ソラノミの強制転送プログラムがもたらした、因果の記述すら白く焼きちぎるほどの閃光。それが完全に収束した瞬間、アビドス対策委員会のメンバーが目にしたのは、箱舟の他のどのエリアとも異なる、不気味なほどに静謐な空間だった。
アトラ・ハシースの箱舟、中枢ルート――。
西区画のような剥き出しの配管や熱気はなく、東区画のようなデジタルなグリッド線や明滅もない。ただ、視界の果てまで真っ直ぐに伸びる、白く無機質な一本道の通路。天井は不自然なほど高く、そこから降り注ぐのは冷徹な白い光だけだった。
何よりも異質なのは、耳が痛くなるほどの「静寂」。反響する彼女たちの足音以外、機械の駆動音すら聞こえないその空間は、まるで世界の終焉をただ静かに待つ大聖堂のような厳かさと、圧倒的な重圧感を放っていた。
「うへ〜、なんだか変な感じだねぇ。こんなに広くて真っ直ぐな道なのに、誰もいないなんてさ」
ホシノは、自身の愛用する巨大なシールドをガシャリと地面に置き、ふわあぁ、と緊張感の欠片もない大きな欠伸をしながら、眠そうに目をこすった。
「おじさん、この静かさのせいで、なんだかいつも以上にお昼寝したくなっちゃいそうだよ〜」
「ちょっとホシノ先輩! 世界の命運がかかった最終決戦の真ん中に転送されたのよ!? 少しは緊張感持ちなさい!」
セリカが、自身のツインテールを激しく揺らしながら、即座に鋭いツッコミを飛ばした。その手は突撃銃のグリップをいつでも引き抜けるよう、ガチガチに力が入っている。
「ふふ、でもセリカちゃん。ホシノ先輩がいつも通りリラックスしてくれていると、なんだか私まで、アビドスにいられるような気がして安心しちゃいます♪」
ノノミは、自身の愛用する巨大なミニガンを優雅に抱えながら、おっとりとした柔らかい微笑みを浮かべて皆を励ました。そのヘイローは、暗い箱舟の通路を穏やかに照らす暖光のようだった。
「皆さん、雑談はそこまでにしてください。……私のタクティカルバイザーのログを確認していますが、周囲のセンサーに敵の熱源反応がほとんどありません。ですが、このルートは箱舟の心臓部へ直通する『中枢』です。不自然なほど敵反応が少ないこと自体が、最大の違和感です。警戒を怠らないでください」
アヤネは、自身のメガネの位置を指先でクイと直し、ホログラムディスプレイに表示される因果データと周囲のソナーログを凝視しながら、声を潜めて周囲を警戒した。
いつもの賑やかでコミカルなやり取り。それによって、胸を潰しそうな箱舟のプレッシャーは和らいでいたが、それでも通路の奥から漂う「静かすぎる殺意」に、4人は静かに武器を握り直すのだった。
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ピピピピピピッ――警告、因果記述の「実体化ログ」を多数検知!
「――っ!? 来ます! 上下左右、すべての壁の内部から、熱源反応が急激に膨れ上がっています!」
アヤネの悲鳴のようなナビゲーションと同時に、白く無機質だった通路の壁面が、生き物のようにグニョリと歪んだ。
次の瞬間、天井から、床から、そして左右の壁から、幾何学的な結晶体を纏った大量の防衛兵器――箱舟の最終防衛ドローン、高出力固定砲台、そして空間そのものを遮断する「防衛多脚ユニット」が、通路を完全に埋め尽くすほどの密度で一斉に展開された。
ウィィィィィィィン!!!!
無数のセンサーの赤い光が、一斉にアビドスの4人へと照射される。不気味な静寂は一瞬にして消え去り、数千の銃口が放つ電子的な駆動音が、鼓膜を激しく震わせた。
「ひゃあ!? なにこれ、待ち伏せ!? 完全に囲まれてるじゃない!」
セリカが銃口を向けるが、標的が多すぎてどこから狙えばいいのか判断がつかない。固定砲台のエネルギーチャージの音が、通路全体に響き渡る。
「……うん」
その絶体絶命の包囲網の最前線へ、一歩、静かに踏み出す影があった。
小鳥遊ホシノ。
彼女の細い肩から、それまでの眠そうな、ゆるふわとした「おじさん」の雰囲気が、完全に、跡形もなく消え去っていた。
「セリカちゃん、ノノミちゃん、アヤネちゃん。一歩後ろへ」
ホシノが盾をガチリと正面に構える。
彼女のオッドアイの瞳の奥に、かつてアビドスを守るためにただ一人で戦い抜いた、最強の「盾」としての圧倒的な本気の闘志が宿る。
「……ここからは、おじさんがやるよ」
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ズガァァァァァァァァァンッッ!!!!
固定砲台が一斉に放った極大の熱線エネルギーが、ホシノの構えるシールドへと直撃した。通路が衝撃波で激しく揺らぎ、爆炎が舞い上がる。しかし、ホシノの足は一歩たりとも後ろへは退かなかった。
「はああああっ!」
ホシノはシールドを振り抜き、至近距離まで迫っていた防衛ユニットをその物理質量だけで粉砕。そのまま、煙の立ち込める戦場へと真っ直ぐに突撃した。
いつもの眠そうな姿からは想像もつかない、神速の身のこなし。彼女の放つショットガンの圧倒的な射撃技術は、防衛ドローンの弱点をミリ秒単位で正確に踏み抜き、文字通り一撃で敵を次々と制圧、破壊していく。
「ホシノ先輩が作ってくれた突破口、無駄にはしません! ――いきますよー!」
ノノミが巨大なガトリングの銃口を回転させ、前線へ躍り出た。
ガガガガガガガガガガガガガッッッ!!!! と、彼女の放つ圧倒的な重火器の弾幕の嵐が、通路を埋め尽くしていた敵集団を文字通り横一線に薙ぎ払い、塵へと変えていく。
「先輩たちだけに、格好つけさせないんだから!」
セリカがノノミの弾幕の隙間を縫うようにして、前衛へと突撃。突撃銃を連射しながら、ホシノの側面に回り込もうとしていたドローン群の回路を正確に撃ち抜いていく。
「ホシノ先輩、11時方向から高出力レーザーの再チャージが来ます! ノノミ先輩はそのまま右翼の制圧を! セリカちゃん、突っ込みすぎです、あと2歩下がって!」
アヤネは後方でインカムを押さえ、戦場全体のログをリアルタイムで索敵・解析。完璧なタイミングでの指揮を飛ばしながら、自身もハンドガンでセリカの背後を狙う敵を正確に撃ち落とし、射撃支援を完璧に遂行していた。
特別なギミック解除も、奇をてらった作戦もない。
ただ、互いが互いの背中を120%信頼し、盾が守り、銃が穿ち、全員で前へと突き進む。それこそが、彼女たちがこれまで幾度もの地獄を生き残ってきた「アビドス対策委員会」の絶対の連携戦術だった。
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数千の防衛兵器を真っ正面から叩き潰し、通路の最奥へと到達した時。
彼女たちの目の前に、中枢ルートの守護者たる「メインエンジンユニット」が姿を現した。
「……はぁ、はぁ。……何よ、これ……」
セリカが銃身の熱を逃がしながら、唖然としてそれを見上げた。
そこにあったのは、箱舟全体のエネルギーの根幹を司る、黄金色に輝く巨大な柱のようなエンジンユニット。その周囲には、これまでのものとは格段に記述深度が異なる、超重装甲の最終防衛兵器が何重にもスクラムを組むようにして、エンジンを守る絶対の防壁を展開していた。
「ダメです……正面の防衛ユニットの強度が、これまでの敵の数倍あります。正面からの無理な突破は、私たちの弾薬のログが持ちません。一度引いて、ソラノミからの支援ログを待つべきです!」
アヤネが冷たい計算結果を画面に表示し、焦燥の声を上げた。
しかし――ホシノは、傷だらけになった自身の盾を優雅に撫でながら、ふっと、いつもの穏やかな、優しいおじさんの微笑みを浮かべた。
「……あはは。アヤネちゃん、そう言うと思ったよ。でもさ」
ホシノは黄金に輝くエンジンを見つめ、どこか懐かしそうに目を細めた。
「おじさんたちってさ……これまでも、こういう『正面突破は無理』って言われるようなことばっかりだったよね」
その言葉に、全員の脳裏に、これまでの記憶が鮮明に蘇った。
果てしない、終わりなき砂漠。
天文学的な、絶望的な額の借金。
明日をも知れない、廃校の危機。
そして、大切な仲間を失いかけた、あの暗い絶望。
「そうね……振り返ってみたら、まともな作戦なんて一回も成功したことないわよ」
セリカが不器用にしっぽを揺らしながら、銃を構え直した。
「いつだって効率が悪くて、泥臭くて、真っ正面からぶつかるしかなくて。……でも、今さらそんな生き方、変えられないわよ!」
「はい♪ どんなに高い壁が目の前にあっても、みんなで手を繋いで、真正面からドカンと壊しちゃう。それが、私たちの『アビドス』ですから♪」
ノノミが、愛おしそうにミニガンをギュッと抱きしめる。
過去のすべての困難を、彼女たちはこの「不器用な正攻法」と「絆」だけで乗り越えてきたのだ。
「……はぁ。本当に、皆さんには敵いませんね」
アヤネは観念したようにため息をつき、しかしその瞳に極めて強い光を宿して、ホログラムディスプレイを力強くスワイプした。
「――わかりました。戦術分析、すべて破棄します! 作戦変更、これよりアビドス対策委員会は……全火力を以て、敵最終防衛網を『真っ正面から全力突破』します!」
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「いくよ、アビドスのみんな! おじさんの背中に、しっかり着いてきてね!」
ホシノの咆哮とともに、アビドス対策委員会の最終総力戦が開幕した。
ホシノが最前線で盾を突き出し、敵主力の高出力レーザー砲を真っ正面から受け止め、その巨体を力ずくでねじ伏せる。敵の防衛ラインに致命的な亀裂が走る。
「どいてくださいな〜♪」
ノノミのミニガンが限界を超えて過給され、銃口から放たれる極大の弾幕が、広範囲の防衛ドローンを一瞬にして消滅させる。
「そこを空けなさいよぉーーー!!」
セリカがそのノノミが作った空白の突破口へ、弾丸のように突撃。最終装甲の多脚ユニットの懐に潜り込み、ゼロ距離での連射でその駆動部を完全に破壊した。
「敵のエネルギーの同期が途切れました! メインコア、露出! 全員、最大火力をあの黄金の柱へ!!」
アヤネの完璧なリアルタイム解析の指示が、3人へと同期される。
もう、躊躇う理由など何一つない。
「「「「これで――終わりだよ(よぉ)!!」」」」
ズガァァァァァァァァァンッッ!!!!
ホシノの放つショットガンの全弾。ノノミのミニガンの最後の咆哮。セリカの突撃銃の残弾すべて。そしてアヤネが放った、支援ミサイルの全データ。
4人のアビドスとしての誇りと、想いと、重ねてきた歴史のすべてが乗った同時総攻撃が、中枢エンジンユニットのメインコアへと真っ直ぐに突き刺さった。
ドーム全体が、まばゆい黄金色と青い因果の崩壊光によって包まれる。
バリバリと空間の記述が引きちぎれるような大爆発とともに、箱舟の心臓部を守っていた中枢エンジンユニットは、完全に砕け散って機能を停止した。それと同時に、通路を満たしていた不気味な白い光が、スーッと消え去り、中枢ルートのエネルギー供給は完全にシャットダウンされたのだった。
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「はぁ……はぁ……。やった、よね……?」
セリカが膝を突き、激しく息を荒らしながら周囲を見渡した。防衛兵器の残骸が静かに因果の塵へと還っていく中、中枢ルートには、再び静かな、しかし今度はどこか穏やかな静寂が戻っていた。
チリリン――。
その時、アヤネの通信デバイスが、全エリアの攻略完了を告げるログをけたたましく鳴り響かせた。
『――こちら西区画! 施設を半分くらい吹き飛ばしましたけど、大調理、完全大成功ですわ〜♪』
『東区画のゲーム開発部だよ! クエストクリア、ボスの無敵バリアも完璧にハックしてやったんだから!』
「……ふふ。みんな、本当に凄いです」
アヤネは目元に浮かんだ涙をそっと拭い、通信のステータスログを「最終ルート」へと切り替えた。
「ホシノ先輩、西区画、東区画、そしてこの中枢ルートの全エンジンユニットの完全沈黙を確認しました。箱舟のエネルギー供給は、完全に機能不全に陥っています」
「うん、そうだねぇ。おじさんたちの仕事は、これでバッチリ完了だ」
ホシノはいつもの緩い笑顔に戻り、傷だらけの盾を背中に背負い直すと、通路の最奥――その先にある、先生と天野江セイカがたった一人で向かう、箱舟の最も深い「最深部」へと繋がる巨大な扉を見上げた。
「先生、おじさんたちのバトン、確かに繋いだ。……シロコちゃんのこと、任せたよ」
「ちょっと、先生に変な格好悪いところ見せたら、キヴォトスに戻ってから絶対に許さないんだからね!」
セリカが扉に向かって、祈るように声を張り上げた。
「きっと大丈夫です♪ だって、私たちの自慢の、世界で一番の先生ですから」
ノノミが穏やかに微笑み、その手を胸の前で優しく握りしめる。
「最終ルートへの道、全ての隔壁の強制解除ログ、送信完了です。――先生、セイカさん、いってらっしゃい!」
アヤネの声が、箱舟の記述を書き換える最後の信号となって響く。
アビドス対策委員会の4人は、自分たちのすべての想いをバトンに乗せて、世界の未来を掴み取るための最後の戦いへと向かう、先生の背中を見送るのだった。