スタジアムの一角に設けられた出場選手専用の待機エリアは、独特の緊張感と熱気に包まれていた。次のプログラムは、一般生徒だけでなく各学園の役員や来賓も飛び入りで参加できる『来賓合同・障害物二人三脚レース』。お祭り騒ぎの競技でありながら、キヴォトスの生徒たちが集う以上、そこは事実上の「連携力と身体能力の戦場」と化していた。
そのエリアの最前列で、ひときわ異彩を放つ一団があった。
ミレニアムサイエンススクールが誇る絶対の掃除屋、セミナー直属特務部隊「C&C」の面々である。
「わあぁぁ! リーダー、見て見て! あっちの学園の二人三脚、もう練習の段階で紐が千切れそうだよ! キャハハ、楽しそうー!」
メイド服を奔放に着崩したアスナが、ゴールデンレトリバーさながらに跳びはねながら、他校の様子を楽しそうに指差している。
「チッ、他人の心配してる場合かよ。やるからには容赦しねえ。突っかかってくる奴は、競技だろうが何だろうが全員まとめてぶっ飛ばしてやる!」
少し不機嫌そうに、けれどその瞳には凶暴なやる気を漲らせているのは、リーダーのネルだ。
「……リーダー、これは一応親睦を目的とした競技だぞ。銃火器の持ち込みだって禁止されてる」
超大型対物ライフルを一時預かり所に預け、心許なそうに自分の素肌をさすりながら、深々と溜息をつくのはカリン。
「問題ありません、カリン先輩。すでにこのエリア一帯の風速、地面の摩擦係数、および障害物の落下位置の確率計算は完了しています。いかなるアクシデントが起きようとも、C&Cが後れを取るロジックは存在しません」
完璧に整えられたストレートヘアを揺らし、冷徹なまでの平熱で淡々と告げるのは、トキ。
そんな、最強にして賑やかな彼女たちの前に、いくつかの足音が近づいてくる。
賓客用バルコニーから、競技の様子を近くで見届けるために降りてきた、空見観測研究部の面々だった。
先頭を歩くのは天野江セイカ。その隣には、いつも通りエレガントな微笑みを絶やさない室笠アカネ。その後ろから、コンソールを叩く室笠ケイと、スケッチブックを小脇に抱えた衣斐レナが続いていた。
「おや、C&Cのみなさん。そちらもこの競技に出場するのですか」
セイカが穏やかな声で問いかける。
「あー? セイカたちか。……相変わらずそっちのチビは、随分と生意気そうなツラしてやがんな」
ネルは最初から百も承知といった様子で、不敵な笑みを浮かべてセイカ、そしてその後ろにいるケイを見上げた。その実力も、アカネを母親のように慕うケイの繋がりも、最初からすべてその野生の勘に刻み込まれている。
そんなやり取りの最中、一歩前に出たトキの視線が、セイカの背後にいるケイへと真っ直ぐに向けられた。
二人の少女の視線が、言葉もなく交錯する。
「トキ」
ケイがぽつりと、その無機質な声を響かせた。
「ケイ」
トキもまた、感情の起伏がない平熱の声で応じる。
お互い、交わす言葉はそれだけだった。余計な挨拶も、近況報告も、大祭の感想もない。ただ、名前を呼び合う。それだけなのに、二人の間に流れる空気には、世界の誰にも介入できない絶対的な「信頼」と「約束」が、目に見えないパルスとなって確かに同期していた。
「な、何よあの子たち。何が始まってるのよ……!」
その様子を横で見ていたレナが、シャーペンをカチカチと激しく鳴らしながら眉をひそめた。
「(言葉数めちゃくちゃ少ないクセに、なんなのあの完璧に噛み合ってる空気感は……! まるで一つのプログラムが二つに分かれて動いてるみたいじゃない。何なのあの二人……、尊すぎよ!)」
「レナ。私とトキは、ロジックを超越した親友です。言語による冗長なデータ通信は不要です」
ケイが淡々とコンソールを叩きながら告げる。
「なっ、だ、誰がそんなこと聞いてんのよ! 別に私は、ただデザインの構成として、配置のバランスがいいなって思っただけだし! 勘違いしないでよね、ケイちゃん!」
フン、とそっぽを向くレナだったが、その手はすでにスケッチブックの新しいページを開き、二人の少女の「見えない絆」のラインをどう表現するか芸術的思考を巡らせ始めていた。
__________
『──さあ、お待たせいたしました! 晄輪大祭・特別企画、来賓合同障害物二人三脚レースが、いよいよスタートいたします! 各校の威信をかけたペアから、飛び入りの一般参加まで、多種多様な英雄たちが一堂に会しております!』
実況の大音量がスタジアムに響き渡り、観客席のボルテージは最高潮に達した。
スタートラインには、数々の学園のペアが並んでいる。その中に──周囲の生徒たちとは明らかに違う、異質なまでの「静けさ」をまとったペアがいた。
天野江セイカ、室笠アカネ。
二人の足元は、大祭仕様の赤い紐で、一本の足のように固く結ばれていた。190cmのセイカと、164cmのアカネ。その体格差は一見してアンバランスであり、二人三脚においては致命的なディスアドバンテージに見えた。
「行きましょう、セイカさん♪」
アカネはいつものように、まるでお茶会の席へ向かうかのような、軽やかでエレガントな笑みを浮かべてセイカを見上げた。
「ええ、行きましょう、アカネ。私たちの平熱を、タイムラインに記述する時間です」
セイカが静かにその場に立つ。その瞳には、緊張も、過剰な高揚感もない。
「……ふん。ただの二人三脚じゃない。体格差まで構図に取り込んでるのね。悪くないじゃない」
必死にプロのデザイナーとしての冷静な批評を装うレナだったが、その顔はすでに隠しきれない熱量で耳まで赤くなっていた。
『──位置について……よーい、スタート!!』
爆音の信号弾が夕空に裂けた。
その瞬間、スタートラインは一変して大混乱の渦と化した。
「わわわっ、ちょっと待って! 歩幅が合わない!」
「きゃあ!? 転ぶ、転んじゃうってば!」
他校のペアたちが、焦りと大歓声のノイズに呑まれ、次々と息を乱していく。
──だが。
セイカとアカネの二人は、その混沌をあざ笑うかのように、信じられない速度でフィールドを駆け抜けていった。
「イチ、ニ、イチ、ニ」という、無骨な掛け声など一切ない。
二人はただ、無言のまま、前方だけを見据えていた。
セイカの一歩のストライドの大きさを、アカネが完璧なタイミングのピッチで補い、アカネの身体の傾きを、セイカがその強靭な体躯で完璧にホールドする。
それは「息を合わせている」というレベルを遥かに超越していた。
「……驚異的な数値を検出。お父さんとお母さんの生体パルス、および運動エネルギーの減衰率を解析。……二人の歩行・走行の同期率、99.98%。ズレが、全く存在しません」
観客席の特別席で、その数値をリアルタイムで観測していたケイの指先が、激しくコンソールを叩いた。
「ふむ……」
バルコニーのソファで優雅に紅茶を啜っていたセイアが、狐の耳を微かに揺らし、その不思議な光景を瞳に映して呟いた。
「まるで、最初から一つの魂を持った一つの生き物が、二人分の足を使って走っているみたいだね」
「……うむ。気味が悪いほどに息が合っておるな」
その隣で、小さな身体をソファに沈めていたキサキも、ペロペロキャンディを弄びながら、感心したように目を細めた。
__________
一方、トラックの傍らで競技を見守っていたC&Cの面々は、その「完全同期」の走りに視線を奪われていた。
「わーっ!! すごーい! すごいよリーダー、カリンちゃん、トキちゃん! 見て見て!」
アスナがメガホンを振り回しながら、目を輝かせて大騒ぎしている。
「セイカちゃんとアカネちゃん、ほんとに息ぴったりだね! あれって練習いっぱいしたのかな? すっごーい!」
「……驚いたな。あの体格差で、お互いのデッドスペースを完全にカバーし合ってやがる」
カリンが腕を組み、クールな瞳でフィールドを凝視していた。
「あの体格差で歩幅を合わせるのは普通なら難しい。それなのに全く崩れない」
「合理的です」
トキが、一切の感情を排した声で言った。
「エネルギーのロスが一切ありません。二人の移動ベクトルは完全に一本の直線を描いています。極めて質の高い連携です」
そんな3人の言葉を聞きながら、最前列で腕を組み、仁王立ちでフィールドを睨みつけていたリーダーのネルは、チッ、と派手に舌を鳴らした。その瞳は、戦士としての最大の敬意に揺れている。
「……チッ。あれは勝てねぇわ」
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競技が中盤の「障害物エリア」に差し掛かったその時、タイムラインに予測不能のアクシデントが発生した。
前方を走っていた他校のペアが、焦りのあまり焦土のトラップに足を引っ掛け、派手にバランスを崩したのだ。そのペアは横に並んでいた巨大な木製の障害物へと激突。メキメキと音を立てて、巨大な木枠の構造物が、後続を走るセイカとアカネのルートへと完全に崩れ落ちてきた。
スタジアム全体が「あぶない!」と息を呑む。
避ける時間はなかった。足を紐で結ばれた二人三脚の状態で、この急激な落下物を回避することは不可能に思われた。
だが──セイカとアカネは、崩落の瞬間、言葉を交わすことすらもしなかった。
セイカがその強靭な左腕を伸ばし、崩れ落ちてくる巨大な木枠の重量を、歩調を一切緩めることなく「支え」の起点として片手で受け止める。190cmの質量が、落下物のエネルギーを完全に相殺する。
そのわずかなコンマ数秒の間に、アカネが結ばれた足の感覚だけでセイカの意図を察知し、崩れた破片の隙間の「最も安全な接地座標」へと、セイカの巨躯を導くようにして、しなやかにステップを踏んでエスコートした。
歩調は一切乱れない。
何事もなかったかのように、美しい完全同期の平熱のまま、二人は再び加速していく。
「な……ッ、何よ、今の……!!」
観客席の最前列で、レナは文字通り、全身に電撃が走ったかのような衝撃に硬直していた。
「(ひ、ひぎぃいぃぃぃーーーーーーっっっ!!!??? 脳が!!! 私のデザイナーとしての全脳組織が消滅する!!! 何よ今の! セイカさんが言葉も発さずにアカネさんを庇うように腕を伸ばした瞬間のあの無骨で強靭なライン!! それを完璧に察知してセイカさんの巨体を導くアカネさんの淑やかなステップ!! 派手な装飾も、大爆発も、ド派手な演出も何もないのに……なんであんなに、狂おしいほどに格好良いのよーーーっ!!! 尊死する!! こんなの見せつけられたら、私の芸術のタイムラインが一生狂いっぱなしになっちゃうじゃないのよォォォォ!!!)」
シャ、シャシャ、ガリガリガリガリガリガリガリッ……
脳内の大発狂を隠すため、レナのペン先が、猛烈なトップスピードで紙面を削っていく。火花が散りそうなほどの運筆。お互いの身体の動きのすべてが、完璧な対比で構成されている。セイカの強さがアカネを支えて、アカネの優雅さがセイカを導く。ラインが、二人の間のラインが、綺麗に一本に繋がって見える。
「描かなきゃ……これを、今すぐ私の世界に記述しなきゃ……!!」
顔を真っ赤にし、息を荒くしながら、レナはただひたすらに「究極のデザイン」を紙面へアーカイブしていった。
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『──さあ、最終ストレート! トップを独走するのは……ミレニアムの賓客ペア、天野江セイカ&室笠アカネーーーッ!!』
実況の絶叫がスタジアムを震わせる。
二人は、ゴールの瞬間まで、その美しい平熱の歩調を崩さなかった。
夕日に照らされた白線の向こう側へと、二人の結ばれた足が、完璧な同時に一歩を刻みつける。
『──ゴーーーーール!!! 素晴らしい連携です! 一分の狂いもない、まさに奇跡の完全試合!』
ワァァァァァ!!! と、スタジアム全体から、割れんばかりの大歓声と拍手が巻き起こった。
だが、ゴールラインを越えた二人は、大歓声に手を振るでもなく、ため息を吐くでもなく、ただお互いの足元を見つめ、クスリと笑い合った。アカネがしゃがみ込み、二人の足を繋いでいた赤い紐を、丁寧な手付きで解いていく。
「お疲れ様でした、セイカさん。とても心地の良いお散歩でしたわ♪」
「ええ、お疲れ様でした、アカネ。あなたのステップのおかげで、タイムラインに美しい直線を描くことができました」
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競技が終了し、夕闇が本格的にスタジアムを包み込み始めた頃。
待機エリアの片隅で、再び空見観測研究部とC&Cが合流していた。
「すっごかったねーーーっ!」
アスナが満面の笑みで跳びはねた。
「なんであんなに息ぴったりなのー?」
「……なるほど。息を合わせるっていうのは、ただ足並みを揃えるだけじないのだな。……勉強になった」
カリンが少し照れくさそうに頭を掻きながら、けれど真っ直ぐな目でセイカたちを見つめて言った。
「なるほどな……」
ネルが腕を組み、セイカの大きな体躯をじっと見つめながら、ぽつりと呟いた。
「ただ力で引っ張るんじゃねえ。相手の出方を100%信じて、自分の身体を預ける。悪くねえもん見せてもらったぜ」
「理解しました」
トキもまた、静かに一歩進み出て、セイカとアカネに綺麗な一礼を捧げた。
「個のパラメータの単純な足し算ではなく、乗算。信頼という名の変数が介入することで、システムの出力は無限になる」
その様子を後ろで見ていたケイが、少しだけ誇らしげに胸を張り、コンソールをパチリと叩いた。
「当然です。お父さんとお母さんですから」
そんな賑やかな彼女たちを見つめながらセイカは、瞳を穏やかに和らげ、静かに言葉を紡ぎ出した。
「息を合わせるというのは、足並みを揃えることではありません」
「ええ。相手を信じることです♪」
アカネが、セイカの言葉を補うように、どこまでも優しい、完璧な微笑みで地上の仲間たちを見つめた。
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夜の帳が降りる直前、スタジアムが最後の黄金色の残光に照らされる時間。
バルコニーへと戻る道すがら、レナは一人、少しだけ後ろを歩きながら、描き終えたばかりのスケッチブックのページをじっと見つめていた。
シャ……
彼女の指先が、完全に描き込まれた鉛筆のラインを、愛おしそうになぞる。
そこには、夕日の中を並んで走るセイカとアカネの姿が記述されていた。
派手な装飾はない。武器もない。けれど、二人の身体のライン、影の落ち方、精度、そして互いに向ける見えない信頼の収束点が、これまでのレナのどんな絵よりも、圧倒的に「格好良く」、圧倒的にヒロイックに、紙面の上で躍動していた。
「……ふん」
レナはスケッチブックをパタンと閉じると、誰にも見つからないように、小さな、満足げな笑みを浮かべた。
そこへ、ケイがトコトコと歩み寄って、ジッと彼女の顔を覗き込む。
「レナ。顔面の毛細血管が過剰に拡張しています。お父さんの神々しさに脳の許容量が限界を迎えた形跡と推測します」
「なっ……な、何よその目は……! シャーーーッ!!! ぶ、文句があるならハッキリ言いなさいよ! 私はただ、ワイルドハントの芸術家として、あのアンバランスな二人の構図を批評的にアーカイブしただけだし! 変な勘違いしないでよね、ケイちゃん!」
猫のように毛を逆立てて威嚇するレナだったが、その言葉とは裏腹に、スケッチブックを抱きしめる腕にはこれ以上ないほどの愛着がこもっていた。
「……ふん。でも、まあ……悪くないじゃない」
前方を歩く、セイカとアカネ、影から二人を支えるケイの背中を見つめながら、レナは誇らしげにペンをポケットへと滑り込ませた。
夕闇のなかに消えていく大祭の歓声。
けれど、家族の胸に刻まれた、完全同期の平熱の熱量は、新章の未来をどこまでも明るく照らすために、確かなパルスとなって、静かに、けれど絶対に消えない光を放ち続けるのであった。