リュエル   作:葉洩 陽透

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section_2 墨汁を借りる

 下宿先を出て、静かな東雲の冷え込む街を歩むと、傭兵組合事務所が見えた。

 

 傭兵組合ザファー支部事務所。その開きっぱなしの門を潜り、敷地内に入ると薄い膜のような見えないし触れられない結界と呼ばれる魔法の現象を通り抜ける。無色透明だがそこにある。防火防水防雪など自然災害や人災の対策に張り巡らされているらしい。リュエルにとっては興味の対象ではない。

 王都の中央広場に面している組合の建物も煉瓦造り。茶の煉瓦に茶の地面。屋根は色が濃ゆい青。季節が来れば比較的雪が積もるザファーの建物は屋根に傾斜がある。二階建て。窓は色硝子が使われており、中に入ると朝の陽射しを受け、広い室内を彩っていた。壁の燭台はまだ灯っている。東雲の暗い時間帯。

 

 朝早い時間のためか人が少ない。少ない、とは言っても五つの受付に対して十七人。地方都市ではこの半分もいないらしい。リュエルは見たことないため噂話を盗み聞きして知った。しかし、ザファー傭兵組合事務所はお昼の時間くらいになると一つの窓口に二十人ほど並ぶ。それでも広間の床が楽々見えるくらいには建物が大きい。

 受付の人達は丁寧な対応をして少し背高い椅子に座っている。受付の制服は青と白の清潔な衣装。傭兵は立ったまま用事を済ませて行く。傭兵は様々。金属製の鎧だったり皮革の鎧だったり、武器も剣・槍・弓矢など。いつもの光景。

 

 リュエルはひとつの受付の最後尾に着く。暖炉が焚かれているが、石畳では足が冷える。やはり冬用の靴が欲しい。暖かい毛皮の靴。今は夏用のなめしの靴。

 

 傭兵組合。簡単に言えば、民間の職業斡旋所。全世界に展開しており、リュエルの故郷メリュール王国にも支部が何店舗か存在している。

 傭兵として登録している人に、依頼という形で仕事を紹介する。依頼人と求職者を繋ぐ場所であり、仲介料で利益を上げる組織。仲立ちした依頼人と傭兵は後に正式な雇用契約を結ぶことも多い。その時も組合が間に入り、信頼性を上げている。

 便利なのが国籍の有無に関わらず傭兵登録できること。他国からの移住者が移住先の国籍を取得するには莫大な金銭と手続き時間が必要になる。着の身着のままエンリーリヤにやってきたリュエルが生きるには売春宿か傭兵しかなかった。現在、貧窮しているのに、国籍も買えない。傭兵を続けるしかない。

 

 傭兵。兵と言うだけあって戦闘が予想される依頼が多い。

 魔物の討伐、危険地帯への薬草採取、貴族や隊商の護衛、盗賊や犯罪者の捕縛、などなど。D級以上の依頼は戦闘に偏る。

 戦闘がない依頼もある。迷い猫や人の捜索、公共便所の掃除に都市清掃、引っ越し運搬の手伝い、街の夜間警備、街灯の灯番、と新人のFや駆け出しのEがする内容。

 荒くれ者が多いがリュエルや同期の少女など女性もいる。Fには未就学の孤児もいる。お小遣い稼ぎな感覚のEもいた。世間一般では何でも屋や日雇い労働、派遣、就職希望者の職業体験場を思い浮かべるらしい。気軽な雇用と気楽な依頼。

 

 Dになれば様相が変わる。

 戦闘に特化した専門職の体裁を示し、依頼も生死を別ける選択が増える。DとEの違いは決定的。FからEに上がるのも大変だが、Dへは尚更。リュエルは自衛剣術が使えたため二ヶ月でE級に昇級した。基本は一年かかる。裏を返せば一年間努力すれば誰でも成れる。しかし、Dは努力だけでのし上がれるほど簡単ではない。D級以上の傭兵の数は傭兵総数の一割以下。統計も示している。厳しい世界。

 

 前に並んでいた大男が退いた。リュエルの順番になった。リュエルは少し意識を張り詰めた。

 受付には女性。大きく丸い眼鏡に栗色の髪。清潔な身だしなみ。組合の制服が似合う。若く見える美人。たしかマリーと名乗った気がする。年は訊いていない。訊く気もない。

 リュエルはマリーが何か言う前に紙を突き出す。

 

「D級、試験、申請」

 

 ぶっきらぼう。なるべく失礼になるように押し付ける。しかしマリーは嫌な顔一つせず笑顔で申請書を受け取る。その裏で何を考えているかは知らない。知らなければどうとでもなる。どうとでもなるのだが怖い。心を落ち着かせるように、相手を警戒する。

 

「傭兵証をお持ちですか?」

 

 リュエルは懐から木札を取り出す。受付机に軽く叩きつける。カンッと乾いた音がした。札の表面には『Mercenary License for RYUL: Rank E』と書かれていた。家名は登録していない。

 

 傭兵には級がある。級は依頼・魔物・場所などに割り振られた難易度と傭兵や傭兵の特定集団での熟練度を紐付けたもの。RoyalのR、StrategyのS、AceのAからB、C、D、Eで最下位のF。古代文字で区分けされている。

 依頼を熟していけば昇級試験を受けられ、試験に合格すると一つ上の階級に昇る。昇級が認められると給料等級が上がる。つまり達成料がより高額な依頼を受けられ、またその他の優遇措置が与えられる。生活が豊かになる。一人で生きていける。

 

 受付嬢マリーはリュエルの傭兵証を見て渋い顔をした。札の裏面には名前と傭兵登録時の日付、E級認定時の日時が世界共通語で書かれている。年齢は不必要。それでも見た目と昇級の速さから疑っているのかもしれない。

 

 マリーが断って奥へと消える。リュエルは静かに息を吐く。

 

 リュエルが傭兵登録を行ったのは三ヶ月前。E級昇級に要した期間はたったの二ヶ月。噂話で早い昇級だと知っている。自惚れているとは思っていなかった。それでも、受付全員にリュエルは顔を覚えてもらっているとは思っていた。しかし、ただの勘違いだったようだ。自分が恥ずかしかった。誰も慰める者はいなかった。紛らわせるものもなかった。

 

(まぁ、ここは傭兵の数も多いし、それにEへの昇級は()()()の方が早かったし、そっちと比べると仕方ない……か)

 

 そういえば、と。いつ頃からだろうか。リュエルは『あいつら』や『あいつ』などという敵意と侮蔑のこもった言葉を使うようになったのは……。

 リュエルはマリーを待つ。手が悴んで両手を擦る。息を吐く。白い。故郷メリュールの方が寒いらしいが、リュエルはエンリーリヤの方が凍えると思った。暖房服が安っぽいので仕方ないといえば仕方ないのだが……。

 

「リュエル!」

 

 季節にひたっていると、後ろから呼ぶ声。リュエルは嫌な顔をした。振り向く。案の定、嫌いな知り合いだった。同時期に傭兵になった少女。

 長い赤毛を三つ編み一本で後ろに流し、同色の瞳。黒と青の魔術師衣装と年季の入った背丈ほどの樫かなにかの木の杖。ごつごつしている。(ぜんまい)のように持ち手から渦を巻いている。先の折れた魔女帽を被り、リュエルへ笑顔を向ける。三ヶ月前から鬱陶しい女。同じ時期に傭兵になった、所謂同期。

 

「アメリル……何?」

「まった、不機嫌そうな顔して! そんな顔してたら幸せも怯えて逃げちゃうよ!」

 

 アメリルの能天気な言葉にリュエルは苦い顔をする。無視して受付の奥に顔を戻す。アメリルはリュエルの横に並んだ。リュエルは迷惑そうな顔を隠さなかった。

 

「リュエルはここに、何しに来たの?」

 

 仕事以外に組合事務所に来る訳がない、と喉まで出掛かったが呑み込む。取り合う必要がない。アメリルはここへ遊びに来ているのだろうか?

 

 リュエルはアメリルの呑気な所が嫌いであった。同じ時期に傭兵になり、自分より一ヶ月早くE級に上り、それなのに仕事には無頓着だし、いつもからから笑うし、目障り。苦渋の努力をしなければ生きられないのが世の中。アメリルだけは明るく振舞う。かつての自分と重なる。隣にあったはずの別世界。悔しい。憎たらしい。そして虚しい。

 

 結果としてリュエルは何の説明もしなかった。アメリルも特に催促はなかった。マリーが戻って来た。

 

「お待たせいたしました。D級傭兵への昇級試験を受けられるということで間違いありませんか?」

 

 リュエルが頷く。マリーが続ける。

 

「昇級試験は必ず受けなければならない、というものではありません。辞退することも可能です。定期的に受験資格者にお送りしているだけのものです。……わたくし個人としては、辞退することをお勧めいたします」

 

 受付の消極的な対応にリュエルは不快になる。

 リュエルは十五歳。メリュールでは成人。エンリーリヤでも同じだったはず。それなのにDへの昇級は無理だと言われた気分だった。

 もちろん多くのD級は二十歳を超えている。ここザファー支部に登録しているDも三十路ばかり。十五歳の少女が試験に合格できるとは思えないのだろう。試験内容はD級依頼から選ばれる。E級のリュエルでは死ぬ可能性もあった。

 

 死ねば傭兵が減る。減れば未達成の依頼が増える。未達成が増えれば依頼人が離れ、仲介料が主な収入源の傭兵組合は自ずと組合員の給料を下げる。

 そう、マリーは自分の収入がなくなることを心配しているのだ。決して他人の心配はしない。リュエルは無理矢理な論理だとわかっていながらも、そう思うことにした。

 

 リュエルは、受ける、と告げる。

 

「え? リュエル、昇級試験受けるの? 一人で?」

 

 隣のアメリルが目を皿にして訊く。リュエルは、ええ、とだけ頷いてアメリルを蔑ろにする。アメリルは続ける。

 

「でも、まだEになって、えっと、ひと月? も経ってないよね? FからEは組合への貢献度だけで簡単に上がれるけど、EからDは実戦が想定されるんだよ? 小物数体とは話が違うよ?」

 

 早い昇級。それはリュエルも理解している。

 中堅を意味するD。Dに上がれるかどうかで今後の傭兵稼業が変わる。Dと認められれば傭兵の仕事だけで食っていけることを示し、Eまでの実力では他の仕事を探すしかない。

 エンリーリヤの国籍がないリュエルは傭兵を選んだ。

 女性なら売春宿で身体を売れば良い、と言われたことがある。が、そういう奴はわかっていない。確かに誇りとか尊厳もあるが、知らない男を相手にするなど、どれほどの勇気がいることか。純粋に怖い。魔物と対峙する方が余程(よっぽど)気楽。武器で殺せるのだから。

 

 それなら傭兵で食っていくしかない。傭兵として生きるにはDは避けて通れない。何れ進むのなら早い方が良い。

 セフェトの顔が過る。滞納金。追い出された後では意味がない。

 

 奮い立たせるように、自身の実力を反芻する。

 魔物一桁台なら相手できる。簡単とさえ思っている。D昇級での想定実力基準は十数体同時討伐。できないこともないが、梃子摺るだろう。昇級は困難に見える。

 しかしD試験の資格を手に入れた。D級の試験条件は組合への貢献度。リュエルは小鬼(ゴブリン)累計千体の屍で示した。

 

 小鬼(ゴブリン)はファフナーの著書『魔物観察図鑑』で昔から知っている。

 目鼻の肥大化した幼児体型の魔物。骨と皮で包んだような体格で飛び出た目玉は顔半分を占める。歪。奇怪。醜悪。

 一体一体は一般人でも倒せる弱さだが、集団戦闘が得意で十体を超えた辺りから屈強な男すら危うくなる。数によって討伐難易度が変わる厄介な魔物。また安全な領地でもよく見かける。どこにでもいる魔物。繁殖力も高い。

 リュエルは一ヶ月で千体倒した。休まず一日五十体。一度に五十はC級でも難しいので少数でうろついている小鬼を探して一日五十を一ヶ月。時に十数体を相手にしたこともある。小物ゆえに倒そうと思う者が少ない厄介な仕事。そのため貢献度が示せると酒場に混じって盗み聞きしたのが幸いだった。実力も貢献も示すことができているだろう。

 人型の魔物を倒すというのは精神的にも肉体的にも疲労が残る怖れがあった。一日五十を一ヶ月繰り返す疲労もある。一回の戦闘がだいたい一体から五体まで。稀に数十体。最低でも一日十回以上戦闘を行う。普通の人なら音を上げていたかもしれない。しかし、それでもリュエルは自分に我慢を強いて来た。それ以外に道がなかった。

 

(お金も権力もない者が生き残るには、頑張るほかない……)

 

 リュエルの意志に試験辞退を勧めるマリーは折れた。溜息が聞こえた気がした。

 

「試験を受けられるのはわかりました。()()()、申請書を書かれない限り、試験は受けられません」

「…………ここで、墨汁、借りる」

「有料となります」

 

 無慈悲な返答。予想していたとはいえ、苦しいものがある。世の中は金と権力。それを改めて叩き付けられた気分。

 

「いくら?」

「小銀貨一枚です」

 

 財布代わりの軽い革袋を取り出していたリュエルは固まる。高い。墨汁を借りるだけで豪勢な昼食が食べられる。E級傭兵の日収を上回る。頑張れば一日だけで稼げるが、それでも小鬼程度の魔物ではかなり難しい金額。リュエルは財布の中身をおそるおそる開ける。

 小銅貨二十六枚と大銅貨二枚。小銀貨一枚が大銅貨十枚、大銅貨一枚が小銅貨十枚に相当する。小鬼討伐五百四十体分足りない計算。つまり、小銀貨一枚というのは、リュエルが今回D級傭兵昇級試験資格を手に入れる条件の小鬼千体を倒して手に入れられる金額。

 ぼったくりかと思ってアメリルをちらりと見る。が、普通の顔。すぐに顔に出やすいアメリル。違法な売値の釣り上げという線はなさそうだ。

 

 手元にあるもので売れるものはないだろうか。リュエルは悩む。

 ほとんどの売れるものはザファーへ向かう道中とセフェトの下宿代に消えた。衣服もこちらで買った安物だけ。食器類はセフェトが用意してくれている。盗む訳にもいかない。残りは、懐にある愛用の筆。

 

 入学の証。秀才の栄誉。名門ストルード学園入学の贈呈品。

 ストルード学園。メリュール王国にある世界でも有名な難関校。貴族でも実力がなければ入れない。筆が入門証になっていて、門兵に見せると門扉が開かれる。

 世界樹と呼ばれる、腐敗も破損も理論上あり得ないとされる高級稀少木材と、名入れの金銀鍍金に、墨汁を吸う筆先は透明な硝子。筆尻は真球に加工した紅玉。ストルードの権威と技術力を注ぎ込んだ一品物。

 筆を手に取るだけで学園時代を思い出す。辛い時や挫けそうな時、これを手に取ればいくらか気持ちも晴れる。美しい青春。たとえその学園生活が虚構塗れの楽しさだったとしても、目を瞑れば綺麗な記憶だ。半年前とは思えない懐かしさ。

 今は記憶に思いを馳せる時ではない。金だ。

 筆を売ればいい。しかし、どうも思い出という名の腐った花に水を与えてしまって、手放すことができない。過去に縋る自分をリュエルは恨めしく思った。

 

 リュエルが財布と睨めっこをしていると、アメリルが覗いて来た。リュエルは財布を隠す。アメリルはまんまるおめめをぱちくりさせる。

 

「リュエル、お金足りないんでしょ?」

 

 図星。渋い顔になる。アメリルもE級。お金を払わないリュエルから予想したのだろう。お財布事情は似ているはずだ。憎らしい。

 何も言わないリュエルにアメリルは溜息。懐から革袋を取り出した。

 

「いくら足りないの?」

「? 大銅貨五枚、と小銅貨四枚」

 

 今度はアメリルが革袋と睨めっこ。リュエルは首を傾げた。

 諦めたような顔でアメリルが、ほいっ、と握り拳を突き出す。目の前の右手にリュエルはまた首を傾げる。

 

「いや、手出してよ」

 

 アメリルに言われリュエルは右手を差し出す。掌に金属音が乗る。落としそうになって慌てて両手で受け取る。見るとお金。大銅貨五枚と小銅貨四枚。安い大衆食堂で一食分払える金額。追加で小鉢も。

 

 リュエルは開いた口が閉じない。意味がわからない。

 アメリルはリュエルと同じでE級傭兵。お金を貸せるほど余裕があると思えなかった。

 リュエルはアメリルを見る。

 

「何これ?」

「お金足りないんでしょ?」

「なぜ?」

「いや、なんで不思議そうな顔すんのよ? 言っとくけどあげた訳じゃないからね? 貸しただけだから。そこのとこ勘違いしないでよ?」

 

 アメリルがそっぽを向く。リュエルは手の平を見る。九枚の銅貨。リュエルは唾を呑み込んだ。

 

「アメリルは同じE。余裕、ない、はず。()()()?」

 

 アメリルは図星を突かれたように胸を押さえる。振り切るように叫ぶ。

 

「だ、大丈夫に決まってるでしょ!? 今日一食抜こうかな、とか思ってないから! リュエルと違って私は魔法が使えるの! そっちの方で懐温かいから!!」

 

 胸を張って鼻から息を出すアメリル。

 リュエルは真偽がわからなかった。アメリルは魔法が使えるらしいが使っている所を見たことがない。魔法は高度な知識と技術と何より才能が必要だ。一般人でも使える可能性はあるらしいが、習得難易度が高すぎて誰も覚えようとしない。市井に広まらない。

 アメリルが続ける。

 

「それより必要なんでしょ!? 私のことは気にせず受け取っときなさい!!」

「…………………………いや、返す」

「いやなんでよ!?」

「……裏、ありそう」

 

 アメリルが変な顔をした。

 

「いや、なんで裏を考えるのよ? 友達でしょ?」

 

 友達。リュエルは学園の友人達を思い出した。

 彼ら彼女らとは三年という付き合いがあった。学園の授業ではわからない所を教え合った。お茶会にも誘い誘われ、学園行事にも一緒に取り組んだ。「友達」と認め合った。親しいと言っても良い。仲が良かったと思う。

 その結果、偽りの証言でリュエルを陥れた。リュエルがやっていないことを(あたか)も証言し中傷した。裏切られた。信じてはならない。どんな関係性であっても権力とお金の前では無意味なのだ。そもそもの話、友情とは存在しないものなのだ。

 アメリルと出会ったのは三ヶ月前。学園の友人達と比べるべくもない。付き合いの短さから「友達」と言っても良いのか判別すらできない。何を考えているかもわからない。

 しかし、「友達」と言った。言葉通りに受け取ってはならない。ただ裏切られるだけ。騙すための方便。

 

 快い顔をしないリュエルにアメリルは溜息を吐く。

 

「わーかったわかった。じゃあ、……お金を渡す代わりに、リュエルの試験、私も連れて行ってよ」

 

 リュエルは黙った。アメリルの意図がわからない。同行して何の利益があるというのだろうか。邪魔をして商売敵を陥れようと思っているのだろうか。

 

 同じ階級の傭兵は、見方を変えれば依頼を取り合う仲だ。依頼を失敗させて組合からの心証を悪くさせればその分その人に紹介される依頼の数は減る。

 しかしDに上がればE級の依頼は浮く。アメリルにとっても良いことだと思う。

 いや、嫉妬かもしれない。自分だけEに留まり同期がDへ行く。考えられることだ。

 はたまたDに先を越されそうな焦り。E級は数が多く安月給。一人減っても大して変わらない。Dは数が少なく高給。いつまでもEでは心細さもある。同期に置いて行かれるのは辛い。

 また遠い目線に立てば、「お金あるとこお金増え、お金ないとこお金減り」というサタールの叙事詩に代表されるように、何かしらの因果関係があると予想して、自分が損をすると考えたのか。それなら邪魔をするのも頷ける。

 

 アメリルがマリーに確認すると、E級以下の傭兵限定だが一人だけ試験同行が許可されているらしい。アメリルが喜ぶ。マリーがほっとする。その様子がリュエルはたまらなく気に入らなかった。

 

「なぜ、付いて来る?」

 

 リュエルは警戒しながら尋ねる。アメリルは胸を張って答える。

 

「リュエルのことが心配だからよ!」

 

 心配。

 父も母も言っていた。夜遅くは心配だからと門限を決められ、課外授業でも危険が多いと何かにつけ休ませ、婚約も家柄がはっきりしている方が良いと恋愛も禁止された。それらは形だけの心配。本当の危機には護ってくれなかった。言葉だけの心配は、拘束したいだけの建前。自分達の外聞。名誉欲。本音はそこにありそうだ。

 アメリルはリュエルのことが心配だと言った。心配という言葉は本来の意味で読み解くには危険すぎる。裏側に何があるかわからない。人間は自らの保身しか考えていない。信頼を装ってリュエルを騙す気だ。

 

 リュエルは目を鋭くさせる。銅貨を突き返す。

 

「無理、返す」

 

 アメリルが頭を掻いた。赤毛が焚火のような広がりを見せた。

 

「じゃあ、じゃあ、あれよ、あれ……試験内容は?」

「……」

「ハーベラムの森でアルニマム採取ですね」

 

 黙るリュエルにマリーが勝手に答える。リュエルは舌打ち。アメリルは指を鳴らして喜色を示す。

 

「それよ! それ! 私は薬草アルニマムが欲しいの! お金は護衛代とアルニマム代と考えて! もうあげるからさ!」

「……なぜ、アルニマム、欲しい?」

「回復薬を作るためよ!」

 

 薬草アルニマム。回復薬と呼ばれる魔法の薬の原料。

 回復薬とは文字通り怪我や病気が治る薬。ただの傷薬や風邪薬とは違う。あっという間に癒えるのだ。恰もそこに怪我も病気もなかったかのような仕上がりで。

 効能ゆえに需要は高い。しかし供給が少ない。

 修得が難しい回復魔法。それを扱える魔法使いのみが回復薬を作れる。確か最短でもひと月かかるとか。それを専門に生産するのが回復術士。

 ただでさえ少ない魔法使い。回復魔法を使えるのはさらに少ない。それゆえ試験管一本で小金貨一枚の値段が付く。

 

 リュエルはアメリルの実力を知らない。回復薬を作れるほどの腕前なのか信用がならない。

 リュエルは疑わしそうな目を向ける。アメリルが渋い顔をする。

 

「じゃあ、えっと……あれだ! 試験がどういった風なのか下調べしたいのよ! リュエルに付いて行けばそれが判るでしょ!?」

 

 なるほど、とリュエルは納得しかけた。

 試験はひとつ上の階級依頼で行われる。E級のアメリルではDの依頼を自由に受けられない。逆にDではEの依頼が受けられない。きっかりと別けられている。雰囲気も味わえないだろう。例外は試験のみ。試験内容も毎回変わる。先輩の傭兵に聴くだけでは言外のイメージは湧かない。やはり雰囲気だけでも肌で感じる方が良い。同行したい理由としては妥当とも言える。

 

 と考えたが、リュエルは考え直す。アメリルが足を引っ張る想像が浮かんだのだ。

 魔法が使えると言うが、傭兵で魔法を使える人間は少ない。傭兵は大なり小なり荒くれ者。対して魔法使いは聡明な人間ばかりが思い付く。魔術士ダイナーや魔物研究家ファフナーなど。魔法が使えれば傭兵という底辺の仕事に就くより他の給金が良い仕事が貰えるはず。

 王宮魔術士、魔道具士、魔剤薬師、魔法研究家、回復術師など。華やかな職業から研究職まで選り取り見取り。優秀であればの話。

 

 もちろん傭兵は底辺の職業だが、夢もある。C級以上になれば竜種(ドラゴン)と戦う依頼もある。竜種の鱗は一枚だけでも金銀飛ばして大白金貨。一攫千金を狙える。

 竜種以外にも大富豪になれる可能性を秘めた魔物や、秘境の鉱物、希少で新種かもしれない植物は多い。夢ある職業。それと同時にE以下は現実を知る仕事でもあった。

 

 アメリルを見る。

 垢抜けた感じの可愛らしい少女。愛想も良いし、接客、特に花屋なんて向いていそうだ。普通の働き口で普通の出会い普通の恋。普通の子どもを産み育て、普通の老後を迎える。一攫千金を目指すような人柄には見えない。細やかな幸せが身の丈に合っている。

 

 本当に魔法が使えるなら、死と隣り合わせ、かつ下積みが長い傭兵より王都で安心安全に働いた方が幸せだ。王宮で書類仕事ばかりだが給料が良い王宮魔術士。部屋に籠って魔道具を開発・研究する魔道具士。地域の魔法や魔物を調べて本を書く学者。魔法に関する他の職業は沢山。回復薬を造れるくらい優秀ならどこからもひっぱりだこだろう。

 

 つまり、アメリルは嘘を吐いている。

 

 嘘。特に回復薬を作れるというのは明白な虚偽。優秀な魔術士でもない。傭兵になるしか生きる道がない。魔法を齧った程度の存在。それなら試験同行で故意に邪魔せずともリュエルの足を引っ張る可能性は大きい。

 魔術師ダイナーが残した言葉にこういったのがある。

 

『誰よりも強い魔王よりも誰よりも無能な仲間が希望を断つ』

 

 一瞬、もしかしたら自分と似た境遇かもしれない、と思ったがそれは否定した。

 目だ。目の色が悲観的でない。あのような過酷な経験を味わえば嫌でも目から光が消える。そうリュエルと同じではないのだ。

 

 リュエルは九枚の銅貨を突き出す。

 

「駄目。付いて来ないで。……お金、返す」

 

 アメリルは頭を掻き毟った。赤毛が炎のような舞を見せる。リュエルは不覚にも綺麗だと思った。魔女帽が落ちそうだった。

 

「もういい! 連れて行かなくてもいいから! お金は受け取りなさい! 返さなくてもいい! やるから!!」

 

 アメリルが怒声を上げて立ち去った。残されたリュエルは呆気に取られ後姿を見送ることしかできなかった。

 リュエルは拳を下ろした。銅貨は握られている。

 

 

 

 

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