未来を統べる翼と、優しいメイドの家   作:天野江

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エリドゥ断層――計算機は絆を数えれない――

 

 

 

 広場に立ちこめる硝煙が、トキちゃんの無機質な輪郭をぼやけさせていました。

 彼女の動きは、もはや「速い」という言葉すら生温いものでした。一挙手一投足が最適化され、無駄な予備動作が一切排除された、まさにミレニアムの最高傑作。しかし、それに対するC&Cもまた、数多の戦場を潜り抜けてきた「怪物」の集まりです。

 

 

「(……この静寂。リオ会長の冷徹な計算が、彼女の神経一本一本にまで浸透しているのを感じます)」

 

 

 私は愛銃の重みを確かめ、呼吸を整えました。一瞬の油断が死に直結する。

 

 

「……っ、流石ですね。ですが、お見通しです!」

 

 

 私が放った制圧射撃の隙間を、トキちゃんはまるで最初から弾道を知っていたかのように、最小限の動きで縫っていきます。彼女は最短距離で私への接敵を図りますが、その拳が私の顔を捉える寸前、横からネル先輩の強烈な飛び蹴りが、トキちゃんのガードを力ずくでこじ開けました。

 

 

「甘ぇんだよ! テメェの動きは綺麗すぎて、予測すんのが楽勝なんだわ! 汚れ仕事ってのは、もっと泥臭くて理屈じゃねえんだよ!」

 

「……っ、ネル先輩……!」

 

 

 初めてトキちゃんの無機質な表情に、僅かな驚きの色が走りました。ネル先輩は着地と同時に双銃を連射し、至近距離で爆風を巻き起こします。コンクリートの破片が飛び散り、視界を遮る中、ネル先輩の声が響きました。

 

 

「アスナ、今だ! その『デタラメ』をぶち込んでやれ!」

 

「はーい! アスナ、いっくよ~! 捕まえられるかな、トキちゃん!」

 

 

 爆煙を突き破り、アスナ先輩が予測不能なアクロバティックな動きでトキちゃんの背後へと回り込みます。跳弾さえも味方につける彼女の「野生の勘」は、リオ会長の精密な演算を狂わせる最大のノイズ。トキちゃんの防衛網は、あの方の理論には存在しない「幸運」という不確定要素によって、確実に削り取られていきました。

 

 

「(……ええ、そうです。セイカさん。計算では導き出せない『不確定要素』。それこそが私たちの武器……! あなたが身を削って視た未来の断片が、今ここにあります)」

 

 

 トキちゃんは、カリンの精密な狙撃を紙一重で回避しながら、同時に私の掃射をメイド服の裾を翻して凌ぎます。一人対四人。数的な不利があるはずのトキちゃんが、驚異的な反射神経で互角の戦いを維持している。

 

 ……いえ、それは表面上のことでした。

 

 

「……ふふっ。トキちゃん、気づいていますか? あなた、少しずつ呼吸が乱れていますよ。そして、あなたの視線の誘導……0.2秒ずつ遅れ始めています」

 

 

 私は微笑みながら、リロードした弾倉を叩き込みました。

 

 トキちゃんは確かに完璧です。しかし、彼女の戦い方は「正解」を積み重ねる戦い方。対する私たちは、ネル先輩の暴力、アスナ先輩の幸運、カリンの静寂、そして私の執念……。それぞれが異なる「不正解」を同時に叩きつけ、彼女の処理能力を限界までオーバーフローさせていました。

 

 

「……計算に、遅延が発生……。いえ、皆さんの出力が、先ほどまでと明らかに違います。情動によるバースト……? 理論上、維持できるはずのない出力です」

 

 

 トキちゃんがバックステップで大きく距離を取り、乱れた前髪を払います。その瞳には、戸惑いと……そして、ほんの僅かな「高揚」が混じり始めていました。それは彼女自身も気づいていない、リオ会長の支配から外れた「心」の動き。

 

 

「……当然だろ。先生があっちで頑張ってんだ。アタシらがここでモタモタして、格好悪いとこ見せられるかってんだよ! 先生の『信じてる』って言葉はな、テメェの数式よりもずっと重いんだよ!」

 

 

 ネル先輩が銃口を向け、咆哮しました。

 壁の向こうからは、依然としてアバンギャルド君の咆哮が響いています。けれど、今の私たちに迷いはありません。

 

 

「(……セイカさん。見ていてください。あなたが信じたこの『絆』という名の誤差が、今、最強の演算を上書きします。たとえ、この先にあるのが残酷な結末だとしても、私たちはこの瞬間を現実に刻みます)」

 

 

 互角以上の攻防。火花散る鋼鉄の広場で、私たちはついに彼女を圧倒し始めていました。

 硝煙がさらに濃くなり、広場全体が熱を帯びていきます。カリンさんの狙撃がトキの足元を正確に穿ち、回避を封じたところへ、ネル先輩の全力の突撃が叩き込まれました。

 

 

「これで……おしまいです!」

 

 

 私の銃弾がトキちゃんの予備弾倉を弾き飛ばし、アスナさんがその懐へ飛び込みます。

 

 

「……っ。状況の再評価を開始。損傷率が予測を上回り……これ以上の単独交戦は、戦術的敗北に繋がると判断……」

 

 

 トキちゃんが苦渋に満ちた表情で後退した、その時。広場全体に、リオ会長の冷徹な声が降ってきました。

 

 

『……そこまでよ、トキ。それ以上の交戦は、貴女という貴重なリソースの損失に繋がるわ。今の彼女たちのデータは、既存のシミュレーションの枠を完全に逸脱している。これ以上の測定は無意味よ』

 

「! ですが、会長。まだ私は……任務を完遂していません!」

 

『撤退しなさい。C&Cの『非合理な出力』は、今の貴女のデータには存在しない変数よ。一度引き、再編を行うわ。この都市の防衛ラインは、まだ幾層にも重なっているのだから』

 

 

 リオ会長の言葉が終わると同時に、トキちゃんの足元の床が急激に沈み込みました。

 

 

「……了解しました。……C&Cの皆さん、次は……こうはいきません。次は『アビ・エシュフ』による完全な排除を約束します」

 

 

 トキちゃんは一瞬、名残惜しそうに、あるいは何かを確認するように私たちを見つめましたが、そのまま暗闇の中へと消えていきました。それと同時に、先生たちを隔てていた巨大な防壁が、激しい地響きと共に上昇を始めます。

 

 隔壁が完全に上がりきった先で、私たちが目にしたのは、あまりに劇的で、そして痛快な光景でした。

 

 先ほどまで通路を蹂躙していたあの巨大な質量——アバンギャルド君が、無残にその巨躯を横たえ、全身のハッチから激しい火花と黒煙を吹き上げていたのです。それは破壊されたというより、自らの力に耐えきれず「自壊」したかのような姿でした。

 

 

「う、うそ……あのデカブツが、もうスクラップになってる!?」

 

 

 カリンが驚愕の声を上げました。その傍らでは、ヴェリタスの面々が複数のホログラムモニターを展開し、キーボードを叩きながら、してやったりの表情でこちらを見ています。

 

 

 

「ふふーん! どんなに強固なシステムも、私たちが用意した特製の『鏡』の前では無力ってことだよ! ネーミングセンスはアレだけど、中身はガチガチの最新鋭だったからね、これ!」

 

 マキちゃんが誇らしげにVサインを掲げました。

 

 

「リオ会長が施した鉄壁の防御プログラム……けれど、それはあくまで『外部からの侵入』に特化したものでした。私たちは先生の指示に従い、アバンギャルド君自身の索敵システムをハッキングし、あえて『自分自身』を敵として認識させる『鏡』を構築したのです」

 

「……つまり、アバンギャルド君は自分自身の影と戦い、自分自身の全力射撃をまともに喰らった……というわけですね。ヴェリタス流のハッキング、恐れ入りました」

 

 

 コタマ先輩の淡々とした、けれど満足げな報告。それに続いたのは、エンジニア部の熱い声でした。

 

 

「ハッキングだけじゃない! その隙を作ったのは、私たちの作ったシールドビットと、ヒビキの精密射撃なのだから! 先生の『ここだ!』っていう合図、完璧だったさ!」

 

 

 ウタハ部長が煤で汚れた顔で笑い、ヒビキちゃんは少し照れくさそうに「あらゆる変数は、すべて計算済み。……先生が教えてくれたから、落ち着いて狙えただけ」と短く付け加えました。

 

 

「先生! ……ご無事で何よりです」

 

 

 私は駆け寄り、先生の無事を確認して深く安堵の息をつきました。先生の服は埃まみれで、その手にはまだ生徒たちを導いた指揮の熱が残っているようでした。

 アバンギャルド君の残骸は、リオ会長が誇った「大多数のための暴力」が、先生と生徒たちの「知恵」と「絆」という、不確定要素の積み重ねによって打ち破られた証左。

 

 

「チッ、おい先生! アタシらがトキの相手してる間に、一人でおいしいとこ持ってきやがって! アタシもそのデカブツ、一発くらい殴りたかったぜ!」

 

 

 ネル先輩が悔しそうに、けれど最高に誇らしげに鼻を鳴らします。

 

 

「あはは! さすがご主人様! 私たちのラッキーを全部集めちゃったみたい! ねえ、後でいっぱい撫でてね!」

 

 

 アスナ先輩が喜びを爆発させ、カリンも静かに口元を緩めて、ライフルのボルトを引き、次の戦いへの準備を整えています。

 

 

「……リオ会長。見ていますか?」

 

 

 私は、沈黙し、虚しく火花を散らすアバンギャルド君のカメラレンズ——その向こう側にいるであろう彼女に向けて語りかけました。

 

 

「(……セイカさん。……先生たちは、自らの力でこの絶望を塗り替えました。あなたの演算が示した『希望』は、今、確実にこの現実に固定されています。あなたは一人で苦しむ必要はなかった。この誤差こそが、ミレニアムの誇りなのです)」

 

 

 脳裏に浮かぶのは、今も遠いソラノミの艦橋で、血の滲むような思いでこの光景を「観測」しているはずの主の姿。彼女の瞳に、今の私たちの姿はどう映っているのでしょうか。

 

 

『……理解できないわ。アバンギャルド君の敗北。そしてトキの撤退……。私の演算に、これほどの誤差が生じるなんて。……いえ、これは誤差などではない。数式そのものが、根底から否定されているというの……?』

 

 

 スピーカーから聞こえるリオ会長の声には、隠しきれない動揺と、これまで自分が正義だと信じて築き上げてきた論理が、ガラガラと音を立てて崩壊していくことへの困惑が混じっていました。

 

 

"リオ、これが『心』という変数の力だよ。……君の言うトロッコを、私たちは力ずくで止めてみせる。誰も犠牲にしない、誰も泣かせない道を、私たちは作るんだ"

 

 

 先生の強い決意が、冷たい要塞の深部へと響き渡ります。その言葉は、もはや単なる理想論ではなく、目の前の巨大な戦果によって裏打ちされた「現実」でした。

 

 

「さあ、行きましょう。リオ会長との、そしてアリスを救い出すための、本当の決着をつけに。……まだ、戦いは終わっていない」

 

 

 先生が力強く前を指し示しました。

 

 アバンギャルド君の残骸を背に、私たちは再び一つとなり、要塞の最深部へと足を踏み入れました。ヴェリタスの情報支援、エンジニア部の技術、C&Cの戦闘力、そして先生の指揮。

 

 そこにはもう、分断を恐れる者は誰もいませんでした。

 

 

「(……セイカさん。……最後まで、あの方を支えてください。私たちは、あなたの視た最高の結末(エンドロール)まで、走り抜けますから)」

 

 

 私は主への祈りを胸に、先生の隣で、迷いなく引き金を引き、闇を切り裂いて進みました。

 

 

 

 

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