アビドス自治区──かつて広大な緑と豊かな街並みを誇ったその土地は、今や見渡す限りの荒涼とした黄砂に覆われている。
吹き抜ける熱風が細かな砂粒を舞い上げ、ひび割れたアスファルトをカサカサと鳴らしていた。
夕刻の訪れを告げる朱色の陽光が、半ば砂に埋もれたアビドス高等学校の旧校舎を赤銅色に染め上げていく。
校門の手前。数メートル手前の途切れた白線の上に、一人の少女が佇んでいた。
室笠シロコ──今や宇宙戦艦「ソラノミ」に身を寄せ、その艦長である室笠セイカの長女となった少女である。
彼女の纏う黒い衣装は、ミレニアムの先端繊維技術とアカネの手仕事によって細部まで綺麗に縫製し直され、かつてのような破れや擦り切れはどこにもない。銀色の髪は整えられ、夕風になびくたびに、ソラノミの居住エリアと同じ優しい香りが微かに漂う。
「(……アビドス)」
シロコは自分の手をぎゅっと胸元で握りしめた。
この場所。かつて自分がすべてを失い、一人で絶望の淵を彷徨い、そして滅びゆく世界の中で最後に辿り着いた、思い出と傷跡の泥沼。
足が、ほんの少しだけ竦む。
自分がここに来ていいのだろうか。この世界の「私」や、大切な仲間たちの前に、どんな顔をして現れればいいのだろうか。
──その時だった。
シロコの頭上数十メートルの高空。
空間を切り裂くように、白銀の光を纏った二機のフィンファンネルが、流麗な円軌道を描いて静かに旋回を始めた。
まるで、目に見えない巨大な鳥が彼女を守るように羽を広げているかのように。
さらにその遥か上空。雲海を突き抜けた熱圏近くの宙域には、白銀の巨体──宇宙戦艦「ソラノミ」が静かに滞空していた。
『──シロコ。脈拍数の上昇および皮下体温の微増を感知しました。……緊張していますね』
耳元に装着された超小型通信インカムから、静かで重厚な、けれどどこまでも平熱の落ち着いた声が響いた。
室笠セイカの声だ。
ソラノミのメイン観測室。彼女は、モニターに映し出される娘のバイタルデータと周辺環境の走査ログを同時に追っている。その透き通るような瞳には、娘の小さな不安すらも見逃さない、深い慈愛と警戒の色が宿っていた。
『必要であれば、私が今すぐソラノミから降下し、対面シークエンスに同席します。あるいは、あの二人のシロコが混乱しないよう、私が介入してアビドス対策委員会への説明を代行しても構いません』
「……ううん。大丈夫、お父さん」
シロコはふっと深く息を吐き出し、上空のソラノミを見上げるように頭を振った。
「お父さんが手伝ってくれたら、すごく心強い。……でも、ここからは私一人で行きたい。私が……私自身の言葉で、みんなに伝えなきゃいけないから」
かつての自分なら、誰にも頼れず、ただ孤独を抱え込んで自滅していただろう。
けれど今の自分には、帰るべき「家」があり、受け止めてくれた「家族」がいる。だからこそ、自分の足で一歩を踏み出さなければならないのだと、シロコは理解していた。
通信の向こうで、セイカが一瞬だけ沈黙した。
そして、わずかに誇らしげな気配を混じらせて答える。
『……理解しました。あなたの主体的な意思決定を最優先します』
だが、セイカの過保護さはそれだけで終わらなかった。
『ですが、護衛のフィンファンネル二機は広域警戒モードで維持します。半径500メートル以内の脅威度演算は常時更新し……万が一、あなたを不当に傷つけようとする存在が現れた場合、私の過給演算が即座に介入します。ミリ秒単位の精密打撃が可能です』
「ふふ……本当に過保護なんだから、お父さんは」
シロコはくすりと小さく笑った。
あの大胆で恐ろしいほどの戦闘能力を持つセイカが、自分という一人の娘のためにそこまでの準備をしてくれている。
その圧倒的で、少し呆れるほどに巨大な愛が、シロコの足元に確かな力を与えてくれた。
「行ってくるね、お父さん」
『ええ。……いつでも通信は繋がっています。いってらっしゃい、シロコ』
シロコはしっかりと地面を踏み締め、アビドス高等学校の校門を潜り抜けた。
__________
校舎の廊下は、シロコが記憶している通りの匂いがした。
乾いた木と、少し湿った砂と、放課後の日の光が混ざり合った、どこか懐かしい匂い。
ギシ、ギシと床板を鳴らしながら歩く。
目指すは、かつて自分が毎日通っていた「対策委員会室」だ。
扉の手前に立ち、シロコは一度足を止めた。
木製の引き戸の向こうから、聞き覚えのある賑やかな声が漏れ聞こえてくる。
「もー、セリカちゃん! だから言ったじゃないですか、お砂糖と塩を間違えたら大変なことになるって!」
「うるさいわねノノミ先輩! ちゃんと確かめたわよ! ちょっとだけしょっぱい紅茶になっただけじゃない!」
「ちょっとじゃないですよ……セリカちゃん、これ完全に味噌汁の味がします……」
「へぇ~、アヤネちゃん、紅茶味の味噌汁? 斬新だねぇ~」
和やかで、変わらない日常のやり取り。
シロコは胸に手を当て、自分の心拍数を落ち着かせると、意を決して木製の扉をトントン、と二回叩いた。
会話がぴたりと止まる。
「──はい? どちら様……って、ええっ!?」
扉をガラリと開けたセリカが、そこに立つ人物の顔を見た瞬間、目を丸くして言葉を詰まらせた。
部室の奥から、ソファーに転がっていたホシノ、お茶を淹れていたノノミ、書類を抱えていたアヤネ、そして──窓際の席で静かに外を眺めていた、この世界の「砂狼シロコ」が一斉に扉の方へと視線を向けた。
室笠シロコは、まっすぐに彼女たちを見つめ、静かに頭を下げた。
「……みんな、久しぶり」
「あ……あなた、は……」
アヤネが手にしていた書類を落としそうになりながら、眼鏡の位置を直して息を呑む。
二人のシロコ。
瓜二つの容姿、瓜二つの声。だが、纏う佇まいと胸に秘めた歴史が異なる二人。
この世界のシロコは、ゆっくりと椅子から立ち上がると、迷いのない足取りで室笠シロコの目の前まで歩み寄ってきた。
「……来たんだね」
「うん。……あの日のお礼と、今の私のこと……ちゃんと話したくて」
室笠シロコは少し緊張しながらも、みんなの視線を正面から受け止め、はっきりと自分の口で告げた。
「私は今……『室笠シロコ』として、生きてる」
「む、室笠……!?」
セリカが声を裏返させた。
「ちょっと待ちなさいよ! 名字が変わってる!? え、どういうこと!? 養子に入ったの!? それに……なになにそれ! シロコ先輩の後ろで浮いてる、綺麗で怪しい白銀のメカは何なの!?」
セリカが指差したのは、シロコの頭上でふわふわと可憐に旋回している二機のフィンファンネルだった。
「これは……私のお父さんの装備。フィンファンネル」
シロコが説明すると、ファンネルはまるで意志を持っているかのようにクルリと可憐に一回転し、セリカに向かって「よろしく」と挨拶するように微かな駆動音を鳴らした。
「お、お父さん……!? ちょっと待って、天野江セイカさんのこと!?」
アヤネが目を白黒させる。
「うん。……セイカさんに引き取られて、アカネさんをお母さん、ケイちゃんを妹として……私は室笠家の長女になったの」
「へぇ~……! 室笠シロコちゃん、ですか!」
ノノミが両手をポンと合わせ、いつもの花が咲くような温かな笑顔で歩み寄ってきた。
「ふふ、いろんなことがあって心配していましたけれど……こうしてシロコちゃんが元気で、しかも素敵なお家族と一緒に過ごせているなんて、私、とっても嬉しいです☆」
ノノミはそう言うと、トレイから新しいティーカップを取り出し、手際よく温かいお茶を注いでテーブルに並べ始めた。
「さあさあ、立ち話も何ですから! 遠慮しないで座ってくださいな、シロコちゃん!」
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「ふは~……あの天野江セイカさんが……あ、今は室笠セイカさんだねぇ。あの人がお父さんかぁ」
ソファーに深く腰掛け直したホシノが、あくびを噛み殺しながら頭の後ろで手を組んだ。
「まあ、あの箱舟戦の時の無茶苦茶な強さを見たら納得だけどねぇ。……にしても、相変わらず過保護だねぇ、セイカちゃんは」
ホシノがチラリと天井を見上げる。
「通信越しに、こっちの様子をジーッと観測してるんでしょ?」
ホシノがニヒヒと悪戯っぽく笑った瞬間──シロコの頭上で浮遊していたファンネルの一機が、ピクッと反応して先端をホシノの方へと向けた。
『──聞こえていますよ、ホシノ。娘に対する安全確保は親として当然の義務であり、過保護という表現は論理的に不適切です』
ファンネルの小型スピーカーから、セイカの重厚で整った声が直接響き渡った。
「きゃああっ!? 喋ったぁぁぁ!?」
セリカが本気で跳び上がって叫ぶ。
「あはは! ほらね、やっぱり観測されてた!」
ホシノはまったく動じる様子もなく、むしろ楽しそうに笑うと、ファンネルのカメラレンズ越しにセイカへと語りかけた。
「セイカちゃん。シロコちゃんを救ってくれて……新しい『家族』にしてくれて、ありがとうね。アビドスの先輩として、お礼を言うよ」
通信の向こうで、わずかな静寂が流れる。
ソラノミの艦橋で腕を組むセイカの表情が、画面越しに柔らかくなったのが伝わってくるようだった。
『……お礼には及びません。彼女が私の娘となったのは、私の意思であり、我が家の選択です。……それに、彼女がこうして前を向くことができたのは、あなた方が彼女を拒絶せず、温かく迎えてくれたからでもある』
セイカの声には、一切の冷たさはなかった。
『室笠シロコを……娘を、よろしくお願いします』
「ええ、もちろんです! いつでも遊びに来てくださいね、シロコ先輩!」
アヤネが胸を撫で下ろしながら笑い、ノノミも深く頷く。
「そうよ……! 名字が変わろうが、どこに住んでいようが、シロコ先輩はシロコ先輩なんだから! 何か困ったことがあったら、いつでも頼りなさいよね!」
セリカが顔を少し赤くしながらも、腕を組んでそう言い放った。
アビドス対策委員会の面々は、「室笠シロコ」となった彼女を、何のわだかまりもなく、ごく自然に、温かく受け入れてくれたのだった。
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部室の中に、ノノミが淹れた香ばしいお茶の香りが漂っていた。
「さあさあ、シロコちゃん! これ、ノノミちゃん特製のスコーンです! たくさん食べてくださいね☆」
「……ん。ありがとう、ノノミ」
シロコはお皿を受け取ると、少しだけ熱の残るスコーンを小さく口へと運んだ。
サクッとした食感のあと、ほんのりとした蜂蜜の甘さが口いっぱいに広がる。
「……美味しい」
「ふふ、良かったです! ……ところでシロコちゃん、室笠家での生活はどうですか? セイカさんやアカネさん、ケイちゃんとは仲良くできていますか?」
ノノミが興味津々の様子で身を乗り出してきた。アヤネもノートを開きながら、どこか心配そうな、けれど楽しそうな眼差しをシロコに向ける。
「室笠家での生活……?」
シロコは少し思案するように、お茶のカップを両手で包み込んだ。
「うん。……毎日、すごく賑やか。今朝もね、お母さんと一緒に、初めてクッキーを焼いたの」
「えっ、あのメイドの室笠アカネさんとお菓子作りですか!?」
アヤネが目を見開く。
「うん。……私、力加減が分からなくて、木ベラを思い切り振ったら小麦粉が爆発して……顔も髪も粉だらけになっちゃった」
「ぶっ、粉爆発!?」
セリカが思わずお茶を吹き出しそうになる。
「でもね……お母さんは怒らないで、『家族で作るお菓子は、失敗も思い出になる』って言って、笑って顔を拭いてくれたの。それから、妹のケイが電子秤を持ってきて『誤差0.1グラム以内で計量してください』って真面目に言って……」
「あはは! ケイちゃんらしいなぁ~!」
ホシノがソファーの上でコロコロと転がりながら大笑いする。
「そしたらね、お父さん──セイカさんがやってきて、『クッキーに軍用精度は不要です』ってケイちゃんを止めてくれたの。そのあと、お父さんが昔、スープを爆発させてお鍋ごと真っ黒に焦がした話をお母さんに暴露されて……照れてた」
「あのセイカさんが照れてた!? 嘘でしょ!?」
セリカが素狂ったように身を乗り出した。
「本当。……お父さんも失敗するんだって分かったら、なんだかすごく安心した。私が型抜きした星型のクッキー、少し形が歪んじゃったんだけど……お父さんは『初回としては高品質だ』って、頭を撫でてくれたの」
シロコが静かに語る言葉の端々から、あふれんばかりの温もりと、愛されているという実感が伝わってくる。
かつて砂漠で出会った時の、今にも消えてしまいそうだった脆い少女の面影はそこにはない。
今の彼女は、大切にしてくれる親がいて、温かな家族がいて、守られていることを自覚している「普通の少女」の顔をしていた。
「……そっか。本当によかったねぇ、シロコちゃん」
ホシノがソファーに体を預け、どこまでも優しい目元でシロコを見つめる。
「君がそんな風に笑って、楽しそうに家族の話をしてくれるのを聞けて……おじさん、本当に安心したよ」
「……うん。みんなのおかげ。あの日、私を諦めないでくれたから……私は今、お父さんたちの娘になれたの」
シロコは静かに、けれど深く、みんなに向かって頭を下げた。
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賑やかなティータイムが一段落し、外の景色が茜色から深紺のグラデーションへと移り変わり始める頃。
放課後の静けさが包み込むアビドス校舎の二階。
誰もいない隣の教室の窓際に、二人のシロコが並んで佇んでいた。
夕風が窓枠を揺らし、心地よい砂の匂いを運んでくる。
オレンジ色の茜光が二人の影を長く伸ばし、教室の床板を赤銅色に染め上げていた。
「……みんな、全然変わってなかった」
室笠シロコが、自分の両手を見つめながらぽつりと呟いた。
「ここに帰ってくるのが……本当は、ずっと怖かった。私がいた世界のみんなを救えなくて……一人だけ生き残って、この世界のみんなと顔を合わせるのが、申し訳なくて。拒絶されても仕方ないって、どこかで思ってた」
隣に立つ、この世界のシロコは、静かに夕焼け空を見つめたまま耳を傾けていた。
「でも……違った。みんな、私を拒絶なんてしなかった。『室笠シロコ』としての私を、当たり前みたいに笑って迎えてくれた」
「……当然だよ」
この世界のシロコが、短く、けれど深い響きを込めて口を開いた。
「私たちは、あなたを拒絶なんてしない。あなたがどこで誰と暮らしていても、どんな名前になっても……あなたが生きていてくれることが、私たちの一番の願いだったから」
この世界のシロコは振り返り、自分と同じ顔をした少女の目を真っ直ぐに見つめた。
「『室笠シロコ』……すごく、いい名前だと思う」
「……うん。お父さんが……セイカさんがくれた、大切な名前」
「セイカは、強い人だね」
「うん。……強くて、理屈っぽくて、過保護で……すごく温かい、私のお父さん」
室笠シロコは誇らしげに胸を張った。
かつて絶望の暗闇の中で諦めかけていた未来。けれど今、彼女の瞳には明確な光が宿っていた。
「この世界は……すごく眩しいね」
「……もっと眩しくなるよ」
この世界のシロコが、少しだけ口元を緩めて応じた。
「これから、もっと楽しいことがたくさんある。アビドスのみんなとも、室笠家のみんなとも。……だから、今度一緒に走ろう。自転車で、この砂漠のどこまでも」
「自転車……」
室笠シロコは目を細め、耳をピコピコと揺らした。
「うん、走りに行きたい。……その時は、お父さんに頼んで、私の自転車のギアシフトとフレーム剛性を過給演算で最適化してもらう」
「……それ、絶対にズルい。速すぎる」
「ふふ、負けないよ。お父さんの科学力は最高だから」
「……私も、先生に頼んで何か取り付けてもらおうかな」
「ふふっ……あはは!」
二人のシロコが顔を見合わせ、声を合わせて可憐に笑い合った。
過去の因果も、消せない傷跡も、すべて抱えたままでいい。
鏡に映った自分ではない、時を超えて結ばれたもう一人の自分と手を繋ぎ、それぞれの歩むべき未来へと一歩を踏み出す。
二人の間には、完璧で温かな絆が結ばれていた。
__________
アビドス高等学校の上空。
夕日に染まる雲海を、宇宙戦艦「ソラノミ」が静かに、悠然と飛行していた。
ソラノミの重厚な艦橋。
室笠セイカは、静かに腕を組みながら、巨大なメインホログラムモニターを見つめていた。
モニターに映し出されているのは、夕暮れの教室の窓際で、もう一人の自分と楽しそうに笑い合う娘──室笠シロコの姿だ。
音声ログには、彼女がアビドスの仲間たちに誇らしげにお菓子の失敗談を語る声や、「私のお父さん」と自分を呼んでくれた愛おしい響きがすべて記録されている。
セイカの傍らに、メイド服姿のアカネが静かに歩み寄ってきた。
トレイに乗せた淹れたての紅茶をセイカの横のテーブルへ置くと、アカネもまたモニターの中の娘の姿に目を細めた。
「……ふふ、大成功のようですね、セイカさん」
「……ええ」
セイカの平熱の声が響く。
「シロコは、自身の過去と正視し、それらを拒絶することなく受け入れました。……『壊れた兵器』としての過去を消去するのではなく、それらすべてを背負った上で、新しい日常を歩む決意を固めたようです」
「ええ。シロコはもう大丈夫ですね。あんなにも素敵な笑顔を浮かべられるようになったのですから」
アカネが胸に手を当て、感極まったように呟く。
セイカは視線をモニターから外し、窓の外に広がる広大なアビドスの夕景へと向けた。
かつて、数多の世界を観測し、不条理な運命に抗い続けてきた自分。
効率と論理のみを追求し、あらゆる敵を破砕してきた過給演算の力。
けれど、今の自分が持っている最大の成就とは、幾多の戦果などではない。
絶望の淵から救い出し、我が子として受け入れた小さな少女が、今こうして愛する仲間たちと笑い合っているという、このただ一つの事実だ。
「……過給演算シークエンス、広域警戒モードを解除。通常観測モードへと移行します」
セイカが静かにコマンドを入力すると、アビドス校舎の周りを旋回していた二機のフィンファンネルが、すっと高度を上げてソラノミの格納庫へと戻ってきた。
セイカは深遠な顔立ちに、誰にも気づかれないほど小さく、けれど溢れんばかりの満足感を込めた微笑みを浮かべた。
その透き通るような瞳には、愛する我が子の未来をどこまでも優しく照らし出す、父としての慈愛の光が満ちていた。
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アビドス校舎の玄関口。
対策委員会の面々に見送られ、室笠シロコは一歩を踏み出した。
「シロコちゃん、また絶対に遊びに来てください☆」
「お菓子作りに成功したら、持ってくるのよ!」
「ふふ、いつでも待っていますからね」
「気をつけて帰るんだよ~、シロコちゃん」
「ん、またね」
「……うん! みんな、またね」
シロコはみんなに向かって大きく手を振ると、上空からゆっくりと降りてきたソラノミの搭乗用昇降ライトへと足を踏み入れた。
光に包まれ、宙へと引き上げられていく視界の中で、アビドスの校舎と仲間たちの姿が少しずつ小さくなっていく。
けれど、彼女の胸の中に残った温もりは、消えることなく確かにそこに存在していた。
ソラノミのハッチが開く。
「──おかえりなさい、シロコ」
出迎えたのは、優しい笑顔のアカネと、端末を手にしたケイ、そして──長身を屈めて自分を優しく見つめてくれるセイカだった。
「お父さん、お母さん、ケイ……ただいま」
シロコがそう告げると、セイカはシロコの頭の上に大きな手を乗せ、優しく撫でた。
「無事の帰還を歓迎します、シロコ。……さあ、家に帰りましょう」
「うん!」
ソラノミは静かに向きを変え、夕暮れの空から群青色の夜空へと向かって航行を開始した。
アビドスという大切な思い出の場所。
そして、室笠家という愛する家族の待つ家。
二つの居場所を持った『室笠シロコ』の物語は、これからも家族の温かな笑い声とともに、穏やかに、どこまでも続いていくのだった。