「そんな訳がないでしょう、この、信じがたいほどの大馬鹿者」
カッと響く音は手の届く距離。
反射的に開いた目、視界に映るは木製の長杖。いかにも魔法使い用の、古めかしくて仰々しいロッド。
──頭上、上空から私の目前へ突き立てられたのだ。下手人は、杖に遅れること一拍で降り立って、私とライダーの間に立ちはだかる。
私はもう訳が分からなくなって、口をついて出た言葉は、
「────かあ、さ……」
それはなんて寝言妄言の類。
けれど仕方がないだろう。
彼にはちゃんと両手が付いていたし、そんなどこかの民族衣装みたいなのを纏ったりしなかったし、なにより私を背に庇って立つようなことはしたことがなかった。
靡く銀の髪。
紅玉の如き瞳。
日に焼けてもああはならない生まれつきの褐色の肌。
──隻腕のハル神父が、そこに居た。
「やれやれ。こんな手のかかる
***
ライダーは即座に臨戦態勢をとる。
「貴様…………ッ」
相対した男は満身創痍どころか死にかけと言うべき容体だ。
まず目を惹くのは右腕の喪失、肩関節のみが辛うじて残る欠損は生身であればそれだけで死に至ることもある重傷…………ではあるものの、処置はされているように見受けられた。衣の下、巧妙に隠されてはいるものの欠損部分を起点に全身蜘蛛の巣のように罅割れが走っている。瞳も片方巻き込まれて──あれは失明しているか。
外見のみならず内部の損傷も悲惨なようだ。呼吸が怪しい。喘鳴が聞こえるというのは超人たるサーヴァントの常態にはありえないことだ。四肢にも細かい震え、顔色も異常に紅潮している。
とても戦闘など可能な状態ではない。絶対安静のみが彼に求められるはずの惨状。
……この場の誰も知らないことだが、彼がボロボロなのは三日前の夜──『
生きている方が不思議な惨状。
それを見て、ライダーは警戒度を強めた。
──手負いのサーヴァントほど危険な存在は居ない。
これが聖杯を求めて生に執着する参加者ならばまだマシだが、目前の彼がそうとは思えない。先刻のランサーと同じ、自分が消滅することも厭わない輩は何をしてくるか、恐ろしくてたまらない。
前提条件からして違う。あちらはただライダーさえ倒せればそれでいいのだ。ライダーは自分の命を守りながら勝つ必要があるというのに。
「貴様は『第五次聖杯戦争に関わるつもりはない』と言った。それが何故出張ってくる」
「ああ…………そんなことも言いましたっけ。あれは嘘です、忘れてください」
「貴様ッ──」
「ボクはこの子の後見人を任されたものですから」
地に突き立った杖を執る。
厳かに、尊きを祀る司祭のように。
「聖杯戦争など知ったことか。彼女に手を出すのならば、私が相手だ────」
「そんな言が通ると思っているのか、第四次聖杯戦争のキャスターの分際で!!」
***
「………………えっ?」
今、ライダーは何て言った?
何を言ったのか聞こえても、
理解できない。
ハルくんが、聖杯戦争で喚ばれたサーヴァント?
そんなこと、あり得ない。
あり得ない。理由とかは無いけれど、とにかくそんなの認められない。到底受け入れられるものか。
そうだ──ハルくんは十年以上、ずっとあの教会……フユキ・サンタンジェロ大聖堂に勤めていたじゃないか。ミサもやってる、私だって行ったことがある。サーヴァントならそんな職に就くなんてとても────
違う、考えるべきはそこじゃない。
仮に、本当に彼がサーヴァントだというのならば、前のキャスターであるのならば、
「マス、ターは」
「……キミも良く識る人物ですよ」
「他に誰が居る────臙条
そうだ。
ミシェル・ドーソンの昔語り──あれももう随分と前のことのように感じるけれど、そのおしまいに彼女が打ち明けたことじゃないか。
臙条美青はマスターだと聞かされていた。ならばサーヴァントも居て然るべき。ライダーは同じ
……大方、私が混乱して話が脇道に無限軌道で入っていかないようにという配慮か。事実いま現在の私はハチャメチャに混乱している。思考はガッチャガチャのブレッブレだ。何考えてるんだ、いまの私?
ええと、違う、だからそうじゃなくて──
そう、そうだよ、おかしいって話。
二百年以上前から始まって、四回開催されたというフユキ聖杯戦争。今回が第五次だから、計算してもだいたい四十年くらいは間隔が空いてるはず。
時間が、つじつまが合わない。
「あり得ないよ……。第四次、って何時の────」
一瞬、ハル神父の肩が強ばったように見えた。
何でか判ったのは後でのこと。
誤魔化しようもなく、ライダーは詳らかにする。──真実を。
「何だ、知らなかったのか?
「──────」
──十年前。
フユキ大火の炎。
極彩色に照らされた地獄。
私がすべてを喪失して、『臙条叶』になった夜。
あれら全てが、第四次聖杯戦争によって引き起こされたもの、だと──!?
「────美青のせいでは、ありません。それだけは保証します。彼女は戦火を抑えるべく奔走していました」
私が何を考えるか先回りするように、ハルくんは呟く。そこでまず出てくるのが自分の名前ではなく
「まったく……どうしてこう、キミは行くべきでない、行かずとも良い方へ方へと…………」
この戦場のど真ん中に降り立って、臨戦態勢のライダーと対峙しておきながら、ハルくんはハルくんのいつも通り。マイペースに呆れた顔で、毎度顔を合わすたびに鬱陶しい説教をしてくる空気感を保ったまま。
授業のサボタージュを非難するときと同じ調子で、
「良いんですよ、知らずとも。子どもなんですから、過去に拘らずに、こんな街なんか出ていって、のびのび健やかに生きていけば良いんです。
聖杯戦争なんて首を突っ込んでほしくないと、あの人もそう思っていると、どうして理解できないのか」
彼の背中はいつも厳しく私を諫める背中だ。正しく揺るぎなく突き放す言葉。
「────それでも、キミが生きていれば、それ以上望むことはありません」
彼はそんなことを言うときばっかり振り向いて、私の目を見て──祈るみたいに、微笑んだ。