上空数千メートルの高空を静かに航行する宇宙戦艦『ソラノミ』。そのメイン作戦・解析区画に設置された巨大なホログラム・ディスプレイには、青白い光を放つ立体地図が浮かび上がっていた。
画面一面を埋め尽くしているのは、視界の限りを氷と雪で覆い尽くされたキヴォトス極北の死地──「氷海地域」の過酷な地形データである。
ソラノミは蒼いプラズマ流を静かに噴き上げ、進路を北方へと固定。雲海を切り裂きながら、極寒の地を目指して滑るように航行を続けていた。
「……うう、寒い。寒すぎるでしょう、これは……! なにですかこの異常な数値は……! 外気温マイナス48度ですって……⁉ 艦内の空調を暖房最大にしなさい! 観測機器の結露防止ヒーターも全力稼働です!」
作戦・解析区画のメインコンソール前。厚手の毛布と防寒コートを幾重にも羽織り、もこもこのマフラーにすっぽりと埋もれた明星ヒマリが、車椅子の上でガタガタと身を震わせていた。暖房の効いた艦内であるにもかかわらず、モニターに映し出される外気温の数字を見ただけで凍えてしまいそうな様子である。
「ふふっ、ヒマリ。ミレニアムが誇る全知の天才美少女も、気温の低下という物理現象には勝てませんか」
そのすぐ隣、艦長席にゆったりと腰を下ろしたセイカが、静かで品のある微笑みを浮かべた。その服装は普段と変わらぬ落ち着いた装いでありながら、醸し出す雰囲気には一切の隙がない。
「な、何をおかしそうに笑っているのですかセイカ! 寒さは脳の血流量を低下させ、私の天才的な思考速度を鈍化させる最大の敵ですよ! ……というか、あの子は一体どういう体の構造になっているのですか⁉」
ヒマリが震える指先で、呆れ顔のまま通路の先を指し示した。
その視線の先にいたのは──外気温マイナス48度の極寒の嵐が装甲を叩きつけるソラノミの廊下を、露出度の高い水着姿のまま、ぽてぽてと平然とした足取りで歩いているエイミの姿であった。
「……ん。エイミ、本当に寒くないの? 念のため、私の防寒着貸そうか?」
モコモコのフードがついた厚手の防寒パーカーを着込んだシロコが、不思議そうに首を傾げながらエイミの顔を覗き込む。
「……んー。大丈夫、シロコ。耐熱ギアの出力を寒冷地モードに切り替えたから、むしろ体の表面はポカポカしてちょうどいいくらい……。風さえ直接当たらなければ、ソラノミの中はすごく快適……」
エイミは冷えたスポーツドリンクのペットボトルを手に持ち、ちびちびと飲みながら、いつものローテンションでパチパチと瞬きをした。その肌には寒さで震える様子もなければ、鳥肌一つ立っていない。
「……理解不能です、エイミ。生体熱量の維持効率、および寒冷地における皮膚露出度の観点から見て、極めて異例かつ非合理的な現象と言えます」
『アビ・エシュフ』の出力調整パラメータを淡々と操作していたトキが、バイザー越しにエイミの全身をくまなく観察しながらつぶやく。
「ですが、戦闘準備および機体状態に怠りはありません。アビ・エシュフの寒冷地適応、および各種兵装の作動チェック完了。いつでも前線へ出撃可能です。……ぴーす、ぴーす」
いつもの無表情のまま、両手の指をちょこんと立てて見せるトキ。その隣で、完全防寒仕様の厚手ジャケットを着込んだ衣斐レナが、額に青筋を立てて呆れたように大きな溜め息をついた。
「ちょっと! あんたたち何余裕ぶっこいて会話してんのよ! マイナス48度って言ったら、うっかり息を吐くだけで凍りついて鼻水までダイヤモンドダストになるような世界なのよ⁉ なんで水着で歩いてるバカと、普段通りのパワードスーツを着たエージェントが並んで平然としてるわけ⁉ ミレニアムの物理法則はどうなってんのよ!」
「(……あ、でも待って……! セイカさんのあの防寒コート姿……っ! 襟元のモコモコに少しだけ埋もれる顎のラインと、落ち着き払った佇まいが美しすぎて尊すぎて神々しすぎるんだけど……っ! 寒さなんて一瞬で吹っ飛ぶくらい尊いんだけど……っ⁉)」
内心で速攻で大限界化を起こし、語彙力を消失させかけながらも、レナは表向きは必死に顔を真っ赤にして「寒いわねまったく! 早く暖かい暖炉のある場所に移動しなさいよ!」と腕を組んでツンツンと強がってみせるのだった。
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「はいはい、皆さん。そんなに大声を出すと余計に体力を消耗してしまいますよ。温かい生姜湯と特製のコンソメスープが入りましたから、しっかり飲んで体を温めてくださいね」
柔らかな笑みを絶やすことなく、アカネが人数の分だけ湯気を立てるカップが載ったトレイを手に、滑らかな足取りで廊下を歩いてきた。
「シロコ、マフラーの結び目が少し緩んでいますよ。寒風が入ってきてしまいますから、ちゃんと結び直しましょうね。ケイも、画面ばかり見つめていないで、温かいスープを一口でも口にしてくださいね」
「……あ、ありがとう、お母さん。……ん、すごくあたたかい。生き返る」
シロコがカップを両手で大切そうに包み込み、ふーふーと息を吹きかけながら一口飲み、ほっと胸を撫で下ろす。
「……感謝します、お母さん。……体温低下に伴う生体維持コストの増大は、脳内演算および端末操作の精度低下に直結するため、エネルギーの補給を受け入れます」
ケイもカップを受け取り、ちびちびとコンソメスープを口に運んだ。
その仲睦まじい家族の光景を優しく温かな眼差しで見守っていたセイカが、出撃準備の最終確認を行っているシロコに向かって落ち着いた声をかける。
「シロコ。氷海へ降り立った後は、決して私のファンネルによる広域防衛圏の範囲から外れないようにしてくださいね。今回の目的地は単なる極寒の地というだけでなく、空間そのものが異質な思考ノードによって侵食されていますから」
「……ん。わかった、お父さん。お父さんの防護圏内を絶対に維持する。離れない」
シロコが力強く確かな足取りでうなずき、愛用のアサルトライフルのボルトを引き抜き、極寒環境下での動作確認を万全に行う。
「ふむ……。空見観測研究部による未来の可能性の観測と、特異現象捜査部によるデータ解読および構造定式化。そして前線で縦横無尽に駆ける子供たち……。完璧な布陣ですね、先生」
ヒマリが生姜湯の湯気で顔をほころばせながら、傍らに立つ先生に向かって自信満々に車椅子の肘掛けを叩いた。
"うん。未知の預言者がどんな凄惨な能力や姿をして現れようと、このメンバーの絆と力があれば絶対に乗り越えられるよ。みんな、各自の持ち場で準備を整えよう"
先生の力強い決断の言葉を受け、皆の士気が静かに、けれど確実に最高の状態へと高まっていったのだった。
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やがて、ソラノミは目的地である「氷海地域」の目標上空へと到達し、蒼いプラズマ流の出力を絞ってホバリング状態へと移行した。
艦底に設置された超高解像度カメラがメインモニターに映し出しているのは、どこまでも水平線の彼方まで続く白銀の氷原と、地表を猛烈な勢いで吹き荒れる白濁した吹雪の光景であった。人間どころか、通常の機械すら数分で凍りつき機能を停止させるような、完全なる生命拒絶の世界。
だが、甲板側の大型展望アクリルエリアに立っていたシロコが、ふと足を止め、そのオッドアイを深く細めた。
「……ん。……嫌な感じがする」
"シロコ? どうかしたかい?"
異変に気づいた先生が歩み寄ると、彼女は足元に広がる厚い装甲板と、その遥か下にある氷原を透かし見るように、じっと鋭い視線を地下深くへと注いでいた。
「この胸の奥がざわつく感じ……。今まで戦ってきたビナーやケテル、それにミレニアムの地下で対話したデカグラマトン本人とも違う。もっと……冷たくて、静かで、底の深さが分からないような、不気味な気配」
『……シロコお姉ちゃんの野性的かつ直感的な警戒は、正解である可能性が極めて高いです』
通信インカム越しに、ケイの感嘆符のない淡々とした報告が割り込んでくる。
『ソラノミの深層音響ソナー、およびシッテムの箱のアクセスログ照合が完了しました。……未知の信号の発信源を正確に特定。位置は……ここから垂直に下降した、厚さ300メートルの蒼氷層の下に広がる、超高圧・超低温の地下水脈水域です』
「氷層下300メートル……⁉」
ヒマリが車椅子の上で目を見開く。
「地下水路どころの規模ではありませんね。太陽の光すら一切届かない完全なる絶海の暗闇……そこに、私たちが未だ知り得ない新たなセフィラ──未知の知性が潜んでいるというのですか」
『ソラノミによる波形観測においても、その存在が発する規則的な「脈動」を確認しました』
セイカの無機質で静謐な声が重く響き渡る。
『それは氷の奥底で静かに眠っているのか、あるいは……私たちが辿り着くのをじっと待ち続けているのか。いずれにせよ、その正体と意図を確認するためには、私たちが直接かの地へと降り立つほかありません』
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"よし……! 調査を開始しよう。全員、降下準備!"
先生の明確な意思を込めた号令が飛ぶ。
『了解しました。ソラノミ、メインハッチ開放プロトコル始動します』
アカネの柔らかなアナウンスが艦内スピーカーから流れると同時に、ソラノミの巨大な艦底ハッチが重厚な機械音を立ててゆっくりと左右に開き始めた。
グォォォォォォオオッ!!
ハッチが開いた瞬間、艦内へとなだれ込んできたのは、マイナス48度という常軌を逸した猛烈な吹雪と、皮膚を切り裂くかのような極寒の爆風であった。
しかし、そこに立ち並ぶ者たちの瞳に、怯みの色は微塵も存在しない。
厚手の防寒コートを身に纏い、車椅子を寒冷地仕様の耐空ホバーモードへと素早く換装した明星ヒマリ。
無機質な紫色の瞳の中に確かな決意の光を宿し、幾何学模様を描く白青のファンネル群を周囲に滞空させるセイカ。
温かなお母さん風の笑みで家族と仲間たちの後方を完璧に引き締めるアカネ。
愛用のアサルトライフルを力強く握り締め、お父さんの広域防護圏内で前を見据えるシロコ。
淡々と端末を操作し、寒冷地における戦術データをミリ秒単位で更新し続けるケイ。
水着姿のまま大型ショットガンを気だるげに抱えるエイミ、重装甲アビ・エシュフを頼もしく輝かせるトキ、ツンとすました表情のままサブマシンガンを構えるレナ。
羽織の袖を風になびかせ、閉じられた未来の異変を鋭い直感で察知するセイア。
防寒着の襟を立て、漆黒の衣装と確かな威厳を纏いながら大局的な視点で作戦の全容を見据えるキサキ。
そして、彼女たちの中心に立ち、的確な指示と信頼を寄せる先生。
「くく……道なき氷原を切り開く、見事な陣容じゃな。参るぞ、先生!」
キサキが力強く宣言する。
「ああ。私たちの意志が、極寒の闇に挫けることなどないさ」
セイアも頷く。
「特異現象捜査部、空見観測研究部、降下開始です! 氷底の暗闇に眠る不遜な知性に、私たちの至高の知性と揺るぎない絆を見せてあげなさい!」
ヒマリの威勢の良い宣言が響き渡ると同時に、一行は白銀の氷海地域へと一斉に降り立った。
彼女たちの足元に広がるのは、途方もない歴史の重みを湛えた厚さ300メートルの蒼い氷層。
その遥かなる深遠から、未だ見ぬ預言者──新たなセフィラの存在を示す鼓動が、地鳴りのような重低音となって、静かに、けれど確実に響き続けていた。
未知なる氷海の遠征。
生命の樹の深遠なる謎を解き明かすための新たなる戦いが、いま静かに幕を開けるのだった──。