上空の雲を切り裂いて航行する艦内では、特異現象捜査部によるデカグラマトンのデータ解析が昼夜を問わず続けられていた。
ホログラムディスプレイに投影された無数のノイズコードを見つめながら、ヒマリは車椅子の上で小さく息を吐く。
「……解せませんね。デカグラマトンが私たちを『危険度:極大』と定義し、攻撃対象として認識したところまでは突き止めましたが……奴らが用いる論理プロトコルは、既存のキヴォトスの概念体系とは根本的に異なっています。私の『全知』をもってしても、完全な構造解析にはまだ一歩届きません」
その傍らで、エイミが冷えたスポーツドリンクの缶を傾けながら、ぽつりと呟いた。
「……うん。通常のエラー検出回路だと、そもそも反応すらしない。幽霊を追ってるみたい」
二人のやり取りを見守っていた先生は、胸ポケットのシッテムの箱に軽く手を当てながら提案した。
"ヒマリ、エイミ。解析に詰まっているなら……ソラノミの空見観測研究部のみんなとも、本格的に観測データを突き合わせて協力した方がいいんじゃないかな"
「空見観測研究部……セイアたちのことですね」
ヒマリは顎に指をあて、琥珀色の瞳を巡らせた。
「確かに、彼女たちの全宙域の空間観測能力と、ソラノミのデータベースは強力です。よし……共同戦線と行きましょう。さっそく声をかけてもらえますか?」
"了解したよ"
__________
先生たちがメイン観測室へ足を運ぶと、そこにはすでにセイカ、アカネ、ケイ、シロコの姿があった。
さらに今回は、同じくデカグラマトン対策としてソラノミに滞在していたセイア、キサキ、レナも一堂に会していた。
「お待たせしました、先生」
セイカが静かに頭を下げる。
"やあ、セイカ。忙しいところみんな集まってくれてありがとう"
「気にしないでください、先生。すでにソラノミの防衛プロトコルは稼働していますが……デカグラマトンの脅威を本格的に解読・排除するためなら、いくらでも協力します」
「相変わらずその車椅子で威勢が良いな、ヒマリ」
腕を組んだ竜華キサキが、口元に微かな笑みを浮かべて声をかける。
「おや、キサキ。あなたもソラノミの観測に付き合っていたのですね。お達者そうで何よりです」
ヒマリも不敵に微笑み返す。
「ふふ、皆様が観測室にお集まりになると賑やかになりますね。温かいお茶の準備はできていますよ」
アカネが手際よくトレイから茶器を並べ、レナとセイアがそれを手伝う。
「……ん。警戒シールドの感度、さらに引き上げておいた」
シロコが静かにボルトを引き、短く報告する。
それぞれの立場からデカグラマトン対策に参加するため、部屋の空気は自然と引き締まっていった。
__________
共同作業のセットアップを始めようと、先生は胸ポケットから『シッテムの箱』を取り出した。
"ケイ、ヒマリ。シッテムの箱に残っているデカグラマトンの侵入ログも照合に使ってくれ。ソラノミのゲートに接続するよ"
先生がシッテムの箱をソラノミの接続端末へかざすと、空間拡張型システムゲートが静かな電子音を奏でた。
光の粒子が収束し、先生のすぐ隣に、シッテムの箱のメインOSから実体化投影されたアロナとプラナが姿を現した。
「ふぁ~あ……あ、先生! ログの準備、バッチリできてますよー!」
水色の衣装を身に纏ったアロナが、先生の隣で元気に伸びをする。
「……本日もシッテムの箱側の観測データを同期します。よろしくお願いします、先生」
その隣で、黒い衣装のプラナが礼儀正しく先生とお辞儀を交わした。
「アロナさん、プラナさん。今日もデータ同期、よろしくお願いしますね」
アカネが優しく微笑みかける。
「……ん。アロナ、プラナ。今日もよろしく」
シロコが小さく手を上げる。
「お二人とも。シッテムの箱側のシステムログ受領準備、完了しています」
ケイが生真面目な口調で、手元の端末を操作する。
ソラノミのメンバーにとっては、先生の傍らにアロナとプラナがいるのは完全に「いつもの日常」であった。
しかし──。
「…………」
「…………」
特異現象捜査部の二人が、完全にフリーズしていた。
ヒマリは目を見開いてフリーズし、エイミは手に持っていた缶を握りしめたまま固まっている。
数秒の沈黙の後、ヒマリが恐る恐る手を挙げた。
「……ちょっと待ってください、セイカちゃん」
「はい?」
セイカが振り返る。
「……その、先生の横にいる二人……いったい何者ですか?」
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「何者、と言われましても……」
セイカは困惑することもなく、いつも通りの淡々とした調子で答えた。
「先生の『シッテムの箱』のメインOS領域に存在する、アロナとプラナです。以前からソラノミの専用接続ゲートを通じて、私たちの研究部とも交流を持っていますよ」
「知らなかった……」
エイミが目を丸くして、先生の横に立つアロナとプラナをじーっと見つめる。
ヒマリは車椅子をぐっと前に押し出し、眉をひそめた。
「待ちなさい! 私、シッテムの箱についてはミレニアムのデータベースを含め、かなり緻密に調査していたはずなのですが!? 先生の端末の中にそのような人格型プロトコルが二人も存在しているなんて、一言も聞いていませんよ!?」
「あはは……ヒマリさん、びっくりさせてごめんなさい」
アロナが頭をかきながら笑う。
「……私たちはシッテムの箱の管理人格として、常に先生をサポートしています。ソラノミには専用の接続ゲートがあるため、こうして実体化に近い形でデータ出力できます」
プラナが補足説明を加える。
「専用接続ゲート……!? シッテムの箱とソラノミを直接リンクさせているのですか!?」
ヒマリの声が高裏返る。
ヒマリとエイミの激しい動揺に対し、空見観測研究部側は「何をそんなに驚いているのだろう」と言わんばかりの平然とした雰囲気。観測室の中に、可笑しいほどの温度差が生まれていた。
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「……セイカ。なぜこのような重大な情報を、特異現象捜査部に共有していなかったのですか?」
ヒマリが少し悔しそうに追求する。
セイカは紫色の瞳を静かにヒマリへ向け、理由を述べた。
「アロナたちの存在は、私たちにとっては日常の一部です。ですが……シッテムの箱の秘匿性と、何より彼女たち自身のプライバシーに関わる情報です。彼女たちが望まない範囲まで、外部へ無暗に共有する必要はないと判断していました」
「……なるほど」
ヒマリは腕を組み、不満そうに鼻を鳴らした。
「要するに、『教える必要がなかったから教えていなかった』……ということですね。情報管理およびセキュリティの観点としては、極めて合理的でぐうの音も出ません……。ですが、全知の私としたことが一本取られましたね」
エイミもアロナたちの姿を観察しながら言った。
「……ソラノミには、私たちが知らないシステムがまだいっぱいありそう」
「ふふっ。隠していたわけではありませんよ、ヒマリさん。これからは特異現象捜査部の皆様も、一緒に仲良くしてくださいね」
アカネがお茶を差し出すと、ヒマリはそれを受け取って溜め息をついた。
「ええ、もちろんです。予期せぬ未知の変数……解析しがいがありますからね」
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場が和んだところで、セイカがホログラム画面を操作し、本題へと切り替えた。
「それでは、デカグラマトン対策における各部署の役割分担を整理しましょう」
セイカの指示に従い、観測画面に二つの大きなタスクツリーが提示される。
【空見観測研究部】
キヴォトス全域の広域観測:ソラノミの全方位センサーによる空間歪みの検知。
確率・未来変動の監視:『空見の波』を用いた、デカグラマトンによる「概念固定化」の兆候観測。
長期記録とデータ共有:アロナ・プラナと連携したシッテムの箱側からの観測ログの蓄積。
【特異現象捜査部】
デカグラマトンの構造解析:収集されたデータに基づく、敵の論理プロトコルや暗号の解読。
行動パターンの分析:過去の預言者(HAB、HOD等)のデータ照合と出現予測。
システム防衛と現地調査:ハッキング対策および必要に応じた地上の調査。
「観測と固定化の検知を我が空見観測研究部が担い、その実体の解読と対策立案を特異現象捜査部が担う……これで相乗効果が得られます」
セイカの説明に、全員が頷く。
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ヒマリはホログラムに表示されたデカグラマトンの複雑な数式パターンを見つめ、不敵に口角を上げた。
「素晴らしい役割分担ですね。デカグラマトン……奴らは自らを『神』と定義し、世界を自らの論理で塗り替えようとする存在。ならば私は、その論理を分解し、理解し、完全に定式化してみせましょう」
ヒマリのアプローチは「理解と定式化」。
それに対し、セイカは自身の瞳に微かな紫の光を宿らせながら、静かに言葉を返した。
「私は……その存在が世界にどのような影響を与え、未来の可能性をどう歪めていくのかを観測します」
セイカのアプローチは「観測と可能性の把握」。
対象を「解明すべき構造」として捉えるヒマリと、「変化し続ける現象」として捉えるセイカ。
似て非なる二つの視点が組み合わさった瞬間、これまで混迷を極めていたデカグラマトンのデータ群が、みるみるうちに整列し始めた。
「……おや?」
ヒマリが目を細める。
「セイカちゃんの観測データと私の解析アルゴリズムを重ねると……奴らの思考ノイズの周期性が見えてきますね」
「はい。デカグラマトンがどこを狙い、何を『定義』しようとしているのか……その未来の兆候が捉えやすくなります」
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メイン観測室の脇では、ケイとエイミによる実務作業が始まっていた。
キーボードを高速で叩くケイの横で、エイミが黙々とサーバーラックの配線と防衛シールドの出力チューニングを行っている。
「エイミ。特異現象捜査部の解析シミュレータに対し、ソラノミの第二データバスを開放しました。受信感度を微調整してください」
「……ん。調整完了。ノイズ、完全に消えた」
「了解しました。続いて、防衛シールドの自動トリガーをデカグラマトンの波形パターンに同期させます」
「……そっちの処理は私の方でやっておく。コード渡して」
「渡しました。作業効率が良好です」
必要以上の口数を挟まず、完璧なテンポでタスクを処理していく二人。
その様子を遠目から見ていたヒマリが、お茶をすすりながら呟いた。
「……なんだか妙に息が合っていますね、あの二人」
「ふふ、ケイもエイミちゃんも、余計な私情を挟せず目的へ没頭するタイプですから。相性が良いのかもしれませんね」
アカネが嬉しそうに微笑む。
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さらに、シッテムの箱から投影されたアロナとプラナも観測システムへと本格参加した。
「あ! ここ! アビドス砂漠の地下あたりから、なんだかヘンテコなノイズがビリビリ聞こえます!」
アロナが感覚的に指し示したポイントを、プラナが即座に論理データへと変換する。
「……アロナさんの指摘箇所を精査。デカグラマトンに関連すると思われる、未確認の通信ログを検出しました。ヒマリさんへ転送します」
「見事です、お二人とも! おかげで奴らの潜伏ノードの一つを特定できました!」
ヒマリが歓声を上げる。
セイカによる未来の可能性の観測。
ケイとエイミによる完璧なシステム処理と防衛。
ヒマリの鋭い解析と論理構築。
先生と常に共にあるアロナ・プラナのシッテムの箱による直感とログ抽出。
個々の能力が、ソラノミという巨大なキャンバスの上で一つの「絶対的な観測系」として見事に噛み合っていた。
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すべてのシステムが同期を終え、ソラノミのメインモニターには、キヴォトス全域の観測マップとデカグラマトンの解析状況が鮮明に映し出された。
全員が集う観測室の中央で、先生は満足そうに頷き、声をかけた。
"……うん。これなら、かなり心強いね。みんな、よろしく頼むよ"
セイカは広大な観測画面を見つめ、静かに、けれど力強い声で答えた。
「はい、先生。デカグラマトンが何を見て、何を定義しようとしているのか──私たちも、観測し続けます」
ヒマリも不敵な笑みを浮かべ、胸を張って宣言した。
「ふふっ。ならば私は、その『観測されたもの』を私の全知をもって徹底的に解析してみせましょう! 神を自称するAIなど、私たちの前ではただの計算課題に過ぎません!」
「……うん。邪魔するやつは、全部追い払う」
エイミが静かに拳を握る。
「皆様、長丁場になりますが、お食事の準備はいつでもできていますからね」
アカネの温かな声が、緊張感漂う室内に柔らかな安らぎを与える。
「……お父さん。追跡ミッション、いつでも開始可能です」
ケイが感嘆符なしの生真面目な声で報告する。
「……ん。ソラノミの準備、完璧」
シロコも小さく頷いた。
未知なる脅威デカグラマトンに対抗するため。
空見観測研究部と特異現象捜査部による、天空の共同対策体制が、今ここに正式に始動した。