お父さんの皮の中に押し込めて張り詰めた呪いは柔らかくほどけて、宙に昇っていく。無に還る。
本物を見たことはないけれど、蛍はこんなふうに光るんじゃなかったっけ。天の国へ届けばいいな、と思わせるぬくもりの灯を見上げていると、
「…………
「え、
聖に言われて既視感の根源にたどり着くも、それを表現する言葉は食い違う。私の問い返しに彼ははたと気付いたという顔をして、
「ああ、
盆に現世に還ってくる故人を、再び彼岸へ送り返すための灯籠流しは、本来は船に乗せて川や海へ──水辺へ流すもの。こうして風船のように空へ送り火をするということはないけれど、願うことは共通していることもあって連想するのは不思議じゃない。
そういう行事は、私にとっては『精霊流し』。
聖の連想したという『万灯会』は船で水辺へ流すものではなく、通りや寺社境内に──つまり地面の上に──灯籠を並べ飾って送り・迎えるための火だそうで。故人のための灯であることは同一だけれど、
「ちょっと違わない?」
流れていく燈火と、その場に留まって光り続ける燈火とでは、毛色が異なると思うのだけれど。
「いいんだよ。万灯会でも精霊流しでも、この光景をどう呼んだってさ。細かいこと言うのは野暮ってもんじゃないか」
「聖が最初に言ったんじゃん」
ブツクサ言っても、心は穏やかでいられる。この空の下、灯と共に還ってゆく想いの破片を眺めながら、本気で怒ったり悲しんだりすることは難しい。ちっぽけな私のことではなく、もっと別のことに想いを馳せよう。
「────もう、集まらないかな。誰が誰かも判らない呪いに、ぐるぐるに混ざって泥になったり、しないかな」
「……廃棄孔ある限り、悪性情報は蓄積される。けれど、ここまでのことになることはあるまいよ」
私の中に戻ってきたベルが呟く。
私は「そっか」とだけ。
これほどの光景でも、世界はそう変わらない。罪も悲劇もそこにあって、昨日も明日も等価値に巡り続ける。それは悲しくて寂しいことだけれど、同時に少し安心してすら居た。私がどれだけブレても、揺らぐことのないものがあると信じたいから。
……夢の景色全体が仄明るくほどけて光に消え始める。この夜は悪性情報とやらで形成された悪夢劇場。私の点けた灯が広がれば、全部が消えるのも当然か。
空も、大地も、炎も────何もかも、淡く光に包まれて去っていって。
「夢の、終わりか」
最後まで残っていた椎名聖が囁いて、そして本当に──────
***
──初めに感覚するものは、匂い。
生々しい、焦げ臭さ。とは言っても火事のそれではなく、朝食のトーストが黒焦げくらいのこじんまりとした異臭だけれど。
次に眩しさ。夢の灯りの柔らかさとは異なる、まぶたを経てもなお
「目を覚ましたようだぞ」
聴覚情報を受けてようやく、
「ん…………」
まだ瞼を開けるのがつらくて、もぞもぞとのたうつ。寝具……の上に寝かされていたらしい。そもココはどこで、今はいつで、──私が誰かだけは判る。
「おはよう、臙条叶」
誰か知らない人の声で呼ばれるまでもなく、私は臙条叶。
罪も失敗も全部背負って、私は私のまま──呪いの泥に食いつくされることなく、戻って来れたんだ。
瞼をこじ開ける。涙が零れそうな朝の光に逆光になって、起き上がった背がシルエットになっている。顔が見えなくても、一言も喋らなくても、誰か判った。
「やっと目を覚ましたか。いつまで眠りこけるつもりかと思ったぞ」
「──起こしてくれてありがと。大丈夫、もう起きたよ」
「起こしたんだっつーの。まったく、次は水かけて起こしてやろうか」
廃棄孔に墜ちて悪夢のリフレインなんて、そう何度も体験したいコトじゃないけれど、また彼に起こしてもらえるなら──なんて少し気を惹かれてしまう。なんて現金でアッパラパーなんだと理性が戒めようとしても、この感情が消えて失せる訳でもなし。
私はいつも通りの表情を必死に保ちながら、
「おはよう」
ちゃんと、椎名聖に朝の挨拶を。
一日ぶりか。
四日ぶりか。
一週間ぶりか。
それとも──十年ぶりだろうか。
──日が昇って、夜は明けて。
私はようやく、ちゃんと目覚められたんだ。