空見観測研究部が誇る巨大宇宙戦艦「ソラノミ」。
大気圏外や高度数万メートルの上空を静かに滑空する巨大な艦内には、今日、ゆったりとした休日特有の穏やかな空気が満ちていた。
普段であればゲーム開発部の賑やかな叫び声や、機体の点検・修復作業に追われる忙しない足音が響き渡る廊下も、今日ばかりは穏やかな静けさに包まれている。
居住エリアの広々としたメインリビング。
大きな窓から差し込む陽光が、磨き上げられた床やテーブルを柔らかく照らし出していた。
ソファーの周りには、家族の姿がある。
フリルのついたエプロン姿で温かいお茶の準備を進める室笠アカネ。その傍らで、重厚な雰囲気を和らげながら穏やかな眼差しを向ける父・室笠セイカ。
そして、ソファーの真ん中に当然のような顔でちょこんと腰掛けている長女の室笠シロコと、その隣で小型タブレットを手に真剣な表情でデータをチェックしている次女の室笠ケイだ。
さらにもう一人、そこから少しだけ距離を置き、窓際のスペースに背を預けるようにして静かに佇んでいる砂狼シロコがいた。
二人のシロコ。
かつて別々の世界、別々の運命を辿り、アビドスでの再会を経て深い信頼で結ばれた二人。
見た目や声、ふとした瞬間の仕草は瓜二つでありながら、今二人が纏っている佇まいには明確な違いが存在していた。
かつて「シロコ*テラー」として滅びゆく世界の中で全てを失い、孤独の底を彷徨っていた少女は、今や「室笠シロコ」としてセイカとアカネの長女になり、この宇宙戦艦ソラノミを自分の「家」として生きている。
ミレニアムの先端技術とアカネの手仕事によって綺麗に仕仕立て直された黒い衣装を身に纏い、その表情にはかつての悲壮感や痛々しさはどこにもない。愛され、守られていることを確信している「家の子供」としての安心感が、その全身から溢れ出ていた。
一方、アビドス高等学校の対策委員会に所属する「砂狼シロコ」は、招かれたゲストとしてこの場にいた。
彼女にとって、この広大で美しい宇宙戦艦ソラノミと、そこに住まうセイカたちの存在は、どこか神秘的で、けれど不思議な懐かしさと温もりを感じさせる場所であった。
「二人とも、お茶が入りましたよ。焼き立てのクッキーも用意しましたから、どうぞ召し上がってくださいね」
アカネが柔らかく目を細めながら、湯気を立てる紅茶のカップと、香ばしい匂いを漂わせるクッキーの皿をテーブルへと並べる。
すると、室笠シロコは当然のように「……ん。ありがとう、お母さん」と口にし、慣れた手つきでカップを受け取った。そして、ごく自然な動作でアカネのトレーを支え、手伝おうとする。日々重ねられてきた「母と娘」の愛おしい距離感が、その僅かな仕草からも溢れ出していた。
「お姉ちゃん、お茶を零さないように気をつけてください。私の試算によると、現在のソラノミの微妙な揺れと手元の角度から、右側へ熱湯が飛散する確率が2.4%存在します」
端末から目を離した次女のケイが、姉である室笠シロコに向かって生真面目に注意を促す。その表情は一見硬いように思えるが、瞳の奥には姉を気遣う確かな妹としての情愛が灯っていた。
「大丈夫、ケイ。ちゃんともってる」
室笠シロコが小さく微笑んでケイの頭をなでると、ケイはほんの少しだけ照れたように頬を朱に染め、大人しく自前のジュースのカップへと手を伸ばした。
砂狼シロコは、一瞬だけ視線を泳がせたあと、ゆっくりと歩み寄って丁寧に両手でカップを受け取った。
「……ありがとうございます、アカネさん」
「ふふ、シロコちゃん。そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ?」
アカネは二人のシロコ、そしてケイに対し、それぞれ違った、けれど等しく温かな接し方を見せる。
長女である室笠シロコには深い慈愛を込めた手つきでその銀髪を撫で、次女のケイには「ケイちゃんもありがとうね」と優しく微笑みかけ、ゲストである砂狼シロコには過剰に踏み込みすぎない包み込むような温もりを注ぐ。
その光景を、父であるセイカは興味深そうに、そしてどこか誇らしげに観察していた。
「……同じ『シロコ』という存在でありながら、立ち振る舞いや纏う波長がこうも違うものなのですね。非常に興味深い観察対象です」
「お父さん……じっと見すぎ。シロコが困ってる」
室笠シロコがクッキーを口に運びながらポツリと指摘すると、セイカは「おっと、失礼しました」と悪びれずに、けれど深みのある静かな笑みを浮かべた。
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お茶の時間がひと段落すると、アカネが「では、私はそろそろ夕食の仕込みに入りますね」と立ち上がった。
セイカもまた、「調理工程の効率化および過給演算による最適化サポートを行います」と言って、端末を手にアカネの後を追ってキッチンへと向かっていく。
「あまり大掛かりな演算はしないでくださいね、セイカさん。お鍋を爆発させられたら困りますから」
「……過去の失敗データはすでに解析済みです。今日の私は完璧です、アカネ」
そんな微笑ましい夫婦の会話が遠ざかり、キッチンの扉が閉まる。
さらにケイも「私は夕食前に、居住区の環境維持システムの巡回チェックを行ってきます」と言って、てきぱきと部屋を出て行った。
宇宙戦艦ソラノミの広大なリビングに残されたのは、二人のシロコだけになった。
窓の外には、ソラノミの高度から見下ろす雲海が広がっている。
夕刻の訪れを前に、太陽の光が青空を徐々に黄金色へと染め上げ始めていた。
室笠シロコはソファーの上に深く腰掛け、足を少しだけブラブラさせながら、リラックスした様子で外の景色を眺めている。その姿には、かつてアビドスの砂漠で再会した時に見せた戸惑いや恐縮の面影は微塵もなく、完全に「自分の部屋」でくつろぐ少女そのものであった。
砂狼シロコはその隣に歩み寄ると、ほんの少しだけ間を空けて静かに腰を下ろした。
静寂が二人を包み込む。
外界の音すら遮られた静かな空間の中で、砂狼シロコは静かに隣の『もう一人の自分』を見つめた。
かつてアビドスへやってきた時、「室笠シロコ」と名乗り、自分の父親となったセイカのこと、お母さんとなったアカネのこと、妹のケイのこと、失敗したクッキー作りのこと……それらを心底愛おしそうに、誇らしげに語っていた彼女の顔。
砂狼シロコは、胸の奥で温めていた疑問を、静かな声で口にした。
「……シロコ」
「ん? なに、シロコ」
室笠シロコは耳をピコピコと揺らし、雲海に向けられていた視線をゆっくりと隣へと巡らせた。
「……シロコは、ここにいて安心する?」
それは、砂狼シロコにとってずっと確かめてみたかった問いだった。
全てを失い、絶望の暗闇から救われて、新しい名前と新しい家族を得た彼女。
自分と同じ顔をし、同じ声を持つ彼女が、今この場所でどんな気持ちで生きているのか。
室笠シロコは少しだけ考えるように首をかしげ、自分の胸元にそっと手を当てた。
そして、何ひとつ迷いのない、澄み切った瞳でまっすぐに砂狼シロコを見つめ返した。
「……うん。すごく、安心する。……お父さんとお母さん……セイカとアカネがいるから」
「……セイカと、アカネ」
「そう。二人が私を拾ってくれて……私のお父さんとお母さんになってくれた。最初は、私なんかがこんな幸せな場所にいていいのかなって、ずっと怖かった。……アビドスのみんなを救えなかった私が、一人だけ助かって笑っていいのかなって」
室笠シロコはそう言いながら、ソファーの背もたれに寄りかかり、温かい息を吐いた。
「でも……お父さんとお母さんは、私を『壊れた兵器』じゃなくて、一人の娘として抱きしめてくれた。ケイも……本当の妹みたいに私を頼ってくれる。だから……ここは、私の家。世界で一番、安心できる場所」
その言葉には、一切の疑いも偽りもなかった。
愛され、守られ、必要とされているという確固たる実感。
砂狼シロコはその言葉を一つひとつ噛みしめるように、静かに目を伏せた。
かつて絶望の淵にいた彼女が、アビドスで「室笠シロコ」として前を向いて笑えるようになった理由。そのすべてが、この宇宙戦艦ソラノミという場所と、セイカやアカネ、ケイという家族の存在にあったのだと深く理解する。
そして……砂狼シロコ自身もまた、この部屋に流れる穏やかな空気の中に身を置くことで、胸の奥底がじんわりと温かくなっていくのを感じていた。
「……そっか。すごく、よかった」
砂狼シロコがポツリと呟くと、室笠シロコは少しだけ口元を緩め、「ん。シロコも……ここにいる時は、アビドスと同じくらい安心するといいよ。お父さんもお母さんも、ケイも……シロコのこと、家族みたいに思ってるから」と優しく返した。
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「みなさん、夕食の準備が整いましたよ。ダイニングへどうぞ」
キッチンのドアが開き、アカネの明るく澄んだ声がリビングに響き渡った。巡回を終えて戻ってきたケイも合流し、全員でダイニングルームへと向かう。
ダイニングテーブルの上には、息を呑むほど豪華で美味しそうな料理が所狭しと並べられていた。
湯気を立てる大皿のハンバーグ、色鮮やかな温野菜のグラタン、焼きたてのガーリックブレッド、そして透き通った琥珀色のコンソメスープ。
「さあ、シロコちゃんも遠慮せずにたくさん食べてくださいね。今日はアビドスから遠出をしてきてくれたのですから、スタミナがつくように特大のハンバーグを焼きましたよ」
アカネは手際よく料理を取り分けると、長女の室笠シロコ、次女のケイ、そして砂狼シロコのお皿へ、それぞれ愛情を込めて盛り付けていく。
「……ありがとう、アカネ。すごく美味しそう」
「ふふ、いいのですよ。ここではみんな『家族』みたいなものですから、お腹いっぱいになるまで食べていってくださいね」
アカネが微笑みながら砂狼シロコの頭をそっと撫でる。
その温かい手つきに、砂狼シロコは少し耳を赤くしながらも、嬉しそうに頷いた。
一方、セイカはテーブルの端で腕を組みながら、自慢げに胸を張っていた。
「今回のスープの煮込み工程においては、私の過給演算による熱伝導密度の精密計算が適用されています。ミリ秒単位での火力調整により、アミノ酸の抽出率が通常の142%へと向上しています」
「もう、セイカさん。……美味しくできたのは事実ですが、料理の隠し味は計算ではなく『愛情』ですよ?」
「……ム。愛情の数値化は困難ですが、私の演算にはシロコとケイ、アカネ、そしてアビドスのシロコに対する愛着係数がすでに組み込まれています。したがって、理論上も愛情が最高の隠し味となっているはずです」
平然とそんな照れくさいことを真面目な顔で言い切るセイカ。
アカネは「もう……本当にセイカさんはずるいお方ですね」と頬を染めながら困ったように笑った。
その隣でケイが真面目な顔でスープを一口味わい、「計算通り、熱効率・塩分濃度ともに完璧な数値です。ですが……お母さんの言う通り、数値以上の温かさを感じます」と分析結果(と自身の感想)を口にした。
室笠シロコは「……お父さん、また難しそうなこと言ってる。でも、スプーンが進むくらい美味しい」と言って、満足そうにスープを飲む。
砂狼シロコもまた、フォークでハンバーグを小さく切り分け、一口口へと運ぶ。
ジューシーな肉汁が口いっぱいに広がり、甘みのあるソースと絶妙に絡み合う。その優しく深い味わいに、思わず目が丸くなった。
「……すごく、美味しい」
「でしょ? お母さんの料理は世界一だから。お父さんの計算とケイの補助が加わると、さらに最高になる」
室笠シロコが自分のことのように誇らしげに胸を張り、ケイもまた「姉様の分析通りです」と小さく鼻を鳴らした。
砂狼シロコはその顔を見て、そして笑顔で見守るアカネと、静かに頷くセイカの顔を順番に見つめた。
そこにあるのは、間違いなく「家族」の風景だった。
かつて滅びゆく世界で失われ、決して取り戻せないはずだった温もりが、今こうしてこのソラノミの食卓の上に満ち溢れている。
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食事が進み、和やかな会話が弾むダイニング。
窓の外では、夕暮れの茜色が深みのある群青色へと移り変わり、遠くの街並みや空に星々の瞬きが見え始めていた。
ふと、セイカが並んで仲良くハンバーグを食べている二人のシロコに静かな視線を向けた。
その透き通るような瞳に深い慈愛の光を宿しながら、心底楽しそうに口を開く。
「同じ顔の二人が並んでいるのは、やはり不思議ですね」
セイカのその言葉に、アカネもトレイを胸に抱えながら柔らかく頷いた。
「本当にそうですね。ですが……なんだか可愛らしさも愛おしさも二倍になったようで、見ていて胸が温かくなります。まるで、双子の姉妹を見守っているような気持ちになりますね」
ケイも自分の皿を綺麗に平らげながら、「視覚的データとしては同一人物ですが、波長およびパーソナリティには明確な個体差が存在します。ですが……お二人とも、私の大切な『姉』としての領域にカテゴライズされています」と静かに付け加えた。
室笠シロコは「不思議かな……? 鏡を見てるみたいで、私は結構落ち着くけど」と首をかしげ、隣の砂狼シロコの方を見た。
砂狼シロコは、自分の手元のお皿と、隣で美味しそうにご飯を食べる『もう一人の自分』、妹のケイ、そして自分たちをどこまでも温かい眼差しで見守ってくれているセイカとアカネの表情を、ゆっくりと見渡した。
アビドス自治区の砂漠で仲間たちと過ごす日々も、自分にとってかけがえのない大切な宝物だ。
そして今、別世界からやってきた彼女が掴み取ったこの「室笠家」という温かな居場所もまた、自分にとって誇らしく、そして愛おしい場所に思えた。
砂狼シロコは少しだけ考えたあと、ほんのわずかに、けれど心底嬉しそうに口元を緩めて言った。
「……でも、悪くない」
その短くも実感がこもった言葉に、セイカとアカネはさらに温かな笑みを深めた。
室笠シロコもまた、「ん。悪くない。むしろ……すごくいい」と満足そうに頷き、自分のハンバーグを少しだけ切り分けて砂狼シロコのお皿へと移した。
「これ、シロコにあげる」
「あ、ズルいですお姉ちゃん。私からもシロコさんに温野菜を差し上げます」
「……二人とも、ありがとう」
二人のシロコとケイが静かに微笑み合い、それを見たセイカが過給演算の端末をそっと置いて、娘たちの頭を大きな手で包み込むように優しく撫でる。
広大な夜空を静かに滑空する宇宙戦艦ソラノミ。
過去の傷痕も、異世界という境目も、全てを包み込んで溶かしていくような深い家族の愛とともに。
室笠家の家族が囲む幸福な休日の夜は、穏やかに、どこまでも温かく暮れていくのだった。