吹き荒れる熱風が、細かな砂塵を巻いて古びたコンクリートの壁を無情に削っていく。
かつて栄華を極めたアビドス学園の管区外縁──今や地図からも消え去り、風化する巨大な建造物の残骸だけが点在する死の領域。そこには、命の鼓動はおろか、風の蠢く音以外の一切の羽音すら存在しなかった。
崩れ落ちた鉄骨と、ひび割れたアスファルトの最頂部。
瓦礫の山の上に、一人の少女が膝を抱えるようにして佇んでいた。
砂狼シロコ──あるいは、歪んだ因果の果てに世界の滅亡を見届け、すべてを失った別世界の存在『シロコ*テラー』。
彼女の身を包む黒い衣装は、過酷な戦いと長い孤独の時間を物語るように端が擦り切れ、砂塵にまみれていた。頭上の歪んだヘイローは、弱々しい滅びの光を微かに明滅させているだけだ。
「……あ」
風が強く吹き抜け、彼女の灰色の髪を激しく揺らした。
指先を伸ばし、空を切る。手に触れるものは何もなかった。冷たい風の感触と、皮膚に当たる細かい砂粒の痛みだけが、自分がまだ存在していることを無機質に教えてくれる。
すべての脅威は去った。
世界を破滅へと導こうとしていた『色彩』の因果も、世界の不条理の元凶も、あの英雄たち──シャーレの先生や、恐るべき演算能力と絶対的な力を誇る観測士・天野江セイカたちの手によって完全に討滅された。
世界は救われたのだ。
各学園の生徒たちは笑顔を取り戻し、街は寸断されていたインフラを再建し、新しい明日へと歩み始めている。
──けれど、自分はどうだ?
「(……私には、どこにも帰る場所がない)」
膝に顔をうずめ、シロコは深く静かに目を閉じた。
自分がかつて愛した仲間たちは、もう誰もいない。自分がいた世界は完全に壊れ、二度と戻ることはできない。
そして、救われたこの新しい世界にも、自分という異分子が居座っていい理由などどこにも存在しなかった。
ここには、別の「砂狼シロコ」がいる。
彼女には温かい仲間がいて、帰るべき対策委員会があって、共に歩む先生がいる。
自分は、世界を脅かした禍根の残骸に過ぎない。
「……私は、壊れてしまった存在。……はじめから、どこにも存在するべきじゃなかった……」
ぽつりとこぼれ落ちた呟きは、容赦のない砂風にかき消され、誰の耳に届くこともなく砂漠の闇へと呑み込まれていく。
自分という存在の確定性が、少しずつ失われていくような感覚。
このまま砂塵に埋もれ、誰にも知られず、静かに風化して消えてしまえばいい。それが、世界の理を狂わせた自分にふさわしい最期なのだと、彼女は固く心を閉ざしていた。
__________
ザッ、ザッ、ザッ……。
突如として、砂風の音を切り裂くように、規則正しい足音が重く静かに響き渡った。
風化しかけた瓦礫の山。本来であれば人が足を踏み入れるはずのない死の領域に、明確な意志を持った『存在』が接近してくる。
「……っ!?」
シロコの身体が瞬時に硬直した。
野生的な勘が警告を鳴らし、彼女は咄嗟に瓦礫の上で身を起こす。視線を鋭く巡らせ、腰の銃へと手を伸ばしかけた。
砂塵の向こう側から、ゆらりと現れた人影。
風にそよぐ美しいシアンブルーの長髪。
190cmという圧倒的な長身を包むのは、機能美を極めた青と白の洗練された装備。
そして彼女の背後には、まるで生体のように流麗な軌道を描いて浮遊する、白銀のフィンファンネル群が静かに旋回していた。
室笠セイカ。
整った深遠な顔立ちの中で、何よりも異彩を放っていたのは、彼女の瞳であった。
透き通るような、深く澄み渡った紫の瞳。
あらゆる物質の構造を見抜き、空間の歪みや因果の計算すら一瞬で完了させるその紫の双眸は、静かな知性と圧倒的な理知の光を宿し、まっすぐにシロコを見つめていた。
「……天野江、セイカ……」
シロコの声がかすかに震える。
かつて決戦の宙域において、不条理な敵を絶対的な過給演算によって打ち砕いた最強の観測士。その圧迫感と存在感は、190cmの長身も相まって、立っているだけで周囲の空間の密度を変えてしまうほどだった。
シロコは警戒を解かず、低い声で問いかけた。
「……私を、始末しに来たの?」
無理もない問いだった。
自分はかつて世界を脅かす側へと墜ちかけた存在だ。未だに処理されていない『未確定の脅威』として、排除されるのが論理的帰結であるはずだ。
だが、セイカは銃を構えるでもなく、フィンファンネルを展開させるでもなかった。
彼女は風にシアンブルーの髪を遊ばせながら、静かに、平熱の声音で答えた。
「……結婚したので今は室笠です。いいえ。……私には、あなたを排除する動機も、その演算プランも存在しません」
「……じゃあ、どうしてここに来たの。こんな、何もない場所に……」
セイカは静かに一歩を踏み出した。
「未確定要素となったあなたの存在座標を……完璧に確定させに来ました。砂狼シロコ」
__________
「……存在座標を、確定させる……?」
シロコは苦笑交じりに首を横に振った。
「そんなの……意味がないよ」
彼女は自分の擦り切れた膝を見つめ、静かに、けれど痛切な吐息とともに拒絶の言葉を溢れ出させた。
「私には、帰る場所なんてどこにもない。……私がいた世界は壊れて、仲間も、大切な人も、みんな消えてしまった。この世界にいる『私』には、もう完成された居場所がある。……そこに、私が割り込む余地なんてない」
シロコの声が次第に熱を帯び、絶望の感情が溢れ出す。
「私はただの壊れた存在! 存在しているだけで世界に負担をかける、歪んだ因果の残骸なの! だから……放っておいて! 私なんて、この砂の中で消えてしまえばいいの……っ!」
悲痛な叫びが、アビドスの広大な砂漠へと響き渡る。
それは、誰にも受け止めてもらえなかった孤独な少女の、胸をかきむしるような悲鳴だった。
だが──セイカの瞳は、微塵も揺らがなかった。
あらゆる感情の暴風を受け止め、即座にそれを淡々と処理するように、セイカは一瞬の迷いもなく言い放った。
「論理的に誤りです」
「……えっ」
シロコが驚きに目を見開く。セイカは静かに言葉を重ねた。
「帰る場所が存在しないというのであれば……私が今、この手でここに造ります」
「な……なにを……」
「共に歩む人間が一人もいないというのであれば……私が、その最初の一人になります」
一切の揺らぎがない、絶対的な宣言。
セイカがシロコの上に突き刺さる容赦のない太陽と風を遮るように、静かな影を作った。
「あなたの存在を『不要なエラー』と定義する計算式など、このキヴォトスのどこにも存在しません。……私が、それを許さないからです」
「そんなの……そんなの、ただの暴論だよ……! 私は……私はあなたにとって、何の価値もないただの他人で……」
「他人ではありません」
セイカの声が、ほんの少しだけ低く、けれどどこまでも温かい熱を帯びた。
「あなたは……私の目の前で傷つき、行く宛を失って彷徨っている、たった一人の少女です。……それを観測し、手を差し伸べない理由など、私の演算モジュールには存在しません」
__________
静寂が、再び二人の間に訪れた。
吹き荒れていた風が、まるでセイカの絶対的な存在感に押されるように、一時的に凪いでいく。
セイカはゆっくりと、慎重な足取りで瓦礫を登り、シロコのすぐ目の前までやってきた。
シロコを見下ろす形になる。けれど、そこには威圧感など一切なかった。あるのは、ただどこまでも深く、優しい眼差しだけだ。
セイカはまっすぐにシロコを見つめ、静かに、けれど明確な音節で言葉を紡いだ。
「砂狼シロコ。……私の『娘』になりなさい」
「………………は?」
シロコの思考が完全にフリーズした。
銃の分解手順も、あらゆる戦術理論も、今の言葉の意味を正しく処理することができない。
「……いま……なんて……?」
「提案です。……いいえ、私の確定した意思です」
セイカはタクティカルグローブを脱ぎ、大きくて力強い素手をシロコに見せた。
「天野江セイカは、昨日をもって『室笠セイカ』となりました。大切な人と婚姻を結び、正式な家族としての誓いを立てたのです。……だから、あなたも来なさい」
セイカの紫の瞳が、白銀の光を反射して美しく揺れる。
「室笠シロコとして……私たちの家族として、生きてください」
「む……室笠……シロコ……!?」
シロコの胸の中で、激しい感情の濁流が渦を巻き始めた。
娘? 家族?
自分が……室笠セイカの娘になる?
「そんなの……そんなの、できるわけないよ……!」
シロコは激しく首を振った。涙が目元に溜まり始める。
「私は……私と一緒にいたら、みんな不幸になる! 私の大切な人は、みんな私を庇って……消えていってしまった! あなただって……私みたいなのを家族にしたら、いつか傷つくかもしれない! また……また大切なものを失うなんて、私はもう耐えられない……っ!」
それは、シロコのトラウマの根底にある恐怖だった。
愛すれば愛するほど、受け入れられれば受け入れられるほど、それを失った時の絶望が怖くてたまらない。
だから彼女は、最初から誰も受け入れず、一人で消える道を選ぼうとしていたのだ。
__________
シロコの痛切な訴えに対し、セイカは優しく、解を導き出す数学者のように言葉を返した。
「あなたが背負う絶望も、過去の罪悪感も……すべて私の過給演算で受け止め、支えます」
「……え……?」
「私ひとりの力で足りないというのであれば……問題ありません。室笠家には、完璧なシステム(家族)が揃っています」
セイカは静かに指を立て、一つずつ論理的な理由を提示していく。
「あなたの心が凍りつきそうになった時は……お母さんであるアカネが淹れる、温かい紅茶と甘いお菓子が、何よりも確実にあなたの温度を戻してくれるでしょう」
アカネの包み込むような笑顔と、温かな体温。
「あなたが日常の歩き方を忘れて迷いそうになった時は……あなたの妹となるケイが、生真面目な正論と日常のスケジュール管理で、あなたを何度でも当たり前の日々へと引き戻してくれます」
ケイの「お父さん」「お母さん」を慕う、健気で愛おしいまなざし。
「そして……あなたが世界や不条理の因果に押し潰されそうになった時は……この私がすべての兵装を懸けて、あなたを全力で守り抜きます」
セイカはシロコの目元に溜まった涙を、大きくて温かな指先でそっと拭った。
「……ソラノミには、少し広すぎる家があります。これまでは二人で、そしてケイと共に温めてきましたが……そこを完璧な温もりで満たすには、家族がもう一人足りなかったのです」
「足り……なかった……?」
「ええ。そこは……最初から、あなたが来るべき場所として空けられていたのです。室笠シロコ」
言葉の一つひとつが、シロコの凍りついた胸の奥へと染み込んでいく。
冷たく固ざされていたはずの心が、セイカの圧倒的な包容力と温かな言葉によって、みしみしと音を立てて解けていくのが分かった。
__________
「……う……うう……っ」
シロコの瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちた。
拭っても、拭っても、後から後から溢れ出して止まらない。
ずっと、一人で耐えてきた。
世界の終わりで、黒い砂漠の中で、自分はもう死んだ存在なのだと自分に言い聞かせ、誰も求めてはいけないのだと心を押し殺してきた。
それなのに──目の前のこの人は、190cmの圧倒的な存在感を持つこの人は、当たり前のような顔をして「自分の娘になれ」と言ってくれる。
自分の絶望も、過去も、全部引き受けて「守る」と言ってくれる。
「……ほんとうに……っ?」
シロコは喉を詰まらせながら、小さく、すがるような声を漏らした。
「本当に……私なんかが……そこにいていいの……? また……誰かの『家族』になって……笑っても、いいの……っ?」
セイカは、どこまでも優しく、微かな笑みを唇に浮かべた。
「もちろんです」
セイカは、大きくて力強い素手を、シロコの前へとそっと差し出した。
「さあ……家へ帰りましょう、シロコ」
差し出された大きな手。
その手は、自分の失った温もりを、そして新しい未来をすべて包み込んでくれるような、絶対的な安心感に満ちあふれていた。
シロコは震える手を伸ばした。
一度はためらい、引っこめそうになりながらも──セイカの瞳が送ってくる強い温もりに背中を押され、その大きくてあたたかな手を、ぎゅっと両手で強く握りしめた。
触れ合う体温。
伝わってくる、力強く脈打つ鼓動。
シロコは涙で視界を濡らしながら、自分の胸の奥から湧き上がる一番素直な感情を、生まれて初めての言葉に乗せて吐き出した。
「……っ……お父さん……っっ!!」
「……はい。お帰りなさい、シロコ」
セイカは腕を伸ばし、華奢で小さなシロコの身体を、その大きな胸の中へとそっと抱き寄せた。
シロコはセイカの胸元に顔を埋め、子供のように声を上げて泣きじゃくった。
砂塵が舞う殺伐としたアビドスの廃墟に、一つの確かな『家族の絆』が生まれた瞬間であった。
__________
ゴオオオオオ……という重厚な推進音が、アビドスの広大な上空から響き渡った。
上空を覆っていた分厚い砂雲が綺麗に割り開かれ、そこから姿を現したのは、巨大な白銀の船体を持つ宇宙戦艦「ソラノミ」であった。
巨大な艦体がゆっくりと高度を下げ、アビドスの死の領域へと優雅に降下してくる。
「……すごい……」
セイカの胸元から顔を上げたシロコが、涙を拭いながら感嘆の声を漏らした。
「シロコ」
「……なに? お父さん」
「これより、私たちは我が家──ソラノミへと帰還します」
セイカは背後のフィンファンネル群を白銀の光として収束させると、冷徹で力強い眼光を夜空へと向けた。
「覚えておきなさい。これ以降、室笠家の長女であるあなたを脅かし、傷つけようとするあらゆる不条理、敵意、そして歪んだ因果は……この私が、そのすべてを粉砕します」
圧倒的な父親としての宣言。
かつて世界の理と戦った最強の観測士が、今や自分の「娘」を守るための絶対的な盾となったのだ。
シロコはその言葉を聞き、長年胸を締め付け続けていた重苦しいプレッシャーが、嘘のように消え去っていくのを感じた。
彼女はセイカの服の裾をギュッと握りしめ、小さく、けれど心からの安心感を込めて微笑んだ。
「……うん。私……お父さんについていく」
__________
プシュー……という気密音とともに、ソラノミのメインハッチが滑らかに開放された。
艦内の温かな空気と、ほのかに漂う甘い香りがシロコの鼻腔をくすぐる。
アビドスの冷たく乾いた風とは全く違う、生き物の生活の匂い。
「──お帰りなさいませ、お父さん。そして……室笠シロコさん」
ハッチのすぐ目の前に立っていたのは、ミレニアムの制服を隙なく着こなした少女、室笠ケイであった。
ケイは手元の小型端末を胸元に抱え、生真面目な面持ちで二人を迎え入れた。
彼女の瞳は、セイカに抱えられたシロコをじっと見つめ、淡々とした「です・ます」調で言葉を紡ぐ。
「事前にお父さんからの通信を受領し、メンバーデータベースおよび室笠家の家族構成ログを更新完了いたしました。……室笠シロコさん。あなたの存在は、我が家において必要不可欠な要素であると分析されました」
ケイはすっと背筋を伸ばし、ほんのわずかに照れくさそうに視線を泳がせながらも、しっかりとシロコを見つめた。
「……ようこそ。私の……お姉ちゃん」
「お姉……ちゃん……?」
シロコが目を見開く。ケイは「コホン」と小さく咳払いをすると、いつもの硬質なトーンを取り戻して端末を操作した。
「はい。年齢および編入シークエンスに基づき、あなたが室笠家の長女、私が次女となります。……早速ですが、室笠家の一員としての日常順応プログラムを開始します。まずは第一段階として、ソラノミの第三ダクトの清掃作業から始めましょう」
「えっ……ダクト掃除……!?」
真面目な顔でトンデモない提案をしてくるケイ。
シロコがポカンとしていると、廊下の奥からくすくすと鈴を転がすような優しい笑い声が響いてきた。
「ふふ、ケイったら。シロコが驚いてしまっているではありませんか」
洗練された手つきでトレーを抱え、歩み寄ってきたのは室笠アカネであった。
トレーの上には、立ち上る温かな湯気とともに甘いココアが二つ、そして焼き立てのふんわりとした甘いパンが並べられている。
アカネはシロコの前に立つと、トレーを脇のテーブルへ置き、惜しみない母性の光をその瞳に宿して、そっと優しくシロコの身体を抱きしめた。
「……おかえりなさい、シロコ。ずっと……あなたに会いたかったのですよ」
「あ……アカネ……さん……」
「いいえ。『お母さん』とお呼びなさい」
アカネは蜂蜜のように甘くやわらかな声音で囁き、シロコの頭を優しく優しく撫でた。
「よく頑張りましたね。辛いことも、悲しいことも……もう全部終わりです。ここが、あなたの家ですよ」
包み込まれるような温もりに、シロコの目から再びポロポロと涙が溢れ出す。
アカネはシロコの涙を優しくハンカチで拭うと、胸元のココアを差し出しながら、悪戯っぽく可憐に微笑んだ。
「さあ、まずはこの温かいココアを召し上がれ。……もちろん、お腹がいっぱいになったら、お父さんと一緒にダクト掃除はお手伝いしてもらいますけどね?」
「ふふ……はい。お母さん」
緊張が完全に吹き飛び、シロコの口から自然と溢れ出た「お母さん」という言葉。
アカネは嬉しそうに目を細め、セイカもまた、その光景を穏やかにつつみ込むように見守っていた。
__________
ソラノミの居住エリアにある、明るく清潔なリビングルーム。
ソファに深く腰掛けたシロコは、両手で包み込むようにしてマグカップを持っていた。
甘く温かいココアが体に染み渡り、冷え切っていた芯からじんわりと温もりが広がっていく。
隣にはアカネが座り、シロコの口元についたパンくずを優しく拭ってくれている。
対面の椅子にはケイが座り、「糖分摂取後の代謝効率について」などと難しそうなログを画面に表示させながらも、どこか嬉しそうにシロコの様子を観察していた。
そしてセイカが、温かい紅茶を全員分注ぎ終え、シロコのすぐ隣へと腰を下ろした。
全員の視線が、自分へと注がれている。
そこには拒絶も、恐怖も、哀れみすら存在しない。あるのは、ただ無償の愛と、家族としての温かな歓迎だけだ。
シロコはマグカップを見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「私……本当に、ここで生きていて……いいの?」
何度も繰り返してきた問い。
だが、今度の答えは違っていた。
セイカは静かに手を伸ばすと、大きくて温かな手のひらを、シロコの頭の上にそっと乗せた。
そして、髪を優しく撫でながら、力強く、けれどこの上なく優しい声で告げた。
「『生きる』だけでは足りません、シロコ」
「……え……?」
「幸せになりなさい」
セイカの言葉に、シロコはハッと息を呑んだ。
「過去の傷も、失った世界の記憶も……消す必要はありません。それらすべてを抱えたまま……この室笠家で、アカネと、ケイと、私と共に……世界で一番幸せになりなさい。それが、あなたの新しい義務です」
「お父さん……」
「ふふ、お父さんの言う通りですよ、シロコ」
アカネがシロコの手に自分の手を重ね合わせ、優しく微笑む。
「これから美味しいものをたくさん食べて、たくさん笑って、時にケイとケンカもして……普通の、幸せな女の子として生きるのです。私たちが、全力であなたを幸せにしますから」
「……肯定します」
ケイも画面から顔を上げ、すっと胸を張った。
「室笠家の長女が不幸せである確率は、私の演算上、ゼロでなければなりません。……お姉ちゃん、一緒に幸せになりましょう」
お父さん。お母さん。そして、妹。
かつて世界の終わりに一人残され、すべてを諦めていた少女の目の前に、今、最高に暖かく、絶対に壊れない『家族』が完成していた。
シロコはポロポロと溢れる涙を、自分の袖で力強く拭うと、弾けたような最高の笑顔を咲かせた。
「……うん! 私……頑張ってみる! お父さん、お母さん、ケイ……ありがとう!」
__________
ソラノミの外壁を、夜明けの爽快な風が吹き抜けていく。
甲板の上には、白銀の光を纏ったフィンファンネル群が静かに旋回していた。
それらはかつて世界の敵を撃滅するための凶器だったが、今や新しい家族の船出を祝福するように、美しく舞い踊っている。
東の地平線から、眩しいまでの白金色の太陽が昇り始めていた。
闇に包まれていたアビドスの砂漠が、そしてキヴォトスの空が、温かな朝光によって黄金色に染め上げられていく。
宇宙戦艦ソラノミは、その光の中を、新しい明日へと向かって力強く飛び立っていく。
かつて世界を失い、絶望の砂塵の中で孤独に凍えていた一匹の狼。
彼女は今──
世界で一番強いお父さんと、
世界で一番優しいお母さんと、
世界で一番愛おしい妹に囲まれて。
『室笠シロコ』という新しい名を胸に抱き、あたたかな光に満ちた、新しい人生の一歩を踏み出していくのだった。