商店街を抜け、角を曲がり、人が疎らになる路。リュエルは振り返った。視線を感じたからだ。
街の煉瓦壁に影が見える。
三つ編みにした赤毛。小柄な少女の背丈。魔女帽の先が見えている。
アメリルだ。尾行が下手過ぎる。リュエルは無視しようか迷って、付いて来られて下宿先を知られるのは嫌だと、諦めて呼び掛けた。
「アメリル、何?」
ばれた、とアメリルが曲がり角から慌てて飛び出てくる。悪戯を見つけられた子供のようであった。本当に同い年とは思えない。
「い、いや、ね? やっぱり、その、心配で……さ? ……試験、一緒に付いて行っても、その……いい?」
心配。
リュエルは溜息を吐いた。アメリルを諦めさせるにはどうすれば良いのか。付いて来られて下宿先を知られたくない。かと言って試験同行も命に関わる。
仕方がない。
「わかった。明日、日が昇って、傭兵組合前で待ち合わせ……いい?」
アメリルが驚いた顔をした。
「い、いいの? 頼んだ手前訊くのは戸惑われるんだけど、リュエルってさ? 一人で活動したいのかなぁ~~、って思ってたんだけど、……大丈夫?」
リュエルは呆れて頷く。早く会話を終わらせたかった。頷いたリュエルにアメリルは今度こそ満面の笑み。
「試験中の食事は私が作るわ!!」
「いい、別に」
「いや! 一緒に試験合格を狙うんだから、役割分担はした方がいいよ!」
リュエルは、好きにして、と返す。アメリルが一頻りお喋りをして、リュエルが適当な相槌を打つ。満足したアメリルは手を振って立ち去った。
「絶対に待ち合わせ場所に来てね! 絶対!!」
アメリルの姿が見えなくなった。ただの口約束だと言うのに。
待ち合わせは嘘だ。明日アメリルが組合前に来るより早く城壁を出る。待ち合わせはアメリルを留めるための口実。試験に同行などさせない。
胸に痛みが走った。リュエルは胸を押さえる。
気にすることは、ない。アメリルは邪魔をしようと付いて来るつもりなのだ。これは自衛の嘘。胸を痛める必要はない。アメリルが悪いのだから。
たとえ邪魔しようと思っていなくても、アメリルが足手纏いになるのは明白。だから自分を守るためにも嘘を吐かなくてはいけなかった。結果としてアメリルの命も助けることになるのだから。これは善だ。
リュエルは重くなった足を引き摺って下宿先に戻った。
セフェトは店先にいた。下宿を提供する傍ら一階で魔道具店も営んでいる。客は少ない。
リュエルは気が付かれないように裏口へ回った。台所には温かい朝食があった。朝食は膳に揃っており、汁物と目玉焼きと麦餅だった。
リュエルは目を瞑って、目を開けて、朝食を持って部屋へと上がった。しこりを胸に感じた。
(アメリルもトタールも、意味がわからない)
机に朝食を置いてリュエルは寝台へと仰向けに倒れた。
朝だけで小鬼五十体分を倒したような疲労感。結果として試験は受けられるし邪魔も入らない。いい事なのだが、リュエルは腑に落ちないものを感じた。
(もしかしたら、二人とも私を嵌めようとしているのかもしれない)
商売敵という奴だ。自分以外の傭兵は依頼を取り合う敵だ。敵を潰した分だけ、自分がその依頼を手に入れられる。全てはお金のため、生きるため。
アメリルが付いて来ようとするのは邪魔をするため。トタールが情報を与えたのはリュエルを嘘で陥れるため。最悪手を組んでいる可能性もある。
(……なら、なぜ、お金を払ってくれたの?)
リュエルは枕を抱える。安い麻の枕。
アメリルについては、邪魔するために油断させようと金銭を与えた、と考える。D級に上がられればその分リュエルに先取りされるためだ。アメリルがDへ上がった時、簡単な高給依頼がリュエルのせいで減るかもしれない。だから邪魔をする。それでもリュエルが警戒していたら邪魔しようにもできない。そのため油断させるためお金を使った。
違和感は無視した。
しかし、トタールはどう考えていいか難しい。すでにC級。D昇級試験を受けるリュエルを陥れる理由が思い付かない。
もしかしたら、陥れるのが目的ではないのかもしれない。
そう言えば、トタールはリュエルのことを「可愛い」と言った。
もしかしたらリュエルの容姿や身体目当てでお金を払ったのではないだろうか。トタールは三十代後半。年下少女が好きな可能性は、ままある。貴族にも少女趣味の変態がいた。トタールも同族だろう。
嫌な考えに枕を強く抱きしめる。
変なことをされそうになったら衛兵に突き出そう。衛兵が買収されていたら、王都から逃げ出そう。厳しいが他の都市で傭兵ができないことはない。変態に絡まれて死んだ者をリュエルは知っている。
部屋の扉が叩かれた。リュエルはびくりと寝台から跳び起きた。
「リュエルさん、いますか?」
リュエルは声に安心して、扉を開ける。リュエルより少し背の高い少年がいた。
「サーク、何?」
サークはリュエルと同じでセフェトの家に下宿している。歳は二歳下。そのため丁寧な言葉遣いをリュエルに対してする。
リュエルも貴族令嬢の頃は丁寧な言い方を心掛けていた。傭兵になってからは舐められないように敢えて片言で喋るようにしている。おそらく周りは他国から来た没落貴族だとでも思っているのだろう。
ついでにエンリーリヤの言葉は学園で習った。リュエルは成績上位者である。流暢に喋れる。というかそちらの癖があるため、気を抜くと流暢に喋ってしまう。無理やり片言にしている。
「薬草学でわからない所がありまして、リュエルさんならわかるかと思い、訪ねさせていただきました」
サークは手に持っていた本を軽く掲げる。薬草学の本、フノールの『全草本基本辞典』。リュエルが通っていたメリュールのストルード学園でも同じ教材を使った。
サークは学院生である。エンリーリヤ王国にはメイラ学院がある、平民も通える五年生の学院で、学科は行政官科・魔術士科・騎士科・商業科・自然科学科がある。サークは魔術士科の三年生。
魔術士科の学力水準はストルード学園と同じ。名門校だ。ストルード学園でのリュエルは自衛剣術と薬草学、それと政治経済学で優秀な成績を修めていた。それを知っているサークは薬草学で質問しに来ることが多い。基本的に教材はメイラ学院もストルード学園も同じものを使っている。
「どこ? わからないとこ」
サークを寝台に座らせ、リュエルは机の椅子に座った。サークからは、薬草アルニマムについてわからない、と答えられた。昇級試験で採って来る薬草と同じだった。時期が良い。
「薬草アルニマムは株の一種。抜くとき球根状の根が出て来る。葉はへら状、緑が濃ゆい。特徴は茎から蔓を伸ばして渦を描く。普通の株と違うのは、綺麗な水辺にしか生えない。成長速度も遅い。それと重要なのは回復薬の材料になること……実物、見たことある?」
「いえ、ないです。希少種らしいので、市場にあまり出回っていないと聞きました」
リュエルは頷く。アルニマムは綺麗な水辺にしか生えない上、成長速度も遅い。一株収穫できるようになるには五年。さらに生のままだとすぐ腐る。栽培方法も確立されていない。市場に出回らない訳だ。
リュエルが学園生の頃、熱意ある教師が森に行って実物を採って来てくれた。その教師はリュエルを見捨てた一人だ。
頭を振る。嫌な記憶は思い出さなくて良い。
サークの話を聞くと、どうやら学院では絵だけで勉強するらしい。実物は栽培できるものだけ、とか。当然、その中にアルニマムは含まれない。
「実物を見ないとわからないこともある。明日からハーベラムの森にアルニマムを採りに行く。余分に確保する。見せる」
「そこまでしていただかなくても……」
「いい。ついで」
ありがとうございます、とサークが頭を下げる。リュエルは手首だけで手を振った。
「アルニマムを採りに行くということは、奥まで行くんですよね?」
サークが顔を上げてリュエルの荷物を見る。リュエルは頷く。
「豚鬼が出る、らしい」
「豚鬼ってD級の魔物じゃないですか。大丈夫ですか?」
リュエルは安心させるように言う。
「大丈夫、アルニマムは持って帰る。安心して」
サークはより心配そうな顔をした。リュエルは首を傾げる。
「ちょっと待って下さい」
サークが立ち上がって部屋を出た。サークは自身の部屋に戻ったのか閉じた扉の向こうで開閉音。サークの部屋は廊下を挟んで向かい側。
物音がして律儀にも扉を叩くサーク。リュエルは、どうぞ、と勧める。
サークは手に小袋と薬草学のものではない書籍を抱えていた。
「これ、授業で作ったものなんですけど」
サークが小袋から取り出したのは円錐形の茶色いお香。サークの掌に三つ転がる。
「このお香は魔物が苦手な臭いを出します。人間には無臭で無害です。煙もあまり出ないので、焚火にでも入れて使ってください」
サークは小袋を渡す。リュエルは興味深そうな目で見る。
「それと、こっちはファフナーの『魔物観察図鑑』です。知っているとは思いますけど、豚鬼の特徴が載っています。リュエルさんは昔習ったのでしょうけど、復習として確認しておくのも大事だと思って持って来ました。明日魔物学の授業があるので、明日の朝には返して頂ければ嬉しいです。えっと、豚鬼の頁は……ここですね」
サークはぺらぺらと本を捲って、豚鬼の頁を開く。そのままリュエルに渡した。リュエルはお香の袋をサークに返して本を受け取る。確かに豚鬼が写っている。
リュエルは困惑した。
「なぜ、持って来た?」
急な話に頭が付いて行けない。サークが何をしたいのか不明だった。
サークは受け取った小袋を寝台に置きながら、首を傾げる。
「だって、リュエルさん、E級ですよね? このお香はD級以下の魔物に効きますから強い味方になると思いますよ。豚鬼も近付けません。課外授業で実証済みです。野営の時の見張りをしなくてよくなります。そして、昼間に豚鬼と遭遇しても、本を読んで復習していれば対処もわかると思います。ほら、『豚鬼は雑食で腕力が強く、巨木で作った武器で殴るのを狩りの基本とする』って書いてあります。これで完璧です」
サークは年相応の笑顔を見せた。しかし、リュエルは眉根を寄せて首を振る。
「そうじゃない。サークがこのお香を私に与える理由」
「? だから、豚鬼が出るんですよね? このお香を使えばリュエルさんの負担が減ると思います」
違う、とリュエル。
「それは私が貰うと嬉しい理由。あなたの理由は?」
「え? 理由? えっと、理由? ……リュエルさんが心配だから、では駄目でしょうか?」
心配。今日だけで何度も聞いた言葉。その言葉の裏側に一体何があるのか。セフェトもアメリルもトタールもサークも。どんな目的や思惑があって「心配」という言葉を使うのだろうか。
考えるたび、頭が痛くなる。
「ごめん。一人にさせて。本は……いらない。部屋から出て」
リュエルはサークを押して追い出した。本も投げるように返した。サークは疑問を顔に出しながらも二冊の本を持って部屋を出た。リュエルは扉を閉めた。
リュエルは寝台に倒れる。今は誰にも会いたくないし喋りたくもない。一人がいい。何も考えたくない。
サークを呼び戻そうかと思ったが、もう一度会うのは嫌だった。リュエルは小袋を机の上に投げた。机の上には冷め切った朝食が置いてあった。