二人が階下に消えてまもなく。
椎名聖の予測──『フェリシアが自分たちを排除しようと思えばいくらでも可能』という目算は実際のところ的外れで、フェリシア=エヴリン・モンデンフェルトにはそんな余力は残されていなかった。
魔力の問題ではなく、これ以上酷使すれば『
未完成であることを、フェリシア以外に知る者はもういなかったから。
本当に完成すれば、こんなものでは済みはしない。済ませるものか。抗うことも、逃れることも叶わない、世界を犯す大罪魔術。
──
祖たりえぬ礎。
月世界到来のための
人理版図そのものを
では、それを未完成とはいえ、一個体に集中して使用すればどうなるか。
「────」
粘液が晴れて、人影は二つ。
肩で息をしているフェリシアには、他に大きな変化はなかった。粘液はあくまで手出しを防ぐため、フェリシア以外の観測を遮るため、それと──
──真に変わるルーラーのお披露目を盛り上げる、緞帳のため。
「ふふっ、うふふふふふふ……! いいね、いいよ、コンスタンティヌス……! 見違えたよ、美しい──!!」
現れた男は、大枠では変化していないように見えた。確かに、装いが若干派手になっていたり、髪艶が良くなっていたり──最大の変化として開かれた瞼の下、瞳が
けれど何より雄弁に差異を語るのは、彼の行動。
興奮するフェリシアに対して、
殺意を向けていた相手にしては、いささか奇妙に過ぎる切り替えぶり。
仕舞いには、
「──それで、
なんて己が小間使いであるかのように問う始末。
ルーラーの変容も確認できてご満悦のフェリシアは、
「えーっとねぇ。正直なところ、やってもらうことは殆ど変わらないんだ」
あくまで
「第五次聖杯戦争、その参加者を
フェリシアは、そこで一旦発話を区切って、くるりと舞い回り、
「キミみたいなのは、こう呼ぶんだってねね──
***
『キャスター、キャスター! ……くそっ、
どうやら念話は不通らしい。こんな変なところにブチ込まれたら、そうもなろう。
完全に沈黙していたエレベーターを素通りし、四五階ほど一気に駆け降りると、先を走っていた聖が非常階段から飛び出していった。私も付いていく。
「このまま一番下まで行かないの? 私、32階下る覚悟決めたところだったんだけど!」
「それで出られるならそうするけどな。多分無理だ」
廊下に出た聖は、一切躊躇せずに客室の一つのドアを蹴破る。空室かどうかとか、今は気にかけてる余裕がない。なにせ非常事態も非常事態、緊急避難とか超法規的とかそういう表現が適切な大混乱そのもの。
ベランダまで駆け抜けて、手すりから下を眺めると、そう遠くない位置に私たちを包む赫い世界の
どうやら、最上階──『
「一つはこのまま、隠れ潜んでやり過ごす」
聖は某かの作業を続けながら、きっと私に向かって口も動かす。器用なやつ。
「こんな大魔術を長いこと維持できないだろうと賭けて、崩壊を待つ。これはうまく行けば労力は最小で済むが非推奨。不確定要素が多すぎる」
「えー……まず、ルーラー?」
「その通り。ルーラーと、それにかかり切りのフェリシアがいつ手が空くか知れたもんじゃない。ルーラーが本気で動けば逃げきれないだろうし、フェリシアがこの結界を弄れるなら逃げるどころじゃない。いつ崩壊するかだって不明だし、結局、相手次第の分の悪い賭けさ」
基本的に俺、賭け事弱いしな、と呟く聖。確かにあんまり強そうに見えない。作戦とか読みなんかはしっかりしていても、ここぞという時の運は無さそうというか。
私もギャンブルなんてやったことはないけれど、運は悪いから乗っかろうって気にはならない。
「なら、やっぱり脱出を目指すの?」
「ああ。こんなとこ、いつまでも居たくないだろ」
「それはそう、だけど。それで、じゃあ…………
彼がこの部屋を占拠してからこっち準備していたブツを指さし訊ねる。毎度恒例のどこから取り出したのか知れない、几帳面に束ねられたやたら長い索条。
既に嫌な予感しかしない。
がちん、と硬質な音を立てるカラビナを取り付けながら、聖は一言。簡潔明瞭に、
「命綱」
──ああ、ランサー。どうか、帰ってきて。