黄金の輝きに満ち溢れたカジノフロアの華やかさとは対照的に、客船の最下層へと続く搬入用通路は、湿った重油の臭いと無機質な鉄の冷気が支配していた。
天井を奔流のように這う極太の配線束。幾重にも張り巡らされた高圧電流の警告標識。そして、重厚な防爆シャッターの先にあるのが、ゴールデンフリース号のあらゆるセキュリティと電子制御を一手に引き受ける「中央システムルーム」であった。
ネルはドクロの刺繍が入った短めスカジャンの袖を捲り上げ、苛立ちを隠そうともせずに通路の壁を蹴りつけた。
「……チッ、なんだってこんなジメジメした地下に来なきゃならねえんだよ! 黄金の船だかなんだか知らねえが、内側はどっかの巨大工場と変わらねえじゃねえか。おいカリン、白兎の足取りはまだ掴めねえのか?」
「落ち着いてください、ネル先輩。システムルームを掌握すれば、船内の防犯カメラすべての映像にアクセスできます。そうなれば、白兎がどの個室に潜んでいるかなど一目瞭然です。……ですが、この電子ロック……見たことのない複雑な暗号が組まれていますね」
カリンは重厚な扉の脇に備え付けられた認証用端末を覗き込んだ。液晶画面には、ミリタリー等級のトリプルプロテクトを示す赤く点滅する警告インジケーターが踊っている。
「ハッキングにどれくらいかかりそうだ、カリン?」
「……私の端末から直接侵入を試みますが、ミレニアムの最新プロトコルを解除するには、短く見積もっても二十分……下手をすれば四十分以上かかります。その間に巡回警備の兵に見つかるリスクを考えると──」
「二十分ですって?」
二人のやり取りの間に割り込んできたのは、柔らかで透き通るような、しかしどこか絶対的な「拒絶」の意志を含んだ声音であった。
ミルクティーベージュの髪を優雅に揺らし、純白のバニースーツに身を包んだ室笠アカネが、洗練された足取りで二人の前へと歩み出る。その胸元で白磁の肌が灯りに映え、左手薬指に嵌められた青と白の幾何学模様の指輪が、怪しい光を放っていた。
「二十分もこのようなカビ臭い地下室に留まるなど、到底容認できません。ネル部長、カリン」
「あぁ? なんだよアカネ、お前ハッキングの知識なんかあったか?」
ネルが眉をひそめると、アカネは困ったような、しかし至極当然といった風に小首をかしげ、バニー耳をぴょこんと揺らした。
「ハッキングの知識など必要ありません。……今の私は、一分一秒でも早くこの不快な潜入任務を終わらせ、ソラノミへと帰り、セイカさんと今日の夕食の献立を相談しなければならないのです。ミレニアムから持ち出した秘伝の出汁を使った煮物にするか、それとも彼女の好む効率的な高タンパク料理にするか……その決断の時間を二十分も削られるなど、人生における極大の損失です」
「……は? 夕食の献立……?」
ネルが呆気にとられて開いた口が塞がらない間に、アカネは真っ白なバニースーツの太ももに装着されたホルスターから、掌サイズの平たい樹脂製の装置を取り出した。そして、何のためらいもなく、それをシステムルームの重厚な電子ロック機構の真上──もっとも構造的強度の弱い可動用ヒンジの部分へと張り付けた。
「おい、アカネ……お前、それ何持ってる……?」
カリンの顔から一瞬で血の気が引き、即座にネルの襟首を掴んで後方へと引き下がった。
「ふふ、ミレニアムの爆破工学に基づいて調合された、超高圧ナノ遠隔爆薬です。ハッキングを待つより、物理的に『お掃除』する方が……空間演算上、圧倒的に短縮になりますから」
「……アカネ、お前なぁ! 隠密潜入っつっただろ! なんでシステムルームの扉ごと吹き飛ばそうとしてんだよ!!」
黒煙が立ち込める前で、ネルが頭を抱えて絶叫した。
カチ、と軽やかな電子音が鳴り響いた次の瞬間──ドドオォォン!! と、重厚な衝撃波が地下通路を駆け抜けた。
肉厚な強化鋼鉄で出来ていたはずのシステムルームの扉は、蝶番ごと内側へと吹き飛び、無惨にひしゃげた電子ロックの残骸が火花を散らしながら床を転がっていく。内部のメインサーバー群からは、大量の黒煙とバチバチという過負荷のショート音が巻き起こっていた。
「あーあ……派手にやりやがった……!」
ネルがスカジャンで顔を覆いながら溜息を吐く。しかし、爆風の渦中にいたはずのアカネは、髪一本乱れることなく、涼しい顔で爆破リモコンをポーチへと収め、品良く微笑んでいた。
「……その演算、絶対に主の影響だろ!」
「はい。セイカさんも仰っていました。『因果が絡まったなら、断ち切るのが最も美しい解です』と。解読という不確定要素に時間を浪費するくらいなら、根源となる障害を消滅させるのが最適解であると、昨夜のベッドの上でも熱く語り合いました」
「ベッドの上でどんな会話してんだお前らは!」
「あ、でも安心してください、ネル部長」
アカネが胸の前で両手を合わせると、彼女の背後の空間がゆらりと歪んだ。光学迷彩を透過して瞬く間に姿を現したのは、青と白の幾何学模様を纏った数基のフィンファンネルである。それらは高周波の駆動音を立てながら、爆破によって生じた音波の周波数を即座にスキャンし、同位相の音波を照射して音を相殺してみせた。
「ファンネルが音響をノイズキャンセリングしましたので、外部への音響漏洩は0.2%以下です。爆発音は通路の数十メートル先には一切届いておりません」
「そういう問題じゃねえよ! 中のサーバーが全滅してんだろーが! これじゃ防犯カメラの映像が見れねえだろうがよ!」
「ふふ、大丈夫ですよ。壊れる直前のコンマ数秒、システム全体のログは外部へと送出されましたから。……ねえ、セイカさん?」
アカネが耳元の小型インカムへ優しく語りかけると、通信の向こうから、大気圏外の宙域要塞ソラノミに座す室笠セイカの、氷のように静謐で、しかし狂おしいほどの情愛を含んだ声が響いた。
『……アカネの判断は正解です。……破壊の直前に送出されたパケットを、ソラノミの超並列演算器で完璧にサルベージしました。……船内の防犯データ、および警備兵の配置情報をすべて奪取完了。……流石は私の奥様です。無駄のない美しくも完璧な手際でした』
「あら。ありがとうございます、セイカさん。……後でたくさん、褒めてくださいね?」
『……肯定。あなたの帰還後、三時間以上のスキンシップを予定行動に組み込みます』
「おい!! 通信でイチャついてんじゃねえ!!」
ネルの咆哮が、防音された通路の中に空しく響き渡ったのだった。
__________
煙の収まりきらないシステムルームの奥。破壊された制御台の陰で、身を潜めていた一人のバニー警備員がいた。
胸元に「SECURITY」の金文字が入った黒いバニースーツに身を包んだ女性警備員は、突如現れた危険な生徒たちの異次元の武力行使に腰を抜かし、ガクガクと膝を震わせていた。
「ひ……ひぃぃっ! な、私になにをする気……!? カジノの客じゃないの!?」
「……動かないで」
ヒタ、と静かな足音が響き、女性警備員の視界を漆黒の影が覆った。
褐色肌に映える黒のバニースーツ、スラリと伸びた圧巻の脚線美、画像に刻まれた圧倒的な存在感。角楯カリンが、氷のように冷たい視線で見下ろしていた。
「ひ……私を殺す気なの!?」
「いいえ。私たちは怪しい者ではありません。……ただ、少し情報を探しているだけです」
カリンはホークアイを壁に立てかけると、警戒を怠らない動作で女性警備員の前へと屈み込んだ。その整った顔立ちが至近距離まで迫り、警備員は思わず生唾を飲み込む。
「……言いなさい。白兎はどこにいる? ……さもなくば、覚悟することね」
「くっ……! 誰が吐くかしら! 私たちはプロよ! どんな拷問を受けたって、顧客の情報なんて──」
「拷問……? いえ、そんな物騒なことはしません。怪我をさせるのは、私たちのポリシーに反しますから」
カリンは真面目な顔でそう言うと、手袋をすっと脱いだ。
現れたのは、長年の狙撃訓練によって鍛え上げられた、しかし女性らしいしなやかさを残した美しい指先であった。
「痛みの伴わない、最も人道的な方法で情報を開示してもらいます。……覚悟しなさい」
「な、なによ……何をする気なの……!?」
カリンは女性警備員の両腕を素早く拘束すると、その指先を──相手の無防備な脇腹、そしてバニースーツのハイレグの隙間から覗く脇腹の皮膚へと、正確無比に突き立てた。
──こちょこちょこちょ。
「……は?」
「どうですか。これなら身体に傷は残りません。吐きなさい、白兎はどこです」
カリンなりに考え抜いた「痛めつけずに口を割らせる配慮――くすぐりの刑――」であった。
しかし、いかんせんカリンはC&C屈指の筋力と威力を誇る前衛・狙撃手である。指先一本一本に込められた圧と、寸分の狂いもない高速の指運動は、通常のくすぐりという概念を遥かに超越していた。
「ひ……ひひっ!? あは! あはははははは!!? ちょ、ちょっと待っ……! ひぃぃぃぃっ!?」
「言わないと、次は足の裏と首筋にも同時に行います。……覚悟はいいですね?」
「やめっ……! 痛いんじゃないの! 苦しい! 苦しいぃぃぃっ! あははははは! 息が、息ができないっ!!」
女性警備員は床の上で激しく体を捩らせ、海老反りになってのたうち回った。
カリンは真剣そのものの表情で、一切の妥協なく超高速のくすぐりを継続する。
「カリン、お前……何やってんだ?」
呆れ果てたネルがシステムルームに入ってきた。カリンは真顔で振り返り、汗をぬぐう。
「ネル先輩。非道な拷問を避け、心理的・神経的な揺さぶりによってターゲットの口を割らせようとしています。……ですが、案外としぶといですね。精神力が高いようです」
「いやどう見ても絶叫してんじゃねえか! 力加減がおかしいんだよお前は!」
「ひっ……あははは! お願い……許し……がふっ……! ぷ、プレイ……ラウンジ……! プレイラウンジに……隠れてる……から……っ!」
限界を迎えた女性警備員は、白目を剥き、泡を吹いてその場に卒倒した。
「……プレイ、ラウンジ……?」
カリンが指を止め、首をかしげる。女性警備員は完全にピクピクと痙攣するだけの肉塊と化していた。
「あ。……やりすぎたかしら」
カリンが困惑した顔で振り返ると、そこには無表情の飛鳥馬トキが、すーっと音もなく立っていた。黒の網タイツに包まれたしなやかな脚で一歩踏み出し、胸の前で両手の手首を交差させると、淡々とVサインを作る。
「カリン先輩。対象の脳内エンドルフィンが限界値を突破し、ショックによる強制シャットダウンを確認。……ですが、『プレイラウンジ』という有益な座標の抽出に成功。……作戦としては大成功と判定します。……ピースピース」
「トキ、お前は少し黙っていろ……」
カリンは少しだけ肩を落とし、脱いだ手袋をはめ直したのだった。
__________
「プレイラウンジ、ですか。……ふふ、名前からしてあまり上品な場所ではなさそうですね」
爆破されたシステムルームの煙が引けていく中、アカネはミルクティーベージュの髪を滑らかに手ぐしで整え、純白のバニースーツの乱れがないかを素早く確認した。バニー耳を美しく整えると、ふっと息を吹きかけるようにして、背後に漂う青と白のフィンファンネルを再び完全な光学迷彩の状態へと戻した。
「ネル部長。システムルームの完全な電子掌握には失敗(物理的消滅)しましたが、爆破によってメインサーバーに強烈な過負荷を与えたことで、カジノ施設内の緊急プロトコルが作動しました。それにより、ターゲットは安全な防護区画――すなわち『プレイラウンジ』へと誘導される流れが出来上がりました」
「お前が吹き飛ばしたせいで怪解みたいなことになってんじゃねえかよ……」
「これも一つの、家族を守るための最適解です。不確定要素を排除し、逃げ場を一つに絞り込む。……セイカさんの教え通りの、完璧な『追い込み』です」
「……お前、絶対に後でセイカに怒られろよな。爆破の規模がデカすぎるんだよ」
ネルがジト目で睨みつけると、アカネはくすくすと上品に胸を揺らして笑った。
「いえ。セイカさんなら、きっと『効率的で素晴らしい、流石は私の妻です』と、愛おしそうに私の頭を撫でてくださいますよ。……間違いありません」
アカネがそう口にした瞬間、彼女の背後の何もない空間から、わずかに高周波の振動が伝わってきた。
光学迷彩で姿は見えないものの、宇宙戦艦ソラノミから常時通信と同調を続けるファンネル群が、アカネの「褒められる」という確信と同調し、嬉しそうに小刻みに震えて空間を歪ませているのだ。
「……うわ、見えねえけどファンネルがデレデレ反応してやがる。気味が悪いぜ……」
ネルは腕を組んで身震いした。
「……先生。お待たせいたしました」
アカネはネルたちのやり取りを背景に、静かに見守っていた先生の元へと歩み寄った。
真っ白なバニースーツと、その圧倒的な存在感を包み込むような柔らかい笑み。左手に輝く指輪をそっと胸元に当てながら、彼女は先生の瞳をまっすぐに見つめた。
「……どうやら次の舞台は『遊び場』のようです。VIPたちが夜な夜な下品な欲望を貪る、汚れた遊び場。……ですが、ご安心ください。どれほど汚れた場所であろうと、私たちが徹底的に磨き上げ、清潔にしてみせますから」
アカネの瞳の中に、愛するパートナーを想う慈愛に満ちた「妻」の温かい光と、ミレニアムの敵を冷徹に排除する「掃除屋」の鋭利な光が、交互に、そして美しく混ざり合って揺らめいた。
「さあ、参りましょうか、先生。……白兎を追い詰め、迅速に『お掃除』を終わらせるために」
気絶した女性警備員が転がる無残なシステムルームを後にし、先生を中央に戴いたC&Cの一行は、カジノ施設ゴールデンフリース号のさらなる深部――怪しい熱気と欲望が渦巻く「プレイラウンジ」へと、その足を進めるのであった。
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システムルームが存在する最下層の機関区画から、特注のエレベーターに乗って上層へと向かう。
昇降機が上に向かうにつれて、鉄と重油の臭いは薄れ、代わりに甘く重厚な高級香水の香りと、微かなアルコールの匂いが充満し始めていた。
「……カリン。さっきの女性警備員から聞き出した『プレイラウンジ』の構造、頭に入ってんだろうな?」
エレベーターの壁に背中を預け、ネルが低い声で尋ねた。
「ええ、ネル先輩。プレイラウンジは、カジノ施設ゴールデンフリース号の中央三階から五階に渡って吹き抜け構造になっている、超巨大なプライベート娯楽空間です。VIPの中でもさらに限られた『ブラックカード』の所持者しか入場を許されない、いわば船内の隠れ家のような場所ですね」
「へえ、ブラックカードねえ。裏社会の連中が、誰にも見られずに危険な遊びに興じる場所ってわけだ。白兎の奴、高飛びの資金を稼ぐためにそんな場所に潜り込んだのか」
「はい。そして、先ほどのシステムルーム爆破……いえ、事故によって、船内の一般的なセキュリティがダウンしたため、現在プレイラウンジは完全な自動シェルターモードへ移行し、内部からの施錠が行われています。つまり――」
「ターゲットは、その豪華な鳥籠の中に完全に閉じ込められた、というわけですね」
アカネが滑らかに言葉を継いだ。その顔には、完璧な詰将棋を完成させた棋士のような、絶対の自信が漂っていた。
「……先生。バニースーツの伸縮性向上による、近接戦闘時のパフォーマンス補正を再計算中。……プレイラウンジ内での乱戦が発生した場合、私とネル先輩が前衛、カリン先輩が中距離からの精密射撃、アカネ先輩が広域の索敵および防壁の展開を担当するのが最も致死率を低下させます。……ピースピース」
トキが無表情のまま、エレベーターの表示階数をじっと見つめながら呟いた。
「トキ、また適当なピースを作ってるんじゃないでしょうね。……でも、配置としてはそれが一番いいわね。先生、私の後ろから絶対に離れないでください。プレイラウンジにいる人たちは……カジノの客以上に、厄介な人ばかりですから」
カリンは先生の前に一歩踏み出し、その広い背中で守るように庇った。褐色肌に映える黒のバニースーツが、エレベーター内の照明を受けて艶やかに光る。
──チン。
静かな到着音が響き、エレベーターの黄金色の扉がゆっくりと左右に開いた。
そこに広がっていたのは、まさに「黄金の迷走」と呼ぶにふさわしい狂騒の世界であった。
天井からは巨大な水晶のシャンデリアが幾重にも吊り下げられ、妖しい紫と赤の照明がフロア全体を怪しく照らし出している。中央には巨大なダンスフロアと、無数のプライベートポーカーテーブル。さらには高級な外車や珍しい宝飾品が競りにかけられるオークションステージまで設置されていた。
そこに集うのは、仮面をつけた富豪たちや、過激な衣装に身を包んだ女性給仕たち。
エレベーターから降り立ったC&Cの面々──あまりにも完成された美貌と、圧倒的な存在感を放つバニーガールたちの登場に、フロア全体の熱気が一瞬にして凍りついた。
「……見ろよあのバニーたち……」
「新しくアルバイトに入った最高級の給仕かしら……!?」
「特にあの真っ白なバニーの……あの品格はなんなの……!?」
不躾で、生々しい熱気を孕んだ視線が一斉にアカネたちへと注がれる。
ネルは牙を剥き出しにしてスカジャンを強く引っ張り、カリンは拳を強く握りしめた。
だが、アカネは一切動じることなく、優雅に口元を緩めた。
その背後で、光学迷彩を纏った青と白のファンネルが、微かに高周波の警戒音を奏で始める。
「ふふ……本当に、掃除のし甲斐がありそうな『ゴミ溜め』ですね」
アカネの瞳に冷徹な光が宿った。
ゴールデンフリース号の最深部、プレイラウンジでの白兎捕獲作戦は、今まさに怒涛の佳境へと突入しようとしていた。