今回から俳優、霧斗とそのマネージャー明日奈が登場です。
「遅くなってすみませんでしたっ」
「あの、全然気にしてませんから。たまたま私達が早く着いちゃったんだし」
「でも来た時に楽屋に弁当あったら明日奈だってオレと一緒に食事できただろ」
「霧斗くんっ」
デザートとして別容器に入っていたオレンジを口に放り込みながら思った事実を口にすると笑顔の明日奈の眉が霧斗に向けピッ、と上がる。確かにそうかもしれないけれど予定の入り時刻より先に到着したのはこっちの都合であって彼に落ち度はない。
「どっちにしても私は色々とやる事があるから霧斗くんと一緒には食べられなかったよ」
共演者はまだ到着していなかったが今日は監督へ贈る品もあったしスタッフとの打ち合わせ、段取りの確認、衣装等のチェック……霧斗が監督に軽く挨拶をし楽屋に戻った後、手渡した弁当を食べている間にバタバタと動いていたので明日奈だってついさっき戻って来たところである。もしお弁当が届いていたとしてもそれらを後回しにして食べるわけにはいかないから本当に気にしないで欲しい、と何度も伝えてスタッフが出て行ったところでようやく明日奈もイスに腰を降ろし、ふぅっ、と息をついた。
「とりあえず何か飲むか?」
テーブルの中央にはミニサイズのペットボトル飲料が数種類用意されている。
部屋の端にはお湯の入った保温ポットや耐熱性のカップがワゴンに乗っておりお好みでホットドリンクも飲めるように準備されていた。
今さっき持って来てもらった弁当も二種類あって軽食タイプのサンドウィッチとがっつりタイプの正方形の仕出し弁当だが、どちらの包装紙も業界内では人気の高い店舗名が印刷されている。
パンを選ぶならコーヒーかカフェオレだけど、ご飯なら緑茶かほうじ茶がいいな、と考えつつ今は……
「うん、まずはお水にする」
と決めた途端、目の前にミネラルウォーターがことり、と置かれた。
どうやら「飲むか?」と聞いた本人は全てお見通しだったらしい。
「オレの体調管理は有り難いけど、明日奈も休憩や水分補給をちゃんとしてくれよ」
今日だって朝、合流してから霧斗の視界から明日奈が消える事はなかった。移動中の車内でも居眠りをしていた霧斗を起こしたのは明日奈で、その時も車に乗り込むと同時に起動させていたタブレット画面が明るいままだったからずっと仕事をしていたのだろう。
「ん、ありがとう。でも大丈夫だよ。私は霧斗くんと違ってたくさんの人の視線が集中しているわけじゃないから、気を抜く時は抜いてるし」
どの現場に行ってもあれだけ注目されているのに当人が全く気にしていない事実に霧斗は半眼になるが、これは別に彼女が鈍感なわけではなく、事務所の副社長でもある明日奈の兄、浩一郎によると幼少の頃からとにかく愛らしい容姿だった為、衆目が集まっている環境に慣れてしまった結果らしい。
コクコクと小さな口で水を少し飲んだ明日奈はそれで随分落ち着いたのか、目の前の弁当を見比べてにわかに瞳を輝かせ始めた。
「どっちにしようかな……カツサンドも美味しそうだけど、こっちの仕出し屋さんは料亭もやってるから味付けも気になるし……」
ワクワクを散りばめながら吟味している姿に自然と霧斗の口元もやわらかくなる。
この現場は演者のマネージャーも数に入れて食事を用意してくれるので本来なら霧斗と明日奈の分でふたつもらっても文句は言われないのだが……「選ぶのも楽しいんだよ」と前に言われて、確かにいつもお手製弁当をパクついている霧斗も蓋を開けた瞬間、何から食べようか、と高揚する気持ちには身に覚えがあり過ぎるので、この時間を邪魔せずひたすら嬉しそうな姿を眺める事に集中する。そして……
「決めたっ」
と細腕を伸ばしかけた時、テーブルに出してあった明日奈の携帯がブルブルとバイブレーションを始めた。
途端、繊手は行き先を変え素早く端末を攫うと(優秀すぎる)マネージャーモードに切り替え「はい」と落ち着いた声で応対する。
それを横目で見ていた霧斗は内心「あ〜あ」と気分を下げた。
これでは多分すぐには食事にありつけない。
彼女の体調面も気がかりだが、育ちの良さか、明日奈は物を食べながら他の業務をこなす事はしないので楽屋で二人っきりの時間が過ごせると思っていたのに、これではお預けだろう。
しかしその予想は「えっ?!」と仕事中では出さない素の声によって裏切られ、続けての「ユウキ?」と、これまた聞くとは思わなかった人物の名が出てきた事で霧斗までも「はっ?!」と素っ頓狂な声を上げたのだった。
『明日奈ーっ、助けてーっ』
受話口から漏れ聞こえてくるのは間違いなく霧斗と同じ事務所のタレント、ユウキの声だ。
「えっ!!、ユウキ、どうしたのっ!?」
周辺の音も拾っているからわかる、これはスタジオ内のような場所ではなく公衆のしかも人も物のかなり多い場所からだ。
老若男女の声、靴音、多種多様な車、バイク、自転車の走行音、ブレーキ音、自動扉の開閉音、多方面から流れてくるアナウンス、映像CMの音、声、音楽、音響信号の耳慣れたリズム、総じてそれらから発生する摩擦音、反響音、それらの音の影に紛れてしまうような微音……要するに芸能界デビューしてそこそこ知名度が上がってきた二十歳前の少女が居ていい場所ではない。
そして彼女の声はよく通る。
この声を生かして舞台役者か、はたまた歌手か、とにかく色々やらせてみようと背中を押したバラエティ番組の出演をきっかけに物怖じしない性格や明るい声が受け入れられたらしく、トーク中心の番組に呼ばれるようになってきた。
なのでたとえ顔を隠していても声で気付かれる可能性は大きいのだ。
お読みいただき有り難うございました。