それでも、即座に斬りかからなかったのは、優しさゆえではない。
この世界で嘘を吐くことは難しい。殺意も疑念も剥き出しなように、肉体という覆いを取っ払った状態だから小手先の
聖もそれが判っているから、行動に移す前に一拍置いた。
ベリアルに害意はない。
けれど、この疑念を放置しておくことも危険だ。
これから遂行するミッションは
もちろん口に出した覚悟もできている。ベリアルが真に敵であるならば、刺し違えてでもここで終わらせる構えだ。
──果たして、自らを人類悪と称したものの答えとは。
「いま釈明する気は無い。事情のすべてを説明するにはこの場は不適切だし、何より──」
赫の十字裂瞳がまっすぐ聖の視線を受け止める。おそらく唯一アインツベルンからの借り物でない部位を曝け出して、
「……あの子を──臙条叶を助けるのに、もはや一刻の猶予もないんだ。だから」
「だから、見逃せって?」
「
「────」
聖としても、計画通り。
ここでベリアルの一段踏み込んだ本音を聞き出そうという目論見は達成されたのだが。
「………………」
…………まさか、ここまで言うとは。
世界を焼いた
面食らうと同時に好奇心がムクムクと身をもたげるのを、聖は感じた。
「……判った、いいぜ。ただし終わったら本当に全部
「構わない。それであの子が戻ってくるのなら」
聖とベリアルは崖に足をかけて覗き込む。
断崖の下に広がるのは赤く焼けた夜。
臙条叶の深層心理に焼き付いた、第四次聖杯戦争の最終幕──『第一次フユキ大火』の記憶だ。
二人が居るのはその上層。深層心理ほど潜る前の、無意識と意識の狭間の前庭となる地。虚空の浮島、遺跡じみた廃墟の残骸。飛び降りればそのまま記憶の深淵に開いた大穴に繋がる。
──地獄めいた惨景であった。
「──あの中、か」
「ああ。叶の魂はあそこに在る。この世の地獄、悪性情報の坩堝。その渦中にて、最悪の記憶をリフレインして自らで自らの魂を急速に摩耗させつつある」
「…………最悪の記憶?」
聖が聞きとがめる。
言い草が引っかかった。
だってそれじゃあ、まるで別物のようではないか。地獄とはあの大火災そのものではなく、その中の一点のみを指すような。
死者五百余名を数える大惨事で十二分に悪夢そのもの、ひとの一生を決定づける致命的な岐路たりうるもののはずで、椎名聖もだから“まさか”と思いつつもそれ以上は想像を膨らませようとはしなかったのに。
現実は配慮など容易く飛び越える。
「その通りだ。………………ここまで来たなら、黙っている意味もない」
「まだ何があるってんだよ……」
けれど、この段階の椎名聖には、まだ余裕があった。
能面よりも無表情なベリアルが、重々しい口を開くまでは。
「────────███だ」
「はあ? それは……、────」
それきり、それ以上問えず、さしもの椎名聖も絶句する。
ベリアルの表情は真剣だった。冗談ではない。
──冗談では、無かった。
「────っっ」
最早一言もなく、椎名聖は身を翻す。
飛び降りる先は赫厄たる夜。
少女の、秘されたる記憶の庭。
早く、迅速く。あの子の元へ、真っ逆さまに──