爆音。
咆哮。
戦闘機がすぐそこを飛び抜けたような風切り音。
地獄は音で満ちていた。どれも聞き馴染みなど絶無の、生涯聞かずに済むようならそれが一番の、聞きたくない異音ばかり。
耳がわんわんと痛い。頭がくらくらしてしまって、私はお父さんの胸の中でうずくまるように縮こまった。
感じるのは走っているゆえの振動と、鼓動と、吐息。嫌な音も、瞳孔に焼き付く惨状も、何も無くなるような安心感に逃避する。
そうしていれば安心だ。万事お父さんに任せていればいい。きっとすぐに、この真赤な最悪から抜け出して、またいつもみたいに私の泥や何やらで汚れた頬を優しく拭ってくれるんだ。私はお父さんのそういうトキの優しい表情が好きで、敢えてというほどではないにせよ随分とお転婆に遊びまわっていたのを思い出した。お母さんは居なかったけれど、私はこの身に余るほどの愛を受けてすくすくと育っていたんだったね。
それが、もう。この夜に全部、台無し。
「──────」
──
何かはあったのだ、決定的で致命的な、お父さんに作用して変質させてしまった何かが。
そうでなければ、やりきれない。
…………私のこの悪夢は、私の知り得る情報のみで構築されている。だから実際のところ何が起こったのか、幾度繰り返そうとも新たな事実など明らかにはならない。
起きた事だけを語るならば、私は突如として投げ出された。というよりも宙に放り出された。
走っていたお父さんの勢いそのままに宙を舞った私は地面を転がって、何が起きたか判らないけれどそれでも立ち上がって、
「おと──お父さんッ!!」
顔を覆って蹲るお父さんに、完全にパニックになって駆け寄った。
落下の際にぶつけたのか、左肩がひどくじんじんする。動かそうとして衝撃が走った。
動かせる方の手だけで、お父さんの背中を揺すりながら声をかける。
「お父さん、お父さんっ。なにがあったの、大丈夫!? ねえっ!」
「ごア゙……ッ。か……なぇえ……っ」
私の名を呼んだのだと、辛うじて意味が伝わったのがほとんど奇跡みたいな苦悶の呻き。
私はてっきり、お父さんが懐に忍ばせた拳銃が暴発したのだと思った。銃声はしなかったけれど、聞こえなかっただけ。辺りはごうごうと、命を燃やして鳴る騒音で溢れかえっていたから聞き逃したのだろう、と。だってそれくらいじゃないとおかしい苦しみ具合で、だから私はどこに当たったのか確かめようと、ダンゴ虫みたいに丸まるお父さんを何とかしようと必死になっていた。
「うぐ! うああ゙あ゙あ゙ッ、か──ぐぎっ……!」
耐えるために動かず蹲っていたのが一転してのたうち回るお父さん。とうとう口からは意味をなさない悶絶の怯声と、ケダモノのような涎だけがこぼれだす。お父さんの胸にも、身体のどこにも、銃で撃たれて出血している箇所はなかった。
ただ、その瞳に理性の光もなかっただけ。その瞳に映る色彩は、先刻の自殺者のそれと酷似していた。
──お父さんは、とうとう狂ったのだ。
「ガ、ごけっ……クおおお──」
「ひッ────」
ぴたりと悶絶をやめ、ジャングルに住む奇妙な類人猿を思わせる動きで、お父さんだった残骸は身を起こす。
暴れ出した時点で振り払われていた私は、得も言われぬ恐怖に突き動かされて、一歩。後退りしたのは間違っていなかった。そのまま踵を返して、黙って走り逃げていれば──なんて、出来もしないことを言っても虚しくなるだけ。
当時のまだ幼かった私も理解していた。お父さんの
それを私の感情が受け入れられるかは、まったく別の話で。
「──────……おとう、さん」
駄目だと理解して居つつも、つい呼んでしまう。縋ってしまう。ただ一人頼れたはずの家族を。つい先刻まで絶対無償の愛を注いでくれていたはずの、掛け値なしの献身を捧げてくれていたはずの肉親を。大好きなおとうさんのことを。
そんな物音、狂気に堕ちた大型生物には逆効果。
ぐりん、と首だけでこっちを向いたあと、遅れて身体が追従する、動き。
私を見据える、奇妙な
たったそれっぽっちで感じ取ってしまう。
────殺意を。
「ひ、や…………イヤアアア、っぐ──!?」
悲鳴が耳障りだったのか、お父さんだったものは私にとびかかると容赦なく首を絞めあげる。
喉に回された成人男性の両手なんて現在の私でも引きはがせない。当時の私なんてなおさら無力。ぎゅうぎゅうと絞められれば、あっという間に視界がちらつき始める。きっと顔なんて真赤を通り越してどす黒くなっているだろうに、それを見てもお父さんはもう何も思わなくなっていた。力は緩むどころか一層増してゆく。
絞める手をバリバリと掻きむしったり、胸板をばしばしと叩いたり、
もう何も聞こえない。あれほど五月蠅かった街の悲劇も、今は遠く、
もう、耳鳴りだけだ。