一人で訪れる勇気は、なかったと思う。
別にランサーも、
それでも心強いんだから、現金なもので嫌になってしまう。
自動車は滑らかな運転で新都郊外の教会へと向かっていく。出発直後は隣の席の聖も警戒している様子だったけれど、何事もなく大橋を渡ったころにはいつもの自然体。
たぶん、他の陣営の襲撃を危惧してたんだと思う。けれどまあ、真昼間の往来を走る車を襲撃するイカレた陣営も居なそうだし、緊張しっぱなしも疲れるからリラックスすることを選んだ、のかな。
私の方はというと、車が進むほど──教会が近づくほど──いったん落ち着いたはずの混乱は深まるばかり。疑問だけが次々浮かんできて、ぐるぐるぐるぐる回り始める。
──ハル神父は、聖杯戦争の関係者なの?
──さっき聞き流したけど、“教会”ってそこの教会のことなの?
──教会は聖杯戦争で何を。
──……ハルくんは、何をしたくて、何をしているの。
「……聖堂教会っつってな。一神教を信じる一大宗教に存在する裏の顔があるんだよ」
心を読んだみたいに、横の同乗者が急に喋り出す。……いいや、別に心なんて読まずとも、顔を見れば一発で丸わかりだったんだろう。それくらい顔に緊張が出てたらしい。
「魔術師の集う魔術協会と対を成し、あいつらに対抗するために自らもまた魔術──異端の
運転席の
「教会の目的は異端、そして人ならざるものの排除。ま、つまり人間社会の維持と保護だな。人理の補正と言ってもいい」
「人理?」
聞き馴染みのない言葉。
専門的な用語だったのか、聖も一瞬“どう説明したもんかな”みたいな顔のあと「脇道だ、気にすんな」と流した。
「聖堂教会と魔術協会とは基本敵対関係なんだが、ことフユキ聖杯戦争に関しては例外でな。教会は監督役を務めてる」
「監督役って、何を」
「聖杯戦争の運営を、さ。超常の存在──神秘の結晶たるサーヴァントを召喚し、街中でドンパチやり合わせて。のみならずマスターの魔術師たちも、そこここで魔術戦を繰り広げる。ルールと監督役無しなら、フユキが何回消し飛んでも足らない」
「ルール?」
子供みたいな私の鸚鵡返しに、聖は指折り数える。
「神秘の秘匿、一般人への
脳裏によみがえるのは、『御三家がフクロにされた』というさっきの話題。第二次と第三次だっけ、その時とは事情が違うだろうけれど……やっぱりサーヴァント複数騎で集中砲火されたら、誰だって助かるはずもない。
「……何すればそんなコトになるの。アーチャーとか、ああいうの?」
私の知る限りで最大の破壊規模。廃サナトリウムを高空からの突撃ひとつで全壊せしめた弓兵を挙げてみると、鼻で嗤われた。
「まさか。あの程度なら聖堂教会は
「失礼。着きましてございます」
「ん、ああ」
コートニーさんの言葉に、聖は続く言葉を飲み込んだ。まあ聖堂教会についての概要は話せたと思ったんだろうけれど。
……コートニーさん。なんだか少しだけ早く、割って入るようだった、ような?
***
フユキで“教会”と言えば、指すのはおおむねこっち。深山町の方にも教会はあるけれど、こじんまりしたあちらと比べてやるのは可哀そうだ。
新都郊外の丘にそびえる歴史的建造物。その威容は来訪者を圧倒する──圧倒し過ぎて逆にあまり人が来ないという有様で、そういう意味では密やかに話すべき話題にはうってつけと言えよう。子供のころはファサードの飾り窓と正面扉が怒っている顔のように見えて、それが本能的に怖くて、正面扉を避けて横手から会いに行っていたことを不意に思い出した。
降車した聖と二人──周囲に人影がないことを確かめてかランサーも霊体化を解除し、三人で歩いていく。キャスターはいつものお留守番。
「──、っ──」
子供のころの話だ。もう、
口の渇きと手汗がひどい。ここに来たのは、だってあの時以来だから。
<p class="right"> ……蝉の音が聞こえたような、気がした。</p>
三年前。
教会の人から電話があって、私は完全に気が動転して。
そう聞いて、私は夏の暑さも何も感じなかった。
ただそれ以上に怒りがあって。
正面から教会に怒鳴り込んで、ハル神父の襟首をつかんで、「なんで
当時から彼はここで勤めていたし、
──つまるところ。私はまだ子供だったんだと思う。
ハルくんならば、誰だって助けられるに決まっている、と。不可能なコトなんか一つもない、御伽話の魔法使いのようなひとなのだと、そう信じて疑わないくらいには、ガキだったのだ。
──あなたのせいだ。
──あなたが
──あんたのせいで。
泣き叫ぶ私に、今にして思い返せば随分と憔悴していた彼は、ただ一言。
──ええ。私が彼女を、死なせました。
……それが、致命打となって。
私は周三ペースで通っていたフユキ・サンタンジェロ大聖堂に、今日まで一度たりとも来なくなり。
ハル神父とも、ごく最低限の会話を除いて、口を利かなくなったのだった。
「……マスター?」
「……ううん、何でもない。行こっか」
きっとうまく笑えはしなかったろう。けれどそれでも、決意の一端くらいは伝わったと思いたい。ランサーは頷くと、その綺麗な手で、私の手を引いてくれた。
聖が正面の重いドアを開く。三年ぶりの、聖堂の空気が私たちを包む。
広い空間はしんと静まり返って人っ子一人居なかった。私たちを招くにあたって“人払い”のようなことをしたんだろう。近い雰囲気があった。
長く続く身廊の先、ステンドグラスから差し込む光に柔らかく照らされる聖域。
人影は一つ。
「──ハル神父」
ゆっくりとこちらに向き直った彼は、ミサの時の正式な神父の服装に身を包んでいた。私たちだけのために、わざわざ?
「ようこそいらっしゃいました。カナエ、それと……失礼、お名前を頂戴しても?」
「
「ええ。そう呼んでください。本日はご足労いただき、誠にありがとうございます」
「ご足労ってほどのこともない。送迎は出してもらったしな。それより──」
「ハルくんは、聖杯戦争の何なの?」
……あっ、駄目だ。
自分の声を聞いた瞬間に、私の感情はあの日、あの時をそのまま引きずっていることに気づいてしまった。
冷静に、冷静にって思ってたのに。聖杯戦争の参加者として、呼び出された要件だけを聞きに来ただけのはずなのに。私の頭は、あの夏の日と同じように、一瞬で茹っていた。
「何でッ、ハルくんが聖杯戦争の話をするの? 聖杯戦争の関係者なの?
今のことと昔のことと
息を切らして。床にぽたぽたと垂れる雫の音だけが、
「──少しは大人になったかと思えば、ガッカリです」
「っっっこの──」
思わず飛びかかりそうになって、顔を跳ね上げて。
そこにあるのは彼のいつもと変わらない、感情の動いていない瞳。
「聖杯戦争を降りなさい、カナエ。後のことは彼──聖くんに任せて、キミは家に帰るのです」
どこまでも、この人は。
私を認めるつもりは、ないんだな。理解した。
「勝手に決めんな!! 私はマスターだ、あんたに何言われようと、死んだって、降りるものか! 私が、聖杯に、選ばれたんだ! 決める権利なんかない、っそうだ、家に一度だって顔出した事ないくせに!!
そういえば、護身用に銃を持ってきてたな。
ぼうっとそんなことを考えながら、でも、カラダとココロがズレてたから、それを抜こうという発想に思い至らない。
「ボクがあの家に行かなかったことと、聖杯戦争に何の関係もありません。キミの聖杯戦争脱落は後見人として当然の決定です。美青が生きていれば、同じことをしたと断言します」
「あんた、が──」
もうこれ以上、コイツと話しても何にもならない。
「
その口を開くな。そう思って飛びかかった私を、
「……マスター!」
すかさずランサーが抑えるけれど、それでも。
「放、してッ! こいつ! こいつだけは──!」
「ランサー、臙条連れて表出てろ! 話しどころじゃねえ! 挙句の果てには令呪使うぞ、こいつ!」
聖の言葉にハッとする。そうだ令呪、これさえあればランサーも邪魔できない──そう思って手の甲を縋り見る。けれど奇妙なことに、三画の絶対命令権はやけに薄らいで、私の意思に応えようとはしないのだ。
世の中の何もかもに見放されたみたいで、我慢ならない。
「あ゙あ゙あああああああああああっ! なんで! 何でェッ!!」
「……ごめんなさい、マスター!」
とん、と額に触れた指が何かを描いて。
何が起きたか把握するより早く、私は意識を落とした──
***
「──
意識を落とされた……というか、まあ、
白皙の麗人は、本気の呆れの表情で、
「当たり前だろう。どこの世界に、掴みかかるマスターを制止してくれたサーヴァントに『邪魔だ、退け』というだけの絶対命令権の行使がある」
うん、確かに、
「だからって令呪使えなくするとか反則でしょ。なに、アレ」
「それくらいのこと、できて当然だ。厳密にはマスター権はお前ではなく私にある。その貸与を一時的に弱めただけのことだ」
「うわっ、ズルい! 返してよ、私のランサー!」
まだ若干激情の余韻が残っていて、その勢いのままにベルに掴みかかる。もちろんおふざけではあるのだけれど、彼女は心底面倒そうな顔で振り払うものだから、何というか──ムキになってしまって。しばしの間取っ組み合いというか、揉み合いになる私たち。
荒い息を落ち着けながら、閑話休題。
「……というか、そんなコト出来るなら止めてよ、教会なんか行くの。こうなるって判ってたんでしょ、あんたなら」
「判るか。よしんば判ったとして止められるか。あのな、
「言って……も、無駄か。起きたら忘れてるんだもんなー」
そういうことだ、とベルも肩をすくめる。
そう。それがこの、夢の廃墟のルール。ここの記憶は、ここでのみ継続する──現実へは持ち出せない。
そしてベルは、私のこの夢の中だけの同居人。何が出来るのやら、どうやらランサーの召喚の時は手助けしてくれたらしいけれど、それ以外はさっぱりだ。
あれこれ教えてくれる(というか、多分教えたがりなだけ)のも、ここでしか継続しない記憶領域送りだから役に立つとは言い難い。私の知らないような魔術の知識を持っているから、イマジナリーフレンドってこともないと思う、けど。
でも、別に何でもいいと、今の──
私の
私の味方の、ベル。
「……そろそろ落ち着いたか。分かったからもう起きろ。まったく、あんな即席のルーンで気絶するなんてな──」
呆れた雰囲気の言葉に、私は送り出される──
***
──そして私は、現実に浮上する。
覚醒地点、聖堂の外、正面玄関の脇のところ。人影は連れ出してくれたらしいランサーだけ。
馬鹿なことをした、とは反省している。もちろん、一番悪いのはハル神父だという事実は揺るぎないけれど、一時の激情でとる行動じゃなかった。迷惑をかけてしまった後悔は重い。
怒りの波は、今は少し引いているけれど、まだ余韻は残っていたから、ちょっと謝るのに抵抗があった。
もじもじしている私に先んじて、ランサーが見事な所作で頭を下げる。
「申し訳ありません、マスター。あなたが望むのならば、止めるべきではなかったのかも知れません」
「──なら、なんで」
本来ならここは「私こそごめん、あんなことのために令呪を無駄遣いしようとして」とか言うべきなのだろうけれど、ランサーの謝罪内容に意表をつかれてただの疑問だけしか出てこない。本心を言えば、ちょっと安心したのもあるんだと思う。
ランサーの話を聞く、という猶予を与えてもらったから。
「あんな風に、熱くなって殺してはなりません。殺すのならば──冷たく、静かな刃のようにあるべきだと思うからです」
殺しの是非ではなく殺し方、殺意の抱き方のレクチャーを受ける身構えはしていなかったから閉口してしまう。考えてみればランサーは
しかしまさか、そっち方向から諫められるとは。
「えー……あーっと、冷たくって言うと、具体的には?」
「まずしっかりと考えます。目標を殺したいのか。目標を殺せるのか。目標を殺すとどうなるか。それらを多角的に、徹底的に分析した上で」
「上で?」
「目標を殺して後悔しないと思ったならば、殺します」
「……わぁお」
一点の曇りもないまなこ。
綺麗なのに、とてもとても綺麗なのに、それよりも『これは殺るな』という迫力の方が強くてそれどころじゃない。
──彼女も、英雄なんだ。きっと誰かを殺して、殺されて。闘争の螺旋の果てにここに居る。
恐れるべきなのかも知れない。けれど、この親近感は何だろう。
もしかしたら、そこにこそ私が彼女を召喚できた理由があるかもしれず──
知らず、“もっと知りたい”という想いに突き動かされて、
「……ねえ。一つ参考までにさ、教えて欲しいんだけど」
「はい。何でしょうか、マスター」
「もしも、ランサーだったら、あんなこと言われたら、どうする?」
こんなもの、意味のない仮定だ。
ランサーは私にはなれないし、私もランサーにはなれない。
相手のことを心底理解できることなんてないのに、慮って想像して答えろなんて、マスターハラスメントと拒否したっていいだろうに。ランサーはその美しい睫毛を伏せて、
「そうですね。もしも、
一拍置いて、至極真面目な顔のまま、
「ブッ殺します」
「そっか」
何だか可笑しかった。
私の叫び、ハル神父への言葉の数々を聞いて、彼女も少し踏み込んだというか──胸襟を開いてくれたのだろうか。多分マスターとして命じれば、彼女はハル神父のことをその槍で貫いてくれることだろう。
けれど。
「ありがとう、スッとした。もしかしたらお願いするかもだけれど……今はまだいいかな」
「そうですか。今はまだということは、いつか?」
「判らない。判らないから──もっと、知らないと」
ハル神父の言葉。『美青が生きていれば、同じことをしたと断言します』──というのは、一般論かと思っていたけれど、そうとも限らないことに気づいたのだ。
「ハル神父と義母さん──臙条美青は、古い知り合いなの。彼が聖杯戦争の関係者だというなら、義母さんもそう、だったのかも知れない。だから、義母さんの遺品を探せば──」
「彼らの関係も、詳らかに出来るかも知れない。そういう理屈ですね」
「そう。それであの訳知り顔をぶっ飛ばす理由が見つかったら……その時はチカラ、貸してくれる?」
「勿論。私はあなたの槍であり、あなたの翼なのですから」
「……ありがと。それで、その……ごめんね。さっきのは考え無しでした。私のための聖杯戦争じゃないのに、勝手に濫用しようとして」
「……令呪の使用は、マスターの権利です。使うべきと思ったら、躊躇せずにお使い下さい」
「うん、判った。さっきは使うべきじゃなかったから、次の機会にね」
「はい」
ハル神父の言葉は許せないけれど。
少し、ランサーとの距離は、縮まったように感じて、それが嬉しい。
やるべきことは定まった。家に帰って、
「っしゃ。それじゃあ早速……」
行動方針も決まったことだし、さっさと帰って、探し物に着手したいのだけれど……。
「……聖、出てこないね?」
「マスターを運び出してから、少し経ちますが。おそらくハル神父と話し込んでいるのでしょう」
ランサーのべんりなルーン魔術のおかげか、屋外でも寒さは感じないからいいけれど。中に戻ればまたハル神父とひと悶着を起こしてしまうのは確実だし、私だって今は顔も見たくないし。ここで待つしかないというのも、何だか釈然としない。
……まあ、待つか。
そう思った、のに。
ランサーがば、と髪を靡かせる。
ひと呼吸前までは柔らかな無表情(矛盾しているようだけれど、そうとしか形容できないのだ)を浮かべていたその美貌に今やあるのは、かつて北欧の空から勇士たちの戦を見届けてきたという戦乙女たちの眼光、のみ。それ以外は透徹した真なる無表情。これまでにも幾度もなく見てきた、彼女が戦う時の剥き出しの
つまり臨戦態勢で、その視線の先には間違いなく──聖杯戦争の、敵が。恐るべき存在、驚くべき相手が。
今にも、広場に顔を出す──
そう。思った、のに。
「おや?」
ひょこっ、と姿を現したのは、何の変哲もない、ただの女学生である私なんかよりよっぽど
シスター姿の
ここへ続く階段をゆっくりと登ってくると、彼女の全様が露わになる。踝丈で黒づくめのトゥニカ──いわゆるシスター服は体格をはっきりさせるものだ。だから言ってしまうと──とても肉感的な身体、だった。
さほど高くなさそうな身長。私とは僅かに数㎝程度の差だろうに、よくもまああれほどのモノが、と感嘆するばかり。「同性ならだれだって、アレが手に入る可能性はあるよ」などと言われたとして、果たして納得できる女性が居るだろうか。私は絶対無理だ。よく女性が胸を見られるといい、男性はいいや見ていないと言うけれど、ごめんこれは私も見る。それくらいのインパクトが、彼女のシスター服を押し上げるふたつのふくらみには、ある。
それはきっと、尻も同じこと。
正面からだからその全体像は掴めないけれど、たぶん凄い。ハリウッドセレブがレッドカーペットを歩いている映像くらいは、だれしも一度は目にするだろう。アレだ。あの手の人間はだいたいパートナーが居て、「クソッ旦那はあれを毎晩好きにしてんのか……!」とか「アレに敷かれたんじゃそりゃ逆らえないよなあ」とか、男子どもが口々に言うような、アレ。
それで、じゃあウェストはどうなんだ、乳と尻に負けず劣らずの大ボリュームなのか、上から順に100・120・120なのかと問われればそうではない……と、思う。
断定できないのは、規格外のバストではっきりとは見えないから。
くびれは、見えない。
ただ、尻との急勾配でのみ、その細さを示している。これもまた、そのシルエットから推測するしかないベルトと、変われるものならば変わりたいという男たちは星より多いだろう。
手足もボディラインに見合った、均整の取れた美しくしなやかなものだった。きっとその部位専属のモデルだって引く手あまたであろうそれらが、けれど彼女の体という観点で見れば順当な各パーツでしかない。
ゆっくりと一歩一歩、近づいてくれば──その容貌も、首から下に相応しいものだと分かる。
流れる金糸のごとき長髪は、手入れを欠かしていないのが見て取れる。中央分けで流された前髪の下、つやっとした額が健康的だ。瞳はくりくりとして可愛らしく、すらりと通った鼻立ちにぷりっとした唇が魅力的。美しい、というよりはチャーミング、と表すべき美人の顔立ちだった。
総じて人間の理想像の限界に挑戦しているというか、それぞれが歪にならないギリギリを攻めて、かつそれに成功したようなイメージ。最初から完成した
「こんにちは」
「……こんにちは」
ランサーは霊体化している。もし聖杯戦争と無関係なら騒ぎになるだけだから、万一をとっているのだろうけれど──その配慮は、どうやら無用だったらしい。
にこやかに挨拶してくれたシスターに、私は警戒を解けずにいる。むしろ鳥肌は酷くなる一方。これほどまでに印象的な、魅力的なはずの彼女──それよりもその横の存在感、威圧感が弱まりはしないのだから。
「そんなに警戒しなくても、私たちに戦う気はありませんよ~? 私は貴女のお顔をひとめ、見ておきたかっただけですから」
穏やかに告げるシスターの言葉は、普段なら無条件に信じていいもののはずなのに。
じゃあ安心だ、と思えるくらい図太い神経だったならどれほど良かっただろう。霊体化を解いてもいないのに、シスターの従えるソレの気配は、
──舞い降りた銀麗の戦乙女。
──異聞より来たる、老賢人。
──雷鳴轟かす空馳せる弓兵。
──
そのどれよりも強く、濃い。
それこそ山か、河でも在るかのような。
強くて巨きいものが、すぐそばにある感覚がずっと、消えない。
「ミシェル・ドーソンと言います。以後お見知り置きを、臙条叶さま。ふふふ」
彼女は名乗り、嫋やかに笑った。
名を知られていたということよりも、私の名を呼んだときの含み笑いがいやに引っかかる。何か、その名前に、思い入れがあるような──
「こうしてお会いできる日を、待っていました。ええ。臙条美青さまの、義娘さま。ここフユキで聖杯戦争があるとなれば、きっと参戦なさるだろうと」
「…………
驚きはなかった。予感があったから。もともとそうじゃないかという予測のもとに今後の調査を進める予定だったし、私の名前に反応する部分なんて、名字くらいしかないって分かってたから。
「ええ、はい。臙条美青さま。聖堂教会きっての武闘派代行者。“夜の盲点”“教会の刃”。教会の敵と見定めれば迅速に、苛烈に、そして徹底的に排除するさま。ああ、今もこの目に焼き付いております」
「──────」
咄嗟に何も言えなかった。
彼女の語る“臙条美青”が、私の知る人となりと何一つ一致しなかったから。
私の記憶にいるあの人は、ぶきっちょで、出不精で、おまけにいい加減だった。
典型的なのがお米で、たまにしか炊かないのに毎回調子にのって、目分量で炊くものだからいつもお釜はみっちみちになってしまうのだ。私も
そんな、普通の、
──誰だ。
あんたの語る、そいつは。
そして、それを嬉々として語る、あんたは。誰だ。
「貴女にも、是非一度お会いしたかったのですよ、叶さま。こうして聖杯戦争が始まるまではご対面できる機会がございませんでしたのは
「……私なんかに会って、何がそんな嬉しいワケ?」
「それは、もう。どのような方なのか、どのように成長なさったのか、知れたならば素晴らしいことだと思っております。ですので──」
彼女は何が嬉しいのか満面の笑みで、ぽん、と両の手を打ち合わせて、
「どうぞ、お命などお落としになりませぬよう。くれぐれもご注意くださいね」
そんな、物騒極まりないことを、変わらない調子で言ってのけた。
***
「────」
ついぞサーヴァントを対面させることなく、第三種接近遭遇は果たされた。ミシェルは「それではどうぞ、お寒いですからお気をつけて」なんて挨拶をして去って、この場に残るのはまたしても私とランサーの二人。
「どう思う、ランサー?」
「かなり強力なサーヴァントです。この聖杯戦争における優勝候補と見て間違いないかと。──無論、最強はこの私ですが」
「そうだね。信じてる。ただ、最後まで姿を見せなかったのは、私たちを警戒しているからか、それとも“見せるまでもない”と思われてるってことかな?」
「どうでしょう。サーヴァントは人類史に刻まれた存在、裏を返せばそれほどまでに人並み外れた個我の持ち主です。あるいはあのマスターが、サーヴァントを御しきれるか分からなかったという可能性もあるかと」
確かに。そういう時のためのマスター権、令呪の存在であるように、サーヴァントは独自の精神性と目的のために動くほとんど自律した一個体だ。ミシェル・ドーソンのサーヴァントが、彼女の制御下にない可能性というのは想定していなかったけれど、案外ありそうな気がする。あれほどの気配を振りまく存在は、絶対気が強いに決まってるし。
「それより、あのマスター。やけにマスターに執着しているように感じました。話からして初対面のようではありますが──」
「うん。
聖堂教会の代行者、とやらだった頃の、知り合い。
けれど、生き抜くために。聖杯戦争の渦中を、泳ぎ切るための息継ぎの仕方を、学ぶために。
──知らなければならないのかも知れない。臙条、美青のことを。
「……帰ろう、ランサー。一刻も早く帰って、