連邦生徒会およびシャーレでの正式な手続きを経て、婚姻届が受理された翌朝。
宇宙戦艦「ソラノミ」を包み込む空気はどこまでも澄み渡り、やわらかな初夏の朝光に満ちあふれていた。
朝の爽快な風が吹き抜けるソラノミの静寂な回廊を、二人の少女が並んで歩んでいる。
ひとりは、190cmのしなやかで圧倒的な長身を誇る少女──室笠セイカ。
もうひとりは、クラシカルなメイド服を完璧に着こなし、その隣にそっと寄り添うように歩調を合わせる少女──室笠アカネ。
ふたりの歩幅は、示し合わせたわけでもないのに完璧に揃っていた。金属の床を踏み鳴らす規則正しい足音が、静かな廊下に心地よく響き渡っている。
自らの意思で同じ「室笠」という姓を選び取った二人。
交わす言葉こそ少ないものの、繋いだ手から伝わる確かな体温と、寄り添う肩の距離感が、名実ともにひとつの「夫婦」となった二人の深い絆と満ち足りた静けさを雄弁に物語っていた。
そんな二人の数歩後ろを、ミレニアムの制服を隙なく完璧に着こなした少女、室笠ケイが生真面目な足取りでついている。
前日の夜、プライベートなソラノミの室内で「家族」としての祝福と報告をすでに終えている彼女は、今日はどこかキリリと凛とした、一人の研究部員としての静かな表情をその瞳にたたえていた。
三人が向かう先は、幾多の想いをともに分かち合い、帰るべき場所となった大切な空間──「空見観測研究部」の部室であった。
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重厚な防音自動ドアが、滑らかな電子音とともに左右へとスライドして開放される。
部室の中に足を踏み入れると、そこには洗練された最新の観測機器の駆動音とともに、やわらかな陽光と、香り高い極上の茶の香りが漂っていた。
「──お帰りなさい、ふたりとも」
ドアの音に気づき、二人を最初に迎えたのは、部室奥のメインモニターの前に佇んでいた百合園セイアであった。
かつて未来を見通していた予知の力を失ってなお、彼女の透き通るような瞳は、どこまでも澄み渡り、深い知性を宿している。
セイアは二人へと緩やかに振り返ると、大げさな驚きも飾られた言葉もなく、ただどこまでも穏やかで、深く満ち足りた慈愛の微笑みを浮かべた。
「今日は……星を見上げ、その輝きを追う日ではないのだよ。セイカとアカネ、ふたりの歩みが織り成したひとつの星座を、皆で静かに祝福する……そんな誠に佳き日なのだからね。」
予言者としての言葉ではない。
この大切なソラノミへと無事に帰ってきた二人を、一人の仲間として包み込むような、温かく静かな声。
アカネは愛おしそうに目元を緩ませ、細い手をお腹の前で揃えて上品にお辞儀をした。
「ええ……ただいま戻りました、セイアさん。先生にも正式に認めていただき、私たちは……夫婦となりました」
アカネの口から誇らしく語られた「夫婦」という響き。
隣に立つセイカは、どこか照れくさそうに視線をわずかに泳がせながらも、静かに、けれど迷いのない力強さで小さく頷いた。
二人から溢れ出るような幸福の空気と、左手の薬指でかちりと音を立てて輝く一対の指輪。
部室の冷たい金属の壁さえも温めるような、胸が熱くなるような風が、静かに部屋の中を吹き抜けていく。
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「ハハッ! めでたいのう! ついに、ついに正式な夫婦となったのじゃな!」
部室の奥、豪奢なアームチェアのあたりから、朗らかで豪快な声が響き渡った。
茶杯をテーブルに置き、扇子を優雅に手に立ち上がったのは竜華キサキであった。
彼女はその小柄な体躯からは想像もつかないほどの威厳と、長き時を見守ってきた保護者のような温かな眼差しを二人に向け、心底嬉しそうに目元を緩ませている。
「めでたいのう! 実にめでたい! 二人で手を取り合い、己らの手でこの上なく喜ばしき結末を掴み取ったのじゃ。今日は無礼講――盛大に祝い、二人の門出を寿ぐのじゃ!」
山海経の門主としての重みと気高さを保ちながらも、心からの祝声。
アカネは「ありがとうございます、キサキさん」と深く感謝の礼を捧げた。
だが、そのお祝いのムードのすぐ横で──全身をガタガタと打ち震わせ、顔面を朱に染め上げている少女が一人。
「(……な、ななな何よあれえええええええっ!??!??)」
衣斐レナの脳内は、今まさに未曽有の核爆発を起こしていた。
「(何あの空間!? 何あの尊さの致死量!!? 190cmの圧倒的スタイルに夕光を溶かしたようなパープルの瞳、バイザーを外した国宝級の素顔で照れてるセイカさんの神々しさだけでも脳が溶けて消えそうなのに、あの薬指の指輪! お揃いのイヤリング! アカネさんとの距離感!! 尊すぎて無理!! 死ぬ!! ワイルドハントの芸術的観点から言ってもあの二人は人類の到達点にして至高の美術品よ!! 尊みの概念そのものが服着て歩いてるんじゃないわよもう何なのバカあああああああああっっ!!!)」
内面では脳が焼き切れ、絶叫しながら転げ回り、尊さのあまり泡を吹いて卒倒しかけているレナ。
しかし! ワイルドハントとしての芸術的誇りとプライドが、その本音を漏らすことを全力で拒絶していた。
結果として、彼女の表面に出力された反応は──
「な、何よそれぇ……っ! べ、別に! セイカさんとアカネ先輩が結婚したって聞いたくらいで、私が動揺するわけないじゃない! ……な、何その目! 見るなっ! シャーーッ!!」
レナは腕を組み、ぷいっと明後日の方向を向きながら、トゲのある言葉を吐き捨てた。
だが、その頬は熟しきったトマトのように赤く、声は裏返りまくっている。
「べ、別に……っ! あんたたちがどれだけお似合いで、どれだけ絵になってて、どれだけ神々しくて尊い夫婦になったからって……私には関係ないんだからね!」
突如として繰り出された、猫のような「シャーッ!」というシャープな威嚇音。
「……ふふ、レナ。顔が林檎のように赤いよ。お祝いの言葉を素直に送ればいいものを」
「なっ……! セイア先輩、余計なこと言わないでよ! 私はただ、オカルト的な『夫婦の契り』の科学的根拠について考えてただけなんだから!」
セイアにからかわれ、パニックを起こして威嚇を連発するレナ。
そんなレナの様子を、セイカはシアンブルーの瞳で静かに見つめると、ゆっくりと長身をかがめて目線を合わせた。
「……ありがとう、レナ。あなたの言葉から、温かな祝福の意を感じます」
「な、な……っ! 勘違いしないでよね! 別にあんたのために言ったんじゃないんだから……っっっ!!」
限界を迎えたレナは耳まで真っ赤にし、タジタジになってソファーの隅へと逃げ込んでいくのだった。
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レナの賑やかなリアクションが一巡したところで、二人の後ろに静かに控えいていたケイが、すっと一歩前へ踏み出た。
前日の夜、プライベートな時間で見せた「娘」としての照れや甘えは、今の彼女の中には綺麗に収められている。
今の彼女の佇まいは完全に、「空見観測研究部員・室笠ケイ」としての凛とした生真面目なものであった。
「……改めまして、おめでとうございます」
ケイは手に持った小型のデータ端末を静かに胸元へ引き寄せると、淡々とした、けれど一切の機械的な冷たさを感じさせない澄んだ声で語りかけた。
「空見観測研究部の活動記録、およびメンバーデータベースの情報を正式に更新いたしました。『室笠セイカさん』、そして『室笠アカネさん』」
二人を「お父さん」「お母さん」ではなく、あえて公的な名前と敬称で呼びかけるケイ。
それは、家族としてのプライベートな絆を部活動という公の場へ私情として持ち込むことなく、この大切な部室という空間で二人を一人の「対等な仲間」として改めて敬う、彼女なりの誠実で愛おしい『一線』であった。
「これからも、お二人と共にこの宇宙戦艦ソラノミで活動し、広大な空を見上げていけることを……深く嬉しく思います」
淡々とした言葉の裏側に宿る、溢れんばかりの誇りと信頼。
セイカとアカネは顔を見合わせ、ケイのプロフェッショナルで、けれど誰よりも温かい祝福の言葉に、心からの笑みを返したのだった。
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形式張ったお祝いの言葉が一巡すると、部室の空気はすっと柔らかくなり、いつものあたたかな日常の温度へと戻っていった。
「ふふ、皆様、立ち話もなんですし……温かいお茶でも淹れましょうか」
アカネが手際よくエプロンを身につけると、ソラノミのキッチンカウンターへと向かった。
茶葉の甘く高貴な香りが部室の中に漂い始める。洗練された手つきで淹れられた最高級の紅茶が、ガラスのカップへと注がれていく。
「うむ。祝いの席に茶は欠かせぬからな。妾からも甘味を持ち込んであるぞ」
キサキがそう言ってテーブルの上に置いたのは、山海経から取り寄せたという重箱入りの高級和菓子だ。色鮮やかな生菓子や練り切りが並び、部室が一気に華やぎを帯びる。
「……これは見事だね。キサキ、いただくよ」
セイアが静かに笑みを浮かべながら、優雅な所作で茶杯と和菓子に手を伸ばす。
レナはチラチラと二人の様子を伺いながら、震える手でお菓子を口に運んだ。
テーブルを囲み、温かいお茶とお菓子を味わいながら流れる時間。
そこにはもう、重苦しい緊迫感も世界の破滅を危惧する空気も存在しない。
「それにしても、セイカさん」
レナが少し気持ちを落ち着かせ、カップを置きながら向かいに座るセイカの顔を伺った。
「名字が『室笠』になって……その、何か自分の中で変化はあったわけ? 整備の感覚とか……その、気持ちとか……」
強がりつつも、純粋に気になる様子で尋ねるレナ。
キサキもセイアも、興味深そうにセイカへと視線を向けた。
セイカは自分の左手の指輪をそっと撫で、続いて左耳の白い三日月のイヤリングへと触れた。
「……整備の精度や、演算処理のスペックに変化はありません」
セイカは平熱の声でそう前置きしてから、ほんのわずかに、けれど心底愛おしそうに口元を緩めた。
「ですが……『室笠セイカ』という名を口にするたび、胸の奥に確かな温もりが広がります。以前のように、自分という存在が宙に浮いているような不確定さは、もうどこにもありません。アカネと同じ姓を背負うことで、私の存在は完璧に『定義』されました」
キッチンから戻ってきたアカネが、セイカの隣に静かに腰掛ける。
アカネは照れたように微笑みながら、そっとセイカの膝の上に己の手を重ねた。
「ふふ……セイカさんったら。そんなに真っ直ぐ言われると、淹れたての紅茶より顔が熱くなってしまいます」
「事実を述べただけです、アカネ」
「(ぐはっっっ……!!!!??? 尊死!! 尊死確定!! 何その「完璧に定義された」って表現神すぎるでしょ尊さで概念が崩壊するわバカあああああっっ!!)」
限界突破したレナはブスッと黙り込み、必死に自分の顔を叩いて発狂を抑え込んでいた。
そんな様子を見つめながら、キサキは「ククッ、実に微笑ましいのう」と扇子を叩いて笑い、セイアも静かに目を細めてお茶を口に含んだ。
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賑やかなお茶会が穏やかに過ぎ、窓の外の景色が茜色から深紺の夜空へと移り変わっていく。
セイカはゆっくりと立ち上がると、部室の中を静かに見回した。
宇宙戦艦ソラノミ。
その中に作られた、この「空見観測研究部」。
かつて孤独な演算の中にあり、ただ存在の意義を探していた自分。
そんな自分が、アカネと出会い、同じ『室笠』の名を背負い、こうして共に笑い合える最高の仲間たちと出会えた。
「……皆様、改めて感謝を」
セイカの落ち着いた声に、雑談を交わしていた全員の視線がすっと集まる。
「この空見観測研究部は……私とアカネにとって、そしてここにいる全員にとって、かけがえのない最高の居場所です」
セイカは窓の外、静かに広がるキヴォトスの夜空を見つめた。
「世界を守り抜き、手に入れたこの平穏な日常の中で……私はこれからも『室笠セイカ』として、皆さんと共にこの空を見続けていきたいと思います」
「……ええ」
アカネが立ち上がり、セイカの隣にそっと寄り添った。
「私も、室笠アカネとして……セイカさんの隣で、そしてこの空見観測研究部の皆様と共に、素晴らしい明日を重ねてまいります」
二人の誓いのような言葉に、キサキが満足そうに頷き、レナが(泣くのを必死に耐えながら)そっぽを向き、セイアがやさしく拍手を送る。
そして後ろに立つケイもまた、胸元に端末を抱えたまま、静かに、けれど心からの誇りを込めてお辞儀をしたのだった。
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お茶会の片付けを終えた一同は、自然な足取りで観測室の巨大なガラス窓のそばへと集まった。
照明が落とされた観測室の中、窓の外には果てしない群青色の夜空が広がっている。
ふと、雲の隙間から一筋の澄み渡った光が差し込んできた。
夜空の果てに浮かんでいたのは、白銀に輝く一筋の「白い三日月」であった。
セイカの左耳でゆらりと揺れるイヤリングと、夜空に浮かぶ本物の三日月。
二つの月が静かに共鳴し、夫婦となった二人と、それを取り巻く温かな仲間たちを優しく照らし出している。
ガラスに映る自分たちの姿。
セイカとアカネの重ね合わされた左手で、一対の指輪が月明かりを受けて小さく、美しく輝いていた。
キサキが腕を組み、満足そうに月を見上げる。
レナが「……綺麗じゃない」と短く吐息を漏らす。
ケイが静かに二人の後ろでその光景を記憶に刻み込む。
静寂と、月明かりと、仲間たちのぬくもり。
その完璧な時間の中で、百合園セイアが胸に手を当て、どこまでも静かに、愛おしそうに呟いた。
「……ふふ。今日は、本当に良い観測日和だね」
夜風が宇宙戦艦ソラノミの装甲を心地よく撫でていく。
三日月の優しい光に包まれながら、空見観測研究部の愛おしく穏やかな夜は、静かに、どこまでも優しく更けていくのであった。