空見観測研究部が誇る宇宙戦艦「ソラノミ」。
高度数千メートルの上空を静かに滑空するその巨大な艦内は、普段であれば朝の訪れとともに賑やかな喧騒に包まれるのが日常であった。
しかし、今日という日に限っては、艦内は嘘のように静まり返っていた。
それもそのはずである。他のメンバーたちはそれぞれ、トリニティへの長期出張、ミレニアムでの合同合宿、あるいは買い出しや個人的な用事のために、全員がソラノミを離れていたからだ。
今、この広大なソラノミに残されているのは、世界にたった二人だけ。
室笠セイカと、その愛する妻である室笠アカネであった。
午前八時。朝日がやわらかく差し込むメインキッチンには、淹れたての芳醇な珈琲の香りと、焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂っていた。
普段の凛としたメイド服の上に、フリルのついたエプロンを身にまとったアカネは、軽やかな手つきでフライパンを揺らしている。細かく刻まれたハーブと新鮮な卵が、カチャカチャと心地よい音を立てて熱せられ、やがて綺麗な半熟のオムレツへと姿を変えていく。
「ふふ……よし、完璧な仕上がりですね」
皿へと盛り付け、自画自賛するように満足げな溜息を吐くアカネ。
その時、カチャリと静かな音を立ててキッチンの自動ドアが開き、パタパタと遠慮がちな足音が近づいてきた。
振り返ったアカネの視界に映ったのは、薄手の柔らかな部屋着に身を包んだセイカの姿であった。
普段の固い表情をすっかり脱ぎ捨てた今の彼女は、どこか幼さすら残るしなやかで柔らかい雰囲気を醸し出している。少し寝癖の残る銀髪を揺らしながら、セイカはどこか落ち着かない様子でアカネへと近づいてきた。
「おはようございます、アカネ」
「あら、セイカさん。おはようございます。もうお目覚めになられていたのですね? まだ起こしに行く前でしたのに」
アカネが柔らかく目を細めて微笑むと、セイカは気恥ずかしそうに視線を泳がせながら、そっとアカネの隣へと歩み寄った。
「ん……目が覚めたら、隣にあなたが居なかったので。……何か、私も手伝うことはありますか?」
「お気持ちはとても嬉しいですが、今日は完全な『休日』なのですから、セイカさんはテーブルで大人しく座っていてくだされば良いのですよ? 任務も観測も何もないのですから、羽を休めていただくのが本日の私の『公務』なのですから」
「ですが……あなた一人に朝食の準備をすべて任せて、自分だけが座っているというのは……どうにも心が落ち着きません。私も、何か役に立ちたいのです」
真面目な顔でそう主張するセイカ。しかし、彼女の行動はその言葉とは裏腹であった。
「手伝いたい」と言いながらも、セイカは一向に調味料を手に取るわけでも、食器を運ぶわけでもない。ただひたすらに、アカネの目と鼻の先──触れ合えるほど近くにぴったりと寄り添い、アカネが移動するたびに、その少し後を追うようにしてついてまわっているのだ。
それどころか、アカネがフライパンを洗おうと水場に立つと、セイカはそっとアカネのエプロンの裾を軽くつまんでみたり、トングを手渡そうとするアカネの指先に自分の指を重ねるようにして触れてみたりしている。
アカネは数秒間、ポカンと目を丸くしていたが、やがてセイカの意図を察して、口元が我慢しきれないようにゆるんでいった。
「……セイカさん」
「はい、何でしょうか」
「あの……手伝いたいとおっしゃっていますが、先ほどから一向に作業が進んでいませんよ? もしかして……手伝いたいのではなく、ただ私のお側を離れたくないだけではありませんか?」
「…………」
完璧に図星を突かれたセイカは、一瞬で耳の先端まで真っ赤に染め上げた。
カッと頬を火照らせ、助けを求めるように視線を室内へと泳がせる。しかし、観念したように小さな溜息を吐くと、意を決したようにまっすぐアカネの瞳を見つめ返した。
「……否定は、しません。その通りです」
「あら……」
「……せっかくの、二人きりの休日なのです。他の誰もいない、あなたと私だけの時間……。ほんの数分でも、あなたの視界から外れるのが……私の手が届かない場所へ行ってしまうのが、少しだけ……惜しくて」
「〜〜〜〜っっ……!」
直球すぎる、そしてあまりにも甘い夫からの告白。
普段は冷徹なエージェントであり、どんな危機的状況でも「完璧なメイド」として冷静沈着に対応してみせるアカネの耐性が、あっけなく崩壊した。
アカネの白皙の肌が一気に朱に染まり、かぁっと体温が跳ね上がる。胸の奥がキュンと締め付けられ、手に持っていたトングを落としそうになりながら慌ててフライパンへと視線を逸らした。
「も、もう……っ! セイカさんは時々、そういうずるいお言葉を平然とおっしゃいますね……っ」
「本当のことです。嘘など一切ついていません」
「それが一番タチが悪いのです……! 完璧なメイドとしての私の防壁が、簡単に壊されてしまいます……」
胸を押さえてハアハアと照れ臭そうに息を整えるアカネ。そんな妻の可憐な反応を見て、セイカの唇にもどこか嬉しそうな、愛おしさに満ちた笑みが浮かんでいた。
「……分かりました。では、スープの入った器をテーブルまで運ぶのを手伝ってください。それなら、私のすぐ隣でできますから」
「はい。喜んで、アカネ」
嬉しそうに頷き、スープの器を両手で丁寧に持ち上げるセイカ。
アカネは顔の火照りを隠すようにそっぽを向きながらも、その口元には、溢れんばかりの幸福な「妻の微笑み」が浮かんでいたのであった。
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朝の光が大きく開かれたダイニングの窓から差し込み、テーブルの上を眩しく照らし出す。
手際よく並べられた焼きたてのパン、彩り豊かなオムレツ、そして湯気を立てるスープ。普段は大勢の部員たちが座り、賑やかに会話を交わす大きなテーブルの片隅に、セイカとアカネは向かい合って腰掛けた。
「では……いただきましょうか」
「はい。いただきます」
二人は手を合わせ、静かに一口目を運ぶ。
スプーンが器に当たるカチャ、という小さな音と、静かな咀嚼音だけが室内に響く。
ふと、セイカがスープを飲み終えて顔を上げると、向かいに座るアカネとバッチリと視線が交差した。
アカネは一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐにふわりと花がほころぶような柔らかい笑みを浮かべる。セイカもまた、吸い寄せられるようにしてその微笑みに見惚れ、温かな笑みを返した。
カトラリーを置き、セイカは心からの体感をつぶやく。
「……本当に美味しいです、アカネ。あなたの作る料理は、いつだって世界で一番美味しい」
「ふふ、ありがとうございます。そうやってセイカさんが、心から嬉しそうに食べてくださる姿を見られるのが……私にとって何よりのご馳走であり、メイドとしての、いいえ……妻としての最高の誉れですよ」
特別な事件も、ドラマチックな会話があるわけでもない。
ただ視線が交わり、お互いの存在を感じ取るだけで、胸の奥底から温かい熱がじんわりと身体中に広がっていく。
やがて食事が終わり、二人で協力して食器を片付け終えると、アカネが自然な動作でセイカの側へと歩み寄った。
「セイカさん、そのまま少しじっとしていてくださいね」
「ん……? どうかしましたか、アカネ?」
首をかしげるセイカに対し、アカネはポケットから小さなコームを取り出すと、セイカの背後へと回った。
そして、少しだけ寝癖の残るセイカの綺麗な銀髪に、そっと手を通して毛先を整え始めていく。
「朝起きた時から気になっていたのですよ。少しだけ髪が跳ねていましたから。……ふふ、普段はあんなに凛々しいのに、こういうところは少し無頓着なのですから」
丁寧な手つきで髪を梳かし、コームを通して整えていくアカネ。
さらに背後から身を乗り出すようにして、セイカの部屋着の乱れた襟元を両手で優しく直し、トントンと肩の埃を払う。
その一連の動作には、冷徹な給仕や護衛としての「仕事」の気配は微塵もなく、ただ目の前の愛する夫を慈しみ、世話を焼く「妻」の温もりだけが満ち溢れていた。
「よし……これで完璧です。今日のセイカさんも、とても素敵ですよ」
アカネが満足そうに囁くと、セイカはゆっくりと立ち上がった。
そして、自分の襟元を直してくれたアカネの白く繊細な両手を、そっと自分の手で包み込んだ。
「セイカさん……?」
突然の手の温もりに、アカネが首をかしげる。
セイカはそのままアカネの手を自分の頬へと寄せ、甘えるようにすりすりと擦り寄せた。どこか安心したように、深く深く瞳を閉じながら。
「……ありがとう、アカネ。今日は……ずっとこうしていたいです」
「え……?」
「任務も、空の観測も、複雑な計算も……今日はすべて忘れさせてください。ただ、あなたとこうして触れ合い、あなたの温もりを感じていたい……。私を、甘えさせてくれませんか?」
静かで、しかし揺るぎない熱を帯びたセイカの請願。
頬から伝わってくるセイカの体温と、どこまでも愛おしそうに自分を見つめてくる強い瞳。
アカネは胸がぎゅっと締め付けられるような愛おしさに包まれ、込み上げてくる感情を抑えきれずに、自らもセイカの手をぎゅっと握り返した。
「……ええ。勿論です、セイカさん。今日は誰にも邪魔させません。……ずっと、二人でいましょうね」
そう言って微笑むアカネの目には、うっすらと幸福な光が宿っていた。
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太陽が頭上高くへと昇り、昼下がりのやわらかな光が世界を包み込む時間。
二人はソラノミの最上層に位置する「展望デッキ」へと足を運んでいた。
天界を思わせる巨大なガラス張りのドームからは、見渡す限りの見事な青空と、眼下に絨毯のように広がる真っ白な雲海が一面に広がっている。外界の風切り音すら遮られた完全な静寂の空間に、二人の並んだ足音が優しく響いていた。
中央に設置された白いベンチに二人並んで腰掛けると、アカネはふぅと静かに息を吐き、そっとセイカの肩へと自分の頭を預けた。
ふわりと漂う、アカネの髪の甘いシャンプーの香りと、彼女自身の体温。
セイカは優しく目を細めると、自然な動作でアカネの肩へと手を回し、そのまま自分の胸元へと優しく引き寄せて受け止めた。
「ふふ……なんだか、とても不思議な心地ですね」
セイカの肩の温もりに顔を寄せながら、アカネが雲の流れる広大な空を見上げてポツリと呟いた。
「何がですか、アカネ?」
「こうしてソラノミで空を飛んでいると……普段はどうしても『守らなければならない任務』や『警戒すべき危機』のことばかりが頭をよぎってしまうのです。私という存在は、常に緊張を強いられる立場でしたから」
アカネは少しだけ遠い目をして、それからセイカの顔を見上げた。
「ですが……今日という日は、ただ『空が綺麗だな』ということしか考えられません。……こんなにも心が穏やかで、満たされているなんて」
「……私も、全く同じことを考えていました」
セイカはアカネの頭を撫でながら、静かに言葉を繋ぐ。
「私にとっても、以前の空は『戦う場所』であり、『背負わなければならない場所』でした」
そこで一度言葉を切り、セイカはアカネの瞳をまっすぐに見つめ返した。
「ですが、あなたと出会い、夫婦となった今の私にとって……あなたがこうして隣にいてくれるなら、今日という何もない一日には、それだけで十分すぎるほどの価値があります。……いえ、人生で最も幸福な一日だと言ってもいい」
「セイカさん……」
「あなたが私を愛してくれて、私があなたを愛している。……ただそれだけの事実が、私にどれほどの強さと救いを与えてくれているか、言葉では言い表せません」
普段は言葉数の少ないセイカが紡ぐ、偽りのない真実の愛の言葉。
アカネは胸がいっぱいになり、照れくさそうに顔を赤らめながらも、心底愛おしそうに目を細めてセイカの胸元へと身体をすっぽりと埋めた。
「結婚してから……私、こういう『何もない時間』が一番好きになりました。豪華なプレゼントも、特別な記念日もいりません。ただ、こうしてセイカさんと並んで、静かに空を眺める時間が……私にとって何よりの宝物なのです」
「ああ。私もです、アカネ。……これからもずっと、この空を二人で見続けましょう」
セイカはアカネの額に優しく唇を寄せ、静かな口づけを落とした。
流れる雲と、どこまでも続く透明な青空だけが、二人だけの幸福な世界を静かに包み込んでいた。
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やがて緩やかに時が流れ、窓の外の青空は、深みのある茜色と紫色の美しいグラデーションへと移り変わっていった。
静かな夕闇が差し込むメインリビング。
部屋の照明を少し落とした温かな空気の中、二人は大きなソファーに深く腰掛け、身体を寄せ合いながら温かい紅茶を口に運んでいた。
カップから立ち上る白い湯気が、二人の鼻腔を優しくくすぐる。
「……もう、夕方になってしまいましたね」
アカネが紅茶のカップを見つめながら、少しだけ寂しそうな声音で呟く。
「楽しい時間は、本当にあっという間に過ぎ去ってしまいます。明日になれば、また皆さんが出張から戻られて、賑やかな日常が始まり……私たちはまた、任務や観測に追われる日々に戻るのですね」
少しだけ落ち込んだように眉を寄せる妻の姿を見て、セイカは自分のカップをローテーブルへと静かに置いた。
そして、アカネの手から優しくカップを取り上げてテーブルへ置くと、彼女の華奢な肩を抱き寄せ、自分の膝の上へと引き寄せるように強く抱きしめた。
「セイカさん……?」
「寂しがる必要など、どこにもありませんよ、アカネ。今日という休日が終わろうと……明日も、明後日も、その先の未来も……私はずっと、あなたの夫として隣に居続けます」
「……分かって、います。分かっているのですが……」
アカネはセイカの胸元に顔を埋め、服の生地を強くキュッと握りしめた。
「セイカさんと過ごすこの時間が、愛おしすぎて……私、どんどん欲張りになってしまうのです。『完璧なメイド』として冷静でいなければならないのに、セイカさんの前だと、ただの甘えたがりな『妻』になってしまう……」
少しだけ悔しそうに、そして恥ずかしそうに吐露するアカネ。
その可憐で愛おしい素顔に、セイカの胸は熱い感情で満たされた。
ソラノミの優秀な給仕でもなく、冷徹なエージェントでもない。ただ一人の、自分を深く深く愛し、甘えてくれる愛おしい妻──室笠アカネ。
「アカネ」
「はい……?」
顔を上げたアカネの頬を、セイカは両手で優しく包み込んだ。
そして、愛おしさをすべて込めるように、静かに唇を重ね合わせた。
ん、と小さくアカネの息が漏れる。
一度では終わらない、深く、熱く、お互いの存在と体温を確かめ合うような深い口づけ。
離れた後、アカネはうっとりと瞳を潤ませ、赤くなった顔でセイカの首にそっと細い腕を回した。
「……ずるいです、セイカさん。そんな風にされたら、もっと離れられなくなってしまうではありませんか」
「離れる必要などありません。……甘えたくなったら、いつでも私を呼んでください。私の腕も、胸も、この命も……すべてあなただけのものです」
「ふふ……ええ。私も……一生、あなただけを愛し続けます、セイカさん」
窓の外では、移動空中要塞ソラノミが、茜色から群青色へと変わる美しい夕暮れの空を静かに滑空している。
明日から始まる大騒ぎの日常も、過酷な戦いも、今は遠い背景の彼方。
ただ二人、寄り添う体温と溶け合う愛だけを確かめ合いながら、夫婦としての深く幸せな一日は、穏やかに暮れていくのであった。
きっとこのあとわっぴーしたんだ!!!!