「…………、」
ベルが何を心配しているかも察している。
私がもう幾度も繰り返し堕ち続けた地獄、お父さんをこの手で殺す責め苦をこれ以上はさせたくない、という配慮。ありがたいんだけれど、私の心情は逆なんだ。
かつてお父さんだったモノを、今やお父さんを象るモノを、私以外の手にかけさせたくはない。
「──私は殺したよ。私が殺してしまったんだ。それを──私の罪を、ごめん、例え貴方にであっても譲りたくない。奪われたくないの」
「……………………」
正視に耐えないほどの罪であっても、それは私の過去。
もう目を背けたくないんだ。
「お願い、ベル」
天より伸び降る触手をそっと手に取って、握る。暖かさも柔らかさも感じないそれはピクッと小さく身を竦ませ、……ゆっくりと私の手を
「……どうせ、私にお前のワガママを御せたことなどないんだ。好きに使うがいい」
「うん。ありがとう」
私の手の肌へと何かが浸透して、大きなものと繋がっていく感覚。見れば私のなまっ
瞳が開いてゆくとしか形容できない異質。
「だが忘れるな。此なるは世界すら焼き尽くした魔眼、獣の権能のその一端。全てを台無しにするような無様だけは、してくれるなよ──!!」
見える景色が変わる訳じゃない。
変わったのは私──この瞳には力が宿ると、啓蒙してもらった/させられてしまっただけ。あの夜に瞳から脳へ入って未だ燻る焔種を、現実に投射する焼却の異能の力が。
力は、更なる反応を引き起こす。
【『〔
世界そのものが、慄いた。
生身の人間が恐怖に総毛立つように地獄の表面に波が起こる。火と血の入り混じった赤黒い汚泥が猛烈なスピードで、お父さんの穴という孔から潜り込んで膨れ上がらせる。
……人間の体内に収まる液体の量といったらどのくらいだろう。飲めるのは2パイントくらい? 体液全部なら10ガロン以上だったっけ。
今動くものは、そんな桁では量れない世界そのもの。バスタブよりもプールよりも海よりも多い、一個の宇宙を人の皮に無理矢理詰め込むようなような暴挙。
歪に膨れ上がった泥風船の人形が、ぱつぱつの足で地を踏みしめる。悠々と十階近いビルの屋上に丸まると張り詰めた手をかけて、
【「【『
泥を涎のようにぶちまけ続けながら、咆哮した。
「………………ッ」
音の圧力に潰されそうになる。
「おうおう、趣味の悪いことで。…………ずっと臙条の胸の傷孔に淀んでた呪いだからな、何をされたら厭かも知り尽くしてンだろ。気にすんなとは言えねえが、やると決めたんならやり徹してみせろ」
ばん、と背を叩かれた、そんな即物的な衝撃よりもずっと大きい、傍らの存在感。
それだけでこんなにも──力が湧いてくる。
「大丈夫。見てて」
私の身体に収まりきらない魔力と、お父さんの皮から溢れ出した泥が中間地点で激突し火花を散らす。
拮抗する波濤に苛立ちを募らせたか、巨人と化したお父さんは一歩進撃した。地響きと泥の飛沫を伴いながら、私を手中に収めようと──握り潰して啜り尽くそうと──迫ってくる。
その姿から目をそらさない。どれだけ見ていられない有様でも、私が為すべきことだから。
銃を構える。
ベルの許可と同じく、これだって別に必要なものじゃない。魔眼は見て発動する
もう一方と比べても特に
夢の中だからだろうか、意のままにあっという間に準備は整って、あとは引金を引けばいいだけ。
その前にもう一度。私は顔を上げる。
「【〈【
迫りくる巨怪の顔はほとんど原形を留めていない。内側からパンパンに膨れ上がっているし、目からも口からも鼻からも、穴でないはずのところからもドロドロと黒い泥を垂れ流している。よくもまあ他人の顔でここまでの異顔を形作れるものだ。それとも、もはや人ではないからいくらでも歪めていいということなのか。
けれど、どうあれ、私のお父さんの顔なのだ。
歪でも、悍ましくても、絶対に忘れるものかと眼に焼き付けて。
「────ごめんなさい。さよなら。きっともう……これっきり」
銃声は大音声に掻き消されたけれど。
銃弾は確かに届いた。
『【〈『
額に小さな穴が穿たれる。
夜の街並みよりもなお大きい巨怪からすれば、
──けれど、
拳銃と接続し銃弾と合一した焼却の魔力が撃ち込まれ、泥の中で爆ぜた。火花は泥と連鎖的に反応し、硬直していた巨人から溢れ出す。
『第一次フユキ大火』の夜の、魂までも焼き尽くしてしまいそうな火。
サーヴァントたちが消滅・退去する際に見せる光。
──そのどちらとも異なるように感じる灯。それが、泥巨人の肉体を崩壊させていく。