リュエル   作:葉洩 陽透

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section_6 焚き火の前で思い出す

 森を進むと泉があった。

 綺麗に透き通っている。底が澄んでいた。川魚が岩場の陰に隠れているのが見える。

 リュエルは泉の畔を見渡して、肩を落とす。地面が掘り返されている。薬草アルニマムがあったのだろう。全てあの豚鬼に喰われたようだ。

 他の傭兵がやった訳ではないだろう。アルニマムは育つのが遅い植物。組合で乱獲が禁止されている。城壁内へ持ち込める最大数は三株まで。乱獲した事実が発覚すれば罰金と一定期間の傭兵証無効。またアルニマムは掘り起こしてから数日しか鮮度を保てない。こんな(あからさま)な乱獲はないだろう。

 

 始めから探さなくてはならなくなった。古い地図を取り出す。綺麗な泉がどこかわからないが、水がある場所は描かれている。目の前の泉から北に進めば他の泉がある。

 陽が西に傾いている。泉を探すのは明日にしよう。

 

 野営の準備をする。陽が沈んでからしては遅い。辺りが暗くなっては焚火の薪を探すのも、設営も困難だ。暗い中うろついて魔物に襲われることもあり得る。焦ることはない。まだ五日ある。

 

 リュエルは古い油紙を敷き、寝袋を広げる。薪を集め、土を掘り返し、固形燃料を中心に配置し、落ち葉と小枝を置く。薪を配置したら着火。

 火は短時間で燃えた。荷物を漁っているとサークから貰ったお香が出て来た。間違えて荷物に入れてしまったらしい。そのまま荷物の底に押し込む。リュエルは干し肉を取り出す。

 

 干し肉を火で炙りながらリュエルは焚火に記憶を刺激された。父と野営をした思い出。焦げた干し肉の香り。

 

 領地の小さな森での話。ちょっとした冒険のつもりで父にせがんだ。父は、母に内緒で、という条件で了解しその近くの森へ行った。

 小さな森だったが、子供の頃は大きく感じた。冒険を肌身に感じた。一泊だけの大冒険。

 しかし、領地内とはいえ外。小鬼が現れた。当時学園に通う前の五歳児。自衛剣術をリュエルが習っていない頃。いや、習っていたとしても怖くて対峙できなかっただろう。泣き喚いて混乱して、でも父が小鬼を倒してくれた。それでも不安と恐怖は収まらず、父の腕の中で泣くしかできなかった。

 

「もう帰る!」

 

 泣きながら言ったのを覚えている。リュエルが言い出して森に来たというのに、我儘な態度であった。夜になっていたから、帰るに帰れない。安全を期して父はリュエルを宥めるほかなかった。

 

 その時、父は焚火前でリュエルに傭兵の話をしてくれた。

 傭兵。魔物を恐れず、力があり、領兵が到着するまで臨機応変に人々を護る尊敬の対象。そう力説された。父は貴族の中でも珍しい傭兵贔屓だった。

 魔物だけではない。災害や事故、領兵が扱わない雑事まで多様に熟す。またその自由さや冒険心、特に竜種を倒した傭兵の話を聞いた時、リュエルは傭兵に憧れた。国外追放されて選択肢がない状況でも傭兵に迷わず成れたのは、父の影響かもしれない。

 

 リュエルは懐かしく思った。父の話を聞きながら泣き止んで、寝静まったのだった。家に帰ると母に野営のことがばれて父が怒られる姿も思い出す。妹が羨ましそうに、次は私も、と言っていたのも、それになんでか誇らしくなった自分も、今は昔。過去の自分は微笑んでいるのに、悲しい。

 

 背後から物音。リュエルは立ち構える。脇に控えていた剣。剣先を草叢へ。出て来たのは野兎だった。小鬼かと身構えていたリュエルは肩の力を抜く。

 リュエルは座って焚火へ視線を戻す。納刀。焚火に目をやる。影が揺れた。そして、気付く。隣に巨体。豚顔の魔物、豚鬼。頬に十字の傷。先程あった個体。

 

「え?」

 

 リュエルは固まってしまった。気配がなかった。トタールの逃げろという言葉だけが反芻する。

 致命的な隙。なんとか再起動したリュエルが剣を取る。鞘から抜き出し豚鬼の腹を斬る。だが慌てていたため力が入っていない。厚い脂肪に阻まれて止まる。あ、と思うと、リュエルは横っ面に衝撃を受けた。森を転がる。木に激突。肺の空気が抜けた。うつ伏せ。咳き込む。唾液が伝って顎に流れる。口に土と血の味。目眩がする。右目が見えない。

 

 振動が伝わる。顔を上げると豚鬼。歩く振動が死へと着実に向かう。剣は未だに豚鬼の腹に刺さっている。右手の棍棒には血。リュエルのだろう。

 どうして、近付かれたのか。どうして気が付かなかったのか。このような隠密は知性ある生き物のそれ。トタールの言葉が、サークの助言が、頭に浮かび消える。

 

 豚鬼が見下ろす位置に立った。リュエルは腕に力を入れる。が、目がくらくらする。立とうとして途中で引っ繰り返った。仰向け。

 豚鬼が棍棒を掲げた。叩き潰すのだろう。人が蟻や蠅にしてきたように擦り潰しに。

 

(ここで、死ぬのか……)

 

 呆気ない。

 棍棒を目で追いながらリュエルは思った。走馬灯。父、母、妹、セフェト。関わってきた人々の顔。トタールやサーク、そしてアメリル。

 お金返せなかったな、と場違いに思った。豚鬼が叫んだ。棍棒が下ろされた。

 

 火が舞った。

 

 火炎。火球が勢いよく豚鬼に叩き付けられた。弾けて後頭部から頭部全体に火が覆う。後ろに仰け反った豚鬼は棍棒をそのまま後ろに落とし頭を掻き毟りながら下がる。何が起こったかリュエルにはわからなかった。

 

「リュエル!?」

 

 草叢から飛び出して来たのはアメリルだった。駆け寄って来る。リュエルは、なぜ、と口の中で零す。

 

「組合の前で待ってたら、トタールさんに会ってリュエルが先に門潜ったって聞いたから追って来たのよ! 魔法でどこ行ったか探せるし、見つけたと思ったら豚鬼に襲われてるし、びっくりしたわ、って血が出てるじゃない!?」

 

 アメリルが試験管を取り出す。透明度が高い青い液体。中身をリュエルに飲ませる。冷たい水。味はない。嚥下すると内側から力が溢れるような気がする。

 

「これ……は?」

「回復薬よ。しばらくすれば立てるようになるわ。怪我も引く」

 

 アメリルが笑顔を見せた。リュエルは狼狽える。回復薬は貴重。高価。アメリルが気軽に渡せる物ではない。自身の生死に関わる時にしか使う者はいない。

 怪我が塞がって行く。血の汚れはあるが痛みはない。本物の回復薬だ。右目に血液が入って沁みるが、視力が戻る。

 

 豚鬼が火を払って消した。顔が煤だらけ。叫ぶ。状況はリュエルの完全回復を待たない。

 豚鬼が突進してくる。リュエルが立てないと判断したアメリルは前に出た。庇う気だ。ひ弱な魔術師では一撃だろう。リュエルは力を入れる。うつ伏せになる。豚鬼が目の前に迫る。足腰に力を入れた。リュエルの身体が起き上がる。アメリルを突き飛ばし腰の小刀を抜く。採取用の小刀。

 豚鬼が牙を開ける。白い涎が飛び散る。土が撥ねる。リュエルは叫んで豚鬼の頭に跳ぶ。小刀を豚鼻に刺す。巨体にぶつかり後ろへと転がる。

 青緑色の血が飛び散る。豚鬼は叫び顔を上げ倒れ蹲る。転がる。リュエルは急いで豚鬼の腹に刺さった剣を抜き、掲げる。兜割り。堅い頭蓋骨。何度も何度も滅多斬り。縦に横に斜めに右から左から少しズレた。綺麗な太刀筋ではない。本当に狂ったように何度も剣を打ち下ろす。

 十回を超えたあたりで豚鬼は痙攣して、止まる。森は静寂した。

 

「…………リュエル……倒したの?」

 

 アメリルの質問に、リュエルは曖昧に頷く。豚鬼の口元に手を当てる。血だらけの顔。息はしていなかった。

 

 

 

~~~~~

 

 

 

 豚鬼の肉は美味らしい。解体したアメリルが言った。リュエルは貴族令嬢らしく魔物の解体ができない。アメリルに任せるほかなかった。

 解体した肉を串に刺して炙って塩を振って食べる。脂身が口の中で弾けて噛むと旨味と塩味が暴れ狂う。簡易的な血抜きだけで美味しくなれるというのはリュエルにとって初耳だった。動物の解体すら傭兵組合に預けるだけのリュエルに料理をする機会はなかった。

 

 リュエルは一口だけ食べて、肘を太ももに落とす。アメリルは美味しそうに肉を頬張っている。

 

「やっぱりうまいわね! 他の調味料とか鍋とかも持って来たけど、やっぱり肉は焼いて塩が一番!」

「? 鍋? その鞄に入ってる?」

 

 リュエルはアメリルの鞄を見る。襷掛けの小さな鞄。それ以外に持っていない。調味料はわかるが、鍋は入りそうにない。

 

「ああ、これね。魔法の鞄なのよ」

 

 そう言いアメリルは小さな鞄から出て来ると思えない程の大鍋を取り出した。リュエルは唖然とした。大鍋の他にも色々並べる。フライパンとか包丁とか。もちろん調味料が入った小壜も。

 どのくらい入るものかは不明だが、今の所かなり値段が張る物だと思う。それくらいの収納力。その上小さい。

 

「……そう言えば、回復薬……私のために使ってくれた、けど、私、そんな高価なもの、お金払えない」

「ん? 言ってなかったっけ? 回復薬も魔法の鞄も自作よ」

 

 自作。回復薬も魔法の鞄も。

 リュエルは何を言われたのか、わからなかった。頭が理解した時には猜疑が勝つ。

 

「嘘」

「これが嘘じゃないんだよなぁ~」

「証拠は?」

 

 アメリルは肩を竦めて、肉を皿に置く。懐から解体用の小刀を取り出す。そして左手で刃を握って一気に引き抜く。血が滴り落ちる。

 

「こうやって傷を作ったわ。ほれ? 確かに怪我したでしょ?」

「……うん」

 

 ぱっくりと肉が裂けている。傷を付けるのもそれを嬉々として見せ付けるのもおかしい。アメリルの頭は大丈夫なのか。

 

「まぁ、よく見てなさい」

 

 アメリルが呪文を唱え出す。魔法語で奏でる律動と韻。唱え出すと緑の煙がアメリルから立ち上がる。煙はアメリルの傷口に纏わり付き、見る見るうちに怪我が消えていく。間違いない。回復魔法だ。高位の魔法使い、優秀な魔術士の証。それをアメリルは鼻歌でもするように成功させている。

 歌のような魔法が終わった。傷が完全に塞がって血を拭って、見せ付ける。アメリルは不敵な笑みを浮かべた。

 

「どうよ? これで証拠になるでしょ? 回復薬は回復魔法が使える魔法使いしか作れないってのはたぶん知ってるよね? 作るのは一般の回復術士より遅いけどこれで少しずつお金を稼いでいたのよ。まぁ、魔法自体がお金のかかる技術だから、ほとんどは儀式とか魔法習得に必要な素材で消えるけどね」

 

 リュエルは曖昧に頷く。たいした実力もないと思っていたアメリルは優秀な魔法使いであった。嘘を言っている可能性は低い。回復薬も魔法の鞄も自作なのだろう。

 だが、そう。何と言うか。

 

「意味が、わからない」

「え?」

 

 意味不明だ。俯く。我慢する。

 言ってはならない。弱みを見せてはならない。裏切られる。理解している。それでもリュエルは無理だった。

 

「意味が、わからない。だって、そうでしょ? アメリルが私になんで回復薬を使って、嘘も言わず、笑顔を見せて、お金を貸してくれて、嘘じゃないなら心配という言葉も本当? なんで? 心配なんて形だけのものじゃないの? 信じててもそれは後で裏切られるものじゃないの? 私には富も権力もないのに、なんで助けようとするの? 普通じゃない。意味がわからない」

「ちょちょちょっと待って! 落ち着いて! 冷静に!」

 

 アメリルが立ち上がる。リュエルは続ける。

 

「王太子は、婚約者は、権力があって富もあって、心変わりが激しくて、気に入った娘を選び放題で、私は気に入られないとすぐ捨てられて、裁判にかけられて、ありもしない国家反逆罪で婚約破棄に国外追放で、誰も、父も母も妹も友人も先生も、誰も、何も、助けてくれなくて、私が犯人だと言って、会ってもくれなくて、牢屋に閉じ込められて、いつの間にか裁判が終わって、気が付いたら国境外の辺鄙な森に置いてかれて、剣と筆と衣装だけでザファーに辿り着いて、道中で誰も助けてくれなくて、優しい言葉をかけてくれる人はみな私を売り飛ばそうとして、食事を提供してくれた家は睡眠薬を盛って襲おうとしてぎりぎりで逃げて、眠い中魔物の群れに遭遇して、逃げて逃げて! 逃げて! 惨めで! それが現実で、だから! だから!」

「わかった! わかった! わかったから、泣かないで!」

 

 指摘されて頬の熱いものに気が付く。袖で拭う。

 

「な、泣いて、ない!」

「泣いてるでしょ! ああ、もう!」

 

 アメリルが肩を抱いてくれる。ぎゅっと不器用に両腕で力強く、だけど壊れ物を扱うように。我慢。我慢だ。でも嗚咽。リュエルはアメリルの胸で泣いた。アメリルは戸惑いながらリュエルの頭を撫でた。

 

 

 

 

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