引き寄せる。

 

「かぐやちゃん。こっち、もう焼ける?」

 

「焼けるよー!」

 

 じゅうっ、と生地が鳴った。

 

 真実の手からタコが入り、かぐやの手から天かすと紅生姜が散る。

 穴の縁を越えて広がる白を、芦花が身を乗り出して眺めていた。

 

「そんなに入れちゃっていいんだ」

 

「ここもね、あとで中に入れるの!」

 

 かぐやが串をくるりと回す。

 柔らかな生地が起き上がり、隣で真実も真似をした。

 

「あ」

 

 一つ、へこんだ。

 

「大丈夫、大丈夫!」

 

 横からかぐやの串が伸びる。

 はみ出した生地を寄せ、もう半回転。

 ころんと丸くなると、真実の眉が少し上がった。

 

「おお」

 

「ほら!」

 

 二人の串が、次の穴へ移っていく。

 

 雅治はその向かいで、溶いた卵と出汁を合わせていた。

 生地をすくい、落とす。

 もう少しだけ出汁を足すと、鼻先に覚えのある匂いが立った。

 

 ……このくらい、だったか。

 

 空いている半分の穴へ流し、タコとキャベツを入れる。

 縁が焼けるのを待って、串を差した。

 

 一つ返し。

 隣も返す。

 

 くるり、くるり。

 同じ列へ戻ってくる頃には、最初の一つに薄く焼き色がついていた。

 

「雅治のもできた?」

 

「もう少し、で」

 

 覗き込んだかぐやへ答えて、ふと口元が緩む。

 

 丸くなったのを見て、皿を出して。

 まだ、と笑われて。

 それでも待ちきれず、母の手元を覗き込んでいた。

 

 それが今、自分の隣にも同じ顔がある。

 

「……何?」

 

「いや」

 

 もう一つ、ひっくり返す。

 串先へ、かりっとした手応えが返ってくる。

 

「よし。皿をくれ」

 

「はーい!」

 

 

 

 

 

 一巡目が焼けて。

 二巡目には、チーズが糸を引く。

 三巡目には真実が明太子の器を掲げ、かぐやが満面の笑顔で迎え入れた。

 

 そうして、卓上には。

 

「……盛り付けまで、こんなに違うのね」

 

 彩葉が笑う。

 

 雅治の長皿には、きつね色が二列。

 かぐやたちの大皿には、ソースとマヨネーズとチーズの山。

 踊る鰹節の隙間へ真実がもう一つ置こうとして、彩葉に手首を掴まれた。

 

「もう一枚、出すから」

 

「まだ乗るの?」

 

「乗せなくていいの」

 

 芦花が笑いながら、小皿を差し出す。

 そこへも丸いものが並んで、ようやく五人の手が空いた。

 

 

「「「「「いただきまーす!」」」」」

 

 

 彩葉は、かぐやたちの皿から一つ取った。

 箸の先で少したわむ。それを口へ入れると、ふわりとほどけて、慌てて唇を閉じた。

 

「……っ、熱」

 

「お水いる?」

 

 芦花がグラスを寄せてくれる。

 彩葉は首を振り、口元へ手を添えた。

 少し待って、もう一度噛む。

 

「……おいしい」

 

 かぐやが身を乗り出した。

 

「でしょ! こっち、チーズもあるよ!」

 

「うん。その前に、こっちも」

 

 今度は、雅治の皿へ。

 

 よく冷ましてから、ひと口。

 

 かり。

 

 薄い皮の下から、出汁の香りが広がった。

 キャベツの甘さと、卵の柔らかい味。

 

「…………」

 

 箸が、止まる。

 

 四人分の取り皿。

 

 湯気の向こうから伸びてくる、お兄ちゃんの手。

 

 お父さんがいて、お母さんがいて。

 

 まだ焼けないの、と自分もそこへ顔を寄せていた。

 

 ……ああ。

 

 ゆっくり、噛んだ。

 もう一度。

 口元が、少しずつ綻んでいく。

 

 隣で芦花が唇を開きかけたが、  

 彩葉の横顔を見て、そのまま閉じる。

 

 自分も同じものを一つ食べ、飲み込んでから雅治へ顔を向けた。

 

「さすがは京都の出身。大阪と京都の味ってこんなにも違いがあったんだね〜」

 

「京都にも色々あるが、うちのはこうだったな」

 

「そっか。橘くんの家の味かあ」

 

 雅治が頷く。

 芦花は空いた皿を重ねながら、続けた。

 

「でも、まさかあの橘くんがこんな一面も持っていたとは、前の私たちじゃ想像できないわね」

 

 つい先ほど、かぐやの皿へ大きいものを選んでやっていた手が止まった。

 

「前の『()』の方が良かったか?」

 

「ううん、むしろ今の方が人間味あっていいかな〜なんて」

 

 雅治は片眉を上げ、それから小さく笑った。

 

「……そうか」

 

「うん。ただ、次に何か発表する時は、電車が出る前にお願いね」

 

「了解した。あの時は、本当にすまなかったな」

 

 素直に頭が下がった。

 真実が咀嚼しながら、深く頷いている。

 

 その横で、彩葉も小さく吹き出した。

 

「ほんとよ。ちゃんと反省してよね?」

 

「YES、マム」

 

 芦花は笑って、グラスを持ち上げる。

 その縁の向こうで、彩葉がもう一つ、同じたこ焼きを取った。

 

「……雅治」

 

「ん?」

 

「これ、おいしいわね」

 

 持ち上げた箸を、少しだけ見せる。

 雅治はそちらを見て、目を細めた。

 

「まだ焼くか?」

 

「……うん」

 

 ボウルが持ち上がる。

 もう一度、鉄板が鳴った。

 

 

 

 そんな調子で、日が経つと共に空いた段ボールが減る  かと思いきや、また新しい箱が届く。そのいたちごっこの繰り返しの日々。

 

 

 

 

「かぐや」

 

「はい、味見!」

 

 彩葉の目の前へ、小皿。

 ひと口食べてから、もう一度。

 

「……かぐや」

 

「おかわり?」

 

「相談!」

 

 かぐやが肩をすくめ、スマホを差し出した。

 チャンネルとグッズの売り上げ。そこから貯めた分と、今月使った分。

 彩葉の指が画面を滑り、生活費として残した数字のところで止まる。

 

「……こっちは、ちゃんと取ってあるのね」

 

「うん。あとね、これで次の動画  

 

「はいはい。分かったから、次は買う前に見せて」

 

 スマホを返す。

 空いた小皿も、一緒に返す。

 

「……これ、夕飯にも出る?」

 

 かぐやが、にんまりした。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、ある日の夜には。

 

「かぐやっほー! みんな、聞こえるー?」

 

『かぐやっほー!』

『まってましたぁ!』

『聞こえるー!』

『料理枠きたコレ』

『まみまみ、もう食べる準備できてて草』

 

「今日はね、マミとロカも来てるよー!」

 

「食べに来ました~」

 

「コラボしに、でしょ」

 

「食べるコラボ!」

 

 真実はエプロンの紐を結び直したが、言い直す気はないらしい。

 

 その隣で、芦花が笑いながら手を振る。

 

「こんばんは〜。今日はかぐやちゃんのお料理、私たちもいただきまーす」

 

 本日は動画の録画ではなく、久々の料理の生配信(ライブ)

 

 いつもの三人組に加えて、最近やけに夕食時の「お邪魔しまーす」が増えた二人。

 グルメ系ライバーのまみまみと、メークアップ系ライバーのROKKA。

 彩Pの現実の友人でもある二人は、すっかり手慣れた様子で台所に並んでいた。

 

 超有名ライバー同士での現実コラボ。

 画面の向こうは、開始早々お祭りである。

 

 さて外野のことはともかく台所に戻ってみると、真実が人数分の取り皿を数えていた。

 

「小皿もいる?」

 

「ああ。ソースも分けるなら、五枚は欲しいな」

 

 真実が棚を開ける。

 かぐやは、カメラの向こうの雅治へ顔を向けた。

 

「雅治ー! カメラ、もうちょっと下!」

 

 雅治がレンズを少し下へ向ける。

 

「このくらいか?」

 

「うん! ありがと!」

 

『お、まさはるニキおっすおっす』

『今日もお疲れ様です!』

『タイトルに5人って書いてあったのに4人しか見えないからあれ?って思ったら』

『この人がこんな時に抜ける筈がないよなー』

『かぐやちゃんが他所の番組でも自慢しまくるお兄ちゃん』

『さすがかぐやセコム。今日もバリバリ正常営業!』

 

 雅治の名前も、かぐやたちとの付き合いも、とっくに知られている。

 それがシらぬイと同じ人間だ、というところだけが、まだつながっていない。

 

 ヤチヨ杯でゲーム内チャットに流れた実名は、中継ではヤチヨが伏せてくれた。

 かぐやたちはシらぬイの素顔まで知っているのでは、と騒ぎかけた声も、その直後にはシらぬイとまみまみの大乱闘に話題をさらわれている。

 

 ツクヨミの民はいい意味でも悪い意味でも祭りが大好きなのだ。

 

 おかげで今夜も、いつもの雅治ニキである。

 

「彩葉ー、こっちも映して!」

 

 ぴーっ。

 

 少し遅れて流れる配信音声では、「いろ」の先がきれいに消えた。

 彩葉の指が、ボタンから離れる。

 

『彩PのPが仕事した』

『名前知ってる定期』

『今さらでも欠かさない職人』

 

「知ってても、配信中くらい呼び方を揃えなさい」

 

「はーい、いろピー!」

 

 かぐやが元気よく返事をする。

 彩葉はもう一度カメラを確かめ、顎でまな板を示した。

 

「ほら。準備できたわよ」

 

「じゃあ、今日の主役でーす!」

 

 どん。

 

 まな板いっぱいの鯛が出てきた。

 

「今夜は、お魚! 鯛のフルコースだよ~!!」

 

 かぐやの両手が、尾と頭の横へ広がる。

 真実が思わず半歩、近づいた。

 

 おっとりとした目でご立派な鯛を、頭から尾まで見渡す。

 

 彩葉は剥がした値札を二つに折り、もう一度折った。

 しかしいくら小さくしても、さっき見た数字は小さくならない。

 

 それがお金の真理である。

 

『でっっっか』

『その魚、俺の晩飯何回分?』

 

 分かる。

 分かるぞ、その気持ちは。

 

「今日はみんなで食べるからね。いっぱい作るよ!」

 

「……かぐやちゃん、ちょっと待って」

 

 芦花がそっと手を伸ばす。

 かぐやの頬へ落ちていた髪を耳の後ろへ寄せ、ピンで留めた。

 

「はい。これで邪魔にならないね」

「ありがと、ロカ!」

 

 かぐやが袖を上げる。

 鱗を落とし、下処理を済ませた鯛を押さえた。

 

 包丁が、すっと入る。

 

「……わ」

 

 覗き込んでいた芦花の声が漏れた。

 骨に沿って刃が進み、白い身がきれいに外れる。

 

 かぐやは包丁を置き、カメラへ顔を寄せた。

 

「見えた? もうちょっと近い方がいい?」

 

「手元、もう少し大きく見たいって〜」

 

 芦花が画面を指す。

 雅治が頷いてカメラを寄せる間に、かぐやは空いたまな板を拭いていた。

 

「こっちは焼く! で、頭と骨は出汁に使うから、まだ捨てないよー」

 

「アラ汁も?」

 

「うん! あと、ここの身はパスタにも入れるの!きっと美味しいよ~」

 

「ボンゴレやパスタ・コン・レ・サルデのような魚介メインのやつだな。確かにそれは美味しそうだ」

 

 さらっと入る雅治の解説のおかげで、その場のみんなも画面の向こうの視聴者も、期待は今にも天元突破しそうである。

 

 真実の目が、鍋からパスタの袋へ移る。

 

「……なるほど」

 

「何が?」

 

「お腹、空かせてきてよかった」

 

 もう一枚、取り皿を出した。

 

「いや、そんなにもいらないんじゃ」

 

「味、混ざらないように」

 

「……なるほどね」

 

 彩葉は若干呆れ、芦花は微笑みながらもその皿を受け取った。

 

 かぐやがフライパンに鯛を置く。

 じゅっ、と音が鳴った途端、真実が顔を上げた。

 

「いい音ぉ」

 

「でしょー!」

 

 かぐやも嬉しそうに覗き込む。

 彩葉はその肩を軽く引き、少しだけ火から離してやった。

 

 鍋から湯気が上がる。

 かぐやが小さな匙に汁を取り、ふうふうと冷ました。

 

「はい、マミ。味見!」

 

 真実が口を寄せる。

 ひと口。

 

 動かなくなった。

 

「……どう?」

 

「もう一回」

 

「味は?」

 

 彩葉が横から聞くと、真実はゆっくり頷いた。

 

「すごく、おいしい」

 

「えへへ」

 

 かぐやが笑う。

 もう一匙すくう、その手を真実の目が追いかけた。

 

 鍋から、匙へ。

 匙から、かぐやの顔へ。

 

『まみまみ、もしかしてかぐやちゃんのこと狙ってたり?』

 

 真実が画面を見た。

 何か言おうと口を開き、そのまま視線を上げる。

 

 カメラを構えた雅治が、人差し指を一本、すっと立てていた。

 口元は、静かに弧を描いている。

 

「いやいやいやいやいや狙ってない狙ってないからねだからその指仕舞おっかたちばなくん!?」

 

 ぴーっ。

 

 配信に乗った最後の呼びかけは、「ぴーくん」になっていた。

 彩葉の指がボタンから離れる。 今さらではあるが....。

 

「……そうか」

 

 えー、皆さんお馴染み。かぐやの番人は二人である。

 

 表の、彩P。

 

 初めこそ顔も声も出さずにいたのに、いつしか隣へ並び、喋り、突っ込み、その合間にピーを入れるようになった超人である。

 自分の名前がとっくに知れ渡っていても、仕事の手は抜かない。

 今もボタンに指を添えたまま、カメラの向こうへ「あなたも悪ノリしないの」と目で言っている。

 

 そして、裏の雅治。

 通称、雅治ニキ。

 

 最初は外部協力者だったはずが、いつの間にか、かぐやへ這い寄る邪な手を筋肉で遮断するセコムへ超進化した男である。

 

 空き缶で折られた鶴。

 手刀で口を切り落とされたガラス瓶。

 素手で千切られたフライパン。

 

 全部、素手。

 しかも、生配信。

 

 過去の配信で繰り出された三連続怪力パフォーマンスは、もはや伝説である。

 履修済みの視聴者たちは、実に物分かりがよかった。

 これぞ21世紀の現代義務教育の賜物。

 

 雅治は、立てていた指をゆっくり下ろし、カメラの持ち手へ戻した。

 

 どこかの誰かみたいに、指一本で星を消し飛ばしてもおかしくない。

 そう思わせるだけの説得力が、あの手にはある。

 

 いや、かぐやのためなら本気でやりかねない。

 

『前回の教訓を忘れるな』

『いつも素晴らしい配信をありがとうございます』

 

 真実は、ようやく息を吐いた。

 胸元に当てていた手を下ろすと、隣で芦花が口元を押さえている。

 

「……マミって、そんなに早く喋れたんだねえ」

 

「さすがに命が懸かると...ね?」

 

 もう、いつもの声に戻っていた。

 

「狙ってるのは、ご飯だから」

 

 真実がかぐやへ向き直る。

 正確には、まだ手に持たれた匙へ。

 

「かぐやちゃんのご飯が、食べたいだけなのに」

 

「いっぱいあるよ! はい、もう一口!」

 

 差し出された匙へ顔を寄せかけたところで、彩葉が椀を差し出した。

 

「続きは、こっちにね」

 

「……うん」

 

 真実は素直に椀を受け取った。

 さっき出した取り皿の隣へ、丁寧に置く。

 

 焼き上がった身を、かぐやが大皿へ移した。

 芦花が野菜を添え、皿を少しだけ回す。

 

「この向き、きれいじゃない?」

 

「いい! すっごくおいしそう!」

 

 かぐやが身を乗り出す。

 その横から、真実も覗く。

 

「……シェフ!! 今すぐに食べてもいいことを聞くことを許してもらってもよろしいでしょうか!?」

 

「まだ盛り付けてるでしょ」

 

 呆れて笑いながらも彩葉は真実の肩を押し、後ろへ戻す。

 半歩だけ。

 

 雅治が料理の並ぶ食卓へカメラを向け直す。

 画面を確かめた彩葉が、タブレットを脇へ寄せた。

 

『まみまみ待ちきれてないw』

『こっちも待てない』

『一席くださいどうかまじで』

 

「こっち、お皿寄せてー」

 

「はいはい」

 

「飲み物、届く?」

 

「大丈夫。ロカ、そっち持ってて」

 

「うん。……わあ、いい匂い」

 

 声が行き交う間に、大皿がもう一枚。

 かぐやの両手が空いたところで、雅治が椅子を引いてやった。

 

「ありがとう!」

 

「今日は一番苦労したんだ。座ったら、まず自分もちゃんと食べるんだぞ?」

 

「あい!かぐやも食べまーすぅ!」

 

 鯛の皮には、こんがりと焼き色。

 その下から、白い身がふっくら覗いている。

 

 ほぐした鯛の身を絡めたパスタ。

 彩り野菜サラダの皿に、飲み物、湯気の立つ汁椀。

 

「これも、さっきの頭と骨で?」

 

「うん! こっちも最っ高においしくなったよ!」

 

 かぐやが胸を張る。

 彩葉は汁椀を受け取り、鼻先へ寄せた。

 

 ……いい匂い。

 

「「「「「いただきます!」」」」」

 

 五人の手が動いた。

 

 彩葉の箸が、皮をぱりっと割る。

 身を少しほぐし、ソースと一緒に口へ運んだ。

 

「…………」

 

 目を閉じる。

 肩が、すとんと落ちた。

 

 もうひと口。

 今度は野菜も一緒に。

 

「彩葉、どう?」

 

 かぐやが横から顔を寄せてきた。

 彩葉は飲み込んで、息をつく。

 

「なんなのよ。美味いじゃないのよ。何なのよ、あまりにも美味しいご飯で体が喜びに満ちていくじゃないのよ…………ねぇまた作ってくれる?」

 

 最後だけ、箸の先を見ながら言った。

 

 かぐやの顔が、ぱあっと明るくなる。

 胸を張る。

 顎も上がる。

 

「ふふん。ドヤーッ☆」

 

 彩葉は少し笑って、もうひと口食べた。

 

「いいよ! 次は何がいい?」

 

「……今日の、もう一回でもいい」

 

「同じの?」

 

「うん」

 

 かぐやの足先が、椅子の下で揺れた。

 

「じゃあ、また五人で!」

 

「先に魚の値段は見せてね」

 

「はーい!」

 

 返事だけは、とてもよかった。

 

 芦花はその隣の横顔を見て、グラスを取る。

 口元へ運ぶ途中で、笑みがこぼれた。

 

(……かわいいなあ)

 

「芦花?」

 

「んーん。おいしいねえ」

 

 彩葉が頷く。

 まだ緩んだままの頬を見て、芦花もそっと、自分の皿へ箸を戻した。

 

「……こっちの野菜も、ソースと一緒に食べてみて」

 

 小皿を寄せると、彩葉の箸が伸びた。

 ひと口食べて、また少し目を細める。

 

「ほんとだ。おいしい」

 

「ね」

 

 芦花が笑う。

 かぐやが、二人を覗き込んだ。

 

「それね、雅治に切ってもらったの! 大きさ揃ってるから、焼くのもすっごく楽だった!」

 

「そうなの?」

 

「ああ。余っていた分も焼いておいた。付け合わせにはちょうど良かっただろう?」

 

「じゃあ、あとでそっちももらおうかな」

 

 かぐやが早速、台所へ腰を浮かせた。

 雅治の手が、空きかけた彼女の皿を指す。

 

「まず、それを食べてからだ」

 

「あっ。うん!」

 

 かぐやは座り直し、パスタを巻いた。

 頬張る。

 頬が、丸くなる。

 

「……ん〜!」

 

 雅治の口元が、静かに緩んだ。

 

 

 その向かいで。

 

 真実の皿が、空く。

 

 最後に残ったソースまで野菜で拾い、ゆっくり飲み込む。

 口元を拭いてから、大皿へ目を向けた。

 

 あの端。

 皮の、よく焼けたところ。

 

 取り分け用の箸へ伸ばした手が、止まった。

 向かいでも、同じように腕が浮いている。

 

「…………」

「…………」

 

 雅治と目が合った。

 

 真実は視線を下げる。

 雅治の皿も、きれいに空いていた。

 

 なるほど。

 

 かぐやちゃんが、作ってくれたご飯だ。

 まだ食べたい。

 

 それだけは、譲れなかった。

 

 雅治も、そっと取り皿を持ち上げる。

 かぐやがこちらを見て、嬉しそうに目を細めた。

 

「雅治も、いっぱい食べてね!」

 

「ああ」

 

 返事をした雅治の口元が、わずかに上がった。

 

 ……かわいい。

 

 そのうえ、美味い。

 ひと口食べるたび、力が湧いてくる。

 もうひと口いけば、髪くらい逆立つんじゃないだろうか。

 

 しかも魚。

 タンパク質。

 

 身体も求めている。

 

 雅治の目が、大皿へ戻った。

 

 

 先に動いたのは、真実だった。

 

 右のパスタを見る。

 取り分け用のフォークへ手を伸ばしかけ、そのまま左へ。

 

  モラッタァァァァアアアアア

 

 その腕の下を、雅治の手が通った。

 

  ムダムダァ

 

 交差。

 雅治が先に、取り分け用の箸を取る。

 鯛の一切れを自分の皿へ移したところで、真実の皿がすっと差し出された。

 

 箸を置くには、まだ早い。

 

「……どうぞ」

 

「ありがと」

 

 焼けた端の一切れが、真実の皿へ。

 雅治の目が細くなる。

 

 真実は何事もなかった顔で、それを口へ運んだ。

 

 ぱり。

 

 目を閉じる。

 ゆっくり噛む。

 

 ……うま。

 

 雅治も、自分の分を食べる。

 

 一度頷き、もうひと口。

 飲み込んでから顔を上げると、向こうでもちょうど箸が置かれた。

 

 目が合う。

 

 次。

 

 真実がパスタの皿へ目をやった。

 

 今度こそ、と雅治がそちらを見る。

 その間に、彼女の手には野菜の器が収まっていた。

 

 まず自分へ。

 それから芦花へ差し出す。

 

「ロカもいる?」

 

「あ、ありがと〜」

 

 器を渡した手が戻る、その先。

 雅治はもう、パスタを取り分けていた。

 

 真実の取り皿が滑り込むより一拍早く、フォークを置く。

 

 どうぞ、と目だけで促した。

 

 真実の眉が、ほんの少し動く。

 雅治の口元も、わずかに上がった。

 

 食器は鳴らない。

 箸先も、互いには向かない。

 

 すれ違う腕。

 皿を置き直す指。

 相手が噛んでいる間に、次の大皿へ移る視線。

 

「かぐやちゃん、このソースって……」

 

「んー? それはねー」

 

 その隣では、芦花とかぐやが話していた。

 彩葉も頷きながら汁椀を持ち上げ、ふと向かいを見る。

 

「……二人とも、今日、やけに静かね」

 

 真実が頷く。

 雅治も頷く。

 

 二人とも、まだ噛んでいた。

 

「えへへ。まだあるから、いっぱい食べてね!」

 

 かぐやが台所を指す。

 

 まだある。

 

 二人の顎が、同時に上がった。

 そのまま同じところを見て、また、互いへ戻る。

 

 真実が袖を少し捲った。

 雅治は、眼鏡を押し上げた。

 

 こんなところにいたのか。

 好敵手。

 

 かぐやが笑い、彩葉が次のひと口をねだる。

 芦花がその皿を受け取り、二人の間でまた笑う。

 

 すぐ隣では、空になった取り皿が二枚。

 ほとんど同時に、次の料理を迎える位置へ動いた。

 

 

 今日も雅治(ばか)シらぬイ(ばか)である。




今日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございやしたぁ。

久々に、投稿し始めた頃のように、書くことそのものを楽しみながら書き上げた本篇の第28話でした。

2週間受け付けていたアンケートも、昨夜、日付が変わったところで締め切らせていただきました。
今回も大事なご意見を寄せていただき、感謝です!

前回のアンケートでは、僕も1番の「書きたい!」派でしたけども、番外編よりもまずは本篇を完走させてほしいというご意見が多く、僕自身も考えた末、まずは本篇の完走を優先することにしました。
例の話は、またいつかということで。

ただ、そのまま番外編として出す以外にも、使い道はありそうなんですよね。
気に入っている部分をほかの場面で活かして、もっと面白く、楽しく、熱く書けるなら、それこそボツ案の一番いい活かし方じゃね? とも思いまして。

どんな形でお目見えするかはまだ分かりませんが、もう少し温めながら、じっくり熟成させていきますのでお楽しみに!


現実の方では、祖母の体調のことなど、いろいろありまして。
本職である家業をしばらく僕一人で運営しつつ、副業のバイトもこなし、その上で家事全般まで……となると、やはり難しいですね。

世の中のママさん、主婦さんの苦労と大変さに、本当に頭が下がります。

ってなわけで、今月も投稿はゆっくりになると思います。
できれば週に1話くらいは投稿したいけども、自分で納得できるところまで直してから出したいので、少し間が空くこともあるかと……(;´д`)トホホ

楽しみながら、ちゃんと最後まで書いていきたいと思っていますので、気長にお付き合いいただけると嬉しいです。

では、また次回に! さらばーい~~!











ぐらんぶる面白ぇー

本篇の第二十六話の初期原稿、幻の竹取合戦が見たい?    26.5話扱い

  • 見たい!今すぐに見たい!
  • まだいいかな?本篇完結してからは?
  • まだ大丈夫。それよりも次の話はよ。
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