パエトーンが到着した後は、自然と解散の流れとなった。
どちらもパエトーンと契約を持っていることがわかり、敵対する必要はなくなった。元からそうする意思はなかったが。
アンビーとビリーの二人の脱出はパエトーンに任せ、俺は当初の調査・救出任務に戻った。後から聞いたが、彼らの目的はデュラハンの足元に転がっていたらしい金庫で、そしてデュラハンはなんと赤牙組の頭目であるシルバーヘッド・ミゲルだったそうだ。
連絡でシルバーヘッドがホロウに落ちたらしいというのは聞いていたが、まさかエーテル適応体質ではなく、上級エーテリアスになっていたとは。救出した住民の証言からも銀髪の男がエーテル浸蝕で異化しながら彷徨っていたと聞いていたので嘘ではないと判断する。
協会へ書く報告書にどう書くか悩むが、ホロウレイダーからの証言だといっても信じられないだろうし、あくまで住民からの証言程度になるだろう。
それと酷く驚いたことが一つあり、それがパエトーン消滅事件だ。質の悪いハッカーがいたそうで、彼らの保有する機材を破壊しにかかったという。幸い機材を丸ごと失うという事態にはならなかったようだが、ハッカーを撃退する過程でパエトーンとしてのアカウントを失ったと聞いた。俺と彼らの関係からして全て言ったわけではないだろう。
ここからは推測になるが、恐らくパエトーンは金庫の中身を使ってハッカーを撃退したんだろう。曖昧な言い方になってしまうが、確か赤牙組が研究所を襲撃して奪った金庫には重要な何かが収められてると記憶している。その何かを狙ってハッカーは攻撃をしかけ引き渡すよう要求したんだろうが、パエトーンが一枚上手だった。自身のアカウントを餌としてハッカーの身元に治安局を
まあ本当のことはパエトーンのみぞ知る、だがな。
◇◇◇◇
状況は切迫していた。
ビデオ屋の奥にある工房で
リンがイアスを通じてホロウに侵入、共生ホロウを捜索する中で二人を発見することには成功したが、そこには以前契約した
やることがあるという伸を残しホロウから二人を脱出させるその際、ビリーが「あの兄ちゃんがいたお陰で手間が省けたぜ!」と転がっていた金庫を拾ったのが印象に残っている。
ビデオ屋に戻ったニコ達に暗証番号の入った赤牙組の首飾りと金庫を託され、その解析を行い暗証番号を入手するまでは良かった。
ニコ達も疲れているだろうし、連絡は後日にしよう。そうリンと話しながらHDDの電源を落とそうとしたとき、操作が一切きかないことに気づいた。そして聞こえてきたのは、加工のかかった何者かの声。突如として工房を掌握した下手人の要求は金庫の暗証番号。
当初僕たちは「暗証番号など知らない」と食い下がった。しかし、ハッカーは入手したことなど知っていると言い、見せしめにαデータステーションをデリートして僕たちの積み上げた全てを無に帰すことができると脅してきた。
繰り返し暗証番号を求める相手に対する交渉が始まった。
一連の流れで分かったことは、ハッカーは自由にハッキングできるわけではないこと。
僕たちの工房を支配できるだけのハッキング能力があるなら直で暗証番号を抜けばいいのに、それをしないということは条件付きであることの証左に他ならない。
それを突きつけ、先程消されたデータに暗証番号があると嘯き相手の動揺を誘い、リンが暗証番号のバックアップをインターノットで取ってあると言うことでアカウントを要求するように誘導した。
パエトーンとしてのアカウントをハッカーに渡す作業をする中、情報を引き出そうとした。これで目的が達成されると気が緩んだのかハッカーの口は饒舌になり、金庫にはホロウを安全に出入りできる「ロゼッタデータ」とやらが入っていること、その演算能力は他の追随を許さないほどだということを朗々と語った。
そしてアカウントの譲渡が完了し、しばらくハッカーの追求をのらりくらりと躱していると、スピーカーからサイレンの音が聞こえ始めた。
作戦は成功。
パエトーンのアカウントを入手したということは彼もパエトーンになったということ。市政選挙を控えた当局が設置したホットラインに流したタレコミは、確かな効果を発揮したようだ。
傲岸不遜な振る舞いから一転、焦った顔が目に浮かぶような言動は胸がすく思いだったが、焦燥の滲む声から出た台詞は好転した状況をひっくり返すには十分だった。
『こうなったら貴様らの工房を破壊してやる!!貴様らが大事にしていた機材が壊れていく様を指でもくわえながら見ているがいい!!』
そう言い残し去ったハッカーが置いていったのは論理爆弾。
HDDの自己診断AIが表示するリミット、浮かんだ残り時間は――1分もない。
「どうしようお兄ちゃん!?このままじゃHDDが破壊されちゃう!!」
モニターに浮かぶタイマーは既に50秒を切ろうとしている。
今から手で介入して論理爆弾を解除する――いや不可能!!
それより前に作動してしまうッ!!
HDDを強制終了しワンチャンに賭ける――いやこれはもっと駄目だッ!!
そもそも論理爆弾のトリガーが時間だけとは限らない。
それを包括した
――演算??
そうだ。確かハッカーは金庫についてこう言っていたはず。
金庫の中にはロゼッタデータがあり、それの演算能力の右に出る者はいないと。
――モニターに浮かぶ数字は「30」
他にどうすることもできない以上、賭ける価値はある。
自分でも驚くほど素早い動作で金庫に飛びつき、記憶の中にある暗証番号を思い起こし数字を間違えないように、されど迅速に入力する。
ロックが外れるのと同時に乱暴に金庫の扉を開け、中にあるデータチップを手に取る。
「お、お兄ちゃ――もしかして」
「あぁ、ニコには悪いけど――」
モニターに浮かぶカウントダウンは十秒を切っている。
もう幾ばくも残っていない。
これが起死回生の一手となることを願って――HDDのポートにデータチップを挿し込む。
「うわっ――」
瞬間、HDDのモニター全てから眩い光が放たれる。
目を閉じたとしても瞼の上から焼き付けてくるような光は、何かの目覚めを知らせるように一定の周期で膨張と収縮を繰り返しながら室内に満ちていく。
思わず顔を逸らし、リンの方を見れば――おぼつかない様子で、白光から目を逸らさない妹の姿が。
その目に埋め込まれたインプラントが輝いている。
ハッカーの裏を掻くためにインプラントを使ってシステムと繋がっていたのが災いしたのか!?
そんな疑問よりも先に、リンの身体が今にも倒れそうによろめく。
急いで駆け寄り、倒れる前に受け止める。
見れば目のインプラントが明滅し、情報が逆流しているのかリンが苦しそうに呻く。
どうすることもできずソファに寝かせると、モニターから放たれる光が弱くなっていくことに気がついた。
直視しても問題ないほどにまで弱まった光。やがて暗闇しか映さなくなったモニターに、何かが浮かび上がった。
『――システムを起動』
蒼い球体の中に、瞳を模したような白い同心円が浮かぶ。
思考の脈動を知らせるように拍動を繰り返すそれは――
『私はⅢ型総順式集成汎用人工知能――
そう名乗った。
◇◇◇◇
「それで、ピカピカの新人プロキシとしてインターノットデビューしたって感じか」
まぁ中身はエリー都の何処を探したって見つからないほど優秀なプロキシなんだが。
今後はこっちのアカウントでやっていくというメッセージに適当に返事をしながら画面を閉じる。
「シン、ご飯できたわよ」
背中に薄らとノイズのかかった声がかかる。
振り返れば、金属の四肢を持った少女が目の前に立っていた。
フライパン片手にエプロンを纏って。
彼女はツイッギー。
エリー都が崩壊した後、両親を探すために避難所を抜け出してホロウを彷徨っていた時に出会い、今に至るまで生活を共にしている相手でもある。思えば、あの時が俺の人生にとってのターニングポイントだったのかもしれない。
「いったい何を見ていたの?一回声をかけても気づいてなかったし、随分考え込んでたようだけど」
「最近新しい仕事相手が出来てな。その業務連絡といったところだ」
「ふーん?まぁどうだっていいけど、怪我はしないでよ?待つ側だって辛いんだから」
「こんな仕事柄だ。傷を作らずっていうのは難しいさ」
そう頬杖を突きながら言うツイッギーに肩を竦めて返事をすると、眼帯に覆われていない右目がだんだんと細くなっていく。
それから目を逸らし食事に手を付ければ、ツイッギーも嘆息してから皿に手を伸ばした。
45インチの薄型テレビからミュージック系の番組をぼんやり見ながら口に運んでいく。
画面の向こうで新エリー都の歌姫が流麗に歌を響かせ、ワイプに映るタレントが感嘆の声を上げる。テレビ越しでもわかるくらい綺麗な歌声だな。もしチケットを入手できる機会があったら、生で聞きに行くのもいいかもしれん。1枚しか手に入らなかったら知り合いにあげよう。
そう皮算用に耽りながらふとツイッギーの方を見ると、夕日色の瞳がこちらを向いていた。
銀色の髪を揺らし微笑む彼女は、いつしか食事の手を止め俺を見つめていたようだ。
「どうしたの?」
「いや、何でも。…傷はまだ痛むか?」
「今はそれほど。でも、実は嫌いじゃないの。この痛みがあるからこそ、今がある。あなたがいることを教えてくれる」
ツイッギーはそう言って肉体と義腕の境目を指でなぞった。
義肢に置き換わった四肢を見つめる彼女の瞳には、痛みだけではない、他の感情が宿っていた。
当時、俺は酷く傷ついた状態で死体に埋もれているツイッギーを発見した。
彼女によく似た少女の死体に埋もれ、傷口からエーテル結晶を覗かせる彼女の姿はお世辞にも生きているとは言い難かった。
それでもツイッギーは生きていると確信できた理由、それは俺のツノが知らせる微弱な生命反応と此方を確かに見る瞳の動きだ。
死体を掻き分け彼女を背負い避難所に戻る道すがら、様々なことを話した。
ツイッギーはシルバー小隊というクローンを使った部隊に所属していたこと。彼女は実働部隊としての試験には落ちてしまったが、頭脳の明晰さを活かしてオペレーターとして日々姉妹を支援していたということを聞いた。
しかしある日、受けた任務は最初から失敗することが前提のシルバー小隊を全滅させるものであり、ツイッギーはそれに気づいたが不意を打たれそれを伝えることができなかったそうだ。その後部隊がどうなったかはわからないが、碌なことにはなってないとも。
閉じた世界にいた彼女にとって、唯一の場所とも呼べる小隊を失ったショックは大きかったのか、ボソボソと喋る彼女の雰囲気は暗く顔は背中越しでも想像がつくくらいだった。
そんな彼女を慰めようとしたのか自分でもわからないが、気づけば自分の境遇を語っていた。
ホロウ災害のなか母親を探しながら父と一緒に避難をしていたが、瓦礫に分断され離れ離れになったこと。父親にお前は避難所を目指せと言われ、躊躇いながらもその場を後にしたこと。避難所について、いくら待っても帰ってくることはなかったこと。
そして堪え切れず避難所を飛び出して君と出会ったと言うと、ツイッギーは掠れた声で薄く笑った。
捨てられた彼女と置いていった俺。
何か因果を感じたのかもしれなかった。
避難所についた当初、俺はツイッギーの治療を求めたがそう簡単に目途はつかなかった。
今思えば当然だ。節々を負傷し、浸蝕症状に晒され、軍服のようなものを着た少女を背負った少年など誰も相手にしたくないだろう。
浸蝕の痛みに喘ぐ彼女に焦燥だけが積もっていき、遂に避難所を警備する兵士が近づいてきたときは最悪のケースを覚悟した。
万事休すかと思った時、思わぬ人物が場に出てきた。
後の新エリー都の市長となる人物だ。
少し汚れてはいるが、仕立ての良い服装に身を包んだ男性が兵士を手で制して何事かを話していた。目元に皺を刻んだ30代ほどの男性で、この非常時であっても前を見据え思考を停止せず動いていることが雰囲気から見て取れた。
話が終わったのか近づいてきた彼は、自らをメイフラワー家の者だと言い、ツイッギーの治療をすると申し出てきた。
あれよあれよという間に医師が手配され、用意された場で治療の段取りが説明された。
曰く、ツイッギーの手足は腱が切断されており、浸蝕も深い段階まで進んでしまっていて命を助けるには患部を切除し機械に置き換えるしかないと。
彼女はクローンとして強化された肉体を持っており、麻酔の類いは効かず耐えるしかない。
それでも手術を受け入れたツイッギー。
俺にできることは彼女の手を握って声をかけ続けることだけだった。
治療の際に手配された医師は優秀で、手術自体は滞りなく進んだ。
必死に声をかけ続けたことが功を奏したのか、手術は無事に成功。
ツイッギーは成功の知らせとともに意識を落とした。
そして、以下のことを知らされた。
ツイッギー達クローンは一定以上のダメージを受けると記憶があいまいになってしまう。
俺には彼女の世話を頼みたいと。
ツイッギーとの同居生活はそこから始まった。
割り当てられた部屋で、自分が誰かもわからない状態の彼女を四苦八苦しながら世話をしていった。出来ることなら今すぐホロウに行って両親のことを探したかったが、ツイッギーのことを放っておくこともできず月日は流れていった。
ツイッギーの記憶が元に戻ってからもこの奇妙な生活は続いた。何故メイフラワーがここまでよくしてくれるのか全く見当もつかなかったが、何はともあれ厚意に甘えなければ生活できなかったので次第に考えなくなった。
そして現在、俺は市長に無理言ってホロウ調査協会の特別調査員という特別枠に就いている。
当時、優れた調査員だった父に語った夢は忘れてはいない。
行動の指針は両親の捜索と、両親に誇れる調査員であることだ。
まぁ、市長に恩を返すために色々やってたりもするが。
そうそう、パエトーンについては詳しく知らないんだが、前に市長が彼らについて話してたんで只者じゃなさそうだっていうのは把握してる。俺みたいなホロウ災害、その黒幕と思しき組織の被害者か、それとも別か。
あの時契約を結んだのもそこらへんを知るためだったりする。
ツイッギーの配属とかについては独自解釈になります。
原作では他のクローンの死体に埋もれながら手足が浸蝕されていたとあったので、ツイッギーが他の姉妹と比べて体力・運動面で劣る描写と左目を覆う眼帯と合わせて考えるとこうなりました。
ツイッギーはシルバー小隊の作戦行動や指揮をするオペレーターを務めていたが、シルバー小隊を解隊するのに際して聡明な彼女は解隊したい側にとって勘づく可能性があり邪魔だった。
結果としてツイッギーが真っ先に排除されることになり、不意を打たれたときに左目を負傷。昏倒した隙に肘、手首、膝、足首の腱を切断されたことで自力での移動が困難な状態にすることで逃げられないようにした。
トドメとして喉を切られ、ホロウ内の投棄場に捨てられたが、クローン兵としての強靭な肉体からか生き残ってしまう。四肢の傷口からエーテルの浸蝕が進んでいき、治療は困難な状態に。
喋れたのは、エーテル結晶が傷口を塞ぐ形で生えることで塞がり、喋ることは可能なくらいになった。
高いエーテル適性と強靭な身体でじわじわと嬲り殺しになるような状態で生命反応を追って来た主人公と出会ったという筋書きです。
原作で「優しいゴミ拾い」に拾われたのはわずかでも声が出せ、それで発見されたからだと解釈しました。
アンビーが11号を生かそうと自害しようと喉を刺し、しかし死なず生き残ったことからも彼女らクローン兵の生命力の強さが伺えますね。