闇を見通す死徒の暗視能力があるからではなく、その空間ははっきりと明るかった。すべて岩で出来た天然のドームは端から端で三キロほどもあるだろうか。こんもりと盛り上がっている丘のような地形の向こう側に、この大空間を照らして尚余りあるほどの光源が存在する。
彼女はそこに何があるのかを知っている。ゆっくりと、自らを焦らすように丘を登っていった先──広がるのは、絶景。
すり鉢状に窪んだそこには、巨大な魔法陣が敷設されていた。
これこそは大聖杯。
フユキ聖杯戦争の要たる、超抜級のアーティファクトである。
数十年かけて地脈から魔力を汲みだして貯め続け、サーヴァント召喚の必要量に達すると聖杯戦争を開催される巨大機構。現在進行形で、並の魔術師では到底不可能なサーヴァント現界の維持も行っている
この巨大霊装が本格的に起動し、万能の願望器として利用できるようになる──あるいはアインツベルン家の悲願とやらを達成するためには、七騎の英霊の脱落を待たねばならない。だが、そう遠い話ではないとフェリシアは踏んでいた。
何しろ事に当たっているのはルーラー・オルタ、サーヴァントとしては別格の存在だ。
永くても夜明けまで。それ以上はかからない。
「だから、それまで──今夜は準備しないとねェ……?」
フェリシアは舌なめずりをしながら、
右の手刀、一閃。先刻、柳洞寺境内でも見せた肉体の強靭化による人体破壊だが、何故自分に向けるのか。死徒には復元呪詛と呼ばれる再生能力が備わっているにしても、ただ切除するだけなら無駄な行為でしかないだろう。
何か理由があるに決まっている。
──果たして、彼女は懐から、
伸ばした形、何かを掴もうとするように広げられたその左腕は、いやに白く、そして
吊るされた罪人の左手を加工して作られるその魔術礼装を皮肉なことに『
「まあ、これは蝋燭と組み合わせるヤツじゃないんだけどね……」
嘯きながら、自らの左腕の切断面に、ズチャッと音がするほどの勢いで屍蝋を押し当てる。死徒の血液は敏感に悍ましい魔術礼装と結合し、元来の肉体とは異なるそれを受け入れ、取り込み始める。
「さしずめ『
この辺り──だった筈とフェリシアが記憶している地で数百年前に発生した、民衆による一大叛乱。その首魁はまだ若い少年だったが、さまざまな奇跡を齎すことで強い求心力を発揮した。民は少年を信じ、戦いに身を投じ──そして死んだ。その悉くが。
それだけを見れば歴史の一幕、よくある一頁でしかない。着目すべきは、少年指導者が
彼は特異な腕を持っていた。本来であれば繋がらない基盤と魔術師を接続するその腕が、『いつか何かに役に立つ日が来る』と確信した彼女は、斬首された少年の死体から両腕を盗み、加工して礼装としていたのだ。その後右腕はとある取引の代価として支払い手放したが──左腕を残しておいて本当に良かった、と彼女は思った。
アインツベルン家とのやり取りの中で、この大聖杯が一個の巨大な魔力回路であることも聞き及んでいた。今こそ、この腕が役に立つとき。
『聖者の手』を接続し自分の腕とすることで、その特性をも自らのものとする。その力があれば、大聖杯に直接干渉して望む形に改竄も出来るはず──!
「──なるほど。それで大聖杯を大聖杯ならざるモノに変えて、契約を潜り抜けようという腹積もりでしたか」
「ッッッ──」
バチュンと血肉の弾ける厭な音。
フェリシアと『聖者の手』を繋ぐ一点を正確に、強烈な
完璧な不意打ち。それでも、一般的なレベルの魔術ならば死徒に通用するはずなどない、のに。
一撃は癒着途中の脆い接合部をぐちゃぐちゃに破壊し、魔術礼装はぼとりと地面に落ちる。
それを拾おうとしたフェリシアの顔面に、もう一発。綺麗な顔立ちも粉砕され、七穴は大きな一つのクレーター。
衝撃で吹き飛ばされ、放物線を描き──くるっと一回転して足から着地した時には、既に元通りの人間離れした美貌がそこにあった。驚愕と憎悪に見る影もなく歪んでは、いたけれど。
「馬鹿な、貴様、貴様──!」
「ああ、五月蠅い。けれどいいですよ、貴女のそういう声を私はずっと聴きたかった」
隠匿の術を解除して、声の主はゆっくりと歩む。彼の動きに応じて、ゆったりとしたドレープが靡いた。
かつ、かつ、と音を立てるのは彼の履くサンダルのような靴ではなく、その手に握られた木製の長杖。
フェリシアが、その姿を見紛うはずもない。彼女がわざわざ極東くんだりまで出向きなおす破目になった、言わば元凶なのだから。
「貴様、何故、未だ──」
その、銀とも純白とも形容しうる、男性にしては長めの髪。
日焼けではなく地肌の褐色。
そして、不倶戴天の仇敵を真っすぐ見据える、薄紫の瞳。
「
「赫世を望むもの。“月狂い”の魔。貴女の夢は夢で終わる──私がここで、終わらせます」