未来を統べる翼と、優しいメイドの家   作:天野江

100 / 101
100話目だって!!!
ちょっとした満足感


碧落の観測士と地上の狂騒曲

 

 

 並木道の木陰を満たしていた、宇宙戦艦ソラノミ直系の『平熱』。アカネが淹れるお茶の香りと、トリニティのセイアや山海経のキサキという地上の二大巨頭を交えた贅沢な余白の時間は、スタジアムの方から響いてきた「一般入場、および各校代表の着席を開始してください」という実行委員会の最終アナウンスによって、静かに終わりを告げた。

 

 

「ふふ、それではセイカ、キサキ。私たちもそれぞれの『座席』へと移動するとしよう。大祭が始まる前のこの短い静寂は、私のささくれた演算回路に最高の安らぎをくれたよ。感謝する」

 

 

 セイアが名残惜しそうに狐耳を揺らしながら立ち上がり、キサキもまた「うむ、ではまた後ほどな」と扇をパサリと閉じて、迎えの護衛たちが待つ表通りへと歩き出していった。二人の背中を見送った後、セイカは洗練された衣服の襟元をすっきりと正し、隣に立つ愛娘──ケイへと視線を落とした。

 

 

「さて、ケイ、 アカネ。私たちも一般観客に紛れ、賓客用の特別バルコニー席へと移動しましょう。レナ、行きましょう。これからが本番ですよ」

 

「あ、うん……! すぐ行くわよ!」

 

 

 レナは手元のスケッチブックをぎゅっと胸に抱きしめ、少しだけ小走りでセイカたちの後ろについていく。口元はいつものように少しツンと尖らせてはいるものの、その足取りは驚くほど軽い。ワイルドハントの先輩たちに背中を押され、こうして「空見観測研究部」の正式な部員として、セイカやアカネ、ケイと同じ道を歩めていること──それが、彼女にとっては言葉にできないほど、どうしようもなく嬉しかったのだ。

 

 

「お父さん、バルコニー席へのルートインフラ、すべて正常です。これより移動を開始します」

 

 

 ケイが膝の上のコンソール端末をパチリと閉じ、彼らはスタジアムの最上層に位置する、全面ガラス張りの遮音賓客バルコニーへと足を進めた。

 

 ──その瞬間、彼らの視界に飛び込んできたのは、地上の生命力が限界突破したかのような圧倒的な光景だった。ミレニアムサイエンススクールが総力を挙げて建設した巨大スタジアム。そこを埋め尽くすキヴォトス全土の無数の生徒たちの熱気と大歓声は、文字通り物理的な質量を伴った凄まじいノイズとなって、キヴォトスの蒼穹へと突き抜けていた。

 

 ソラノミの艦橋から見下ろす静かな数式とは対照的な、泥臭くも圧倒的な地上の熱量。賓客用のバルコニー席へと着席し、ついに晄輪大祭の『開会式』という、全世界が注目する最初のメインタイムラインが動き出した。

 

 

 

__________

 

 

 

 

 輝かしいファンファーレの残響がスタジアムを包む中、全生徒を代表して『選手宣誓』を行うために壇上に上がったのは、トリニティ総合学園の浦和ハナコであった。マイクの前に進み出た彼女は、それはそれは淑やかで美しい、完璧な聖歌隊の微笑みを浮かべていた。

 

 だが、そこから吐き出された宣誓のログは、美しく調律されていたはずの会場全体の空気を、一瞬で絶対零度へと凍りつかせるに十分すぎる破壊力を秘めていた。

 

 

「──晄輪大祭は、様々な学園の生徒が武器を置き、お互いの瑞々しい素肌と素肌をぶつけ合って親交を深める友愛の場。……それはつまり、全裸で絡み合う濃厚な■■と同じでしょう!?」

 

 

 スタジアム全体の高性能スピーカーから、一切の音割れもなくクリアに出力された、あまりにも公共の電波に乗せてはならない衝撃的なフレーズ。一瞬、世界からすべての音が消え去ったかのような、完全かつ異様な静寂がスタジアムを支配した。

 

 次の瞬間──世界は凄まじい混沌へと叩き落とされた。実行委員会のユウカたちが「ハ、ハナコさんーーっ!?」と無線越しに悲鳴を上げ、ゲヘナのアコが「風紀を乱す破廉恥な宣誓は即座に排除しなさい!」と怒号を轟かせる。開会式会場は、一瞬にして未曾有の大パニックへと変貌を遂げたのである。

 

 

「…………ッ。……う、ウッ……頭が、頭が痛い……。論理エラーだ、これは歴史的なカテゴリーのエラーログだよ……」

 

 

 遮音ガラス越しであっても容易に伝わってくるその大狂乱を見下ろしながら、セイアは、大きな狐耳を力なく垂らし、両手で顔を覆って深く深く頭を抱え込んでいた。気品溢れる知性は完全にオーバーヒート寸前である。

 

 

「フフ……。トリニティの『知性』は、予測不能なランダムデータに対して脆弱じゃな。ハナコのあの宣誓、東方の玄竜門のアーカイブに永久保存しておいてやろうかえ?」

 

 

 その隣で、キサキがパサリと扇を開き、少女門主としての余裕を湛えながら美しく瞳を輝かせていた。

 

 

「笑い事ではないよ、キサキ……ッ。我がトリニティの品格が、キヴォトス全土にこのような形で記述されてしまうなど……。セイカ、君のその完璧な論理で、今すぐあの壇上の不具合をデバッグしてはくれないか……?」

 

 

 セイアが恨めしそうに指の隙間からセイカを見上げる。しかし、セイカは素顔のまま静かに混沌を見つめ、ふっと口元を緩めた。

 

 

「いいえ、セイア。ケイの解析によれば、彼女の精神パラメータは極めて正常です。あれは彼女なりの、この張り詰めた大祭のパルスを均一にするための『調律』。キヴォトスの日常としては、これもまた一つの解ですよ」

 

「セイカ、お言葉だがね……! 緊張が消える代わりに、彼女の評価が宇宙の塵になって消滅しているんだよ……!」

 

 

 セイアが再び机に突っ伏して狐耳をパタパタと震わせる。アカネが完璧なメイドの微笑みで「はい、冷却用の冷たいミントティーですよ」とお茶を差し出す様子は、まさに混沌の中の唯一の救いであった。

 

 

 

__________

 

 

 

 

「……ふう。ウッ、すまないね、アカネ。君のおかげで、ようやく再起動したよ」

 

 

 冷たいミントティーを一口含み、ようやく机から顔を上げたセイアの狐耳が、ピンと鋭く跳ね上がった。その瞳からは先ほどまでの絶望が消え去り、トリニティを統べる最高幹部──『ティーパーティー』としての、冷徹なまでに聡明な光が戻っていた。

 

 

「……さて。手段の泥臭さと極端さには眩暈がするが、セイカの言う通り、あれが彼女なりの政治的『調律』だということは理解している。だがね──友人として、そしてトリニティの責任者として、あのような恥知らずな不整合をそのままアーカイブにさせておくわけにはいかないよ」

 

 

 セイアは使い慣れた通信端末を取り出し、壇上から引きずり下ろされつつも、未だに満足げな微笑みを浮かべているハナコの個人回線へと、ダイレクトに割り込みをかけた。

 

 

「──ハナコ。聞こえているね」

 

 

 バルコニーの静寂を引き締めるような、低く、しかし絶対的な威厳を孕んだセイアの声が電波を駆ける。通信の向こうからは、先ほどまでの大音量の喧騒が嘘のように静まり返った、ハナコの「本当の声」が返ってきた。

 

 

『……あら、セイアさん。私の瑞々しい宣誓は、貴女の耳にも届きましたか?』

 

 

 スピーカーから漏れ聞こえるその声には、先ほどの「全裸」などと言い放った時の軽薄な色気は一切消え失せていた。そこにいたのは、あまりにも頭が良すぎるがゆえに、地上のしがらみや人々の感情をすべて見通し、壊れそうな仲間を裏から支え続ける、冷徹なまでの知性を秘めた「浦和ハナコ」の本質だった。

 

 

「届きすぎているよ、君という困った生徒は。……君が、この晄輪大祭という張り詰めた政治的パルスをフラットにするために、あえて自分がピエロとなって会場全体の緊張を融解させたことくらい、私にも、そしてここにいるソラノミの観測士たちにも完全に筒抜けだよ」

 

『うふふ。さすがは私の友人ですね。すべてお見通しですか』

 

「ああ、お見通しだとも。君のその天才的なプロセッサと聖人級の優しさが、結果としてこの大祭の安全マージンを守ったことも認めよう。……だがね、ハナコ!」

 

 

 セイアは片手で再びこめかみを強く押さえ、通信口に向かって、容赦のない、しかしどこか深い信頼の混ざった説教を放った。

 

 

「なぜ君はその最高峰の知性を、出力する段階になって毎回毎回、最低最悪のパターンに変換して出力するんだい!? もう少しマイルドなものがあるはずだろう! 政治的効果は認められても、トリニティの、そして何より君自身の品格が宇宙の塵になって消滅しているんだよ! いいかい、次にあのような暴挙に出たら、ティーパーティーの全権をもって、君を補習授業部の部室ごとソラノミの遥か上空まで強制転送して、頭を冷やしてもらうからね!」

 

『……それは違いますよ、セイアさん。私がただの真面目な優等生に戻ってしまったら、それこそ誰も救われませんから』

 

 

 一瞬だけ、ハナコの声がシリアスな静けさを帯びる。全部が見えているからこそ、あえて笑い、あえて悪役を買って出る──その自己犠牲的な彼女の歪な優しさを知っているからこそ、セイアはそれ以上、強く言葉を続けることができなかった。

 

 

「……はあ。分かっているよ、君という生徒のことは。だが、ユウカには全力で謝罪してきなさい。いいね?」

 

『ええ、善処します。……それでは、先生たちの待つ場所へ戻りますね。あらあら〜♡』

 

 

 最後にはいつもの掴みどころのない「表の仮面」へと滑らかにログを切り替え、プツリ、と通信が切れた。

 ハナコとの通信を完了したセイアは、「はあ……本当に、君と話すといつも命が削られるよ」と大きなため息をつきながら端末を収めた。

 

 

「フフ……。流石はトリニティの予言者じゃ。頭を抱えつつも、あの女の本質を正しく記述し、締めるべきところは完璧に締めおる。良き友誼を見せてもらったぞ」

 

 

 キサキが愉しげに扇を揺らし、その様子を後ろで見ていたレナは「(ひええ……ハナコさんのあの底知れないギャップも、それを見抜いて説教するセイアさんの威厳も、最高に格好良いわ……っ!)」と、この部に入れた喜びと興奮で顔を赤くしながら、猛烈にペンを走らせていた。

 

 

「──浦和ハナコの生体パルス、説教の受信に伴い、一時的な『畏怖』パラメータの上昇、および精神状態の安定を確認。お父さん、セイアの介入により、開会式の最終的なパッチは完璧に適用されました」

 

 

 ケイが満足げにコンソール端末をパチリと叩く。

 

 

「ええ。流石はセイアです。これで地上の混沌も、正しくあるべき王道のタイムラインへと収束しましたね。ケイ、アカネ、レナ。私たちも次のフェーズ──ゲーム開発部のチアプログラム同調へと移行しましょう」

 

 

 セイカが立ち上がり、バルコニーの空気を平熱へと引き締める。その隣には、完璧なメイドの微笑みを湛えたアカネが寄り添い、レナもまた「この部の一員として、最高のデザインを同期してあげるわ!」と、嬉しさを隠しきれない笑顔でスケッチブックを掲げた。

 

 

 スタジアムを揺るがす大歓声の裏側で、新しく増えた大切な部員がもたらした最高の閃きと共に、彼女らの晄輪大祭は、どこまでも賑やかに、そして誇り高く、その真なる物語の頁をめくり始めるのであった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。