漆黒の太平洋──その静まり返る闇に浮かび上がるように、ひとつの巨大な人工の明かりが燦然と輝いていた。
オデュッセイア海洋高等学校が管理・運営を行う、巨大洋上都市型クルーズ船「ゴールデンフリース号」。船体全体を埋め尽くすように施された数万のイルミネーションと装飾光は、まるで夜の海を純金で塗りつぶすかのように煌めき、周囲の波間に黄金色の残光を撒き散らしている。
その巨大な船体へと向かって一直線に伸びる、VIP専用の特注乗船タラップ。
踏みしめるたびに重厚な金属音を立てるその通路を登り切った瞬間、C&C(Cleaning&Clearing)の面々に突き刺さったのは、闇カジノや秘密オークションの開催を心待ちにする富豪、政財界の重鎮、そして裏社会の有力者たちが放つ、生々しく下品な熱を帯びた視線であった。
「……っ。……おい、先生。こっち見んなっつってんだろ! ぶっ飛ばすぞ!」
顔を耳の先端まで真っ赤に染め上げた美甘ネルは、低い唸り声を上げながら、お気に入りの短めスカジャンを必死に引っ張り、むき出しになった胸元を隠そうと躍起になっていた。
だが、ハイレグの極めて鋭いカットから覗く引き締まった健康的な太ももや、小柄な体躯ゆえに嫌応なしに際立つバニースーツの圧倒的な「迫力」と存在感は、到底隠しきれるものではない。周囲の招待客たちからは「おい、あのチビ……凄まじいな」「最高のバニーじゃないか」といった不躾なヒソヒソ話が漏れ聞こえ、彼女らの下心に満ちた視線はネルの一挙一動に釘付けになっていた。ネルは鋭い赤の瞳を吊り上げ、威嚇するように牙を剥いて睨みつけるが、その必死な照れ隠しの挙動自体が、逆に周囲の欲望を刺激する最高に魅力的なギャップとなってしまっている。
「あはは! 部長、似合ってるよ! 先生、私のこの耳、本物みたいに動くんだよ。見てて、ほら!」
一方の一ノ瀬アスナは、周囲の視線や下心などどこ吹く風。十数センチはある高めのヒールをカツカツと快音を立てて甲板に響かせながら、天真爛漫な笑顔で先生の腕にすっぽりと自分の体を滑り込ませてきた。
頭上でぴこぴこと可愛らしくしなやかに揺れるうさ耳と、弾けるような無垢な笑み。青のバニースーツをこれ以上なく完璧に着こなした彼女の圧倒的で無垢なヒロイン感は、カジノフロア周辺に漂う生臭い欲望とギラついた空気を、一瞬にして爽やかに浄化していくかのようだった。
「……はぁ。ネル先輩、落ち着いてください。ここで暴れたら潜入の意味がなくなります」
ネルの少し後ろを歩く角楯カリンは、ため息を混じえながら鋭い視線で周囲を牽制していた。
褐色肌に映える黒のバニースーツと網タイツ、そしてスラリと伸びた圧巻のスタイル。本人はクールに警戒を怠らない構えを見せているものの、その存在自体が放つ艶やかな色香と気品は、ネルやアスナとはまた異なる魅力を放ち、周囲の観客たちの視線を否応なく奪い去っていた。
「……カリン、お前だって本当は恥ずかしいくせに澄まし顔してんじゃねえよ!」
「……っ、私だって平気なわけないでしょう! ですが、これは仕事です。割り切るしかありません」
カリンは頬を少し朱に染めながらも、凛とした態度を崩さずに先生の横へと滑り込み、低く落ち着いた声で耳打ちする。
「先生、周囲の視線が集中しています。狙撃地点の確保と、白亜の捜索を急ぎましょう」
「……先生。バニースーツによる可動域の制限、および防御力の著しい低下を確認。……ですが、視覚的デコイとしての効果は極めて高いと判断。……ピースピース」
そのすぐ背後で、飛鳥馬トキが無表情のまま胸の前で両手の手首を交差させ、淡々とVサインを作る。
むき出しの脚で一歩ずつ確実に足を進めつつ、お尻にちょこんとついたウサギの尻尾を揺らしながら、彼女は視線だけをミリ単位で動かしていた。船内の警備兵の配置、防犯カメラの死角、そして死角から向けられる視線の物理的なベクトルを、頭の中で冷徹にスキャン・計算し続けていた。
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そして──最後にタラップを踏みしめ、船内へと一歩を踏み出した室笠アカネの佇まいは、現場の誰とも異なる異彩を放っていた。
白地の艶やかなバニースーツに身を包み、深く開いた背中と豊かな胸元を大胆に晒していながらも、彼女が纏う雰囲気には一切の卑猥さや隙が存在しない。洗練された美しい背筋の伸び、滑らかで優雅な足取り、そして周りの下品な視線を一切意に介さない柔らかな微笑。それは潜入任務に挑む捜査官というよりも、この豪華客船の頂点に君臨する「主」か、あるいは気品溢れる貴婦人のような、圧倒的な気品と風格であった。
アカネの視線は、船内の絢爛豪華な装飾を流れるように追いつつも、時折、自身の左手薬指へと注がれていた。
そこには、セイカとおそろいの、青と白の幾何学模様が刻まれた指輪が嵌められている。この豪華な船内に満ちる欲望や欺瞞とは一切無縁の、清廉で絶対的な絆の象徴。その指輪のひんやりとした感触を確かめるたび、アカネの胸の奥には静かな誇りと、あたたかな愛おしさが満ちていくのであった。
「ふふ……本当に皆さん、賑やかですね」
アカネは、照れまくるネルや奔放なアスナ、クールを装うカリン、そして無機質なトキのやり取りを横目に、品良く口元に手を添えてクスクスと微笑む。
彼女にとって、このバニースーツという過激な衣装すらも、完璧な任務遂行のための「制服」に過ぎない。しかしそれと同時に、この姿を遠く離れた場所にいる愛する人——セイカに見られているという事実は、アカネの胸をかすかに高鳴らせていた。
「先生。……私の立ち振る舞いに、何か不備はございませんでしょうか?」
アカネは先生の隣へと並び立つと、小首をかしげて尋ねた。その仕草ひとつをとっても、長年の給仕係としての洗練された所作が染み付いており、バニーガールという妖艶な装いでありながら、醸し出されるのは徹底された「気品」そのものであった。
"完璧だよ、アカネ。あまりにも自然すぎて、本当にこの船のVIPに見えるくらいだ"
「あら、評価していただきありがとうございます。……ふふ、でも先生。エスコートは、しっかりとしていただかなければ困りますよ? 今日の私は、C&Cのお掃除係であると同時に……一人のドレスアップした淑女なのですから」
アカネは滑らかな手つきで先生の伸ばした手へ、そっと自身の指を重ねた。
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──まさに、二人の手が重なったその瞬間。
──キィン、と高く澄んだ静寂の駆動音が、夜風と船内の喧騒を切り裂いて響いた。
アカネの周囲1.5メートルの空間が微細に歪み、数基の青と白の幾何学的なフィンファンネルが、光学迷彩を解除して静かに姿を現したのだ。
ミレニアムサイエンススクールの最新技術すら遥かに超越した、遥か大気圏外の宙域要塞「ソラノミ」から飛来した幾何学的兵器。それらはアカネのミルクティーベージュの髪と美しく呼応するように、まるで彼女のバニー姿を気高く飾る最高級の宝飾品のように完璧な空間配置で静かに浮遊し、青と白の幾何学的な光の粒子をチラチラと周囲に散らしている。
"……あ、あれって……!?"
突然出現した未知の兵器群に、先生は思わず息を呑んで頭上を見上げた。
周囲の客たちも何事かと目を見張るが、ファンネルが放出する圧倒的な威圧感と神聖な光芒に気圧され、誰一人として近づくことができない。
アカネは困ったように微笑むと、浮遊するファンネルの一基へ愛おしそうにそっと指先を添えた。指輪の青と白の模様が、ファンネルの放つ光線と同調するように美しく輝く。
「セイカさんからの『過保護』です。……不特定多数の視線にこの姿を観測されるのが、どうしても彼女の過給演算上、許容できなかったらしくて。……私の周囲1.5メートルを『絶対不可侵領域』として物理的に確定させたようですね」
アカネの耳元に収まった超小型の暗号化通信デバイスから、遥か上空──大気圏外の宙域要塞ソラノミのメインシートに腰掛けるセイカの声が漏れ聞こえてくる。ノイズ一つ存在しないその静謐な声は、相変わらず極限まで平静を保っているが、その裏にはどこか隠しきれない焦れったさと、重厚な熱量が帯びていた。
『……先生。アカネの周囲の因果を、私のファンネルで24時間体制で固定しました。……もし不届き者が彼女に触れようとすれば、その指の存在確率をゼロにします。……彼女の安全は、私が守ります。……先生は、彼女の『心』を支えてあげてください』
「……全く。セイカさんたら、独占欲もミレニアム級ですね」
通信の向こうの旦那の、あまりにも過保護で圧倒的な宣言に、アカネは困ったような、けれど心底幸せそうな甘い溜息を吐いた。
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セイカの「絶対不可侵領域」の展開により、アカネの周囲には物理的な防壁だけでなく、概念的な神聖さすら漂い始めていた。
下品な視線を送っていた周囲の女たちも、ファンネルが発する微細な高周波駆動音と、触れれば消滅させられるという本能的な恐怖に直面し、引きつった笑みを浮かべながら一歩、また一歩と後退していく。
「ふふ、セイカさん。そこまで警戒なさらずとも、私は大丈夫ですのに。……ですが、あなたのその不器用な愛し方、とても誇らしく思っていますよ」
アカネは指輪をそっと唇に近づけ、通信越しの恋人へ愛を伝えるように囁いた。
通信機からは、一瞬だけセイカの呼吸が乱れたような気配が伝わり、すぐさま平静を装うような短い咳払いが聞こえた。
『……演算結果に乱れが生じました。……アカネ、過度な感情表現は任務中のバイタルを低下させる要因となります。慎んでください』
「あらあら、照れていらっしゃるのですね? ふふ、可愛らしい人」
二人のやり取りを横で聞いていたネルが、スカジャンで顔を隠しながら呆れたように吐き捨てた。
「おいアカネ! お前らイチャつくのはミレニアムに帰ってからにしろ! 船内の警備がこっちを見てやがるぞ!」
「まったくです……相変わらず規格外のバックアップですね」
カリンも呆れ半分、安心感半分といった様子で肩をすくめた。
「ネル先輩、作戦行動中の私情の持ち込みはC&Cの規律に違反します。……ですが、セイカの独占欲の数値化については興味深いサンプルです。後ほど詳細なデータをレポートにて要求します。ピースピース」
「トキ、お前は黙ってろ!」
仲間たちの賑やかなやり取りに、カジノの入口付近は一瞬にしてC&C特有のペースへと巻き込まれていく。
アカネは先生の耳元へすっと顔を寄せると、甘く柔らかい吐息とともに小さく囁いた。
「先生。……今の私は、世界一安全なバニーガールです。……さあ、参りましょうか。白亜さんを見つけて、迅速に『お掃除』を終わらせるために」