Fate/second to none   作:吉田一味

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さらば愛しきストレンジャー⑤

 

 駄弁りながらも、支度は済んだ。

 

 名残惜しいが、そろそろ刻限。

 

 これ以上は留まれない。じきに悪魔たちが押し入って来て、キャスターのことをバラバラに引き裂くだろう。そうなれば痛いし、苦しい。土足で踏み入って狼藉を働く以上、家主にも迷惑をかけてしまう。そうなる前に──

 

 決着をつけるのだ。己のやり方で。

 

 キャスターは空白の頁も残りわずかとなった自書をぱたりと閉じる。いくらか欠けて収まりが悪いが、贅沢は言っていられない。

 

 他愛ない雑談で引き留められてしまいそうな心と、己をこの世界に喚びだし繋ぎとめている主に告げる。

 

「それでは、マスター。これにて御然らばです」

 

『──ああ、キャスター、宜しく頼む』

 

 彼はぐるりと見渡す。瞳に映らずとも、彼が現界のほとんどを過ごした臙条邸書斎はそこに広がっている。長い──とは言い難い日数でも愛着は湧く。立ち去りたくはなかった。

 

 けれど、これも役目。

 

「最後に一つ」

 

 自分で『言っておきたいことがあるようでしたら』とまで言ったのだから、きちんと伝えなければ。

 

 恥ずかしいなどと、若返ったものだ。ああ、実際老いた霊基(からだ)で思慮深く振る舞いをしようとも──胸躍る日々。楽しかった。

 

「──貴方と会えて幸運でした、椎名聖さん。得難い時間、夢のようなひと時。私を召喚してくれて、どうも有難う」

 

『──、────』

 

 念話の向こう、若く年経た稀なる友が効いてどんな顔をしたか、見届けることは出来ない。千里眼にも近しい世界そのものを読む能力は、残り少ない紙幅を使い切ってしまわないように温存しているから。

 

 けれど、()えずとも、十分だった。

 

『俺も、貴方に会えて良かった。感謝を、キャスター』

 

 その言葉に籠った感情だけで、それだけで。

 

「ご武運を、マスター」

 

 念話を遮断(とじ)る。

 

 同時に契約のパスも切断し、完全な孤絶状態。魔力も途切れ、存在の基盤も揺らぎ、刻一刻と霞んで消えてゆく感覚。呼吸が出来なくなるような、けれど苦しみではない安らかさ。奇妙な感覚だったが──この()まで落ちきるより先に、事は済む。

 

 ……思えば召喚されてこのかた、常に彼と共にあった。現界と同時に霊脈は結ばれ、物理的距離が離れても孤独とは言い難かった。

 

 どこか清々しい気分すら感じながら、彼は玄関ドアを開く。

 

 夜の屋外はなかなかに冷え込む。郊外の森で奮闘している彼らは、それどころではないだろうけれど大変だ。風邪などひかなければいいが、と思ってからキャスターは表情をほころばせた。

 

 ──彼らがあの森で終わるタマではないと、キャスターは無意識に信じていた。きっと無事に切り抜けるだろうと、その後の彼らの想像をしてしまうほどに。

 

 そういう未来があって欲しいと、願ってもいる。

 

「そのために──貴方がたには此処で、私とともに消えていただきます」

 

 表に集い、侵入を禁ずる結界をどうにかして破ろうと試みていた連中──ライダーの従僕たるペルシャの悪魔たちへ、穏やかな声のまま、魔術師クラスの彼はそう宣言した。

 

 空色のペーパーバックを取り出す。

 

 これなるは『伝奇集(フィクシオネス)』。

 

 キャスターの有する第二宝具にして、霊基の要である。

 

 原典は1944年に刊行された短編小説集。

 

 複数の物語を集めて一冊としたはずの作品集は、サーヴァントの宝具として結実するに当たって変容した。

 

 白紙の頁は登場人物(キャスター)の余命。彼が手ずから書き込まずとも、開かれている限り彼の関わる世界がリアルタイムに描写され続ける。作家(キャスター)が書き込めば世界は変わるが、それは空白を埋める行為──幻想の果てへの疾走だ。短篇よりは多く、束ねた一冊分は確保されたといっても、聖杯戦争に参加しその結末を見届けるには覚束ない。

 

 原作小説──あえてそう呼称する、生前の彼が記した作品──にあった奇妙な物語を再現することも不可能ではない。不可能ではないが、それは再記による再現でしかない。

 

 短編とはいえ、ある程度は文章量もある。これまで物語まるまるそのものを再現することを避けてきたのは、それが彼にとって命を削るに等しい行いだからだ。

 

 ──()()()()()()()()()

 

「ご安心を、暴力に訴えるということはありません。もっと残酷に、言葉(ものがたり)に訴えると致しますから」

 

 彼はその裏表紙を開く。

 

 そこには青い楕円形の印章が押されていて、こうあった──

 

『オルビス・テルティウス』。

 

 悪魔たちはそれを見た。

 

 キャスターもまた、それを読んでいた。

 

 それがすべて。

 

 その印章を認識したものはみな、まったくことなる天体、彼の物語の中にしか存在しないはずの観念世界(トレーン)へと導かれていく。連れ去られていく。呑み込まれていく。何故なら印章こそは異世界への門。存在しないはずの幻想を現実へと流出させる侵略の()()()()であるのだから。

 

 時間はあれど空間はなく、心はあれど物はなく、心理学はあれど科学はなく、この世界とは決して相容れないけれど、認識されることをトリガーとして()()()()()()()()()この世界を侵食し改変してゆく異世界。

 

 もはや魔術師も悪魔たちもない。読んでいるものと喚いているものたちがあるだけで、それも物質的な意味を押し流されていく。もはや色彩はなく、秩序のみがある。

 

 知覚するものだけが存在し、知覚されるもののみが現実となる──異聞すらなお遠い奇妙の()て。

 

 世の人々の誰にも理解しきれない法則がすべてを押し流していき──

 

 ──────

 

 ──────

 

 ──────

 

 ──そして、魔力が尽きた。

 

 ぱたんと本を閉じれば、もう読み耽っていた物語は無く、現実が広がっているように、

 

 (あと)には登場人物は誰も居ない。

 

 冬の夜の臙条邸と街並みが、いつもと変わらず続いている。

 




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