──意識を取り戻した彼がまず最初にしたことは、偽装だった。
別に今回に限った話ではない。椎名聖の習慣ですらない。もう随分前から、覚醒直後の
さも未だ昏睡しているかのように、心拍・血圧・呼吸・体温に至るまでを完全に制御。同時に最小単位の魔術行使で、脳波に膜を被せて観測を断つ。
ついでというには大掛かりなバイタルチェックも並行。
……反応に出ないよう抑制してはいたが、驚愕は大きい。
数日間昏睡していたとは思えないほど、体調が整っていたからだ。
筋力の低下や関節の硬直、褥瘡の発生。脱水や栄養失調といった長時間の昏睡時に発生する不調はほぼ見られない。倒れた時と変わらない──どころか、ルーラーに切り裂かれた頬の切創すら消えている。『オペレーション・マトリョーシカ』完遂のためにした無茶の数々もまるっと拭い去られているのは、安静にしていたから治ったとかいうレベルを超えている。
自然治癒ではありえない、ベストコンディションへの復調。心当たりは大枠で
少なくとも、問題のない活動が可能な状態まで、誰かが癒してくれたことは確実だ。
ひとまず
「…………、……」
彼を包む枕と掛け布団に、ベッド。
風の流れはない。室内──おそらくは臙条邸。ああ、やはりそうだ、あらかじめ毛布に残しておいた徴を確認できた。ここは一階の彼が間借りしている部屋のベッドだ。
無事かはさておき、帰れたんだなと安堵する。ほとんど説明もなく倒れたから、最悪の場合は誰かに討たれて目覚めない可能性だって大いにあった。迷惑を掛けちまったな、と反省する。もちろん眠ったふりは続けたままで。
周囲に人の気配は無し。
気温から判断するに、日没以降。雨や風は無し。
──安全と言って差し支えない環境にあることは把握できた。
これ以上は目を開け、起き上がって確認すべきだろう。そう判断したまさにその時、
『確認は済みましたか、マスター』
個人宛の念話が届いて、聖はサーヴァントの無法っぷりを痛感する。……そうだ、彼には隠匿の類いは無意味なのだった。契約者の
完全に習慣化していたから、キャスターに
流石に思考力は平常時よりも落ちてるのかもな、と反省しつつ、
『人が悪いぜ、キャスター。それともいい性格か。コソコソやってるのを俯瞰で眺めてくれやがって』
『ルーティーンが終わるまで待って差し上げたのです。非難されることも無いと思うのですが』
ああ言えばこう言う、と言いたい気持ちをぐっと我慢する。そんな軽口より、今はもっと共有すべき情報が山ほど──いいや山より多くある。
『状況は?』
『マスターは三日間昏倒していました。現在時刻は夜の十時半』
『七十二時間よりもかかったか』
おそらく身体の
『貴方が目覚めたことを知らせたので、ランサーがそちらに向かっています』
『お、……う』
己の正体を明かした状態で何を話すか、考えていなかった──なんて抜かすほど初心を気取れはしない。何年待ったと思っているんだ、という段すらとっくに通り過ぎる。つまりあれこれとシミュレートのし過ぎのくせして、いざその時が来てみればクソの役にも立ちはしない。こういうのを何と言うんだったか。ピッタリの言葉があったはずだが。
頭の片隅で逃げることわざの尻尾を追いかける。捕まえた。──そうだ、下手の考え休むに似たり、だ。
聖の乱れる思考までは読まれなかったか、キャスターは
『……それと。これはどう伝えるのが適当か判らないので、事実のみ』
『ん?』
千々に乱れていた思考の一つが、止せばいいのに余計な回路と接触する。
キャスターとランサーの無事は確認できた。
あとひとり、欠けている。
あの、騒々しくて、射撃が異様に上手くて、しょっちゅう泣き出す、少女は──
『臙条叶さんは、現在家出中──というか、拉致監禁状態にあります。ライダーのもとで』
「────何ッッだそりゃあ!!」
ランサーが甲斐甲斐しく介護して万全を保っていたことが災いして、かは知らないが。
聖の寝起きとは思えない怒号は部屋の外まで見事に貫通し、
ちょうど部屋に飛び込んで聖に抱きつこうとしていたランサーを竦ませ、
何もかもをしっちゃかめっちゃかにすることで、二人の再会を有耶無耶にすることは、出来た。