宇宙戦艦『ソラノミ』──その深部に位置する「空見観測研究部」の部室は、今日も静謐な静寂に包まれていた。
天井近くに投射された大型の天体ホログラムが、透き通るような青白い光を放ちながらゆるやかに揺らめいている。壁面のマルチディスプレイには、幾重もの軌道計算データや波動解析の数式が滝のように流れ落ち、無機質な美しさを醸し出していた。
部屋の中央に置かれたローテーブルの周りには、いつもの顔ぶれが集まり、それぞれの時間を過ごしている。
だが──セイアは、手元の上質な陶器に注がれた茶を優雅に口へ運びながら、うっすらと可憐な微笑みを浮かべていた。
彼女の並外れた観察眼と洞察力をもってすれば、いまこの部屋に漂うわずかな「違和感」を察知することなど、息を吸うよりも容易なことだった。
「(……ふふ。みんな、相変わらず隠し事が下手だね)」
セイアは目を伏せたまま、周囲の様子を観察する。
まず、テーブルの端で真剣な顔つきで学習用端末に向かっているケイ。彼女は普段なら何時間でも集中を切らさずにデータを閲覧しているはずなのだが、今日は三分に一度のペースで、チラチラと壁のデジタルクロックへ視線を送っていた。その動きはあまりにも規則的で、何か特定の時刻を待ち侘びているのは明白だった。
その隣に座るシロコはといえば、何でもない風を装って姿勢を正しているものの、視線が定まらずあちこちへ泳いでいる。そして何より、足元に置いた自分のカバンを、まるで宝物でも隠すかのように大事そうに引き寄せて離さない。いつもなら無造作に置いているはずの私物に対して、過剰な保護本能を働かせていた。
レナに至っては、もはや隠す気があるのかすら怪しいレベルだった。少しでもセイアと視線が交差しそうになると、露骨にそっぽを向き、意味もなく咳払いをしたり、爪先をソワソワと床に打ち鳴らしたりしている。典型的な挙動不審の姿そのものであった。
キサキだけは背筋をピンと伸ばし、玄龍門の門主らしい完璧な平静を保っていたが、その繊細な指先が杯の縁を微かに、そして一定のリズムで弄んでいるのをセイアは見逃さなかった。彼女なりに緊張を押し殺し、タイミングを押し測っている証拠だ。
そしてアカネは、いつものように穏やかで温かい笑みをたたえ、手際よく皆の湯飲みへ淹れたての煎茶を注ぎ足して回っている。その所作には一切の破綻がないが、彼女の視線が時折、給湯スペースの奥に隠された小さな保温ボックスへと向けられているのをセイアは知っている。
唯一、セイカだけが、普段とまったく変わらない無表情でモニターの数式を追っていた。翼を静かに休め、指先だけを正確にキーボードの上で走らせている。
今日は、百合園セイアの誕生日である。
「(私の『予言』の力を少しでも解放すれば、彼女たちがこの後に何を企んでいるのか……一秒も経たずに全て理解できてしまうのだろうけれど)」
セイアはゆっくりと瞼を閉じ、意識の奥底で静かに揺らめく予知の兆候を、そっと引き出しの奥へ仕舞い込むようにして思考を止めた。
未来を知る力。それは、これから起きる出来事の結末をあらかじめ確定させてしまう力でもある。
どこで誰がどんな声を上げ、どんな箱を取り出し、どんな言葉をかけてくれるのか。それを事前に知ってしまっては、これから訪れるはずの「驚き」も「喜び」も、ただの答え合わせという名の確認作業に成り下がってしまう。
「……まあ、今日くらいは知らないままでいようか」
誰の耳にも届かないほどの小さな呟き。
あえて未来を見ない。それは、直感的に未来を予見できてしまうセイアにとって、最大級の贅沢であり、自分自身へのささやかな贈り物でもあった。
セイアは手元の杯を置くと、視線を室笠セイカへと向けた。
「セイカ。今日は何か、いつもと違わないかい?」
突然の問いかけにも、セイカの動作には一切の乱れがなかった。彼女はキーボードを叩く手を止め、ゆっくりと首を巡らせてセイアの方へ向き直った。
「……いいえ。観測機器の出力レベル、室内の環境パラメータ、皆様の生体反応。いずれも標準の許容誤差の範囲内です。特筆すべき異常や変化は確認できません」
寸分の狂いもない、機械的な報告。
だが、セイアは知っていた。室笠セイカという人物が、これほど察しが悪いわけがないということを。彼女の超人的な情報処理能力をもってすれば、部員たちの異常行動などとっくに解析し尽くしているはずなのだ。
そしてセイカもまた──未来観測を意図的に行っていなかった。
セイアが今日という日を「今この瞬間の出来事」として楽しむことができるよう、余計な未来の確定を行わず、静かに環境を維持することに徹しているのだ。
「(セイカも……変わったね。かつての君なら、事前計算と最適なスケジュール管理こそが最高のおもてなしだと信じて疑わなかっただろうに)」
セイアは満足そうに目を細め、温かいお茶をもう一口含んだ。
__________
時刻は夕刻。ソラノミの外郭に広がる装甲ガラスの向こう側が、昼の群青から深く重厚な紺碧へと染まり始めた頃。
カチリ、と静かな作動音が部屋に響き、部室の天井照明が一斉に落とされた。
室内が静かな薄闇に包まれ、天体ホログラムの青い光だけがぼんやりと皆の影を照らし出す。
直後──。
「セイアさん、お誕生日おめでとうございます!」
アカネの柔らかくも弾んだ声を合図に、小さなロウソクの火が揺らめいた。
特製のバースデーケーキを大事そうに抱えたアカネを先頭に、シロコ、ケイ、レナ、キサキ、そしてセイカが揃ってセイアの周りを囲む。
「……おや」
セイアは少しだけ目を見開いて見せた。
もちろん、頭の片隅では「そろそろだろう」と予測できていた。けれど、未来の映像としてあらかじめ答え合わせをしていなかったからこそ、灯された炎の小さな温もりや、皆の誇らしげで嬉しそうな表情が、ダイレクトに胸の奥へと飛び込んでくる。
「みんな……これは、私のために?」
「ふふ、もちろんです。セイアさん、おめでとうございます」
アカネが優しく微笑み、ケーキをローテーブルの中央へとそっと置いた。
「……ん。セイア、おめでとう。本当はもっと上手く隠すつもりだったんだけど……少し態度に出てたみたい」
シロコが少し気まずそうに耳を掻きながら、けれど温かい光を宿した瞳でセイアを見つめた。
「セイアさん、お誕生日おめでとうございます。本日のスケジュールおよび観測タスクは、すべてこのパーティーのために事前調整済みです」
ケイが誇らしげに小さな胸を張り、ハキハキとした声で祝福の言葉を贈る。
「……お主の生まれた日をこうして祝うことができ、誇らしく思うぞ、セイア」
キサキが品良く微笑み、扇を優雅に揺らしながら温かい眼差しを向ける。
そしてレナは、顔を少し赤くしながら明後日の方向を向いていた。
「べ、別に……大した準備をしたわけじゃないんだからね! ……でも、誕生日なんだから、今日くらいは大人しく祝いられなさいよね!」
賑やかで、どこか微笑ましい声が部室を満たしていく。
セイアは胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じながら、ケーキの上に揺れるロウソクの火を、静かに吹き消した。
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「さあ、セイアさん。皆様からのプレゼントですよ」
アカネに促され、セイアの前に一つずつ贈り物が並べられていく。
最初に前に出たのは、室笠セイカだった。
彼女が差し出したのは、重厚な金属ケースに収められた、結晶型の特殊な記録媒体だった。
「私からは、これをお贈りします」
「これは……新しい観測データ用の高速ストレージかい?」
「いいえ」
セイカは静かに首を振った。
「これは『未来を観測するため』のものではありません。……『今日を残すため』の特殊記録媒体です。ソラノミの全センサーから抽出される環境データ、この部屋の気圧や音響振動、そして皆様の表情や音声を、時間経過による劣化を一切生じさせずに保存するためのデバイスです」
セイカはまっすぐな瞳でセイアを見つめ、言葉を付け加えた。
「これは未来を見るためのものではありません。今日という日を……未来になってから、思い出すためのものです」
セイアは息を呑んだ。
かつて未来ばかりを見据え、通り過ぎていく「過去」や「現在」の感情を顧みなかった室笠セイカが、「思い出を残すための道具」を誕生日に贈ってくれたということ。
その変化の深さと重さに、セイアは愛おしさを込めて、ひんやりとした結晶を大切に手に取った。
「……ありがとう、セイカ。私にとって、何より価値のある記憶の器だよ」
続いてアカネが、可愛らしいリボンで飾られた小箱を差し出す。
「私からは、手作りの焼き菓子です。セイアさんのお好みをお伺いして、紅茶に合うように甘さを極力控えめに仕上げました。心を込めて作りましたので、ぜひ召し上がってくださいね」
「ふふ、アカネの手作りかい? それは楽しみだね。今夜のお茶会が待ち遠しいよ」
シロコは、小さな皮装丁のアルバムを差し出した。
「……ん。私からはこれ。今までカメラで撮り溜めてきた、セイアと、空見観測研究部のみんなの写真。未来の予測じゃなくて……『今の私たち』をそのまま残しておきたかったから」
「シロコ……。素晴らしいね。一枚一枚、大切に見させてもらうよ」
ケイは、丁寧に製本された分厚いデータブックを手渡した。
「私からはこれです。セイアがこれまで残されてきた膨大な観測記録や論文を、年代順に再整理・インデックス化したアーカイブです。セイアが歩んでこられた研鑽の証明として作成しました。……セイアの思考の癖まで一番理解している私だからこそできた、自信作です」
「やあ、これは大作だね、ケイ。私の足跡をこんなに美しく纏めてもらえるなんてね。……ふふ、私の最高の理解者であり、大切な親友からの贈り物だ。心から感謝するよ」
キサキは、上質な漆塗りの小箱を静かに置いた。
「わらわからは、玄龍門に伝わる極上の茶葉じゃ。お主が今日まで歩んできた道、そしてこの目出度き一日を祝うためのもの。……アカネの菓子とともに味わうとよい」
「キサキ門主直々の茶葉とは、恐れ入るね。感謝するよ」
最後に、レナが少し乱暴に小箱をテーブルに置いた。
「っ……私は、これ! 手芸で余った材料で作ったブックマーカー! ……べ、別にセイアのために作ったわけじゃないけど、あなた読書好きでしょ!? 使いなさいよ!」
「ふふ、ありがとう、レナ。私の愛読書に挟ませてもらうよ。とても丁寧で繊細な刺繍だね」
集まった数々の贈り物。
そこには何一つとして「未来を予測するための道具」は存在しなかった。
全てが、「今日という日」を祝うための、そして「今生きている時間」を形にした温かな品々ばかりだった。
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賑やかなパーティーが一段落し、ケーキやお茶を皆で楽しんだ後。
部屋の隅で静かにほうじ茶を口にしていたセイカの隣へ、セイアがゆっくりと歩み寄った。
「素晴らしい時間をありがとう、セイカ」
「お気に召したのなら幸いです。私はただ、みんなの計画が円滑に進行するよう、一部の環境変数を微調整したに過ぎません」
淡々と答えるセイカを見つめ、セイアは悪戯っぽく目を細めた。
「セイカは『空見の波』を使えば、未来の事象を詳細に観測できる。……そして私は、訪れる未来を直感的に予見することができる」
「はい」
「……それなのに、君は今日、一度も未来を見なかったね? 私が今日どんな反応をして、どんなサプライズが起きるのか……君なら容易に観測できたはずなのに」
セイカは手元のカップを見つめ、少しだけ思考を整理するように間を置いた。
「……はい」
セイカはまっすぐにセイアの目を見つめえ返した。
「私は未来を観測できます。セイアは未来を予見できます。ですが……今日という日だけは、予測しない方が良いと判断しました」
「ほう? その理由は?」
「あらかじめ結果を計算し、確定させてしまっては……今日という日を迎える意味が失われてしまうからです。セイアが驚き、喜び、皆様と笑顔を交わすその瞬間は……確定されたデータとして処理されるべきではなく、その時その場にいる当事者として体験されるべきものだと……最近の私は学んだからです」
セイアは目を見張り、それから感極まったように静かに笑った。
「……ふふ。そうだね。まったく……君には驚かされるよ。……今日くらいは、未来を見ないでおくれ。それが、何よりのプレゼントなのだから」
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夜。
部室を抜け出したセイカとセイアの二人は、ソラノミの最外郭に位置する展望デッキに立っていた。
装甲ガラス越しに広がるのは、息を呑むほどに美しい漆黒の宇宙と、数多の星々の煌めき。
生命維持装置の静かな駆動音だけが微かに響く空間で、二人の長い影が床に伸びている。
セイアは手すりに寄りかかり、遠く輝く星々を見上げながらぽつりと呟いた。
「未来を知ることができるというのは……一見すると、とても便利な力に思えるだろうね。危険を避け、失敗を排除し、常に最適な道を選ぶことができるのだから」
セイカは静かに耳を傾けた。
「けれど……もし全てを知ってしまったら、人は今日という日を全力で生きる理由まで失ってしまうのかもしれるない。答えの分かっている物語のページを、ただの作業のようにめくるだけになってしまう」
「……同感です」
セイカは自分の指先を見つめた。
「かつての私は、確定された未来こそが真実であり、不確定な要素は排除すべきエラーであると考えていました。計算できない時間は無駄であり、未観測の未来はリスクでしかないと」
セイカの脳裏に、アカネと過ごした「目的地のない散歩」の記憶、そしてケイやシロコと交わした温かな家族の会話が巡る。
「ですが……私も、最近少しずつ分かってきました。未来とは、単に観測して答えを弾き出すだけのものではありません。……実際にその時を迎えて、大切な人と一緒に、その時々の選択を重ねていくものなのだと」
「……一緒に、選ぶ」
「はい。完璧な計算によって導かれた未来よりも……不確定で、予測不能で、けれど誰かと笑い合いながら選んだ未来の方が……遥かに価値があるのだと、今の私は知っています」
セイアは優しく目を細め、セイカの横顔を見つめた。
「未来を計算する観測者から……未来を一緒に選ぶ当事者へ、か。……ふふ、実に素晴らしい変化だね、セイカ。君がそういう境地にたどり着いてくれたこと……同じ『未来を見る者』として、誇らしく思うよ」
__________
星々の光が、二人の姿を静かに照らし続ける。
しばらくの静寂の後、セイアがふと思い立ったように、少しだけ冗談めかした笑みを浮かべた。
「……では、セイカ」
「何でしょうか、セイア」
「来年の私の誕生日は、どんな日になるのかな?」
セイアの問いかけ。
今、この瞬間にセイカが『空見の波』を作動させれば、ちょうど一年後のこの日、ソラノミで何が起きているか、どのような言葉が交わされているかを正確に観測することができる。
セイカは一瞬だけ瞳を細め、思考の奥底にある観測機関へ意識を向けかけた──。
しかし、彼女はすぐにそれを遮断した。
セイカは少しだけ思考を巡らせる素振りを見せた後、唇の端を微かに押し上げ、柔らかい声音で答えた。
「……それは、来年になってからのお楽しみです」
その言葉に、セイアは一瞬ぽかんと目を丸くし──次の瞬間、声を忍ばせて楽しそうに笑い出した。
「ふふ……あはは! いいね、実にいい答えだ!」
セイアは胸の前で手を組み、満足そうに頷いた。
「そうだね。一年後の未来なんて、今から知ってしまう必要はない。これからの一年間、私たちがどんな日々を重ね、どんな選択をしていくのか……それを楽しみに生きることこそが、本当の『生きる』ということなのだから」
「はい。……来年の今日、また皆様と一緒に、こうしてお祝いをしましょう」
「ああ、約束しよう。……来年も、再来年もね」
二人並んで見上げる
けれど、その星々の下で紡がれる二人の未来は、決して決まりきったものではない。
未来を知らないからこそ、明日に期待できる。
未来を予測しないからこそ、今日という日を心から愛おしむことができる。
宇宙戦艦ソラノミの静寂な夜の中で、二人の『未来を見る者』は、まだ見ぬ明日への期待を胸に、静かに星の海を見つめ続けていた。