バリバリ、バリバリバリッ!!!
耳を劈く空間の破断音が、ドーム全体の漆黒を白く引き裂いていく。
セイカの展開した青白き星の防壁と、色彩に侵食されたナイチンゲールが放ち続ける極大の赤き奔流の衝突は、すでに個人の戦闘という規模を完全に逸脱していた。周囲の記述床パネルは分子レベルで分解され、光の粒子となって虚空へと消えていく。
正面から押し寄せる熱量を受け止めながら、セイカのヘイローは過負荷によって甲高い不協和音を奏でていた。
「(……くっ、機体の質量運動パラメータが、さらに異常な数値を検出している……!)」
色彩に侵食されたナイチンゲールが放つプレッシャーは、時間が経つごとに濃密さを増していた。その巨軀は、元の世界に存在するいかなる既存のモビルスーツの挙動からも逸脱している。数百トンはあるはずの装甲が、慣性や重力の法則をあざ笑うかのように、一瞬でトップスピードに達し、あるいはコマ送りのように時空を飛び越えて別の座標へと出現する。
それはミレニアムの誇る最新の物理学でも、ゲヘナやトリニティの神秘理論でも説明がつかない「不条理の塊」だった。
シュウゥゥゥゥン……ピキピキピキッ。
空中を縦横無尽に飛翔する、色彩に汚染された赤いファンネル群。それらが描く奇妙な幾何学軌道は、セイカの特異能力である「空見の波」を完全に無効化していた。
ファンネルが空間を滑るたびに、その周囲の「数秒後の未来の記述」が、色彩のノイズによってガタガタに書き換えられ、上書きされていく。右から来ると予測したビームが、次の瞬間には「最初から左から撃たれていた」という歪んだ現実にすり替えられているのだ。
「軌道が存在しない……。未来の収束点が一本の線にならない……! これでは、どれだけ演算を回しても予測が成立しません……っ!」
ドガガガガガガガッッッ!!!
全方位から襲い来る、因果改変のビーム弾幕。セイカはHi-νカラーのフィン・ファンネルを必死に周囲に振り回し、青白い光の防壁を展開してどうにか直撃を凌ぐ。しかし、敵の攻撃のすべてが彼女の予測の裏をかいて着弾するため、防戦一方にならざるを得ない。防壁の記述格子は内側から「腐食」するように削り取られ、彼女の青と白の衣服の端が色彩の粒子によってじわじわと焦げていく。
ナイチンゲールの冷徹なモノアイが、彼女の焦燥をあざ笑うかのように、漆黒の闇の奥でさらに深く、妖しく発光した。
__________
激しい猛攻を辛うじて紙一重で凌ぎながらも、セイカの鋭い視線は、戦場のさらに奥――空間の中央に浮かぶ「箱舟の核」を正確に捉えていた。
核は、まるで巨大な生物の心臓のように不気味に脈動を繰り返している。その表面をのたうつ色彩の血管。セイカは自身のタクティカル端末に表示される、数万行に及ぶエラーログのパターンを強引に脳内へと流し込み、ある「最悪の方程式」を導き出した。
「(……間違いない。あの機体から放たれる粒子の波形と、箱舟の核の脈動周期が……完全に、100パーセント同調(シンクロ)している……!)」
色彩に侵食されたナイチンゲールは、単なる独立した兵器ではない。箱舟のシステムそのもの、ひいては世界を再記述するための巨大な炉と因果のラインで直結しているのだ。
つまり、ナイチンゲールがこの最深部で暴れ、膨大なエネルギーを放出すればするほど、その余波が箱舟のシステムを内側から致命的に狂わせていく。
セイカの脳内で、超高速の演算シミュレーションが走る。
この場で戦闘を継続し、ナイチンゲールを撃破した場合の結末――。
導き出されたログは、あまりにも救いのない破滅だった。撃破の瞬間に生じる因果の暴走によって箱舟の核が爆縮。アトラ・ハシース全体が一瞬にして崩壊し、中枢や各区画で今も必死に戦っているアビドス対策委員会、ゲーム開発部、美食研究会のみんな、そして何より――自分のすぐ隣にいてくれる家族の存在記述までを、根こそぎ塵へと還してしまう。
「(ここで戦い続ければ、箱舟ごとみんなを巻き込む……。キヴォトスの未来そのものが、ここで潰えることになる……っ!)」
絶対に、それだけは許されない。みんなが繋いでくれたバトンを、先生が信じてくれたこの平熱の戦場を、自分の無力さで灰にするわけにはいかない。
セイカの瞳の奥から、躊躇いと恐怖が完全に消え去った。
__________
「――これ以上の防衛戦は、世界記述の破綻を招きます」
セイカは短く呟くと、あえて自身を守っていたフィン・ファンネルの防御陣形を完全に解除した。
"セイカ……!? 何を――"
彼女が選択したのは、距離を取ることではなかった。ナイチンゲールが構える巨大なメガ・ビーム・ライフルの銃口へ向かって、真正面から超高速で突撃を敢行したのだ。
回避を捨てた決死の肉薄。
予期せぬ標的の接近に対し、色彩の怪物が反応する。ナイチンゲールの巨大な右腕が、空間を引き裂くような速度で駆動し、ビルをも一撃で両断するほどの実体光刃(ビーム・トマホーク)を横一線に薙ぎ払った。
ゴォォォォォンッ!!!
赤黒い光の刃が、セイカの視界のすべてを覆う。しかし、彼女は速度を一切落とさなかった。野生的な直感と、ヘイローの残出力のすべてを賭けた強引な身の翻し。刃の熱線が彼女の髪の毛の数本を焼きちぎり、衣服の肩口を焦がしていく。
紙一重。文字通り、薄皮一枚の差でその一撃をかわし、セイカはナイチンゲールの巨大な胸部装甲の真下――因果のバグが最も濃く渦巻く、ゼロ距離の懐へと滑り込んだ。
「フィン・ファンネル――すべてを、縫い止めなさい!!」
セイカの鋭い言霊が、最深部の静寂に響き渡る。
彼女の周囲に待機していた6基の青と白のフィン・ファンネルが、意思を持った生き物のように一斉に飛び散った。それらはナイチンゲールを攻撃するためではなく、その巨大な体軀を取り囲むように配置されていく。
1基目、2基目が左右の巨大なバインダーの可動部へ。
3基目、4基目が不気味に駆動する四肢の関節部へ。
5基目、6基目が背部のプロペラントタンクとメインスラスターの根元へ。
カチ、カチ、カチ、カチ――ッ!
吸い付くように正確な座標へと配置されたファンネル群が、ミリ秒単位で互いの因果記述を同期させる。
「同期レート、最大。……空間ケージ、形成!!」
キィィィィィィィンッッッ!!!!
6基のファンネルの間に、どこまでも澄み渡る青白い光のエネルギーラインが網の目のように張り巡らされた。それは強固な幾何学的拘束檻となり、ナイチンゲールの巨軀を全方位から縛り上げる。
色彩に侵食された重質量機体が、空間ごと物理的に縫い止められ、その異常な挙動を完全にロックされた。ガガガガ、と機体の関節部がきしむ音が響くが、どれだけ時空を歪めようとしても、セイカの広げた「守護の檻」はその絶対の座標を譲らない。
__________
光の檻の中心で、ナイチンゲールの巨軀を押さえつけながら、セイカは背後の先生へと通信を繋いだ。ノイズ混じりの音声の向こう側で、彼女の声は驚くほど静かで、いつも通りの平熱を保っていた。
「先生。この機体は、ここで倒すべきではありません。核との同調率がすでに限界を超えています。ここで撃破の衝撃を与えれば、箱舟のシステムごと、キヴォトス全域が吹き飛びます」
先生は、手元のシッテムの箱に表示されるエネルギーベクトルを凝視した。セイカのフィン・ファンネル、そして彼女自身の推進ユニットの推力軸が、すべて「真上」――アトラ・ハシースの天井へと向かって固定されている。
そのあまりにも無茶で、しかし唯一の正解である彼女の意図を、先生は瞬時に理解した。
"……外へ出す気だね、セイカ"
セイカは迷わず小さく頷いた。
「はい。ここに置く方が、キヴォトスにとって遥かに危険です。……この怪物と、時空を超えた因縁の清算は、私が外で引き受けます」
ギ、ガ、ガガガガガガッッッ!!!!
拘束されたナイチンゲールが、全身の血管のような紋様を激しく明滅させ、怒狂したかのような咆哮を上げた。左右のバインダーから漏れ出たドロドロとした色彩の粒子が、セイカのファンネルの装甲をじわじわと侵食し始める。端末の警告ログが赤く跳ね上がる。限界までは、もう数十秒もない。
先生は拳を強く握りしめた。自らの命を顧みず、キヴォトスを、そして自分を守るために一人で翼を広げる生徒。その背中に向かって、先生は魂を込めて、静かに、しかし絶対の命令として言い渡した。
"必ず、戻ってくるんだよ。セイカ"
その言葉を聞いた瞬間、セイカは一瞬だけ背後の先生へと視線を戻した。
いつも周囲を拒絶するかのように纏っていた冷徹な仮面の奥に、これまでで最も穏やかで優しい、心からの微笑みを浮かべて。
「……はい。行ってきます、先生」
__________
「フィン・ファンネル、全基――スラスター出力、仕様外リミッター解除!!」
セイカの叫びとともに、彼女の背中のヘイローが目映い光を放ち、6基のファンネルのノズルから純白と青の爆発的な光の奔流が噴射された。
キィィィィィィィン――ッ!!
鼓膜を突き刺すような高周波の駆動音。セイカはナイチンゲールの巨軀をその腕とファンネルの檻で強固に抱きかかえたまま、垂直上空――箱舟の天井へ向かって、全速力で上昇を開始した。
ズズズズズズズ!!!
ナイチンゲールもまた、連れて行かれまいと全力で抵抗を試みる。全身から赤き色彩のオーラを大爆発させ、周囲の方程式を侵食して質量を何倍にも引き上げる。その重圧によってセイカの骨格がきしむような悲鳴を上げるが、彼女の細い腕は、その破壊の怪物を絶対に離さなかった。
「離し……ません……! あなたの記述は、私がすべて持っていきます!」
赤く染まる最深部の空間を切り裂き、青白き彗星となった二つの影は、猛烈な加速で上昇を続けた。
___________
ドガァァァァァァァンッッッ!!!
最初の衝撃。アトラ・ハシースの最深部上層を覆っていた、何重もの防衛装甲の第一層を、セイカはフィン・ファンネルの力ずくの突進で粉砕した。
一人と一機の影は、箱舟の内部構造を一直線に、信じられない速度で突き抜けていく。
西区画の上空、東区画の演算フレームの隙間、中枢エンジンの防壁。アトラ・ハシースの中に構築された無数のシステムや記述壁が、青白き光と赤き混沌の塊によって次々と内側から貫通され、爆散していく。
バキバキバキ、ドガァン!!!
さらに上層、ソラノミのメインフレームへと繋がる巨大な天井の記述壁をも、セイカは速度を緩めることなく突破。摩擦熱によって彼女の周囲の空間が赤黒く燃え上がる。ナイチンゲールはなおも暴れ狂い、ビーム・ライフルを乱射して箱舟内部を破壊しようとするが、セイカはその銃口を力ずくで上空へと固定し続ける。
そして――バリバリバリと激しい大気の絶叫とともに、アトラ・ハシースの最も外側を覆う超重装甲の外壁が、内側から派手に大爆発を起こした。
巨大な火炎の尾を引きながら、二つの影はアトラ・ハシースの肉体を完全に突き破り、絶対的な「外」の世界へと飛び出した。
__________
――フッ、と。
それまで鼓膜を狂わせていた激しい爆音も、装甲が軋む金属音も、色彩の禍々しい咆哮も、一瞬にしてすべてが消滅した。
そこは、音が伝播するための空気が存在しない、絶対の零度と静寂が支配する「宇宙空間」だった。
視界の先には、どこまでも美しく輝くキヴォトスの青い大気。そして背後には、天を衝くほどに巨大な人工要塞アトラ・ハシースと、それを取り巻くソラノミの全景が、静かに横たわっている。
箱舟内部の喧騒、先生やアビドスのみんなが命を懸けて戦っているあの戦場は、今、この宇宙の静寂によって、物理的にも因果的にも完全に「切り離された」。
フワリ、と無重力の空間でセイカの身体が舞う。彼女を緊縛していた世界の重力から解き放たれ、衣服の裾が静かに広がった。
セイカは宇宙の暗黒の中で静かに身を翻し、愛銃のボルトを引いて、再び正面へと構え直した。彼女の背後からは、Hi-νの美しい青白い光の粒子が、星々の海へとサラサラと美しく拡散していく。
「……これで」
空気のない世界で、彼女の唇だけが静かに動いた。
「誰も、巻き込みません」
__________
しかし、宇宙の絶対的な静寂は、長くは続かなかった。
ズウゥゥゥゥン……。
セイカのフィン・ファンネルによって拘束されていたはずのナイチンゲールが、その因果のエンジンを再び不気味に起動させた。
空気のないはずの宇宙空間であるにもかかわらず、その巨軀の周囲に、ドロドロとした色彩の波動が滲み出し始める。装甲の表面に刻まれた幾何学紋様が激しく明滅し、ナイチンゲールの全身から放たれる赤い侵食のオーラが、周囲の星の海を汚染するようにじわじわと広がっていく。
キィィィン――。
頭部の中央に配されたモノアイが、妖しく、冷酷に発光した。その単眼は、時空を超えた因縁の敵である青い翼の少女を、確実にその視界へとロックしている。
対するセイカ。
拘束を終え、限界まで焼き切れる寸前だった6基のフィン・ファンネルが、主人の意思に応えるようにして彼女の背後へと舞い戻った。
ファンネル群は再び美しく、力強い青と白の「守護の翼」の形を成して、暗黒の宇宙空間に雄大に展開される。
キヴォトスを、みんなの日常を、先生を守るために、孤独な星の海で翼を広げる少女。
世界を混沌で塗りつぶし、すべての存在記述を消滅させようとする、赤き色彩の怪物。
かつて宇宙の果てで交錯したはずの二つの宿命が、時空と因果の壁をすべて突き破り、今度こそ完全に、ただ二機だけの決着の場へと移行した。背景に輝く無数の星々と青き惑星が、その最後の戦いを見届けるための舞台装置のように静止している。
美しく澄んだ、青と白の翼。
すべてを呑み込もうとする、赤き色彩の翼。
第二局面――『宇宙決戦』、今ここに開幕。