洋上カジノ施設「ゴールデンフリース号」の中央三階から五階を豪奢にぶち抜いた超巨大娯楽空間──プレイラウンジ。
天井の巨大な水晶シャンデリアからは妖しい紫と金色の光芒が降り注ぎ、フロア全体には高級アルコールと重厚な香水の匂い、そして一攫千金を夢見るVIPたちの生々しい熱気が充満していた。
その熱狂の渦中、スロット筐体がズラリと並ぶハイローラー専用エリアの一角で、周囲の視線を一切気にすることなく奇声を上げ続けている一人の少女がいた。
「ひゃっはー! 確変、確変ですよぉ! 来た来た来たぁ! この波に乗って一気にチケットを稼ぎまくって、VIP待遇を『確定』させて見せますよぉぉ!」
純白のバニースーツに身を包み、長いウサギ耳を激しく左右にぴょこぴょこと揺らしながら、筐体のレバーを親の仇と言わんばかりの勢いで叩き落とし、ボタンを「タタタンッ!」と狂おしく連打しているのは、ミレニアムを追放され高飛びを図っていた「白兎」こと黒崎コユキであった。
彼女の足元、そして筐体の横にあるサイドテーブルの上には、異様な光景が広がっていた。
ミレニアムサイエンススクールの公印と特殊なホログラム加工が施された、信頼の証であるはずの『公的債券』の束。それが折り目も気にされず、まるでただの雑用紙のように雑に、そして無惨に積み上げられていたのだ。一枚だけでも家が建つほどの価値を持つその最高級の債券が、コユキの手によって次々と電子チケットやメダルへと変えられ、ゲーム筐体という名の底なしのブラックホールへと吸い込まれていく。
「ふははは! 運命は私に味方している! この確変モードさえ引き維持すれば、ミレニアムの予算なんて一瞬で倍増……いや、十倍増ですよ! 私ってば天才! 感謝してほしいくらいですね! セミナーの頭の硬い連中は私を責めますけど、この溢れ出る才能とギャンブルセンスにはひれ伏すしかありませんよ!」
コユキはよだれを垂らさんばかりの表情で、ギラギラと怪しく光る液晶画面を見つめ、さらなるレバー連打を繰り出す。コインが払い出されるチャリンという重厚な金属音が鳴るたびに、彼女のウサギ耳は有頂天になって跳ね上がっていた。
「見ましたかこの目押し! 確率の壁なんて私の前には存在しないのですよ! 投じた分だけ返ってくる……いいえ、倍になって帰ってくる! カジノの経営者さん、泣いて謝るなら今のうちですよぉ! 私の破竹の快進撃は誰にも止められません!」
──だが。
「……あいつ、何やってんだ……?」
背後の物陰から、地を誇るような重低音の声音が響いた。
短めスカジャンの裾を力任せに握りしめ、眉間に激しいしわを寄せて前開きの胸元を隠しながら覗き込んでいた美甘ネルの瞳に、怒りの炎がメラメラと燃え広がっている。
「ネル先輩、落ち着いてください。ここで暴れれば周囲の警備兵が一斉にこちらへ群がります。まずは状況の整理と、債券の安全確保が先決です」
角楯カリンが、汗を拭いながらネルのスカジャンを引っ張る。しかし、カリン自身の眼差しもまた、乱暴に散らかされたミレニアムの公的債券を目にして、強い怒りに揺れていた。
「落ち着いていられるかよ! なんだあのバカウサギは! セミナーの公的債券をスロットのコインに変えて遊んでやがるんだぞ!? あんなの、ミレニアムの顔に泥を塗るどころの話じゃねえ! 今すぐあいつの耳引っ張ってぶん投げねえと気が済まねえ!」
「……先生。目視による対象の確認を完了いたしました。……ターゲット、白兎。ミレニアムの公的資金を、確率論的勝率の極めて低いゲーム筐体という名のブラックホールに連続投入中。……ピースピース」
ネルの隣で、黒の網タイツを履いた飛鳥馬トキが無表情のまま胸の前で両手の手首を交差させ、Vサインを作りながら淡々とミリタリーレベルの観察報告を口にする。
「……これは、ミレニアムの経済エコシステムに対する万死に値する不確定要素であり、即刻排除すべき害悪と判定します」
「……ええ。トキちゃんの仰る通りです」
トツ、と静かな足音が重厚なカーペットを踏みしめた。
ネルやトキの横に立つ室笠アカネの周囲に、光学迷彩を解除したフィンファンネルが、低く不穏な唸りを上げて姿を現し始めていた。
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アカネの顔には、相変わらず完璧で上品な笑みが浮かんでいた。
ミルクティーベージュの美しい髪を肩に流し、純白のバニースーツに身を包んだその立ち姿は、まるで夜会の貴婦人のように気品に満ちあふれている。
しかし──その瞳の奥には一切の光が存在せず、絶対零度よりも冷たい絶望的な「殺気」が静かに渦巻いていた。
「……債券を、ゲームに。……そうですか。あのような貴重なミレニアムの資産を……電子のゴミに変えているのですね」
アカネの声は透き通るように美しく、しかし言葉の一つ一つが氷の刃となって周囲の空気をピキピキと凍りつかせていく。隣に立つカリンが思わず背筋を悪寒で震わせ、強く握り直すほどであった。周囲で優雅にお酒を楽しんでいた他の客たちも、アカネの全身から放たれる凄まじい威圧感に青ざめ、静かに距離を取り始めていた。
アカネにとって、ミレニアムの資産を損ねる行為、そして何より愛するパートナー――室笠セイカとの「家族の平穏」や「日々の暮らし」を脅かすあらゆる不確定要素は、絶対に許しがたいものだ。公的債券をドブに捨てるような白兎の横暴は、室笠家の家計を預かる「妻」として、そしてミレニアムの秩序を守る「掃除屋」として、絶対に、死んでも見過ごせるものではなかった。
「……セイカさん。聞こえますか」
アカネは白磁のように美しい指先で、耳元の超小型暗号化通信インカムに触れた。
『……ええ、聴こえています、アカネ。……画像データを受信しました』
通信の向こう──遥か大気圏外、地球低軌道を周回する宇宙戦艦ソラノミのメインシートから、室笠セイカの静謐な声が返ってくる。
普段は感情の起伏を一切見せないその無機質な声音に、今は隠しきれないほどの冷徹な激怒のノイズが混ざり合っていた。
『……信じがたい知的レベルの低下です。公的債券の期待値をパチンコ筐体のペイアウト率と比較すること自体、倫理的にも数学的にも完全に破綻しています』
「ええ、セイカさんのおっしゃる通りです。……白兎を捕捉いたしました。……現在、彼女はミレニアムの未来と、あなたが積み上げた努力の結晶を、下品なギャンブルに捧げています。……ええ、お掃除の許可を。……最大限の、物理的説教を伴うお掃除を」
『……許可します、アカネ。……ミレニアムの予算の不当な流用は、社会の因果を根底から歪める最悪の害悪です。……私のファンネルに、対象の「ゲーム機の電源」のみを正確に遮断する特殊パルスプログラムを送りました。……彼女に、絶望を与えなさい』
「ふふ、承知いたしました。……愛していますよ、セイカさん」
『……私もです、アカネ。……健闘を』
アカネは通信を切ると、左手薬指に嵌められた青と白の指輪を愛おしそうに唇へと寄せた。
その光景を横で見ていたネルが、スカジャンの襟で顔を覆いながら呆れ果てたように吐き捨てる。
「おいおい……通信でイチャつくだけイチャついて、結論が『徹底的に叩きのめせ』かよ。お前ら夫婦、怒らせると一番怖えな……」
「ネル先輩。アカネ先輩の現在のバイタルデータ、および精神高揚度は通常時の300%を超過しています。不用意に近づくとファンネルの誤爆に巻き込まれる危険性が高まります。退避を推奨。……ピースピース」
「トキ、お前はいちいち私を煽るな!」
「ふふ、みなさん。おしゃべりはここまでです」
アカネはゆっくりと立ち上がると、純白のバニースーツの胸元を優雅に正した。
背後で無数のファンネルが、青と白の幾何学的な光の粒子をチラチラと撒き散らしながら、一斉にコユキの頭上へと狙いを定める。
「さあ……不届きなウサギさんに、正しい『家計のあり方』を教えて差し上げましょう」
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「よーし! あと一回! あと一回当たれば最高級スイート搭乗権と極上ステーキ券が手に 入……って、あれ? 画面が……?」
まさにコユキが勝利を確信し、全魂を込めてレバーを引き抜こうとしたその瞬間であった。
──キィン、と高く澄んだ静寂の駆動音が響く。
一基のフィンファンネルが、コユキの頭上を疾風のごとくかすめ去った。ファンネルの先端から放たれた微小な指向性EMパルスが、スロット筐体の基盤をピンポイントで貫通する。
──パシュン。
虚しい消滅音と共に、眩しく輝いていた筐体の画面が真っ黒に落ち、激しい電子音が一瞬にして途絶えた。
「あ、あれぇ!? 故障!? ちょっとちょっとぉ! 今、人生で一番いいところだったのにー! 電源!? 誰か店員さん呼んで──」
「……白兎さん」
背後から響いた、柔らかくも冷ややかに通り通る声。
コユキの足元へ、すーっと巨大な陰影が伸びていく。
「その『いいところ』の続きは……シャーレの反省室で、じっくりとお聞きしましょうか」
コユキがギギギ……と首を痛めそうな勢いで振り返ると、そこには純白のバニースーツに身を包み、満面の――しかし目が全く笑っていない――笑みを浮かべた室笠アカネが立っていた。
その両脇には、スカジャンの腕を捲り上げて威圧感全開のネル、冷たい視線を送るカリン、アンド無表情でVサインを作るトキ、さらには呆れ顔の先生の姿があった。
「ひぇっ!? ア、アカネ先輩!? ……と、ネル部長にカリン先輩、トキまで!? な、なんでここに!?」
「……お前なぁ。その積まれた債券、どこから持ってきたか、きっちり吐いてもらうぜ」
ネルが指の関節をポキポキと激しい音を立てて鳴らしながら、一歩一歩迫ってくる。
コユキは顔を真っ青に引き攣らせ、必死の思いで先生の方へと視線を向けた。
「せ、先生ぇぇ! 助けてください! 怖いバニーさんたちに私、不当に絡まれてます! 冤罪です! 表現の自由と娯楽の権利の侵害ですぅ!」
だが、先生は静かに首を横に振り、"自業自得だよ、コユキ"と宣告するような慈悲のない、けれど哀愁に満ちた目を向けるだけであった。
「先生。……この不届きなウサギには、少しばかり『現実の重み』と『家計のありがたみ』を教えて差し上げなければなりません。……セイカさん、ファンネルによる座標固定をお願いします」
『……了解。……白兎。……あなたの幸運値は、今、私がゼロに書き換えました』
通信インカムから響くセイカの冷徹な言葉と同時に、アカネの周囲に浮遊していた数基のファンネルが同心円状に散開。コユキの周囲1.5メートルの空間に青と白の幾何学的な光の格子線を展開し、彼女の退路をミリ単位で完全に遮断したのだった。