鮮血が噴水みたいに迸る。鎖から解き放たれた彼女はスローモーに膝をつき、切断面より上を残った方の手で握って止血しながら、キッと強い視線をライダーに向け──
「意志の強靭さは褒め称えよう。意見は合わなんだが、貴様は優秀なマスターだった」
──ミシェルの切断された腕部を持ったままの悪魔が、彼女の頭を掴んで床に叩きつけた。並の人間ならば熟れた果物みたいにぐちゃりとなる一撃は、代行者の意識をたやすく刈り取ったらしい。倒れた彼女はピクリとも動かない。
「寝ているがいい。目覚めた頃には、貴様は自由だ」
代行者の切り離された腕を恭しく携えて、悪魔がライダーの元へ馳せ参じる。供物のように捧げられた、未だ血の滴るその腕をライダーは掴み、持ち上げると──
「なッッ」「ひ──!」
聖の驚愕と、私の恐怖。それをコーラスに、ボリボリ、ばきばきと貪る音が響く。
皮膚を引き裂き、血を滴らせ、骨を噛み砕き、悪鬼か何かであるかのように貪るライダー。とても英霊のすることとは思えないし、そもそも何故そんなことをするのか、意図が掴めないからますます恐ろしい。
完璧にとは言わないまでも言葉が通じて会話が出来ていたと思っていた相手が、実はまるっきり化物で、言葉だと思ったのは意味も意思もない鳴き声だったよう悍ましさ。
何が起きているのか教えて欲しくて聖を見やる。彼は戦慄の形相を崩さないまま、
「────魂喰いか」
その単語には覚えがある。聖杯戦争とサーヴァント、そしてマスターについての説明の中だったと記憶している。
確か、マスターを失うなどして魔力を供給されないサーヴァントが現界を維持するための最終手段。人間の魂を喰らうことで霊基を補強し、この世に留まり続ける外法。
悪行で名を馳せた反英霊ならいざ知らず、正道の英霊は決して手を染めないような非道と聞いていた。マスターが提案することすら不敬と断じられてもおかしくない、俎上に上げるだけで会計性が破綻するような悪行の中の悪行。
そんな悪行に
──そうまでして聖杯を、欲するほどの願いがあるのか。
『ミシェル・ドーソンの腕に遺っていた令呪二画、ライダーの霊基に取り込まれていきます』
そういう宝具を用いるパターンと、殺した者から目に見えないものを啜るパターンとがあるとは聞いたが、腕をそのまま喰らうというのは知らないから繋がらなかった。この場合、魂喰いというよりは令呪喰いになるのだろう。
そのまま放置すれば失われる令呪を、自らの力とするための血みどろの儀式。
『魔力量が跳ね上がっている。──危険です、退避すべきかと』
『そうしたいのは山々、だけどな』
キャスター主従の消極的な意見に、ランサーが被せる。
『ミシェル・ドーソンは未だマスターです。彼女を潰せばライダーの現界もそれまででしょう』
それは先刻、当のミシェルが目論んでいたであろうこと。
令呪を切除され、乱暴に気絶させられる直前──彼女は自らとライダーの間に通るパスを無理やり切断しようとしていたのだと理解する。そうすることによって魔力供給や、現界のための楔としての役割を放棄すれば──直ちにでなくとも、遠からずライダーは消滅するだろうと踏んだのだ。
『問題は、ライダーもそんなの百も承知ってことだ。見ろ』
ライダーがミシェルの腕から令呪の魔力を取り込む傍ら、一匹の悪魔が気絶したミシェルを担ぎ上げていた。そいつは私たちを一瞥すらせず、壁に空いた大穴から悠々と夜闇に消えてゆく。
「あの女を追おうとしても無駄だぞ、臙条叶」
「っっ……!」
「この森は我々の領域だ。どういう術でここまで気取られず辿り着いたかは今更問うまい──どうせキャスターの仕業だろう。どうでもいい。今更関係のないことだ────余の前にその身を晒した以上、逃げも隠れも出来ないと知るがいい」
──目論見は、見抜かれていた。
「ランサーと椎名聖は殺す。キャスターもな。臙条叶、貴様だけは残す。記憶を暴き、魔を屈服させ、心まで縛り上げて代理のマスターとする。ミシェル・ドーソンが目覚めるまでには済むことだ」
「好き勝手言ってんじゃねえよ、テメェこそここで終わりだ……! やるぞ臙条!」
「っ……やるって言っても、私に出来ることないんですけど! 武器……もっ、無いし」
咄嗟に懐をまさぐっても、空っぽになっていることの再確認でしかない。意識を失って運ばれている間に没収したに決まっている。銃のない私なんて、役に立ちようがない。
ぽいぽいっ、と──
そう俯く私の、
「ほら」
空の手の中に投げ渡されたのは、自室に置いてあったはずの愛銃のうちの一挺とその
言いたいけれど、言いたかったけれど「勝手に入ったのか」とか「持ってきてくれたんだ」とか伝えられる余裕は、時間にも心にもない。
まして「一緒に戦わせてくれて、躊躇なく銃を預けてくれてありがと」なんて、勝手に離れてった私の口からは、もっと言えない。泣きそうになるのを押し殺して、私は黙ってリロードする。
「俺たちは此処に、テメェを倒しに来たんだ──覚悟しろ、ライダー!」
聖が剣を抜く。ランサーが飛び込んでライダーと武器を交える。
私も銃を構えて、ライダーに狙いを──
「うぐっ!? な、これ、
ついさっきミシェルの動きを封じたのとまったく同じものが、私の腕も縛り上げる。というか
とはいえ。
「うぐぎぎぎぎぎ……っ!!」
引っ張っても取れないんですけど、これ!?
「寝てる間に仕掛けられてたな……」
『ミシェル・ドーソンと異なり、敵対行動に反応してそれを封じるもののようです。本命は令呪による状況の打破──でしょうか』
『多分な』
「臙条、腕出せ。床にべったりくっ付けて……ああ、それでいい。動くなよ」
えっ、何する気。
座って言うとおりにした私の腕に、聖が剣の切っ先を突き付けてるように見えるんですけど?
両手でしっかり保持している剣が不思議な光に包まれる──ヘルギの魂を流し込むっていう、ルーラーを斬ったあの時と同じ輝き。
彼はそれを掲げると──
「ちょッ────」
「ふんッッッ」
バギン!!!!
音は金属同士の激突音。正確に落とされた切っ先は鎖を粉砕し、そのまま床に半ばまで刺さった。ちょっとでもズレていたらああなるのは私の腕だったハズで、慌てて引いた腕から宝具の鎖はあっけなく外れた。
「ひいっ」
落ち着いて考えれば彼がミスするはずはないと判っても、剣を向けられればそりゃあビビる。血の気の失せているであろう私に注意を払うことなく、聖は鎖の残骸を手に取った。
「俺の剣なら破れる、か。今確かめられたのは僥倖だな、これで──」
前触れなく。
聖が膝をついた。