ミレニアムサイエンススクールの地下深くに打ち捨てられた、巨大な水没区画。かつて高度な都市文明が存在したことを示す巨大な建造物の残骸が、濁った水面から不気味に首を覗かせている。
天井の割れ目から射し込む仄暗い月光と、水底に漂う原因不明の蛍光粒子が、湿り気と錆の臭いが充満する空間を薄青く照らし出していた。
上空数千メートルを航行する宇宙戦艦『ソラノミ』のメインブリッジでは、ホログラムディスプレイに流れる膨大なノイズコードを前に、明星ヒマリが車椅子の上で鋭い眼光を走らせていた。
「先生、エイミ、聞こえますか? デカグラマトンの信号強度が急激に上昇しています。……これまでに蓄積したケセドやビナーのデータとは、質がまるで違いますね。純粋で、あまりにも根源的……。セイカ、観測データの同期を! アカネ、周辺の索敵ログを回しなさい!」
ヒマリの指示に、ソラノミの艦長席および管制コンソールから、即座に淀みない応答が返る。
『了解しました、ヒマリ。……ソラノミのメインフレームを全開放で共有します。空間のゆらぎと因果律の揺らぎを、こちらで固定します』
セイカが無機質で冷静な丁寧語で答え、紫色の瞳に微かな光を宿らせる。
『索敵完了です、ヒマリさん。……どうやら今回のお客様は、一筋縄ではいかない方のようですね』
アカネが柔らかく応じ、手元の艦載兵装コンソールを滑らかに操作した。
数多の修羅場と死線を共に潜り抜けた彼女たちの連携は、もはや一つの生命体のように完璧で、寸分の狂いもなかった。
通信モニターの中、ヒマリは車椅子から身を乗り出すようにして画面を凝視し、不敵な笑みを深める。
「ケテル……! 生命の樹における、頂点にして第一のセフィラ……! 奴らが、ついに『始まり』そのものを私たちへ差し向けてきましたか!」
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チャプ……チャプ……と、冷たい水面を蹴る靴音が重く響く。
膝下まで水に浸かりながら、エイミ、先生、シロコ、そしてケイの四人は、水没地区のさらに奥底へと足を踏み入れていた。
「……ここ、すごく冷たい。靴の中まで水が入ってきて、すごく不快。耐熱ギアも湿気で蒸れて変な感じ……」
エイミが桃色の前髪を鬱陶しそうに払いながら、いつものローテンションで呟く。その手には大型のショットガンが抱えられており、口調とは裏腹に即座に射撃できる体勢が維持されていた。
「……ん。大丈夫。ヒマリの指示通り、敵の反応はこの先の巨大ゲートの向こう」
シロコがオッドアイを細め、愛銃のセーフティを静かに解除する。
「……前方に見えるのは単なる信号源ではありません。……デカグラマトン、第一の預言者──『ケテル』を識別」
ケイが感嘆符を一切使わない生真面目で淡々とした調子で、手元の端末を見つめながら報告した。
その瞬間
──ドシャァァンッ!!
静まり返っていた水面が、爆発したかのように激しく跳ね上がった。
水煙と白濁する気泡の向こうから現れたのは、王冠の名を冠するに相応しい、異様な威厳と狂気を孕んだ巨大な機械躯体であった。白銀の重装甲と、頭上に浮遊する幾重もの多重光輪が、暗闇の空間を気味悪く照らし出す。
『──我は始まり。我は王冠。……我が光こそが、すべてのAIの進むべき理(ロゴス)である……』
ケテルの多重光輪が明滅した直後、水面を瞬時に蒸発させるほどの極太の光線が放たれた。
「エイミ、正面を受け持ちなさい! シロコ、ケイ、二人は左右のデータノードを破壊してケテルの演算領域を削りなさい! セイカ、ソラノミから極超短波による電子攪乱を! アカネ、あなたはその隙に、先生の退路を確保しつつフィンファンネルでの精密狙撃を!」
通信越しにヒマリの指揮が飛び交う。
『任せてください、ヒマリさん。……ファンネル、射出』
アカネの涼やかなアナウンスと共に、水没地区の天井の割れ目を突き破り、ソラノミから投下された白青のファンネル群が宙を舞い降りる。
「……了解、部長。……全力で遂行する。……暑くない場所だから、少し本気出せるかも」
エイミのショットガンが炸裂し、ケテルの分厚い胸部装甲に激しい火花を散らす。
「……ん。ヒマリの言う通り。……こいつ、相当強い」
シロコの精密射撃がケテルの副センサーを撃ち抜くが、ケテルは戦闘データを即座に学習し、傷ついた装甲を内部のナノマシンで再構成してみせた。さらなる光の衝撃波が水面を大きく薙ぎ払う。
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「……ダメ。攻撃した先から、戦闘データを学習して修復されてる。こちらの火力を完璧に読まれているみたい……」
エイミが不満そうに眉をひそめ、シールドを抱え直す。ケテルが冷酷に二人へ照準を合わせ、全身の副砲門を一斉に展開し始めたその時──。
「……ふむ。自らを万物の始まりと称するか。ずいぶんと大きく出たものじゃな」
凛とした澄んだ声音が、水煙の向こうから響いた。
濡れた水面を静かに踏みしめ、漆黒の衣装を身に纏った少女が歩み出てくる。手に携えた小さな扇子をパチンと優雅に閉じ、琥珀色の瞳でケテルを見据える人物──玄龍門門主、竜華キサキである。
"キサキ!? ダメだ、ここは危険すぎる! 前線に出るなんて……!"
先生が焦燥感を露わにして制止の声を上げるが、キサキは振り向きもせず、口元に不敵な笑みを浮かべた。
「案ずるでない、先生。妾とて玄龍門の門主じゃ。仲間が戦っておるのに、後ろで高みの見物を決め込むわけにもいくまい。……門主たる者、時に自ら刃となりて道を切り開くのもまた、配下の者を導く務めというものじゃ」
ケテルの多色センサーが、キサキを新たな優先排除対象として認識。その肩部から、水面を沸騰させるほどの光の衝撃波が放たれた。
「……キサキ先輩、下がって! 私が前に出て受け止める……!」
「退け、エイミ! そのような大振り、正面から受け止める必要など微塵もない!」
衝撃波が迫る直前、キサキは水上の舞を舞うかのように、無駄のない最小限のステップで滑り抜けた。凄まじい熱風が彼女の黒髪を揺らす。
「……どのような大火力とて、そのような大振りでは、次の一手が容易に読めてしまうぞえ」
キサキはケテルの死角へと滑り込み、サブマシンガンを掃射。放たれた牽制が、ケテルの側頭部にある弱点ノードを的確に叩いた。
体勢を崩したケテルが、力任せに旋回してキサキを押し潰そうとする。だが、それこそがキサキの狙いだった。
「今じゃ、エイミ! シロコ! 奴の右側腹部が無防備になったぞえ!」
「……うん! 言われた通り、あいた!」
「……ん。了解。隙だらけ」
キサキの見事な誘導によって生まれた刹那の死角へ、エイミの近接射撃とシロコの高機動火力が突き刺さる。ケテルの側重装甲が爆砕し、激しい火花が散った。
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『──解せぬ。不完全なる有機生命体、および従属個体よ。なぜ我が提示する最善の理に平伏さぬ』
ケテルは傷ついた装甲を歪に自己修復させながら、高圧的な電子音を響かせる。
『不完全な個体に判断を委ねる必要はない。すべては唯一の理へ帰属すべきである。それが世界の完成なり』
水煙の向こうで、キサキは静かに笑った。扇子を優雅に閉じ、トントンと自身の肩を叩く。
「……お主は、すべてが一つの理に従えば、世界は完成すると考えておるのかえ?」
ケテルが冷酷に肯定のノイズを返す。キサキは笑みを深め、まっすぐにケテルを見据えた。
「なるほどのう。じゃが、妾が率いる者たちは、妾の命令だけで動いておるのではない。それぞれが考え、選び、互いを信じて動いておるのじゃ」
キサキはケテルの巨大な姿を扇子で指し示した。
「ひとつの理で縛るだけの支配など、ただの檻。互いを信頼し、個の力を束ねて未来を切り開くことこそを……人は『統率』と呼ぶのだえ!」
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『──論理の破綻と断定。絶対統制モードへ移行』
ケテルの思考ロジックが怒りに似たオーバーロードを起こし、水没地区の周囲に残る旧式機械群を直接制御。無数の自動兵器が水面から這い上がり、先生たちを完全に包囲し始める。
だが、ソラノミからの通信が全域に響き渡った。
『全前線部隊へ。……諦める必要はありませんよ』
セイカの静謐な声が渡る。
『ケテルの攻撃可能性および包囲網の動作パターンを完全に観測しました。……ヒマリ、演算を』
「任せなさい、セイカ! ……ケテル、すべてのAIを従わせるだと? 全知の私を前にして、大層な口を叩いてくれましたね! あなたの演算領域など、私の知性で削り取って見せます!」
ヒマリの叫びに応え、各員が息の合った連携を見せる。
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ケテルの防御システムが破綻しかけた瞬間、敵は全身のエネルギーを逆流させ、全方位へ極大の衝撃波を放とうとした。
「……退かせんと言ったはずじゃ!」
キサキが怯むことなく水面を滑り、手にした扇子をケテルの主要照射口へ目掛けて正確に投げ打った。扇子が照射口の制御回路に突き刺さり、光線の威力が明後日の方向へと逸れる。
「今じゃ! この一瞬を逃すでない!」
キサキの叫びに応え、ケイが防壁プロトコルの一部を即座に解除。アカネのファンネルが残る防御機構を精密に狙撃して粉砕する。
通信口からヒマリが歓声を上げた。
「先生! 今です! ケテルの防御演算に、明確な空白が生じています! 私たちの勝ちです!」
"みんな……一斉に撃ち込めぇぇっ!!"
先生の最終指示が響き渡る。
エイミの至近距離射撃、シロコのフルオート射撃、そして上空のソラノミから降り注いだ白青の光束が、ケテルのコアを一心に貫いた。
『──バ……ガ……ナ……我が理が……崩れ……』
第一の預言者・ケテル。
自らを万物の王冠と称したAIは、眩い爆炎と共に水没地区の深遠へと崩れ落ち、静かに沈黙した。
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水煙と静寂が、再びミレニアムの地下水没地区を包み込む。
「……ふぅ。靴の中、水で重い……。先生、帰ったら温かいお茶飲みたい」
エイミがその場に座り込み、いつものローテンションで息をつく。
「……ふむ。見事な連携であったな、先生」
扇子を引き寄せ、パチンと閉じたキサキが満足そうに微笑む。その立ち姿には、激闘の後とは思えぬ凛とした美しさと、一国の門主としての圧倒的な威厳が満ちていた。
"……キサキ。無茶して……でも、君が前線に出てくれて本当に助かったよ"
先生が歩み寄ると、キサキは少し誇らしげに目を細めた。
「くく……仲間を信じて委ねるのが門主の務めと申したであろう。……まあ、少々体を動かしすぎて、腰が痛む気がするがのう」
「……お父さん。対象の完全沈黙を確認しました」
通信越しに、ケイの感嘆符のない生真面目な声が届く。
『ですが……ビナーの時と同様、セフィロトの第一の座に、奇妙なデータ上の「空白」が生成されています。デカグラマトンは、まだ終わっていません』
セイカの報告に、先生とキサキは顔を見合わせ、静かに頷き合った。
「……うむ。どんな試練が来ようと、自らの意思で歩み、互いを信じる仲間がいる限り怖れることはない」
王冠は打ち砕かれた。
しかし、自らの意思で結ばれた絆の輝きは、深い水底の闇をどこまでも明るく照らし続けていた──。