リュエル   作:葉洩 陽透

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section_3 干し肉を買う

 リュエルは傭兵組合事務所から出た。申請書は出した。アメリルのお金を使って。財布は空になった。

 それでも墨壺購入ではないため、小壜一杯を使い切る勢いで少ない必要事項と自署で紙を黒くした。あまりにもはしたなかったと反省している。字が読める程度の滲みだったのは、まだ理性が残っていた証拠だ。

 

 そう、冷静ではなかった。

 

 記入時に頭にあったのは、どうしてアメリルが怒ったか。そしてどうして金を渡したのか。

 矛盾している。

 お金を渡したのはリュエルに何かして欲しいことがあったからだ。依頼金と考えるのが普通。怒ったのはその依頼を拒否したから。それならお金を取り戻せばよい。依頼を果たさない者に与えたままにするのは合理的でない。なぜ「返さなくてもいい!」と言ったのか。理解に苦しむ。

 

 渡した手前で返してもらうのが恥ずかしかったのか。貧乏人ならそんなことはない。返してもらえるのなら取り戻す。逆に金持ちなら返金要求をはしたないと思っても違和感はない。

 そこからアメリルはある程度裕福な出だと推測できる。魔法の杖も衣装も揃えられた理由が明白になる。魔法が使えると豪語するのも家庭教師なんかからある程度習ったら浅はかな自信が付く。

 

 だがどうもしっくり来ない。

 

 恵まれた出自なら過酷な傭兵を三ヶ月も続けられるのか。どうしても止むに止まれぬ事情があったと考えれば辻褄は合う。それもリュエルのような実家に助けを貰えない状況を考えると理解できる。

 

 そう理解できる。なのに、思い出す。あの目。光の灯った、未来に希望しかないと信じて疑わない瞳。リュエルと同じ目に遭ったのなら、あの目はできない。

 裏切られ、騙され、追放され。婚約者からも親友からも家族からも。

 信じていたものが全て欺瞞で、思いもつかなかった邪悪な不信こそ正しいのだと知った。あの日から。

 

 しかし、アメリルはそうじゃない。かつてのリュエルだ。綺麗なものを綺麗だと感じ、信じることこそ美徳だと学び、相手を愛する心の素晴らしさを疑わない。

 

 考えても答えは出ない。答えがあるのかもわからない。

 

 商店街に差し掛かった。

 

 

 

 王都の道はどこも石畳である。商店街も例に漏れない。秋用の革靴では寒い。

 傭兵組合事務所と同じ煉瓦造りの建物が左右に並んでいる。太陽が昇り、煉瓦の暖色が増す。人の行き来が始まり、朝の静けさは消えていた。それでもリュエルの足は冷えた。心も痛い。

 

 家々の前、道の端に木組みの出店が構え商品を並べている。どこのお店も開いていた。

 昇級試験の内容は、ハーベラムの森奥地に自生する薬草アルニマムの採取。ハーベラムの森は王都から日帰りできる場所。リュエルも森の入り口付近や浅層で小鬼討伐をした。

 

 今回は奥地。ハーベラムの森浅層はE級、森と草原の境界にある入口付近はF級の領域。奥地はDとEの境界線。D級の魔物も時々出る。

 さらに薬草アルニマムはD級探索素材の中でも希少種。探すのに加え魔物も相手にするとなると、一日で試験を終わらせることは不可能だ。何泊かを覚悟する必要がある。野営の準備だ。

 

 野営に必要なものは、寝具・着替え・食料。

 寝具は前に買った寝袋がある。雨除けと夜露除けの油紙は新しくした方がいいのだろうが、前のを使い回そう。金が勿体ない。

 着替えもある。前に秋服の安売りがあって必要な分だけ買った。それでも今のリュエルには貴重なため着替えは最小限にしよう。着替え中に魔物に襲われても困る。

 残りは食料関連だ。

 

 試験の期限は一週間。明日から森に入るとして、少なくとも五日間の食料が必要だ。商店街でも食料関係の出店が多い。肉の焼ける匂いに出来立ての麦餅の香り。

 

 リュエルは商店街に入った。

 食料品を見て回る。やはり一番安いのは森林狼(フォレストウルフ)の干し肉。ハーベラムの森が近いから傭兵が小遣い稼ぎに狩るのだ。供給が多い分安くなる。

 リュエルは露店の主に声をかける。渋く頑固そうなおやじであった。

 

「すみません。森林狼、干し肉、五日」

「…………小銀貨一枚」

 

 食料五日分計十五枚で小銀貨一枚。干し肉一枚で小銅貨六枚分の値段。適正価格だろう。ここらへんの金銭感覚も昔と比べて逞しくなった気がする。

 本当は十日分持って行った方が遭難時の備えとして大事だ。しかし、金が惜しい。金銭を躊躇うのは命に関わる。命に関わるがお金は渋る。

 

 悩みながらリュエルは財布を開けた。空であった。

 リュエルは愕然とした。忘れていた。墨汁を借りるのに使い果たしてしまっていたのだった。

 初歩的な過ち。リュエルは言葉を失う。昔は何も考えなくても物を買えた。今は違うのだ。

 

 払わないリュエルに店主が訝しげな表情を見せる。リュエルは焦る。お金はない。干し肉は諦めないといけない。しかし食料がなければ試験を日帰りで終わらせないといけない。一日で済ませる自信は流石にない。

 

「お! リュエルじゃねーかっ!」

 

 上から大声。驚いて距離を取る。見上げると大男。知り合い。リュエルは眉間に皺を寄せる。

 

「トタール、さん……何、です?」

 

 C級傭兵のトタールは豪快な笑いを響かせる。

 

「あいっ! 変わらず! 辛気臭い顔してんなぁっ! 可愛いんだからもっと笑えっ!」

 

 余計な忠告痛み入ります、とリュエルは心の中で毒づく。

 

 リュエルは美少女だ。輝く白銀の長髪。潤む蒼玉の瞳。陶器を想わせる頬の膨らみと鼻と首の曲線。人形のように整った顔立ち。リュエルが通り過ぎれば十人が十人一度は振り向く。最高の少女。

 メリュールにいた頃は気がつかなった美貌。確かに今思えば周りはリュエルの容姿と家柄しか興味がないようであった。

 愛嬌を振り撒くために産まれた訳じゃない。意図せずして美少女になったんだ。貴族に産まれたんだ。好きで産まれた訳じゃない。

 その考えは人によっては傲慢に捉えられるかもしれない。それでもいい、とリュエルは諦めている。僅かな抵抗として傭兵になってから化粧も手入れもしていない。

 

 リュエルは髪を触った。

 枝毛と痛みが判る。昔は手櫛で絹を触るような感覚だった。今は手櫛で髪が引っかかる。素直に通らない。無理に通そうとすると頭皮が痛い。ガサガサする。手触りも最悪である。

 肌も荒れている。化粧も香水も付けていない。体臭もあるかもしれない。服も煌びやかな舞踏衣装でなく、動きやすい軽い麻の上下。革茶の靴。

 身体の凹凸が少ないのは昔から変わらず、それでいて昔より貧相に映る。ひと言で言えば、みすぼらしい。

 

 トタールは「可愛い」と言った。物好きな変態もいるもんだ、とリュエルは呆れた。

 

「そう言えば何してんだ? 店の前で突っ立って?」

 

 トタールが訊く。リュエルはむっとする。

 

「突っ立ってない、です。買い物、してます」

「なら早く買えよ。邪魔だ」

 

 正論。リュエルは黙るしかない。商店街も人が増えて来た。道は人が五人並べる幅だが、今では狭ささえ感じる。店主も迷惑そうにしている。

 

 お金がない、とは言えなかった。言った途端馬鹿にされる。阿呆と思われた後、酒場で笑い話として吹聴するのだ。酒の肴。それを種に詐欺まがいの儲け話を提案したり騙して脅して汚らわしいことをさせたりする。

 

「…………何が買いてーんだ?」

 

 黙るリュエルにトタールが訊く。リュエルは訝しげな顔を向ける。

 トタールは肩を竦めて店主に向いた。

 

「おい。こいつが買おうとしてたのはいくらするんだ?」

「小銀貨一枚」

 

 トタールは懐から銀貨一枚を取り出し店主に渡す。リュエルが、あっ、と思う間に店主は黙ってお金を受け取った。

 

「何するですか?」

 

 リュエルがトタールに抗議した。トタールは受け取った五日分の干し肉をリュエルに突き出した。

 

「欲しかったんだろ? 干し肉」

「そうですが! 自分で買う、ます!」

「金、ねーんだろ?」

 

 リュエルは息を呑んだ。言っていないはず。なぜ、判った。

 トタールは笑い出す。

 

「いや、顔に書いてるからよ」

 

 リュエルは顔をぺたぺたと触る。手を見るが墨の跡はない。その姿にトタールが大笑い。

 

「いやいや、あれだよ。俺も駆け出しの頃は金がなくってな。かと言って誰かに金を貰うのも矜持が許さなくてよ。そんで、その時、先輩の傭兵が今みたいに奢ってくれたんだ。……まぁ、その借りを返そうと思ってな」

 

 リュエルは眉根を寄せた。

 

「借りはその先輩に返す、して下さい。私にされても意味不明」

「死んだ」

 

 リュエルは何を言われたか理解できなかった。トタールは笑顔のまま続ける。

 

「先輩だよ。魔物に襲われて、な。簡単に、あっけなく」

 

 リュエルは何も言えなかった。トタールの顔は相変わらず笑顔だった。しかし、揶揄する空気も騙すような兆しも見当たらなかった。哀愁の笑顔。

 

「まぁー、あれだ。……お前も、そうなるなよ」

 

 トタールの忠告にリュエルは頷いた。ですが、とリュエルは続ける。

 

「確かにトタールさんの先輩がお亡くなりになっていてご恩を返せないのは理解しました。ですが、トタールさんが私に奢る理由が判りません。受け取れません」

「ん? お前、そんな流暢に喋れるんだな」

 

 リュエルはしまったと思った。しかし、トタールは空を仰いで唸る。リュエルもおそるおそる空を見る。からりと晴れていた。

 

「まぁ、お前に奢る理由は、……説明すんのがめんどいっ! とりあえず受け取っとけっ! 先輩からの奢りに疑問を挟むなっ!!」

 

 干し肉を押し付けられ、リュエルは受け取ってしまう。五日分の干し肉にしては重量がある気がする。リュエルが干し肉を包んだ竹革包みをちゃんと持ったのを確認して、そう言えば、とトタールが話を変える。

 

「そんなに干し肉買って、どこか遠征か?」

「……ハーベラムの森」

「ん? 奥まで行くのか? 今は止めとけ」

「なぜ?」

豚鬼(オーク)が出る」

 

 豚鬼。豚顔の人型魔物。体格はトタールよりも大きい個体が多い。

 詳しいことは学園生の頃、魔物学で習ったがあまり覚えていない。一体討伐だけでCに近いD級難易度だった気がする。リュエル一人で倒すのは無理だろう。

 トタールの話では他の地域で豚鬼の抗争があったそうで、ハーベラムの森に残党が逃れて来たらしい。お金を出さないと手に入らないような情報だ。誰から手に入れた情報かは不明だが、最初に情報を取得した者は命懸けだったはず。無料で渡すはずがない

 トタールも有料で手に入れたはず。リュエルは警戒する。

 

「森……入れる、ますか?」

「ああ、傭兵組合からは禁止されていない」

 

 確かにマリーは何も言っていなかった。

 ハーベラムの森浅層まではE級難易度の場所。E難易度の領域にはE難易度の魔物しか出ないように執り行う。それが出来ない場合、E難易度の場所を繰り上げてD級にしたりまた状況が収まるまで立入禁止にしたりする。

 ただし、今回の豚鬼はハーベラムの森奥地にしか今の所出て来ていない。奥地はEとDの境界で、一応D級難易度として設定されている。そのためまだ立入禁止宣言は出されていない。

 マリーが心配そうな顔だけしていた理由がわかる。徒に不安情報を発信しないのが組織の信用に繋がる。

 

「まぁ、どうしても行くってんなら止めはしねぇーよ。傭兵稼業は自己責任が全てだからな」

 

 しかし、とトタールはリュエルを睨む。先程の笑みはない。リュエルも睨み返す。

 

「豚鬼に会ったら、……なりふり構わず、逃げろ」

「…………逃げ切れなかったら?」

 

 そん時は、とトタールは続ける。

 

「鼻を狙え。豚鬼は鼻が弱点だ。剣先が掠っただけで地面で悶絶する」

 

 魔物の弱点も有料級だ。トタールは口が軽いのか、とリュエルは訝しむ。トタールはC級傭兵だ。老練兵と呼ばれる実力者がC。情報の大切さを知らない訳がない。

 

「なぜ……教えた、ですか?」

 

 リュエルの質問。トタールは真剣な顔を崩す。

 

「そりゃぁっおめぇっ! 心配だからだよっ!」

 

 トタールは大きな笑い声を出してリュエルの背中をばしばし叩いた。リュエルはびっくりして飛び跳ねた。干し肉を取り落としそうになる。

 トタールはそのまま立ち去った。リュエルはトタールの背中を鋭い目で見送った。

 

 

 

 

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