宇宙戦艦「ソラノミ」の重厚な金属廊下に、トコトコと二つの足音が響いていた。
ひとつは、少し緊張したように慎重な、砂狼シロコ──『室笠シロコ』の足音。
もうひとつは、規則正しくミリ単位で整えられた、妹の室笠ケイの足音だ。
シロコの両手には、小さなリボンで可愛らしくラッピングされた透明な袋が大切そうに抱えられていた。
中に入っているのは、昨日、ソラノミのキッチンで室笠家の家族全員と一緒に焼き上げた、あのクッキーたちだ。少し欠けた自分の星型、アカネの綺麗な丸型、ケイの完璧な六角形、そしてセイカの大きな丸型。
「……これ、みんな喜んでくれるかな」
シロコは歩きながら、抱えた袋をちらりと見つめて呟いた。
「分析結果を報告します、シロコお姉ちゃん」
隣を歩くケイが、胸元に抱えた端末から顔を上げて静かに告げる。
「昨日の味覚データおよび幸福度インデックスの解析結果によれば、当該製品の嗜好性はきわめて高い水準にあります。空見観測研究部における主要メンバーの食味嗜好パラメータと照合しても、受容される確率は98.4%です」
「……きゅうじゅうはちパーセント。……なら、大丈夫かな」
「はい。何より、シロコお姉ちゃんが心を込めてラッピングしたという付加価値が存在します。失敗を恐れる必要はありません」
ケイの真面目な励ましに、シロコはぴこりと耳を揺らして微笑んだ。
ソラノミの中央ブロック。
巨大な観測機器と天体望遠メインモニターが並ぶこの広大なエリアの一角に、室笠セイカが部長を務め、アカネが副部長(兼お世話役)として支える『空見観測研究部』の部室が存在する。
部室の前に到着すると、すでにそこには二人の姿があった。
白シャツの袖を捲り上げたラフな装いながら、その圧倒的な存在感と透き通るようなお父さん・室笠セイカ。
そして、クラシカルなメイド服を完璧に着こなし、やわらかな笑みを浮かべたお母さん・室笠アカネだ。
「来ましたね、シロコ、ケイ」
アカネが二人の元へ歩み寄り、シロコの髪をそっと撫でて整える。
「準備は良いですか? 今日は部員のみなさんに、正式に我が家の長女としてシロコを紹介する日です」
「……うん。ちょっとドキドキするけど、大丈夫」
シロコが小さく頷くと、セイカが静かに長身を屈め、シロコの目線へと近づいた。
「シロコ。緊張する必要はありません。ここにいる者たちは皆、このソラノミで共に空を見上げる大切な仲間です。……あなたを歓迎しない者など、ここには一人もいませんよ」
「……お父さん」
セイカの力強く温かい言葉に、シロコの胸の奥の硬さがふっと解けていく。
「──では、入りましょう」
セイカが言葉とともに部室の重厚な油圧ハッチへ手をかざすと、シューッというエア排出音とともに、重厚な金属扉が左右へと滑らかに開かれていった。
__________
開かれた部室の中は、まさに「宇宙戦艦ソラノミ」の頭脳とも言える、先進技術と優雅な調度品が融合した空間だった。
正面の巨大な全面強化ガラス窓からは、キヴォトスの雲海とどこまでも広がる蒼穹が一望できる。部屋の中央には最高級の木製ティーテーブルが据えられ、周囲には多重ホログラムモニターが浮かんでいた。
そして、そこに集まっていた三人の部員たちが、ハッチの開放とともに一斉にこちらへと振り返った。
「おお、待ちかねたぞ。セイカ、アカネ。よう参ったのう!」
真っ先に声を上げたのは、山海経高級中学校の門主であり、この部活の要でもある大人びた少女──竜華キサキであった。
豪奢な中華服を纏い、小さな身体でありながら圧倒的な威厳と覇気を漂わせた彼女は、長いキセルを片手に楽しそうに目を細めている。
「ふふ、待ちかねたよ。今日の集いは何やら特別な響きを帯びていたからね」
続いて穏やかな声をかけたのは、トリニティ総合学園の元ティーパーティー、百合園セイアだ。
繊細な狐耳をパタパタと揺らし、どこか達観した神秘的な雰囲気を纏う彼女は、テーブルの上のティーカップに手を添えながら、温かな眼差しを入口へと向けている。
そして──。
「ちょっと! セイカさん! アカネさん! 遅いんじゃないの!? ……って、え……?」
プンプンと怒ったように文句を言っていたのは、ワイルドハント芸術学院の衣斐レナだった。
ツインテールを揺らし、威勢よく立ち上がった彼女だったが──セイカたちの後ろからひょこりと顔を出したシロコの姿を視界に収めた瞬間、その動きがピタリと停止した。
「紹介します」
セイカが重厚な声を響かせ、シロコの背中にそっと大きな手を添えて前に促した。
「我が室笠家の長女であり、本日よりこの空見観測研究部に新たな部員として加わることとなった、室笠シロコです」
「室笠……シロコです。……よろしく、お願いします」
シロコは少し緊張しながらも、しっかりと背筋を伸ばし、ぺこりと綺麗にお辞儀をした。
静寂。
一瞬の静寂の後、部室の中の三者三様の反応が爆発した。
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「ほほう……! これはこれは!」
キサキが小さな身体を乗り出し、バンとテーブルを叩いて立ち上がった。その瞳には、深い感銘と大らかな歓喜の色が浮かんでいる。
「話には聞いておったが……なんと凛とした見事な佇まいじゃ。セイカの揺るがぬ威厳と、アカネの細やかな気品――そして、ソラノミの静謐なる在り様をそのまま映したかのような娘ではないか。うむ、実によい。室笠家の長女として、これほど相応しき逸材もそうはおるまい」
キサキはクスッ笑うと、小さな手でポンとシロコの肩を叩いた――背丈の関係で少し背伸びをしながらだが――。
「よう参ったのう、空見観測研究部へ。妾は竜華キサキじゃ。肩の力を抜くがよい。ここでは身分も立場も越え、皆が等しく空を見上げる同志なのじゃ」
「……ありがとう、キサキさん」
豪快で温かい歓迎に、シロコは少し驚きつつも素直に頷いた。
しかし──。
隣にいたレナの状況は、実に深刻な事態に陥っていた。
「あ……あう……あ……ッ!?」
レナは両手で自分の頭を抱え、顔を限界まで真っ赤に染め上げながら、ガタガタと震えていた。
その瞳は、シロコと、隣に立つセイカ、アカネ、ケイの『室笠家ファミリー』を交互に往復し、完全にオーバーヒートを起こしている。
「(な、ななな何なのこの空間は──ーッ!!??)」
レナの脳内で、限界オタクとしての悲鳴が嵐のように吹き荒れていた。
「レナさん? 顔色が著しく赤変化しています。体温上昇が見られますが、体調不良ですか?」
真面目な顔で心配するケイに対し、レナは白目を剥きそうになりながら絶叫した。
「ち、ちちち違うわよバカッ!! 供給過多! 尊さの過剰供給で脳の全回路が焼き切れそうなだけよッ!! なにこの完璧すぎるファミリー構成!? 概念として美しすぎて直視できないんだけど!!??」
「……未来の景色が少しだけ見えてしまったよ、レナ。君がそのまま騒ぎ続ければ……次の瞬間には、セイカの雷が静かに君を戒めているだろうね」
セイアが呆れたように苦笑するが、レナの混乱は収まらない。
彼女はハッと我に返ると、腕を組んでプイッと横を向き、シロコに向けてシャ────ッと威嚇するように猫のように牙を剥いた。
「べ、別に! 家族が増えたからって、私が甘くすると思ったら大間違いなんだからねっ! ワイルドハントの誇りにかけて、新入りにへこへこしたりなんか……ッ!」
必死に強がるツンデレなレナ。
だが、シロコはそんなレナの威嚇を怖がるどころか、どこか懐かしそうに目を細めた。
「(……セリカに、ちょっと似てる)」
シロコは抱えていた袋から、丁寧にラッピングされた手作りクッキーを一袋取り出すと、レナの目の前へとそっと差し出した。
「……これ。昨日、お父さんと、お母さんと、ケイと一緒に作ったクッキー。……あげる」
「え……っ!?」
差し出された可愛らしい手作りクッキー。
そして、シロコのまっすぐでピュアな瞳。
レナのツンデレ防壁は、一瞬にして音を立てて崩壊したのだった。
「な、何よこれ……っ!? 私を手懐けようとしたって、そう簡単に……ッ!」
シロコから手渡された、可愛らしいリボン付きのクッキー袋。
衣斐レナは顔を耳まで真っ赤にしながらも、差し出された手前、受け取らないわけにもいかず、文句を言いながらも震える手で受け取った。
「ふふ、まあまあレナちゃん。せっかくシロコが焼いてきてくれたのですから、みんなでいただきましょう」
アカネが手際よく全員分のティーカップを用意し、テーブルの中央にシロコが持参したクッキーをお皿に盛り付けて並べていく。
お皿の上には、少し形がいびつなシロコの星型、丸くて美しいアカネの円型、精密すぎるケイの六角形、そしてセイカの作った大きめの無骨な丸型が所狭しと並んでいた。
「ほう……うむ、実によい。これほど微笑ましい出来栄えとは、妾も思わず頬が緩んでしまうのう」
キサキがキセルを置き、身を乗り出して星型のクッキーを一つ手に取った。
「形は不揃いじゃが、生地の艶と香ばしいバターの香りが素晴らしい。どれ……」
小さな口で、サクッと一口かじるキサキ。
「……うむ! 美味いのう。この優しい甘みは、真心あってこその味じゃ。ふふ、この星形も少々不揃いではあるが、それがかえって愛らしい。作り手の想いが、この一つひとつに宿っておるのじゃな」
「ほんとう……? キサキさん」
シロコがぴこりと耳を立てて尋ねると、キサキは大満足そうに「うむ!」と深く頷いた。
「嘘などつく理由がどこにある。妾は玄龍門の門主として、良きものは良き、美味いものは美味いと正しく評しておるのじゃ。セイカ、アカネ――其方らは実によい娘を育てた。まこと、誇るべきことじゃのう」
「ええ……本当に誇らしい長女です」
アカネが愛おしそうにシロコの頭を撫で、セイカもまた、静かにその**紫の瞳**を細めて「誇りに思います」と短く呟いた。
「……っ、私だって食べるわよっ!」
みんなが絶賛する様子に耐えかねたレナが、意を決してシロコの星型クッキーを一口かじった。
「……っ!?」
サクッとした心地よい食感と、口いっぱいに広がる香ばしさ。
レナの表情が、一瞬で「美味しい……!」という素直な驚きで満たされる。
「(ウソでしょ……めちゃくちゃ美味しい……! 歪な形とかどうでもよくなるくらい、優しくて心がほっこりする味がする……ッ! これをあのクールでカッコいいシロコちゃんが、セイカさんたちと一緒にコネコネして作ったの……!? 尊すぎて食べながら泣きそうなんだど!!??)」
「な、……なによ! 悔しいけど、普通に美味しいじゃないのよバカッ! べ、別に感動なんてしてないんだからね!」
涙目になりながら威嚇音を上げるレナに、部室の中が一気に温かな笑い包まれた。
「ふふ……本当に良い味だね」
最後にクッキーを口にしたセイアが、静かにティーカップを置いた。
透き通るような彼女の狐耳が静かに揺れ、その瞳はまっすぐにシロコを見つめていた。
「……シロコ。君の瞳は、とても静かで美しい」
「……私の、目?」
「ああ。君の行く末を覆っていた暗い雲は、もう晴れているよ。かつての孤独も迷いも、今では遠い星影のようなものだ。……セイカとアカネが紡ぐ温もり、そしてケイのひたむきな優しさが、君の心を静かに照らし続けている。その光は、私の目にも確かに映っているのだからね」
セイアはどこまでも穏やかな微笑みを浮かべ、優しく言葉を重ねた。
「君がこのソラノミに、そして室笠家に来てくれて……本当に良かった。ここへ、ようこそ」
「……っ」
予言者としての言葉ではなく、一人の仲間としての心のこもった祝福。
シロコは胸の奥がじんと熱くなり、深々と頭を下げた。
「……ありがとう、セイアさん」
__________
「……ふふん」
そんな感動的な空気の中、ドヤ顔で胸を張っていたのは妹の室笠ケイであった。
「私のシロコお姉ちゃんの成果が認められ、満足です。なお、先ほどのお姉ちゃんの星型クッキーの成形プロセスには、私のサポートも0.3%ほど寄与しております」
「0.3%って、ほぼお姉ちゃんの力じゃないのよ!」
レナが思わずツッコミを入れる。
「ですが、お姉ちゃんはお菓子作りが初めてだったにも関わらず、私の指導と手本を瞬時に学習し、素晴らしい精度で完成させました。まさに天才的な長女です」
「はいはい、分かったわよ自慢げに……って、ちょっと待って。ケイちゃん、さっきから『お姉ちゃん』って連呼してない!?」
レナが目を見開く。
「当然です。室笠シロコさんは私にとって唯一無二の長女――つまり『お姉ちゃん』です。この呼称に一切の矛盾は存在しません」
「くッ……!! 前はあんなに無機質で生真面目だったケイちゃんが、完璧に『お姉ちゃん大好きな妹』に覚醒してる……!! 何この姉妹尊すぎる尊さの爆弾……! 脳が爆発する……ッ!」
頭を抱えてのたうち回るレナ。
「……シロコ」
レナの悶絶を横目に、セイカが静かにシロコを呼んだ。
「お父さん?」
「皆との挨拶も済みました。……少し、艦内の景色を見に行きましょう」
「……うん」
セイカの言葉を受け、シロコはぴょんとソファーから立ち上がった。
アカネ、ケイ、そして部員のみんなも、自然な足取りでセイカとシロコの後をついていくのだった。
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部室の奥にある重厚な自動ドアが開き、一行はソラノミのメイン観測室へと足を踏み入れた。
照明が落とされた広大な空間。
その全面を覆う半球体の巨大な強化ガラス窓の向こうには、息を呑むような情景が広がっていた。
漆黒の夜空と、そこに散りばめられた無数のダイヤモンドのような星々。
そして、遥か下方に広がるキヴォトスの街々の美しい夜景の光。
ソラノミは静かに上空を航行しており、まるで夜空そのものを泳いでいるかのような錯覚を覚えさせる。
「……すごい……」
シロコはガラス窓のすぐそばまで駆け寄り、目を輝かせてその絶景を見上げた。
かつて、自分が孤独に彷徨っていたアビドスの砂漠。
そこから見上げた夜空は、冷たく、悲しく、自分を突き放すような闇でしかなかった。
けれど――いま、このソラノミから見上げる夜空は、どこまでも澄み渡り、温かな輝きに満ちあふれている。
「美しいじゃろ?」
キサキがシロコの隣に歩み寄り、腕を組んで夜空を見上げた。
「われらはな、ただ漫然と空を眺めておるわけではない。この広大な宇宙の下で、大切な者たちが微笑んで暮らせる日常を観測し、守るためにここに集まっておるのじゃ」
キサキはキセルを空へ掲げ、シロコへと視線を向けた。
「シロコよ。山海経のトップとして、そしてこの研究部の一員として言わせてもらうぞ。……お前が過去に何を背負っていようと、どんな傷を負っていようと関係ない。お前はもう『室笠シロコ』であり、我が研究部の大切な仲間じゃ」
「キサキさん……」
「ここは、お父さんとお母さんが作ったお前の『家』じゃ。そして同時に……わしら全員でお前を温かく迎える『居場所』でもあるのじゃよ」
「……肯定します」
ケイがシロコの反対側に並び、静かに手を繋いできた。
「お姉ちゃんの居場所は、ここに完璧に定義されています。私が何度でも証明してみせます」
「……私もよっ」
レナがプイッと横を向きながらも、シロコの背中をポカッと優しく叩いた。
「文句があるならいつでも言いなさいよね! ワイルドハントの私(自称代表)が、ぜんぶオカルト的に撃退してあげるんだから! だから……ずっとここにいなさいよね、バカ!」
不器用で、けれど最大限の温かさが込められたレナの言葉。
シロコは溢れそうになる涙をぐっと堪え、みんなの顔を一人ずつ見つめた。
キサキの笑顔、セイアの深い慈愛、レナの真っ赤なツンデレ顔、ケイの誇らしげな表情、そして後ろで見守るお母さんのやわらかな微笑み。
そして――自分のすぐ後ろに立つ、お父さん。
セイカの瞳が、窓の外の三日月の光を受けて、静かに、優しく輝いていた。
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「……シロコ」
セイカが優しくシロコの肩に手を置いた。
「このソラノミから見える空は、過去のどの空とも繋がっていません。……今、私たちが共に見上げているこの空こそが、あなたと私たちが手に入れた『新しい未来』です」
「新しい……未来……」
「ええ。室笠シロコとして……このソラノミで、家族と共に、仲間と共に……思う存分、あなたの望む空を見上げなさい」
セイカの大きくてあたたかな手が、シロコの頭をそっと撫でる。
シロコは胸いっぱいにソラノミの温かな空気を吸い込み、固く結ばれていた過去の呪縛が、完全に消え去っていくのを感じた。
自分は、もう一人じゃない。
守ってくれるお父さんがいる。
包み込んでくれるお母さんがいる。
寄り添ってくれる妹がいる。
そして――こうして共に笑い合い、空を見上げてくれる最高の仲間たちがいる。
「……うん!」
シロコは涙を拭い、満面の笑顔で力強く頷いた。
「私……ここが大好き。……室笠シロコとして、みんなと一緒に、この空を見ていきたい!」
そのシロコの言葉に、全員が心からの笑みを返した。
観測室の窓の外、雲の隙間から一筋の白銀の光が差し込んでくる。
夜空の果てに浮かんでいたのは、静かに照り輝く「白い三日月」であった。
セイカの左耳でゆらゆらと揺れる三日月のイヤリングと、夜空に浮かぶ本物の月。
二つの月が優しく重なり合い、新しい家族となった室笠家と、それを取り巻く空見観測研究部の仲間たちを、温かく包み込んでいく。
手作りクッキーの甘い香りと、絶え間ない笑い声。
宇宙戦艦ソラノミは、満天の星空の中を、どこまでも優しく、どこまでも穏やかに航行し続けるのだった。