ヤンデレに監禁されて夢のヒモ生活!えっ?貯金が尽きた!?   作:エアロマグロ

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第8話:究極の2択

「……可哀想だと思われた」

 

 リナが隣の部屋に帰った後。

 段ボールのテーブルにポツンと残された、空の水道水コップを見つめながら。

 すずめは、幽鬼のように暗い声で呟いた。

 

「いや、実際可哀想な生活してるだろ」

 

 俺が造花の内職の手を動かしながら突っ込むと、すずめはズシンと重い足取りで俺に近づき、背後から抱きついてきた。

 

「……違う。貧乏なのは事実だけど、可哀想じゃない」

 

「そうか?」

 

「……あなたと一緒にいられるんだから、私は世界で一番幸せな女。だから、可哀想じゃない」

 

 耳元で囁かれる重い愛の言葉。今日もすずめのヤンデレは絶好調のようだ。

 とはいえ、客観的に見れば、六畳一間の家具なしアパートで、押し入れでしいたけを栽培しつつ造花を作る生活は、どう見ても悲惨の極みである。

 

 リナが同情の涙を流しながら味の薄いもやし炒めを頬張っていた姿は、俺の脳裏にも深く焼き付いていた。

 

「……でも、あの泥棒猫……じゃなくて、リナさん? 彼女のあの目は、私たちを下の存在だと見下してた。……許せない」

 

「見下してない見下してない。あいつはただの天然のアホだ。それに、俺たちは実際ど底辺なんだから、下に見られてもしょうがないだろ」

 

「……私が、あなたに惨めな思いをさせてるのも事実」

 

 すずめはぎゅっと俺の背中に顔を押し当てた。

 

「……ごめんなさい。私にもっと甲斐性があれば……毎日、お肉を食べさせてあげられるのに……」

 

「気にするな。もやしも美味いよ」

 

「……ホント? ……愛してる」

 

 デレるのが早い。

 とりあえず、隣人トラブルに発展しそうな不穏なオーラは消えたようで安心した。

 明日は久しぶりに、もやし以外のものが食いたいな。

 そんな淡い期待を抱きながら、俺はその夜、薄い布団にくるまって眠りについたのだった。

 

 ***

 

「にーちゃーん! いるー!?」

 

 翌日の夕方。

 ドンドンドン! と、ドアをぶち破らんばかりの力強いノックが薄い壁を震わせた。

 造花作りをしていた俺とすずめは、同時に顔を上げる。

 

「……来た」

 

 すずめの目がスッと細まる。手元のハサミがチャキッと不穏な音を立てたのを、俺は見逃さなかった。

 玄関のドアを開けると、そこには満面の笑みを浮かべたリナが立っていた。

 その手には、プラスチック製の大きめのタッパーが握られている。

 

「あ、にーちゃん! お義姉さんもこんばんは!」

 

「……こんばんは」

 

「あのさ、夕飯のおかず作りすぎちゃって! 一人暮らしだとどうしても分量わかんなくてさー。よかったら、お裾分け!」

 

 リナがドン、と俺の胸にタッパーを押し付けてきた。

 ほんのりと温かい。そして、タッパー越しでもわかる、この暴力的なまでの匂い。これは……。

 

「ハンバーグだ!」

 

 俺の口から、歓喜の声が漏れた。

 肉だ。正真正銘の、挽き肉の塊。しかもデミグラスソースらしき茶色い液体が、タッパーの底でタプタプと揺れている。

 特売の豚コマ肉を数グラム単位でケチりながら生きてきた俺にとって、それはまさに黄金の輝きを放つ財宝だった。

 

「えへへー。にーちゃん、昔からハンバーグ好きだったじゃん? 実家でよくお母さんが作ってたの思い出してさ、気合い入れてこねたんだ!」

 

 リナの言葉に、ピシリと。

 背後で空気が凍りつく音がした。

 

「……昔から、好きだった……?」

 

 すずめの声が、地を這うように低かった。

 

「あ、うん! にーちゃん、ハンバーグの日はご飯三杯はおかわりしてたんだよ!」

 

「……そう。私より、彼の過去を知ってるってこと……」

 

「?」

 

 すずめから立ち上るどす黒いオーラに、流石の天然破壊神・リナも一瞬たじろいだ。

 俺は慌てて間に割って入る。

 

「あ、ありがとなリナ! 夕飯の足しにするよ!」

 

「う、うん! じゃあ、冷めないうちに食べてね! タッパーはいつでもいいから!」

 

 リナは逃げるように自分の部屋へ戻っていった。

 バタンとドアを閉め、俺は手元のタッパーと、目の前に立つ般若のような顔の女を交互に見比べた。

 

「……他の女が、あなたのためにこねた肉」

 

「いや、作りすぎたって言ってたぞ」

 

「……嘘。わざとに決まってる。あなたの好物を知っているという古参アピール……そして、私に対する露骨なマウント……」

 

 すずめはギリッと奥歯を噛み鳴らした。

 

「……捨てる。そんな泥棒猫の肉団子なんて、生ゴミと一緒に捨てる」

 

「おいおい待て待て! 捨てるのはもったいないだろ! せっかくのご厚意だぞ!」

 

「……私と、あいつ、どっちの料理が食べたいの!?」

 

「そ、そりゃお前の料理だけど……でも、せっかくいただいた料理なんだ。ここで捨てたらバチが当たる」

 

 俺は必死に説得を試みた。

 本音を言えば、ただ純粋にハンバーグが食いたかっただけだ。肉が。肉汁が。デミグラスソースが、俺の胃袋を強く強く呼んでいたのだ。

 

「……じゃあ、私は食べない。毒が入ってるかもしれないから」

 

「そんなわけないだろ。まあ、お前が食べないなら、俺一人で食べるとするよ」

 

「……」

 

 すずめは無言で背を向け、台所へ向かった。

 そして、カンカンカンカン! と、親の仇でも打つかのような勢いで、包丁で何かを切り刻み始めた。

 

 やばい。めちゃくちゃ怒ってる。

 だが、俺の目の前にはハンバーグがある。

 ヤンデレの怒りと、肉の誘惑。

 俺は迷うことなく、後者を選択した。

 

 ***

 

 段ボールのテーブルを挟んで、俺とすずめは向かい合って座っていた。

 俺の目の前には、タッパーから皿に移し替えられた、ふっくらと分厚いハンバーグが二つ。湯気とともに、デミグラスの香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。

 対するすずめの前には。

 

「……いただきます」

 

 いつものもやし炒め。

 しかし、今日のそれは様子がおかしかった。

 もやしが乱暴に切り刻まれたせいで、もはやスプーンでないと食べるのが難しい出来栄えだ。

 

「……食べないの?」

 

 すずめが、据わった目で俺を見た。

 手には、なぜか箸ではなく、先ほどまで使っていた包丁が握られている。

 

「あ、ああ。いただくよ……」

 

 俺は震える手で箸を割り、ハンバーグに切れ目を入れた。

 ジュワッ……。

 途端に溢れ出す、透明な肉汁。

 なんだこれ。店か? リナの奴、腕を上げやがったな。

 俺はこぼれ落ちそうになるヨダレを必死に堪え、一口大に切ったハンバーグを口に運んだ。

 

 ――美味い!!!!

 

 脳髄を直撃する、圧倒的な肉の旨味。

 玉ねぎの甘さ。ナツメグの香り。そして、濃厚なデミグラスソースが絡み合い、口の中で爆発する。

 毎日毎日、味の薄いもやしや、醤油をかけただけの冷奴で飢えを凌いできた俺の胃袋が、歓喜の産声を上げている。

 細胞の隅々にまで肉のエネルギーが染み渡っていくのがわかった。

 

「……どう? ……美味しい?」

 

 スッ……と。

 すずめの声が、氷点下まで冷え込んだ。

 俺はハッと我に返った。

 いかん。今、俺は、絶体絶命のデスゲームの最中にいるんだった。

 目の前では、ヤンデレのすずめが包丁を握りしめ、俺の一挙手一投足を血走った目で見つめている。

 ここで「めちゃくちゃ美味い!」などと叫ぼうものなら、俺の首と胴体はお別れすることになるだろう。

 

「ん……まぁ……」

 

 俺は、無表情を取り繕った。

 心の中ではサンバのダンサーが踊り狂い、花火が打ち上がっているにも関わらず、顔面筋を総動員して「大したことない」という表情を作った。

 

「普通だな。ちょっと味が濃すぎる。俺には合わないかも」

 

 嘘だ。死ぬほど美味い。ご飯四杯はいける。

 

「……そう」

 

 すずめは少しだけホッとしたような顔を見せつつ、自分のもやしを口に運んだ。

 俺は、すずめの視線をかわしながら、二口目、三口目とハンバーグを頬張る。

 美味い。美味すぎる。

 だが、味わう余裕など一切ない。

 一口食べるごとに、すずめの目がスッと細まる。「本当に美味しくないと思ってる?」「本当は美味しいんじゃないの?」という無言の圧力が、物理的な重さを持って俺の全身にのしかかってくる。

 

 首筋に嫌な汗が伝う。

 口の中は極上のフレンチレストランなのに、精神は断頭台の上にいるような気分だ。

 美味しいものを食べているはずなのに、胃がキリキリと痛む。

 俺は、修行僧のような顔で、残りのハンバーグを胃に流し込んだ。

 

「……ごちそうさまでした」

 

「……」

 

 空になった皿を見つめ、すずめは静かに箸と包丁を置くのだった。

 

 ***

 

 すずめがシンクで皿を洗っている。カチャカチャと食器の音が響く中、俺はベッドに寝転がって天井を見つめていた。

 すると、水の音が止まり、すずめがそっと隣に来て抱きついてきた。

 今度は、包丁は持っていないようだ。

 

「……ねえ」

 

「ん?」

 

「……どっちが、美味しかった?」

 

 来た。

 ヤンデレ特有の、決して間違えてはいけない究極の二択。

 

「……正直に言って。あの泥棒猫の肉団子と、私のもやし炒め。……どっち?」

 

 背中に押し当てられたすずめの体温が、妙に熱い。

 ここでリナのハンバーグと答えれば、何が起こるかわかったものではない。

 かといって、もやし炒めと即答するのも嘘くさい。

 俺は、少しだけ間を置き、スポンジを動かしながら答えた。

 

「……まあ、そりゃあ肉だからな。ハンバーグ自体は最高に美味しかったよ」

 

 すずめの体が、ピクッと強張る。

 

「でもな」

 

 俺は振り返り、すずめの目をまっすぐに見つめた。

 

「毎日食うなら、絶対にお前のもやし炒めだ。俺のために、お腹が空いたって言えばすぐ作ってくれるのは、お前のもやし炒めだけだからな」

 

 完璧な模範解答。

 とはいえ、お世辞でもなく、本心からの言葉だった。

 貧乏舌の俺には、高級な肉よりも、すずめが工夫を凝らして作ってくれる貧乏飯の方が、身の丈に合っている気がするのだ。

 

「……! ……うんっ……!」

 

 すずめの瞳に、パッと光が宿った。

 頬をほんのりと赤く染め、俺の胸に顔を埋める。

 

「……あなたの体を一番理解してるのは、私だもんね」

 

「ああ、そうだよ。お前が一番だ」

 

「……えへへ……。……愛してる」

 

 なんとか地雷原を突破できたようだ。

 俺は安堵の息を吐きながら、すずめの頭を撫でた。

 

「……でも、悔しい」

 

 すずめが、俺の胸でポツリと呟いた。

 

「……あなたに、もやしばかり食べさせてる私が、悔しい。……明日は」

 

「ん?」

 

「……明日は、私が世界一のハンバーグを作る。……特売の豚こまを、親の仇みたいに細かく刻んで、最高に美味しいハンバーグにしてやる……。……あの泥棒猫なんか、足元にも及ばないくらいのやつを……」

 

 すずめの背中から、今まで以上のどす黒いオーラが立ち上っていた。

 どうやら、リナに対する強烈な対抗心に火をつけてしまったらしい。

 

 なんとか包丁の矛先を俺から特売の豚こまに変えることができ、俺は心の底からホッとするのだった。

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