いくら走っても、サーヴァントから徒歩の魔術師たちが逃れられるはずもない。ましてやこの森は敵の陣地。
むしろよく頑張った方だろう。
それもこれも、身体を張ってライダーの足止めをした者たちが居ればこそ。
──悪魔の軍勢を単身引き付け帰投させなかった、椎名聖のキャスター。
──消滅するまでライダーと渡り合い続けた、臙条叶のランサー。
──そして間一髪のところで割って入り少女を救った、臙条美青の──第四次聖杯戦争のキャスター。
誰ももう、残ってはいない。
「観念することだ。逃げる場所もどこにもない」
「…………」
独り追いつめられた風な少女を前に告げるのは孤独な王。
タフムーラスの率いていた悪魔たちはすでに尽きていた。あれは無尽蔵の召喚術ではなく有限の引率。悪魔たちはライダーの召喚時に宝具として得た鎖──『
ライダーの焦りはそこにあった。ルーラー戦で切札の大悪魔アンリ・マユがあっけなく即死消滅してしまったのはほとんど致命傷のようなもの。サーヴァント本体が生き残っていても、有象無象の悪魔たちがいくら居ようとも、聖杯戦争を最後まで勝ち抜くには心もとなさすぎる残存戦力だったのだ。
それでも、それだけならば勝ちの目はあった。アーチャーやランサーの真名までの彼は『勝てる』と思ったのだ。
──サーヴァント・セイバー。
ブリテンの騎士王アーサー・ペンドラゴンが召喚されていなければ、ここまで強引に追加戦力を求めることも、マスターの腕を刎ねて決裂することもなかったろうに。
彼は英霊としてライダーと同格か、ややもすると上であると認めざるを得ない超有名騎。
二つの至上宝具を担う、最強最優の剣士。
アレを倒すための、アレに勝つためのチカラが要る。そうなったとき、目についたのが臙条叶。一見普通の少女である彼女がルーラーの『
術理に明るいタフムーラスは初見で分かった。アレは複雑に緻密に構築された魔術。己の悪性を武器に世の摂理を捻じ曲げる“魔”なる神秘。適切に運用すればサーヴァントにさえ有効な兵器となり得る。
故に油断はしない。少女が常に
そしてそれは、ルーラーの心臓に刃を届かせた
「ヤツはどこだ? まあ聞くまでもないか」
「逃げたよ。あいつは尻まくって逃げた」
「そうか。それは良かった」
相槌に何の感情も籠りはしない。なにせ信じる余地が皆無であった。
今更あれほどの男が、己が身の可愛さに逃げる訳がない。どうせどこかに潜んで気を窺っているに決まっているから、心境はこれまで通りの警戒態勢一択。そういう意味では逆にライダーは椎名聖という男のことを信じていると言えよう。
どちらがいつ何をしてもいいようにゆっくりと、臙条叶ににじり寄る。
一歩、二歩。
「それよりも──貴様は私に会いたがっていただろう。随分と求めてくれていたな」
臙条叶のその言葉で、ライダーは相手が臙条叶ではないことを悟る。あの少女ではない。肉体は同じでも
ライダーが戦力として求めた“魔”がそこに居た。
「ならば存分に味わうといい。そして溺れろ、それが貴様の終わりだ──!」
「貴様は────」
少女の皮を被った何かが瞳を赫く点らせる。ゾゾゾゾゾと音を立てて血管から黒い血のような何かが──悍ましく蠢く闇黒の触手。
細腕のどこにそれほどの量が潜んでいたのかと驚愕するような奔流がライダーに押し寄せる。それは黒色の大樹の枝や根のような……ほんの刹那、ライダーは未だ第五次のキャスターが生きているのではないかと疑りもした。北海深くに潜むという
術士の正体──真名はついぞ不明なままではあるが、神秘に属する生命体を召喚する能力を有しているのは確かだ。少なくとも少女の中にこれほどの数の触腕が潜んでいたと考えるよりも、よほど現実的な可能性ではある。
無論そんなことはあり得ない。教会に用意させた霊基盤は確かに
であるならばこれは、これこそはやはり臙条叶に宿っていたモノのチカラ。
怒涛となって押し寄せる黒のうねりにライダーが臆することはない。元より呼び起こし、ねじ伏せ、御して従えるつもりであったもの。あちら側から来たとて何を恐れることがあろうか──!
「貴様が如何な力を有するとも、“悪”であることに変わりはない。故に貴様に、余を討つことは叶わない──」
濁流のように押し寄せる触手攻勢を迎え撃つには、その鎖はいかにも頼りない。けれどそれが悪性に対して無慈悲なまでの絶対性を発揮することを、今や知らぬ聖杯戦争参加者は居まい。
ペルシャの悪魔であろうとなかろうと、そこに悪を認めたならば。
これを封じるのが『
「貴様は余のものだ──」
「なワケねぇだろ──!!」
鎖を振り回す隙を狙って椎名聖が突っ込んでくる。木々に登って陰に隠れることくらい、彼にしてみれば容易いこと。
「
予期していたライダーは当然手を打つ。出現させた鎖を敵に向けてではなく、おのれで振り回して腕に巻きつける。ひと巻き、二巻きで二回り大きくなったシルエットが魔剣をしっかと受け止めた。
ぎち、ぎり。
椎名聖渾身の打ち込みを、ただの片手で。
ではもう片方は。そちらにも同様に鎖を撒きつけた剛腕一撃、黒の波濤を制するのだ。
悪を封じる鎖に裏も表も無い。ライダーに疚しいところがないのなら、その腕に巻きつけた鎖は強力な退悪性を保ったまま、コンパクトな攻防一体の武器と化す。
「く────ッ」
魔剣の攻めをいなし、触手の奔流を凌ぎきる。
残るは剣士一匹、どうとでもなる。
そう考えるのを、二人は待っていた。
そこから膨大な魔力が地脈を通じて流れ込むのをライダーは感じる。人ならぬ大地が、どくん、と脈動するような錯覚。
「貴様、何を!」
「悪いことさ。決まってンだろ」