アビドス上空の異次元天蓋。
セトの憤怒が解き放つ漆黒と紫の雷鳴が、空間そのものを焦がしながら幾重もの次元断層を穿ち、地表と天空の境界を崩壊させていく。一瞬の油断が存在の消滅へ直結する絶望的な領域。
しかし、緑のルミナス粒子を全身から噴出させる超大型兵装【メテオストライカー】のコクピット内。
室笠セイカは激しく揺れ動く視界の中で、静かに、そしてゆっくりと瞳を閉じた。
「……ケイ、全感覚の領域を私に預けてください。アカネ、あなたの鼓動を……私の演算のメトロノームに」
『──了解いたしました、お父さん。思考・感覚同調率、99.8%へ到達。全感覚領域の概念バイパスを解放します』
通信機越しに響くケイの声。冷徹さを保ちながらも、その奥底にはセイカへの揺るぎない信頼が完全に刻み込まれていた。
セイカの精神の深淵へ、爆発的な情報量が雪崩を打って流入する。
脳内に展開されるのは、広大な宇宙すら狭小に思わせる幾何学的な全方向視界──無数の「可能性の枝」であった。
セトという神格が放つ「不確定な存在確率」。
それは従来の物理演算や、これまでの「空見」による未来観測では決して捉えきれぬほど乱雑であり、一秒間に数億回という正気とは思えない速度で揺らぎ、無限の破滅へと変動し続けていた。
攻撃を回避した未来、直撃して蒸発する未来、世界が崩壊する未来。無数の悪夢のような選択肢が、濁流となってセイカの精神を削り込もうとする。
けれど──セイカの心は、もはや微動だにしなかった。
「(すべての未来を、たった一つに力ずくで固定する必要はありません。……無限に分岐し、霧散していくこの狂乱の選択肢の中から。私たちが通るべき、ただ一つの……)」
操縦桿を握る手に、すっと力がこもる。
「……通すべき『一手』を探す」
空見の閃。
それは単なる機械的な計算でも、超常的な予知能力でもなかった。
戦場を俯瞰するセイカの意識の視線が、地上から空へ、空から大気圏外へ、そして因果律が絡み合う高次元の幾何学空間へと無制限に拡張されていく。
視界を満たしていたノイズのような未来の枝が、セイカの強い意志の介入によって、次第に一本の美しい紫色の光の束へと収束を始めていく。
ズドォォォォォンッ!!
セトの巨大な異形の腕が、空間の相そのものを破砕しながら力任せに振り下ろされた。
概念ごと圧殺する絶対の破壊。だが、その回避不可能な軌道すらも──今のセイカにとっては、無限に広がる可能性の束のうちのたった『ひとつ』の選択肢として静かに認識されていた。
「……視えました」
セイカが静かに瞼を開く。
その紫の双眸は、過負荷による激痛を耐え抜き、神聖なまでの演算光を宿して美しく輝いていた。
「あなたの『怒り』が……次に選ぶ未来を」
『空見の閃、演算領域の全限界拡張を確認。──ターゲット概念の存在座標、確定可能領域へ完全捕捉しました』
ケイの淡々としたデータリポートとともに、神秘的な紫色の演算光がメテオストライカーの巨体を包み込んでいく。
未来を強引に書き換えるのではない。無数に乱立する破滅の可能性の中から、攻撃を確実に届かせるための唯一の「答え」を、セイカはその手で確かに捉えていた。
「……ここです」
__________
『──お父さん! 全武装、照準可能領域へ完全同期を完了しました!』
ケイの鋭く、研ぎ澄まされた音声がコクピットを満たす。
セイカは全周モニターに表示されたターゲットの因果結節点を見据え、静かに、しかし力強く命じた。
「……ケイ」
『はい』
「全武装を──」
息を呑む一瞬の間。
背後に広がる水色の翼から、覚悟の閃光が駆け抜ける。
「──ひとつに合わせます!」
『了解!』
ガシュ──ッ!!
12基のフィン・ファンネルが、メテオストライカーの背部バインダーから一斉に解き放たれた。
白と青に彩られた装甲が、溢れ出す白銀のルミナス粒子の中で眩いばかりに輝き、セトの全周を完璧に包囲する巨大な幾何学の円環を描き出す。
その中心。
機体にドッキングされたメテオバスターライフルの砲口へ、ダブルコアから汲み上げられた極限のエネルギーと、セイカ自身の紫の演算光が集束していく。
それだけではない。肩部ミサイルポッド、脚部ウェポンコンテナ、両腕の光束キャノン──各部に格納されていたあらゆる火器が強制ハッチオープンを起こし、内部のジェネレーターが過負荷の悲鳴を上げながら再充填を完了する。
『全武装、完全ロックオン。エネルギー・バイパス、クリティカル上限へ移行。……全火線、開通しました』
セイカは胸の奥で、家族の温もりに思いを馳せながら呟いた。
「……これが」
「私たちが……みんなで繋いでくれた──」
背後の翼が大きく羽ばたき、機体全体が白銀の光粒子を放散させる。
「──一手です! フルバースト!!」
ズガガガガガガガガガガァァァァァァァンッ!!
瞬間。メテオストライカーに搭載されたすべての武装が、大気を、空間を、理を打ち破って一斉に火を噴いた。
中央を貫くメテオバスターライフルから解き放たれた紫色の極大閃光が、捩れた空間を一直線に穿ちながらセトの胸元へ牙を剥く。
その周囲からは、12基のフィン・ファンネルによる全方位交差射撃。白と青の光線が夜空に無数の軌跡を描き、あらゆる角度からセトの弱点へ殺到する。さらに無数の誘導ミサイル群と高濃度光学弾幕が重なり合い、空間を満たす緑のルミナス粒子がそれらすべての威力を数乗演算で増幅・加速させていく。
アビドスの異次元の夜空が、白銀と紫の圧倒的な光の嵐によって完全に塗り潰された。
それはただの面攻撃ではない。セイカが無数の不確定な可能性から見つけ出した、唯一の「届く瞬間」へ──室笠家とアビドスの全想いを注ぎ込んだ、絶対なる一撃であった。
__________
だが、神話の不条理を体現する【セトの憤怒】もまた、その牙を折りはしなかった。
無数の光線が直撃する直前、セトの巨体の周囲に、漆黒と紫の異質な領域──「高次元障壁」が緊急展開される。
因果の拒絶、存在の否定。幾重にも重なった概念の壁が、正面からフルバーストの奔流を力ずくで受け止めた。
ドドドドドドドドドガンッ!!
天地がひっくり返るかのような狂暴な衝撃波が砂漠全体を吹き荒れる。
概念と物理が極限状態で激突し、周囲の歪んだ空間そのものがガラスのように軋み、無数の透明な亀裂を刻んでいく。
『──敵高次元障壁、出力の減衰を検知!』
ケイの冷徹なデータ分析が、激しいノイズを押し切って響く。
『障壁残存値、70%……50%……! 減衰速度、事前シミュレーションの限界値を超過しています!』
セイカは力任せに引き絞り、二基のルミナス・コアの出力を完全限界突破領域へと叩き込んだ。
「……まだです! 押し切ります!」
フィン・ファンネルが幾千もの光の軌跡を描き直し、寸分の隙もなく連続交差射撃を継続する。
白青の光条がセトの障壁の表層を削り取り、その不条理な存在確率を内側から破砕していく。
『残存値30%……20%……!』
セトが張り巡らせた暗黒の障壁に、視認できるほどの巨大な亀裂が走り抜ける。
『10%──障壁、完全破綻!!』
バリィィィィィィィンッ!!
高次元の障壁が幾何学的な欠片となって宙に砕け散った。
遮るものを失ったフルバーストの圧倒的な光の奔流が、ついにセトの巨大な本体を直接呑み込んでいく。
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緑と紫の光の渦が、アビドスの空を包み込み、巨大な神格の異形を肉眼から消し去っていく。
光の粒子が砂漠全体を照らし出し、あたかも世界の崩壊が食い止められたかのような錯覚を抱かせた。
しかし──。
グォォォォォォォォン……ッ!!
セトは、滅びなかった。
光の奔流が収まりかけた中心領域で、巨体に刻まれた無数の裂け目から、先ほどまでを遥かに凌駕する狂暴で強烈な「憤怒」の暗黒波が吐き出されてくる。
『……お父さん!』
ケイの通信に、初めて明確な焦燥の波形が混じる。
『敵概念体、依然として健在です! 破壊された因果の再構築を高速で開始しました!』
セイカは息を呑みながらも、静かに、そして力強くセトの巨体を見つめ直した。
「……ええ。分かっています」
セイカの紫の双眸に、確かな光が宿る。
「ですが──」
セトの巨体には、先ほどまでの「観測不能な不条理」ではなく、フルバーストによって刻み込まれた確かな「傷」と「質量」が残されていた。
そして何より、これまで捉えることすら不可能だった「怒り」の変動パターン。その因果の回路そのものが、今の一撃によって可視領域へと引きずり出されていたのだ。
『……解析データ、完全取得に成功しました』
ケイの声が、いつもの冷静なトーンを取り戻す。
『フルバーストの着弾点より、敵概念体の因果変動パターンに明確な規則性を確認。データベースへの蓄積および攻略アルゴリズムの構築を完了いたしました』
セイカは胸の中の熱い塊を確かめるように小さく息を吐き、メテオバスターライフルの砲口を再びセトの胸元へ向け直した。
「……そうですか。ならば、私たちが放ったこの一撃は……決して無駄ではありませんでした」
セイカの表情に、迷いや恐怖は微塵もなかった。
「世界をたった一つの答えに固定する必要なんてありません。私たちが次に進むための道を──」
紫の双眸が、神聖な威光を放って輝く。
「──私達自身の手で、定義すればいい!」
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ゴオォォォォォォォォンッ!!
【セトの憤怒】が、世界を揺るがす咆哮を上げた。
崩壊しかけていた天蓋の空間が再び歪み、先ほどまでの段階とは比較にならないほどの高密度な暗黒と紫電が、セトの全身から解き放たれる。
『──警告、お父さん!』
ケイのアナウンスが凄まじい緊迫感を持って響き渡る。
『敵の概念出力、さらに上昇! 高次元相のエネルギー密度、第2段階へ移行しました! これより先は、未踏の交戦領域となります!』
セイカは操縦桿を固く握り直し、足元を踏みしめた。
背後ではフィン・ファンネルが再び美麗な光芒を描いて展開し、緑のルミナス粒子が静かに、力強くアビドスの夜空を流れていく。
「……望むところです。ここからが、本当の戦いです」
セトが繰り出す暗黒の雷撃と、メテオストライカーが解き放つ神聖な紫の光が、正面から激しく突突する。
アビドスの夜空を白銀と紫の光が覆い尽くし──キヴォトスの未来をかけた、真の決戦の幕が切って落とされた。