キヴォトスの上空、雲海を滑るように通常航行を続ける巨大宇宙戦艦「ソラノミ」。
その中央観測室の空気は、突如として緊迫したものへと一変していた。
『──警告。アビドス砂漠・地下区間にて、局所的な因果律の不連続反応および高エネルギー波形を検出』
艦内アナウンスの機械音声とともに、ホログラムディスプレイに赤い警報アラートが明滅する。
メインコンソールで指を滑らせていたケイが、淡々とした声の中に微かな緊張を交えて報告した。
「……お父さん。アビドス自治区地下にて大規模な空間歪曲が発生しています。同時に、地上部隊──ハイランダー鉄道学園の重装甲部隊が、アビドス対策委員会を完全に包囲。過給演算による勝敗予測……対策委員会の生存率は、現在12.4%まで低下しています」
「……アビドス地下の異常、ならびに戦況を了解しました」
セイカは背もたれから起こし、紫の双眸を厳しく細めた。
その隣で、温かい紅茶の入ったカップをトレイに乗せて運んできたアカネが、眉をひそめて画面を見つめる。
「まあ……ハイランダーの部隊数が多すぎます。このままでは、ホシノさんや……砂狼シロコさんが……」
「ええ。アビドス地下の空間異常はキヴォトス全域の安定性に関わる危険性があります。ソラノミによる直接的な干渉および介入が必要と判定──」
セイカがコマンドを入力しようとした、その時だった。
「──待って」
静かな、けれど強い意思の籠もった声が観測室に響いた。
振り返ると、そこには室笠シロコが立っていた。
彼女の視線は、モニターに映し出されたハイランダーの包囲網、そして傷つきながらも武器を構えるアヤネ、セリカ、ノノミ、ホシノ……そして、自分と同じ顔をし、同じ銃を握り締めながら倒れかけている「砂狼シロコ」の姿に釘付けになっていた。
室笠シロコの瞳が、かすかに揺れている。
胸の奥で渦巻く、言葉にできない感情。かつての自分、あるいは別の可能性の自分。そして、かつて大切だった仲間たち。
「……アビドスが、危ない」
セイカは操作していた手を止め、静かに長女を見つめた。
その瞳に宿る光が何を示しているのか、親であるセイカには痛いほど理解できた。セイカは制止の言葉を口にすることはしなかった。
「……シロコ。あなたの考えを聞かせてください」
室笠シロコはセイカの目をまっすぐに見つめ返し、ブレない声で宣言した。
「……行ってくる。あっちの私と、みんなを……助けに行きたい」
ソラノミの圧倒的な主砲や親であるセイカの力に頼るのではない。アビドスの仲間と、もう一人の自分が傷ついているから、自分の足で走り、自分の力で救いたい──それが室笠シロコが出した答えだった。
セイカは微かに口元を緩め、緩やかに頷いた。
「……ええ。あなたが『行くべきだ』と思うのなら。私はそれを止めません」
アカネも優しく微笑み、室笠シロコの元へ歩み寄ると、彼女のジャケットの襟元を丁寧に整えてあげた。
「気をつけてくださいね、シロコ。……無事に帰ってくるのですよ」
「……うん。行ってくる」
室笠シロコは愛用のライフルを肩に担ぎ直し、迷いない足取りで格納庫へと向かって走り出した。
__________
アビドス砂漠。吹き荒れる砂嵐の中、ハイランダー鉄道学園の装甲列車と重装歩兵部隊が、アビドス対策委員会を完全に包囲していた。
「くすくす、観念しなよアビドス! これだけの戦力差なんだから、もう逃げ場なんてどこにもないんだからね!」
ハイランダー兵たちの無数の砲口が、泥と砂に塗れたホシノたち、そして息を荒らげて倒れ込んでいる砂狼シロコへと向けられる。
ホシノは大きなシールドを前に構え、荒い息を吐きながらも後輩たちの前に立っていた。
「……くっ……ここまで、かぁ……。みんな……私の後ろから……離れちゃダメだよ……」
「ホシノ先輩……! くっ、体が……!」
砂狼シロコも血の味のする唾を吐き、必死にライフルを持ち上げようとするが、過酷な連戦でもう限界だった。
誰もが対策委員会の全滅を確信した、その時──。
──パン、パン、パパンッ!
砂嵐の彼方から、正確無比な単発射撃音が響き渡った。
「きゃっ!?」「な、なに!? どこから撃たれたの!?」
包囲網の最右翼にいたハイランダーの重装歩兵数名が、次々と頭部と胸部を的確に撃ち抜かれ、体勢を崩して崩れ落ちる。
「敵の最右翼部隊……装甲が薄い。射撃精度は高いが、視界が悪く側面の警戒が甘い」
高台の岩陰。
室笠シロコは己の目と耳、そして鍛え上げられた身体能力と判断力だけを頼りに戦場を観察していた。
室笠シロコは砂煙の中を疾走した。
足音を最小限に抑え、敵の死角から死角へと影のように移動する。接近したハイランダー兵の砲身を素手で叩き逸らし、至近距離からの格闘射撃で鎮圧。奪い取ったフラッシュバンを包囲網の中心へ投擲する。
──バンッ!
「目がぁ!?」「なになに!? このすっごく足が速い子誰なの!?」
「突破口、確保」
室笠シロコは砂煙を切り裂き、弾丸の雨を最小限の体さばきで回避しながら、一直線に対策委員会のもとへと突進していった。
__________
「……え……?」
眩いフラッシュバンの光と砂煙が晴れていく中で、ホシノと砂狼シロコは目を見開いた。
砂嵐を背に負い、ライフルを構えて立つ、見慣れた……けれどどこか醸し出す雰囲気の異なる少女のシルエット。
「……遅くなった」
「……え……? シロコ……ちゃん……?」
ホシノが呆然と声を漏らし、倒れ込んでいた砂狼シロコが息を呑んで目を見張る。
「……私……? なんで……?」
自分と同じ顔をし、けれど室笠家としての静かで揺るぎない覚悟を瞳に宿した室笠シロコ。
彼女は自分と瓜二つの砂狼シロコを一瞬だけ見つめると、すぐに向き直り、対策委員会の全員を背中に庇うように立った。
「みんなを、迎えに来た」
圧倒的な絶望の渦中に、ソラノミから舞い降りた室笠シロコ。
これが、この戦場における最初の「降臨」であった。
「な、なによアイツは! たった一人で乗込んでくるなんて……殺せ! 撃ち倒せぇ!」
正気を取り戻したハイランダー兵たちが一斉に引き金を引く。
だが、室笠シロコは冷静だった。
「ノノミ、右の装甲車の火力を牽制して。アヤネ、敵の通信をジャマーで塞いで。セリカは私のカバー。……私は、無理しないで休んでて」
「っ……うん! 分かったわ!」
「は、はいっ! 了解です!」
室笠シロコの的確な指示と迷いのない動きが、絶望しかけていた対策委員会に瞬時に生気を呼び戻す。室笠シロコは仲間へ飛んでくる敵弾を自らの射撃で撃ち落とし、突破口を押し広げていく。
その背中を見て──ホシノの唇が、ゆっくりと吊り上がった。
「……へへっ。助っ人さんがこんなに格好良く来てくれたなら……先輩が倒れてるわけにはいかないよねぇ……!」
ホシノが巨大なシールドを叩きつけ、再び力強く立ち上がった。
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「ハアッ!」
ホシノの重圧な一撃がハイランダーの前線部隊を吹き飛ばし、室笠シロコの精密射撃が残敵を次々と無力化していく。対策委員会の連携が完全に復活し、一時は絶望的だった戦況は完全に逆転しつつあった。
激しい銃撃戦の合間、物陰に身を隠しながら、ホシノと砂狼シロコが室笠シロコへ視線を向けた。
「……ねえ、シロコちゃん」
ホシノが呼びかけると、室笠シロコが振り返る。
「……どうして、来てくれたの? あなたには……ソラノミっていう素晴らしいお家があって、優しいお父さんとお母さんがいて……もうアビドスの危険な戦いに首を突っ込む必要なんてなかったはずなのに」
砂狼シロコも、自分と同じ顔をした室笠シロコを複雑な眼差しで見つめていた。
室笠シロコは少しだけ射撃の手を止め、青い瞳を二人へ向けた。
何か複雑な理由や、特別な運命を語るわけでもない。数秒の間の後、室笠シロコは当たり前のように口にした。
「……どうしてって。……仲間が、困ってるから」
「……え?」
「理由なんて、それだけで十分」
室笠シロコはそう言うと、カチャリと新しいマガジンをライフルに装填した。
「私には新しい家族がいる。……でも、アビドスのみんなも、もう一人の私も……大切な存在だから。困ってるなら助けに来る。そこに理由はいらない」
「……っ」
砂狼シロコは胸を突かれたように目を見開いた。
ホシノもまた、目を丸くした後、肩をすくめて嬉しそうに笑った。
「……そっかぁ。あはは、そうだね! シロコちゃんは、どこにいたってシロコちゃんだ!」
ホシノはヘイローを輝かせ、シールドを握り直した。
「よしっ! じゃあ行きますか、最強の助っ人さん!」
「……うん。行こう」
二人のシロコとホシノたちは視線を交わし、再び敵陣へと踊り出た。
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上空遥か彼方の「ソラノミ」メインコンソール。
巨大ホログラム画面には、室笠シロコたちがハイランダーの部隊を押し返していく見事な戦闘プロセスが映し出されていた。
「お姉ちゃんの生存確率、98.2%まで上昇。砂狼シロコおよび対策委員会の損害率も激減。……お姉ちゃんの判断と戦闘行動は、極めて適切です」
ケイが報告すると、アカネは胸に手を当ててホッと息を吐いた。
「よかった……シロコ、本当にお見事ですね」
しかし、アカネはふと隣のセイカを見上げた。
セイカは無言のまま画面を見つめているが、その手はいつでもソラノミの全兵装を展開できるよう、コンソールの上に添えられたままである。
「……セイカさん。助けに行かなくても、本当に大丈夫でしょうか?」
アカネの問いかけに、セイカは一度瞳を閉じ、静かに答えた。
「……大丈夫です。シロコは、私たちの娘である前に──彼女自身の意思と誇りを持った、一人の立派な生徒なのですから」
「セイカさん……」
「親ができる最大の支援とは、時に口を出さず、子供の選択と力を信じ抜くことです。……ですが」
セイカの紫の瞳が、スッと冷たく冴え渡る。
「『信じること』と『放置すること』は違います。もし万が一……シロコの手に余る理外の脅威や、理不尽な害意が牙を剥いたならば。その時は……私が責任を持って、その全てを灰燼に帰します」
静かなる過保護。けれどそこには、自分たちの娘として成長した室笠シロコを心から誇りに思う「親」としての温かな覚悟が満ちていた。
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室笠シロコの参戦によって、地上戦の決着はつきつつあった。
ハイランダーの装甲列車は撤退を開始し、対策委員会のメンバーは息を整えながら互いの無事を喜び合っていた。
「やったわ! 追い払ったわよ!」
「シロコ先輩……本当にありがとうございます……!」
アヤネやセリカが駆け寄る。室笠シロコも微かに表情を緩め、「みんなが無事でよかった」と答えた。砂狼シロコも室笠シロコの隣に歩み寄り、「……ありがとう」と小さく感謝を口にする。
銃声が止み、遠ざかるハイランダー装甲列車の重い駆動音が、砂嵐の彼方へと消えていく。
硝煙と砂塵が入り混じるアビドスの空に、ようやく一筋の眩しい青空が覗き始めていた。
「……終わった、みたいだね」
ホシノが深く息を吐き出し、へこみの増えたシールドを地面に突き立てる。他の対策委員会の面々もその場にへたり込み、互いの無事を確かめ合うように顔を見合わせていた。
その輪の中から外れ、ホシノと砂狼シロコが、静かに銃を下ろした室笠シロコの前へと歩みを進める。
「本当に助かったよ、シロコちゃん」
いつものへらへらとした笑みの中に確かな感謝を滲ませるホシノ。しかし、彼女のオッドアイは目の前の少女を少し不思議そうに見つめていた。
「でも……なんでわざわざ、こんな泥臭い戦場に降りてきたのさ。今の君には、何があっても守ってくれる無敵の『お父さん』と『お母さん』がいるんでしょ? 安全な空の上で、幸せに暮らしていればよかったのに」
隣に立つ砂狼シロコも、言葉を発しないまま、自分と瓜二つの姿をした少女をじっと見つめている。自分にはない、揺るぎない安心感と真っ直ぐな光を纏ったもう一人の私。
問われた室笠シロコは、手にしたライフルを背中に回し、どこまでも澄んだ青い瞳でアビドスの面々を見渡した。
「……安全な場所にいるだけじゃ、大切なものは守れないから」
ぽつりと、けれど確かな熱を帯びた声が落ちる。
「私には、必ず帰る場所がある。でも、別の世界だとしても……みんなと過ごした記憶も、戦った時間も……全部私の一部だから。仲間がピンチなら駆けつける。それ以外の理由なんて必要ない」
その飾らない本心に、砂狼シロコの肩が微かに揺れた。
孤独な狼だった自分たち。けれど目の前にいる彼女は、誰かに愛される喜びを深く知り、その強さを持って自らの足でここへ来てくれたのだ。
「……ありがとう。あっちの、私」
砂狼シロコの不器用で小さな声に、室笠シロコはふっと目元を和ませる。
「うん。……それじゃ、私は帰るね。家族が待ってるから」
ホシノたちが大きく手を振る中、彼女は澄み渡る空へと飛び立つ連絡艇へと背を向けた。
母艦である宇宙戦艦『ソラノミ』のエアロックを抜けると、微かな機械の駆動音とともに、砂漠の乾いた匂いとは全く違う、優しくて甘い匂いが鼻をくすぐった。
「おかえりなさい、シロコ」
エプロン姿のアカネが、花が咲いたような笑顔で出迎える。そしてその後ろにはセイカの姿があった。
「……ただいま、お父さん、お母さん」
シロコが歩み寄ると、セイカは静かに身を屈め、泥と砂に汚れた長女の頬を大きな手でそっと拭った。
「誰かの庇護のもとで安らぐだけでなく、自らの意思で歩み出し、大切な者たちを救い上げた。……あなたのその決断と勇気を、私は心から誇りに思いますよ」
深く、静かな愛情が込められた言葉。
かつて世界に絶望していた少女は、今や親の誇りとなり、一人の人間として立派に戦い抜いたのだ。胸の奥から込み上げる温かい感情に抗えず、シロコはセイカの大きな胸に顔を埋め、力強くその背中に腕を回した。
その夜。ソラノミのダイニングには、温かな光と家族の笑い声が溢れていた。
「お姉ちゃん、今日の戦術的立ち回りは完璧でしたが、被弾リスクをあと3%下げる余地が――」
「ケイ、戦術の反省会はご飯の後にしなさいね。せっかくのシチューが冷めてしまいますよ」
データ端末を片手に熱弁する妹のケイをアカネがたしなめる光景に、シロコは思わずくすりと笑みをこぼす。
熱々のシチューを口に運ぶシロコを見つめながら、セイカが紅茶の香りを楽しみつつ優しく問いかけた。
「シロコ。地上の友人たちは、無事でしたか?」
「……うん。みんな、すごく元気だった。もう一人の私も」
弾むような声で答える彼女の横顔には、もう微塵の陰りもない。
自分の意思で誰かを守る強さと、いつでも両手を広げて待っていてくれる家族。その二つを手にした彼女の物語は、このあたたかな食卓とともに、どこまでも穏やかに続いていく。
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「……違う。私が感じ取った気配はハイランダーのものじゃない。これはいったい……」